陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロアルド・ダール 「羊の殺戮」 最終回

2006-11-10 22:28:48 | 翻訳
羊の殺戮 最終回

さっそく車が到着し、メアリーが玄関を開けると、ふたりの警官が入ってきた。ふたりともよく知っている警官で――所轄署の人間なら、ほとんど知っているのだ――、メアリーはヒステリックに泣きわめきながら、ジャック・ヌーナンの腕に倒れこんだ。ヌーナンはいたわるように椅子に座らせると、もうひとりの警官オマリーが死体の傍らで膝をついているところに歩いていった。

「ほんとに死んでるんですか」メアリーは泣きじゃくる。

「お気の毒だが……。どうしたんです?」

メアリーは手短に語った。わたしが買い物に行って戻ってみたら、夫が床に倒れていたんです――。メアリーが泣いては話し、話しては泣いているうちに、ヌーナンは死体の頭部に小さな血痕があるのを見つけた。オマリーに見せると、オマリーはすぐ立ち上がって、急いで電話に向かった。

すぐに大勢の人間が家の中に続々と集まってきた。最初に到着したのは、医師、それからふたりの刑事たち、そのうちのひとりは、名前だけは知っていた。やがて警察の写真班が到着して現場を撮影し、鑑識が指紋を採った。死体を囲んで人々はひっきりなしにヒソヒソと話し合い、刑事たちはメアリーを質問責めにした。とはいえその物腰は一貫して親切なものだったが。メアリーは自分の話を繰りかえしたが、こんどは最初から話した。パトリックが戻ってきたとき、わたしはちょうど縫い物をしていたところでした、あの人は疲れていたようすで、ええ、すごく疲れていて、外に食べに行くのは億劫だって言うんです――それからどのように肉をオーブンに入れたか、まで話した。「いまもあそこで焼いてるんです」――それから、食料品店に出向いて野菜を求め、家に戻って床に夫が倒れていたのを発見した……。

「食料品店はどこです」刑事の一人が聞いた。

メアリーがそれに答えると、刑事は振り返ってほかの刑事に何ごとかささやき、その刑事はすぐに外に出ていった。

十五分ほどして戻ってきた刑事は、メモの切れ端を握って戻ってくると、なにごとかささやき、すすり泣きをしているメアリーの耳にも話のところどころが聞こえてきた。
「……まったくふだんどおり……とても愛想がよくて……主人にいいものを食べさせてやりたいと……グリーンピース……チーズケーキ……とても彼女にはそんな……」

やがてカメラマンと警察医がそこを離れ、入れ替わりに入ってきた二人が死体をストレッチャーにのせて運んでいった。やがて鑑識もいなくなる。その場には刑事が二人と警官が二人、残った。だれもがメアリーにはことのほか親切で、なかでもジャック・ヌーナンは、どこかよそへ行かれた方が良くはないですか、妹さんのところへでも行かれては、なんだったら家へ来てもらってもいい、うちのやつに世話させますよ、あいつなら一晩中お側についていてあげられる、と申し出たほどだった。

結構よ、とメアリーは答えた。いまはここをほんのちょっとだって動けそうにないんです。よろしければもうちょっと気持ちが落ち着くまでここにいさせていただけません? ほんとにいま、気分が良くないんです。すごく悪いの――。

なら、ベッドで休まれちゃいかがです? とジャック・ヌーナンが聞いた。

いいんです。このままここにいたいの、この椅子に。もうちょっとしたら、たぶん、もう少し気持ちが落ち着いたら、二階に行くわ。

そこで刑事たちはメアリーをそこに残して、家宅捜査に取りかかった。ときおり刑事が話を聞きに来る。ヌーナンは通りかかるたびに、思い遣りに満ちた言葉をかけるのだった。ご主人は、と言う、何か重たい鈍器で後頭部を一撃されたんだそうですよ、それが金属製のものであることは、ほぼまちがいないんだそうです。いま凶器を探してるとこなんです、ホシはそいつを持ってズラかったか、どこかに捨てるか、敷地のどこかに隠したか。

「よく言うでしょ」とヌーナンは続けた。「凶器を探せ、そうすりゃホシは挙げたも同然、ってね」

やがて、刑事がひとりやってきて、メアリーの隣に座った。凶器になるようなものがお宅にはありませんか? じゃなきゃここらだけでもざっと見て、何かなくなってるもの、たとえばばかでかいスパナだとか、重たい金属製の花瓶とか、そんなものに気がつきませんかね。

スパナとか、金属の花瓶なんて、うちにはありません、とメアリーは答えた。

「大きなスパナも?」

うちにはそんなものはなかったと思います。もしかしたらガレージにあるかもしれないけれど。

捜索は続いた。庭や家の周囲にも警官たちがいることにメアリーは気づいていた。外で砂利の上を歩く音がしていたし、カーテンの隙間から懐中電灯の光がときおりチラチラと洩れていた。日もとっぷりと暮れ、時刻も九時になろうとしていることが、暖炉の上の時計で知れた。屋内の捜索にあたっている四人も疲労が溜まってきたようで、いささか苛立ってきたようすだった。

「ジャック」メアリーは通りかかったヌーナン巡査部長に声をかけた。「もしお忙しくなければ、わたしに一杯、いただけません?」

「かまいませんよ、持ってきてあげましょう。このウィスキーでいいんですね?」

「どうもありがとう、でもほんの少しだけ。きっと気分がしゃっきりすると思うんです」

ヌーナンはグラスを渡した。

「あなたも一杯ぐらいお飲みになったらよろしいのに。お疲れでしょう、だから、ね。ほんとうに良くしてくださったのだから」

「うーん。ほんとは規則違反なんですけどね、じゃ、気付けに一杯だけいただこうかな」

部屋にやってくる人間はひとりずつ勧められて、ウィスキーを一口ずつ飲んだ。ばつが悪そうな顔をしてグラスを手に突っ立った男たちは、そこにいるメアリーに対して、へどもどと慰めの言葉をかけた。キッチンへぶらぶらと入っていったヌーナン巡査部長が、すぐに出てきた。「マロニーの奥さん、オーブンにまだ火がついてますよ、肉がまだ中に入れたままになってるみたいだ」

「あら、大変!」メアリーは大きな声を出した。「そうだったわ!」

「火を切りましょうか、奥さん?」

「ジャック、そうしてくださらない? どうもありがとう」

ふたたび巡査部長が戻ってくると、メアリーは涙に濡れた大きな目を見開いて、彼の方をじっと見た。「ジャック・ヌーナンさん」

「はい?」

「あの……もしよろしかったらでいいんですけど、みなさんにお願いしたいことがあるんです」

「いいですよ、マロニーの奥さん」

「あのね」とメアリーは話しはじめた。「ここにおいでのみなさんは、パトリックのお友だちだった方々でしょう、だから、パトリックを殺した犯人の男を捕まえようとなさってくださってるのね。だけどみなさん、もうすっかりお腹が空いていらっしゃるでしょ、だって晩ご飯の時間なんてとっくに過ぎてるんですもの。パトリック、ああ、神様、パトリックの魂にお恵みを、ともかくあの人だったら、許してくれないと思うんです。もしわたしがみなさんを、なんのおもてなしもしないで帰したとしたら。ですから、オーブンの中のお肉を全部召し上がってくださらないかしら。いまごろきっとちょうどいい加減になってるはずだから」

「それはちょっと……」ヌーナン巡査部長が答えた。

「お願い」メアリーは手を合わせた。「お願いよ、どうか召し上がって。わたしはそんなもの耐えられない、あの人がここにいたときからずっとこの家にあったものなんだもの。でも、みなさんだったら大丈夫でしょう? みなさんに片づけていただけたら、これほどうれしいことはないんです。お食事が終わってからまたお仕事をなさったらいいじゃないですか」

四人は相当ためらっている様子だったが、確かに腹も減っていたし、結局はみんなでキッチンに入って、てんでに食べることにしたのだった。メアリーは座っている場所から動きはしなかったけれど、話し声に耳をそばだたせていた。彼らの声はもごもごとした素っ気ないものだったが、それも口いっぱいに肉をほおばっているせいだ。

「チャーリー、もっと食えよ」

「みんな食っちゃまずいだろう」
「かみさんが片づけてほしがってるんだ。そう言ったじゃないか。望みをかなえてやろうぜ」

「わかったよ。なら、もう少しおれにもくれ」

「ホシは気の毒なパトリックを、えらくどでかい棍棒かなんかで殴ったんだな」中のひとりが言った。「医者が言ってたんだが、頭蓋骨が粉々に砕けてたってさ、ちょうど大かなづちかなんかで殴ったような具合だ」

「だったら見つけるのはすぐだな」

「そのとおりだ」

「誰がやったにせよ、必要もないのにそんなでかいものを持ってうろうろしているわけがないからな」

ひとりがおくびをもらした。

「おれのカンじゃ、この敷地のどこかにあるな」

「ああ、おれたちの目の前に転がってるんだろうさ。ジャック、おまえはどう思う?」

隣の部屋でメアリー・マロニーは声を殺して笑い始めた。



The End