hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

私の血液型判定

2008年10月27日 | 個人的記録

血液型性格判断は科学的には否定されていて、一種の遊びとして使われることが多い。何人か集まったときに、ふざけて互いの性格にケチをつけるのに使われたり、ちょっとした座談の種にすることが多い。また、「上司はA型で俺はOだから、まあしょうがないか」など人間関係でのもつれを自らに納得させるのに使うこともできる。

各血液型による特徴的性格は、一般的には、A型は几帳面、B型はマイペース、O型はおおらか、AB型は二重人格などと言われているようだ。しかし、本や語る人によって細かい点ではずれていることが多い。

「見てわかる心理学」(渋谷昌三著、ナツメ社)の49ページに、血液型性格判断を世に広めた能見正比古の著書を原典とする一般的血液型の特性が記述してあった。この表から、私に適合すると自分で思う特性を上げ、( )でその血液型を表すと以下になる。

○マイペースで束縛を嫌う(B)。
○型にはまらない考え方や行動をする(B)。
○周囲にとらわれず、慣習やルールを気にしない(B)。
○興味・関心に重点を置いた生き方とする(B)。
○実用的・具体的な考え方をする(B)。
○興味が多方面で集中力がある(B)。
○頭を押さえられるのを嫌がる(O)。
○判断や行動が現実的(O)。
○個性的な物事を好む(O)。
○あきらめが早い(O)。
○批判や分析を好む(AB )。
○対人関係に距離を置く(AB )。

各血液型で8-10個の特性が挙げられているが、私の場合は、B型6個、O型4、AB型2で、A型はひとつも適合しなかった。

ちなみに、私の実際の血液型はB型だ。父はB型、母がO型なので、遺伝子的にはBOだろう。




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引越しの付加サービス

2008年10月25日 | その他

引越し業者を呼んで値段交渉やサービス内容を確認した。話を聞いて、引越しにともなう付加サービスが充実しているのに驚いた。お金を出せばなんでも引き受ける感じだ。13年前の引越しでは、荷づくり、荷ほどきサービスぐらいだったと思う。

基本サービスは、梱包、搬出、輸送、搬入、セッティング、ダンボール回収と昔と同じだが、引越し後1年間は模様替えのための家具移動1回限り無料サービスが付加されている。

オプションとして、荷づくり、荷ほどき以外に、不用品引取り、家具・電気製品販売がある。付加サービスとして、エアコンクリーニング、ハウスクリーニング、フロアコーティング、水まわりコーティング、殺虫・消毒、地震対策、パソコンセッティング、行政手続き代行、ご挨拶品の手配、盗聴器探査などお金さえ出せば引越し業者に何でも頼めるようになっている。まさにワンストップサービスだ。

シニアパックとか言うのがあって、60歳以上の人に、引越し前に不要品のチェックや整理・整頓の相談、暮らしのアドバイスをするという。一体、どんなことを言うのか興味はあるが、60代で、不要品の相談を他人にする人がいるのだろうか。

私たちは、結局、基本サービスに荷づくりサービスを付加して、想定より安い値段となり喜んでいた。ところが、話が進むうちに、風呂や台所の掃除が楽になるという水まわりコーティングを付け加え、寝室用のエアコンを買わされて、結局ぐっと高い値段になってしまった。どうやら私もシニアパックにして、不要なものを付け加えないようにした方がよかったのだろうか。





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東京へ引越し

2008年10月19日 | リタイヤ生活
東京で生まれて30年暮し、東京の周囲を数年回り、横須賀で15年。そして、横浜のはずれに住んで13年。息子が独立し、今月家を出て行き夫婦二人になって、また東京へ住むことにした。


一軒家よりマンション
ウサギ小屋とはいえ現在の一軒家は夫婦二人には広すぎる。リビングと寝室があれば良いし、多くてももう一間あれば十分だ。階段を上がる2階など面倒なだけだ。それに一軒家は何かと手入れが必要で、年寄りにはきつい。管理人のいるマンションが良い。

購入より賃貸し
体が十分動かなくなっても、息子の世話にはなりたくないので、いずれはケアー付き老人ホームにでも入りたいと二人とも思っている。それまでの10年程度?をどこで暮らすかという話だ。いずれにせよ、将来はどういうことになるか不確定要素が多く、マンションを購入することはやめて、賃貸マンションを探すことにした。最近マンション価格が下がり始めているらしいし、もともと便利なところのマンションを買う金もない。
現在の家は売れるものなら売りたいが、誰かに貸せたらそれでも良い。マンションの家賃をいくばくか補えるだろう。

どこに住むか
1,2カ月、何回か滞在したことのあるオーストラリアのパースやカナダのバンクーバーは、気候の良い季節を過ごすのは良いが、冬は雨が多く陰鬱だ。また、移住するとなると、病院や、地元に溶け込めるかが心配だし、いずれ日本に戻ることになるだろう。それにそもそも移住ビザをとることが難しい。

退職前、私は将来、田舎に住んで畑仕事でもやりたいと思っていた。奥さんにそれとなく話すと、良い返事がない。目では、「田舎へ移るならあなただけ行ってください」と言っている。なさけないことに、あわてて、「いや、まあ、ちょっとどうかな、と思ってね」とごまかす。
奥さんのご希望は、東京の便利なところにあるマンションだった。いや、もちろん私も本当はそうでした。

なにしろ、一般的調査結果だが、「妻は退職後、夫と一緒にいる時間が増えることを喜んでいない」に書いたように、夢を追う男性に対し、女性は現実的だ。サン・テグジュペリの「愛は、たがいを見つめ合うことにではなく、同じ行く手をともに見すえることにある」との言葉どおりに、いたしかたない、同じ方向を向きましょう。私が。


二人とも、東京の西の方で育ったので、東京でも、北や東や南の方は土地勘がなく、なんとなく住もうという気になれない。かといって、若い頃ウロチョロした人込みの都心部は、郊外暮らしが長くなり、もはや頭が痛くなってしまう。そもそも、ふところが耐え切れない。
結局、奥様の実家の近くで探すことになった。

マンション探し
奥様が毎日のようにインターネットで探したが、ぴったりのところはなかなかない。
先日不動産屋へ行って、いろいろな物件を紹介してもらった。買物、環境などの場所、新しさ、セキュリティ、広さ、家賃、日当たりなどの条件の優先順位を決めないとなかなか絞れない。結局、地図と見取り図などで絞った4つの物件を不動産屋の車で回った。最後のまあまあという物件で即決した。奥様が。

駅まで歩くと20分位なのが辛いがバスもあり、繁華街までは10分程度で歩ける。築3年ほどで新しい。敷地内には鍵でドアを開けて管理人の前を通り、もう一つのドアを鍵で開けて入るというようにセキュリティはまず安全だ。多少狭いが、3年の定期借家なので、相場より安い。日当たりは良くないが、我慢できる程度だろう。
まあしばらく住んでみて、我々や義母の健康状態、息子の家庭の状況などにより、また考え直せばよい。一瞬先はわからない年寄りは刹那的で良い?

契約
マンションの賃貸契約にあたって、退職して年金と不動産収入しかない私は、家賃保証会社に年金支払い通知書の写しを送り、所定の金を支払わねばならなかった。その上、息子に保証人になってもらう必要があるとは、なんとなく惨め。

引越
そんなわけで、まだ引越し日は決めていないが、住居面積が半分になることもあり、しばらくは大幅に荷物を整理し、捨てないといけない。諸手続きもあり、エネルギーが必要で、このブログも休みがちになるだろう。

東京から横須賀へ引越したときは、「とんだ引越し」に書いたがひどかった。朝10時に来るはずの引越屋が4時に来て、荷物を降ろし引越しが終わったのが夜中の2時。今回の引越しは簡単に済ませたいものだ。


あたらしい地域、家での生活は楽しみでもあるが、この歳で若干の不安もある。とくに、家の中の何処にあるか、物を探すことが多い昨今、引越して物の配置が大幅に変わったあとで、混乱が続くのではないだろうか。一生懸命探しているうちに、何を探しているのか忘れそうだ。




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脱輪の思い出

2008年10月18日 | 個人的記録

車の運転は好きでない。とくに下手というわけではないが、面倒くさいので、ついつい乱暴になる。車には興味がなく、なんでも動けばよい。車を買うときも、奥さんと息子に任せている。

東京に居たときには車の必要性を感じなかったので免許を持たなかった。横須賀へ移って30歳過ぎて免許を取って車を買った。

通勤路には狭い道があった。すれ違うためにタイヤを溝ギリギリに止める。自分であまりにギリギリなのに惚れ惚れする。対向車をやり過ごしてから、ハンドルを右に切っただけで、溝の淵に並行になっていたタイヤがズルズルと溝に落ちていって脱輪。
後続の車の人が出てきて車を持ち上げてくれて、脱出。

近道しようと、畑の中のあぜ道のような細い道に入って曲がったところで行き止まり。細い道を窓から首を出して道の端を確認しながらかっこよくバックする。突然、後ろ右がガクンと下がる。降りてみると、来たときは気がつかなかったが、木の橋になっていて、道より右側が狭くなっていて脱輪。
ひとけがなく長らく待って、通りかかりの農家の人が人を集めてくれて、車の後部を持ち上げて脱出。

落ち葉が積もる細い山道を快調に進む。思わぬところで対向車が来た。すれ違うためにかっこよく、山側の端ぎりぎりに止めた。ガクンと左前が落ち、ベテランの私はすぐ脱輪と分かる。降りてみると、一面の落ち葉の下は溝になっていて、脱輪。
傍にあった材木をタイヤに下に入れて一人で脱出。

箱根の山道をカーブしながら快調に飛ばす。富士山が余りに綺麗なのに、後ろの家族がちっとも見ていないので、おもわず、「ほら!富士山が・・・」といったとたんに脱輪。たまたま、見晴台のある駐車場の入口近くだったので、幸運にも車ごと谷に落ちず、溝に落ちて脱輪。
対向車線のトラックの運ちゃんが降りてきて手伝ってくれて脱出。



思えば、乱暴で車を大切にしない運転手だった。

子どもが車に触れようとすると、「触っちゃだめ!」とどなった。「触ったら手が汚れるだろ」車はほとんど洗わなかった。

車をぶつけても平気だった。大谷石の崖にバックして、ドンと音がしてから止める。バンパーなんてそのためにあるのだからと考えていた。新車のときも、ドアをこすってもそのまま。車は走ればよい。

パースからアルバニーへドライブ」に書いたが、若いときは乱暴でスピードを出していたようだった。もうそろそろ、落ち葉、じゃなくモミジマークの私は今じゃそんな元気はありません。
 





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保坂隆「平常心」を読む

2008年10月17日 | 読書2

保坂隆編著「平常心 -人間関係で疲れないこつ-」中央公論新社2008年9月発行、中公新書ラクレ289、を読んだ。

裏表紙にはこうある
―――
私たちはギスギスした生活の中で平常心を失いがち。ここ一番という大切な場面でマイナス思考になる。そうならないためにどんな方法が必要なのか。精神医学の専門家がまとめて紹介する。
―――

大事な試合や、重要な会議になると、アガってしまい、失敗する。小さいことにクヨクヨする、まわりの声が気になるという人がいる。
かわし方、さらりと受け流し方、迷いにピリオドを打つ方法など心のバランスをとり、平常心を保つためにすぐにできる63の心がけ、心を鍛えるコツを精神医学の専門家が教えといううたい文句だ。



前半はたいていの人が分かっているが、なかなかできないことが書かれている。
「プロローグ」には、“失敗は次にミスをしないようにするためのステップだと考えてしまったほうが良い”、“人間の精神には、すばらしい復元力(ホメオスターシス)がある。・・心のバランスをとるためには、忘れることも必要なのである。”

「第1章 小さなことでクヨクヨしない-平常心を知るために」には、“イライラし過ぎると平常心が失われる”、“自分は自分、他人と比べない”などだ。

「第2章 人間関係で疲れない-平常心を身につけるために」でも、“減点法ではなく加点法で相手を見る”、“無理をして人とつき合う必要はない”などが並ぶ。タイトルだけだと当たり前なのは当然だが、内容も「これだ!」という具体例はない。もっとも、心のあり方に関するハウツーものを読んだだけで、すっきりと悟ることができるはずがない。この本を読んで、それを契機として自分でいろいろ考えて、人間関係で悩むことが少なくなる自分なりの方法を会得するのだろう。
“満員電車の窓から富士山が見えた。それだけで今日は良い日だと思うようにする。そうすれば、平穏が得られる。” そういえば、「明日(あした)と言う日は、明るい日と書くのね」という歌詞があったのを思い出した。

具体的に著者が勧めるのは、一人で楽しめることを持つことや、一日一回何も考えず自分自身に意識を集中する時間を持つことなどだ。

そして、第3章 まわりの声を気にしない-平常心を失わないために、第4章 弱気にならない-平常心を発揮するために、第5章 アガらない・ドキドキしない-平常心を鍛えるために、と続く。

最後は、“とにかく笑顔をつくってみる”で終わる。米国のビジネススクールの卒業記念品の小型のチェック鏡を持ち歩いている人がいる。鏡には笑顔マークが薄くプリントされていて、自分が笑顔になっているかチェックできる。気持ちが荒れているときでもともかく笑顔を作ってみることを著者は勧める。



著者の保坂隆は、慶應義塾大学医学部卒業後、同大学精神神経科入局。1990年より2年間、米国カリフォルニア大学へ留学、1993年東海大学医学部講師、2003年教授。日本総合病院精神医学会理事、日本サイコオンコロジー学会理事、日本スポーツ精神医学会理事。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
この本を契機としていろいろな場面で心のあり方を具体的に考えてみたい人にはお勧めできる。



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振り込め詐欺・オレオレ詐欺被害防止

2008年10月16日 | 世の動向

今日、駅構内のATMで通帳に記帳しようとしたら、警察官を寄ってきて「オレオレ詐欺が増えてますから・・・」と言ってビラを渡された。
確かに今日は年金振込日の15日で、私はどうみても年金生活者だ。

帰り道、気をつけてみるとほとんどのATMのそばに警官が立っている。それにしても、普段気にしないATMが方々にある。
帰ってニュースを検索すると、「現金自動出入機(ATM)の8割にあたる約8万1千カ所を、約5万6千人の警察官が警戒する大規模な態勢をとった。」とある。ATMは全国に約10万台あるようだ。

5万6千人で一人一日1万円としても5.6億年。なんとも大変なコストと思うが、今年は8月末までで既に213億円。1日平均約63件、約8800万円の被害と聞くと、やむを得ないのかも。

それにしても、何でそんなものに引っかかるのかと思う。渡されたビラには以下のように詐欺の手口が紹介されている。

“犯行の数日前に電話を入れ、「カゼひいて気管支を痛めている」などと普段と声が違うとの話をしておく。次に、「携帯電話が壊れて番号が変わった」と言い、本人に確認できないように仕向ける。
敵もさるもの、あらかじめいろいろ手を打っておいてから、だましにかかるらしい。

対策として、一つは、携帯番号が変わったと連絡があったら、必ず前の番号に確認すること。二つめは、家族間で通用する合言葉(ペットの名前など)を決めて、本当の家族かどうか確認するとある。二つめを電話のたびに実行するのはちょっと恥ずかしい。

まあ、私たちの場合は、まったく親を頼ろうとしない息子だから関係ないだろう。とかいって、珍しく弱みを見せて頼ってきたと思ったら、嬉しくてホイホイと振り込んでしまったりして!

だまされたと知ったときの親御さんの惨めな気持ちを考えると、一人でも多くの犯人を逮捕して欲しい。詐欺と分かっても、ある段階まで口裏を合わせて、犯人の口座番号や電話番号から逮捕への糸口をつかんだり、自宅などへ出向いてきたら警察へ連絡しておいて捕まえるなどはできないものだろうか。



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六本木ヒルズへ

2008年10月14日 | 行楽

法事で久しぶりにお寺に行った。
このブログの左の欄の下の「このブログ内の検索」に“墓参り”と入力したら、2007年1月24日の「墓参りへ」が出てきた。ブログは日記というが、墓参りが1年9ヶ月ぶりだということが分かった。


本来は墓などというものが不要と考えているので、ついつい親不孝してしまうようだ。お墓の必要性については、「自らの死に方と残された家族の思い」に書いた。



家族だけの法事が終わり、近くの六本木ヒルズで昼食とした。ヒルズは2回目だが、何から何まで珍しい。まず駐車場に驚いた。床が平ところに車を頭から入れる。



壁と思っていたシャッターが開き、車は自動的に左方向に横にずらされて、シャッターの中に消える。帰りには、駐車カードを入れて料金を払い、数分ほど待つと、右のシャッターの中から車が出てくる。車の後ろが手前になっているのでそのまま前進で出られる。





ヒルズ内はくねくねした三次元迷路のようで、田舎者はキョロキョロするばかりだ。




GRAND HYYATT TOKYOを上に登るとそこもまた迷路のようだ。



ようやく目的の鉄板焼きの店、けやき坂に着く。目の前の鉄板でコテとナイフをたくみに操り、料理を作る。3種類のコースを同時進行で手際が良い。2つのコースのメインがこれで、極めて美味。さすが、ミシュランの一つ星。




一人当たり7千円は場所と値段の割りに満足いくものだった。コースの最後のコーヒー、紅茶になると、別室のテーブル席に移り、ゆっくりできる。

日曜日の昼時だが、ほぼ満席で、見渡すと、3組ほど小さな子ども連れもいる。小さいうちから、こんな美味しい贅沢なものを食べていて良いのだろうか。
子どものころは、すいとん、ふかしたさつまいも、グリンピース、おからがわずか食べられるだけで、いつもひもじい思いをしなくてはいけないのだ。ちょっとむきになる私がいた。





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選挙結果

2008年10月13日 | その他

“俺が俺が”の麻生さんが色紙に書いたという。

「俺がやらなきゃ、誰がやる」

選挙が終わったとき、“が”の点2つが消えていた。




「俺がやらなきゃ、誰かやる」


おそまつでした。



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三浦朱門「わが老い伴侶の老い」を読む

2008年10月10日 | 読書2
三浦朱門著「わが老い伴侶の老い-老年を愉しむ13の戒め-」2002年1月、海竜社発行を読んだ。

著者三浦朱門が6年前の76歳のときに、親たちを見て思ったこと、自分の、そして伴侶の老いを感じて老後について思うことを綴っている。著者は、老後に自然体で向き合い、やわらかな感性で愉しもうとしている。
この本は6年前の出版で、現在ではどなたでも“老いを愉しもう”と言っているので、結論については、新鮮味は感じられなかった。

13章からなるエッセイで、自分のことはもとより、父母、義母、妻の曽根綾子など家族や、知人の具体的で、かなりプライベートな老いの姿を引き合いに出して、老いるとどうなるかを述べている。



13章は以下のとおり。

元気な老人はどう生きるべきか、死ぬべきか
親たちはどう老い、どう死を迎えたか
親の死で思ったこと
四十にして惑う
三つの世代を生きる
男ざかりを倍に生きる
自立した老人にもボケはやってくる
身体の衰えをどう補うか
老いた身体とのつきあい方
自分のための自分の人生を愉しむ
人間は限りなく奥深い存在である
月夜よし、七十五歳の私にはまだ発見がある
人生は年老いて一杯の暖かい飯とささやかなおかずがあり、暑さ寒さをしのぐ家があれば、それで大成功!!



著者、三浦朱門は、1926年東京生まれ。東京大学文学部卒。日本大学芸術学部で教えながら遠藤周作、吉行淳之介らとともに第三の新人と呼ばれる。1985‐1986年、文化庁長官。妻曽野綾子ともにカトリック信徒。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

年取るとどうなってくるかが、父母、義母を例に説明されるが、私にはすでに身近な話で、共感はするが、あまり面白みはなかった。

老いには関係ないが、妻の曽根綾子が、新婚で出産し、流行作家になり、完ぺき主義者であるがゆえに、睡眠薬と覚せい剤を使って原稿と家事をこなし、10年たってうつ状態になり、あらたな小説はかけなくなる。さらに10年たって40代で白内障となり失明に近い状態になる。しかし、やがて、外国旅行などするうちに、少しずつ回復する。
彼女が、神経を病んだ女性とその夫を主人公にして小説を台所の食卓の上で書き始めたその日の朝のことを著者は生涯忘れないだろうという。





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山本文緒「再婚生活」を読む

2008年10月08日 | 読書2


山本文緒著「再婚生活」2007年5月、角川書店発行を読んだ。

山本さんが「うつ」で苦しんだり、入院したり、そして回復しつつある時期の日記だ。2003年から2007年にかけて、本当に病状がひどい時期を除いて、断続的に「野性時代」に連載されたものだ。
日付と短いときは数行の、作品というより、おそらくはほとんどありのままの日記だ。もちろん、そこは作家なので誇張、受け狙いはあるだろうが。

前半はうつがひどく、過眠と不眠を繰り返す。
―――
“過眠期は12時間以上寝ても起きた瞬間にもう卒倒しそうなほど眠くなる。不眠期は一日中眠くて、眠いのに眠れない。過眠期には体は楽だが、また何もせずに一日が終わってしまった罪悪感にやられてうつスパイラルに入るので、不眠期の方が精神的には楽かもしれない。”
―――

すこし回復してきて、山本さんは思う。
―――
“ずっと私はうつになった原因は、なにか心因性のものだと思っていた。仕事上のいろいろなストレスや引越しや再婚で、感情のバランスが狂ったのだと思っていたけれど、そうじゃなかったと最近しみじみ思う。だいたいその「外から攻撃された」という被害者意識がまずいけなかった。
私の場合、悪い体が黒い心を生んだのだと思う。”
―――

このように、浴びるようにお酒を飲み、どんどん煙草を吸い、油物や肉を毎日食べて、体も心も重くなったと考えるようになった。
実際、この日記を読んでいる私も、前半部はこんな生活じゃ、悪いほうへ悪循環していくだけだなと思った。しかし、こんな状態の中でもなんらかの作品を書いているのだから、作家の業(ごう)と言うものは恐ろしい。

日記にときどき有名人が出てくるが、大半はご主人と秘書と出版社の人で、作家にもよるのだろうが、作家といってもごく狭い世界で暮しているのだと思った。

山本さんの再婚相手で、文中「王子」と呼ばれる人(職業は雑誌の編集長)は偉い。ほぼ回復してから、夜、お酒を飲みながら、彼が言ったことが書かれている。
―――
“私にでていけと言われて車で家を出て、首都高をぐるぐる走っていたら電話がかかってきて帰ってきてと言ったそうだ。それは我ながらひどい。王子は私が入院している頃は掃除ばかりしていたらしい。掃除をしているときしか気が紛れず、そんなつらい気持ちを誰にも言えなかったそうだ。今更だけど、ごめんなさいと謝った。”
―――



山本文緒の略歴と既読本リスト



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

私はうつになるとどうなるのか、回復過程では、と興味があった。また、作家というものは、とても仕事などできないような厳しい状況と戦いながら、むしろそういったときのほうが、素晴らしい作品を創造する場合があり、どうしてと思っていた。そんな意味でこの本は私には面白かった。
陰鬱な話がつづく日記だが、著者は根っこのところでユーモアがあり(大学では落語研究会)、作家として当然ながら自分を客観的に見る目も持っている。しかし、うつなど暗い話はいやという人は、だらだら続く日記など読みたくないだろう。



巻頭に小さな写真が何枚もあって、山本さんの写真がある。文中に出てくる自分で手編みしたマフーラーをしている。ぽっちゃりして想像していたより可愛くて美人だ(どういう意味?)。とぼけた顔の「王子」の写真(多分)もある。







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島田裕己「日本の10大新宗教」を読む

2008年10月04日 | 読書2

島田裕己著「日本の10大新宗教」幻冬舎新書、2007年11月発行 を読んだ。

裏表紙にはこうある。
―――
多くの日本人は新宗教をずっと脅威と好奇の眼差しで見てきた。しかし、そもそも新宗教とはいかなる存在なのか。「宗教」の概念が初めてできた明治以後それがいつどう成立したか案外、知られていない。超巨大組織・創価学会に次ぐ教団はどこか、新宗教は高校野球をどう利用してきたか、などの疑問に答えつつ、代表的教団の教祖誕生から死と組織分裂、社会問題化した事件と弾圧までの物語をひもときながら、日本人の精神と宗教観を浮かび上がらせた画期的な書。
―――

題名にある「新宗教」とは、差別的で否定的イメージがある「新興宗教」に代わる言葉として1970年代から学者の間では一般的に使われている。
また、著者によれば、日本人は自分たちを無宗教と考えるが、これは生まれたときから仏教と神道という既存宗教の信者になってしまうからで、無宗教ではないとの話だ。



1. 天理教、2. 大本、3. 生長の家、4. 天照皇大神宮教・璽宇、5. 立正佼成会・霊友会、6.創価学会、7. 世界救世教・神慈秀明会・真光系教団、8. PL教団、9. 真如苑、10. GLA
について述べている。


上記1,2,3,4など江戸後期または明治時代に始まった新宗教は、突然神がかりするようになった女性を教祖として始まり、神道の影響や、すでにあった新宗教の流れを受けながら病気を治すなど現世のご利益を売りものに徐々に大きくなって団体が多い。そして多くの場合、革新的な二代目教祖あるいは実質指導者が現れて大きく発展する。
そして、戦争中の国家統制の中で弾圧を受けるが、戦後新体制でさらに発展する。しかし、社会の変化の中で活力を失って、社会へ定着していく。
これが古い新宗教の典型的な流れだ。

高度経済成長の時代に巨大教団に発展したのは、仏教系(日蓮、法華)の(上記5,6,7,8,9、10)だ。

立正佼成会は当初神のお告げ、姓名判断で発展したが、こうした救済方法は教団の近代化を進める上で妨げになるとして次第に霊的な救済手段を表にださないようになっていく。

霊友会は先祖供養を信仰の核として発展したが、1971年就任した東大インド哲学科博士課程終了の二代会長が「インナートリップ路線」を掲げ若者を取り込んでいった。しかし、内部対立から2004年には分派独立し、若年層の人間関係希薄化のなかで集う行為さえ成り立たなくなって転換点にさしかかっている。

創価学会は、自分たち以外の信仰はすべて正しくないと考え、近年多少おとなしくなってはいるが、強引な折伏(しゃくぶく)による布教活動や、外部団体への強力な対応で恐れられている。また、霊的な信仰、先祖供養の重要性を当初から否定する点で従来の新宗教とは異なっていた。
高度経済成長の停止とともに創価学会の伸びも止まった。しかし、大規模な人的ネットワークが地域その他に広がっており、会員の子どもや孫に信仰を継承させるなどして組織を保持している。

真如苑では、普通の格好をした霊能者が信者に3分程度アドバイスを行う。それは神がかりというよりカウンセリングに近く、スピリチュアルな病院といった様子だ。穏健で癒しを与え、集団行動を要求しない点で創価学会と対極にある。この点により、現在でも勢力を拡大している数少ない団体だ。



著者は、1953年生まれ。宗教学者、文筆家。日本女子大教授だったときに、オウム真理教の施設が神聖な宗教施設とする発表をした。また、学生をオウムの信者に勧誘したなどと誹謗中傷され、大学を追われた。その後、名誉棄損裁判に勝訴し、現在は東大先端科学技術研究センター特任研究員。

同じようにオウムを賞賛しながらバッシングも受けずいまだ人気を保っている中沢新一氏について、島田氏は「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」という本を書いて厳しく批判したようだ。私はこの本は未読だし読むつもりもないが、評判では明解な根拠がない決め付けが多いようだ。



以下、下世話な話題をいくつか。( )は私のコメント。

天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)は1948年数寄屋橋公園で20名ほどが無念無想で踊りくるい、「踊る宗教」と話題を集めた。
岸信介が戦争責任を問われ巣鴨拘置所に拘留される前に山口県田布施の実家に戻った。同地の出身の教祖の北村サヨがやってきて、「3年ほど行ってこい。魂を磨いたら、総理大臣として使ってやるわい」と言った。岸が総理大臣になると、サヨが上京して岸のもとを訪れ「どうだ、岸、オレが言うた通りになったちゃろうがア」と言い放った。岸は、「お蔭をもちまして」と答えていたという。

現役引退後の双葉山は璽宇(じう)に入れ込み、1947年検挙に入った警察に対し大立ち回りを演じ幹部とともに検挙された。(横綱の品格などもともとそんな程度だと思う)

1980年代なかば、真如苑には沢口靖子、高橋恵子、鈴木爛々、松本伊代、大場久美子が入信していると伝えられた。






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こども自然公園草地広場と、公園への道

2008年10月02日 | 行楽
二俣川駅から徒歩15分ほどのところにある「こども自然公園」(通称 大池公園)に行った。前回の公園の紹介に続き、今回は、東戸塚へ向かう道を越えたところにあり、あまり知られていない草地広場と、二俣川駅から公園への道沿いをご紹介。

入口を入って右手の桜山をのぼり、ふれあい樹林を過ぎたところで戸塚カントリー倶楽部への道路をまたぐ「ふれあい桜橋」を渡る。橋を渡り、板敷きの歩道を行くと林に入る。

     


急に奥深い森に入った雰囲気になる。草木が道に覆いかぶさり、人気が少ないので夜はとても歩けないだろう。
この林を抜けると、畑に突き当たる。横に行くと、まさに草地公園といった広い芝生の広場にでる。ベンチ以外ないが、小川も流れ、土日でも人気も少ないのでのんびりとした気分になれる。






以下、二俣川駅から公園への道沿いをご紹介。

二俣川駅から南口へ出て坂道を登って行く。このまま坂を下りると公園へ着く。ここでは、登りきったところの交差点を右に曲がる。100mほど行くと、明治25年に地元有志により建立された畠山重忠公遺烈碑がある。




畠山重忠は鎌倉幕府創業の功臣であり、武勇に優れ、清廉潔白で「坂東武士の鑑」と言われた。しかし、頼朝亡き後、初代執権北条時政によって謀反の疑いをかけられ、一族とともに滅ぼされた。
重忠は「鎌倉に異変あり、至急参上されたし」との虚偽の命を受けて130騎ほどを率いて埼玉県比企の舘から鎌倉に向かった。父時政の命により、北条義時は3万騎を率いて武蔵国二俣川に陣をひいた。これが当地、「万騎ヶ原」の起源となった。重忠は二俣川から鶴ヶ峰にわたる戦場で奮戦し、討死にした。時は1205年、享年42歳だった。

その後、人望のあった重忠を殺したことで、時政は御家人たちの憎しみを受け、やがて子どもで二代執権となる義時により出家させられ、伊豆国へ追放された。
鶴ヶ峰にある旭区役所近辺には、畠山重忠を偲ぶ史跡がいくつかある。



以下、畠山重忠公遺烈碑からこども公園へ至る途中の人家に咲いていた花をご紹介。
















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