事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

特集やまがたこの一冊 「橋ものがたり」藤沢周平著  新潮文庫

2008-10-12 | 事務職員部報

Hashimonogatari02 東北ブロック事務研速報用の原稿をアップしておきます。藤沢周平の小説を特集したのってなんとこれだけだし。ホントに山形県人かオレは。

たそがれ清兵衛」や「隠し剣 鬼の爪」などで、むしろ死後にメジャー感が増している藤沢周平。鶴岡出身の彼の小説は、山田洋次によって映画化されてきた海坂(うなさか)藩を舞台にした『武家もの』と、市井の生活を情感たっぷりに描いた『町人もの』の二つの系譜にわかれます。

 今回おすすめするのは、後者の代表「橋ものがたり」。今は別れなければいけないけれど、この橋の上でまた会おうと誓う男と女……なんか、同じ山田洋次の「幸福の黄色いハンカチ」みたいですが、舞台を橋に設定したことでもわかるように、ベースになっているのはどう考えても「哀愁」(ウォータールーブリッジ)。ヴィヴィアン・リー主演のあれでしょう。生活に疲れ、ほんの少し汚れてしまった男女の再会は、だからこそ泣かせます。必読。

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ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選 第3夜

2008-10-12 | 芸能ネタ

Photo 第2夜はこちら

たけし:いやあ、もう、最近すっかり女にもてるようになっちゃって、夢みたいな生活続いてるね俺も。しかし参っちゃった。三年前だったら考えられないぜ、ビートたけしなんて誰も知らないしね。外歩きゃ誰も声かけてくれない。まあ、三年前はたいていひっかける相手は焼き肉屋のネエちゃんとか、安田生命のおばさんとかね、しょうがない。いろんな互助会に入って嘘ついたり、霊友会入るって嘘ついて、いろいろ騙したりなんかして。

 今は違う。ぐっと変わって女子大生ね。女子高生、OL、伊勢丹、三越、そういうデパートガールまでが俺に注目したりなんかして、うれしくなっちゃう。なんだかよくわかんない。目の前が真っ暗になっちゃうね、前がふくらんじゃって。グングングンって上がってくるから、ポコチンねじ曲げてみたりなんかして。ま、んなことはいいか。

……1981年1月から1990年8月まで(フライデー事件の中断をはさんで)、“つなぎ”のはずだったビートたけしのオールナイトニッポンは、伝説と呼ばれるぐらいに巨大な存在になった。わたしは1982年4月に就職したから、その初期のうちに毎週木曜日に深夜3時までラジオにしがみつくような爛れた生活(笑)からは脱却したが、年少の読者のなかにはこの9年間どっぷりとたけしの速射砲のような毒舌に浸った人もいるだろう。その影響はいかばかりか。

 わたしは想像する。「日本のギャグの質を変えた」とまで評価されるこの番組がなかったら、はたしてどんな日本になっていただろうか。そしてはたして、たけしはどうなっていただろう。日本のコメディアンはギャグを生み出す生活に疲れ果て、次第にシリアスな性格俳優になっていくことを指向している。映画人としての現在のたけしを考えれば、あれだけの才能をもっているのだから確かに“いい俳優”にはなっていただろう。でも、常に死の匂いをプンプンさせる「世界のキタノ」監督はおそらく誕生していない(「その男、凶暴につき」を深作欣二が降板するという偶然も重なった)。

 たけしの代役を誰かが果たしたはず?そうだろうか。似たようなタイプだった島田紳助はあまりにもマジメすぎたし(皮肉ではなく、そう思っています)、タモリはマイペースでひたすら無色であろうとしただろう。明石家さんまにいたっては「もっとも突っこみ甲斐のある相手」の不在に頭をかかえたと思う。かろうじて、可能性があるとすれば松本人志だろうか。しかし彼は自らその場を放棄し続けているように見える。

 ビートたけしの偉大さは、連続するスキャンダルを抜きにしても「笑い」と視聴者を不安にさせるような「危うさ」の距離を思いきり縮めたことにあるのだと思う(そこが、笑福亭鶴光とは違っている)。だからこそ、彼のオールナイトニッポンは麻薬的に面白かったのだ。

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ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選 第2夜

2008-10-12 | 芸能ネタ

Takeshitakada 第1夜はこちら

 たけしが「ツービートの小さい方」から脱却するきっかけになったのは大島渚の「戦場のメリークリスマス」でデビッド・ボウイ、坂本龍一と共演したこと。観ていない人でも、たけしが晴れ晴れとした顔で(実は処刑を待っているとき)「メリークリスマス、ミスターローレンス」と語るスポットはおぼえているのではないだろうか。

 ヘラルドはこの作品で絶対にカンヌ映画祭のグランプリをとる、といきごんでいたのに、結果は今村昌平の「楢山節考」にかっさらわれてしまった。たけしは嘆く嘆く……

たけし:俺、昔からこうなんだよな。賞に縁がないの。NHKの新人漫才コンクールで三回落とされてんだよ。かすりもしてないの。一回目に優勝したのが、(昭和)のいるこいる。そん次に優勝したのが(星)セントルイス。セントルイスに負けて、くやしくてしょうがなくて、あくる年は絶対優勝だと思ったら(東)京丸・京平だったの。もう、なんなんだろうと思って。それをバネとしてここまで来てるわけだよ。だから「戦場のメリークリスマス」も、またバネだな。くやしいなあ。ちくしょう、もう、幼なじみに会いに行っちゃおうかな。

高田:ははははは!

たけし:なんだかわかんねーな。母ちゃんに古い写真整理してもらおうかな。小学校ん時の一等の写真かなんか見て、慰めてもらおうか。

高田:一等の写真(笑)

たけし:くやしいよなあ。イライラしちゃうな。なんか事件起こして捕まってやろうかな。

高田:ククククク。非行に走っちゃって。

たけし:そうだな、よし、ぐれちゃおう。俺、明日からお昼過ぎに起きちゃおうかな。

高田:はははは、ぐれた!

たけし:用もないのに繁華街歩いちゃおうか。知らない電車に乗ってやろうかな。

……もう止まらない。番組の読者ネタは「三国一の幸せ者」などの企画本でおなじみだが、この番組の魅力はこんなたけしの素(す)のしゃべりと、「高田さん」として一気にメジャーになった構成の高田文夫の含み笑いにあったのだった。もちろん、後日たけしが本当に“事件”を起こすとは当時想像もしていなかったが。以下次号

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ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選 第1夜

2008-10-12 | 芸能ネタ

77831108_2 著者:オフィス北野 ニッポン放送 高田文夫事務所 太田プロダクション 兵庫慎司

 ついに出た、という感じですかね。伝説の深夜番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」を採録するというコロンブスの卵のような企画本。編集を担当した兵庫慎司はロッキングオンの社員。【日本のAMラジオ史上、もっとも絶大なる支持と人気を誇り、もっとも巨大な影響力を集め、そしてそれがおそらく今後も、誰にも破られることのないであろう】と評価される(わたしも同意する)あの番組を、兵庫は“信者たち”……浅草キッド、さくらももこ、松尾スズキなどの証言をまじえて、あの頃の、あの感じの再現に成功している。テープを提供したのは全番組を録音していた水道橋博士である。

 まずはわたしもたまたま聴いていて死ぬほど笑った1981年1月1日。かの有名な第1回の放送はこう始まったのだ……

たけし:「元旦や 餅で押し出す 二年グソ」 ビートたけしのオールナイトニッポン!

(テーマ曲~ビタースィートサンバ 協賛クレジット)

たけし:いやー、言っちゃったなあしかし。今日から始まったけど、いつまで続くかわかりませんけど、やりたいことはいっぱいあるんですけども、どうやったって何ヶ月で降ろされるかっていう問題でございましてね。

……前任者のダディ竹千代があっという間に降ろされたことをさしている。その証拠に

たけし:ダディが来て、たけしが来て、あと誰につなぐのか、あとが問題です。そいつのスケジュールがですね、今アメリカに行ってるとかそういうことがあってですね、何ヶ月かつないでおこうという、そういうのがミエミエなんですけどねえ。

……そのとおりだったのだろう。前に「深夜の人たち」で特集したように、浜田省吾がレコーディングで渡米したときに大友康平が代打に起用されたのと似たパターンか。ニッポン放送がたけしをパーソナリティに起用する上で、それほど大きな期待をもっていたはずがない。だって当時のたけしといえば、漫才ブームの渦中とはいえ、トップはB&Bだったりざ・ぼんちだったわけで、ツービートはあくの強い、それだけに通好みの存在にしかすぎなかったわけだから。おまけに、この番組がたけしにとってほとんど初のピン(ひとり)の仕事だったのだ。当時のたけしが、34才になったばかりのころである。今だから話せるが、との前置きでディレクターがばらしたところによると
「さすがに危ないんで、初回は録音でした。」
わかるなあ(笑)。以下次号

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