陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

カーソン・マッカラーズ 『過客』 その1.

2006-11-27 22:10:34 | 翻訳
今日からしばらくカーソン・マッカラーズの短編 "The Sojourner" を訳していきます。
"The Sojourner" とは、短期滞在者の意ですが、従来からの訳を踏襲して、ここでも『過客』とすることにしました。芭蕉の「月日は百代の過客にして……」というわけです。
だいたい五日をめどにやっていきます。まとめて読みたい人はそのころにどうぞ。
原文は
http://www.carson-mccullers.com/mccullers/TheSojourner.html
で読むことができます。

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過客
by カーソン・マッカラーズ


 今朝、眠りと目覚めのほの暗いあわいにあらわれたのは、ローマだった。水しぶきをあげる噴水やアーチを抜ける細い道、花と年を経て脆くなった石で飾られた金色の街。このまどろみのなかでパリに、あるいは瓦礫と化したドイツに、またスイスのスキーと雪のためのホテルにおもむくこともあった。またべつのときにはジョージアの休耕地で狩りをする夜明けに。だが、歳月の彼岸である夢のなかでは、この朝はローマだった。

 ジョン・フェリスが目を覚ましたのは、ニューヨークのホテルの一室だった。なにかしら気持ちの塞がれるような出来事が自分を待ちかまえている……いまはそれが何なのかわからないが。そんな気がしていた。朝のあれこれをやっているあいだは、いったん気持ちの後ろに引っこんでいたその感じは、身仕舞いを整え、階段をおりていくときも、やはり引きずったままでいた。雲一つない秋の日で、穏やかな日差しが柔らかな色合いの摩天楼に切れ目を入れていた。フェリスは隣のドラッグストア(※アメリカのドラッグ・ストアは薬ばかりでなく、新聞や文房具も売り、一角で軽食も取れる)に入り、歩道を見渡す窓際の席に腰を下ろした。スクランブルエッグとソーセージという、アメリカらしい朝食を注文する。

 フェリスは故郷のジョージアで先週執り行われた父親の葬儀のために、パリから戻ってきたのだった。父の死の打撃は、自分がもはや若くはないのだということを意識させた。生え際も後退しつつあるし、いまやむきだしになったこめかみには静脈が波うつのがはっきりとわかる。身体は細くなってきたのに、腹だけはそろそろせり出しかけている。フェリスは父親を愛していたし、ふたりの絆は、かつてはきわめて強いものだった――だが、歳月を経るうち、子供としての情愛も、いつのまにか弱くなってしまっていた。その死はずいぶん以前から予期されたものであったのだが、思いがけないほどの落胆のうちに取り残されたように思った。可能な限り、実家で母や兄弟たちと過ごした。そうして、翌朝の飛行機で、パリに発つことになっていた。

(この項続く)