陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

家庭の問題

2006-11-23 22:12:44 | weblog
家庭の問題

(※今日はめちゃくちゃマニアックな話です)

十代だったわたしが聞く音楽には二種類あった。
ヘッドフォンを耳にかけ、半ば目を閉じて、ひたすら音に没頭して聞く曲と、踊る曲と。ツェップやイエスやピンク・フロイドが前者の音楽だとしたら、マドンナの曲が後者の曲だった。
たいがい、ツェップやイエスを聞いている連中に、わたしが“狂気”なんかと一緒に "ライク・ア・プレイヤー" のテープを持っているのが見つかってしまうと、フフンと鼻先で笑われ、一緒に"ラッキー・スター" を踊っている連中に、いま何を聴いてる? と聞かれて"War" などと答えようものなら、わぁ、クラーイ、などと言われ、どうやらふたつのまったくちがう世界をふらふらと渡り歩いていたらしい。
そのうちハウス・ミュージックがはびこり始め、ダンス・ミュージックの世界からは足が遠のいてしまい、そうしているうちにいつのまにかダンスというと、体をくねくねさせるだけで、空間のひろがりをちっとも感じさせないヒップ・ホップ(偏見であることは承知している。プラス、偏見を持つことは実は楽しいのだということも、理解している)が主流になって、ダンスそのものにも興味がなくなってしまった。つまり、まぁわたしのダンスに対する興味というのは、そのくらいのものだったわけだ。

とはいえ、80年代の終わりから90年代初頭にかけて、やはりわたしのイコンはマドンナで、90年代半ばにマドンナに関する本がドサッと出て、わたしはよくわからないまま、これってすごくおもしろい、と思いながら読んだのが、実はカルチュラル・スタディーズとの初めての出会いだ。ただ、出しているも、マドンナの関連本、ぐらいに思っていたのではなかったのだろうか。ともかくわたしはマドンナを使って、こんなにこむずかしい話ができるのか、と思うと、すっかり楽しくなってしまったのだった。

ただ、マドンナの関連本が日本でそんなふうに出ていたころには、アルバム“エロティカ”を出してしばらくのころで、わたしはあのアルバムは結構好きだったのだけれど、いわゆる人気の絶頂期は過ぎていたような気がする。

やはり人気のピークというと、なんといっても90年の“ブロンド・アンビション・ツアー”のころではなかったか。
わたしはこのステージを横浜で見ているのだけれど、この横浜のライブ・ビデオ、あとそのツアーを追ったドキュメンタリー映画“イン・ベッド・ウィズ・マドンナ”は、のちに大学に入ってTVとビデオを買ってから、ビデオテープに筋が入るまで見ることになる。

全体の構成といい、ステージのセットといい、ダンスといい、ミュージシャンといい、どういうわけか歌もダンスも冴えないふたりのバッキング・コーラスの女性をのぞくと、まあとにかくものすごい。なかでもゲイブリエルというバック・ダンサーのダンスはほんとうに超絶技巧で、わたしは途中から彼のダンスばかりを見ることになってしまうのだけれど、残念ながら彼は90年代の半ばにエイズで亡くなっている。

ともかくこのショーはいくつかのテーマに分かれているのだが、アンコール曲、というか、全体のフィナーレになるのが、“キープ・イット・トゥギャザー”という曲、家族をテーマにした曲なのである。

ところがショーではマドンナのオリジナル曲“キープ・イット・トゥギャザー”に、スライ・アンド・ファミリー・ストーンというグループの“ファミリー・アフェア”という曲が組み合わされているのだ。

マドンナは、曲が始まると、まず“ファミリー・アフェア”の冒頭部の“これは家族の問題さ、家族の問題さ”というバッキング・コーラスを受けて、こんなふうに歌い始める。これは“ファミリー・フェア”そのままだ。
ひとりの子供が大きくなって
勉強が大好きな子に育つ
もう一人の子は
恋に身を焦がすようになる
ママはどっちの子供も大好き
だってそれは血だから
どちらの子もママには優しい
血は泥よりも濃いものだから

“時計仕掛けのオレンジ”の主人公グループのような衣裳を身につけたマドンナが椅子の上に乗ってここまで歌うと、今度はダンサーを手で指し示して“これがわたしの家族”と紹介して、“ファミリー・アフェア”からそのまま自分の歌“キープ・イット・トゥギャザー(ずっと一緒にいるのよ)”と歌い始めるのだ。
ダンサーたちは、椅子の上で歌うマドンナを、小さな子供が母親を見上げるように、低い位置から見上げる。そうしてマドンナは、兄弟や姉妹のなかで身動きがとれなくなったわたしはここを出ていく、だけどパパは、お前には帰る家がある、って言った”と歌うのである。
家族とはずっと一緒
家族はこれまでの歴史を思い出させてくれる
兄弟や姉妹はあなたの心や魂の扉を開く鍵を持っている
そのことを忘れちゃだめ
あなたの家族は黄金よ

そうして、間奏に入るとダンサーたちを「家族」と呼びながら、“寂しくなると、ありのままのわたしを愛してほしくなる、みんながそうあってほしいわたしではなく”“家族こそ心が戻っていく場所”と歌い続ける。

ところが、“ファミリー・アフェア”でマドンナが切り捨てた方の歌詞は、そうはなっていかない。
一年前に結婚した
だけどお互い、チェックするのをやめられない
だれもどこにも行きたくない
だれも仲間はずれにされたくない
あんたたちはどこにも行けないよ、
だってあんたたちの心はそこにあるから
だけどあんたたちはとどまることもできない、
だってあんたたちはずっとどこかよそにいるのだから
あんたたちは泣くこともできない
壊れちゃったように見えるから
だけどあんたたちはどのみち泣くことになる
もう壊れちまってるから

こちらで歌われる「家族」は、そこから出ることもできず、いつづけることもできない家族なのである。

マドンナが「黄金(ゴールド)」と歌ったこの疑似家族は、ツアーのドキュメンタリー・フィルムが圧倒的な成功を収めることで、逆に空中分解していく。七人のバックダンサーたちの三人がマドンナを訴え、訴えたうちのひとりは先にも言ったようにエイズで亡くなる。
なんともかとも象徴的な話で、マドンナの「子どもたち」は、まさにマドンナが切り捨てた歌の歌詞のほうへと流れていってしまうのである。

アメリカで「家族の時代」とひとしきり言われたのが、ほぼこの時期。
離婚率や母子家庭の増加を背景に、家族の再生が言われたけれど、その状況は一向に変わってはいない。

そうではありながら、マドンナひとりは、しっかりと子供を産み、結婚し、「家族」の絆を着々と強固なものにしていっているようなのだ。

「これがわたしの家族」とステージの上で呼びかけられ、子供を演じていたダンサーたちは、その後どうなったのだろう、と思う。
輝くような才能があったゲイブリエルを除いたダンサーたちは、そこから出ていくことができたのだろうか。

どうでもいいような余談なのだが、そのバック・ダンサーのひとりのケヴィンはどういうわけか日本で松田聖子と一緒のコマーシャルに出ていた。
たまたま新宿アルタの巨大スクリーンでそのコマーシャルを見たわたしは、ひっくり返るくらい驚いてしまったのだが、マドンナのバックダンサーを知っている日本人はそれほど多くないと思うので、驚いた人も多くはなかっただろう。ケヴィンをそののち日本のメディアで見かけたことはないのだけれど、芸能情報に疎いわたしだから、よくわからない。
もしかして、ケヴィン・スティー、売れましたか。