陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

メアリー・マッカーシーはいかがですか その3.

2004-12-15 19:06:56 | 
3.『グループ』その2.

【ポーキー・プロザロウ】
ケイの夫ハロルドが逮捕されたという新聞記事を読んだのは、ヘレナの母親ばかりではなかった。プロザロウ家の執事、ヘンリー・ジェイムズに似ているとグループのメンバーたちに評判の、イギリス人ハットンもその記事を読んだ。

ポーキーは学生時代、グループの問題児だった。

大金持ちだが怠け者で、宿題は手伝ってもらうし、試験ではカンニングをするし、週末には行方をくらますし、図書館の本を盗むし、道徳やデリカシーのかけらも持ちあわせがなく、興味を示すものといったら動物とダンスパーティだけである。学生寮の年鑑に記録されているこの娘の将来の希望は、獣医になることだった。今日ケイの結婚式へやって来たのも仲間に引っ張られて来ただけのことで、それはカレッジの集会があるたびに仲間が窓に石を投げてこの娘を起こし、むりやり帽子や皺くちゃのガウンをつけさせて連れて行くのと全くおなじことだった。さて教会まで無事に連れて来たからには、式のあとティファニーの店へ引っ張って行って、何かケイへのすばらしい贈物をえらんでやらなければなるまい。ポーキーは一人では贈物をえらぶこともできないのである。


卒業記念に飛行機を買ってもらったポーキーは、獣医になるため、飛行機でコーネル農場試験場に通っていた。
家柄は良くても、家系図をさかのぼっても高等教育を受けたのはポーキーただひとり、頭が弱く虚栄心ばかり強い一家のなかで、ハットンは単なる使用人ではなく、家の責任者というおもむきがあった。ハットンの立ち居振る舞いは、一種の名物ともなっていた。

タイムズで見つけたハロルドの記事をポーキーの母親に見せておいた方が良いだろう、と判断したハットンは、朝食を運ぶ盆に、折り畳んでのせておく。


「ハットン!」と、翌朝、せわしなく呼ぶ奥様の声がきこえ、ハットンはゆっくりとふたたび食堂へ戻った。「これは何? なぜこんなものを持って来たの」プロザロウ夫人のクッションのようにやわらかい醜い肉体はぜんたいに震えていた。「申しわけございませんでした。奥様、その記事に出ております紳士の一人が確かミス・キャサリン(※ケイはキャサリンの愛称)の御主人だと記憶しておりましたので」……「ミス・キャサリン?……だれ、それは? わたしたちの知っているひと?」ハットンが第五面の乱闘場面の写真を見せようとすると、夫人は顔をそむけた。「ミス・メアリ(※ポーキーはメアリの愛称)がバッサーにおられた頃、クリスマスのお休みや、そのほかにも一、二度泊りにいらしたお嬢様です」ハットンはここでことばを切り、プロザロウ夫人の怠惰な記憶が働き始めるのを待った。だがプロザロウ夫人は頭を振った。……「どういう家柄のお嬢さん?」「存じませんです、奥様」……「それでこのお嬢さんが警察につかまったのね。一体何をやったの。万引か何か?」「いえ」とハットン。「拘留されたのはあのお嬢さんの御主人でございます。何か労働争議と関係のあることらしゅうございますが」プロザロウ夫人は蒼白く肥えた手を振った。「もう何も言わないで、ハットン。……そう、こうすれば一番いいわ、ハットン。この新聞を台所へ持って行って、ストーブで燃やしてしまいなさい。頼むから料理人には何も言わないでね。わたしたちのような立場の人間は、とてもじゃないけど、ハットン……〈ガラスの家に住む人々は〉よ、ハットン。それから何でしたっけ。あら、いやだ、ちがうわ。〈非難を超越せねばならぬ〉。これはシェイクスピアね。『ジュリアス・シーザー』」夫人は微笑した。「今朝はなんだかずいぶん高級な話になってしまった」


【ドティ・レンフルー】
娘の結婚式の準備で忙しい、ドティ・レンフルーの母親も、ハロルドが逮捕された記事を読んだ。ハロルドと、ハロルドの友だちが逮捕された話を娘に告げると、ドティはひどく動揺する。実はケイの結婚式の翌日、ドティはハロルドの友人で画家のディック・ブラウンと関係を持っていたのである。

この娘はグループの最年長者で、もうじき満二十三歳になる。蒲柳の質なので子供の頃から学校を休みがちだった。今ではもう何となくオールドミスの気分である。この娘の固苦しい礼儀作法や、几帳面な習慣や、風邪をふせぐため校内でも離したことのないマフラーや長いミンクのコートを、グループのみんなは嘲笑ったけれども、気のいいドティは、そんなときでも調子を合わせて静かに笑っているのだった。ボーイフレンドたちはいつもこの娘をうやうやしく取り扱った。そのボーイフレンドたるやたいてい友だちの兄や弟で、ハーバードの大学院で考古学や音楽学や建築学を研究している蒼白い青年たちである。……けれどもドティは、自分は楽しみごとが好きだし、むしろ官能的な素質もあると思っていた。……母親と話し合って意見が一致したことは、もしもだれか立派な青年と恋をして、婚約したら、幸福な適合を確かめるために一度は肉体関係をもつべきだということである。ドティの母親はたいそう若々しくモダンなひとで、その交際範囲のなかでも、そういう点で男と女がどうしても適合できず、したがって結婚生活は失敗であったという悲しむべき実例をいくつも見聞していた。ドティは離婚は罪悪だと思うけれども、結婚生活のそういう面をきちんと調整するのは大切なことだとも考えている。

 ケイの結婚式で花婿の付き添い役だったディックは、離婚したばかりのハンサムなボヘミアン風の青年だった。グループのなかで最も美しいレイキーとドティ、そしてディックは結婚式の翌日、三人で美術館に行く。そして次の日、ヨーロッパへ発ったレイキーを見送ったあと、ディックはドティを部屋に誘ったのだった。

一夜が明け、ディックはドティに「ペッサリーを貰っておいでよ」と言う。産児制限局に行って必要な知識を得たドティは、病院で診察を受け、必要なものを揃えた。ところが連絡をくれ、と言っていたはずのディックはいない。伝言を残したまま、ワシントン広場で暗くなるまで待ち続けたドティは、傷心のまま、ボストンの実家に帰った。
その後、静養をかねてアリゾナを訪れたドティは、そこで鉱山関係の事業家で大変な金持ちで男やもめのブルック・レイサムと婚約し、その眼と同じくらい大きなダイヤの婚約指輪を得たのである。

結婚式を目前に、ディックの名前とめぐり逢ったドティは、熱に浮かされたように母親にディックとの一部始終を話す。
それを聞いた母親は、結婚式を延期し、もういちどディックに会って自分の気持ちを確かめるように勧める。だがドティはそれを拒み、ブルックと結婚する、という。

「あなたは何かを犠牲にすることがいやなのね。……もう人生の盛りをすぎた男の人を傷つけないために、たった1ヶ月待つこともいやなのね。あなたのプライドを犠牲にして、ディックという人に逢った上で、もし愛しているなら同棲して、その人に正しい生活をさせるよう努力することも面倒くさいのね。わたしの時代なら、どんな女だって、愛や理想のためなら喜んで何かを犠牲にしたものよ……」「それはお母様の時代のことよ……もう犠牲なんて必要ないわ。……男のひとに正しい生活をさせるなんて無理だわ。こっちが泥沼に引きずりこまれるだけのことよ。そのことはアリゾナでよくよく考えたの。犠牲なんて時代おくれの考え方よ。インドで未亡人を焼き殺すみたいな、迷信よ、お母様。いま社会が目指しているのは、個人が自由に発展することでしょう」
「ええ、それには賛成よ。……わたしがあなたに言っているのはね、ドティ、ほんのちょっとしたことなの。つまり、自分自身を大切にせよ、ってことよ」「大丈夫よ、お母様。自分の気持ちはよく分かってる。ディックと寝たからといって、全生活を変えてしまう必要はないわ。ディックもそう考えてると思う。物事にはそれぞれ区切りがあっていい筈でしょ。……だから思い出としてとっておくほうがいいのよ」


【リビー・マコーズランド】
出版社に就職が決まったものの、リビーの地位ははっきりしない。家族の仕送りがあるせいで、こざっぱりしたアパートに住むことができてはいるのだが、社にデスクは与えられず、家で原稿を読む仕事を週に一度、もらうだけである。

初めは人にたいして、いやに強気だが、やがてどういうものか人にそっぽを向かれてしまうのが、(今までのところ)リビーの運命であるように思われた。……グループの場合でもおなじことである。リビーは『人間の絆』や、キャサリン・マンスフィールドやエドナ・ミレイやエリナー・ワイリーや、それにヴァージニア・ウルフが大好きだったが、レイキーが鶴の一声で、そんな趣味は感傷的よと宣告して以来、だれにも本のことで話相手になってもらえないのだった。皮肉なことに、リビーはグループ外部ではグループの代表者と見なされ、内部では逆にちっとも人気がないのである。

二年ほどそうした状態が続いたあと、リビーに原稿をくれる編集者のリロイ氏は、リビーには編集のセンスがない、と言う。文学斡旋業はどうか、と。作家と直接交渉したり、作家を励ましたり、なぐさめたり、昼食に連れ出したり、といった仕事の方がふさわしい。そうしてリロイ氏の知り合いの文学斡旋業者の助手となったのである。

卒業後三年目、リビーは自宅でパーティを開く。そのころにはグループの半数は結婚していた。ケイのつぎに結婚したプリス、ドティ、そして遠縁にあたるプリンストンの大学院生である詩人と突然結婚したポーキーである。リビーはケイ、プリス、ポリーのほかのメンバーたちとの連絡は途絶えていた。

そのパーティには旧友のほか、出版関係者、肉親、そしてボーイフレンド、「ほんもののノルウェイの男爵」でスキー教師のニルスを招いていた。
このパーティが終わったあと、一緒に食事に行く約束をしているニルスなのだが、その席上で彼は自分に結婚を申し込むのではないか、とリビーは思っていた。ところがパーティ客が帰ってしまうとニルスはリビーに迫り始める。

「きみは処女かい?」凶暴な姿勢のままで、とつぜんニルスはたずねた。リビーは何も言わずにうなずいた。もうかんにんしてと言うだけの気力しか残されていないようである。「ああ、なんて退屈なんだ!」とニルスは力をゆるめながら言った。「きみは退屈だよ、エリザベス!」それから顔をしかめて、「リビーと言うべきかな」青年は身をふるわせて立ち上がった。リビーはこれほど侮辱されたことは初めての経験である。服を乱されたままの格好でそこに横たわり、はあはあ喘ぎながら、おびえた茶色のひとみを大きくひらいて、リビーは哀れっぽく青年を見上げた。青年は手荒にリビーのスカートを引き下ろし、絹のブルーマーを隠した。「きみは強姦してもおもしろくないや」と青年は言った。そしてソファから立ち上がり、悠々と浴室へ入って行った。リビーは『オックスフォード詞華集』とともに取り残された。男が水を流しもせず、ドアをあけっぱなしで小便をする音が聞こえた。まもなく、口笛を吹きながら、青年はアパートを出て行った。掛け金がかちりといい、階段に足音が遠ざかり、それですべてはお終いだった。


(この項続く)