絶対に、と言い切っていいと思うが、酒田市民の中で私しか観ていない映画に「カー・ウォッシュ」(‘76米)がある。リチャード・プライヤーが主演した黒人歌謡映画。
たいしたヒットもせず、評判にもならなかったこの作品のことを、不思議と思い出す。ほとんどストーリーはなく、手で洗車することが売り物の(つまり設備投資もできない)、あるガソリンスタンドの一日を描いたもの。
忘れられないのは、ラストシーンで近所の美人ウェイトレスをスタンドマンが口説くセリフだ。
「いつまでも白馬に乗った王子様を待っているつもりかい?」
現実的な選択をしろ、というわけ。夢見る十代だった私は「え?待ってちゃいけないのかよ」と憤然としたのだった。
まあそんなに純朴でもなかったのは、女工(放送禁止用語?)を海軍の幹部候補生が抱えあげ、周りが拍手でそれを見送る某クソ映画(ほれ、リチャード・ギアの)にはもっと怒りまくったことでも知れる。でも、適当なところで付き合う相手を“手を打つ”という考えにはどうしても納得できなかった。
「アリーmy Love」(このタイトル、サザンのもじりにもなっていない)はNHKが深夜にやっていたアメリカ製TVドラマ。そのエピソードの一つ「婚約」(The Promise)に同じようなシーンが出てくる。一週間後に結婚を控えた太っちょが、主人公の美人弁護士アリー・マクビールに惚れてしまい「求めるもの(One)を追わないで、あるもの(Only)で我慢しろって言うのかい?」と告白する。アリーは(二転三転するが)現実的な選択をすべき、と迷いながらも突き放してしまう、という筋書き。
それはないだろう、とまたも考えながら、しかし四十になってすっかり現実的になった私は、十代の時とは別のことに気づいた。
日本のテレビなら、あるいは日本人は、こんなミもフタもないことは“思っても絶対に言わない”。それは言わない約束でしょ、というコンセンサスが既に出来ている。日本で一番なんでもセリフで説明する脚本家、山田太一にしたってここまではやらない。
でも、弁護士の成長物語だからというわけでもないが、このドラマでは、様々なネタが全て“論争”の具として、出演者と視聴者に提供される。人種や宗教(と所得)が多彩なあの国では、それは必然だったのだろう。そしておいおいそこまで言うか、とこちらが呆れかえる寸前に、例のダンシングベイビーや懐かしのポップスで笑いにくるんでしまう。まことに上等のドラマ。オフィス、というものを知るうえで参考になる部分がたくさんあるので(気を回しすぎて却って弁護士たちをストレスのどん底に叩き落す秘書の存在とか)、事務職員にもお薦めできます。
エミー賞をとりまくったドラマ作りの天才デビッド・E・ケリー(くっそー、ミシェル・ファイファーの亭主である)の作品と較べるのは酷かもしれないが、日本のテレビも是非参考にしてほしい。ドラマとしての必然で、トイレが男女共用であるとの大嘘を除けば、セットのリアリティからして日本のそれとは段違いなのだ。
余計なことかもしれない。でも「カー・ウォッシュ」のウェイトレスにしても、あの太っちょにしても、現実を受け入れ、少し寂しい顔をしながら、Only と共に、人生を歩む決断をする。うーん、人生ってやっぱり、そんなものなんだろうか。まあこのドラマには、主演のキャリスタ・フロックハートが実生活でハリソン・フォードの糟糠の妻をたたき出して略奪愛を成就させたという壮絶なオチもついているわけだが……
しかし略奪愛!それは知らなかった・・・。