陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

この話、したっけ ~家のある風景

2006-11-15 22:06:31 | weblog
1.「マンション」の春秋

英語を多少なりともかじっていると、どうしてもマンションという言葉が使えない。
Mansion というのは、「大邸宅」とか「屋敷」という意味になってしまって、いかにカタカナの発音で「マンション」といっても(はぁ? お屋敷だって?)という気恥ずかしさが先に立ってしまうからだ。

それでも自分が住んでいるところを「うちのアパート」とずっと言っていたところ、用があって家まで来た人に「マンションじゃないですか」と咎めるように言われたことがある。
何かその人には卑下でもしていたように聞こえたらしい。
かといって、英語で相当する condominium をそのままカタカナ風に「コンドミニアム」というのも気取っているようで、ふだんは仕方なく「マンション」と言うか、可能なら呼ばないようにしている。

ともかくその「マンション」、建った当時は最新型だったのだそうだが、四半世紀を軽く超え、立派な「中古」物件である。
この界隈に急速に大規模高層住宅が建ちまくっているために、遠くから見ると、界隈の最新型「マンション」とはまるでちがう時代がかった色と形は、そこだけ取り残された昭和の高度経済成長期の化石のようでもある。
ともかくまあそういうところにわたしは住んでいるわけだ。

すぐ脇を交通量の多い道路が走っているけれど、反対側の一角には、まだ田圃が残っている。このあいだまで畑も残っていて、春にはキャベツ、夏になればトウモロコシやトマトがなっているのを見ることができたのだけれど、今年の春先、アスファルトが敷き詰められて、駐車場になってしまった。

田圃の向こうには小さな川、というか、用水路も流れている。ときどき台所排水らしい洗剤とおぼしきあぶくが流れていることもある、相当に汚い川なのだが、川べりからのぞいてみると、ぎょっとするほど大きい鯉が何匹も泳いでいるし、ところどころ、水面に突き出している大きな石の上には、甲羅干しをしている亀もいる。たまに夕方になると、パンの耳をちぎって川の鯉にやっているらしい人も見かけるが、同時にそこら一帯のハトも集まってきて、何にやっているのかわけがわからない。まぁパンの耳を持ってきている人からすれば、鯉だろうが、ハトだろうが、たいしたちがいはないのかもしれないが。

ハトがベランダに寄りつくと困るなぁとは思っているのだが、さいわい、来たのを見たことはない。ベランダによくくるのは、スズメであるが、たまにほかの鳥も来る。

夕方になると駅前の電線には、スズメより大型の鳥がびっしりと留まり、街路樹は木全体が反響して耳を塞ぎたくなるほど、大量の鳥が集まっているのだが(まるでヒッチコックの『鳥』とかスティーヴン・キングの『ダーク・ハーフ』のようだ)、それは全部ムクドリだ。
その駅前の街路樹を根城にしているのか、それとももっと近くに住処があるのか、ベランダでもムクドリをよく見かける。一羽で見るときは、オレンジ色のくちばしがあざやかでかわいらしいのだが、ここに集まってこられてはこまるので、エサはやらない。

休みの日にベランダから「ピーヤーピーヤー」とえらくおおきな鳴き声がするので出てみたら、ヒヨドリだった。ローレンツの本に、鳥は横向きのときが正面から見ている、という意味のことが書いてあったのだが、そのときのヒヨドリは、おもいっきり横向きで、こちらに目を据えていた。もしかしたら、ヒヨドリに「ガン」をつけられたのかもしれない。

田圃を根城に、ゴイサギも一羽、住みついている。魚を捕っているのか、水の少ない用水路に脚の先だけつけて、まるで竹馬に乗っているように歩いているのを見かけることもある。
数年前、春先から夏にかけて、おそらくいつも見かけるゴイサギとこぶりのゴイサギが三~四羽、いっしょに生活していたことがあって、あれは子供なのだろうかと思ったことがあったが、それはそのときだけだった。別の鳥なのか、それとも別れたのか、子どもたちは育たなかったのかは定かではないけれど、集団で飛んでいたのはそのときだけで、あとは一羽だけ、ゆうゆうと飛んでいる。カラスのような声が、日が落ちて、カア、カア、と聞こえてきたら、ゴイサギが鳴いているのだ、と思う。

ベランダで洗濯物を干していると、屋上の手すりにゴイサギが留まっているのを見かけることがある。お気に入りの位置なのか、いつも同じ所に立って、昇っていく朝日を見ているのだ。
すっと首を伸ばして、一羽だけ、身の引き締まるような冬の朝の空気のなかでたたずんでいるその姿は、微動だにしないこともあって彫像のようだ。
その姿を見ていると、わたしはつい、こんな想像をしてしまう。
まるでこの「マンション」が船、昔の大型船で、あの一羽だけのゴイサギが、風を切って進む船首の彫像だったら。

(この項つづく)