陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

この話 したっけ その3.

2004-12-22 21:39:54 | weblog
3.The Working Song

初めてやった仕事は、コピー屋のバイトだ。
やってきた客に、ちょうど携帯電話くらいのサイズのカウンタを渡す。カウンタを差し込むとコピー機が動き始める、という仕組みだ。コピーが終わるとまたそのカウンタをレジに持ってきてもらい、数字をノートに記入する。そうして枚数をチェックしてお金をもらう。
白黒コピー一枚あたり8円だった。

コピー機がだいだい6台前後あり(中古のコピー機を使っていたので、8台ある機械のうちのたいていどれかが故障していた)、修理まではできないけれど、調整をし、用紙がなくなったら給紙し、紙が詰まったらパネルをかぱっと開けてしわくちゃの紙を取り出し、必要に応じてトナーを交換したり、なかの掃除をした。

試験前になると殺人的に忙しくなる。試験期間中はバイト要員を二人、ときによっては三人に増やしていたのだが、休憩を取るどころではなく、コピーを待つ学生の列は店の外にまで及び、レジは途切れることがなく、常時、どこかしらのコピー機で用紙がなくなり、どこかしらで紙が詰まるのだった。

学生街にあったコピー屋は、試験期間が終わって学生の拡散期になると、うってかわって暇になる。
一日客が一人か二人、という状態で、一般の客が来ることもあった。
たまにコピー機を使ったことがない、という年配のお客さんが来たりすると、代わりに取ってあげたりもした(一度、年配のお坊さんが持ってきた、こよりで綴じてある和紙の本をコピーしたことがある。裏の字が写って見にくくなりやすいので、調整したり、紙を間に挟んだりしながらずいぶん苦労して取った。漢字ばかりの本だったけれど、あれはお経だったんだろうか。聞いてみればよかったな)。
お客が来なければ、その間、何をしていてもかまわない。わたしはもっぱら本を読んでいた。

そのころ、メアリー・モリスの『コピー』(原題"Copies" 飛田茂雄訳 『ラヴ・ストーリーズII』所収 早川書房)という短編を読んだ。ニューヨークのアッパーイーストサイドにあるコピーセンターが舞台である。
そこはわたしがバイトしていたようなセルフコピーの店ではなく、持ち込みの原稿を、そこで働く人がコピーを取るのだ。
オーディションに受かるのを待ちながらそこの店で働く女優志望の主人公の恋愛模様を描いたスケッチ風の短編だったけれど、メインストーリーはともかく、コピーを依頼して持ち込む原稿から微妙に垣間見える、客の人生が非常に印象的だった。

 コピーセンターには休みなく客が入ってくる。ビバリーはどの客も知っている。グリムズリー夫人も知っているし、ホモの劇作家も知っている。ライカーズ島(ニューヨーク市の刑務所がある)の弟のところに祈りの言葉を送っているエホバの証人も知っているし、いつもアメリカン・エキスプレスのゴールド・カードを使うせっかちな婦人も知っている。背広のえりにふけのついた音楽学校の教師たちも、思い詰めた表情でぼろぼろになった履歴書を持ち込む失業者たちも知っている。


学生相手のコピー屋には、そんな劇的な原稿が持ち込まれることは多くはなかっただろう。それでも、コピー機の間に取り忘れた手書きの手紙や、ときにはスナップ写真を見つけたときには、いったいなんでこんなものをコピーするのだろう、と、想像力をかきたてられもした。

その仕事は試験期間を除くと、楽なものだったけれど、拘束時間が長い割には時給が良くなかった。あたりは大学だらけ、医学部や医大もあったので、文系の一年や二年には、コストパフォーマンスの高い教育関係の仕事は回ってこない。大学のアルバイトの窓口には日参したし、アルバイトニュースもよく買った。

大学で紹介してもらったものに、絵のモデルというのがあった。
絵画教室でモデルを勤めるのである(もちろん面接など一切なく、容姿で選ばれたわけではなかったので、念のため)。
座っていれば金になる、楽なバイトだと思ったのだが、とんでもなかった。40分座るのを、間に20分の休憩を挟んで三セット繰り返すのだが、実際、休みはほんとうに必要だった。
ほんの少しも動けないのが辛い、というよりも、座っている間は一点を見つめていなければならない。これが眠くなるのだ。そうならないように、休憩時間には画家志望の学生たちと話をしたり、コーヒーを飲んだり、体操したり、ときには椅子を並べて仮眠したこともある。そうやってなんとか鋭気を養う? のだが、また一点を見つめていると、睡魔が襲ってくる。受験勉強をやっているときより、睡魔とは必死で闘ったような気がする。プロのモデルというのは、えらいものだと思った。

出来上がりつつある絵を見るのはおもしろかった。絵というのは、あくまで描き手が表現したいものを写し出すのだということがよくわかった。つまり、実物にはちっとも似ていないのだ。ちょっとなー、ひどいよなー、と文句をつけたいものも少なくなかったが(こちらに自覚が足りなかっただけか?)、中にひとり、実物より二割り増しくらいに描いてくれた人がいて、その絵はちょっとほしいな、と思ったりしたものだった。

このバイトは、コピー屋と掛け持ちしながら、二年ほど続けた。つまり、わたしを描いた絵は、当時、相当数存在したことになるのだが、それはいったいどうなったのだろう。そうして、あの画学生たちはどうなったのだろう。

**

一日でクビになったバイトもある。
寮の先輩が、自分が辞めたいから、と探していた後釜に、抜擢? されたのだ。
なんと、喫茶店のウェイトレスである。

まず開店前に掃除をしてください、と言われたので、掃除機をかけた。奥の方がけっこう汚れていたので、椅子を重ねてやっていると、もうひとりのバイトのお姉さんに「そこまで丁寧にやらなくていいから」と言われた。これがそもそも、ケチのつけ始めだったのかもしれない。
言われるまま、テーブルを拭き、店を開け、マスターに教えてもらいながらアイスコーヒーを作ったりした。

生憎、その日は台風で、お客が3組ぐらいしかない日だったのだ。
お客が来れば、「いらっしゃいませ」と言い、注文を取りに行き、マスターに伝え、できあがったものを運んだ。客が帰れば、カップやさらを洗った。
そのうちやることもなくなった。
マスターとバイトのお姉さんはずっと話をしている。それが妙にintimateな雰囲気で(なんというか、日本語の「親密」というのとは微妙にちがうのだ)、邪魔をしたら悪いような気もしたし、基本的に話すことがなかったら喋らないことにしているわたしは、レニー・クラヴィッツをかけて(「好きな音楽をかけてもいい」と言われてラックを見たら、ロクなCDがなかったので、唯一聞いてもいいかなと思えるクラヴィッツをかけたのだ)、持ってきた本を座って読んでいた。

そうして5時になった。
その日の日給をもらい、「ウチの店には合わないから」とマスターから、多少申しわけなさそうと見えなくもない言い方で言われた。
以来、バイトをクビになった経験はないのだけれど(ウェイトレスの経験もないが)、いったい何が悪かったのか。

やっぱり、レニー・クラヴィッツ?