アバウトなつぶやき

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ジャコメッティ展

2017年10月21日 | かんしょう
木曜日のこと、シロウタと豊田市美術館で開催中のジャコメッティ展を観てきました。



ジャコメッティは細長いシルエットの彫刻として独自のスタイルを確立しているので、一目見て彼の作品だと分かると思います。
その特徴的な造形に至るまでにどんな変遷があったのだろうと思ったのですが、変遷も何も、彼の行き着く先はここになることが決まっていたのかも知れない、と思わせられる内容になっていました。
ジャコメッティは若い頃はキュビズムやアフリカやオセアニア等のプリミティブな造形に影響を受けていたのですが、30代には前述のシルエットの彫刻にたどり着いています。
そのシルエットに至るまでの理由が、常人と違う物があるとは思わずにはいられません。
彼は「見えるものを見えるままに」造形することが困難だったというのです。対象物を描く際、人間なら個性を表現しやすい上半身であるとか、雰囲気を表現する全身像、という風な描き分けをするのが普通でしょう。
しかしジャコメッティは人間を見ると全体像として捉えてしまうため、絵にするとどんどん小さくなってしまうというのです。
それで、一時期は彫刻も手のひらに収まる2〜3cmのものしか作れなくなっていたほどです。
また、デッサンにより物事を捉えようとするあまり、モデルを数時間にわたり拘束するのは当然で、それが数週間から数ヶ月に渡ったといいます。
モデルにそういう無茶な要求をするので身近な人しか付き合ってくれなかったそうですが、、、それだけのデッサンをして出来上がるのがあのシルエットという不思議。一体、どうやって頭の中が変換されているのでしょう。
「モデルを前にした制作」の章で、デッサンに「生きたまなざしを捉えるため目に線が集中している」という解説が付いていました。
それを読んで、「そんなに目に重点を置いといて、出来上がった造形は全体のシルエットの方が印象的ってどういうことよ?」って思ったのですが、そのプロセスが無ければあの造形には辿り着かなかったのでしょうね。
実際、そこに展示されていた弟がモデルの胸像は正面から見るとまなざしより醸し出す存在感に意味がある様に見えるのに、ある角度から見ると視線が定まっている様に見えました。
「書物のための下絵」を見た時も、ただ、書きなぐった様に見える線でありながら、同様の構図を比べると明らかに存在感の違いがある絵があり、簡単に見える作品の中にある奥深さを感じました。

▲《書物のための下絵Ⅲ》1951年


  
▲一部の作品は撮影可能なため、出版物ではあまり見られない角度で画像を残せるのが面白い。

全体的にはその存在感に魅せられるカッコイイ彫刻なのですが、よく見ると表情すら感じる作品が時々あったりして、これが実物の醍醐味だなって思いました。

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同時開催している「髙橋節郎:宇宙の彼方へ」も、もちろん観てきました。



この方の作品、すごい存在感で圧倒されます。
なにせ、使っている素材が漆です。技術がすごくて、細部がとても美しいのです。
しかし、描かれるモチーフがとってもシュール…。
伝統的な技術を使って、前衛的(?もしくは超古典的)な世界を作り出しているのです。
これをどう言えばいいのか!楽器が箔押とか鎗金とかって趣味が良いのか!?このパネルを飾りたいと思うのは一体どんな人なのか??
私にはわけが分かりません。
でも、こんな立派な記念館が建ってるし、東京芸大の名誉教授だったし、とにかく立派な方なんですよ。はい。
前も思ったけど、髙橋節郎館は贅沢な空間ですわ。。。なんか笑いが出ちゃうんですよね、立派すぎて。
パンフレットもつやつやの良い紙と印刷使ってるし、豊田市ってホントお金持ち

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