hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

子供達も社会の一員

2007年08月30日 | 世の動向
だいぶ前のことであるが、朝日新聞be に山崎ナオコーラさんが連載していた「指先からソーダ」に「子ども時代ならではの」   と題するエッセイがあった。
――――以下引用―――――

 電車など公共の場で、「みんなに笑われちゃうよ」「ほら、人が見てるよ」「お願いだから静かにして」などと若いお母さんが小さな子に一生懸命怒っているのをときどき聞く。社会性を身につけさせることや、我慢を教えることも必要なのだろうと思う。
 けれども、しつけのためというよりは周囲の人の手前があって過剰にしかっている、といったシーンにぶつかると痛々しく感じてしまう。

 小さい子が駅の改札で、「スイカ」を当てるのをやってみたいらしくて、もたもた通っている。お母さんが「早くしなさい」と困っているけど、後ろに並んでいる私は、「ゆっくりやってください」と思う。
 大人の論理を押し付けることないんじゃないのかなあ、と思うのだ。子どもは、小さな大人ではない。
 子どもは、子どもの論理で生きている。そうして、子どもも社会の一員なのだ。
 人生には、年代ごとのきらめきがある。幼年時代は大人になるためにだけあるのではなく、そのときだけの喜びを味わうための時代でもある。
――――引用終わり―――――

私も思う。子供は大人の未完成品ではない。子供時代はその人にとって非常に貴重で、人生の大きな部分を占める。歳をとり最近とみに年月が過ぎるのが早く感じるが、小学校時代の6年間はとても、とても長く感じたものだった。そして、少なくとも子供としては衝撃的な事件が多く起こった。

また、自分で言うのも気が引けるが、最近は年寄りが多いせいもあり、社会の中でかなり重きを置かれているように感じる。しかし、子供は、一人ひとりは甘やかされていても、社会の中での子供の位置づけはけして重要視されていないように思える。
子供の居ない社会は考えられないのだから、無理な面はあるが、大人から見て望ましい子供でなく、子供自身の代表意見を何らかの形で社会に述べる仕組み、機会はつくれないものか。小学校でのクラス会、生徒会はこの意味で機能しているのだろうか。教育制度を議論する場に、何らかの形で子供自身の意見は反映されているのだろうか。

子供達は大人に癒しを与え、夢を抱かせ、思い出させることで、社会に大きな貢献をしているが、そのためだけに存在するのではない。子供達も社会を構成している構成人員であり、子供達自身幸せに過ごす権利がある。

オーストラリアやカナダで、無料で利用できる広々とした公園がどこにでもあるのを見ると、日本の子供達がかわいそうになる。豊かな社会のためには、教育だけでなく、子供自身が楽しく遊ぶ環境も必要だろう。
50年以上前の子供としては、貧しかったあのころの方が子供には恵まれた環境だったように思える。


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バンクーバーの向こうにワシントンハイツを見る

2007年08月28日 | 昔の話

今年6月はバンクーバー・ダウンタウンのガラス張りのコンドミニアムで過ごしたが、7月は郊外のRichmondの住宅街に滞在した。私の滞在した家は立派な住宅が並ぶ地域で、広い道路に面して芝生の前庭があり、花壇には花々が鮮やかで、自動で開く大きなガレージ、何部屋もある広々とした家が続く。一つとして同じ家はないのだが、全体としては統一された町並みになっている。映画やTVで見た、かってのあこがれの豊かなアメリカのようだった。

ふと、「デジャブ(既視感)かな?」と不思議な気持ちになった。目をつぶって静かにしていると、つかまっている針金のフェンスの向こう側に、一面の芝生に点々と建つ明るいペンキ塗りの建物が目に浮かぶ。子供のころ、もう50年ほど前、明治神宮の高いフェンスの向こう側の立ち入れない世界、まったくの別世界、東京の中の外国、米軍将校の住宅街、ワシントンハイツが見えた。

敗戦とともに、陸軍代々木練兵場がGHQ(連合軍総司令部)に接収され、東京駐留の米軍将校のための住宅団地としてワシントンハイツとなった。明治神宮に隣接する今の代々木公園あたりである。92万平米あり、約800世帯のアメリカ軍将校家族の宿舎と、将校クラブ、劇場、教会等があった。倉庫にでも使っていたのだろうか、波目の鉄板でできたカマボコ型の建物もいくつか見えた。
その後、1963年日本に返還され、1964年の東京オリンピックの選手村や、NHKの建物が建った。

子供のころ2駅ほど歩いて、よく明治神宮で遊んだ。参宮橋口から入ると、宝物殿前の芝生の広場には、仰向けに寝転がっている日本人女性の上にぴったり乗っかって、微動だにしないアメリカ兵の姿があった。横目でチラチラ見ながら、道をはずれ、林を抜けると、フェンスがある。フェンスにつかまって一面の芝生を見ていると、遠くにいかにも明るく楽しそうな親子が遊んでいたりして、いつでも腹ペコのこちら側とは別世界のアメリカがそこに見えた。

あのころのアメリカ、といっても日本でのアメリカしか知らなかったが、輝いて見えた。派手で、明るくパワフルで善人のアメリカ人。町で見かける馬鹿でかいアメリカ車、キャデラックや、リンカーン。「アメリカじゃ、一家に2台車があるらしいぜ」「ヒェー」

お袋が私の手を引いて銀座を歩いていたら、米軍将校が、「 Oho! Baby! 」と言って私を抱き上げ、高い高いをした。お袋は、ただオロオロするだけだった。

そんな私がバンクーバーの広々とした住宅街に滞在している。また、アジアに行ったときは、金持ち日本人として物売りが集まってくる。昔のことを思うと、居心地悪く、夢の世界にいるように感じて、実在感が薄れていく。



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「林住期・・・」を読んで思うこと

2007年08月26日 | リタイヤ生活
桐島洋子「林住期が始まる」にあったいくつかの記述に刺激されて、自分なりに思ったところを書いてみた。

1.気持ちの切替
「人生を美しく保ちたかったら、ときどき禊(みそぎ)をしたほうがよい。毎日の禊は入浴で、毎週の禊は休日を徹底的にくつろぐことである。毎月の禊は芝居、コンサート、展覧会など深い芸術的感動に浸り、毎年の禊は外国旅行である」(林住期が始まるより)


禊という言葉、なかなかいい言葉だと思う。辞書を引くと「身に罪または穢れのある時や重大な神事などに従う前に、川や海で身を洗い清めること」とある。この場合に当てはめると、過去に思いをいたし、得たものを身体の中に沈着、肉化させ、余分なものを捨てて、更の状態で新たなステージに臨むことだと思う。

禊までいかなくとも、気持ちの切り替えは重要だ。毎日、仕事から家庭、あるいは逆の切り替えは意識的に実施したい。私は、サラリーマンだったころ、家を出て通勤途中のあるポイントで戦闘モードに切り替えると決めていた。帰りは車や電車に乗った瞬間に背筋を伸ばし深呼吸してリラックスモードに切り替えた。

人生の切替点でも、新しい人生に出発するためには、過去は思い切って捨てた方が良いというのが私の考えだ。「若者は夢に、年寄りは思い出に生きる」という言葉があった(?)が、思い出は積み重なり重くなるばかりである。ときに整理は必要で、常に顔は前を向いていたいものだ。この変化の激しい時代に過去の細かな経験、知恵は役立たないことが多い。本質にかかわるような体験、考え方だけは伝えていかなければならないが。

2.やさしさとは
「男も女もなく、自らを頼む強さがあってこそ、優しさという余裕も生まれるのに、逆に弱さの仮面として優しさもどきがはびこってしまった」(林住期が始まるより)


本当のやさしさとは何か、私にも難しいということだけは分かる。著者が言うように、おためごかしを言ったり、うのみにしてそのまま相手の言うとおりに行動することが優しさではないだろう。虫歯だらけの子供がさらに甘いものを欲しがるときのことを考えれば明らかである。頭ごなしに叱るのではなく、なぜだめか、子ども自身に考えさせるのが大人のやさしさだろう。
「好きな男性は」と聞くと、「やさしい人」と答える女性が多い。容姿、振る舞いにきついところがないことだったり、誕生日を忘れないなどこまめであることだったり、表面的なことで判断される場合が多い。
落第者の私が言うと負け惜しみにしかならないが、結婚すると毎日のことだから、表面的なことも大切なのも理解できるが、本当のやさしさは相手が困ったときにこそ発揮されると思う。自分なりの考え方をしっかり持って何をすべきか判断し、それを相手の気持ちになって表現するということになろうか。しかし、そのときの事情、相手との関係などにより、相槌を打ちながらただ単に話を聞いてあげるだけの方が良い場合もあり、実際は複雑であろう。

3.華
「どうすれば自分に花をさかせられるかとなると、また難しい問題になるが、とりあえず一つ言えることは、人眼の雨を十分に浴びる機会を持とうということである」

芸能人や有名人を町で見かけると、オーラが出ていて、一般の人とはあきらかに違うように見えるときがある。水の江瀧子が石原裕次郎を発掘したとき(話しが古っ)、石原慎太郎の方が良い男だったが、裕次郎にはすばらしい華があると思ったという。
何が華を感じさせるかというと、もちろん服装や、髪型、化粧もあるし、容姿、立ち居振る舞い、にじみ出る人生経験もあるだろう。しかし、一番大きいのは、見る側が、すでにTVや映画の中で知っている有名人のイメージではないだろうか。その気になって見て、実際も魅力的な外観だからオーラを感じるのだ。最近TVに出ない落ち目の有名人に実際に会って見ると、輝きが感じられないことがある。いわゆるせんだみつお現象(?)である。

余談
せんだみつおが仕事もなく家にいると、玄関のベルが鳴った。ドアののぞき穴から見ると、何人かの小学生がいる。「なんだ、またサインくれっていうのか。まあ、暇だからいいか」とドアを開ける。
すると、一番前にいた子供が、「ほらな、やっぱり家に居ただろ」というと、全員、わっと逃げ出した。



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桐島洋子「林住期ノート」、「続林住期ノート」を読む

2007年08月25日 | 読書
林住期(りんじゅうき)とは、務めを果たし自然と向き合って自分自身の人生を静かにみつめる人生の期間である。桐島洋子の「林住期ノート」、「刻(とき)のしずく 続・林住期ノート」と、「林住期を愉しむ 水のように風のように」を読んだ

母子4人で2ヶ月間、世界中を巡り歩き、子育てを卒業し、彼女の林住期が始まった。「林住期ノート」とその続編の「刻のしずく」は、彼女が会った聡明でさまざまな分野で活躍している女性との出会いについて書いたエッセイである。
私など社会を動かしているのは企業、とくに大企業だとついつい思ってしまうが、男性社会とはまた別の形で、場合によっては草の根的に下から社会を動かしているすばらしい女性たちが多くいることを知った。バンクーバーでお世話になった知人が、きわめて好意的に紹介されていてうれしくなる。

「刻のしずく」から2箇所だけ紹介したい。
「今、飛行機に溢れる日本人を見回しても、不気味なペアルックでハネムーン・パックのベルトコンベアーに乗せられた、つがいのブロイラーみたいなカップルズとか、ジョギングに出るような超カジュアルでいかにも旅なれた風に図々しくふるまいながら、挨拶程度の英語もできない卒業旅行の大学生とか、空港の免税店で買うべき化粧品の心配ばかりしているOLとか、パリのロブションがどうのロンドンのサヴォイがどうのと、本の受け売りの気障なウンチクを聞こえよがしに喋り立てるグルメおばさんとかいった、・・・国際人どころか日本人としての手応えさえほとんど感じられない」
(これは約15年前の話だが、今は少し良くなったが、基本的にあまり変わりない。自戒、自戒。)

アニタ・ロディックが始めたボディー・ショップという自然化粧品の会社の紹介がある。この会社は、すべて天然素材で製品を作り、動物実験はせず、工場立地になるべく失業率の高い地域を選び、マスメディアを使った宣伝はせず、従業員は週二時間社会福祉活動するが、会社はその分の給与を払う。
(フェアー・トレイドもそうだが、このような活動がボランティアでなくビジネスとして展開されているのはすばらしい。添加物を入れない、エコロジーに配慮するなどの動きは今では日本の企業の多くが取り入れている。究極はやはり値段をとるか、こだわりをとるかになるが、少なくとも、消費者の選択の幅が広がるのは歓迎である)


「林住期を愉しむ」には、「好きなところで暮らしたい ヴァンクーヴァーに恋をして」という節がある。
「海があり、雄雄しい山、優しい森があり、綺麗な家並みもあり、ダウンタウンの摩天楼もある。豪奢な桜の向こうに雪化粧の山々が聳える。」
「日本だったら人波で真っ黒になる絶景の公園が至る所にあり、人影は少ない」「各国料理は新鮮な材料得て本国よりおいしい」

「引き算の美学」という節には、「もう人生ここまで来たんだから、できる贅沢は遠慮なくしようじゃないの」と決心したのは50歳になったときだった、とある。しかし、「いかに身辺を整理して簡素に風通しよく自然体で暮らすかという方にばかり心が向いていく。結局のところ、折り返し点を過ぎてからの贅沢というのは、足し算ではなく引き算にあるらしいと気付いたのである」

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桐島洋子「林住期が始まる」を読む

2007年08月24日 | 読書
桐島洋子の林住期に関する本を4冊読んだ。まだまだ女性に制約が多かった約50年前に妊娠、出産を会社に隠したままシングルマザーとなり、ヴェトナム戦争のルポに出かけ、三人の子供を育てながらアメリカを放浪し、その体験から『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するという彼女であるから、執筆当時50歳と多少枯れたとはいえ、そのエッセイが面白くないわけがない。

ヒンズー教では人生を勉学や修行に励む「学生期(がくしょうき)」、職業、家庭をもつ「家住期(かじゅうき)」、務めを果たし自然と向き合って自分自身の人生を静かにみつめる「林住期(りんじゅうき)」、そして放浪と祈りの「遊行期(ゆぎょうき)」に分ける。

この「林住期」という言葉は五木寛之が最近普及させたが、桐島洋子の「華やぎの午後のために 林住期 が始まる」は1989年に発行されている。

末っ子ローリーの高校卒業に合わせ、カレン、ノエルと、3人の子供を引き連れて親子生活卒業記念世界大旅行を敢行した。前半はこの旅行の記録で、後半は50歳を迎え家住期への心構えを語る。

桐島洋子はかって「聡明な女を料理がうまい」という本を書いて話題になった。ここでは、頭がいい、利口、賢いとは違う聡明な女や、清清しい女について述べている。

林住期には、火、水、田園、土、お日様に親しもう、月火水木金土日の金(かね)以外を親しく意識して暮らそうと提案している。具体的には、サンドイッチなど簡単な料理を持ってのピクニック、簡単な料理でのパーティー、朝の時間を贅沢に使うなどである。

最後に、料理人で骨董家、写真家のご主人との関係に触れている。びっくりするほど正直な発言で、離婚しそうだと述べている。結局、2002年に離婚に至るのだが。


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庭で野菜つくり (3)

2007年08月23日 | 昔の話
30年ほど前のことだが、三浦半島の先っぽの方に自宅を建てたときに、20平米ほどの畑を作った。今回はその3回目。

潮風
我が家は東京湾を一望する絶景の崖の上にあった。東京にいたときは、海の傍の家などロマンチックだと思っていたが、現実は厳しい。
風向きにより、干してある漁師さんの網の臭いだろうか、魚くさい風が来る。また、潮風が吹き上げ、洗濯物は湿っぽくなるし、ガラス戸に塩がこびり付く。
そして、畑をやっていた10年間で一回だけなのだが、すさまじい台風の夜が明けて、庭を見たとき、唖然とした。畑の作物が、どれもこれも潮風で一夜にして真っ黒になって枯れていた。もちろん、ビニールハウスは飛ばされて跡形もない。

キュウリ
苗は園芸店で購入するのだが、その店は花以外の畑物は、近所の農家向けに売っている店なので、苗の品種を示す名札がない。玄人は見れば、判断がつくのだ。
ある年、キュウリの苗を買い、すくすくと育てた。ついつい収穫が遅れると巨大キュウリになり、後が傷んでしまう。しまったと思い、あわてて収穫し、その場で食べた。カリッと噛んだつもりが、グニャとなる。苦い。全体になんだか柔らかい。ヘチマだった。次々とできるヘチマ。
しかたないので、水につけて腐らせ、筋だけにして、スポンジ代わりのヘチマにした。おふくろは喜んで風呂で使っていたが、10本もあっても困る。おそるおそる近所に持っていったら、いまどき珍しいと喜ばれた。野菜を持っていったときより反応が良かったので、よけいにへこんだ。

ピーマン
ある年、例年のようにピーマンの苗を買い、育てた。収穫時期が近づいたが、なんだかピーマンが細いままだ。間引かずに何房もできているせいと思っていたが、だんだん赤くなる。トーガラシだった。また、苗間違いをやらかした。

しかたないので、収穫して、乾かしてトーガラシとして利用することにした。しばらく経って、乾燥したトーガラシをまな板の上に乗せ、包丁で切ったが、硬くて簡単に切れない。ならばと、すり鉢に入れ、スリコギで強引につぶしにかかった。
なかなかつぶれないが、しばらく続けていると、目がヒリヒリする。そのうち、顔がほてってきて、だんだん痛くなる。顔が腫れ上がり、耐え切れないほど痛くなる。スリコギも放り出して、痛い、痛いと騒いでいるのに、家族は私の腫れ上がった顔を見て笑っている。ぬらしたタオルで顔を冷やす。痛みが収まり、ホットする。助かった。
と思ったら、水が乾いたら、よけい痛くなった。どうやら、毛穴に刺激物が入ったようだ。目をつぶり、口を開けて呼吸し、ただただ時が過ぎるのを待つ。どのくらい時間が経ってからだろうか、ようやく腫れが引いた。
悔しいので、トーガラシは捨てずに、ダンボールの箱に入れて棚の上に置いた。引越しのときに出てきた箱を開けて、思い出し、あわてて捨てた。

10年くらい畑をやって、猫の額ほどもない庭の横浜の家に越してから小さな花壇のみで畑仕事は止めた。
畑仕事は、土つくりが何より大切で、高度なノウハウを必要とする。通常でも多大な手間が必要で、無農薬で広い畑を管理するなど考えられない。予想困難な天候や市場価格のリスクも避けられない。ビジネスとしての畑仕事がいかに大変かを学んだ10年だったともいえる。


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庭で野菜つくり (2)

2007年08月22日 | 昔の話

30年ほど前のことだが、三浦半島の先っぽの方に自宅を建てたときに、20平米ほどの畑を作った。

まず、トマト、ナス、ピーマンの御三家の苗を買って植えた。秋まで収穫ゼロでは待ちきれないので、狭い畑をさらに分割してレタス、コマツナ、ホウレンソウなど葉物を植えた。これもいっぺんにドット出来ても困るので、種の入った袋から少しだけ出して撒き、残りの種は冷蔵庫で保管した。多品種、少量生産である。

連作で成長せず
ナス科には、ナス、ジャガイモ、トマト、ピーマン、トーガラシがあるが、ナス科を同じ場所に2年、3年と続けて植える(連作)と、成長障害になる。したがって、畑を分割して年毎にずらして植えるようにしたが、なにしろ狭いので、何年もしないうちに連作となってまともに育たないことになってしまった。したがって、長く収穫できるのはサヤエンドウくらいで、結局、一度収穫すれば終わりのエダマメ、キャベツや、葉物がだんだんメインになってしまった。

旬(しゅん)のときに一斉収穫となってしまう
レタス、ホウレンソウなど葉っぱ物はできるときは一斉にできて、一気に収穫しないといけない。自宅ではいっぺんに食べきれないし、近所に差し上げるほどのできでもない。それに、旬のときには店での値段も安くなる。収穫物を奥様に見せても、「スーパーだったらもっと立派なのが10円くらいかしら」などと冷たく扱われてしまう。

ビニールハウスに挑戦
無農薬でやっているので、虫もいるし、葉は穴だらけである。「売っているのは虫も食わない野菜だぞ」と負け惜しみを言っても、冷たく虫、じゃなかった無視される。
そこで、園芸店へ行って、ビニールと園芸用棒を買ってきて、洗濯ばさみで止めて、屈めば入れるくらいの高さのビニールハウスを畑の一角に作った。これで、飛んでくる虫も、その卵も防げるし、温度を上げて旬をはずして成長させ、収穫できるとの目算だ。
結果的には虫対策には多少の効果はあったが、植物の自然の理には勝てず、旬をはずすのは難しかった。それよりなにより、風が強いと、ビニールを止めてある洗濯ばさみが吹っ飛んで、翌日は大忙しだった。




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庭で野菜つくり (1)畑を作る

2007年08月19日 | 昔の話

半世紀ほど前の東京でも畑がまだ残っていたが、私には畑仕事の経験はない。先に述べたように結婚してまもなく、ベランダで菊作りして植物を育てる楽しみと、土いじりが癒しになることを知った。

もう30年も前のことだが、東京から三浦半島の先っぽの方に引越したとき、農家で一坪農園を貸していることを知った。同じく東京育ちの奥さんに相談すると、一度畑仕事をしてみたいと言う。さっそく、一区画借りて、農家の人に教わりながら、トマト、キュウリ、ナスなど野菜つくりを始めた。

初回の種まき、苗植えのときは農家の人が要領を教えてくれた。堆肥と化成肥料をバンバン撒くので驚いた。畑の土も肥えているので初年度は立派な収穫があった。2年目は畑に通う回数が減って、多少出来が悪くなり、3年目は月一回程度になって肝心なときに苗を植えられなかったり、収穫の時期を逃したりした。なにしろ、場所が自宅から遠く、毎土日にきちんと通うのが大変で、3年であきらめた。
ただ、子どもはなかなか思うようにならないが、植物は手をかければかけるだけ、それに応えてくれることは実感した。

近くに自宅を建てたときに、長年の夢を実現するために、狭い庭いっぱいに2m*10mほどの畑を作った。さえぎるものない南向き土地にコンクリートで囲いをつくり、中に畑用の土を入れてもらった。これで毎日、たとえ夜でも、野菜の面倒が見られる。狭いながらも楽しい畑である。
奥さんにも、「これからは野菜が欲しいときは、庭に出れば新鮮そのものの野菜が手に入るぞ」と大見得をきった。





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桐島洋子「淋しいアメリカ人」を読む

2007年08月17日 | 読書
1971年に出版され、72年に第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「淋しいアメリカ人」を読んだ。

時代を切り取るノンフィクションでありながら36年経った今でも新鮮で、「そうそう」とうなずく点が多い。もちろんアメリカも、より複雑化した社会になり、今では無くなった風俗や、現在には適合しない記述もある。しかし、激しく変化しているアメリカも、基本的社会構造、各層での考え方など変わっていない点も多いと、この本によって教えられた。

著者の、ある出来事や、人の言葉の表面でなく、その裏というより、その基となるところを把握する力には感心する。これは著者が、単に皮肉屋というだけでなく、自分というものをしっかり持って、軸がぶれないためでもあろう。


フリープレス広告で夫婦スワピングを行うごく普通の夫婦たちの話がある。本当かなと思うほど大胆な行動も多いが、ベトナムの戦場にもぐりこんだり、30年も前に未婚の母になったりしたこの人の行動力を思うと、信じられる。

以下、いくつかなるほどと思ったところを引用する(一部文章を短くしている)。

「無知な若者の火遊びによる招かれざる私生児が多い」「養子がかなり行われている。自分の子供はどんな子が生まれてくるかまったくわからないうちから親子の縁を結ぶのにくらべ、養子の場合は、性別はもちろん、ある程度の容姿も確認してから縁を結ぶのだからリスクは少ない」

「子から離れて淋しく暮らすアメリカの老人の姿を、個人主義の悲惨な結末といる感傷的な見方で評価する人が少なくないようだが、本当に逞しい個人主義を生きてきた人間なら、老年に達してそれが突然悲惨に変わったりはしないものである」「さすがに個人主義の国だ。筋金入りの個人主義者が多いと、私を安心させてくれるしっかりした老人達がそれぞれの城を守って生きているのがアメリカだった」

「チャーター機でヨーロッパ旅行する大金持ちがレストランの勘定書きの一つ一つを厳密にたしかめ、ちょっとでも間違いがあろうものなら徹底的に追求する」

「中流階級は浪費への憧れと節約の義務感とが、いつも彼等を慢性的な焦燥状態においている。・・・アメリカでセーブ・マネーとわめきたてるのは、銀行ではなく商店なのだ。今週は当店のセールでセーブ・マネーを! 買わないで節約のチャンスを放棄するのが堅実な市民として許さざる怠慢のようにさえ思われてくる。セーブ・マネー! この呪文がアメリカ市民の消費の免罪符なのだ。」

「私がかって取材のため(ベトナムの)非武装地帯に進攻した海兵隊と共にジャングルで野営していた数日間、これでもかこれでもかと空から降り注いだのは、敵の砲弾ではなくおびただしいアメリカ食品だった。  将校の個室には冷蔵庫が完備し、食堂に行けばカンサス牛のステーキと、アイオワのスウィート・コーンと、カリフォルニアのオレンジ・ジュースと、・・つまりアメリカ中の大衆食堂と全く同じメニュー、同じ味が用意されている」



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綿矢りさ「夢を与える」を読む

2007年08月16日 | 読書
待望の綿矢りさの芥川賞受賞後第一作「夢を与える」を半年遅れで読んだ。

幼いころからCMモデルとなり着実に芸能界へ進出した美しくすこやかな夕子が、ブレイクし、そして…。

ともかく、ていねいな記述ではあるが、平凡な想定内の物語である。前二作にあった瑞々しい感性による心理描写はみられない。若いのにかなり意識的にポイントを意識して冴えを見せ、話を構成する小説上手と見たが、この延々とつづく愚鈍さはわざとなのか。

私にとって小説というのは、魅力的な人物の登場、予想外の展開や、作者の作る虚構の世界に引きずり込む筆致などによって楽しませてくれるものだ。

ところどころ、難しいと言われる三人称での記述があるが、とても成功しているとは思えない。

まだまだ若い綿矢りさが大転換し、第四作で私たちをびっくりさせてくれる可能性は少ないような気がしてきた。全体が鈍重で、こまかい情景描写だけが精細のこの小説を読むと、彼女の才能を生かすには、すくなくとも当分は短編小説に専念した方が良いのではなどと、素人にくせに思ってしまう。


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パソコン再生記(2) 状態復帰

2007年08月15日 | その他

私のパソコンのハードディスクHDDが壊れ、保存データが全部消えた。故障原因追求の前回に続き、今回は新しいHDDになったパソコンをネットワーク・メール設定、XPアップデートなど、以前の操作を思い出しながら試行錯誤で使えるようにするまでの苦闘記である。

十分なバックアップや、メモがとってなかった。だいたいは、なければないで諦めがつく。特に困った点は以下である。
・ネットワークなど各種設定方法、値のメモがない:紙に書いておくべきだった
・バックアップ後追加分の文書、写真などのデータ:こまめなバックアップが必要だった。あきらめるしかない。
・最近追加分の住所録:バックアップや、ハードコピーが必要だった
・最近追加のメールのアドレス帳、送受信済みメール:たまたま旅行中だったので、会合などの約束はないはずだが。乱暴な話、本当に必要なら相手から連絡してくるだろう。
・RSSや、ブラウザのお気に入り:これを機会に心機一転するしかない
・ユーザ辞書を0から作り直し:今後、また、こまめに登録していくしかない
・ネットからダウンロードし便利に使っていたフリーソフトの中には探しても見つからないものもある。これも、最近作られたもっと便利なものが見つかるに違いない。

以下、だらだらと再設定、データ復活の経緯を書く。パソコンに詳しい人にはばかばかしく、ただ何事もなく使っているだけの人には意味なく、しつこい話である。

ネットワーク接続
我が家のネットワーク構成はADSLモデム+ルータからワイヤレス装置を介して2台のパソコンがつながっている。
まず、ルータへLANケーブルでパソコンを接続する。コントロールパネルからローカルエリア接続のタブ(全般)を選択し、IPアドレス・DNSサーバー自動取得にする。その他、ダイヤルしないを選択する。
コマンドプロンプトでIPアドレスを確認する。
ワイヤレス接続のため、ネットワーク名SSIDや暗号化キーを入力する。ああでもない、こうでもないと、16進の26文字のキーを何回入力しなおしたことか。

Microsoftのサイトへアクセスし、Windows UP date、IE 7 Downloadする。

プリンターのドライバーをCDからインストールする。

セキュリティ・ソフトを再ダウンロードする。ネット購入ソフトのため、CDはなく、シリアル番号、パスワードが、パソコンには保存してあったのだが、プリントアウトしてなかったため、控えを見つけるのに大騒動。
インストール後、パスワード、個人情報など守りたい情報を入力。

メール設定
Mail account, サーバー名、パスワードなど二人分設定。

バックアップ用外付けHDDからデータ引き写し
バックアップしてあった半年前のデータをコピー。これは簡単。
バックアップしてあったアドレス帳をインポート。臨時に使っていた息子のパソコンの送受信メールをメモリーカード経由でインポート
バックアップしてあった2年前の住所録をコピー

各種ソフトをインストール
住所録ソフト(CD)、お絵かきソフト(CD)、簡易HP作成ソフト(HDD)、RSSソフト(ダウンロード)、家計簿ソフト(HDD)、圧縮・解凍ソフト(HDD)、その他便利なソフト数種(HDD、ダウンロード)

まだまだ、今年の年賀状から住所録へ入力など作業がまだまだある。そうそう、外付けHDDへバックアップをしなければ。でも、もう少し経ってからでも良いのかも??


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パソコン再生記(1) 故障原因追及 

2007年08月15日 | その他

私のパソコンのハードディスクHDDが壊れ、保存データが全部消えた。新しいHDDを入れて購入時の状態から再生させる苦闘記である。
もっとも、パソコンに詳しい人にはばかばかしく、ただ何事もなく使っているだけの人には意味なく、しつっこい話である。

パソコンがダウン
7月末に突然パソコンが動かなくなった。ウインドウをいくつか開いていて、アクセスしたサイトがさっぱり開かないので、じれて電源ボタンを押してシャットダウンした。何回かあったことなので、引き続き電源ボタンを押して立ち上がるのを待った。

「Windowsが正しく開始できませんでした。最近のハードウェアまたはソフトウェアの更新が原因の可能性があります。」と表示され、以下の5つの方法を選択するようになる。
セーフ・モード/セーフ・モードとネットワーク/セーフ・モードとコマンド・プロンプト/前回正常起動時の構成/Windowsを通常起動

これらどれを選択、実行しても、以下の画面となる。
「A problem has been detected and windows has been shut down to prevent damage to your computer.
UNMOUNTABLE_BOOT_VOLUME 」

電源を入れてDELLのロゴが出たらすぐF2を押し、いろいろ試しても結局、「A problem has been detected and ・・・」の画面になる。

診断
Windows XP のCDを入れて再インストールしてみようかと思ったが、いい方法がないかと、息子のパソコンでDELLのサイトでFQAを調べたがぴったりのがない。Dellのサポートセンタに電話する。

XPの再インスト-ルの他に修復インストールというのがあると言うので、試みた。
Dellのロゴ表示中にF12を連打する。すると、
2,4,5の下に「Diagnostics」と表示されるのを選択しEnterを押す。
・・・Start DST Test ・・と表示され、
Test Result : Fail
Error Code : 1000?146
Msg : Unit 0 : DST log contains previous error(S)
となった。
この結果をサポートの人に伝えると、恐れていたとおりの死刑判決があった。
「ハードディスクが壊れています」
「エー! そうすると、データはすべて消えてしまったということですか?」
「残念ながら」
バックアップとったのは、たぶん半年ほど前だし、時間節約で一部しかバックアップしなかったなどと、思い出しながらしばらく沈黙。

あきらめだけは早い、私は、「じゃあ、今後どうすればよいんですか?料金は?」と質問。
「2つ方法があります。新しいHDDを送りますから、そちらで取り替えていただく方法と、パソコンをこちらに送っていただいて、HDDを入れ替えて購入時の状態にして送り返す方法です。前者だと2,3日で、後者だと一週間から10日かかります。購入から2年以内ですので、いずれも送料も含めて無料です。」
スピーカーから音がでないという障害もそのままにしていたので、パソコンごと送り、直してもらうことにした。

1週間後にまっさらになって送り返されてきたパソコンを使えるようにするための苦闘記は次回。





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飛行機の中で見た映画

2007年08月13日 | その他

バンクーバーから成田へのJAL便で見た映画の感想を述べる。
最初の3本はほぼ完全に見て、そのあとの3本は飛ばしながら見て、最後はちらっと見ただけ。カンタスはチャネルを選択すると、映画はそこから始まるが、JALはあと何分後に始まると表示されて、そのままだと途中から始まる。したがって、多くの映画を見るには飛び飛びで見るしかない。もっとも10時間たらずの時間で6本の映画を見ようというのがもともと無理なのだが。

5ch :憑神(つきがみ):4つ星(満点は5つ星)
物語上手の浅田次郎の原作を次々登場するベテラン俳優が楽しい時代劇コメデイにしている。わざわざ映画館まで行く気はしないが、飛行機の中で見る映画としては極上等。
幕末の波乱の時代に、将来を期待されながら旧友に大きく遅れをとっている下級武士の彦四郎が3人の災いの神様にとりつかれ数々襲い掛かる不幸を暗くならずにあっけらかんと乗り越えていく。最後にかわいらしい死神にとりつかれた逆境の中で武士としての矜持を取り戻す。
監督降旗康雄で、勉強はできたのにボーとして頼りない武士を妻夫木聡が(地で)好演している。ベテランの西田敏行、夏木マリを始め、芸達者な江口洋介、香川照之、佐藤隆太、赤井英和が登場。

7ch :美女はつらいよ(先行上映):3つ星
「白鳥麗子でございます」の鈴木由美子のコミック「カンナさん大成功です!」の韓国での映画化。話の筋はいつものパーターンではあるが、テンポが良いのでついつい見てしまう。
ブスでデブのゴーストシンガーが全身整形手術で誰もが振り替える美人へ変身する。念願の歌手デビューして、それから、ドタバタが始まる。45キロのキム・アジュンが特殊メークで95キロに変身するのが見もの(映画では逆だが)。
整形手術が一般化している韓国ではヒットしたようだ。

3ch :300スリーハンドレッド:3つ星
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスによるテルモビュライの戦いを題材にしたフランク・ミラーの人気グラフィック・ノベル(大人向け長編アメリカン・コミック)の映画化。どこかで見たことがあるような気がする。
子供のころから鍛えぬいたスパルタの兵士が、王レオニダスのもとで、奇策を駆使し、最後は肉弾戦で、クセルクセス率いるペルシャの大軍に挑む。凄惨な場面も多いが、CGとの合成による戦闘シーンは見所である。単純に戦いの画面を楽しむ映画。

8ch :ブラックブック:3つ星
ナチス占領下のオランダでドイツ軍に家族を殺されたユダヤ人歌手のラヘルはレジスタンスに加わり、スパイとしてドイツ軍に潜入する。ドイツ人将校ムンツェに接近するが彼に心を動かしてしまう。レジスタンス内に裏切り者がいることがわかり、・・・・。
筋立てはどこにでもあるものだが、可憐で美くしく、かつ毅然としたヒロインのカリス・ファン・ハウテンが魅力的。

14ch :ユー・ガット・メール:2つ星
母親の代から続く小さな絵本の店を経営しているメグ・ライアンと、大書店をもつ大会社の御曹司トム・ハンクスが、ハンドル名を用いてインターネットの中で話を深めていくラブ・ストーリー。1940年製作の映画のリメイクで、文通をe-mailにしたという。
なんで最後に許してしまうのか理解できないが、ラブ・ストーリーに文句をいう資格もないし、メグ・ライアンなら許しちゃうか。

2ch :The Number 23 (先行上映):2つ星
平凡な男が古本屋で自分の過去を記したような奇妙な本を見つけ、自身の人生には常に「23」という数字が密接に結びついているという妄想にとりつかれ、精神的に追い詰められてゆくというサスペンス。もともとサスペンスは、ばかばかしい設定のものが多いので私は好きでない。コメディ役でおなじみの主人公ジム・キャリーの迫真の演技にもついていけず、最初と最後しか見なかった。

6ch :ディープ・ブルー:4つ星
海に住む生き物たちの営みを撮ったBBC製作の海洋ドキュメンタリー。いわしの大きな群れに襲い掛かるマグロや鳥、マッコウ・クジラの子供を6時間も追い回して殺し、あごなどわずかしか食べないで去るシャチ。厳しい自然の中の残酷に見えるシーンも多いが、美しい映像にベルリン・フィルの音楽が深みを与えている。



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はるかなるチャンバラごっこ

2007年08月12日 | 昔の話
昔々、その昔、50年とちょっと前のことだった。ある日突然、「今夜やるぞ」との話が通っていた小学校を走り回る。いつ、誰が言い出すのか、誰にもわからない。話は休み時間に5,6年の男子生徒にまたたくまに広がっていく。

その日の5時になると男の子たちが集まり始める。場所は、地元では山大公園と呼ばれているところで、野球のグランドほどもあり、ちょっとした斜面で、一面の笹の間に木々が立ち並ぶ林になっている。5時半には驚くほどの子供たちが集まる。皆、手製の竹でできた刀を持っている。1m ほどの細い竹の太い方を手元として、端から10cm ぐらいのところにお椀や、おたまの中心に穴を開けたものを通し、紐を前後に巻きつけて固定し刀のつばとしている。

自然発生的に戦いは始まる。誰が采配を振るうわけでもないのにうまい具合に東西2 陣営に別れる。斜面の上と下にあるいつも決まっている大きな木がそれぞれの陣営のベース基地になる。
戦いは1対1でチャンバラである。というより当時はそんな名前は知らなかったが、ようするにフェンシングである。もっとも多くの子供は竹を突くだけでなく、左右に振り回して相手を切っていたのだが。
互いの判定で、相手の刀で手足や体を触られた方が負けとなる。負けた子は捕虜になり、相手陣営のベース基地の木に数珠繋ぎにつながれる。今でも不思議なのだが、戦いの中で、触った、触ってないの言い争いはほとんどなかったと思う。負けてつながれながら、「早く助けてくれ!」と叫ぶのもなんだかウキウキすることなので、あっさりと負けを認めたためもあったと思う。

生い茂る笹の下を腹ばいになって敵を避けて進み、あるいは倒しながら、味方がつながれた列のどこかに刀で触ると、列の全員が開放される。開放された子供たちは大声を上げていったん基地に戻る。
多くの子供が負けて列が長くなると、長い補給路を守りきれなかった日本軍のように、長い列全部を守ることが難しくなり、やがていっぺんに捕虜が開放されることになる。

戦いは勝ちそうになり、負けそうになり、ダイナミックに日が完全に暮れるまで続く。
統率者がいないのに全体がバランスし、もめごともなく、あちこちで、真剣でフェア-な戦いが行われ、生き生きと駆け回る子供たち。

まるで、夢のようであった。いや、いまでも目に浮かぶあの光景が夢か、本当にあったのか今では判然としない。


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横綱の品格とは何か

2007年08月09日 | 世の動向

横綱朝青龍がけがを理由に巡業を欠席したのにモンゴルでサッカーをしていて問題になっている。私には大騒ぎするほどの問題ではないと思えるし、日本相撲協会の処分はこの問題だけに対する処分としては重いと思う。

サッカーしているTVの映像を見る限り、確かにすばやい動きで腰をけがしているようには見えない。しかし、プロスポーツ選手はだれでもけがの1つ、2つ持っており、けがを抱えながらプレーしているのが普通だ。お遊びのサッカーくらいなら腰の疲労骨折であっても可能なのではないだろうか。もちろん、巡業とはいえ体が激突する相撲をとるわけにはいかないとしても。

脱線だが、けがした力士が、けがで十分力を発揮できないし、完治に悪いとわかっていても無理して出場するケースが多いが、私は反対だ。
かって、貴乃花がひざをけがしていて無理に武蔵丸と戦い優勝した。時の小泉総理大臣は優勝杯を渡すときに、「感動した!」と言って、ナイーブというよりnaiveな国民の支持を得た。結局、小泉人気は磐石のものとなったが、まだまだ大横綱への道を進めたはずの貴乃花はけがの悪化で引退し、大相撲人気は下火になってしまった。


また、今回の処分の前提には朝青龍の従来からの行為に関し横綱としての品格を問題としているようにも思える。それならば、問題を起こしたその時点で日本相撲協会から注意なり処分なりがなされるべきである。一人横綱で大相撲を支えているときはだまっていて、白鵬が横綱になったら、厳しい態度をとるのはいかがなものか。

横綱の品格とは何なのか。朝青龍は、たとえば、倒した相手をさらに押したりすることがある。また、必要以上に強い技をかけたり、立会い逃げた相手をにらみつけたりする。
双葉山や、大鵬、白鵬のように受けて立つタイプでなく、比較的小柄で先に攻めて攻めまくり、何もさせないで勝つタイプの朝青龍は、ともかく戦闘意欲を燃え上がらせ、相手を圧倒しなければならない。このため、多少乱暴な行為があったとしても、格闘技の一つにはまちがいない相撲では、ある程度行儀作法に反する行為も許されるべきと思う。

また、心技体で、心というのが、土俵外も含めた人の品格をさすなら、きわめて抽象的なので、具体的に問題点を指摘するべきである。
私には、花田家の相続に関するいわゆる若貴問題のときに見た元横綱貴乃花の態度、言動が品格あるものには見えなかった。立派な横綱とたたえられた人の品格などそんなものだ。

こんな展開になってしまっては、朝青龍が復帰できたとしても、憎憎しいばかりの圧倒的強さで相手をねじ伏せる相撲はもう見ることができないだろう。
なんのかのと、はっきりしないことを言って、結局異質なものを排除する日本的構造がまだまだ健在だ。


コメント (1)
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