事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

山口百恵とは何だったのか最終回「横須賀ストーリー」

2009-07-07 | 音楽

Momoe10 PART8「ロックンロール・ウィドウ」はこちら

「山口百恵は菩薩である」との名フレーズをはなった平岡正明に代表されるように、百恵は知識人の思い入れをたくす存在として器の大きさを誇っていた。

 不幸な生い立ちを感じさせる暗い表情に、戦後ニッポンへの解釈を二重写しにすることは自然な流れだったと思う。お妾さんの娘として経済的にも苦しく、坂の多い横須賀で新聞配達をして家計を助けた美少女……大映テレビもびっくりの設定だ。

 そんな不幸な少女に幸福を約束したのが、ドラマの設定そのままの清潔感あふれる三浦友和。みんな、喝采するはずである。

「横須賀生まれの注目の新人は小泉純一郎と山口百恵。二人とも日本の大スターになる」

 1973年新春、小泉純一郎の初当選後、初めて地元・横須賀で開かれた講演会において、当時自民党総務会長だった松野頼三の発言。

 この予言は当たった。日本人で彼らの名を知らない人はいない。しかし現在のありようは両極端だ。“米軍に蹂躙される街”である横須賀を選挙区にする小泉は、その治世において徹底的にアメリカに従属することを選んだ。新聞配達をしていた百恵とは違う横須賀を見ていたのだろう。

 一方の山口百恵は、今や日本でもっとも自然な演技ができる名優となった三浦友和の夫人として、そしてキルト作家としてしか名は伝わってこない。

 世間から身を隠し、「三浦くんのお母さん」としての生活を送る彼女の選択が本当に正しかったか、それはまだまだわからない。ひょっとしたらひばり以上のシンガーになれたかもしれないのだし。

 しかしこれだけは言える。彼女の退場と自伝「蒼い時」によって、日本の芸能人は少なからず呼吸しやすくなったのではないか。芸能人の人生の選択肢は、彼女によって広げられたのではないか、と。もっと自己主張してもいいんだとマニフェストしたのが、テレビのオーディション番組出身のアイドルだったことは痛烈な皮肉だけれども。

【山口百恵とは何だったのか おしまい】

コメント (2)
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