hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

高田郁『あい』を読む

2013年05月31日 | 読書2

高田郁『あい 永遠に在り』(2013年1月角川春樹事務所発行、352頁)を読んだ。

九十九里浜近くの貧しい村に生まれた「あい」は、田に出てよく働き、機を見事に織った。叔母の年子からは、「いつも物事の明るい面だけを見ているのは、・・・ふた親から充分に情を受けて育った強みだよ」と言われる。

あいは18歳で、いとこの関寛斎23歳(いづれも実在の人物)に嫁ぐ。寛斎は農民の出ながら、尋常ならざる努力で佐倉順天堂に入り、苦学して医者となり、銚子に医院を構える。コレラが長崎、関西を経て、江戸で3万人の死者をだした。しかし、寛斎の予防策により、銚子ではごく少数が罹患しただけだった。

彼は、長崎留学を経て徳島藩典医として士分に取り立てられ、戊辰戦争では官軍側の野戦病院で敵味方なく治療して活躍して名をあげる。彼は、新政府からの誘いも断り、家禄を返上、士族籍を辞し、「関医院」の看板を掲げ、懐豊かな者からは治療代を多く、貧しい者からは受け取らなかった。

73歳になった寛斎は、68歳のあいとともに、北海道へ渡り、原野開拓に挑戦する。
そんな、頑固、清貧な彼を傍らでしっかり支え続けたのが妻の「あい」だ。

初出:第1章~第3章は「ランティエ」2012年8月号~10月号、第4章は書下ろし



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

関寛斎の高齢になってからの挑戦、極端に清貧さを保とうとする頑固さに、妻あいの楽天ぶり、夫唱婦随ぶりに感心する。
そして、著者高田さんのいやになるくらいな真面目さに、へとへとだ。ちょっとは、ユーモアが入ると一本調子にならないのにと思う。

北海道に渡ったが、体が弱り、原野開拓に向かえない「あい」にアイヌの歌が蘇る。
お前はひとりの男を愛し抜いた。
その男を支え、寄り添い、ともに夢を抱いて、生き抜いた。
それ以上に尊いことはない。

寛斎は言った。「婆はわしより偉かった」(あとがき&「みみずのたはごと」より)

著者はあえて触れていないが、関寛斎の最後は残念だ。以下、「弥栄の杜から」と、徳富健次郎「みみずのたはごと」による。
寛斎はトルストイに深く心酔しており、小作人に農地を解放することを希望したが、家族に反対されて苦悩の末に服毒自殺した。(自殺の原因として他に、明治天皇の崩御と乃木希典の殉死、長男の生三からの告訴や寛斎自身の肉体の衰えなどが重なったことが考えられる。)




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香山リカ『若者のホンネ』を読む

2013年05月29日 | 読書

香山リカ著『若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか』(朝日新書378、2012年12月朝日新聞出版発行)を読んだ。

宣伝文句はこうだ。
平成生まれの大卒社員が社会人になった。中高年の多くが「最近の若者は何を考えているのかわからない」という悩みを抱えている。若者に特有のプライドとは何か、コンプレックスとは、恋愛や人間関係とは……「学歴」「お金」「睡眠」「勉強」「責任」「自分みがき」「いじめ」「遊び」「涙」「友達」「環境」「仕事」「クルマ」「平和」「ブランド」「結婚」など40のキーワードを元に精神科医で立教大学教授の著者が、中高年と若者の心理の違いを綴った10年ぶりの若者論。


「昔は『とりあえず生ビールを人数分ね』などと言ったものだが、いまはひとりひとりがメニューをじっくり見ながらそれぞれ飲みたいものを決め、ひとりひとり注文する。」

「深いかかわりはしたくないし、ただ群れているのはムダだとわかっていても、とりあえずひとりでいなくてすむくらいの友だちはほしい」
「四六時中、友だちや知人のブログやツイッターなどをチェックし、・・・いつも『メールしたのに返事がない。嫌われているのかな?』『ツイッターでつぶやいても誰もレスしてくれない。ついに“ぼっち”になったか』などとまわりの仲間の顔色を気にしながら暮らす・・・」

新型うつの人は、「『遊び』なら緊張もせずに不安にも駆られずに取り組むことができるが、いざ『仕事』となるといきなりハードルがあがって、手も足も出せなくなる。」

今どきの若者は、生きづらい世の中を、無難に、なんとか生き抜くことを第一とし、合理的に考えているようだ。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

この本読んで「最近の若者は元気ない年寄りみたいだ」と、昔々の怒れる若者、今はキレる爺さんの私は思う。でもこんなおとなしすぎる若者を作ったのは、我々の作った世の中であり、大切にと育てた親たちなのだ。
特に、母親が家庭内で父親をのけ者にして、女系家族で子供を育てた罪は重い。と、とばっちりを飛ばして、こんなところで憂さ晴らし。

香山さんも精神科医なら、学生がああいった、こういっただけでなく、そのよって立つところをもう少し分析して欲しい。

若手社会人へのアンケート調査で、4割が「出世したくない」と答えたそうだ。まだ4割かよ、と私は思う。私など50年前から、たいして給料も違わないのにいやな仕事が増える偉いさんなどになりたくないと思っていた。こんなこと言うと、負け惜しみバレバレだが。



香山リカは、1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。学生時代から雑誌などに寄稿。その後も、臨床経験を生かして、新聞、雑誌などの各メディアで、社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍。
それにしても、香山さん、書き過ぎです。
おとなの男の心理学
<雅子さま>はあなたと一緒に泣いている
雅子さまと新型うつ
女はみんな『うつ』になる
精神科医ですがわりと人間が苦手です
親子という病
弱い自分を好きになる本
いまどきの常識
しがみつかない生き方
だましだまし生きるのも悪くない
人生の法則




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スティーブ・ハミルトン『解錠師』を読む

2013年05月26日 | 読書2

スティーブ・ハミルトン著、越前敏弥訳『解錠師』(HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS No. 1854、2011年12月早川書房発行)を読んだ。

主人公のマイクルは、8歳の時の事件以来、声が出なくなってしまった。しかし、彼には、絵を描く才能と、錠を開け才能があった。
シリンダー錠に魅了され、腕を上げ、同級生たちにそそのかされ、いたずらに入った屋敷で捕まってしまう。更生プログラムで、その屋敷で労働することになったマイクルは、同い年の少女アメリアに恋する。
17歳のマイクルは、よんどころなく巻き込まれる形で、また一方ではアメリアを守るためにも、ゴーストと呼ばれる伝説の金庫破りに弟子入りし、プロの解錠師ロック・アーティストとして犯罪に手を染める。

18歳の誕生日を前にしたマイクルは、客の種別によって色分けした数種のポケットベルの指令によって仕事を始める。彼はゴーストの後継者として、組織の末端として仕事する。そして、赤のポケベルは最優先、トップからの指令だ。

物語は、17歳の頃からの、マイクルがボケベルで呼び出され、泥棒たちにピキング、金庫破りの技術を提供する解錠師の日々と、8歳の頃の出来事のあと、伯父に引き取られてから解錠師になるまでの日々が交互に語られる。後半に2つの時間軸が近づいてからはスピードが増し、8歳の時にマイクルに起こり、言葉を失った恐ろしい出来事が何かが明かされるという凝った構成だ。

本書、原題『The Lock Artist』は、2011年のアメリカ探偵作家クラブ(MWA)のエドガー賞最優秀長編賞と、英国推理作家協会(CWA)のイアン・フレミング・スティール・ダガー賞をダブル受賞した。
日本でも、「このミステリーがすごい!」と「週刊文春ミステリーベスト10」の両方で第1位に輝いた.



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

トラウマを抱えた少年が犯罪に染まりながらなんとか生き延び、少女への恋にひたむきとなり、微妙なピンの気配を察知する研ぎ澄まされた感覚を磨く。3つの要素がうまく溶け合っている。プロの危険いっぱいの仕事の流れを、子供のころからの話が追い付いていくという構成も斬新だ。人気になったのも納得できる。

しかし、なぜか私は熱中できなかった。なぜか自分でも説明できないが、絵がらみでの恋がご都合主義で平凡なのと、なぜ犯罪に巻き込まれ続けるのかに納得できなかったこともある。子供のころの親友がそのまま出てこなくなるのも不審だ。



スティーブ・ハミルトン STEVE HAMILTON
1961年デトロイト生まれ。ミシガン大学卒。
1998年『氷の闇を超えて』えMWA賞、PWA賞の最優秀新人賞受賞。
ニューヨーク州のIBM本社に勤める兼業作家

越前敏弥(えちぜん・としや)
1961年生まれ。東京大学文学部国文科卒。翻訳家。
訳書『さよならを告げた夜』マイクル・コリー、『氷の闇を超えて』スティーブ・ハミルトン、他多数。

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柴田元幸『翻訳教室』を読む

2013年05月24日 | 読書2

柴田元幸『翻訳教室』(2006年3月新書館発行)を読んだ。

2013年4月5日朝日新聞出版発行の文庫版の紹介にはこうある。
東京大学文学部でのエキサイティングな名物講義(2004年10月~2005年1月「西洋近代語学近代文学演習第1部 翻訳演習」)を完全文字化した紙上実況中継。R・カーヴァー、ヘミングウェイなど9人の作家のテキストをいかに訳すか? 原文テキストのニュアンスや文体を考えながら単語一つ一つを取り上げてはどう訳すべきか、著者は学生と徹底的に話し合い、議論を深め、そして解説していく。著者の翻訳に対する姿勢が随所にのぞき、著者翻訳作品のファンにも必読の一冊。読み進めるほどに、英語、日本語、表現、言葉、小説……と、知的好奇心が限りなく広がっていく。ゲストに英訳家のジェイ・ルービン氏、さらに村上春樹氏が登場した回も完全収録!


ダイベック、ユアグローなどの小説を学生たちに訳させ、一語一語添削していく過程が丁寧に再現されていて、授業の「実況中継」だ。

村上春樹の「かえるくん、東京を救う」の英訳を日本語に訳したり、訳者のジェイ・ルービンが登場して話に加わったりする。「英語は動詞がものすごく強い。日本語は副詞プラス動詞を使うと強さが出るけど」

次に、村上春樹本人を呼んできて翻訳について語らせる。「小説を書くときにいちばん役にたった言葉はフィッツジェラルドの『人と違うことを語りたかったら人と違う言葉を使え』というもので、文章を志す人はほかの人とは違う言葉を探さないといけない」。

柴田さんは、例えば、こんな風に言う。
(この学生の)訳文はいわゆる「玉ねぎ文」になってしまっている。すごく単純な例をあげれば「彼は私がバカだと言った」が玉ねぎ文。主語1、主語2、述語2、述語1という語順ですね。

興味ない分野の訳は、誰かにみてもらった方がいいですね。僕もファッションと車とゴルフにはまったく興味がないので、そういうのが出てくると誰かに見てもらいます。

翻訳は語彙の豊かさが肝腎などと言いますが、むしろ、似合わない言葉を取り除いていく作業だと思います。




私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)


以下、村上春樹を迎えてから。

村上春樹が、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳の中で、「you」の訳し方について語っている。
・・・「きみ」って訳したんです。僕もずいぶん迷ったんだけど、それについてもいろいろ批判がありました。あれは実体のない「you」だから訳すべきではないと。・・・アメリカ人は「you」は実体のない「you」だと言っているけど、実体は本当はあるんですよ。あるけど彼らが気づいてないだけじゃないかと、僕は思うんです。日本人である僕らが見るとそれが存在しているのがわかる。でも彼らにしてみれば、もうDNAに刷り込まれているからわからない。・だから僕としては、二回「you」を使う部分があれば、一回はなし、一回はありでいこうと決めている。・・・翻訳というのはネイティブに訊けばわかるというものではないんです。

村上「それで結局、三十歳のときに小説家になっちゃったんだけど、小説書くより翻訳していたほうが楽しい。だから最初に・・・新人賞とって何がうれしかったかというと、これで翻訳が思う存分できるということでした。だからすぐにフィッツジェラルドを訳したんですよ。・・・以来二十五年間、小説書いては翻訳やって、翻訳やり終えると小説書いて、・・・。

村上「テーマも決めないし構造も決めないという書き方をする。・・・はっきり言って中心に何も。この前『アフターダーク』って本出して、それはどういう風に書いたかというと、まず最初にシーンが浮かぶわけ。たとえば、渋谷なら渋谷の、十二時ぐらいでデニーズで女の子が本読んでて、そこに男の子が来て「あれ?」って感じでふりかえって戻ってきて「誰だったっけ?」って聞くんです。・・・そのままささっと書くんですよ。それを一年半ぐらい置いておく。というか一年半、机の中につっこんどいた。そのシーン自体はずっと頭の中にある。・・・すーっと待ってる。そうするとね、話が勝手に進みだすんです。・・・その間何をしているかというと、翻訳してる(笑)。


村上「僕は作家同士の付き合いはしない。なんでしないかというと、作家というのはだいたい根性が悪いというか性格が悪い(笑)。もちろんいい人もいるけど。それと同時に、たとえば作家同士で付き合うと本が送られてくる。それをよまなきゃいけないから(笑)。それがすごくめんどうくさいから付き合わない。


村上さんの好きな日本の作家は、芥川龍之介、夏目漱石、谷崎潤一郎、佐藤春夫、鴎外。読めないのは、太宰、三島、川端、志賀直哉。

村上「・・・僕が文章をこういう風に書けばいいんだと学んだのは音楽からなんですよ。僕は文章の書き方を誰にも習わなかった、だから、文章は音楽からしか学んでないです。ずっとジャズの店をやってて、・・・文章を書くときもリズムがあってバスドラがあってハイハットがあってコード進行があってインプロビゼーションがずーっとあって、ということを念頭におきながら文章を書くんです。」

村上「『風の歌を聴け』という小説を書いたとき、なんとかタイプライターで書きたかったから、最初英文で書いたの。」
柴田「・・・既成の文体から脱するため、とか世の中では言ってますけど。」
村上「・・・実際はただタイプライターでかきたかっただけで(笑)。」

巻末の「課題文の著者紹介」の「村上春樹」が簡潔。
組織にも家族にも基盤を持たない「僕」の心情と冒険を描いて、クリアな文章と上等なユーモアで読者を魅了し、いまや世界的に読まれている作家。翻訳者としても精力的に活動。作品に・・・。




柴田元幸(しばた もとゆき)
1954年東京生まれ。東京大学教授、専攻現代アメリカ文学。翻訳者。訳書は、ポール・オースター(『ガラスの街』『幻影の書』『オラクル・ナイト』)、ミルハウザー(『ナイフ投げ師』『マーティン・ドレスラーの夢』『エドウィン・マルハウス あるアメリカ作家の生と死』)、ダイベック(『シカゴ育ち』)の主要作品、レベッカ・ブラウン(『体の贈り物』『家庭の医学』)など多数。
著書に『ケンブリッジ・サーカス』『バレンタイン』『アメリカン・ナルシス』『それは私です』など。『生半可な学者』は講談社エッセイ賞を受賞。
高橋源一郎と対談集『小説の読み方、書き方、訳し方

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『阿川佐和子の世界一受けたい授業』を読む

2013年05月21日 | 読書2

阿川佐和子著『文春ムック 阿川佐和子の世界一受けたい授業 第一人者14人に奥義を学ぶ』(2012年11月文芸春秋発行)を読んだ。

週刊文春の対談が20年目、939回になり、選定した12人との対談を載せている。
表紙は58歳とは思えない(思いたくない)阿川さんのセイラー服姿、さらに巻頭には8枚のカラーグラビア写真。阿川さん乗りに乗ってます。

クラシック音楽について(小澤征爾)/ローマ史について(塩野七生)/心理学について(河合隼雄)
宇宙について(野口聡一)/老いについて(五木寛之)/環境と人間について(養老孟司)/
建築について(安藤忠雄)/アイドルについて(大島優子)/五輪について(室伏広治)/
ヘビメタについて(デーモン閣下)/歌舞伎について(市川海老蔵)/日中問題について(李登輝)
日本語について(阿川弘之・村上龍)

「学者は自分の知っていることを書く、作家は自分が知りたいと思うことを書く。」(塩野七生)

「人は子どものときから苦労をして、大変な生き方をしてきたんだから、歳を取れば取るほどご褒美として天がいい状態を与えてくださって、体も気持ちも晴れて――となっていくべきなのに、どんどん障害や痛みが増えてくる。人生って何て不合理なんだろうって思いますねぇ。」(五木寛之)

「『住吉の長屋』ができたとき、・・・建築界の重鎮である村野藤吾さんが長屋を見に来られて、『素晴らしい。だけど、これを頼んだ人が勇気がある。ましてや、ここに住んでいるのはすごい。だから、賞は安藤より住人にやれ』といったんです。(安藤忠雄)

「白洲正子は、夫の白洲次郎さんとの出会いを振り返って、どこがよかったですか、と訊かれ、『十八や九だから、やっぱり見たとこだけよ。結婚したら、日一日とガッカリしてって、お終いに『なぁんだ、つまんない人だ』と思った(笑)。』



阿川佐和子
1953年東京生れ。作家・エッセイスト。
1999年、檀ふみ氏との往復エッセイ「ああ言えばこう食う」で講談社エッセイ賞
2000年「ウメ子」で坪田譲治文学賞
2008年「婚約のあとで」で島清恋愛文学賞を受賞
婚約のあとで」「会えばドキドキ この人に会いたい7




「週刊文春」の対談「阿川佐和子のこの人に会いたい」は連載800回を超えた。


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ラトリエ・デゥ・グーでディナー

2013年05月19日 | 食べ物

6年使ったパソコンがXPで、立ち上りが遅くイライラしていたが、サポート打ち切りのアナウンスを契機に、ついに新しいパソコンを買った。Windows8ということになる。2代ばかり自分で仕様を選べるDELLをネットで購入していたのだが、今やどのメーカーの機種も、私が使うのには十二分の機能、性能で差がない。量販店に飛び込み、10分ほどで、VAIOにした。選んだ理由は特にない。

使いにくいとの評判のWidows8をようやく使えるようになって3週間、今度は奥さんの携帯の電池がへたったのを機会に、二人ともスマホに変えることにした。ドコモショップで順番を待ったあげく、クダクダと2時間も説明を受けていたら、夕方6時になってしまった。

8万円もする機種を買って御大尽気分になり、吉祥寺の第一ホテルの裏にあるラトリエ・デゥ・グーL’atelier du gout でディナーとした。
ランチには何回か行っていて、ブログにも書いたことがある。(「上村淳之展を観る」2009年9月)



フランス修行帰りのシェフが女性で、係りの人も全員女性だったのだが、一人だけ男性がいた。昼は、客も女性ばかりで、男性は私一人のときが多かった。6時ということもあって、客は我々だけ。

AセットとBセットをご注文。
まず、奥様はミネストローネスープ。



私めは前菜。



本日のメインの魚は、黒鯛。



いずれも味は結構で、量が少ないようだがけっこう腹いっぱいになる。年寄りと女性には“いいじゃない”。
最後はコーヒー。






武蔵野市吉祥寺本町2-8-9ルミナス吉祥寺1F-B
営業時間11:30-15:0017:30-23:00(LO22:00)
ランチは予約なしではまず入れない。定休日火曜日

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綿矢りさ『しょうがの味は熱い』を読む

2013年05月16日 | 読書2
綿矢りさ著『しょうがの味は熱い』(2012年12月文芸春秋発行)を読

本の話WEBの特設サイトにはこうある。綿矢さんのインタビューも。

微妙な年頃の女性の行き場のない感情を独特の文体と飄々とした可笑しみで描き出す連作集。「しょうがの味は熱い」「自然に、とてもスムーズに」の二篇を収録。「草食系」だけではくくれない、煮え切らない男と煮詰まった女の、現代の同棲物語。とほほと笑いつつ何かが吹っ切れる、未婚/既婚すべての女性、そしてすべての迷える男性に贈る一冊です。



「しょうがの味は熱い」
アルバイトしながら家事して半年同棲する奈世(なよ)。相手の絃(ゆずる)は仕事に疲れきって帰宅する。

なぜ不安や不満は解消されないまま着実に増えるのだろう。すぐ隣で眠る彼女は、いつも絃を見てるよ、と言う。見ているなら気づいてほしいことが、実はたくさんある。ちょっとにぶいんだろうな。情けないから口に出しては言えないが、いろんな面で支えてほしいのに。


「自然に、とてもスムーズに」
結局、絃とはもう同棲して3年になる。奈世はこのままではと、思い切った策に出る。サプライズで花とケーキと二人の名を記入した婚約届を用意して待つ。疲れて帰ってきた絃は逃げきれず、さらに追い詰められて・・・。

毎日同じけんかのフルコースをこなして、最終的には涙をふいて眠りにつくのも、ある意味暗黙の了解のスポーツみたいで、ばからしくもあり不思議。

こうして彼を追いつめるたびに、私は彼のその決して大きくはない小ぶりの愛情のかたまりを、かつおぶしのようにかんなで勢いよくけずっています。でもどうしても、自分を止められないのです。

ただうまくいく確信もないままふみ出すなんて、正しい判断ではない。もしかして彼女は、結婚さえすれば、なにか魔法がかかっていままでの生活がすべて良いほうへ傾くとでも思っているのだろうか。


初出 しょうがの味は熱い:「文學界」2008年8月号、自然に、とてもスムーズに:「文學界」2011年1月号



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

何が何でも結婚して、それからすべてが始まると思い込んだ女性と、電子レンジは使わず湯せんで、カーテンは月一で洗わねばと考える神経質で、先が明確でないと踏み切れない男性が、いつまでもクダクダ言い争う。

話がかみ合わない二人を描いているので、読んでいる方も欲求不満になる。いつものように、細かい描写は丁寧な綿矢さんなのだが、いつまでも狭い世界に閉じこもっていては、今後ますます縮退してしまうし、一方では、詳細な描写のベッドシーン連発でも困るしと、美人に弱いおじいさんは一人悩んでしまう。



綿矢りさ(わたや・りさ)
1984年、京都市生まれ。
2001年、高校生のとき『インストール』で文芸賞受賞、を受けて作家デビュー。
2004年、『蹴りたい背中』で、芥川賞を史上最年少で受賞。
2006年、早稲田大教育学部国語国文学科卒業。
2007年、『夢を与える
2010年、『 勝手にふるえてろ
2011年、『かわいそうだね?

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川上広美『ニシノユキヒコの恋と冒険』を読む

2013年05月14日 | 読書2
川上広美著『ニシノユキヒコの恋と冒険』(2003年11月新潮社発行)を読んだ。

ニシノユキヒコは、甘い顔、清潔、やさしく礼儀正しく、堅実な会社に勤めていて、そしてセックスよし。しかし、女性たちは、最後には必ず去っていく。だれにも心を開かないまま、一生ひとりでさ迷う。果てし無くしょうもない男、ニシノユキヒコの恋とかなしみの道行きを、交情あった十人の女性が思い、語る。
ニシノくんの中学生から五十代までの恋の遍歴、10編の連作集。

初出:一編のみ「WHITE LOVE」で、あとは「小説新潮」1998年8月号~2003年6月号



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

それほど感心するわけでもないが、するりと読める。

モテ男ニシノくんの気持ちは、対極にある私にはけして共感できない。「どうしてぼくは、きちんと女性を愛せないんだろう」と言われても、「モテ過ぎるからじゃない。勝手にすれば」としか言えない。でも、「冷静さをかなぐり捨てて人を愛するってことを、あなたはしないの」とか、一度でいいから言われてみたい。

彼に比べて、十人十色の女性たちには興味をひかれる。やさしさゆえに、するりとニシノくんに入り込まれてしまうが、結局のところしっかりしていて、最後には、「かわいそうなユキヒコ。 でも、自分のせいなんだから、わたしは知らない。」となる。

e-hon」で川上さんは語っている
女の人たちの良さを書きたいなと思ったんですね。どの人も気っ風がいい、表だって格好いいというわけではないんだけど、恋愛では悩んだ末にぱっと決断を下せる、そういう良さが女の人たちにはあることを書きたかった。


ニシノくんと一緒の彼女が元カノと出会う。
女の子どうしの、ひそやかな、けれど国家の外交にも似た、このような「精神的な力の均衡関係」を、男の子は、いったいどう感じているのだろう、・・・
おそらく何にも感じていないのだろうと続きますが、「はい、そうです! どうせ私はそんな場面に遭遇しないからだよ!」



川上広美は、1958年東京生まれ。
5歳から7歳を米国で過ごす。雙葉中高から、お茶ノ水大学理学部生物学科へ。
田園調布雙葉中学校に勤務。結婚、専業主婦に。身長176cm。
1994年デビュー作「神様」でパスカル短編文学新人賞、
1996年「蛇を踏む」で芥川賞、
1999年「神様」でドゥマゴ文学賞、紫式部文学賞
2000年「溺レる」で伊藤整文学賞、女流文学賞、
2001年「センセイの鞄」で谷崎潤一郎賞、
2007年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
芥川賞、谷崎潤一郎賞、三島由紀夫賞、野間文芸新人賞の選考委員。
その他、『夜の公園』『どこから行っても遠い町』『東京日記2 ほかに踊りをしらない。』『これでよろしくて? 』『 東京日記3 ナマズの幸運。 』『 神様2011 』『 此処彼処 』『 なめらかで熱くて甘苦しくて

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山田詠美『明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち』を読む

2013年05月12日 | 読書2

山田詠美著『明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち』(2013年2月幻冬舎発行)を読んだ。

「人生よ、私を楽しませてくれてありがとう」96歳で死んだ曾祖母が死の間際に残したこの言葉で始まる。澄川家としてひとつの家族となるべく、子連れの男女が再婚する。母が溺愛するカリスマ的な長男澄生。しっかり者の真澄。無邪気を演じ家族の一員になろうとする創太。やがて誕生する末っ子、千絵。幸せな家族ができたように思われた。

しかし、家族の中心にいて絆だった澄生の17歳での突然の死で家族は壊れ始める。母はアルコール依存症となり、家族は兄に続き、母まで失おうとしている。不在がちな父に代わる真澄はいらだち、創太は継母に必死にすがり、千絵中学でいじめにあう。家族の中の立場が微妙に異なる真澄、創太、千絵が、互いに思いあい、背きながら、葛藤の十数年の家族の日々を、それぞれ愛惜をもって語る。

初出:「ポンツーン」2012年9月号~12月号の連載に加筆、修正



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

山田詠美は上手い。これが小説家だ。
微妙に異なる再婚家族内の兄弟姉妹の中で、幸せな家族を演じ、反発し、助け合う姿を見事に描き、最初から最後まで、長男の死を背負いながら、家族の再生一筋でこの小説を描き切っている。

家族をバラバラにしたのが母なら、最後にまとめたのも母だったというラストシーンは、多少ご都合主義のにおいもするが、見事なものだ。

ひとつだけケチをつけるとしたら題名だ。長い題名にするなら、村上さんみたいに、「何これ」と疑問を持つ文にして欲しい。



気になった言葉。

「真澄ちゃん、これは、男と女のことに限るけど、かけがえのない人を失った時の穴は、別のかけがえのない人でないと埋められないよ」

「努めて明るく物事を切り捨てるかのような前者(「どってことない」)に比べて、こちらは(「ありがたい」)、じんわりと何か決して捨てられないものに身を浸すような響き。」

「今日という日が残り人生の最初の一日」映画アメリカン・ビューティ?



山田 詠美
1959年 東京生まれ。明治大学文学部中退。
1985年「ベッドタイムアイズ」(文藝賞受賞)で衝撃的デビュー。
1987年 『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞
1989年 『風葬の教室』で平林たい子賞
1991年 『トラッシュ』で女流文学賞
1996年 『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞
2001年 『A2Z』で読売文学賞
2005年 『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞、を受賞
2009年『学問
2010年『タイニーストーリーズ
2011年共著『顰蹙文学カフェ
2012年『ジェントルマン』で野間文芸賞受賞
2003年より芥川賞選考委員。




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小川糸『さようなら、私』を読む

2013年05月10日 | 読書2

小川糸著『さようなら、私』(幻冬舎文庫お34-6、2013年2月幻冬舎発行)を読んだ。

人生に行き詰った女性が、旅、非日常を経験するなかで、再び歩き出そうとするまでを描く3編、「恐竜の足跡を追いかけて」「サークル オブ ライフ」「おっぱいの森」。

「恐竜の足跡を追いかけて」
不倫の恋に破れ、希望の編集の仕事を3ヵ月で退職してしまった美咲(22歳)。中学時代の同級生が自殺し、お別れ会のために帰郷した私は、7年ぶりに初恋の相手ナルヤに再会する。彼の誘いを受けて、彼の第二の故郷モンゴルに向かう。大草原の自然に寄り添う生活の中で、再生への力を得ていく。
ナルヤは言う。「もし自分に行き詰ったら、もっと広い世界に飛び出して、自分よりも上を見るといいんだ。」

「サークル オブ ライフ」
ヒッピーの母から見捨てられ、トラウマを抱える楓(35歳?)。出張で、僅かな間だけ母と過ごしたことのあるカナダのバンクーバーに出かける。母への恨みに悩まされながら、決して開けなかった母のぼろぼろのスーツケースをついに開けると、・・・。

「おっぱいの森」
幼子を突然死で喪った母親の美子は、夫とけんかして家出する。偶然知り合ったオカマ男性が経営する“おっぱいの森”という店でバイトすることとなり、他人を癒すなかで自らも再生していく。
店長がいう。「サクラちゃん、ここは決して、悲しみの背比べをする場所ではないのよ。ここはね、人生の疲れを癒して生まれ変わる、そういう場所なの」



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

小川さんの小説はいずれも女性の再生物語で、癒し系の雰囲気は良いのだが、設定が違うだけでパターン化している。

「恐竜の足跡を追いかけて」は、モンゴルの大平原での生活が良く書けていて読ませる。傷を抱えることになった日本での生活をもう少し書き込んだら、再生への気持ちの変化に説得力が出たと思う。

「サークル オブ ライフ」は、ヒッピーからホームレスになる母親という設定が変わりすぎていて、着いていきにくい。スーツケースの中身もよくある話で・・・。
滞在したことのあるバンクーバーの記述は懐かしかった。ガラスだらけの高層ビル、リーンキャニオンパーク。ただ、水上バスで渡ったのは、イングリッシュベイでなく、バラッドインレットだ。また、オーガニック専門スーパーのケーパーズは買収されて今は普通のスーパーになったようだ。

「おっぱいの森」は、そんな店考えられないというところで止まってしまう。

初出「恐竜の足跡を追いかけて」:2011年「GINGER L.」、「サークル オブ ライフ」:2011年「パピルス」39号、「おっぱいの森」:2008年「ラブコト」9月号、これらを大幅加筆



小川糸は、1973年生れ。山形市出身。
2007年、絵本『ちょうちょう』
2008年、『 食堂かたつむり
2009年『喋々喃々(ちょうちょうなんなん)』
2009年『ファミリーツリー』
2010年『つるかめ助産院
fairlifeという音楽集団で、作詞を担当。編曲はご主人のミュージシャン水谷公生。
ホームページは「糸通信」。

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新庄耕『狭小住宅』を読む

2013年05月08日 | 読書2

新庄耕著『狭小住宅』(2013年2月集英社発行)を読んだ。

なんとなく不動産会社に就職した主人公の松尾は、「今日こそ辞める」とつぶやく。会社は、人気の都内城南エリアで、20坪前後の狭い土地に建てられる狭小住宅、俗にペンシルハウスを販売している。

上司による暴言、暴力の飛び交う恵比寿支店営業部で、売上を上げられないものは容赦なく「辞めろ! まだ辞めないのか!」とつぶされ、辞めていく。ダメ営業の木村は、一件でも多く電話をかけさせるように、受話器と手、さらに頭までをガムテープで固定され、必死で電話していた。
松尾もまったく売れず、辞めろと怒鳴られ、殴られる日々がつづく。

1件も売れない松尾は、突然駒沢支店に異動させられる。そこの豊川課長はトップ営業マンとタッグを組んで、感情を表に出さず淡々と家を売っていく。
本店での定例総会で社長は吠える。「お前らは営業なんだ。売る以外に存在する意味なんかねぇんだ。売れ、売って数字で自己表現しろっ。・・・こんなわけのわからねぇ世の中でこんなにわかりやすいやり方で認められるなんで幸せじゃねぇかよ、最高に幸せじゃねぇかよ」

ここでも2か月売れない松尾は、課長から「これこれの理由でお前は結局売れないのだ」と冷静に辞職を迫られる。自ら一か月の期限を宣言した松尾は、全社懸案事項のもっとも売れない一つの物件に挑戦し、これを売ったことで認められ、課長から個別教育されてトップ営業マンへ変わっていく。そして、・・・。

初出:「すばる」2012年11月号



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

この本の巻末の他のすばる文学賞受賞作の宣伝を見ると、跳んでいる作品が多い。この作品も受賞していて面白いが、通俗的だ。芸術の香りはまったくしない。しかし、怖いもの見たさを満たす、リアルさがある。

家やマンションを購入したことがある私には、営業マンとの駆け引きは、「まわし」物件など、「そうそう」と思うことが多かった。
しかし、その裏側の営業マンの世界は、予想を超えて厳しい。こんな会社は少ないと思いたいが、社長が吠えるように、結果がすべての世界は厳しい。成績トップになっても、それを維持するには異常な努力が永遠に続くのだから。言い訳がいくらでも通用する役人の世界は天国と言われるわけだ。

バブルの頃の証券会社で、支店長が大声で気合を入れながら、支店員の間をぐるぐる回っていた。窓口の女性に、「すごいですね」というと、「いつもあれですから気にしないでください」と言っていたのを思い出した。



新庄耕(しんじょう・こう)
1983年京都市生まれ。神奈川県川崎市在住。慶應義塾大学環境情報学部卒。会社員。
2012年、本作ですばる文学賞受賞
大手の広告会社で営業の仕事をして、辞めてから、友人とベンチャービジネスを経験した。本作は
「実際に不動産会社で働いていた友人の話からヒントを得たという。

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藤岡和賀夫『懐かしい日本の言葉』を読む

2013年05月06日 | 読書2
藤岡和賀夫著『NPO直伝塾プロデュース レッドブック 懐かしい日本の言葉 ミニ辞典』(2003年12月株式会社宣伝会議発行)を読んだ。

キャッチコピーは「絶滅のおそれのある日本語360語」。


私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

大半は皆さんご存知の言葉がずらずら並ぶ。まあ、暇つぶしに、ざっと眺めて、いくつかは、そうそうこんなのあったと思い出すのにはいいかも。

以下、メモ

1.父母の口
「ちちんぷいぷい」:子供が傷などで痛がっているときに親が傷をさすって呪文のように言う。「痛いの痛いの飛んで行け」と続けたりする。嫌いな薬を飲ますときには「かいぐりかいぐりとっとのめ」。

2.お客様 略

3.ご近所、寄り合い、仲間うち
「おっと合点承知の助」

4.男と女
「娘十八番茶も出花」
「いとはん」:長女、「なかんちゃん」:次女、「こいさん」:末娘

5.きれいな響き、言いまわし
「はんなり」:上品ではなやか
「たまゆら」:ほんの少し

6.悪態、軽蔑 
「でーぶでーぶ 百貫でーぶ お前の母さんでーべそ」(兄弟喧嘩で言い負けた弟が兄に言ったりして(笑))
「唐変木」:わからずや、「ちょこざいな」:こざかしくなまいき

7.大人の常識語  
「神は細部に宿り給う」

8.学ある人の教養語
「一衣帯水」:衣帯は着物の帯、水は川。一本の帯のような川のことで、例えば「朝鮮と日本は一衣帯水の関係だから仲良くすべき」(いち・いたいすい)と読む。
「綺羅星のごとく」は(きら・ほしのごとく)
「逆旅」(げきりょ):逆は迎えるという意味で、旅館
「時分の花」:年齢の若さで発散される、芸以前の一時的な面白さ。世阿弥の『風姿花伝』にある言葉
「正鵠を射る」(せいこくをいる)的の中心を射る。(せいこう)は慣用読み。

9.故事、ことわざ  略
10.御の字、小の字  略

11.早口言葉、語呂言葉
「手術室中探す」
「蟻が十なら芋虫ゃ二十 ごきぶりゃ三十で後家になる」(私は芋虫でなくみみずと覚えているが)
「何か用か九日十日」
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」
「こうしてこうすりゃこうなるものと 知りつつこうしてこうなった」
「肉屋の夫婦に双子ができた これが本当のソーセージ」

12.うまいたとえ  
「汽車は出て行く煙は残る」



藤岡和賀夫(ふじおか・わかお)
1927年兵庫県生まれ。3歳から東京。東京大学法学部卒。
(株)電通入社後、PR局長などを経て、1987年よりフリープロデューサー。兵庫県生まれ。
〈デイスカバージャパン〉くモーレツからビューティフルへ〉くいい日旅立ち〉などプロデュース
1984年『さよなら、大衆。』
1995年~2002年「プロデュー サー直伝塾」を主宰。2003年~2007年「NPO直伝塾」を開設、絶滅のおそれのあ る日本の言葉、風景、習慣を書物に採録する「レッドブック運動」を提唱。
本書は第一弾で、2004年には[続]を刊行。

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泉麻人『昭和遺産な人びと』を読む

2013年05月05日 | 読書2

泉麻人著『昭和遺産な人びと』(2002年7月新潮社発行)を読んだ。

昭和30年代を特徴づけるお宝は、どのように生まれ、どこへ行ったのか? 懐かしくも、いまはほぼ絶滅寸前のモノ、コトに携わっていた24人を取材し、当時のエピソードを振り返る。

ソバの出前持ち
丼物はバカ台に8個のせて、2,3段重ね、肩で支えて、自転車に乗る。都電の轍にはまって転び、ととろそばが背中にこぼれて、かゆくてたまらなかったという。ソバを129人分重ねて頭の上にのせている達人の写真がある。

勝鬨橋
隅田川を大型船が通行するときには、橋の中央が八の字に開く。この勝鬨橋の開閉作業をやっていた人に取材。日に5回から3回開閉。時間になるとサイレンを鳴らして、道路の交通を止めて、橋の継ぎ目の10本のピンを運転室の装置で順番に抜いていく。橋はだいたい70度まで上げる。
(1967年に通行のための開閉は中止され、1980年には電力供給も停止された。私は小学校の遠足で橋が開いたのを見た。多分芝公園からだったと思う。)

渋谷の元流し
北島三郎も流しをやっていた。一夜10軒以上、3曲100円。今(2000年)新宿や錦糸町で3曲千円。

インドリンゴ
インドリンゴは、インド産ではなく、アメリカのインディアナ州産のリンゴだった(ショック!)。色が薄く(黄色だった記憶がある)、甘さが強く、柔らかいリンゴだった。インドリンゴが売れたのは戦前で、スターキング、ゴールデンデリシャスが現れてやがて消えていった。インドは少しフケた(熟した)頃が甘みも香りもあるが、すぐにボサボサになってしまう。

シシ舞
昭和30年代に入るころには、押し売りまがいのシシ舞が出てきて、町廻りのまっとうなシシ舞は行われなくなっていた。幼子がシシに頭を噛まれてギャンギャン泣いているのも微笑ましいものだが、いまだにシシを見ると、貧乏な我が家の母の渋い顔を思い出す。

ゴミ箱
明治33年に「汚物掃除法」ができ、東京市は「塵芥箱」の設置を義務付け、ひな型を示した。昭和20年~30年は小沢コンクリート工業製が独占状態だった。写真を見ると、確かに我が家もこれだ。上蓋は木製でトタンぶき、取り出し口は取っ手のついた木製で、コンクリートの溝に沿って引き上げる。

その他、銭湯に富士山を描く人、細々と作られてる「ハエ取り紙」、「赤チン」、「先われスプーン」の工場の人

初出:『新潮45』連載「泉麻人の消えた日本」(2000年1月号~2001年12月号)をまとめたもの。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

よほど昭和30年代が懐かしい人は別だが、わざわざ読むほどの話は書いてない。部分的に、「そうそう」と思うことが出てくる程度だ。独特に視点で取り上げた物も見当たらないし、物事に対する考察も特に深くないし、著者が若すぎる(?)ので、記憶が深くないせいもあるのだろう。



泉麻人(いずみ・あさと)
1956年東京うまれ。慶應義塾大学商学部卒。コラムニスト。
東京ニュース社入社し、「週刊TVガイド」などの編集者を経てフリー。昭和時代の思い出や、電車やバスなどの交通機関、昭和のB級ニュースど、「近過去のレトロ」系の題材を得意とする。

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小泉和子『昭和すぐれもの図鑑』を読む

2013年05月04日 | 読書2

文:小泉和子、写真:田村祥男『昭和すぐれもの図鑑』(2007年3月河出書房新社発行)を読んだ。

現在はほとんど見かけなくなった昭和30年代の生活の道具、一つ一つを1ページの大きな写真と2ページの解説で丁寧に解説している。
著者の他著書と内容的に重なる部分もあるようだが、取り上げる品数が50点程度で、今再び見直される気運にある(本当?)品々が紹介されている。

第1章『昭和のすぐれもの図鑑』
「縁側」、「ござ」、「かまど」、「蝿帳(かや)」、「糸瓜」、「軒」、「踏み台」、「糠味噌」、「茶箱」、「負ぶい紐」、「畳紙(たとうがみ)」、「座布団」、「ちゃぶ台」、「物干し竿」、「風呂敷」、「掘りごたつ」、「和風厠の効用」、「すだれ」、「畳」、「桶と樽」、「蒲団」

第2章『なつかしき昭和の道具』
「飯炊き釜」、「風呂」、「衣桁(いこう)と衣紋掛け(えもんかけ)」、「氷冷蔵庫」、「張り板」、「すり鉢」、「湯たんぽ」、「掃除道具」、「吸入器」、「ミシン」、「盥(たらい)」、「蚊帳」、「爪掛(つまがけ)」、「重箱・銚子・盃」、「日向水(ひなたみず)」、「セルロイドの箱」、「ほろ蚊帳」、「吊り手水」、「机」、「手拭い」、「足袋干し」、「自転車とリヤカー」、「乳母車」、「おしめ干し」

を紹介。

著者は、自分が生まれ育った家を「昭和のくらし博物館」として展示している。




私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

大きく見事な写真付きなので、年寄りは思い出が湧き出してくるし、若い人も使い方のイメージをつかみやすいだろう。といっても、やはり昭和30年代以前に子供時代を過ごして人たちのために本だ。



蝿帳:夜遅く帰ると、食卓の料理の上にかぶせてあった。昔は家の中にもいつもハエがいたものだった。

踏み台:柱時計のネジを巻くのが私の役目で、踏み台を持ってきてその上で背伸びしながら巻いたものだった。そういえば、ふと時計の振子を見た家族が「あ! 時計が止まってる」などと言うのだから、いいかげんな生活だったのだ。

畳紙(たとうがみ):4つにたたむように着物を包み、結び紐を結ぶ紙。

衣桁(いこう):屏風のように2つ折れになる。直角にして部屋の隅に立てて、着物をかける。前に乱れ箱を置いて、足袋、帯揚げなどを入れる。

衣紋掛け(えもんかけ):和服用のハンガー。我が家のものは、竹製(衣紋竹)だった。

張り板:長く着て汚れた着物は、縫い目を解いて、単なる布にして、洗って、張り板に貼り付けて天日で乾かす。そして、また着物に縫う。蒲団も布を洗い、綿は業者に出して打ち直す。母が庭で張り板を並べているのを思い出す。昔の女性は忙しかった。

蚊帳:この本のとおりだ。蚊帳をつり始めた夜は、中でひっくり返って足を延ばし、蚊帳の天井を蹴り上げるのが楽しかった。朝は蒲団の上に広がった蚊帳の上で泳いでよく怒られた。大きくなると、両手を広げて蚊帳の上のヘリをつまみ、畳んでいくのを手伝った。

爪掛(つまがけ):下駄や、足駄の先につけて、雨水や泥土を防ぐカバー。見たことはあるが、名前は知らなかった。

吊り手水(つりちょうず):トイレを出た所の軒先に円筒形のタンクが吊してあり、下に突き出た棒を上に押すと、中に蓄えられた水がチョロチョロと出てくる。その水で手を洗う。我が家は水道だったが、親戚の家にあった。そばに手拭いがつるしてあったのかどうかは覚えていない。



小泉和子
1933年東京生まれ。女子美術大学芸術学部洋楽科に学ぶ。1970年から5年間、東京大学工学部建築学科建築史研究室で日本家具・室内意匠史を学ぶ。現在、文化財保護審議会専門委員、生活史研究所主宰、昭和のくらし博物館館長。工学博士。著書に『図説イギリスの生活誌』『台所道具いまむかし』『室内と家具の歴史』『昭和──台所なつかし図鑑』など多数。

田村祥男(たむら・さちお)
1943年東京生まれ。東京綜合写真専門学校卒。画家利根山光人氏に強く影響を受け、タイ、インド、台湾の取材に同行。同氏死後、北上市利根山光人記念館の企画・展示を1996年より担当。

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角田光代『空の拳』を読む

2013年05月02日 | 読書2

角田光代著『空の拳』(2012年10月日本経済新聞社発行)を読む

大手出版社に就職した那波田空也(なわたくうや)は、文芸編集志望だが、入社3年目で異動を命じられたのはボクシング雑誌の編集部。くさりながらも、彼は取材を始め、同時に近くのボクシングジムにも通い出す。そこは小さく、フィットネス目的の人に少数のプロ志望の者が混じる、さえないジムだった。

派手な人気もなく金にもならず、アルバイトで稼ぎながら先の見えないもっとも過酷なスポーツに打ち込む20代のボクサーたち。空也は、プロになる気はまったくないまま、下手ながら自らも体を動かして、そしてまじかでプロの練習、試合を見て、仲間として付き合ううちに、空也なりにボクシングの世界に飲み込まれていく。

主人公は空也で、彼の視点で語られる物語なのだが、真の主役は、同じジムのプロ選手、そしてその試合だ。
派手なパフォーマンスで注目されるタイガー立花、子供のころからジムに通っている中神、抜群の運動神経で新入生らしからぬ坂本。彼らの新人王戦、デビュー戦、4回戦、・・・、戦いと成長、ジムの思惑が主役なのだ。

読んでいて実際の主役は、多くのボクシングの試合場面だと思った。著者の角田さんが描きたかったのも試合場面なのではないだろうか。
「私がもっとも美しいと思うスポーツはボクシングだ」といい、ジムに10年以上通い続ける著者が、描くことで昇華したボクシング魂。力いっぱい描いたボクシングシーンが連続する。

初出:日本経済新聞夕刊2010年12月15日~2012年2月1日



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

ボクシングの試合シーンの多いこの小説、いくらなんでも女性にはお勧めできない。ストーリーテイラーの角田さんのお得意技が抑えられて、しかも、500ページという分厚さ。

その肝心のボクシングシーンも、私には物足りない。なにしろ私は、白井義男以来のボクシングファンで、月曜日のエキサイトマッチは欠かしたことがない根っからのボクシング好きだ。試合における肉を打つ音と、飛び散る汗と血は良く書けているが、「スピードある動き、テクニックはまだまだだね、角田さん」なんちゃって。

それにしても、酔うと女言葉になり、力強さがまったくなく、減量中のプロを飲みに誘うおバカな空也にはいらいらしっぱなしだ。

失恋に耐えられる精神と肉体を鍛えるため、角田さんは、近くにあった輪島功一スポーツジムに通いはじめたという。それにしては、西荻で角田さんを見かけたことはないのだが。

お気に入りの言葉。
「強いやつが勝つんじゃないんです、勝ったやつが強いんです」



角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。
96年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、
98年「ぼくはきみのおにいさん」で坪田譲治文学賞、
「キッドナップ・ツアー」で99年産経児童出版文化賞フジテレビ賞、
2000年路傍の石文学賞を受賞。
2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞を受賞。
2005年『対岸の彼女』で第132回直木賞。
2006年「ロック母」で川端康成文学賞を受賞。
2007年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞をいずれも受賞
2009年ミュージシャン河野丈洋と再婚。習い事は英会話とボクシング。趣味は旅行で30ヶ国以上に行った。
その他、「水曜日の神さま」「森に眠る魚」「何も持たず存在するということ」「マザコン」「予定日はジミーペイジ」「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 」「私たちには物語がある 」「 愛がなんだ 」「 ひそやかな花園 」「 よなかの散歩園 」「 さがしもの 」「 彼女のこんだて帖 」「 かなたの子 」「 幾千の夜、昨日の月 」「 口紅のとき 」「 曽根崎心中 」「 紙の月 それもまたちいさな光
その他、穂村弘との共著「 異性

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