さて、瘤を取られたお爺さんに代わって登場するのが「左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さん」である。このお爺さん、「近所の人たちも皆このお爺さんに一目置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない」という人物なのである。
以下、このお爺さんを太宰にならって「旦那」と呼ぼう。
旦那は立派な人物であるが、玉に瑕なのがその瘤である。死んでも良いから瘤を切り落としてしまいたいと考えているところに、もうひとりの瘤爺さんが瘤を取ってもらったのだからたまらない。旦那はぜひ、自分も取ってもらおうと思う。彼らは鬼を怖がっていないというのも注目しておこう。
こうやってみていくと、旦那の様子は、傑作意識にこりかたまった「文学の鬼」の作家先生を彷彿とさせるものだが、その踊りというか、鉄扇を持っての「舞い」が目に浮かぶ。こうして昔話どおり旦那は瘤をふたつつけられてしまうことになるのだが、ここからの太宰の解釈がおもしろい。
確かに『宇治拾遺物語』には、「ものうらやみはせまじきことなりとか。」と、とってつけたような「教訓」が最後に来るが、なんだかこの話には勧善懲悪の観点から見れば、よくわからないような話である。わたしは「これは芸は身を助ける」という話なのだろうとかなり長いこと思いこんでいて、「人をうらやむこと」を戒める教訓がついていたなどとは全然知らなかった。
さて、太宰はここから教訓を引き出す代わりに、何を引き出して見せるのか。
「性格の悲喜劇」というのだから、性格を取り出してみよう。登場人物たちの性格は大きくふたつのグループに分けられる。
立派で正しい人びとのグループ。
そこからはみ出したグループ。
太宰は「そこからはみ出した人びと」に親近感を抱いてはいるものの、立派で正しい人びとを非難することもない(非難すべき点がないからこそ、立派で正しいわけなのだが)。
だが、立派で正しいお婆さんは、はみ出し者のお爺さんに引きつけられ、結婚したのは良いけれど、やっぱりイヤになっている。立派で正しい旦那も、はすっぱなところのある若い女房をもらっている。立派で正しい人びとは、はみ出し者に引かれ、はみ出し者はまた立派で正しい人びとに引かれる。だが時間がたつにつれ、立派で正しくない相手にがっかりしたり、立派で正しい相手が煙たくなったり。同じようにはみ出し者のなかにまざって騒いでも、いったんは楽しくても、それをいつまでも続けるわけにはいかない。太宰のいう「性格の悲喜劇」とは、はみ出し者であるがゆえに(あるいは立派で正しい人間であるゆえに)、立派な状態にもなじめず(はみ出し者のなかにも入っていけず)、かといってはみ出し者のままでいるわけにもいかず(立派で正しくてもかならずしもうまくいかず)、落ち着きようのない悲劇、と言えるのかもしれない。
こう考えるとお爺さんと旦那はネガとポジ、どちらかが出てくれば、他方は出てくる必要がない。だから途中から主役は交代してしまうのだ。
お爺さん一家と旦那一家。確かに好一対をなしている。そうしてどちらの家庭も微妙にかみ合わないまま、日々の暮らしを営んでいるのだろう。
さて、ここで鬼の役割を最後に見ておこう。
この「瘤取り」の話に出てくる鬼は、人びとを畏れさせた鬼ではない。
ここで、防空壕で娘に昔話を読んで聞かせている「私」のことを考えてみる。暗いなか、「私」はお爺さんと鬼たちの酒宴のようすをどれほどのあこがれとなつかしさをもって思い描いたであろうか。
やはりこの話は、子供向けの昔話ではないのだろう。
以下、このお爺さんを太宰にならって「旦那」と呼ぼう。
旦那は立派な人物であるが、玉に瑕なのがその瘤である。死んでも良いから瘤を切り落としてしまいたいと考えているところに、もうひとりの瘤爺さんが瘤を取ってもらったのだからたまらない。旦那はぜひ、自分も取ってもらおうと思う。彼らは鬼を怖がっていないというのも注目しておこう。
お旦那は、出陣の武士の如く、眼光炯々、口をへの字型にぎゆつと引き結び、いかにしても今宵は、天晴れの舞ひを一さし舞ひ、その鬼どもを感服せしめ、もし万一、感服せずば、この鉄扇にて皆殺しにしてやらう、たかが酒くらひの愚かな鬼ども、何程の事があらうや、と鬼に踊りを見せに行くのだか、鬼退治に行くのだか、何が何やら、ひどい意気込みで鉄扇右手に、肩いからして剣山の奥深く踏み入る。このやうに、所謂「傑作意識」にこりかたまつた人の行ふ芸事は、とかくまづく出来上るものである。このお爺さんの踊りも、あまりにどうも意気込みがひどすぎて、遂に完全の失敗に終つた。
(「お伽草子」)
こうやってみていくと、旦那の様子は、傑作意識にこりかたまった「文学の鬼」の作家先生を彷彿とさせるものだが、その踊りというか、鉄扇を持っての「舞い」が目に浮かぶ。こうして昔話どおり旦那は瘤をふたつつけられてしまうことになるのだが、ここからの太宰の解釈がおもしろい。
お伽噺に於いては、たいてい、悪い事をした人が悪い報いを受けるといふ結末になるものだが、しかし、このお爺さんは別に悪事を働いたといふわけではない。緊張のあまり、踊りがへんてこな形になつたといふだけの事ではないか。それかと言つて、このお爺さんの家庭にも、これといふ悪人はゐなかつた。また、あのお酒飲みのお爺さんも、また、その家族も、または、剣山に住む鬼どもだつて、少しも悪い事はしてゐない。つまり、この物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かつたのに、それでも不幸な人が出てしまつたのである。それゆゑ、この瘤取り物語から、日常倫理の教訓を抽出しようとすると、たいへんややこしい事になつて来るのである。
確かに『宇治拾遺物語』には、「ものうらやみはせまじきことなりとか。」と、とってつけたような「教訓」が最後に来るが、なんだかこの話には勧善懲悪の観点から見れば、よくわからないような話である。わたしは「これは芸は身を助ける」という話なのだろうとかなり長いこと思いこんでいて、「人をうらやむこと」を戒める教訓がついていたなどとは全然知らなかった。
さて、太宰はここから教訓を引き出す代わりに、何を引き出して見せるのか。
性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。
「性格の悲喜劇」というのだから、性格を取り出してみよう。登場人物たちの性格は大きくふたつのグループに分けられる。
立派で正しい人びとのグループ。
そこからはみ出したグループ。
太宰は「そこからはみ出した人びと」に親近感を抱いてはいるものの、立派で正しい人びとを非難することもない(非難すべき点がないからこそ、立派で正しいわけなのだが)。
だが、立派で正しいお婆さんは、はみ出し者のお爺さんに引きつけられ、結婚したのは良いけれど、やっぱりイヤになっている。立派で正しい旦那も、はすっぱなところのある若い女房をもらっている。立派で正しい人びとは、はみ出し者に引かれ、はみ出し者はまた立派で正しい人びとに引かれる。だが時間がたつにつれ、立派で正しくない相手にがっかりしたり、立派で正しい相手が煙たくなったり。同じようにはみ出し者のなかにまざって騒いでも、いったんは楽しくても、それをいつまでも続けるわけにはいかない。太宰のいう「性格の悲喜劇」とは、はみ出し者であるがゆえに(あるいは立派で正しい人間であるゆえに)、立派な状態にもなじめず(はみ出し者のなかにも入っていけず)、かといってはみ出し者のままでいるわけにもいかず(立派で正しくてもかならずしもうまくいかず)、落ち着きようのない悲劇、と言えるのかもしれない。
こう考えるとお爺さんと旦那はネガとポジ、どちらかが出てくれば、他方は出てくる必要がない。だから途中から主役は交代してしまうのだ。
お爺さん一家と旦那一家。確かに好一対をなしている。そうしてどちらの家庭も微妙にかみ合わないまま、日々の暮らしを営んでいるのだろう。
さて、ここで鬼の役割を最後に見ておこう。
この「瘤取り」の話に出てくる鬼は、人びとを畏れさせた鬼ではない。
ここには、集まって楽しむ一刻の愉楽によって心をのべ齢をのべるような庶民的な異形のものがある。それは、まったく新しい鬼のイメージである。これらはむしろ〈隠れ里〉に通じる雰囲気をもっており、そのゆえに隣家の左頬に瘤のある翁も、何らの危うさを感ずることもなく、「我その定にして取らん」と、鬼との交わりに出向くのである。このような鬼と人との交わりの成立には、ながい時間をかけて民衆の内側に棲みついた〈畏れ〉としての鬼とともに、日常のなかに空想しうるある種の〈期待〉に似た鬼の横顔がある。…お伽噺として「瘤取り爺さん」が今日に伝わる魅力の大半は、もちろん勧善懲悪の教訓などにあるはずはなく、語り手としてのおとなの心が、この鬼の酒宴の場に引き寄せられるからである。怪奇にして、しかもある和らぎのなつかしさうれしさを漂わせる翁の舞の場面に、ふしぎな興奮を感じるとき、明るく解放的な鬼の笑いが、生活の側面を衝いて問いかけやまないのである。(馬場あき子『鬼の研究』三一書房)
ここで、防空壕で娘に昔話を読んで聞かせている「私」のことを考えてみる。暗いなか、「私」はお爺さんと鬼たちの酒宴のようすをどれほどのあこがれとなつかしさをもって思い描いたであろうか。
やはりこの話は、子供向けの昔話ではないのだろう。