陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

H.G.ウェルズ「魔法の店」その3.

2008-08-29 23:22:49 | 翻訳
その3.

「なるほど」店主はそう言うと、いかにも考え込んでいる、というふうに頭をかいてみせた。すると、見間違いようもなく、髪の毛のあいだからガラスの玉を取り出してみせたのである。「こういうのはどうでしょう?」そう言って、玉を差し出した。

 まったく思いがけない対応だった。そのトリックが演じられるのをそれまでに何度と泣く見ていたのに――ありふれた手品の一種だ――、まさかこんなところでお目にかかるとは思ってもなかった。

「おもしろい」わたしは笑いながらそう言った。

「でしょう?」店主が答える。

 ギップは手を離してガラス玉を手に取ろうとしたが、相手の手のなかには何もなかった。

「ポケットをみてごらん」店主は言ったが、事実、ほんとうにそこにあったのだ。

「その玉はいくらかね?」わたしはたずねた。

「ガラス玉のお代はいただいてないんですよ」店主はおだやかにそう言った。「なにしろこうやって」――そう言いながら肘のところからひとつ玉を出した――「ただで手に入るものですからね」さらにもうひとつ、首の後ろから取り出して、先ほどの玉と並べてカウンターにのせた。ギップは自分のガラス玉をまじまじと見詰めてから、不思議そうな目をカウンターにあるふたつの玉に移し、最後にもの問いたげな丸い目をにこにこと笑っている店主に向けた。

「これもどうかな」店主は言った。「なんだったらもうひとつ口から出してあげよう。ほら」

 ギップはしばらく黙ったままわたしを推し量るようにしていたが、やがて黙って四つの玉を戻して、またわたしの指を確かめるようににぎりしめ、つぎに起こるできごとをおっかなびっくり待った。

「この店ではこうやって手品の種を仕入れるんですよ」店主は言った。

 わたしは冗談がわかる人間であることを示そうと笑ってみせた。「問屋に行く代わりにね。それは安くてすむねえ」

「そうとも言えるんですが」店主は言った。「結局は支払うことにはなるんですよ。でも、そんなたいした額ではないんですがね――ふつう考えられてるほどではないんです……。まあ大がかりな仕掛けや、日々の助けになるようなものとか、必要なものなんかは、あの帽子から出しているんです……。それにですね、お客様、こう言うのもなんですが、本物の手品道具を卸すような問屋などないのですよ。看板にお気づきではございませんでしたかな。『正真正銘の魔法の店』とございましょう?」店主は頬から名刺を引きはがしてわたしにくれた。「正真正銘、と」そう言いながら指で言葉を示して言い足した。「ごまかしはこれっぽっちもございませんよ」

 どこまでも冗談を通すつもりらしい。

 店主はにこにこしながらギップの方を向いた。「ねえ坊や。君は本当に良い子だねえ」

 わたしは店主がそれを知っていたことに驚いた。しつけのことを考えて、わたしたちは家ではあまりそのことをおおっぴらにほめそやしたことはなかったが。だがギップは怖じ気づくこともなく、黙って相手をじっと見つめていた。

「良い子だけがあのドアを入ってこれるんだよ」

 あたかもその実例を示すかのように、ドアががたがた鳴って、甲高い声がかすかに聞こえてきた。「やだよう! 中に入りたいよう、パパァ、中に入るんだぁ。いやだ!」それから困ったような調子でなだめすかすような声が続いた。「鍵がかかってるよ、エドワード」

(この項つづく)