PART1はこちら。
・失踪した理恵子のつとめるバーには、田所前大蔵大臣の娘(山口果林)との婚約が噂される和賀英良が客として通っている。彼は現在「宿命」というタイトルの交響楽を作曲している。
……またしてもたまたま刑事と和賀は遭遇する。しかし今回はまだ必然性がある。客とホステスとの関係が……とも読めるわけだから。でも最初の羽越線での遭遇は、ドラマとしては面白いがミステリとしては失格だろう。島田陽子は匂うように美しい。
・突然、被害者の息子(松山省二)が警視庁を訪れる。お伊勢参りに出たまま帰らない父親がその被害者ではないのか、と。彼は遺体を確認し、泣き崩れる。岡山県江見町から上京した息子は、自分は父の養子であること、父は生前島根県で巡査をしていたこと、誰からも恨まれるはずもない、正義と善意の人であったことを語る。
……この正義と善意が今回の悲劇の要因なのだが、この時点でもまだ被害者の生前の様子は出てこない。橋本~山田の脚本がいかに周到かがわかる。養父と養子の関係が温かいものだったことで、“もうひとりの養子(であったかもしれない存在)”の悲劇性が増している。
・被害者である三木謙一の知人や付近の土地にも「カメダ」は存在しない。しかし国語研究所で今西は、西日本においては鳥取県の出雲地方のことばだけは東北弁と類似していることを知る。そして三木が島根で巡査をしていたのが「亀嵩(かめだけ)」だった。
……原作の白眉はここだろう。ズーズー弁が東北以外にも存在することをミステリの核にもってきたあたりの凄みはさすが松本清張。言語学者の信欣三の好演もあって(新劇の人らしく説明がまわりくどいのね)いい感じ。
・伊勢に向かった三木が、なぜ急に東京に向かうことになったか。この謎を究明するために今西は伊勢へ向かう。三木が宿泊した旅館で、彼が二日続けて映画館へ行っていたことがわかる。映画の出演者に三木が東京へ向かう動機となったものがあるのではと考えた今西だったが、三木を駆り立てたものは、映画館に飾ってある一枚の写真だった。
……館主を演じた、この映画の唯一のコメディ・リリーフ渥美清が圧倒的にいい。出ているだけで画面がはずむ。初公開当時は日本映画がどん底で、松竹は寅さんでしか稼げないでいた。だから封切りがこけると寅さんと「砂の器」の再上映という渥美清だらけでかろうじてしのいでいたのである。多少金がかかっても、いい映画を作っておけ、という好例。
PART3につづく。
しっかりしてくれよ。
そうだったんだ。オレは30年以上鳥取だとばっかり思ってた。
もうしわけない。帰ったら修正しときます。
これじゃ山形と秋田の位置関係を指摘できない人たちを
批判できん。
でも筆については、どういう味を求めるかで書道家を
選択するんでしょうけど、そのことについて書道家たちは
どう考えているんでしょう。
「あ、おれの時代が来た!」
かなあ。