子供の頃、年の暮れから正月にかけては、特別な時間が流れていたように思う。
だいたい毎年28日ごろから、母がくくった新聞や雑誌の山や折り畳んだ段ボールなどが、勝手口に積み上がり始める。残り少なくなった日めくりとともに、その光景は、年の瀬の記憶としていまでも目に浮かんでくる。ちょうど同じころ、「あんたたちも自分の部屋を片づけなさいよ」とせっつかれ始めるのだった。
学校のプリントを、どうせ読み返すこともないのに、とりあえずは手当たり次第、父親からもらったお古の茶封筒につっこみ、テストもファイルに綴じていく。たまにしわくちゃのテストが混ざるのは、×のついたテストで、母に怒られるのがいやでランドセルのポケットの底に隠して持って帰ったあと、ピアノの裏にこっそり突っ込んでおいたのに、しっかり見つかって、よけいにひどく怒られたものだった。
本棚に積もった埃を掃除機で吸い、ピアノの鍵盤は一本ずつ、古着を裂いて作った即席の雑巾で丁寧に拭いていく。手が冷たくなるのがことのほか苦手だったわたしは、外の窓枠の雑巾がけは、いつもこっそり省略していた。そのかわり、ガラス磨きは楽しくて、窓用のクリーナーをひとりで使い切ってしまう、と怒られたこともあった。ガラスに向かってシューッとスプレーを吹き付けると、白い泡がぶくぶく出て、それが筋を作って垂れ下がる。洗剤を甘くしたような、不思議なにおいがあたりに拡がった。
今年こそは捨てなさいよ、と言われている、いまはもう遊ばなくなった押入のおもちゃを取り出しては、今度友だちが遊びに来たとき、一緒に遊ぶかもしれないから、と考え直してもういちどしまいこむ。母が古雑誌と一緒にくくっていた本を、ほどいてまた部屋に戻したりもした。
いよいよ暮れも迫ってくると、休みになった父も、大掃除に加わる。
「お父さん、ちょっと呼んできて」と母親に言われて呼びに行くと、部屋で片づけをしているはずの父は、本棚の前に中腰になって本を読んでいたりするのだった。わたしも一緒に適当に本を引っ張り出して、読み始める。こんな会話を交わしたのは、こうしたときではなかったろうか。
「こいたいてき、ってどういうこと?」
「こいたいてき?」
「ここ」
「よく見てみなさい。恋じゃない」
「あー変か、ならいいや」
「どういいんだ?」
「変態的って、態度が変っていうことなんでしょ」
おそらく全集本の丹羽文雄か田村泰次郎の巻か何かではなかったかと思う。内容などまるで覚えていないが、いったい何が書いてあったのだろう。内容はともかく、わたしは相当長い間、変態というのは、態度が変な人のことだろうと思っていた。父も訂正のしようがなかったにちがいない。
父が担いで縁側から外に出した畳を、弟と一緒に布団たたきでおもしろがってバシンバシンと叩いていたら、奥でおせち料理を作っていた母から「畳が傷む」と怒られた。部屋に戻ると、畳の下には去年の新聞が敷いてあって、板場に座り込んで一年前のTVドラマのあらすじを読んで、それからどうなったんだろう、と想像をめぐらすのだった。
障子の張り替えは楽しい。はずして縁側に立てかけ、水に濡らした刷毛を桟に塗っていく。張るときの糊付けはやらせてもらえないのだけれど、はがすときはやらせてもらえるのがうれしくて、「付けすぎない」「破るとはがしにくくなるから、気をつけて」と言われながら、ぺたぺたと濡らしていった。全部終わったところで、「やったよー」と父を呼びに行く。端がぶよぶよとしてきたら、上からそーっと剥がしていく。きれいに剥がせると、弟とふたりで拍手し、残ったところは競争のように、割り箸でこそぎ落とした。
いざ、張る段になると、いよいよわたしたちの出番だ。端をしっかり押さえておけ、と言われていても、どういうわけか絶対に動いてしまう。ほら、そっちの端をもっとしっかり押さえておかないから歪んでしまった、などと毎年言われたものだが、今にして思えば、かならずしもわたしと弟のせいばかりではなかったのではないか、と、ひどく不器用な自分のことを考えるに、そうに思ってしまう。
さいごの霧吹きも、わたしと弟の仕事だった。陰干しにしたあと家に持って入ると、部屋がぱっと明るくなった感じがした。
庭といっても、猫の額ほどのものだったが、それでも木が何本かあった。父が剪定するのだが、母は毎年、お父さんは変なところでケチなんだから、ほんと、不格好なんだから。ああ、恥ずかしい、来年こそ植木屋さんを呼びますからね、と言うのだった。
わたしの目には、どこがどう不格好なのかよくわからず、切り落とした枝を集めて束ねるのを手伝った。だいたいそのころには、日が落ち、空も青みが強くなってくる。
お風呂に入って、着替え、晩ごはんの食卓につく。
早く寝るわたしと弟は、いつも晩ごはんに年越しそばを食べた。今年こそ、新年になるまで起きていよう、と思うのだが、毎年十時になると、やっぱり眠くなってしまうのだった。起きて年越しをしたのは、高校生ぐらいになってからではなかったろうか。
二階に上がって自分の部屋に入ると、微かにマイペットやガラスクリーナーのにおいが残っている部屋は、姉の部屋からかすかに音楽の音が聞こえてくるほかは、しんと静かで、大晦日はとりわけ静かだったような気がする。
(この項つづく)
だいたい毎年28日ごろから、母がくくった新聞や雑誌の山や折り畳んだ段ボールなどが、勝手口に積み上がり始める。残り少なくなった日めくりとともに、その光景は、年の瀬の記憶としていまでも目に浮かんでくる。ちょうど同じころ、「あんたたちも自分の部屋を片づけなさいよ」とせっつかれ始めるのだった。
学校のプリントを、どうせ読み返すこともないのに、とりあえずは手当たり次第、父親からもらったお古の茶封筒につっこみ、テストもファイルに綴じていく。たまにしわくちゃのテストが混ざるのは、×のついたテストで、母に怒られるのがいやでランドセルのポケットの底に隠して持って帰ったあと、ピアノの裏にこっそり突っ込んでおいたのに、しっかり見つかって、よけいにひどく怒られたものだった。
本棚に積もった埃を掃除機で吸い、ピアノの鍵盤は一本ずつ、古着を裂いて作った即席の雑巾で丁寧に拭いていく。手が冷たくなるのがことのほか苦手だったわたしは、外の窓枠の雑巾がけは、いつもこっそり省略していた。そのかわり、ガラス磨きは楽しくて、窓用のクリーナーをひとりで使い切ってしまう、と怒られたこともあった。ガラスに向かってシューッとスプレーを吹き付けると、白い泡がぶくぶく出て、それが筋を作って垂れ下がる。洗剤を甘くしたような、不思議なにおいがあたりに拡がった。
今年こそは捨てなさいよ、と言われている、いまはもう遊ばなくなった押入のおもちゃを取り出しては、今度友だちが遊びに来たとき、一緒に遊ぶかもしれないから、と考え直してもういちどしまいこむ。母が古雑誌と一緒にくくっていた本を、ほどいてまた部屋に戻したりもした。
いよいよ暮れも迫ってくると、休みになった父も、大掃除に加わる。
「お父さん、ちょっと呼んできて」と母親に言われて呼びに行くと、部屋で片づけをしているはずの父は、本棚の前に中腰になって本を読んでいたりするのだった。わたしも一緒に適当に本を引っ張り出して、読み始める。こんな会話を交わしたのは、こうしたときではなかったろうか。
「こいたいてき、ってどういうこと?」
「こいたいてき?」
「ここ」
「よく見てみなさい。恋じゃない」
「あー変か、ならいいや」
「どういいんだ?」
「変態的って、態度が変っていうことなんでしょ」
おそらく全集本の丹羽文雄か田村泰次郎の巻か何かではなかったかと思う。内容などまるで覚えていないが、いったい何が書いてあったのだろう。内容はともかく、わたしは相当長い間、変態というのは、態度が変な人のことだろうと思っていた。父も訂正のしようがなかったにちがいない。
父が担いで縁側から外に出した畳を、弟と一緒に布団たたきでおもしろがってバシンバシンと叩いていたら、奥でおせち料理を作っていた母から「畳が傷む」と怒られた。部屋に戻ると、畳の下には去年の新聞が敷いてあって、板場に座り込んで一年前のTVドラマのあらすじを読んで、それからどうなったんだろう、と想像をめぐらすのだった。
障子の張り替えは楽しい。はずして縁側に立てかけ、水に濡らした刷毛を桟に塗っていく。張るときの糊付けはやらせてもらえないのだけれど、はがすときはやらせてもらえるのがうれしくて、「付けすぎない」「破るとはがしにくくなるから、気をつけて」と言われながら、ぺたぺたと濡らしていった。全部終わったところで、「やったよー」と父を呼びに行く。端がぶよぶよとしてきたら、上からそーっと剥がしていく。きれいに剥がせると、弟とふたりで拍手し、残ったところは競争のように、割り箸でこそぎ落とした。
いざ、張る段になると、いよいよわたしたちの出番だ。端をしっかり押さえておけ、と言われていても、どういうわけか絶対に動いてしまう。ほら、そっちの端をもっとしっかり押さえておかないから歪んでしまった、などと毎年言われたものだが、今にして思えば、かならずしもわたしと弟のせいばかりではなかったのではないか、と、ひどく不器用な自分のことを考えるに、そうに思ってしまう。
さいごの霧吹きも、わたしと弟の仕事だった。陰干しにしたあと家に持って入ると、部屋がぱっと明るくなった感じがした。
庭といっても、猫の額ほどのものだったが、それでも木が何本かあった。父が剪定するのだが、母は毎年、お父さんは変なところでケチなんだから、ほんと、不格好なんだから。ああ、恥ずかしい、来年こそ植木屋さんを呼びますからね、と言うのだった。
わたしの目には、どこがどう不格好なのかよくわからず、切り落とした枝を集めて束ねるのを手伝った。だいたいそのころには、日が落ち、空も青みが強くなってくる。
お風呂に入って、着替え、晩ごはんの食卓につく。
早く寝るわたしと弟は、いつも晩ごはんに年越しそばを食べた。今年こそ、新年になるまで起きていよう、と思うのだが、毎年十時になると、やっぱり眠くなってしまうのだった。起きて年越しをしたのは、高校生ぐらいになってからではなかったろうか。
二階に上がって自分の部屋に入ると、微かにマイペットやガラスクリーナーのにおいが残っている部屋は、姉の部屋からかすかに音楽の音が聞こえてくるほかは、しんと静かで、大晦日はとりわけ静かだったような気がする。
(この項つづく)