和食レストラン・讃アプローズで食事した翌日、タクシーで浜離宮恩賜庭園へ行った。
海水を引き入れた潮入の池と、鴨場、鷹狩場として徳川将軍家の別邸「浜御殿」となった。明治に入り、皇室の離宮となり、「浜離宮」となった。1945年東京都に下賜され、戦災による損傷を整備したのちに1946年から「浜離宮恩賜庭園」として公開された。
大手門橋を渡って、大手門から入る。
小学校の遠足以来だから、約70年ぶりの浜離宮だ。隅田川にかかる勝鬨橋がハの字型に開くのを見たような気がする。
橋の北側には、あの電通本社ビル。
一般300円で、65歳以上150円とバカ安。でも、80歳以上は100円とかないのか?
広々とした芝生、松、遠くにビル群が広がる。まだ9時の開園直後とあって外人さんなど人影まばら。
北西は汐留の新開発地区で、新しいビルが乱立。
手前の低い松は、六代将軍家宣が植えたと言われる「三百年の松」。
江戸時代、京都や大阪から船で運ばれて来た物資を江戸城に入れるための内堀。船着き場、荷揚げ用階段があった。
内堀へ入る水門。
春は菜の花、夏から秋はコスモスが咲き乱れるお花畑や、ボタン園があるが、今は何もない。行き当たりばったり旅行の極み。
畑の向こうに紅葉があった!
東京都のイチョウマークと「低圧」の文字があるマンホール。マニアでも見たことがない。レア―物?
海上保安庁(?)の船が何やらうるさい音を立てながらやってきた。
水上バスが航跡を残して消えた。撮ってやろうと、走ったけど間に合わなかった。発着所があるのだが、ここでは着のみ。
灯台跡
「将軍お上がり場」 歴代将軍が御成りする際に使用した。幕末、鳥羽伏見の戦いに敗れた(というか、勝てそうもないので、兵士を置いて逃げ出した)最後の将軍・徳川慶喜が大阪から船で帰還して、ここから上陸した。
「横堀水門」潮の干満を利用して東京湾の海水を「潮入の池」に引き入れたり、出したりする水門。
横堀
東京湾。遠くにレインボーブリッジが見える。
今の時期、広い庭園内のところどころに見かける花は「ツワブキ」(艶のある葉を持ったフキ)のみ。
潮入の池の向こう、真西に小さく東京タワー。
潮入の池の真ん中に「中島の御茶屋」が見える。
「お伝い橋」を渡って「中島の御茶屋」へ。「御茶屋とは、茶室と異なり、将軍の接待や休憩場所として建てられた建物」
ここからの眺めには定評がある。
ここで、上生菓子、抹茶セット(¥850×2)を頂いた。
「冬囲い」/「雪吊」が設けられていたが、雪、降るの?
よく見ると、けっこう手がこんでいる。紐の下には錘がぶら下がり、末広がりになるように竹で裾を広げている。天辺は紐をまとめて縛り、折り返している。実用性の他に、美的にも積み重ねてきたものがあるのだろう。
「中島の御茶屋」から「燕の御茶屋」への「お伝え橋」は「小の字島」を経由するが、藤棚があり、
藤が年代物だった。
燕の御茶屋
手前の見事な松
鷹の御茶屋。将軍が鷹狩に訪れた際に、鷹が出番を待つための建物。裏に鷹部屋があった。
鷹は毎年秋に野生の若鷹を捕獲した。種類は、鷹(ハイタカ、オオタカ)、隼(ハヤブサ、オオハヤブサ)。
これは、剥製
明治以降は、鷹に代わり、叉手網(さであみ)を使って鴨を無傷のまま捕まえた。
へばりつかれた樹
大きく広げた紅葉
この後は麻布台ヒルズへ。タクシーの運転手さんも遠くから見たことはあるが、入り方は分からないとのことだった。
次回は、都心観光シリーズ(7) 麻布台ヒルズ(明日UP)