陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

声に出して読むということ  その2.音読か黙読か

2005-02-12 18:41:32 | 
質問。
あなたはいつごろから黙読を始めましたか?

そう、誰しも初めは音読から入る。
小さな子どもは繰り返し読んでもらううち、絵本の内容をすっかり覚えてしまい、字も読めないうちから本を「読み」始める。だが、それはたんにものまねをしているにすぎない。

そのうち、この「お話」をつなぎとめている「もの」に意識が向かい始める。
紙に印刷された、絵とはちがうもの。等間隔で並ぶ、曲がったり、丸まったりしている不思議な記号。そうして字を覚え始め、こんどは一字一字拾いながら読んでいく。
やがて、一字一字から、まとまった固まりとして拾い上げることができるようになると、読み方も格段に進歩する。でも、まだまだ読むときは声に出している。

わたしの場合、音読から黙読に切り替えたときのことを、非常によく覚えている。母から「目で読んでごらん」と言われたのだ。そのほうが速く読めるし、たくさん読めるよ、と。(わたしはこの時の記憶から、かなり長いこと、耳で聞く「もくどく」ということばに「目読」という字を当てはめて理解していた)。
すでに物語の魔力に取り憑かれていたわたしは、それに飛びついた。「ことば」だの「表現」だのはさておいて、なによりも、それからどうなるか、が一刻も早く知りたくて、「速くたくさん」読める黙読は、願ってもない方法だった。そのときからわたしの読書は黙読が中心になる。

つまりここでわかるのは、本は黙読するのが「あたりまえ」ではないということなのだ。むしろ、音読があたりまえ、黙読というのは後天的に獲得される技術としてあるのではないか。

では、つぎの質問。
歴史的に考えて、人間はいつごろから黙読するようになったと思いますか?

これに関しては、柳沼重剛の『西洋古典こぼればなし』(岩波同時代ライブラリー)の「音読か黙読か」に、非常におもしろい考察がされているので、興味のある方にはぜひそちらをお読みいただきたいのだけれど、ここでも簡単にふれておく。

黙読が行われたことを示す最古の証拠、とされるのは、397年から401年に渡って、アウグスティヌスによって書かれた『告白』の一節による。

かれ(※アウグスティヌスの師アンブロシウス)が書を読んでいたとき、その眼は紙面の上を馳せ、心は意味をさぐっていたが、声も立てず、舌も動かさなかった。……かれはいつもそのように黙読していて、そうしていないのを見たことは一度もなかった。 (『告白』服部英次郎訳 岩波文庫)

このあと、アンブロシウスはどうしてそういう読み方をしているのだろう、とアウグスティヌスが理由を考える記述が続くのだが、つまり、このことからわかるのは、四世紀後半に黙読する人間がいた、ということ、そして、それはその理由を考えなければならないほど奇妙なことだった、ということである。

それ以前にも、この場合は黙読しているのではないか、という推論の裏付けになる記述はなくはないのだが、それが手紙であったりして、「本の黙読」を決定づける根拠にはなっていない。ともあれ古代では、音読のほうがあたりまえのことだったのである。

西洋の古代では、音読があたりまえだった、と想像できる根拠はほかにもある。
中世のある時期(9-10世紀)までは、
①文字はすべて大文字で小文字はなかった。
②句読点も発明されていなかったために使われなかった。
③語と語の分かち書きもされていなかった。

仮に英語をその要領で書いてみよう。先日翻訳してみた『閉ざされたドア』の冒頭である。

HUBERTGRANICEPACINGTHELENGTHOFHISPLEASANTLAMPLITLIBRARYPAUSEDTO
COMPAREHISWATCHWITHTHECLOCKONTHECHIMNEYPIECETHREEMINUTESTOEIGHT

原文はこれ。

Hubert Granice, pacing the length of his pleasant lamp-lit library, paused to compare his watch with the clock on the chimney-piece.
Three minutes to eight.

こうやってみると、大文字と小文字、カンマとピリオドが入ることで、文章はどれだけ読みやすくなっているかよくわかると思う。
つまり、最初のような文を読むときは、単語の切れ目に注意しながら、また、声に出して句の切れ目の位置を確認しながら読むことになる。つまり、声に出すことによって、自分の頭の中に句読点を打つ、ということなのである。

では、逆に考えてみよう。
なぜ古代ギリシャではそのように読みにくい形で表記がなされたのだろうか。読みにくさを解消するための工夫がなされなかったのだろうか。

柳沼はプラトンの『パイドロス』を引きながら、こう説明する。

書かれた言葉というものは、「生命をもち、魂をもった言葉の影にすぎない」(276a)とか、書くということは、知ったことを「むなしく水の中に書きこむことだ」(276c)とか……プラトンにとっては、音読・黙読どころか、語る、または聞く、あるいは対話をすることだけが真の理解に達する道であり、書かれた言葉は、語られた言葉を思い出させるための記録・符丁にすぎない。

このように単なる「記録・符丁」であれば、正確にさえ書かれていれば、「読みやすさ」など問題ではなかったわけだ。

ところが「書かれた文章」を読む人が、書き手の話を聞くことができなかった場合はどうなるだろう。
詩人や哲学者が自分の作品を語って聞かせる、それが音読のそもそもの始まりであったとすると、やがてその聴き手の輪は拡がっていく。なかには、著者の話を直接聞いたことがない、「読む」ことによって作品に初めてふれる人が出てくる。

句読点を含む表記法は、西洋にあっては一種の革命だった。その表記法がおこったのは、六世紀、アイルランドである(M. B. Parkes, "Pause and Effect: An Introduction to the History of Punctuation in the West")。
アイルランドは、ローマを中心とする当時のキリスト教圏で、いわば最果てに位置する。そこでは書かれた言語(ラテン語)を、生まれてから一度も耳にしたことさえない人も多かった。そこでの書物(具体的には聖書)は「語られた言葉の記録・符丁」ではありえず、文字は音をともなわない、独立した伝達の道具となったのである。そうした文書の意味を理解していくために、句読点は必要不可欠であったし、黙読せざるをえない。キリスト教の辺境の地でおこった表記の革命は、こうしてヨーロッパ全体に広まっていくのである。

だが、黙読が読書の中心になっていくのは、もう少し時代が下るのを待たなければならない。
音読から黙読へと移り変わるのはいつの時代からなのだろうか。

では、今日最後の質問。
西洋で、音読から黙読へと切り替わった大きなきっかけはなんだと思いますか。

もう少しこの話を続けてみたいので、おつきあいください。
(この項つづく)