陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ダイアン・アーバスを読む試み その3.

2004-10-21 18:49:47 | 


リゼット・モデルは当時アメリカで最も有名な写真の教師だった。
「カメラは探知の道具です……わたしたちは自分の知っているものや知らないものを撮影する……何かに目を向けるとき、それはひとつの問いかけであり、ときには写真がその答となるのです……言いかえれば、撮ることによって何かを証明しようというのではなく、それによって何かを教えてもらうということです」

ダイアンとモデルが初めてまとまった話をしたのは、主題についてだった。
「わたしが撮りたいのは、悪いものです」考えた抜いた末にそう言ったダイアンに、モデルはこう答えた。
「悪いものでも何でも、撮らなければならないと思う対象を撮らなければ、写真は撮れません」

モデルに励まされて、ダイアンは子どものころから直視するのを禁じられてきた人や場所を記録し始める。
「両性具有者、身体障害者、奇形者、死者と死にかけている人――そういう人たちから、彼女は決して目をそらさなかった。それには勇気と自立心が必要だった」と後年モデルはそう回想している。
「モデルは、多くの時間を費やし、自分の経験と知識をニュー・スクールのクラスに注ぎこみ、ダイアンには知る限りのことを教えた。すなわち、芸術においては何ごとにも完璧な答や手っ取り早い解決法はない、すべての写真家がそれぞれ異なった見方をする……見るというのは学習の過程であり、肝心なのは自分のテーマをひたむきに追求することで、さもなければそれは捨てたほうがよいのだ、と。ダイアンこそは、モデルが自身の姿として思い描いた写真家だった。ダイアンは人間としては弱かったが、芸術家としては強靭であり、モデルが目をかけたのもその点だった」

写真を撮らせてくれるよう、人に頼まなければならない。それは内気なダイアンにとって、なによりも辛いことだった。
けれども、ダイアンは写真の前に立つ人のことをよく知っていた。
「まさしくカメラの前に立つことによって、人は自分自身から抜けだして、客体となることを余儀なくされる……その人はもはや自己でなくなるのだが、それでも自らそうだと想像する自己になろうとする……人は自分の肉体から抜けでて他者の体内に入りこむことはできないのだが、それこそ写真がやろうとすることなのだ」

そうやって本格的に写真を撮り始めたダイアンは、38歳になっていた。
後年、その理由を『ニューズウィーク』のインタビューでこう語っている。
「女性は人生の第一期を結婚相手を見つけて妻となり、母となるための勉強にあてます。そうした役割を覚えるのにせいいっぱいで、ほかの役割を演ずる余裕はないのです」

だが、このころから夫のアランとは、次第に気持ちが通わなくなってくる。
アランはかねてから捨てきれずにいた舞台俳優になる、という夢を追って、俳優養成所に通い始めていた。ファッション写真の仕事は、生活を支えるために続けられなければならなかったが、それはアランにとって苦痛でしかなかった。
夫から写真の批評を求められると、厳しい、容赦のない批判を浴びせかけずにはいられないダイアン。
14歳で初めて出会ったときから愛し合い、才能を認め、導かれてきた夫とダイアンは別居するようになる。

ダイアンの写真は金にはならなかった。
それでも、グランドセントラル駅にたむろする浮浪者やサーカスの芸人の写真を撮り続け、数々の雑誌に自分の写真を持ち込んだ。
それをひたすら続けるうちにダイアンは初めての大きな仕事である『エスクァイヤ』から仕事をもらった。
ニューヨーク特集号に、当時『エスクァイヤ』の専属記者であったゲイ・タリーズや、作家のジョン・チーヴァー、トルーマン・カポーティが書いた記事に、ダイアンの写真を載せる、というものだった。

初めてダイアンの写真を見た当時のアート・ディレクター、ロバート・ベントン(後に映画『クレイマー・クレイマー』で脚本賞と監督賞を受賞する)はこう回想している。
「ダイアンは題材の重要性を知っていた。それに特異な題材を見つける特別な勘をもっていて、その対象にカメラで立ち向かう彼女の方法はまさに前代未聞だった。彼女は小人あるいは倒錯者だというのがどういうことなのかを表現できるようだった。そういった人たちに近づいていた――それでいて客観的な態度を保っていたのだ」

『エスクァイヤ』に採用されたことがきっかけとなって、ダイアンは『ハーパーズ・バザー』でも仕事をするようになる。
身長が8フィート(約240cm)もあるエディ・カーメルと知り合ったのはこのころだったが、十年近く彼の写真を撮り続けて、初めてネガからプリントに起こしたのはこの一枚だった。
http://masters-of-photography.com/A/arbus/arbus_jewish_giant_full.html
ダイアンは対象と会話を交わし、心を通わしながら、自分の求めるイメージを熟成させ、辛抱強くそのときを待った。そうして「この瞬間」を捉えたのだ。

ダイアンの仕事は、次第に芸術家の間で認められるようになっていった。


※引用は特に注のないかぎり、ボズワース『炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス』(名谷一郎訳 文藝春秋)に依っています。

(この項続く)