hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

川上弘美「夜の公園」を読む

2008年11月30日 | 読書2


川上弘美著「夜の公園」2006年4月、中央公論社発行を読んだ。2002年から中央公論に断片的に連載されていた短編をまとめたものだ。

リリの夫幸夫がリリの親友春名と、そして春名は若者悟とも関係を持ち、悟の弟暁がリリとと、ぐるりと循環する関係になる。最近の小説は皆そうであるが、登場人物は皆、こだわりがなくさっぱりしていて、もつれた人間関係があってもドロドロとした悩みが主題ではない。

リリと幸夫はたがいに優しいが、もはや愛し合ってはいない夫婦で、ためらいもなく不倫をする。リリが美しく清楚でか弱く、春名はあでやかで積極的。悟はまともな会社員で暁は体育系のフリーター。


私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

川上弘美というと、SF的な変わった小説をイメージするが、この小説はだれでもが書くような題材、テーマだ。硬質で明解な文章、さっぱりした情景描写が川上さんらしさを多少出しているくらいだ。
川上弘美の従来からのファンには共感されず、新しい路線はまだはっきりしていないといった印象を持った。

主人公のリリには、生活観が感じられない、というか感じさせない。社会との係わりもなく、自分に正直にということだけしか考えていない。従来の川上さんの小説の、世の中から浮いた、聖的とも言える主人公のファンタジー的雰囲気を多少引き継いでいると言えなくもない。


川上弘美の略歴と既読本リスト



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東野圭吾「赤い指」を読む

2008年11月29日 | 読書2

東野圭吾著「赤い指」2006年7月、講談社発行を読んだ。

2006年に直木賞受賞した後の第一作目で、1999年に小説現代に掲載された短編をもとに書下ろした長編。

刑事加賀恭一郎のシリーズの一つ。彼とその父との関係が最後にはじめて明かされ、加賀ファンはグッーと来るだろう。


家庭から逃げていた前原昭男、姑に辛く当り子供を偏愛する妻、昭男のボケた老母、不登校でわがままな息子。始めの方はどこにでもありそうな家庭のいやな面ばかりが続き、少々うんざりだ。

中程にかかると、殺人事件の犯人が読者に明かされ、いかに隠し通すかが語られる。少々強引な筋道だが、隠蔽作業を進めるときの恐怖、あせりと混乱する様子には真実味がある。

中盤以降は、本来なら指導的立場にある本庁の捜査一課の刑事松宮と、その指揮に従う立場の所轄刑事加賀のコンビでの捜査活動が中心になる。しかし、松宮は新米で、加賀はやり手で、しかもこの二人はいとこ同士なのだ。

最後には、凄腕刑事の加賀が真相を見抜き、少しでも良い解決に至るよう仕掛をする。

おおよその展開は予想でき、老母について多少の無理が感じられたにしても、いくつかの驚きがあり、心に迫る終章は見事だ。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)


読みやすく一気に読み切った。最終章へ一気に畳み込んでいき、驚きと感動の最後を迎える。東野圭吾の作品の中でとくに素晴らしいとは言えないが、楽しめる作品になっている。前原家のあまりにもいじましい夫、妻、息子にいやになるが、刑事加賀と父との係わり合いの秘密を知ると、嬉しくなり、加賀ファンになる。



東野圭吾の履歴&既読本リスト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ガールイエスタデイ」を読む

2008年11月28日 | 読書2

桐島洋子著「ガールイエスタデイ -わたしはこんな少女だった-」1999年2月、フェリシモ出版(絶版)を読んだ。

桐島洋子さんの上海での幼年時代から、帰国した葉山での小学、中学生時代の自叙伝少々と、大部分を占めるのがそのまま載せられた駒場高校時代の日記だ。

2008年11月6日の私のブログ「桐島洋子の森羅塾へ」で紹介した森羅塾での自分史「桐島洋子の千夜一夜物語」の少女から高校生時代の話はこの本が種本だ。



三菱財閥の大番頭の祖父を持つ上流、そして斜陽、没落家庭での出来事は映画を見ているようだ。
1954年から1956年の高校時代の日記は、これで本当に高校生かと信じられないほど行動的、奔放でマセている。溢れる情熱と才能、痛快な行動。50年以上前にこんな高校生がいたのだ。
日記といっても行動記録だけではなく、家族の観察・批判、将来への思索など後の桐島洋子を知っているだけに面白く読めた。

父が愛人の家に行き、ただでさえ苦しい家計からその家の子に仕送りしなければならなくなる母の嘆き、言い争い。それでも魅力的な父や母の姿。

すこしづつ互いの気持ちがずれていき、破局に進む恋愛。思い切り良く痛快な彼女でも、そのときの虚しいあがきと自尊心、そして無力感が哀れだ。しかし、その自分を醒めた眼で観察し、日記に書く高校生。作家になるべくしてなった人だと思う。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
桐島洋子ファンや、戦後に少年少女期を過ごした人はもちろん、こんなに詳細で深い高校生の日記はない。

NHKの連続テレビ小説も、じっと耐える女の子や、やたらと元気な女性ばかりでなく、この本をもとに脚本化したらドラマチックで痛快なドラマになるだろう。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引越し後の住所変更手続き

2008年11月27日 | その他

今回、横浜から東京へ引越した。引越し前の事務手続きなどに続き、引越後を整理してみた。細かい点は地域により、家族構成や、職業などによっても異なるし、記憶違いもあるだろうが、一つの例として書いてみる。また、あらかじめ引越前に処理できるものも多い。

住所変更手続きのためには、新住所が記載された文書を添付、あるいは提示する必要がある場合がある。そのために、引越後まず新住所が記載された証明になる文書をつくりに市役所(区役所)へ行き、転入届を出して新住民票を取るとよい。あるいは新保険証を取得すれば、それらの提示あるいはコピー添付で新住所の証明ができる。

引越前も含め、表を作ってチェックしたが、50項目以上あり、2週間以上経ってもまだ完全には終わっていない。郵便局へ転送サービスを依頼しているので、今後は転送されてくる文書を見て、必要なものだけ住所変更するつもりだ。



引越先で当日

ガス開栓に立会い、電気・水道はハガキで使用開始を連絡
新聞はめんどうなのであらかじめ引越屋さんに頼んだので翌日から配達


引越先の市役所(支所)

住所転入届(印鑑、転出証明書、保険証/運転免許証)
印鑑登録(実印、保険証/運転免許証)
年金住所変更
新住所の住民票受領
保険証はその後新住所へ郵送されてきた。旧保険証は旧区役所へ郵送


銀行/証券会社

住所変更(口座引落しの変更)は電話やWebで可能。
ただし、投資信託口座を持っている場合は、告知が必要なため、窓口へ行くか、郵送された用紙へ返信が必要(新住所の住民票/保険証/運転免許証などを同封)。用紙の郵送は、転居確認のため、旧住所に送られ、郵便局の転送サービスで新住所に転送されるので、時間がかかる場合がある。


クレジットカード

電話やWebで可能


保険

火災保険は契約見直し/解約・新規


警察署

運転免許証住所変更(最寄の警察署で免許証、保険証提示)


自動車

新住所の運輸支局へ転入後15日以内に登録変更
(車庫証明、車体検査証、車、新住民票、実印)
保管場所(駐車場)変更
自動車保険住所変更
ETCカード住所変更


パスポート

本籍の都道府県に変更がなければ訂正申請必要なし


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソファーを買う

2008年11月26日 | 個人的記録

引越前に大幅に家具を破棄してようやくすっきりしたリビングで暮し始めた。

繁華街をぶらぶらしていたら、しっくりくるソファーを見つけた。奥さんが「座り心地がすごく良い。いいなあ」と言う。落ち着いた色で物欲を捨てきれない私も欲しくなってしまった。奥が低くなっているので、尻が滑らずゆったり座れる。けっこう値は張るが、木はチークで、皮はバッファロー、手作りのソファーだ。




その場で注文するのはようやくとどめ、寸法だけ聞いて、帰った。家具はもう増やさないと決めていたのに、もうすっかり買った気になっている人がいて、私もいつのまにか、置き場所をしっかり想定している。この流れを止められるはずもなく、結局電話で注文してしまった。

運び込まれたソファーにさっそく二人で座り込んで、TVを見る。しばらくたち、「あれ!」と言う声で振り向くと、奥様の洋服のひじと背中にうっすらと茶色いシミがついている。どうみても、ソファーが色落ちしている。

翌朝、店に電話して、事情を話す。店の人は、「おかしいですね。この商品は既に100個ほど出ているのですが、今まで一度もそういったクレームはいただいていません」という。

「100個に1個の不良なら、1%の不良率で、そう自信持って言う値じゃないですね」と言った、じゃなくて、言いたかった。しかし、実際に言ったのは、「何で、どう拭けば色落ちしなくなるのか、いい方法はないですか?」

「翌日取替えにあがります」
「いや、そこまでしなくても、タオルなどで拭けば良いと思うんですが」
「いや、こちらとしても、どうしてそうなったのか調査したいので、取り替えさせてください」
さっそく、翌日午前中に別のソファーを持ち込んで、取替えていった。

その後、とくに問題もなく、なんとなく部屋がエレガントになったような気がして、快適に過ごしている。

結局、めったにないことだが、たまたま木の表面の処理が不十分だったのだろう。


直接関係ないが、落語の話を思い出した。こんなたぐいの話だったと思う。



「鶴は千年、亀は万年。亀は長生きするよ」と夜店で亀を売っている。
買って来て、翌日には死んでしまった。
店に行って、「おかしいじゃないか。一万年生きると言ってたのに、すぐ死んじゃったぞ」と文句を言う。
「お客さん!それはちょうど一万年目だったんですよ」



このブログを書き終えて一日アップしないでいたら、今朝、お店の人が突然訪ねてきた。何かと聞けば、わざわざお詫びに来たという。ならばと、お会いしたら、洗濯代だと言って封筒を差し出した。断ったのだが、手が自然に出ていたみたいで、渡されてしまった。
まあ、次回お店に行って何か買いましょう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引越し前の手続き

2008年11月25日 | その他

横浜から東京へ引越前の各種移転手続きなどを整理してみた。細かい点は地域により、家族構成や、職業などによっても違うだろうが、一つの例として書いてみる。


まず、引越業者を選定し、引越日を決める。日付が決まっている場合はしかたないが、引越日を業者の都合に合わせると多少費用が安くなる場合がある。
引越業者は引越サービスのほかに、移動中の害虫退治、家のクリーニング、水まわりのコーティング、エアコンなど電気製品の販売まで勧める。つい乗せられて頼んでしまう人も居るのかもしれない(それは私です)。


引越の約1週間前

旧住所の市役所/区役所(以下市役所)で

住所転出届を提出(印鑑と国民健康保険証が必要)。
国民健康保険の資格喪失手続き(転出証明書、国民健康保険証と印鑑が必要)。
印鑑登録している人は廃止手続き
実際の保険証は、新住所で新保険証をもらってから旧保険証を郵送で返納。
国民年金の人は住所変更(転出証明書、国民年金手帳と印鑑が必要)。



引越の4日前

郵便物の転送届を提出する。郵便局にある葉書に記入し、投函すれば1年間新住所に無料で転送される。
宅急便の転送のため、クロネコヤマトに転送届を提出する。営業所か、配達人に用紙をもらい記入して渡す。郵便局への転送届提出が前提で、正式文書はクロネコから旧住所に送られ、転送されて新住所に届く。これをクロネコに提出する。

電話移転:NTTなら116へ電話し、旧住所の停止日と新住所の電話開始日を伝える。番号が変わる場合は、告げられる3つの候補から好きな番号を選ぶ。
携帯電話の住所変更はWebで可能



引越の3日前

水道、電気、NHKの精算・住所変更(電話またはWeb)
新聞は新住所を教えると、あらかじめ引越先販売店に手配してくれる
ガスは閉栓に立会い、引越先での開栓日を連絡


引越後の手続きは次回




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成蹊大学の欅祭に行く

2008年11月24日 | その他

「欅」という字、略字でなくて正しい字書けます?
私はボケ防止にと、何回も書いて覚えて、完全に書ける様になった。忘れないうちにと、奥さんに書いて見せて、「書ける?」と言って、気がついた、読み方を忘れていた。
奥さんは、「ああ、ケヤキでしょ。略字なら書けるけど」。そうだった!

成蹊大学の欅祭には、石田衣良と倉田真由美の対談があると聞いて、行ってみた。構内を回っているうちに、講演はどうでもよくなって、焼きそばと焼き鳥と食べて帰ってきた。

入口はケヤキ並木の途中にある。本来は門の奥に古式ゆかしい堂々たる本館が見えるのだが、工事中で、白い幕が張られている。



本館前から入口を見ると、ケヤキ並木に人が一杯だ。



入って右手の前庭にはいきなり裸の男性がずらり。その前で男性同士のキスが!
ライフセービング部のイベントだった。



中庭の周りは建物だらけ。広大な敷地におもむきのある建物がポツリボツリと建っているカナダやオーストラリアの大学とは大違いだ。



学園祭というものは、40年前から変わらない。ともかく食べ物、飲み物の模擬店だけが目立つ。建物の中の展示には人影まばらだ。



時代を反映して「ゴミステーション」というのがいろいろなところにあって、細かい分別を行っていた。



お酒飲み過ぎの看板はあったが、外国と違って大麻禁止(Drug Free)の文字はなかった。



学生会館に入ると、入口脇の掲示板には、袴・晴着レンタル、自動車学校、資格試験などのポスター、パンフレットが満艦飾。
大会本部をのぞくと、人、パソコンと荷物がゴチャゴチャ。ご苦労様



当日は閉店していたが、学食があった。お金持ちのお坊ちゃん、お嬢さん大学の成蹊の学食はとメニューをのぞくと、パン2個とコーヒー/紅茶のセットで350円、ミートスパゲッティ310円とともかく安い。



門のそばに戻ると、華やかな声がする。応援部とあるが、チアリーダの演技だ。張り付いたような笑顔でこらえる一番下にはなりたくない。




あんな(どんなだ)お嬢さんが落ちてくるのを止めるのは大変そう。



下のお嬢さんに頑張れ! なにごとも下積みあっての華だ。






この欅祭は学生の祭典だが、卒業生の祭典、成蹊桜祭が来年4月5日に開かれる。そのころには工事も終わった(?)本館前でイベントが行われる。

大昔のこと、学園祭に彼女を連れて行かないで、というか居なくて、肩身の狭い思いをした。会社に入ってすぐ、外部の人に会社の施設や成果を公開するイベントがあった。今度こそはと、当時付き合っていた彼女を案内して回ったが、そんなことする人はおらず、同僚、先輩に奇異の目で見られてしまった。

思えば私はあの頃からずーと、なにかとずれていて場違いだったような気がする。
「今頃、気がするなんて」との声が。空耳か?



コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良い夫婦の日

2008年11月22日 | 世の動向

今日、11月22日は「いいふうふ」の日だ。

asahi.com のニュース「「夫婦一緒の時間充実させたい」妻、激減 博報堂調査を独断で簡単化すると、


―――
「夫婦一緒の時間を充実させたい」と思っている妻は、20年前の35%から今年は26%に減った。一方の夫は、30%から39%に上昇。妻に寄り添いたい夫と、夫と距離を置く妻――「どんなことがあっても離婚しない方がいい」と答えた妻は40%と、20年前の60%から激減。夫の方は4.2ポイント低い64%になった。
「夫の気持ちは家庭に向いているのに、妻は必ずしもそれに応えていない」
―――



excite.ニュースには「長くなる夫婦生活、シニア夫婦の感情は「愛情」から「友情」やがて「無関心」に変化【電通・リクルート「オトナの夫婦調査」】」という記事もあった。




調査結果をこれも独断で簡単化すると、

―――
50~64才の男女1800人に、シニア世代の「オトナ夫婦」の関係などに関する調査を実施。

夫婦のパワーバランス:
妻主導で夫追従の「妻リード夫婦」約3割。次いで、互いに主導的であろうとする「バトル夫婦」、「夫リード夫婦」、「対等夫婦」、「相互依存」夫婦となる。

配偶者に対する感情:妻に対し「恋愛」感情を抱いている夫は23%。夫に「恋愛」感情を抱いている妻は11%。

互いの関係は、50代前半では「恋愛」が最も多いが、50代後半には「友情」が増え、60代前半では「無関心」・「嫌悪・不愉快」が増加する。
同レポートでは、「60才夫婦リスク回避」には、妻の母親リタイア時期が始まる50代から、夫婦コミュニケーションや夫婦活動を活性化する施策を実施することが必要だと指摘している。
―――



以上のように、シニア世代では夫が妻に一方的に思いを寄せ、依存している様子がうかがえる。



これらのニュースを見た奥様は、「今まで自分勝手なことばかりやってきて。無理ね」と切り捨てた。「ハイ、ごもっともです」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペルーの無毛犬

2008年11月21日 | 雑学

オバマ次期米国大統領が10歳と7歳の娘2人のためにどんな犬を飼うかが、「オバマ犬」としてTVや新聞で話題になっている。

長女がアレルギーを持っているため、ペルーの愛犬団体が「ペルー特産の無毛犬「ペルービアン・ヘアレス・ドッグ」を提供したいと言っている。
この犬の誕生は前インカ時代と言われ、無毛のため体温が高いことから、ぜんそくなどの症状緩和のための“抱き犬”としても使用されたとの言い伝えがあるという。


私も犬の毛にアレルギーがあるのだが、写真で見ると、この犬はヌメヌメしていてちょっと飼う気にならない。
これはあくまで私の推測に過ぎないのだが、無毛犬は毛がないので放熱が大きく、その分体温が高くなるようになっているのではないだろうか。上手くできている。人体の、いや犬体の神秘だ。

このニュースを見て、奥様が、「あなたも体温が上がりましたか?」と私の頭を見ながら言った。そういえば、ハ■てきてから頭に触ると熱いのは何故かと疑問だった。人体の神秘だ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンションに住んでみて

2008年11月20日 | 個人的記録
狭いが比較的新しいマンションの住人になった。住人といっても、借家だし、まだ10日にしかならないので、ロングステイでアパートメントを借りて暮しているような錯覚がする。
そういえば、最近のマンションは外国のアパートメント(コンドミニアム)と似ている。外国には、ものすごく広いリビングと、それほどでもないいくつかの寝室の組み合わせが多いと思うが、このマンションも比較的広いリビングと、十分ではない広さの寝室と、十分狭いもう一つの部屋がある。
私は、マンションと言えば昔のものしか知らないので、多くの皆さんには当たり前かもしれないが、最近のマンションのなるほどを思った点を羅列してみる。


1.セキュリティ

このマンションは、建物の入口の扉に鍵を近づけてドアを開け、管理人さんのいるスペースに入り、ドアが閉まってから、また次のドアに鍵を近づけて開けて構内の共通スペースに入る。出るときは鍵なしでいずれのドアも開く。
さらに各個人の部屋の入口のドアに同じ鍵を差し込んでドアを開ける。
書留配達など訪問者とは、インタホンとTV画像で応対することになるが、3つもドアがあると面倒ではある。

バンクーバーのコンドミニアムは、もっと徹底していて、エレベーターに鍵を近づけると該当する階で止まる。その他の階には止まらない。もっとも非常階段を使えば他の階にも行けるので、これはセキュリティのためというより、利便性にウエートがあるのかもしれない。

各部屋の玄関ドアはホテルのようなオートロックではないが、ポストに新聞を取りに行くにも、ゴミを捨てに行くにも、建物の1つのドアを通るので、帰るときのために、鍵を持って出る必要がある。今のところこれはあまり苦にはならないし、今のところドジもない。

部屋のテラス側の大きなガラス戸には通常のロックのほかに小さな鍵がかけられるようになっている。これはこそ泥の多いオーストラリアのパースのアパートメントと同じだ。


2.風呂

風呂はホテルのようなバスタブで、深い日本式風呂ではない。しかし、底は滑らないし、日本人向けの形なのか、少し深めでゆったりと入れる。
引越前は24時間風呂だったので、いちいち風呂を沸かすのが面倒と思っていた。しかし、設定した適当な量を適温までワンタッチで湯を沸かしてくれるし、湧き上がりをリビングに教えてくれるので便利だ。


3.換気

風呂場の天井に排気装置があって、通常は24時間排気に設定しておく。マンションはほぼ完全な密閉空間なので、各部屋には吸気口があってそこから空気を取り入れて換気する仕組みになっている。台所のレンジの上の強力なファンを回すと、リビングの大きめの吸気口がモーターで自動的に開き、外から空気を取り入れるようになっている。
そんな工夫をしないと、ドアの開け閉めがスムーズでなくなったり、湿気が残ってカビたりするらしい。日本家屋と違って、自然に反すると面倒なシステムが必要になる。夏はどうなるのか、心配ではある。


4.床暖房

ガス温水式の床暖房があるが、今のところの寒さに対してはエアコンも使う必要がない。カーペットにタコのように吸い付いてゴロゴロし、快適に過ごしているが、あの掘りごたつのヌクヌク感にはかなわない。


5.収納

引越で床面積が半分になり、収納スペースはおそらく1割程度になったのだろう。日常的に使うものはそんなに多くないので大きな問題はない。物を少なくするのは、シンプルな生活の趣旨にも合致する。
しかし、季節はずれのものの収納や、いざと言うときのためもの、あるいは記念品の保管には苦労した。引越前に大量に整理したが、引越後も収納できずに2段階目の整理をし、破棄した。
奥様も何年か着ないものは捨てるとの方針で、衣装箱4つを空にして、240cmのクローゼットと和ダンスに押し込めた。私の部屋には、死守した桐タンスと、50cmのクローゼットのみなので、季節、用途がダブルものは2着限りとして大幅整理を断行した。
これでも、もうすぐ入るだろう老人ホームの物入れ一つに収めるにはまだまだ修行が足りない。さらにいずれ棺おけひとつになるのだから。


6.額

絵画が好きなので、前の家には20個程度の額を掛け、あらゆるところにピンで絵を貼り付けていた。このマンションは借家なので、釘は打てないし、ピンも打ちたくない。4つの額を立てかけたり、ドアのヒンジなどに引っ掛けたりするのがやっとだ。
たくさん飾ってあっても、毎日見ていると、存在自体意識しなくなるものなのだからと、自分で慰めている。


最後の方は嘆き節になってしまったが、総じて快適に過ごしている。家の中が一応落ち着いたので、そろそろご近所に進出したい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三渓園での菊花展

2008年11月17日 | 行楽
三渓園で菊花展が10月26日から11月23日まで開かれている。
3箇所に分かれて、それぞれいくつかのテントが張られている。
菊つくり(1)と(2) 」に書いたが、鉄筋アパートの3階のベランダで約10年、菊つくりをしていたことがあり、懐かしく菊花展を見た。



中央広場

・大菊(厚物・一文字)




・懸崖




・古典菊、江戸菊
・福助作り

旧燈明寺本堂前

・大菊(管物)
・だるま作り

正門近くの藤棚広場

・小菊盆栽、小品盆栽







大菊の厚物は、数百枚の花弁(花びら)が中央一点に向けて鱗状に高く盛り上がったもの。菊つくりではもっとも基本的、一般的。他にくらべ比較的簡単に作れる。

大菊の管物(くだもの)は、花弁が管になって直線的に放射状にのびる。管の太さで何種類かに分かれる。繊細で花弁が崩れやすい。

江戸菊古典菊は、幕末から明治期に作られ、咲き始めから咲き終りまで花弁が動いて様々な形に変化する。

大菊の一文字は、菊の御紋章のように、幅が広く薄い花弁が平面状に広がる。円盤で下から支えられている。花を横から見ると一の字に見えるので一文字といわれる。花弁は菊の御紋章のように16枚が望ましい。

懸崖は、切り立った崖のように盆栽の枝が根よりも下に垂れている。根元から先端まで多くの花をいっせいに咲かせるのが難しい(と思う)。

福助は、一本仕立ての大菊で、高さを花首まで40㎝以下に抑える。矮化剤を使い、水を控えめにして鉢を大きくせずに5号鉢までに止め生長を抑える。小さな鉢の上に大きな花があり、福助人形に似ていることからついた名前。

だるま作り は、コンパクトな3本立てで、7号鉢で、矮化剤を使い、高さを60cmか、70cm以下に抑える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜・三渓園へ

2008年11月16日 | 行楽
カナダから来日中の知人を案内して11月3日、横浜・本牧の三渓園へ行った。
正門を入ると大池があり、その向こうに1457年建築の京都燈明寺から移築した三重塔が見える。





大池の傍らには、原三渓が自宅として建てた鶴翔閣がある。茶会などへの貸出施設で、使用されていないときでも玄関までしか入ることができない。



内苑に入り、御門から臨春閣への参道のような道を見る。



紀州徳川家初代・頼宣の別荘だった臨春閣にはNHKの撮影班が収録の準備をしていた。



渓谷沿いの遊歩道を登り、京都伏見城にあった月華殿を見る。このあたりは、12月上旬には見事な紅葉が見られるだろう。
2006年12月8日のブログ「横浜・三渓園へ紅葉狩りに」参照




渓谷を降りて行くと、京都二条城にあった徳川家光・春日の局ゆかりの聴秋閣が見えてくる。今回は手前に大きな蜘蛛の巣が。



三重塔への登り道は避けて、大池の東側を回って東の奥へ進むと、突然の霧で前が見えない。



横浜トリエンナーレの一環の「雨月物語―懸崖の滝」ゲイジュツ・イベントだった。看板に、「ご注意 霧が周辺を覆いつくします。無害ですが、視界が悪くなることがありますので、足下にお気をつけてください。」とあった。「ハイ、十分視界が悪いです」

東の奥に飛騨から移築された合掌造・旧矢箆原家住宅がある。



カイコを飼っていた2階への階段は危険を感じるほど急だ。昔の人は足が丈夫だったのだろう。



いろりの向こう側の部屋で男女が寝転んで、抱き合っていた。私は一瞬、代々木のワシントンハイツでぴったり抱き合って寝ていた進駐軍の兵士を日本人の女性を思い出した。じーっくり見ていると、人がやって来て、「これは横浜トリエンナーレのイベントです」と言う。「写真は?」と聞くと、「ご遠慮願います」と言われた。



外に出ると、看板があった。
―――
ご注意
こちらのスペースで実施している作品は、
アーティストにより振付をほどこされた作品です。
見る人によって刺激的な内容と感じられる可能性のある作品ですので
あらかじめご承知おきください。
アーティストに意向により、作品名等の説明掲示は
控えさせていただいております。
詳しくは会場スタッフにお尋ねください。
―――

旧燈明寺本堂を過ぎたあたりで、微動だにしない猫がいた。これはゲイジュツではなさそうだ。




三渓園とは?
生糸貿易により財を成した実業家、原三溪は、東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる17.5万平米に及ぶ広大な土地を造成し、京都や鎌倉などから建造物を移築(重要文化財10棟)しました。1906年(明治39)に、この自宅の扉のない門柱に「遊覧御随意」の札を掲げ一般に開放したので、今年が100周年になります。現在は財団法人三溪園保勝会が運営しています。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日影茶屋へ

2008年11月15日 | 行楽

11月初めのことだが、カナダから来日した知人を三渓園に案内した。その前に昼食時になり、昨年案内して評判がよかった葉山の日影茶屋まで足をのばした。

日影茶屋は江戸中期に峠の料理茶屋として創業し、1972年には旅館部門を廃業して料理屋専門になった。料理屋と旅館のときの看板が店内にかけられている。



今では、グループで菓子舗、レストランなどを経営している。菓子舗の本店のすぐ隣に日本料理 日影茶屋の入口がある。



このブログ内の検索に「日影茶屋」と入力したら、2007年の「3月13日」と「11月4日」に行ったことが分かった。日影茶屋事件についての11月の説明はこうだ。



―――
アナキストで共産主義者の大杉榮は、妻(堀保子)がいながら、東京日日新聞の記者神近市子や、辻潤(ダダイスト)の妻伊藤野枝と関係し、自由恋愛を主張していた。嫉妬にかられた神近市子は、1916年11月9日、当時旅館も経営していた日影茶屋に乗り込み、大杉榮を刺した(日影茶屋事件)。助かった大杉は、この後、伊藤野枝と共に憲兵大尉の甘粕正彦に連行され虐殺された(甘粕事件)。一方、神近市子は、傷害罪で懲役2年の実刑判決を受け、収監されたが、1953年、社会党から衆議院議員となり4回当選し、売春防止法の制定に尽力し、1981年93歳で没した。
―――



いつものように椅子席に着くと、ガラス窓の外は竹やぶだ。



逆に外から見ると、こうだ。



庭に出て左手には旅館時代の建物が残っている。



大広間、個室は庭の奥の別棟にある。



頼んだのは日影弁当3,570円。最初に出てきた胡麻和えの写真は撮ったが、肝心の弁当の写真を撮り忘れた。いつも食い気に走って箸をつけてから、写真を撮り忘れたことを思い出す。



このあと、三渓園へ行った話は次回。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引越しを終えて

2008年11月13日 | 個人的記録
今回の引越しは忙しかった。
子どもが引越して行き、我々の引越し先を探して不動産屋と契約し、別の不動産屋と我家を他人に貸す手続きをし、借りる人がすぐ決まり、複数のリフォーム業者から見積もりを取り交渉し、引越屋の見積比較、契約をし、家具や荷物の整理をし、そして引越しした。これらを一ヶ月以内で終えた。
我家の伝統にしたがい、交渉ごとは主に奥様がご担当、私は家具の破壊など肉体労働を若干と、最後の最後の決断を行った。

大きな家具は有料の粗大ゴミで出すが、部屋から外に持ち出すために分解しなくてはならなかった。手首を捻挫してギブス状態の息子には頼めないので、久しぶりの肉体労働だ。木製家具7個をハンマーを使って部屋中を木屑だらけにし、鉄製家具3個の数え切れないほどのネジをはずして分解した。

衣類、本、その他、まだ使えるもの、未使用なものなどただでも誰かに使って欲しいものもたくさんあった。外国ならガレージセールをやるところだが、リサイクル店にも何回か通い、処理した。岡目八目でもっと価値あるものと思っても、見た目のきれいさだけで評価されるのには抵抗があるが、この際は従うほかない。



引越し前日に引越屋さんの箱詰め部隊が我家に来て、使うもの以外を箱詰めした。
当日朝トラックが来て、積込し、午後には引越し先に到着した。夕方前に荷物を部屋に運び込んでもらい、引越屋さんの仕事は完了。

部屋にはLANが来ているらしいので、すぐインターネットをやりたいのを我慢。やりだしたら部屋の隅に座り込んで動かなくなることがわかっている。

最優先で部屋一杯のダンボールの山を空けまくった。あらかじめ荷物は大幅に整理、破棄したにもかかわらず、ダンボールは75個。すべての物の収納場所を決めて、ゴチャゴチャでも良いからともかく押し込め、翌日夜中にはダンボールを空にした。



大きな家具はあらかじめ見取り図の上で場所を決めてあったが、小さい入れ物や、収める場所を失った小物の収納に困った。
前の家は収納場所をたっぷりとった設計にしてもらったので、住んでいるときは楽だったが、自然と荷物が増えて今回の引越しで苦労した。こうなることは分かっていて、棚などが安易に荷物で一杯にならないように空き箱を入れておいたのだが、10年以上経過後、どこも荷物で一杯になっていた。少しずつ工夫を加え、実装密度が上がり、同じ空間により多くの荷物が詰まるようになっていた。



あらかた荷物が片付き、じゅうたんが見えるようになって、空になったダンボールの束の脇でブログを書いている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「年をとって、初めてわかること」を読む

2008年11月10日 | 読書2

立川昭二「年をとって、初めてわかること」2008年7月、新潮社発行を読んだ。

背表紙にはこうある。
―――
老いがもたらすものは喪失と寂寥ばかり?いや、老いたからこそ知る自己発見の驚き、人と分かち合う喜びが、そこにある。心と体。エロス。孤独。共生。愉しみ。看取り―思いもよらなかった「老い」の豊饒な世界を、斎藤茂吉『白き山』から青山七恵『ひとり日和』まで、名作文学のなかにしみじみと読み味わう。いまこそ、この作品を読もう。
―――

また、著者はまえがきで書いている。
―――
「老いの生き方ということがよく言われるが、理屈や教訓に学ぶよりも、じっさいに生きてきた老人たちの生の声、そして作品の中に生き生きと描かれている登場人物たちの言動に学ぶことのほうが身にしみ身につくのではないか。」
―――

老いを語っている33編の名作を引用、解説し、著者の思うところを述べる。惨めな気分になるが、やがて、自分の老化を面白がってじっくり観察する、そんな気にさせる本だ。
各小説を引用し、前後で筋を説明しており、その部分は本書全体の8割くらいを占めるのではないだろうか。著者自身の老いに着目した考察はそう多くない。


著者は、1927年生まれ。早稲田大学文学部卒。北里大学名誉教授。歴史家。とくに文化史・心性史の視座から生老病死を追究。1980年「歴史紀行・死の風景」でサントリー学芸賞受賞。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

老いについて作家のいろいろな考え方をまとめてうかがい知ることができる。本の読み方を教えてくれる本でもある。



第1章 老いの自覚;第2章 老いと欲望;第3章 老いの情念;第4章 女の老い・男の老い;第5章 老いとエロス;第6章 老若の共生;第7章 老いの価値;第8章 老いの美学;第9章 老いと看とり;第10章 老いの聖性

川端康成「山の音」、「十六歳の日記」
若い頃に「山の音」を読んで、「年寄りの小説は面白くないな」と思った。今、主人公は62歳と知って唖然とした。年取ってからでないと読めない小説もある。
14歳の川端康成が唯一の身内として75歳の祖父を看護し看取った。この経緯を書いたのが「十六歳の日記」だ。少年期に老人の心理、生態を肌で感じ取ったために、50歳で主人公が62歳の「山の音」が書けたのだ。


川上弘美「センセイの鞄」
久しぶりに会った当初は“先生”であったのが、“せんせい”になり、師弟の壁、年齢差を越えて“センセイ”になった。そして最後に鞄が帰ってくるときに、“松本春綱”という名前になる。

青山七恵「ひとり日和」
私は、2008年4月9日のブログ「青山七恵「ひとり日和」を読む」で否定的な感想を書いた。今日紹介のこの本で、高校出たての知寿と70歳過ぎの吟子とのやり取りを抜き出して解説したものを読むと、今になって、「ウーム、なかなか良くできている小説だったな」などと思う。「もう少し落ち着いて本を読まないと」と思った。
pub.ne.jp/hiyamizu/?daily_id=20080409

藤沢周平「三屋清左衛門残日録」
残日録は、「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」の意味。
隠居した清左衛門は散歩や釣りなどで悠々自適し、世間から一歩しりぞくだけの生活を思い描いていた。ところが、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまい、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情が襲ってきた。こうした思いは今日の定年後のサラリーマンと変わらない。そして、・・・

深沢七郎「楢山節考」
まだまだ元気な母のおりんを背負って楢山へ捨てに行く衝撃的な話だ。おりんの母も姑も進んで山へ行き、食べ物が不足する子や孫に命をつないだのだ。



引越屋さんが荷物の積み込みをしているそばで、ブログを書いて、アップしている。奥さんのあきらめた顔。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする