陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

この話、したっけ ~ヴァレンタインの虐殺

2006-01-28 22:56:20 | weblog
1.女心はアテにならない

わたしは小学校五年のときに転校した。それまで私立の女子校にいたので、クラスに男の子がいる、という状態がめずらしく、しばらくは大変興味深かったのをよく覚えている。

だが、入念に観察して、クラスメイトの男の子たちというのは、「てんでガキじゃん」という結論にたどりつくまで、おそらく一ヶ月もかからなかっただろう。
大半の男の子というのは、休憩時間になると、教室の後ろでうわばきをバット代わりに野球もどきをやり、TVか何かのくだらない真似をしては、下品な声で笑い、なかには失礼極まりないことに、隙を見せればスカートをめくるヤツまでいる。文字通り、「かえる、かたつむり、子犬のしっぽ」(マザーグース)でできている連中だった。

ところがそういうなかで、女の子の人気を一身に集めている男の子がいた。
その佐藤君(仮名)という男の子は、整った顔立ちをしているだけでなく、ドッジボールもうまいし跳び箱も、鉄棒もうまい、おまけに勉強もよくできて、けっこうおもしろいことも言う。多くの子が五年にもなると、ランドセルをやめて、スポーツバッグやショルダーに切り替えていたのだが、きちんとランドセルは背負い、ジーンズなどはかず、きちんとした格好で学校に来る。休憩時間は大勢の男の子とは一線を画し、ほかの勉強がよくできる、とされるふたりと一緒に「孤高の三人組」を形成していたのだった。

数年前、実家に行った際に、自分の部屋を整理していたら小学校のときの卒業文集が出てきた。将来の夢、というタイトルで、みんなさまざまなことを書いていたのだが、男の子の約半分は、プロ野球選手、あとは「ガンのとっこうやくを発明してノーベル賞」とか、「学校の先生」とか、なかには「漁師」になりたい、という子もいて、おもしろかった。その佐藤君の夢は、なんと「社長」で、それも小さい会社を自分で作りあげて、少しずつ大きくしていきたい、という、いまのベンチャー企業を先取りするような作文を書いていた。

下品なことは言わない、スカートめくりなんてとんでもない、礼儀正しく、先生のウケもいい、となると、女の子の間で圧倒的な人気を博する、というのも、まったく不思議はない。

わたしが最初に仲良くなったアヤ子ちゃん(仮名)という子も、やはりその佐藤君が好きで、どちらかといえばおとなしく、地味だった彼女は、ほかの女の子のように「積極的にアタック」することもなく、せつない気持を切々とわたしに訴えたものだった。わたしからすれば、所詮小学生じゃないか、そんな子供のどこがいいんだろう(そう考える自分も同じ小学生、という視点は、未だ形成されていなかったのである)と、そんな気持ちなんてちっとも理解できなかったのだけれど、その佐藤君が近くに来れば、赤くなって急に態度がぎこちなくなる、そんなアヤ子ちゃんの態度の変化は見ていて非常に興味深かった。

その年のヴァレンタインデーは、その佐藤君が圧倒的にたくさんのチョコレートをもらったことは言うまでもない。

クラス替えもないまま、わたしたちは六年生になった。
六年になって、間もないころ、美也(仮名)ちゃんという、髪の毛にパーマをあて、いつも小学生とは思えないような格好をしていた大人っぽい女の子が、急にヨシ君(仮名)が好き、と言い出したのである。

ヨシ君、というのは、わたしのカテゴリーでいくと「有象無象の一員」、だいたい無口で下品なことも言わないのは感心だったが、野球しか頭にないような男の子のひとりで、それ以外にはこれといって目立つところもない子だった。
そのヨシ君のどこが良かったのか、とにかくことあるごとに美也ちゃんは「ヨシ君がスキ!」とあたりかまわず公言する。隣りに来ては「ヨシ君一緒に理科室に行こう」「ヨシ君一緒に帰ろう」という彼女に、何とも言えず困った顔をして、おそらくどうしていいかわからなかったのだろう「うるさい!」と言って逃げ回っていたのを覚えている。

ところが「ヨシ君のこんなところがカッコイイ」「ヨシ君のこんなところがスキ」という、美也ちゃんの派手な宣伝が功を奏してか、次第にクラス全体に「ヨシ君、いいかも」という空気が生まれてきたのである。

ついこの間まで、佐藤君、佐藤君、と言っていた多くの女の子たちが、しだいにヨシ君、ヨシ君、と言い出したのだった。
静かに、せつない胸の内をわたしにうち明けてくれたアヤ子ちゃんなら、よもやそんなことはあるまい、と思って、ヴァレンタインが近づいた二月のある日、わたしは聞いてみた。
「今年はチョコレートの競争者が少なくて良かったね?」
「今年はわたし、ヨシ君にあげたいの……」

わたしは人気というのは、このように形成されていくものなのか、と、このとき学んだのだった。この年、ヨシ君のスポーツバッグには、圧倒的多数のチョコレートが詰め込まれたのは言うまでもない。

つくづく、女の子の「スキ」なんていうのは、アテにしちゃいけないんだな、と思ったのだった。

(この項つづく)