7月18日
平瀬川源流から、多摩川と合流する地点までの平瀬川ウォーキングツアーに参加しました。
13キロほど、万歩計では25000歩くらいでした。
川沿いに歩くのでアップダウンは少なかったのですが、かんかん照りの中
汗だくになりながら歩き通しました。
途中でリタイヤしようかしらとも思いましたが、最後まで頑張れた自分に驚きです。
少しは根性ができましたよ。
平瀬川
辿れる最上流のあたり
ここの右手上の長沢中学校あたりに源流の泉があったとされていますが
今はありません。
この辺では、平瀬川はまだ小さな谷川で、住宅のすぐ裏を流れる三面コンクリートの排水路
の様な感じです。
川に沿っての道がないため
住宅地の道をあっちへ行きこっちへ行きながら進みます。
川幅が狭いため、集中豪雨などがあった場合、増水して氾濫する危険性があるようで
ハザードマップにも載っているとのことでした。
聖マリアンナ医科大学病院の少し手前
途中寄り道した、盛源寺
深~~~い、言葉
葷酒山門に入るを許さず くんしゅさんもんにいるをゆるさず
くさいにおいを放つ野菜と酒は、浄念を乱し修行の妨げになるので、寺の中へ持ち込んではならないこと。「葷」においの強い葱や韮・にんにくなどの野菜のこと。
禅寺の門の脇の戒壇石に刻まれる句だそうですが、この年になるまで知りませんでした。
覚えておかなくちゃ!!
聖マリアンナ医科大学病院の手前あたりで川の拡幅工事をしていました。
どのあたりまで拡幅されるのかは分かりませんが
地域住民の安全の為にも急いでほしいものです。
また、我々散歩人には、拡幅されると両側に歩道が付くようなので歩きやすくなると思います。
聖マリアンナ医科大学から下流は、私のテリトリーですね~
見慣れた風景です。
いつも歩いているコースですから。
・・・と思ったのですが
東泉寺
このお寺は知りませんでした。
茅葺屋根の山門のあるお寺です。
しばらくは、平瀬川沿いの道を黙々と歩きます。
やがて、平瀬川が流れを変えられて津田山トンネルに入る地点に来ました。
元の平瀬川は溝口の町の中を流れていましたが、度々の氾濫を防ぐため
津田山方面に流れを変えられ二子新地の少し上流で多摩川と合流しています。
元の平瀬川は埋め立てられて川筋を辿る事は難しくなっている様です。
平瀬川の水はここからトンネルに入って
ここから出てきました~~~。
水はトンネルを通って来ますが
私たちは山越えです~~~~~~~暑い暑い
そこから、更に20分ほど歩くと
ついに平瀬川の終点の多摩川との合流点です。
やった~~~~
でも、本当はくたくた
何か見覚えある所だと思ったら
多摩川花火大会で、花火を見に来た所でした。
ここから見ると、二子多摩川側の花火が良く見えるのです。
二子新地の駅で解散となりましたが、かんかん照りの厳しい暑さの中
誰も熱中症にならずにみんな元気に歩けました。
13キロと距離も長かったのですが、何とか頑張れました
次回は8月の初めに登戸から溝口まで歩く事になっています。
平瀬川源流から、多摩川と合流する地点までの平瀬川ウォーキングツアーに参加しました。
13キロほど、万歩計では25000歩くらいでした。
川沿いに歩くのでアップダウンは少なかったのですが、かんかん照りの中
汗だくになりながら歩き通しました。
途中でリタイヤしようかしらとも思いましたが、最後まで頑張れた自分に驚きです。
少しは根性ができましたよ。
平瀬川
辿れる最上流のあたり
ここの右手上の長沢中学校あたりに源流の泉があったとされていますが
今はありません。
この辺では、平瀬川はまだ小さな谷川で、住宅のすぐ裏を流れる三面コンクリートの排水路
の様な感じです。
川に沿っての道がないため
住宅地の道をあっちへ行きこっちへ行きながら進みます。
川幅が狭いため、集中豪雨などがあった場合、増水して氾濫する危険性があるようで
ハザードマップにも載っているとのことでした。
聖マリアンナ医科大学病院の少し手前
途中寄り道した、盛源寺
深~~~い、言葉
葷酒山門に入るを許さず くんしゅさんもんにいるをゆるさず
くさいにおいを放つ野菜と酒は、浄念を乱し修行の妨げになるので、寺の中へ持ち込んではならないこと。「葷」においの強い葱や韮・にんにくなどの野菜のこと。
禅寺の門の脇の戒壇石に刻まれる句だそうですが、この年になるまで知りませんでした。
覚えておかなくちゃ!!
聖マリアンナ医科大学病院の手前あたりで川の拡幅工事をしていました。
どのあたりまで拡幅されるのかは分かりませんが
地域住民の安全の為にも急いでほしいものです。
また、我々散歩人には、拡幅されると両側に歩道が付くようなので歩きやすくなると思います。
聖マリアンナ医科大学から下流は、私のテリトリーですね~
見慣れた風景です。
いつも歩いているコースですから。
・・・と思ったのですが
東泉寺
このお寺は知りませんでした。
茅葺屋根の山門のあるお寺です。
しばらくは、平瀬川沿いの道を黙々と歩きます。
やがて、平瀬川が流れを変えられて津田山トンネルに入る地点に来ました。
元の平瀬川は溝口の町の中を流れていましたが、度々の氾濫を防ぐため
津田山方面に流れを変えられ二子新地の少し上流で多摩川と合流しています。
元の平瀬川は埋め立てられて川筋を辿る事は難しくなっている様です。
平瀬川の水はここからトンネルに入って
ここから出てきました~~~。
水はトンネルを通って来ますが
私たちは山越えです~~~~~~~暑い暑い
そこから、更に20分ほど歩くと
ついに平瀬川の終点の多摩川との合流点です。
やった~~~~
でも、本当はくたくた
何か見覚えある所だと思ったら
多摩川花火大会で、花火を見に来た所でした。
ここから見ると、二子多摩川側の花火が良く見えるのです。
二子新地の駅で解散となりましたが、かんかん照りの厳しい暑さの中
誰も熱中症にならずにみんな元気に歩けました。
13キロと距離も長かったのですが、何とか頑張れました
次回は8月の初めに登戸から溝口まで歩く事になっています。
葷酒には
「葷は許さず 酒山門に入る」って
読み替えることもあるそうで・・);
それって、葷はダメだけど
酒は良いんだよ~って事ですか?
都合よく読み替えて??
酒に寛大な日本ならではですね。
宗派によっては、飲酒して修行もOKなところもあるのですか????
平瀬川13km地図を見ながら読ませていただきました。
この炎天下、お疲れ様でした。
私事で恐縮ですが、先月18日に都内の病院に入院し「余命2か月」と、宣告された元の会社の上司が今月25日になくなり、本日炎天下でお葬式でした。
毎週見舞いに行っていました。
そしてここ数日は葬儀の会社関係の人々へのお知らせなどに、時間を費やしました。
私は、酒が飲めません。
このため、肩身の狭い会社生活でした。
酒を飲める人間は、酒を飲めない人間を奇異な目で見ます。
この上司は酒を飲めないことをまったく意に介さず、付き合ってくれました。
私の聞くのがいやな言葉!それは
「酒も飲まず、たばこも喫わずに何の楽しみがあるのか?」
今では、たばこは吸わないほうが、よくなって来ましたが・・・
酒を飲める人間は楽しんで飲んでいます。
酒を飲めない人間は、仕方なく、苦しんでのんでいます。
酒を飲める人間は、飲めない人間の心理がわかりません。
同様に、飲めない人間は、飲める人間の心理がわかりません。
相変わらず、酒気帯び運転の事故が後を絶ちません。
若者の一気飲の死亡事故も続いています。
と、まあ、酒を飲めない場所でも、何とかして飲もうとする人の心理が、飲めない人間には、可哀そうに思われてきます。
酒は百薬の長と言えどよろづの病は酒よりこそ起これ
と言います。
もし、酒を嗜好品としてではなく、アルコールという薬物としてとらえると
どんな薬害をも凌ぐ薬害があります。
アルコールは脳をはじめとする全ての臓器に害を及ぼします。
WHOによって発癌性も認められています。
また、犯罪や飲酒事故、自殺にも深く関係しています。
なので、酒の飲めない人は、不幸に会う確率が低く
心身共に幸せな一生を送れると思います。
身近な事で言えば、酒飲みは時間を無駄に酒に奪われています。
10分で済む話も酒が入ると何時間もかかります。
と言うわけで、私のダンナは酒をやめました。
10年になります。
おかげで元気で二人でどこにでも出かけられます。
今の酒のない人生の方が、ずっと幸せです。
と、ダンナも言っています。
酒を飲める人が、酒をおやめになったのは、かなり苦しい時期を経ながら、今日に至られたものと推測します。
酒には中毒性があり、たばこをやめるのと同じ苦しさがあったのではないかと思います。
私は酒が飲めなおために、人との付き合いの時、たばこばかり吸っていました。(そのため「肺気腫」になってしまいましたが)15程前に、たばこやめました。そのときの苦しさはよく覚えています。
酒を飲めない人間が、飲める人を見る目と、
酒を飲めるが、やめた人が見る、酒を飲む人間を見る目は、また違ったものですね。
これまでの私の、前者の愚痴っぽいコメントと比べ、後者を代弁したふるやのもりさんのコメントには歯切れの良さが感じられます。
ありがとうございました。これまでの肩身の狭い思いがは、少し広くなり楽になりました。
美味い酒を一生飲み続けるのは
思いのほか難しい様ですよ。
涙かくして苦い酒を飲む人の何と多い事か・・。
「酒も飲まず、たばこも喫わずに何の楽しみがあるのか?」
この言葉の奥の奥には・・実は嫉妬と羨望もあるんだそうですよ。
酒も飲まず煙草も吸わず健康に生きられたらどんなに良いだろうと言う。
なので、肩身が狭いだなんて、そんな事ありませんよ!