陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

メアリー・マッカーシーはいかがですか その4.

2004-12-16 19:29:59 | 
4.『グループ』その3.

【ポリー・アンドルース】
メディカル・スクールに進むために化学を専攻していたポリーは、在学中に大恐慌のあおりをくらった父親が破産してしまう。そのため、奨学金を得て大学を卒業し、卒後はコーネル医学センターの臨床検査技師として働いていた。

 ポリーの外見は、〈おだやかな日の光〉のような娘だった。色の薄い藁か、未加工の絹に似た、ほとんど亜麻色に近い髪。青い目。ミルクのように白い(脱脂ミルクのようにちょっと青みがかった)肌。顎はやわらかくふっくらとして、窪みというか、ちいさな割れ目のようなものがあった。腕は白くふくよかで、眉は細長い。……難をいえば、ポリーは一対一で話すととてもおもしろい相手なのに、大勢集まる席ではどうもパッとしないのである。いつも穏健なことを囁くように喋る父親に似て、ポリーも非常に声が低かった。だれかがポリーの家系を話題に出さぬ限り(部分的な汚点はあってもまずまずの良家だった。アンドルース氏の姉たちはみなサージェントに肖像画を描いてもらっている)、パーティの客たちはポリーの存在に全然気づかぬか、あるいはポリーが帰ったあとで、あのおとなしいブロンド娘は何者、と訊ねるのである。それがまた問題だった。ポリーはいつでもさっさと帰ってしまう。帰らせぬためにはこつがあって、隅のほうで退屈しているあの人を救ってあげなさいと言えばいいのである。ポリーはすぐにその男と熱心に話し出し、だれも知らないようなその男の特徴を掴み出すのだった。

リビーのパーティで知り合った、編集者のガス・リロイとポリーの情事は一年近く続いていた。
中学教師で共産党員のガスの妻は、所属細胞の男と恋愛中で、夫婦は別居しているのだが、その結婚が救いようのないものなのかどうか確かめるために、ふたりは精神分析を受けている。
だがポリーには、ガスがいつまでも精神分析を続ける理由がわからない。一向に異常は感じられないし、離婚することに決めているのなら、その必要もないはずである。ポリーは仕事先で文献を漁り、ガスの唯一の病気は、週二十五ドルも費って精神分析医の診察を受けていることなのではないかと思っている。

ある晩、やってきたガスは、精神分析で障害が起こった、という。夢を見なくなったのだ。ガスの妻のエスターは、それはガスがわざと精神分析を妨害し、治るまいとしている、ポリーを避難所にして、ポリーを看護婦として見ているから、治るまいとしているのだ、と。ガスの妻は、治療を進展させるために、ポリーと別れてはどうか、と提言したと言うのだ。

「きみはどう思う?」「そうね」ポリーはこわばった喉で言った。「エスターは免許証もないのに医者みたいな口をきいちゃいけないと思うわ。かりにそれが事実だとしても、そういうことをあなたに言うのは、ビジャー先生の仕事じゃないの? しばらくわたしに逢うな、なんて言う資格は、ビジャー先生にしかないと思うわ」
「そうじゃないよ、ポリー。ビジャーはぼくの精神分析医だ。その話はいつかしたじゃないか。精神分析医は、ぼくの実生活上の行動について命令することはできない。ぼくの報告を聴くことしかできないんだ」……「ぼくはきみを愛してるんだよ」「でも、もう決心したんでしょ?」

こうしてガスがあっさりと出ていったその翌日、ポリーは一通の手紙を受け取る。それは、母親と離婚した父親が、ポリーと一緒に暮らしたいので、そちらに行かせてほしい、というものだった。

慌てて母親に連絡を取ると、長年鬱状態にあったアンドルース氏は、現在躁病になったのだという。手始めに離婚し、ニューヨークに出ると言いだしたのだ、と。最初は反対していた母親も、そのうち離婚してはならない理由が思い当たらなくなり、農場の経営も思い通りにできるようになった、と屈託がない。
アパートの部屋を改造したり、温室作りを計画したり、生活を快適にすることに余念のない父親と一緒に生活することは、最初のうちは楽しかったのだが、そのうちポリーには父親の浪費が抑えられなくなる。

ふたりの生活費を工面するために、ポリーが勤め先の病院で売血をしている最中、父親の症状について何度か相談に乗ってもらっていた精神科の医師、ジム・リジリーに見つかってしまう。

「何をしてるんだい」とリジリーは訊ねたが、採血直後のポリーは寝椅子に横たわっているし、横に採決の道具はあるし、これはきわめて形式的な質問と言わねばなるまい。「クリスマスの資金作りよ」ポリーは神経質な笑顔を店、握りしめていた拳をひらいた。……「いいかい、ぼくの解釈を聞いてくれ。これはきわめて妥当な解釈だと思う。ここに躁病の患者がいて、その家族が病院で血液を売っている。とすれば、その患者の浪費癖が昂じてきたと、ぼくは解釈する。……だれかが説得して、治療を受けさせなきゃいけない。……ポリー、きみはお父さんを入院させなさい」「絶対いやよ」青年は上半身をかがめ、ポリーの片手を握った。「こんなにぼくがむきになるのは、惚れたからかもしれない」


ジムと結婚した後も、病院勤めを続けていたポリーが、ある日、精神科病棟の病室に入っていくと、そこに目を腫れ上がらせたケイがいた。ハロルドと殴り合いのケンカをしたあとで、ケイは夫に騙されて精神病院に入れられてしまったのだ。ポリーはハロルドとなんとか連絡を取ろうとするが、ハロルドはつかまらない。ポリーの頼みでやってきたジムも、ケイを助けるために骨を折ろうとする。

「ケイ、あなたの精神状態を疑うとすれば、それはたった一点しかない」「ハロルドのことね」と、低い声でケイは相手のことばを補足した。ジムは溜息をついた。「愛してるんですね、彼を」
「そう言えばロマンチックな話になるけど」とケイは率直に答えた。「でもわたしは愛してないと思うわ。ある意味では、憎んでるくらい」……「つまり、あなた方の結婚は体(てい)のいいニセモノだったということですか」ケイはジムの目を見つめた。「どうしてそれが分かりました?」と、ケイは言った。「ええ、そうだと思うんです。だから、わたしは今の状態から逃げ出せないのかしら。逃げだせば、わたしたちの結婚が失敗だったってことがみんなに分かってしまいますからね。まさかと思うでしょうけど、ジム、わたしはソールト・レイク・シティでは郷土の誇りなのよ。〈東部へ行って成功した娘〉ってことでね」「成功した?」「ハロルドと結婚したことよ。芝居の世界に関係しているでしょ、彼は。父や、母や、学校友だちは、それがすばらしいことだと思ってるのね。わたしも一時は演出家になりたかったの。でなきゃ女優に。でも、実際には、わたし、才能がないんです。それがわたしの悲劇」


【プリス・ハーツホーン】
二歳半になるスティーヴンを遊ばせに公園に行ったプリスは、そこで赤ん坊を日光浴させているノリンにばったり出くわす。社会主義者のパトナム・ブレイクと離婚したノリンは、今度はまったく関係のないユダヤ系の銀行家と再婚していた。
きまじめで、経済学を専攻し、最優等生のクラブに所属し、大学卒業後は国家復興局に勤めていたプリスだったが、出産後仕事をやめてからというもの、考えることといえば、息子のトイレのしつけや幼児食のことばかり。小児科学会で最先端の育児法を提唱する小児科医の夫スローンも、家庭のなかでは、まったく協力的ではないのだった。
久し振りにうわさ話に花を咲かせるふたりだったが、誘われるまま、プリスはノリンの新居を訪れる。
だがノリンは、ただハロルドの話がしたいだけだった。

「びっくりしないでね、わたしはハロルドを夢中で愛していたの。四年間よ。それでも、ケイとの友情には変りなかったけど、その恋に希望がないと分かったから、フレディと結婚したの。初めから希望がなかったんだけど、自分で自分をだましていたのね。……でも彼にはケイに対するコンプレックスがあった。わたし、いまだにそれがよく分からないのよ。……ハロルドはちょっしゅうケイがエネルギッシュだという話をしたわ。ケイの攻撃的エネルギーは〈生命力〉とつながりがあるんだって――ハロルドはバーナード・ショウの影響から抜けきれないのよ。あなたどう思う? ケイはわたしよりエネルギッシュかしら」プリスはその質問に答えたくなかった。「ケイには確かにエネルギーはあったわね」とプリスは言った。「それに……ケイは、ハロルドを養っていたでしょう」「ハロルドは金持ちの女なら一ダースも知っていたのよ」と、ノリンは言った。「わたしだって彼のためなら床の拭き掃除くらいできるわ。……わたしは何もかも犠牲にしようとしていたのに」
 ノリンの黄褐色の目に涙があふれた。「ああ、そんなこと言うもんじゃないわ、ノリン!」と、プリスはその涙に驚き、自分も告白したいような気持ちにとらえられた。プリスはスローンのために職場を去り、社会的な理想を捨ててしまったが、それでいて自己犠牲を人にすすめる気にはなれない。もうスチーヴンがいるから遅すぎるけれぢ、プリスは自分の過去はまちがいだったと確信していた。もしプリスが自分の希望をつらぬいて、ワシントンの職場に勤めつづけ、スローンのきらいなニューディール政策のなかの小さな歯車たることに甘んじていれば、すろーんだって、今よりはずっと仕合わせであり、〈ボリシェヴィクの女房〉を自慢することもできたと思われる。プリスがNRA(国家復興局)にいた頃、スローンはプリスを誇りにしていた。それというのも、プリスにそれだけの積極性があったからなのだが、今やそれすらない。


【エリナー・イーストレイク(レイキー)】
卒後間もなくソルボンヌ大学に留学したレイキーが、第二次世界大戦が始まり、間もなく戦場になりそうなイタリアから七年ぶりに帰国する、という話を聞いて、グループの一同は、久し振りに七人揃って波止場へ迎えに行った。

いざ船の渡り板が下ろされたとき、ある者は不安になった。レイキーは自分たちより遙かに成長したのではなかろうか。ヨーロッパで暮らして、教授や、美術史家や収集家と付き合っていたあとでは、昔のグループなど田舎者の集まりに見えるのではなかろうか。……自分たちが家に帰れば亭主や子供たちが待っている堅実な女たちの集まりになってしまったことを、思わないわけにはいかなかった。ポーキーにはもう子供が三人もいるし、ポリーにも小さな女の子がいる。
 さて、いよいよレイキーが濃い紫色のスーツに帽子といういでたちで、緑色のレザーの化粧鞄と、細く畳んだ緑色のアンブレラを持って、胸を張り、しっかりした素早い足どりで渡り板を下りて来たとき、みんなはレイキーの若さに一驚した。こちらはみな断髪あるいはパーマネントだったが、レイキーはまだ黒い髪をうなじのところでまとめているから、まるで少女っぽく見えたし、それに体の線も若さを保っている。レイキーは一同を認めた。その緑色の目が喜びに大きく見ひらかれた。レイキーは手を振った。抱擁のあと(七人ぜんぶの両頬にキスし、一人一人距離をおいてしげしげと見つめた)レイキーは連れの外国人の女性を紹介した。


その男爵夫人は、レイキーの恋人だった。
最初はレズビアンということに衝撃を受けたグループの面々も、次第にそのことを受け入れ始める。
「喫煙室のモナ・リザ」と渾名されていた、大変な美人だったが冷たく人を寄せつけないところがあった学生時代より、はるかに人間的で、子供と楽しく遊ぶのだった。
そうしてふたりは、ふつうの夫婦のように、グループのメンバーと行き来するようになる。

間もなく、ケイが死ぬ。
ケイが結婚式を挙げたのと同じ教会で、季節もほぼ同じころ、葬式がグループのメンバーの手によって行われた。

 みんなが用事で忙しがっているあいだは、リビーは姿を見せなかった。グループのほかのメンバーが出し合った葬式の費用についても、リビーは知らん顔をしていた。去年の夏、リビーはピッツフィールドで結婚式をあげた。相手はリビーが斡旋してベストセラーになった歴史小説の作者である。……ケイの葬式の日の朝、リビーは息せき切って駆けつけ、来るや否やシェリーを飲み、ビスケットをつまんだ。……「ねえ、だれでもいいから教えてよ」と、リビーはビスケットをつまみながら言ったのである。「ほかの人には言わないから。ケイは跳び下りたの、落ちたの?」
 デイビスン夫人はその肥えた手で、いきりたちそうになったポリーの腕を抑えた。「エリザベス、ほかの人に言っても構いませんよ。言って下さったほうがいいと思うわ。ケイは落ちたのよ」「そう。それは警察の解釈かと思ってた」……「なんといっても、生きているケイを最後に見たのは、わたしですからね。亡くなる一時間ほど前だったかしら。夕食のあと、わたしがケイを呼んで、ラウンジで一緒にコーヒーを飲んだのよ。わたしは昔からケイが好きでしたからね。警察にも言いましたけど、そのときのケイはとても元気がよかったわ。完全に平静な精神状態でね。わたしたち二人は、チャーチル首相のことや、空襲のことや、アメリカの徴兵制度のことを話しました。ケイはサクス・フィフス・アヴェニューに就職の口があるとかで、その面接試験を受けるのだと言っていました。ケイは自殺のことなど考えていませんでしたよ。あの人が一時期、精神病院に入っていたことがなかったら、そんな疑問は初めから起こらなかったと思うわ」


会葬者の多い華やかな葬式の最中に、ハロルドが現れる。
芝居がかった仕草で教会中の注目を集め、墓地へ向かうときは、レイキーに近寄っていって同乗を願い出るのだった。「彼、レイキーを口説くつもりかしら」と心配するポリーに父親のアンドルース氏はおだやかに答える、「口説けばおもしろいことになるね、あの男爵夫人はブラス・ナックルズをつねに携帯しているそうじゃないか」

ハロルドの話を聞いているうちに、レイキーは心の底からうんざりしてきた。要するに、この男はただの見掛け倒しなのである。……だが、レイキーはまだこの男を罠にかけてやろうという気持に変りはなかった。ケイに代って、全女性に代って、そして何よりも馴れ馴れしく近づいてきた厚かましさにたいして、この男に罰を加えねばならぬ。

そうやって、レイキーはハロルドの口から、同性愛に対する狭隘な、ありきたりな言質を引き出させる。
怒ったハロルドは車から降りる。
墓地へ向かうレイキーの車のバックミラーには、ニューヨークへ戻る車をなんとかヒッチハイクでつかまえようろするハロルドの姿が映っていた。

このシーンでこの長編小説は幕を閉じる。

(明日はこの小説をめぐるちょっとしたおしゃべりを)