宮藤官九郎にはぜひとも訊いてみたいことがある。書き始める前に、どれだけ精緻な箱書きを用意しているのか、と。
ひょっとして書いているうちに自然に伏線が刈りこまれ、平仄が合うのだとすれば(どうにもそんな感じなんですよ)、おそろしい才能というべきだ。
いきなり最終回の話で恐縮だが、童貞の松坂桃李が小学生たちに性教育の授業を行うという皮肉で必死なシーンと、上司と関係した婚約者(安藤サクラ!)のことがどうしても許せず、結婚式をボイコットしようとする岡田将生の必死さがシンクロ。この展開はよほどの手練れな脚本家でなければ、あるいはドラマの神に愛される天才でなければ書けないはずだ。
タイトルどおり、世代のお話。上の世代から勝手にレッテル貼りをされてしまうのが世代論というものだが(ちなみに、わたしの世代は筑紫哲也によって“新人類”とネーミングされた)、ゆとり世代(まあ、便利だから勝手にレッテル貼りしよう)への上からの圧力がどれだけ強力で理不尽かがこのドラマで理解できる。
もっとも象徴的なのが、岡田将生の就活中の妹(元AKBの島崎遥香)だ。学生生活のほとんどを就活にささげたのに内定がもらえない彼女のいらだちは、まるで生殺与奪の権を従前からにぎっているかのような上の世代の醜さを露わにする。
それだけだとあまりに表層的なので、ここで登場するのが若者の話を“ひたすらに聞く”ことを商売にしている吉田鋼太郎だ。彼は若者を癒やすテクニックを持っているが、しかし私生活では最低の人間であることが息子(柳楽優弥)によって暴露されるおかしさ。そして、その最低の親子関係を感動にもっていくのが宮藤官九郎の得意技でもある。いやー泣かされた。
え、好評につきスペシャルドラマもオンエアされてたの?そっちも見なきゃ!
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