冷房のききすぎた平和資料館から外へ出ると、外は九月になったばかりの明るく暖かい日射しが洪水のようにあふれていた。
ジェイミィとアズマさんは公園を歩き、どちらからともなくベンチに腰をおろした。
新幹線を降りてから、真っ先にフェリーの手配をした。それから市電に乗って広島城へ行き、求められるままに上半身をねじって片手をあげるポーズのジェイミィの写真を何枚も撮り、ふたたび市電に乗って、ここにやってきたのだ。
どこに行ってもキョウチクトウの花が咲いていた。木の間からのぞく華やかなピンクの花が、青い空に映えて、広島の街を明るくしているようだった。
「試験、どうじゃった?」
隣のベンチには、学校帰りの高校生らしい二人連れが坐っていた。
「できんかったー。受験のこと考えたら、気分がくろぉなる」
そう言うと、男の子がさして暗くもなさそうに、くすっと笑った。
「山下君はできるけ、ええがぁ。あたしなんか推薦もらえんかったらどうしょう」
並んで坐るふたりは、それぞれの足下を見ながら話している。内容とは裏腹に、一緒にいるのがうれしくてたまらない、という様子だった。
"How do you feel about that, azuma?(アズマ、どんなふうに思った?)"
“どう言ったらいいか、よくわからないな”
“ヒロシマの人は、ぼくがアメリカ人と分かったら、原爆を落としたmother fuckerが来た、みたいに思うのかな”
“わたしはヒロシマの人じゃないからわからないけど……。エド・マクベイン、知ってる?”
“何冊か読んだことはあるよ、"The 87th Precinct"だね?”
“そのなかにね、ユダヤ系の刑事が、ドイツ系アメリカ人を見て、「ブルドーザー」、英語でなんだっけ”
“bulldozer”
“それでね、ユダヤ人の骨を集めているところを思い出すっていうシーンがあった。だけどその人は、ふつうのアメリカ市民なんだよ”
“その感じはわかるよ。50年代、もしかしたら60年代だってそうだったかもしれない。ドイツ系の人たちはそんなふうに見られたこともあったみたいだ。ぼくの父方がドイツ系だから、そんな話を聞いたことがある”
“ その本を読んだとき、なんで日本人はそういうふうに思わないんだろうって、考えた。”
“それは、戦争が終わって日本がdemocratic countryになったからじゃない?”
“わたしはそうは思わない。問題はforgetfulnessにあるんじゃないか、って。資料館でいろんな写真を見て、ああ、こんなこともあったんだ、って思った。だけど、それ以上のことは思うことができなかったの。それがショックだった。いまもまだショックなの。ヴェトナムの本とか読んだときの方が、もっとずっと衝撃を受けた。どうして自分はそんなふうに感じることができないんだろう、って。マクベインの話のユダヤ人刑事みたいに、そんなふうに自分を歴史の中で考えることができないのは、なんでだろう、って。すごくforgetfulなんじゃないか、って”
“ぼくはショックだったよ。涙が出そうだった”
「外国に行きたいなぁ」
隣のベンチの女の子が、ちらっとアズマさんの方に目をやった。
「行くんじゃったらどこ行きたい?」
「アメリカ、イギリス、フランス、イタリア……。英語が話せたらええのに」
「おれ、オランダ行きたいなぁ。サッカー見たいわ」
この子たちのおじいさんやおばあさんは、被爆したんだろうか。被爆しても、生き延びて、そうしてこの子たちのお父さんやお母さんが生まれて、そうしてこの子たちがここにいるのだろうか。
アズマさんは、さっき見たばかりの、廃墟以外に当てはまる言葉のないような白黒写真を思い出していた。そういう中でも人は生き抜いてきたのだ。
“おなかがすいたな。アズマ、オコノミヤキ、食べに行こうよ”
アズマさんはジェイミィにカメラを貸して、と言うと、隣のベンチの高校生に声をかけた。
「あなたたちの写真、一枚撮らせていただけませんか?」
「え? おれら?」
恥ずかしそうな顔のふたりの写真を、原爆ドームをバックに、アズマさんは一枚撮った。
「おねえさんたちの写真も撮りましょう」
後にジェイミィが送ってきたこのときの写真は、アズマさんの机の前のコルクボードにしばらく飾られることになる。
名前も知らない、初々しい広島の高校生の写真。
片手をあげてポーズをとるジェイミィと、手を腰にあて、妙に威張った顔のアズマさん。
(この項つづく)
ジェイミィとアズマさんは公園を歩き、どちらからともなくベンチに腰をおろした。
新幹線を降りてから、真っ先にフェリーの手配をした。それから市電に乗って広島城へ行き、求められるままに上半身をねじって片手をあげるポーズのジェイミィの写真を何枚も撮り、ふたたび市電に乗って、ここにやってきたのだ。
どこに行ってもキョウチクトウの花が咲いていた。木の間からのぞく華やかなピンクの花が、青い空に映えて、広島の街を明るくしているようだった。
「試験、どうじゃった?」
隣のベンチには、学校帰りの高校生らしい二人連れが坐っていた。
「できんかったー。受験のこと考えたら、気分がくろぉなる」
そう言うと、男の子がさして暗くもなさそうに、くすっと笑った。
「山下君はできるけ、ええがぁ。あたしなんか推薦もらえんかったらどうしょう」
並んで坐るふたりは、それぞれの足下を見ながら話している。内容とは裏腹に、一緒にいるのがうれしくてたまらない、という様子だった。
"How do you feel about that, azuma?(アズマ、どんなふうに思った?)"
“どう言ったらいいか、よくわからないな”
“ヒロシマの人は、ぼくがアメリカ人と分かったら、原爆を落としたmother fuckerが来た、みたいに思うのかな”
“わたしはヒロシマの人じゃないからわからないけど……。エド・マクベイン、知ってる?”
“何冊か読んだことはあるよ、"The 87th Precinct"だね?”
“そのなかにね、ユダヤ系の刑事が、ドイツ系アメリカ人を見て、「ブルドーザー」、英語でなんだっけ”
“bulldozer”
“それでね、ユダヤ人の骨を集めているところを思い出すっていうシーンがあった。だけどその人は、ふつうのアメリカ市民なんだよ”
“その感じはわかるよ。50年代、もしかしたら60年代だってそうだったかもしれない。ドイツ系の人たちはそんなふうに見られたこともあったみたいだ。ぼくの父方がドイツ系だから、そんな話を聞いたことがある”
“ その本を読んだとき、なんで日本人はそういうふうに思わないんだろうって、考えた。”
“それは、戦争が終わって日本がdemocratic countryになったからじゃない?”
“わたしはそうは思わない。問題はforgetfulnessにあるんじゃないか、って。資料館でいろんな写真を見て、ああ、こんなこともあったんだ、って思った。だけど、それ以上のことは思うことができなかったの。それがショックだった。いまもまだショックなの。ヴェトナムの本とか読んだときの方が、もっとずっと衝撃を受けた。どうして自分はそんなふうに感じることができないんだろう、って。マクベインの話のユダヤ人刑事みたいに、そんなふうに自分を歴史の中で考えることができないのは、なんでだろう、って。すごくforgetfulなんじゃないか、って”
“ぼくはショックだったよ。涙が出そうだった”
「外国に行きたいなぁ」
隣のベンチの女の子が、ちらっとアズマさんの方に目をやった。
「行くんじゃったらどこ行きたい?」
「アメリカ、イギリス、フランス、イタリア……。英語が話せたらええのに」
「おれ、オランダ行きたいなぁ。サッカー見たいわ」
この子たちのおじいさんやおばあさんは、被爆したんだろうか。被爆しても、生き延びて、そうしてこの子たちのお父さんやお母さんが生まれて、そうしてこの子たちがここにいるのだろうか。
アズマさんは、さっき見たばかりの、廃墟以外に当てはまる言葉のないような白黒写真を思い出していた。そういう中でも人は生き抜いてきたのだ。
“おなかがすいたな。アズマ、オコノミヤキ、食べに行こうよ”
アズマさんはジェイミィにカメラを貸して、と言うと、隣のベンチの高校生に声をかけた。
「あなたたちの写真、一枚撮らせていただけませんか?」
「え? おれら?」
恥ずかしそうな顔のふたりの写真を、原爆ドームをバックに、アズマさんは一枚撮った。
「おねえさんたちの写真も撮りましょう」
後にジェイミィが送ってきたこのときの写真は、アズマさんの机の前のコルクボードにしばらく飾られることになる。
名前も知らない、初々しい広島の高校生の写真。
片手をあげてポーズをとるジェイミィと、手を腰にあて、妙に威張った顔のアズマさん。
(この項つづく)