以前、小さな女の子と歩いているとき、向こうから車椅子の人がやってきた。
不意に、女の子は厳しい声で
「じろじろ見るんじゃありません」
とわたしをたしなめた。彼女のお母さんそっくりの口調で。
こんなこともあった。
前を歩いていた身なりの良い初老の女性ふたりが、急に立ち止まった。
「あんな人見たら、ほんまに気の毒になるわ」
「ほんまになぁ。よぉやってはるわ」
ふたりが歩を止めてまで見入ったのは、松葉杖を使いながら、大きく脚を外側に回転させて歩いていく人の姿だった。
わたしたちは「普通」とはちがうものを目にしたとき、「もっと見たい」という欲望を持つ。
けれども社会には規範があって、「見ても良いもの」「見てはならないもの」の間に厳しい線を引く。
その規範の強制力は、四歳の女の子にまで行き渡っているのだ。
「見てはならないもの」をそれでも「見たい」と思うとき、何らかのエクスキューズが必要になる。
初老の女性の、あたかも同情しているかのような口振り。
それさえ口にしておけば、自分の「見たい」という欲望も、免罪されるとでもいうように。
アーバスの写真は、その線を踏み越えるものだ。
見る者に対しても、踏み越えることを要求する。
「見てはならない」とされるものを見よ、と。
見ている自分のまなざしを自覚せよ、と。
規範の陰に隠れて、見たいという欲望を自らに問い直すこともせず、曖昧に目を逸らすのをやめよ、と。
彼女に投げかけられた当時の観衆のことば、「奇怪」「悪趣味」「覗き趣味」は、とりもなおさず、その写真を見ているその人のまなざしの意味だ。
アーバスの写真は鏡のように、「悪趣味」なまなざしで写真を見ている人の視線を、その人に向かって跳ね返す。
人びとは落ち着かなくなり、当惑する。
そこから自分の内側に降りていくのではなく、当惑を、それを見ることを強いたアーバスにぶつけたのだ。
アーバスが自死を選んだ原因は、さまざまに推測される。
慢性的な鬱病、抗鬱剤と経口避妊薬の併用からくる肝炎、60年代特有の性的放縦と、その一方での孤独、そして老いへの恐怖。
そして、自分の渾身の仕事に向けられる敵意。
ここでわたしはまったく無関係に、同じように自死を選んだ詩人アン・セクストンを悼んだアドリエンヌ・リッチの追悼文を思いだす。
「私はアンの名誉と記念のために、私たちがみずからを破壊する方法のいくつかを列挙したいと思います。自分をつまらぬものだとみなすこと、これが一つです。女は大きな創造活動をする能力がないという嘘を信じること。自分自身や自分の仕事を真剣にうけとめないで、いつも自分の欲求よりも他者の欲求のほうが必要性がたかいと思ってしまうこと。男をまねしているだけの知的あるいは芸術的作品をつくりだして満足すること。そうやって、自分をもお互いをも欺き、自分の十全の可能性に肉薄せず、その作品に、私たちが子供や恋人になら注ぐだろうような注意も努力もはらわないこと。
もう一つは、水平方向に向けた敵意――女への軽蔑、つまりほかの女たちは私たち自身であるがゆえに、ほかの女たちをおそれ、不信を抱くこと。「女はけっしてほんとうになにごとかをする気はない」とか、女の自己決定と生存(サヴァイバル)は男のおこなう「真の」革命の二の次であるとか、私たちの「最悪の敵は女である」とか、信じこむこと。……
もう一つの種類の破壊性は、相手を間違えた同情です。……
四番目は惑溺です。「愛」への惑溺――どことなく贖罪的な、女の生き方として、無私で犠牲的な愛の観念におぼれること。麻薬のトリップ、自分をごまかし、あるいはいけにえにする方法としての性への惑溺。抑鬱への惑溺は女である存在から抜け出すのに一番受け入れやすい方法です――鬱病者なら自分の行動に責任があるとはみなされず、医者は薬を処方してくれるでしょうし、アルコールはその空白をおおう毛布を提供するからです。男の与える是認への惑溺。性的にであれ、知的にであれ、それでいいと請けあってくれる男が見つかるかぎり、私たちはたとえどんな代価を払っていても、自分はこれでいいにちがいない、自分の存在はお墨付きなのだと、思いがちなのです。……
この四重の毒をきれいに洗い流すことができれば、私たちの精神とからだは、もっと安定した均衡をえて生き延び、構築しなおすための行動に向かえるでしょう。……
『書く女一人一人が生き残る者である』からです」(アドリエンヌ・リッチ『嘘、秘密、沈黙。』大島かおり訳 晶文社)
アーバスが生きていればいまどんな写真を撮るだろう、と思わずにはいられない。
アーバスは大文字の「時代」や「社会」などというものは撮ろうとは思わなかった。
けれども、人の視線の中に、わたしたちを見返すポートレイトの主人公たちに、まぎれもなくそうしたものは描かれている。
もうひとつ、思いだすのがポール・セローの『写真の館』(村松潔訳 文藝春秋)である。
主人公の女性写真家、モード・コフィン・プラットは、アーバスが直接のモデルではない。
リゼット・モデルを思わせるところもあるし、有名作家の連作などは、リチャード・アヴェドンの作品を連想させる。けれども、わたしはモードの中に、やはりアーバス、時代をしたたかに生き延びたもうひとりのアーバスを思わずにはいられない。
年老いたモードは、みずからの作品を振り返って、こう語る。
「この写真を見るのは本を読むのに似ている。長時間露光で撮った写真。人に見ることを教えてくれる写真。見る人は教訓を学んで立ち去るのだ。これを見たあとでは、もはやなにひとつ以前と同じには見えないだろう。世界が変わったわけではない。自分が変わってしまったのである」(『写真の館』)
(この項終わり)