陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ダイアン・アーバスを読む試み その2.

2004-10-20 17:17:16 | 


ダイアンは1923年、ニューヨークに生まれる。
ロシア系ユダヤ人の父親のデヴィッド・ネメロフは、五番街に店舗を構える高級デパートラセックスの経営者だった。
両親のほかにメイドがふたり、料理人もふたり、運転手、後年、名高い詩人となる兄ハワードの乳母にダイアンの乳母。
そのような環境で、周囲から孤立し、聡明な兄と妹は特別な結びつきを持って成長していった(ダイアンが五歳の時、妹ルネが生まれる)。

14歳の時、ダイアンは放課後デパートに行き、ラセックス専属のファッション画家からスケッチの指導を受けるようになる。
そこの美術部で、ラセックスで働きながらシティ・カレッジの夜学で学ぶ19歳のアラン・アーバスに出会う。
一目見るなり、ふたりは「熱烈に愛し合うようになった」。

ダイアンの絵は非凡なもので「感情、色彩、質感、均整など、すべての点で申し分なかった。そのまま美術館に飾られてもよい作品だと思った。……しかし、才能に恵まれているという事実は、ダイアンにとってあまり意味をもたなかった。自分の才能を人に高く評価されると、ダイアンは当惑してしまった。才能なんて、爪や何かのように彼女の一部にすぎず、どうということもなかったのだ」と、当時の友人であり、後に『タイム』誌の美術担当編集者になるアレグザンダー・エリオットは語っている。

それだけ才能があったにも関わらず、ダイアンは絵を描くことを止め、進学もせず、「ただアラン・アーバス夫人になりたいだけ」と答えた。
『炎のごとく』にある、当時のクラスメートの証言が印象的だ。
「ダイアンは、とにかく自分の才能が恐ろしかっただけなのでしょう……彼女が恐れていたのは、才能ゆえに人から孤立してしまうことだったのです」

18歳になるのを待ちかねたように、1941年4月、アランとの結婚式をあげる。

両親は金持ちだったが、ダイアンとアランの生活はつましいものだった。
アランは写真学校に通うようになり、ダイアンは浴室に暗室を作った。アランは帰ると、自分が学んだことをダイアンに教え、そうやってダイアンはスナップ写真を撮り始めた。
1944年、従軍していたアランが報道班員としてビルマに派遣され、その不在中にダイアンは長女のドゥーンを出産する。
46年、アランが復員すると、ふたりはチームを組んでファッション写真の仕事を始めるようになった。

ふたりに最初の定期的な仕事をくれたのは、ダイアンの父親のデヴィッド・ネメロフだった。新聞広告用にラセックスのファッションと毛皮を撮影する仕事である。
以降、ふたりは徐々に名前を知られるようになり、『グラマー』『ヴォーグ』などのファッション誌でつぎつぎに仕事をする。
ただ、ダイアンはファッション写真の仕事を嫌っていた。
モデルは与えられた服を、ただ撮影の間だけ着せてもらうにすぎない。そのような写真を撮り続けることは、ダイアンにとって苦痛でしかなかった。「服が身体の一部になれば、着る人の個性があらわれるはずだ……そうなれば、服はすばらしいものになるし、違ったかたちで身体にフィットするだろう」

ダイアンの仕事の中心は、もっぱらアランの助手的な役割、スタイリストなどを一手に引き受けることだった。
すでにこの時期から、アランはダイアンが写真家として自分より優れた資質を持っていることに気がついていたが、「アランはこれを素直に認めたばかりか、そのことを口にした。兄か父親のようにダイアンの視覚的才能を誇りにしたのだ」
別の証言者はこう語る。「アランの技術はすぐれていた……問題はその技術を生かすはっきりしたアイデアがないことだった。そこにダイアンが登場するわけだ。彼女にはいつでも何かアイデアがあった」

1957年、あるパーティの席上で、ダイアンは友人から、スタイリストというのはどんな仕事をするのかを聞かれ、わけもなく泣き出してしまったことがあった。
以前から、慢性的な鬱病に苦しめられてきてもいたのだ。
この後、ダイアンはスタイリストを務めることをいっさい止め、まもなく「ダイアン・アンド・アラン・アーバス・スタジオ」はコンビを解消する、とアランは決めた。
アランは引き続きスタジオを運営するが、ダイアンは、ファッション写真と手を切って、自由に歩き回り、好きなものを撮影することにする、と。

しばらく、ダイアンは何をするでもない状態が続いた。
見知らぬ通行人を写そうとしても、ひどく内気なために声をかけることができないのだ。
写真のワークショップに参加したり、過去の写真家の作品を勉強したり。
そうしたなか、ダイアンは「極端」と「誇張」をテーマとするリゼット・モデルの写真に強く引かれるようになる。

そうして、1958年、リゼット・モデルが教えるニュー・スクールに入学手続きを取る。
写真家ダイアン・アーバスへと至る道の一歩を踏み出したのである。



当時アーバスが強く引かれたリゼット・モデルの写真は、ここで見ることができます。
http://masters-of-photography.com/M/model/model.html

(この項続く)