hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

昔の思い出 (8)小学校へ入学

2007年02月28日 | 昔の話
今から60年近く前のこと、私の小学校への入学の日は雨だった。母の傘の中で手をひかれてズックのかばんを下げて近所の親子と一緒に小学校へ行った。近所のお金持ちの子はランドセルを背負い、ゴム長靴で水たまりをピチャピチャさせていた。ズックは恥ずかしくなかったし、ランドセルも欲しくなかったが、長靴はうらやましかった。しかし、同時に家が貧しい事はわかっていて、自分には関係ない世界であることも良く解っていた。
幼稚園に行く事が今ほど一般的でなかった当時、小学校ははじめての集団生活であり、今以上の緊張感と期待でわくわくし、雨も、貧しさも楽しかった。

授業の最初の日、先生が笑顔一杯で話しかけているとき、誰かが窓から雨の降る校庭を見て叫んだ。「おおーい、傘をさして誰かくるぞ!」 先生が止めるまもなく、皆総立ちになり窓に殺到した。 背伸びしても外が見えない子が多く、「良く見えない!」と声をあげた。 そこで僕が机の上に立ち、「机にのればよく見えるぞ!」と皆に得意げに教えてやった。先生が冷たく言った。「机にのってはいけません! それは悪い子のやることです」 
半世紀以上たった今でも、あの驚きと、そして哀しみが心に戻ってくる。

そう言えば、当時、おそらく1950年頃、都内山の手の私の通っていた小学校は二部授業だった。子供の数に比べ充分な校舎がなかったためであろう。午前中授業、午後休みの翌日は、午前中は休みで午後に授業がある。昼飯を食べてから登校し、午前の組が授業しているとき、廊下で授業が終わるのを待っている。この思い出もなぜか外は雨で、私はしずくのしたたる傘を下げている。木造の校舎の、油を引いて、こげ茶色になった板バリの廊下のあの臭いが漂ってくるような気がする。


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昔の思い出 (7)小田急ロマンスカー

2007年02月27日 | 昔の話

私の通った小学校はほぼ並行に走る小田急線と京王線の間にあり、子供たちは、小田急派と京王派に別れ、自慢と、けなしあいをしていた。
私は子供の頃、小田急線の線路から数十メートルのところに住んでいたので、当然小田急派だった。京王派は、「小田急って国鉄のお古の車両だろ」、「京王なんて4両あるんだぜ。小田急は2両か?」などと言う。しかし、こちらには、ロマンスカーがある。いつもこれで相手を悔しがらせられた。

小田急にはロマンスカーと呼ばれる特急が走っていた。今は騒音苦情で鳴らさなくなってしまったが、当時は遠くからサイレンのようなピーポー、ピーポーという音を鳴らしながら走ってきた。外で遊んでいるときにその音を聞くと、崖をよじ登って、線路ぎわでロマンスカーがやってくるのを待つ。高いサイレンの音を響かせていたのが、目の前を豪快に一気に過ぎ去ると、とたんに低音でなんだか間延びしたピイーイー、ポーオオーとなり、あっと言う間に、まっすぐ延びた遠く線路上へ消えていってしまう。決して行けない遠い世界へ点となって、甘酸っぱい子供のロマンを乗せて。


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競馬の神と呼ばれた男

2007年02月26日 | その他


競馬でもうける唯一の方法は予想屋になることだと言う。しかし、約75%が払い戻される競馬でもうけることは不可能ではない。私の必勝法は本命にかけることである。とくに、ダービーなど大きなレースでは、普段投票しない人がロマンを求めたり、穴を夢見て確率を無視した投票をするので、相対的に本命のオッズは実際の確率より高めになるはずである。そこで、実利を求める私の出番となり、結果として実際に生涯合計ではわずかながらプラスを保っている。
しかし、以下の記事を読んでから、あまりにもセコイ私の考え方が惨めになり、競馬から足を洗った。

先日戸棚を整理していて、その記事、2003年7月5日の朝日新聞の切抜きが出てきた。タイトルは「常道外れた競馬の「神」」「宝塚記念2億円的中」である。当時の2チャンネル情報などと合わせて、若干構成しなおしてみた。

2003年の6月28日、ウインズ新橋で一人の中年男性が6月8日の安田記念のアグネスデジタルの130万円の的中馬券を差し出し換金した。単勝9.4倍だったので1222万円だ。透明プラスティックの仕切り越しに札束が男性に渡った。この日は宝塚記念の前日だった。

まもなく、翌日の宝塚記念の9.7倍を示していたヒシミラクルの単勝オッズが一気に1.7倍の圧倒的一番人気となった。不審に思ったJRAの職員が調べてみると、一人の客がヒシミラクルの単勝を1222万円分購入したためだった。まちがいなく、さきほど安田記念の的中馬券を払い戻した男性が、パドックや天候も確かめず、全額1222万円を宝塚記念の穴馬に突っ込んだのだ。一度に1万円札は20枚しか入らない発券機に60回以上投入を繰り返したのだ。おそらく何かにつかれたように。

このヒシミラクルという馬はこれまでにも、菊花賞、春の天皇賞とGIを2勝しているが、ムラのある穴馬であり、最終的にこの宝塚記念の単勝オッズも6番人気、16.3倍に落ち着いた。

そして、なんと、この16.3倍のヒシミラクルが宝塚記念に勝利したのだ。その払戻金は1億9918万6千円の高額となった。

競馬ファンの間では、安田記念でかけた130万円の元手は、6月1日の日本ダービーで2.6倍の単勝に50万円をかけて当てたものとの話がある。あるいは、NHKマイルカップに 5万円で26倍を当てたとの話もある。

1000万円単位で購入する客はけして特異ではないという。バブル期には3千万円、あるいは6千万円購入した人がいるとの話もある。しかし、

(日本ダービー50万円*2.6倍 or NHKマイルカップ5万円*26倍)=130万円 → 安田記念 130万円*9.4倍=1222万円 → 宝塚記念 1220万円*16.3倍 = 1億9918万円 と、

G1を3(2)回連続して勝ち、しかも大穴に無造作に(つかれたように)次々とすべての大金を突っ込んでいるのは異常とも言える。まさに「神」の名にふさわしい。


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昔の思い出 (6)音痴製造法

2007年02月25日 | 昔の話
小学校の時、歌を歌うのが苦手だった。歌っている最中に何か少し違うかも知れないなと思った瞬間、自信が無くなる。次ぎの音程に疑問が生じ、声を絞って音程を探りながら、少しずつ声を大きくするが、イメージとの違いに気づく。声帯が硬くなり、明かに違うと思った瞬間、緊張が増幅する。
これを音痴と言うひともいる。

学芸会の合唱の練習しているとき、突然あの病気が出た。なにくそと頑張って声を張り上げ、次ぎにあわてて声を落とす。
先生が、皆を止め、「誰か違う人がいる。冷水君?ちょっと歌うのやめて見て。- - - - - - -やっぱりそうね。あなた口だけあけて声出しちゃだめよ!」

学芸会の当日、一番前の列の私は先生の言いつけを守り、声を出さなかった。ただし、口は真一文字にむすんだままで。

学芸会後、先生から「なんで口を開かなかったの!あなたって本当にいやな子ね!」と、えらく怒られたが。
こうしてトラウマを抱えた完全な音痴が出来あがった。


いやな終わり方をするのもなんなので、追伸を。

今はこの先生にも感謝です。だって、カラオケへ行っても皆さん誰もが上手で、上手いのが普通です。みんなを盛り上げるのには、正真正銘の音痴が一番です。いや、うけること。


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昔の思い出 (5)プロレスごっこ

2007年02月24日 | 昔の話

昭和20年代後半には、都内でもところどころに畑や草ぼうぼうの空き地があった。
小学校の帰り道、途中の草一面の空き地でよくN君とプロレスごっこをした。身体中の力を振り絞り、N君をヘッドロックし、草むらに押し付ける。日差しがじりじりと肌を焼き、蟻が腕を、顔を這いまわる。

上になり、なんとしても両手で相手の両肩を同時に地面に押し付けようとするが、いま少しのところで、力を込めた方と反対側の肩を上げられてしまう。身体ごと思いっきり相手に押し付け、最後のもう少しのところを、一気に両手に力を込め限界を突き破り、爆発するように押し付ける。相手の顔が苦痛にゆがむ。今一つ。「ウーン」

どうしても押し切れない。一気に力が抜け、一瞬に体勢を逆転される。肩口を抑えていた相手の手が少しづつずれてきて、二の腕を抑えられる。両手がむなしく、いたずらにバタバタする。身体を左右に振りながら上へ上へと身体をずらし、逃れようとする。草が顔にこすれてひりひりする。汗が目に入りしみる。相手が大きく息を吐き、急に力が抜ける。

二人ともあお向けになり、ジーンとする両手をだらりと地面に横たえ、空を見上げる。白く輝く大きな雲のかたまりがゆっくり頭の方へ動いて行く。空はあくまで青い。互いに目が合い、クスリと笑う。「行こうぜ」と声をかけ、立ちあがり、服をはたいてかばんを肩に歩き出す。今日はここまでと。



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昔の思い出 (4)すき焼きに卵

2007年02月23日 | 昔の話

昭和30年代、私が子供の頃、我が家は2,3人の大学生を対象とする小さな下宿をやっていた。当時は下宿する人は食事付きを希望する人が多かった。貧乏な我が家の食事は当時の他家よりもさらに貧相で、下宿人は表立って不満は言わないまでも、けして満足していないことは子供にもわかっていた。お金に見合う食事になっていないような気がして、肩身の狭い思いをしていた。

下宿人が卒業して下宿を出て行くとき、当時の最大のご馳走である、すき焼きをすることになっていた。ある年に例のすき焼きが出てきたとき、なんと小鉢に卵が入っていた。今ではすき焼きを食べるときに、小鉢に卵を入れて、取り上げた肉などを小鉢の卵にまぶしてから食べることが多いが、当時は卵も貴重品であり、貧乏人の子供の私にはとんでもなく贅沢と思えた。

普段の貧相な食事で引け目をもっていた僕は、「どうだ、まいったか!すき焼きの上に、卵だぞ!贅沢の上に贅沢だ」と嬉しくなった。いつになく、思いっきり、はしゃいでしまった。

いつもにもまして、つまらない話だったので、つけたしのジョークをご提供。

あなたなら、どの卵を買いますか?

今朝とりたての新鮮な卵 20円、  新しい卵  15円、  卵  8円

(表示にうそはありませんが、最後のが恐い!)

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昔の思い出 (3)九九は半分で十分

2007年02月22日 | 昔の話
小学校で掛け算の九九を覚えさせられたとき、例えば3*5=15を覚えれば、5*3は覚える必要がないと、かってに考え、九九は小さな数字に大きな数字を掛ける部分だけ、要するに半分しか覚えなかった。
覚えていない九九の暗唱を求められても、もたもた答えて、先生に怒られて、すごすごとしたフリをして座れば済む話だった。ペーパーテストは多少時間がかかるが別に困るほどではなかった。

問題ないはずだったが、高学年になり大きな数の割り算で困った。何で割れるのか数を探して、九九を唱えるときに、四五、二十は言えても、五四は四五に直さないと口をついて出てこない。割り算ができないわけではないが、遅くなってしまい、イライラしてしまう。

昔の思い出(2)で書いた、計算の練習をサボったこととあわせ、私の暗算速度はえらく遅くなってしまった。インドだかで、2桁の掛け算まで暗記するのとは大違いである。正確な数を暗算できない代わりに、答えの桁数などの概算能力が上がったと負惜しみで考えているのだが、簡単に分かったつもりになっての生兵法は大怪我のもとである。
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昔の思い出 (2)計算練習はパス

2007年02月21日 | 昔の話

小学生の夏休みの宿題で、大量の計算問題が出た。
四則演算のやり方は理解していた私は同じ事を繰返しても意味のないことだと考え、練習帖の答えの欄にでたらめな数値を延々と書いて宿題を終わりにした。

休み明けに答え合わせがあり、先生が指した人から席順で答えを読む。皆が「あってます」、「違ってます」と大きな声で唱和する。そのうち私の番になり、でたらめに書いた答えをそのまま読み上げる。皆が「違ってます」と声をあげる。「いけねえ」と頭を書きながら心で舌を出しながら座る。

要領よく問題なく小学校を終えたが、罰は社会に出てからやってきた。電卓がそこらじゅうにある時代になっても、手計算、暗算は必要であり、計算のやり方は解っていても、練習が十分でない私は早くできず、大きなハンデになってしまった。

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昔の思い出 (1)母は満腹

2007年02月20日 | 昔の話
戦後の、誰もがお腹をへらしていたあの頃。父に定職がない我が家で、育ち盛りの私はまさに欠食児童であった。

そんなある日、久しぶりにまともなおかずが出た。父3つ、私も3つ、母は2つ。私は直ぐ3つ食べてしまった。1つ食べた母が言った「何だかお母さん、おなか一杯になっちゃった。○○、ひとつ食べない?」 

子供心に、とても母が満腹しているとは思えなかったが、おもわず箸がのびて- - - 。
あの時、私は親孝行したのだろうか?


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「半井小絵のお天気彩時記」を読む

2007年02月19日 | 読書
NHK「ニュース7」気象情報のお天気キャスターの半井小絵(なからい さえ)さんがやさしい語り口で綴る初エッセイ「半井小絵のお天気彩時記」(かんき出版)を読みました。

日本は四季の移り変わりがあざやかで、日本語には微妙な気候、気象に関する言葉、ことわざなどが多くあります。雨ひとつとっても、夕立、豪雨、小雨、霧雨、時雨、涙雨、春雨、秋雨、氷雨など数限りない言葉があります。英語にはこんな微妙で多様な表現はないと思います。それだけ日本人は季節や自然の変化に敏感で、暮らしに深く結びついているのだと思います。

この本は、気象の技術的説明に主眼はなく、春、夏、秋、冬、各季節を身近に感じる季節の言葉、年中行事などについて写真やイラストを交えて述べています。

半井さんのプライベート
半井さんというと、謎が多く、ネットでも熱狂的なファンがいろいろ騒ぎ立てているようです。顔写真もTVや雑誌のインタビューでのものしか見かけませんが、この本には、3つのプライベートな写真が載っています。まず、0歳のときの写真がありますが、ほっぺふくふくの赤ん坊で、抱いている横顔のお母さんが美人らしいということが分かるだけです。幼稚園のときの劇の小さな写真にも現在の面影は感じられません。唯一プライベートの写真として2006年4月の伊東でのジーンズ姿の写真がありますが、一体だれが撮ったのでしょうか?この本では、気象予報士試験に向けて猛勉強ぶり、冷え性であること、数年前に花粉症デビューしたこと、弟がいることなど若干の情報が得られるだけです。

「おわりに」にあるように、半井さんはTVのほかにもお天気に関する講演や環境授業を行っていて、その写真もありますが、気象一筋にかけるまじめ一方の方のように思えました。

余談ですが、半井というと、樋口一葉の憧れの人、半井桃水(なからい・とうすい)を思い出します。20歳の小説を書き始めたばかりだった一葉は、東京朝日新聞の小説記者半井桃水に小説の指導を受けていて、美男で31歳、男盛りの桃水に強くひかれていたそうです。
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ルーヴル-DNPミュージアム・ラボを体験

2007年02月17日 | 美術
ルーヴル美術館とDNPが共同で開発した新しい美術鑑賞法で、一つの作品(3月10日まではジェリコーの銃騎兵)を徹底的に深堀、分析して解説し、そしてそれを、最新の技術を駆使した美術鑑賞システムにより、見る人の質問を引き出して答えてくれる。
いつもあれもこれもと、あわただしく通り過ぎる美術展と違って、新日曜美術館、迷宮美術館などより数倍詳しく、見所、画法、作品の背景、作者の紹介など、一つの作品で多方面から、求めれば一時間以上楽しめる内容がある。

ルーヴルは3.5万の展示作品から一つを厳選し学術的、教育的詳細コンテンツを提供し、DNPは同時ストリーミング、お得意の無線タグなどでインタラクティブ技術を提供した共同プロジェクトである。美術を楽しむための示唆に富み、見る人に合わせて情報が提供される、これまでにない美術鑑賞法になっていると思う。

骨伝導イヤホーン、タッチパネルのガイダンス端末、ICタグを受取り展示室に入り、「メデューズ号の筏」で有名なジェリコーの銃騎兵の実物を見る。ここで本物が見られるとは思わなかった。見所紹介があり、タッチパネルで項目を選択できる。
作者、他作品、類似の肖像画との比較分析などにより多彩で詳細な絵画情報、背景情報が見られ、聞ける。

シアターでは、180インチの大画面で、3月10日まで「ルーヴル美術館を楽しむ」「銃騎兵-テオドール・ジェリコー」「ジェリコーとドラクロワ」の3つのプログラムを見ることができる。ハイビジョンの4倍の高解像度で見る映像は実物とはまた違った迫力があり、詳細な点がはっきりする。

下記に予約が必要だが、無料というのもなによりである。平日は17時以降だが、土曜日もやっているのが嬉しい。

http://museumlab.jp/index.html



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私のキーボード体験

2007年02月15日 | 昔の話
英文タイプ
40年ほど前の話であるが、私が大学生のときモールス通信(トンツー)の演習授業があった。先生が打つ英文のトンツーを聞いて英文タイプを打つのだ。選択科目とはいえ大学でこんな授業が受けられるとは面白いと思って受講した。英文タイプの練習にもなると思ったのも動機のひとつだ。半年の授業でトンツーを聞き分け、英文をタッチタイプで打てるようになった。

研究所に入って、英語で論文を書くのに英文タイプを打つ必要が生じた。下書きした英文をトンツーで読みながら、英文タイプを打った。例えば、Tを見てツーと言うと、右手人差し指が左上に動くのだ。なにしろ、トンツーが聞こえないと、指がスムーズに動かない。時間を置いて幾つかの論文を英文タイプで仕上げてふと気が付いた。いつのまにか、英文をトンツーで読んでいなくても指が動くようになっていた。つまり、いつも 英字 → トンツー → タイプ を繰り返すうちに、あいだのトンツーが抜けて、英字 → タイプ に直接つながるようになったのだ。人間とはたいしたものだと思ってしまった。

研究所では企画書や報告書などの文書を作成することが多く、1970年代までは正式文書も手書きだった。文章にうるさい人が多く、細かいところでも厳密な言い回しを要求された。上司から指摘を受けるとたいていは素直に受け入れるが、変なところで変更に猛烈に抵抗することがあった。なにしろそこで変更するとA4一枚以上の全面書き直しになるからだ。

そんなわけで、1980年にOASYS100が価格270万円もしたが発売され、隣の研究室に設備された。夜10時過ぎないと空かないのだが、さっそく毎日借りに通った。もう上司の指摘はホイホイと受けいれ良い子になった。

しばらくして大幅に安くなったOASYS(ワープロ専用機)を自宅でも購入した。ローマ字入力ではほとんど遊んでいる親指をシフトに使い、一文字を一打で打てる親指シフトの方がどう考えても早く打てるはずだ。これで私のワープロ入力は親指シフトのタッチタイプで固まった。

パソコンは依然としてQWERTY配列のローマ字入力だったが、ワープロ専用機に向かうと自然と親指シフトになった。パソコンにもOASYSキーボードが接続できるようになったが、パソコンは文書入力(一太郎)以外にも、メールや図形入力(花子)、表計算(マルチプラン)などにも使用するのでQWERTY配列のキーボードのままローマ字入力で使っていた。いつのまにか、ワープロ専用機は使用しなくなりOASYS文書も変換ソフトでパソコンの文書(Word)に変えてしまった。

親指シフトを使わなくなってもう20年近くになるだろう。10年ぐらい前にまだ自宅に残っていたワープロ専用機を捨てるときに打ってみると、つっかえながらも親指シフトが打てた。そのまま打てばすっかり以前の滑らかさに戻るような気がした。あのときからも10年。気に入っていたし、優れた日本語入力方式だった親指シフトOASYS方式ももう使えない。

一時ほど馬鹿ではなくなったが相変わらずさえないMicrosoftのIMEを使っていて、優れものの一太郎の仮名漢字変換ATOKを使わなくなってしまった。Macだけはそれでもかすかに(?)生き残っているが。
頑張れない私も情けないが、多勢に無勢で優れものが淘汰されてしまう。
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キーボード配列の歴史

2007年02月14日 | 雑学
英文キーボード配列

一般にパソコンなどで使われているキーボードの文字の部分はその左上隅のキーの並びから「QWERTY(クワォーティ)」配列と呼ばれ、そもそもは、英文タイプライターの配列です。

若い人の中には、もはや英文タイプライターを見たことない人もいるかもしれませんが、キーを打つと、キーで蹴っ飛ばされたアームがハンマーのように動き、インクリボンと紙を打ち、文字が印字される仕組みです。このとき、近くにある二つのキーをほぼ同時に打つと、アーム同士が押し合ってからまり、調子良く打っていたのに中断され、からまりを解くのに苦労することがありました。
そこでアームの衝突を防ぐために、連続して現れることの多い文字がなるべく遠くに配置したのが現在のQWERTY 配列だという説がありますが、真偽は不明です。

エドガー・ア・ランポーの暗号を解読する小説にあったように、平均的な英文にもっとも良く出てくる英文字は“E”です。しかし、QWERTY 配列では、例えば”E”は最も打ちやすいホームポジション(*)の右手の人差し指の位置、現在の”J”の位置、にはなく、中指を上に動かさなくてはいけない位置にあります。このように、QWERTY英文キーボード配列は、英文をもっとも効率よく入力するための配列にはなっていません。したがって、もちろん、ローマ字入力・カナ漢字変換での日本文入力や、ソフトウエア入力には効率的ではありません。改良するため、いろいろな配列が発明され、普及が図られましたが、結局はすでに広く用いられているQWERTY配列に勝つことはできませんでした。

*“F”キーと”J”キーに左右の手の人差し指を置き、他の指も一列に並べた位置がホームポジションです。

理想のキーボード

人差し指だけでキーを打つ人もいるでしょうが、ディスプレイを見ながらキーに目を移すことなく、考えながら入力したり、速く打つには、キーボードを見ずに入力するタッチタイピングが有利です。

別の見方からは、疲れないエルゴノミクス・キーボード、簡単に習熟できるキーボードなどがあるでしょうが、やはり一番の理想としては、早く打てることでしょう。そのためには、平均的文章に対し、もっとも指の動く距離が少なくなるキーボード配列が望ましいのでしょう。

このとき、単に、文字の出現頻度だけ考えれば良いのではありません。例えば、良く出てくる”THE”を打つときには、左手人差し指がホームポジションから”T”の位置に動いている途中で、右手人差し指はすぐ左の“H”の位置に動き始めます。”H”を打っているときには、”T”を打ち終わった左手は中指が”E”を打とうとしています。このように、文字単独の頻度でなく、単語、文章としての頻度も考慮して入力する時間が短いかどうかを判定しなくてはなりません。もちろん、どのような分野の文章か、打つ人の習熟度の違いよっても影響を受けます。日本語の漢字変換も考慮すると最適キーボード配列の評価は大変面倒なことになります。

日本語入力用キーボード配列

JIS配列
日本語ワープロ用キー配列。キーの縦4段すべてにかな文字が割り振ってあります。英文字については基本的にQWERTY配列に準拠したキーに割り当てられています。キーの数が多いので良く使う人でないと高速入力が難しい欠点があります。

親指シフト配列(OASYSキーボード)
中央下段位置に「左親指」「右親指」のキーを追加し、親指でシフトします。一つのキーを「キー単独打鍵」、「左親指との同時打鍵」、「右親指との同時打鍵」の3状態で使い分ける方式です。すべてのかな(濁音、半濁音を含む)を1打鍵(シフトキーとの同時打鍵を含む)で入力できるので、効率的に日本語かな入力ができます。一方、JIS配列では文字と濁点・半濁点を別々に入力するため、打鍵数は親指シフト配列の倍近くになります。QWERTY配列キーボードでのローマ字入力では、倍以上の打鍵数が必要になります。富士通が開発してワープロに搭載したこのOASYSキーボードはワープロ全盛期にはかなり普及しましたが、パソコンに置き換わるころには、QWERTY配列のキーボードにほぼ駆逐されてしまいました。

その他、JIS配列の欠点解消をめざした新JIS配列や、NECの森田さんという方がかなり早く入力できる森田式のキーボード配列を開発されました。また、人間工学を利用して疲れないTRON配列などさまざまな方式が開発されましたが、いずれも圧倒的な実利的差がなく(認識されず)、とっつきにくいこともあって既に普及していたQWERTY配列のキーボードでのローマ字入力をひっくり返すことはできませんでした。日本文に英語が混じって来たことや、パソコンでのソフトウエア入力をする人も増えてきたことが原因に加わっているのかもしれません。


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99%カカオのチョコレート

2007年02月13日 | 食べ物

昨年10月にオーストラリア・パースの北東Swan Valleyに行ったとき、Margaret River Chocolate Coの工場、販売所に行った。そこで、数あるチョコレートの中から70%CacaoのDark Chocolate 500gを $23で購入した(2006年10月11日のブログ)。ビターな味が好みの私にはこれがけっこうご機嫌でチビチビと長い間楽しめた。

今回、駅前の輸入食料品の店でフランス製のリンツ・チョコレートというカカオ含有率が70%、85%、99%と3種類のチョコレートを見つけた。退職後は、奥様からの息子への義理チョコのついでチョコしか期待できない。これだとばかり、カカオ分99%の究極のチョコレート50g、357円を思わず買ってしまった。なにしろ99%だ!

    

中はアルミ箔でがっちり固めてあり、チョコレート自体は厚さ4mmほどのごく薄い板状になっている。さっそく割って4片ほど口に放り込むと、苦味が口いっぱいに広がり、おもわず、ウッとなる。舌の両側がしびれるような感じがする。一切れづつゆっくり味わうべきだった。あらためて、裏を見ると、日本語の説明が貼り付けてあった。「まず70%カカオから食べ始め、次に85%カカオというようにカカオ含有率が高いチョコレートの味覚に慣れてから召し上がることをお勧めします。また、お召し上がりの際は少しずつお口に入れ舌の上でゆっくりと溶かしてください」との注意書きがある。いっぺんに食べないようにごく薄い板状になっているようだ。

毎日、少しづつ食べていると、だんだん慣れて来て、今では心地よく苦味を味わえるようになった。

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「人は見た目が9割」を読む

2007年02月12日 | 読書
竹内一郎「人は見た目が9割」新潮新書を読んだ。話題になっていた本であるが、ハウツー本は嫌いだし、売らんかなの、わざとらしいタイトルで敬遠していたが、たまたま手に入ったので読んでみた。顔や姿が一番といった内容を想定していたが、理論的ではないが、まじめなコミュニケーション論に近いものであった。語り口も一方的、独善的ではない。内容はとくに驚くような新しさは感じられなかったが、新書版200ページ足らずの中で要領よく非言語コミュニケーションについて、具体例を挙げて丁寧に説明している。

著者は戯曲や漫画の原作を書く人で、劇や漫画で、ある状況、ある感情を伝えたいときには言葉よりも動作、表情といったノンバーバル(非言語)・コミュニケーションが効果的であると述べている。また、色、匂い、相手との距離など言葉以外のふれあいの重要性を例示している。

人が他人から受取る情報の割合に関する実験結果に、「顔の表情55%、声の高低・大きさ・テンポ38%、話す言葉の内容7%」というものがあるらしい。言葉は7%に過ぎないのに重要視され過ぎている。

以下、本論にはあまり関係ないが、なるほどと思ったところを3つだけ、ご紹介する。

著者が書いた戯曲「漂鳥の儚(ひょうちょうのゆめ)」には、次のような場面がある。女が愛している男を騙し、そして許しを請う。男は、女にトランプカードの束の中から一枚引けという。スペードのAを引いたら許してやるという。女は見事にスペードのAを引く。男が去った後、残りのカードを調べると、全部スペードのAだった。男は最初から許していたのだった。このシーンに台詞は邪魔である。

男は嘘をついたとき、目をそらす。やましい気持ちが目に表れる。女は嘘をついたとき、相手をじっと見つめて取り繕おうとする。しかし、この女の動作は一般にはよく知られていない。そこで、演出家は女がやましいときも目を外す演技をつける。

漫画で可愛い女の子のポーズは、快活に足を広げているときも、膝は内側を向いているというものである。男に好まれるぎこちない女の子を演出するためである。目は大きめに開き、目と目の間を多少あけるとあどけなくなり、無防備さが出てくる。



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