陰陽師的日常

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ジェームズ・サーバー 『ネコナキドリの巣の上で』 その1.

2004-12-25 21:33:30 | 翻訳

今日から四回(予定)にわたって、ジェームズ・サーバーの短編『ネコナキドリの巣の上で』の翻訳をお送りします。
原文はhttp://home.eol.ca/~command/catbird.htmに掲載されています。
邦訳は鳴海四郎氏によって『ツグミの巣ごもり』というタイトルで『ニューヨーカー短編集III』(早川書房)に所収されています。

原題は"The Catbird Seat"、Catbirdがどうしてツグミになったのかわかりませんが、ここではCatbirdの日本語として辞書にも載っている「ネコナキドリ」を使いました。
なお、文章のなかにも出てきますがイディオムとして "in the catbird seat"=有利な立場にいる人 、というものがあります。
ネコナキドリは馴染みがない鳥ですが、こんな鳥みたいです。http://www.westol.com/~pennwest/birds/catbird.html
ネコみたいな声で鳴くんでしょうか。

***
『ネコナキドリの巣の上で』 ジェームズ・サーバー


 月曜の夜、マーティン氏は、ブロードウェイのどこよりも繁盛したタバコ屋で、キャメルを一箱買った。劇場が開いている時間だったので、七、八人の男たちがタバコを買っている。店員はマーティン氏のほうをちらりとも見ず、氏はオーバーのポケットにタバコを納めると店を出た。F&Sの社員のだれかがマーティン氏がタバコを買っているのを見たら、驚いたはずだ。マーティン氏がタバコを吸わないのは、周知の事実だったし、実際、一度も吸ったことはなかったのである。だがマーティン氏を見かけた者はいなかった。

 マーティン氏がミセス・アージン・バロウズを消去しようと決心したのは、一週間前のちょうどこの日だった。「消去」ということばをマーティン氏は好んだ。というのも、このことばには、間違い――この場合、フィットワイラー氏の間違いである――を改める、という以上の含意が感じられなかったからである。マーティン氏はこの一週間というもの、毎夜、計画を立てては吟味を重ねてきた。自宅に向かって歩を進めつつ、またしても計画を反復してみる。何百回目になるのだけれど、この作業から排除しきれない不正確な部分、憶測の領域が腹立たしい。マーティン氏が立てた計画は、偶然の要素が大きく、かつ大胆なものなので、その危険も無視できない。いずれかの時点で不慮の事態が起こらないとも限らない。だが、そこがこの計画の抜け目のない点なのである。いったいだれが、慎重で精密な仕事ぶりのアーウィン・マーティン、F&S社文書部長にして、かつてフィットワイラー氏に「人みな過つ、しかれどもマーティン過たず」と称されたマーティン氏が、このことに関与していると思うだろうか。だれひとり、彼の仕業と考える者はいないだろう。現場を押さえられないかぎりは。

 自宅のアパートメントに座ってコップのミルクを飲みながら、マーティン氏はこの七日の間、夜毎続けてきた、ミセス・アージン・バロウズに対する審理を再検討してみた。始まりに立ち戻る。アヒルのように騒々しい声とロバがいななくような笑い声が、F&S社の社屋をけがしたのは、1941年3月7日が初めだった(マーティン氏は日付を覚えるのが得意なのだ)。いまいましいロバーツ、人事部長が、社長であるフィッツワイラー氏付きの特別顧問として新しく任命された女性を紹介したのだ。一目見るなり、マーティン氏は怖気をふるったが、もちろんそんなそぶりは見せない。熱のこもらない握手をし、仕事に没頭しているそぶりをしながら、わずかばかりの笑顔を見せた。「あらあら」机の書類を見ながら、こう言ったのだ。「溝にはまった牛車を引っ張り上げてるのね」

ミルクを口にしつつ、このときのことを思いだしたマーティン氏は、どうも落ち着かなくなってきた。自分の意識を、特別顧問としての犯罪的行為に向けるべきであって、性格上の過ちを問題にすべきではない。ただそのことは、異議申し立てを受け、それを認めたとしても、簡単ではなかった。マーティン氏の心の中では、あの女の欠点をあげつらう女性が、命令に従わない証人のように、おしゃべりを続けるのだった。夫人には、いまや二年に渡って悩まされ通しだった。廊下で、エレベーターの中で、マーティン氏のオフィスまでも、サーカスの馬のように跳ね回り、度はずれの声でばかげた質問をまくしたてるのだ。「溝にはまった牛車を引っ張り上げてるの? 豆畑をほじくり返してるのね? 天水桶に向かってどなってるの? 漬け物樽の底をこすってるんでしょ? ネコナキドリの巣でタマゴを抱いてるところ?」 

 ちんぷんかんぷんのおしゃべりを説明してくれたのは、マーティン氏の二名いる部下のひとり、ジョーイ・ハートである。
「たぶんドジャースのファンなんですよ。レッド・バーバーがラジオでドジャースの実況中継をしているときに、ああした言い回しを使うんです。南部にいるころ覚えたんでしょう」
ジョーイは言い回しをひとつふたつ、教えてくれた。『豆畑をほじくり返す』、っていうのは大暴れしている、っていうことです。『ネコナキドリの巣でタマゴを抱く』っていうのは、有利な立場にいる、ちょうど、バッターがノーストライク、スリーボールのようなカウントにいるようなことを指すんです。
マーティン氏はこうしたことをすべて、強いて却下しようとした。不快だったし、そのおかげで気も狂わんばかりにさせられたこともあったが、このような子供じみた動機で殺人を犯そうと思うには、あまりに手堅すぎるマーティン氏である。
幸いにも、とバロウズ夫人に対する重要な告発に移りながら、マーティン氏は思案する。自分はそうしたことに、たいそう良く耐えてきた。見たところ、つねにがまん強く礼儀正しい態度をとり続けてきたのだ。「ほんと、部長さんったらあの方、お好きなんじゃないかしら、ってもうちょっとで思ってしまいそうですよ」と、もうひとりの部下のミス・ペアードが以前、言ったことがある。マーティン氏はただ微笑して見せただけだった。