陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

グレアム・グリーン 『破壊者』その4.

2004-10-28 19:35:10 | 翻訳
2.

 日曜日の朝、ブラッキー以外、マイクも含めた全員が、定刻通りに集まった。マイクはツイていたのだ。母親は調子が悪く、父親は土曜の夜のどんちゃん騒ぎで疲労困憊していたために、もし寄り道でもしたならどういう目にあうかわかってるだろうな、とさんざん脅されながら、教会はひとりで行ってこい、と言われたのだ。ブラッキーは、見つからないよう苦心してノコギリを持ち出し、さらにスレッジ・ハンマーを、15番地の裏手でさんざん探し回らなければならなかった。パトロール中の警官に出くわす怖れのある大通りを避けて、裏庭に面した路地から家に近づく。元気のない常緑樹が、荒れ模様にかすむ日の光をさえぎっている。今年のバンク・ホリデイにも雨を降らせてやろうと、大西洋上には雨雲が張り出しており、早くも木の下ではほこりが小さな渦巻きをつくっていた。ブラッキーはしみったれじいさんの塀をよじのぼった。

 人の気配がどこにもない。墓場にひっそりたたずむ墓石のように、トイレの小屋がぽつんと立っていた。カーテンは降りている。家は眠っているようだ。ブラッキーはノコギリとスレッジ・ハンマーをひきずって、どたんどたんと近寄っていった。結局だれも来やしなかったんだ。計画なんて、とほうもないデッチ上げだったんだ。朝起きてみたら、ほんとに目が覚めた、ってわけさ。だが裏口のそばまで来ると、ハチの巣から聞こえる微かな羽音のような、さまざまに入り交じった音が聞こえてきた。カタカタ、バンバン、シューシュー削っているような音、キーキーと軋む音、突然、耳をつんざく何かが割れた音。ほんとうだったんだ。ブラッキーは口笛を吹いた。

 仲間が裏の戸を開けて中に入れてくれた。組織化された雰囲気が即座に伝わってくる。ブラッキーがリーダーだったころの、行き当たりばったりのやりかたとは、似ても似つかないものだ。しばらく階段を上がったり降りたりしてTの姿を探した。だれも声さえかけてこない。とにかくすぐにTを見つけなくては、と思ったのだが、しだいにブラッキーにも計画が飲み込めてきた。外壁には一切触れず、室内をことごとく破壊しつくすのだ。サマーズはハンマーとノミで、一階のダイニングルームの横板をはがしていた。ドアの嵌木細工は、すでに彼の手で粉々になっている。同じ部屋でジョーが寄せ木張りの床板を引きはがしていたので、地下室の上に渡した軟材が剥き出しになりかけていた。横板の内側から転がり出たとぐろを巻いた電線を、マイクは床に座りこんで、幸せそうな顔をして切っていた。

 カーブを描く階段では、団員がふたり、役に立たない子ども用のノコギリで、一生懸命手すりを切ろうとしていた。ブラッキーの大きなノコギリを見つけて、口も聞かず、持ってきてくれ、と手招きした。つぎに通りかかったときには、すでに手すりの四分の一が、玄関ホールに落ちていた。やっと見つけたTはバスルームにいた。家の中で唯一、だれもなにもしていない場所に腰を下ろして、物思わしげな顔で、階下から上がってくる音に耳を傾けていた。

「ほんとにやったんだな」畏敬の念にうたれたブラッキーが声をかけた。「これからどうなるんだ」

「まだ始まったところさ」Tはブラッキーのスレッジ・ハンマーに目をやると、指令を下した。「ここで風呂と洗面台をやってくれ。配水管は気にしなくていい。あとでやる」

 戸口にマイクが現れた。「配線は片付けたよ、T」

「よし。今度は少しあっちこっち行ってもらわなけりゃならないぞ。地下室に台所がある。うつわでもグラスでもビンでも、手当たり次第になんでも毀すんだ。いまはまだ、蛇口をひねるなよ。水浸しにでもなったら大変だからな。それから、全部の部屋へ行って、引き出しという引き出しをひっくりかえすんだ。もし鍵がかかってたら、だれかに毀して開けてもらえ。本でもなんでも紙は全部破って、置物も粉々にする。台所から肉切り包丁を持っていったほうがいいな。ここの反対側に、寝室がある。枕の詰め物をぶちまけて、シーツは引き裂け。いまのところ、それくらいだな。それからブラッキー、ここが終わったら、廊下の漆喰もそのスレッジ・ハンマーで叩き壊してくれ」

「おまえは何をする?」ブラッキーがたずねた。「なにかすごいことを探してる」Tは答えた。

 ブラッキーが作業を終えてTを探しにいったのは、昼時に近いころだった。混沌はいっそう深まりを見せている。台所はガラスと陶器の大虐殺の跡。ダイニングルームは、床板がはぎ取られ、横板が取り払われ、ドアはちょうつがいごとどこかへ消え失せ、解体屋どもは階上に移動したあとだった。鎧戸の隙間から洩れる光の筋が差し込むのは、彼らの作業場、創造の場であり厳粛な場だ。そう、破壊とは、結局のところ創造の一形態にほかならない。この家のいまの姿を思い描くことができたのも、ある種の想像力ゆえだった。

「お昼ご飯に帰んなきゃ」とマイクが言った。
「ほかには?」Tが聞いたが、みんなはなんだかんだと口実をつけて、食べものを持ってきていた。

グループの面々は、廃墟になった部屋にしゃがんで、きらいなサンドイッチを交換した。昼食に三十分取っただけで、ふたたび作業が始まった。マイクが戻ったころには、最上階にかかったところで、六時までには表に出ている面の破壊は完了した。ドアというドアは消え失せ、横木ははがされ、家具は中味をごっそり抜き取られ、打ち壊され、粉砕された。眠る場所を見つけようと思ったら、砕いた漆喰を積み上げたところにでもするしかなさそうだった。Tは指令を出した。明朝八時集合、退出はひとりずつ、庭の塀を乗り越えて、駐車場から帰ること。ブラッキーとTだけがあとに残った。暗くなりかけていたのでスイッチを押してみたが、灯りはつかなかった。マイクはちゃんと仕事をしたのだ。

「すごいものを見つけたか」とブラッキーが聞いた。
Tはうなずく。「こっちへ来いよ。ほら」両方のポケットからポンド紙幣の束を取り出した。「しみったれじいさんのへそくりだ。マイクはマットレスを破ったけど、これには気がつかなかったんだ」
「どうするつもりだ、山分けでもするのか」

「オレたちは盗人じゃない。この家からはだれも、なにも、盗まないんだ。おまえとおれのためにとっておいたんだ――お祝いをするのさ」Tは床に膝をついて、札束を数えた。全部で70枚。「燃やすんだ」Tは言った。「一枚ずつ」ふたりは交替で紙幣を一枚ずつ手に取って頭上にかざすと、上の隅に火をつけて、炎がゆっくり指をこがすのを待った。灰色の燃えかすが宙をただよい、ふたりの頭上に霜を抱かせる。「やり終えたときの、しみったれじいさんの顔が見たいよ」

「じいさんがそんなに憎いのか」
「憎いわけないだろ。だったらちっともおもしろくない」最後の一枚の炎が、物思いに沈むTの顔を照らした。「憎しみだとか愛だとか、甘ったれのたわごとさ。『もの』があるだけなんだ、ブラッキー」Tは奇妙なかたちの影でいっぱいの部屋を見回した。半分だけの「もの」。毀れた「もの」。かつて「もの」だった「もの」。「送ってってやるよ、ブラッキー」

(この項続く)