陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フランク・ストックトン 「女か虎か」 その4.

2006-01-22 21:20:21 | 翻訳
 闘技場に歩み出た若者は、作法にのっとり、振り返って王に一礼する。だが王のことなど頭をチラとも掠めはしなかった。その目は父王の右手に坐る王女に据えられていた。王女の性質のうちにある、相半ばする野蛮さがなければ、おそらくは貴婦人の身として、このような場所に来ることはなかったろう。だが、王女は激しい、燃えたぎる魂のもちぬしであったがために、いてもたってもおれないほど気がかりな事態に立ち会わずにいるということはできなかったのである。

審理の命令が下り、恋人が王の闘技場でみずからの運命に決着をつけなくてはならないことが決まったその瞬間から、王女の頭のなかは、ただひとつ、昼も夜も、この容易ならぬ出来事とそれに携わるさまざまな家臣のことだけになったのである。これまで誰も持ち得なかった権力と、影響力、そして手段を兼ね備えていた王女は、これまでのだれもがなし得なかったことをやってのけた――扉の秘密を入手したのである。ふたつの扉に続く部屋のどちらに口の開いた虎の檻があるか、どちらに女が待っているのか、王女は知ったのだった。頑丈なドアの向こうには、毛皮のカーテンが重くたれこめていて、中のいかなる物音も気配も、掛け金を外すために近づく者には聞こえない。だが、黄金と女の意志の力は、王女にその秘密を明かしたのである。

 さらに王女は、どちらの部屋に女が、それも頬を染めて顔を輝かせ、扉が開いて出ていくときを待ちかえているのかを知ったばかりではなく、その女が誰なのかも知ったのだった。身の程を知らぬ思いに胸を焦がしたために罪に問われた若者が、晴れて無罪であることを証明した暁に、その報奨として与えられるのは、王宮のなかでも並ぶ者がないほど美しく愛らしい娘だったのである。王女はこの娘を憎んでいた。これまでにも何度となく、この美しい娘が自分の愛しい人にあこがれの眼差しを向けるのを見た、あるいは、見たように思い、あまつさえ折々にはこの眼差しが受け入れられ、ときに返されることさえあったように思えたのだ。

 ふたりが話しているのを見かけたこともある。ほんの一瞬ではあったけれど、どんなに短いひとときであっても、多くを語るには十分である。たとえ些細なことがらであったかもしれないけれど、王女にどうしてそのことがわかろうか。愛らしい顔をしながら、王女の想い人に向かって眼をあげるようなことをやってのけたのだ。まったく野蛮そのものであった先祖の血を幾代にも渡って受け継いできたその激しさで、王女は静寂の扉の向こうで、頬を染め、震えている娘を憎んだ。

 振り返って王女を見つめた若者は、並み居る憂慮に満ちた面もちのなか、ひときわ蒼白な顔で腰をおろしている王女の眼をとらえた。魂の相寄るふたりだけが持つ一瞬の以心伝心の能力でもって、王女がどちらの扉の向こう側に虎が身をかがめ、どちらの扉の向こう側に女が立つか、知っていることを認めた。そうであってくれたら、と、かねてより望んでいたとおりに。

 若者は王女の性質を理解していたために、あらゆる人々から隠されている、王さえも知らないこの秘密を暴くまで、安閑としているはずがない、と確信していたのである。若者にとってのただひとつの望みは、王女が首尾良くこの扉の謎を解き明かせるか否かにかかっていた。そうして、王女の眼を見た瞬間に、王女が首尾良くやってのけたことを理解したのだった。心のなかでは、王女ならできないはずがない、とわかっていたのだが。

 めざとい、不安げな眼差しが問うた。「どっちだ?」あたかもそこから若者が大声で尋ねたかのごとく、王女にははっきりわかった。一刻の猶予もならぬ。問いは、一瞬のうちに発せられた。答えはつぎの一瞬でなければ。

 王女の右腕は、クッションのついた手すりにのせられている。手を上げて、ほんの少しだけ、素早い仕草で右を示した。若者以外、それを見た者はない。あらゆる人々の目は、彼を除けば、闘技場のなかの若者に注がれていたのである。

 若者は向きを変えた。毅然とし、颯爽たる足取りで、何もない空間を横切っていく。あらゆる人々の心臓も呼吸も停まった。あらゆる眼が、若者の上に釘付けにされたまま、動けなくなっていた。わずかな躊躇もなく、若者は右の扉へ向かい、開けた。

(明日いよいよ最終回。刮目して待たれよ!)