hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

2月29日生まれの人

2008年02月29日 | 雑学
今日、2月29日が誕生日の知人がいる。うるう年以外の年には3月1日を誕生日としているのだろうが、4年に一度の本当の誕生日はいかがなものか。

単純に考えれば、365 * 4 = 1460 だから約1500人に一人2月29日生まれがいても良いはずだ。しかし、あまり聞いたことがない。
各種ある有名人の誕生日データを見ても、主なところは、以下の5人ぐらいだろうか。
1792年 ロッシーニ(伊・作曲家)
1908年 マキノ雅裕(映画監督)
1940年 原田 芳雄(俳優)
1948年 赤川次郎(小説家)
1968年 飯島直子(タレント)

大分前のTVで、フランスだったと思うが、2月29日生まれの人が集まり、誕生パーティをしていた。48歳の人が、娘から「お父さんは、本当は12歳なんだからお酒を飲んじゃだめよ」と言われていると笑っていた。

「年齢に関する法律」によれば、「毎年、誕生日の前日の終了をもって、ある年齢は満了するから、誕生日の前日の終了時に1歳を加えることになる。ただし、その年の誕生月に誕生日が存在しないときは、その月の末日の終了をもってその年齢が満了する。」とある。(Wikipediaによる)

要するに、普通の人は(2月29日生まれは普通でない?)誕生日前日が終わる深夜0時に一つ歳をとる。誕生日の朝にはもう一つ年取っているということだ。
2月29日に生まれた人は、平年でも、閏年でも、誕生日の前日の2月28日終了時に年齢に1歳が加わる。4年に一度しか年取らないわけではない。誕生日は閏年の2月29日だけだ。平年には誕生日がないが、歳だけは毎年とる。ご愁傷様。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「母に歌う子守唄」を読んで思うこと

2008年02月28日 | 読書
この本については、22日の「落合恵子「母に歌う子守唄」を読む」に書いた。


自分の母親の介護を奥さん任せにしていた私だが、この本を読んで、それでも、「そうそう、そうだった」と思う点が多い。以下、いくつか書き出してみたい。

「 」は引用、( )は私のコメント

「仮住まいに引越して三日目、母は散歩の途中で道に迷ったと、帰宅した私に話した。落ち込む母に、「わたしだって昨夜、迷っちゃったんだ」と言ったのは、・・・」

(私の母も引越してすぐ道に迷った。私のブログの「母(1)入院(2007.9.15)」には以下のようにある。

 老人会が開かれる自治センタへ毎月通っていたが、歩いて数分の距離なのに帰りに道に迷い、知らない人に送られて家に帰って来た。会社から帰って、その話を聞いて、「しっかり者のおふくろが、まさかボケたんじゃないだろうな」と思った。本人もショックなようなので、母の部屋へ行って、「今日、道に迷ったんだって?この辺の道はクネクネしてるからね。一度間違えるとわけわかんなくなるよね」と話しかけた。)



「庭やベランダにはいま、去年の初秋に種子をまいたロベリアが百株近く、藍色の小さな花を無数につけている。母が大好きな花であったが、いまの彼女は興味を示すこともない。」

(私の母も花好きであった。 「母 (5)救急車で入院」には以下のようにある。

病院内を車椅子を押して見て周り、咲き始めた桜が見える窓のところに行った。「ほら、桜が咲いているよ。きれいだね」と言ったが、なんにも言わない。)


この調子で共感するところを挙げているときりがないので、お暇な方は、私の昨年9月ブログの真ん中あたりにある「母(1)入院(2007.9.15)」から「母(7)死(2007.9.21)」までをご覧あれ。


最後に一つ、落合さんの本から引用する。
「働き盛りで入院し、やがて亡くなることになる男性が言った。「勝ち抜くためには不要な、けれど、気持ちよく暮すためには必要な、花に象徴されるもろもろを、わたしは捨ててきたのだと思います。階段を駆け上がることだけを考えて」」

(私が会社勤めの頃は、通勤路を仕事にことを考えながら通り、周りの景色も目に入らなかった。退職後、奥さんと散歩すると、「ほら、あそこの木にそろそろ花が咲くのよ」などと教えてくれる。以後、一人で通るときも、ほころんできた蕾が楽しみになったりする。身近な小さな楽しみを見つめる余裕が出来た昨今だが、一方、政治など離れた世界への関心も失わずにいたいものだ。)




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「力士の世界」を読む

2008年02月27日 | 読書
33代木村庄之助著「力士(ちからびと)の世界」文藝新書2007年11月発行を読んだ。

52年間、相撲界でもくもくと努力し行司最高峰を極めた人の相撲入門書だ。
いまだ“ちょんまげ”をゆっていることでわかるように古い伝統が生きている相撲界のしきたりと、その歴史などをわかりやすく解説している。あと、ほんの少々の裏話がある。

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)。相撲界を良く知る人にはもの足らないだろう。一方、著者があの高砂部屋所属の行司であったことから、わくわくするような裏話を期待する人は当てが外れる。とくに相撲に詳しくない人でも簡単に読めて、一通りの知識が得られる本だ。


著者によれば、52年間の相撲界で学んだもっとも大切なことは、「素直であれ」と言うことだという。稽古は同じことの繰り返しで、飽きて、つい自分流が顔を出す。それでも代々受け継がれてきた稽古の仕方をまずは素直に受け止め、飲み込んでみる。そうした態度の持ち主は成長が早いという。
私などは、まったく反対で、何事もまず従来からのやり方を疑うことから始めるが、伝統の世界はまず飲み込むことが大切なようだ。


番付の話だけ少しご紹介。
番付は訓練を重ねた行司さんが、白い部分を残さないように独特の相撲字で書く。下へ行くほど極端に字が小さくなってしかも縦長なので読みにくい。
我家に貼ってある番付は2003年1月のものだが、横綱は東が武蔵丸、西が貴乃花と、東の大関に朝青龍がいる。左側(西)二段目(十枚目=十両)の一番右(筆頭)に朝赤龍がいる。
十両以上が太字なっていて、以下は字が小さく離れてはまともに読めない。要するに十両以上(関取)となってはじめて一人前のお相撲さんになるのだ。幕下以下は関取の付け人で、十両になったとたん逆に付け人がつき、給料もはじめてもらえるようになる。これがなによりの厳しい稽古に耐えさせるのだろう。

この番付の2003年当時、著者の名前は三役格なので多分30代木村庄之助の下にある“木村咸喬”だろう。
白鵬は東(右側)下から3段目(東三段目)の右から16番目にいる。琴欧州は左側一番下(西序の口)の左から5番目だ。



琴欧州のところを拡大すると、こうなる。



まだ、見えない?これならどうだ!




その他、いくつか下世話な話題を。

懸賞の金額は一旗6万円で、手取りは3万円。十両の月給は103万円、前頭130万円。横綱は282万円で、その他と加えても年収1億円と意外に少ない。
しかし、105しかない年寄株を約1億円で手に入れれば、65歳の定年まで相撲協会に勤められる。

全力士約700人の中、外国人力士は12カ国、61人(約9%)。しかし、幕内力士は42人中13人(約31%)を占める。

朝青龍は稽古で負けると泣いた。稽古が辛くて夜、布団で泣くお相撲さんは多いが、負けて悔しくて泣く力士は知らない。強くなりたいという思いがそれだけ強烈だったのだ。

高砂部屋の3代前の親方になった前田山は怪我で休場中に野球観戦し、監督と握手する写真が新聞に出て、引退に追い込まれた。(昔からあったのだ、とくに高砂部屋では)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落合恵子「母に歌う子守唄」を読む

2008年02月22日 | 読書
落合恵子の「母に歌う子守唄 わたしの介護日誌」2004年8月朝日新聞社発行を読んだ。

落合恵子といえば私にはいまだに文化放送の「セイ!ヤング」の「レモンちゃん」のイメージがあって、その後の女性問題への取り組みなどの印象はあっても、介護というのがぴんとこなかった。

母一人子一人で育った落合さんは、講演、執筆など忙しい毎日の中で、ヘルパーの助けを得ながらも、1999年からお母さんを自宅で介護した。この本は、要介護度5の母親の介護に迷い、苦しみ、抗議し、しかし喜びも得たその記録だ。

介護に関する日々細かい実際的なノウハウ、ヘルパーさんとの付き合い方など頑張り屋で、なによりお母さんを大切にする落合さんならでのエッセイだ。同時に、人権に敏感で、権利主張・普及に努力してきた落合さんらしく、セカンドオピニオンだけでなくサードオピニオンまで求め、医者の無理解、不親切へ徹底的追求も行っている。

具体的な母の介護を奥さん任せにしていた私だが、それでも、「そうそう、そうだった」と思う点ばかりだ。この点については次回述べたい。

しかし、一方では、一般の人の介護の現場との乖離も感じられる。経済的にも苦しく、医者やヘルパーさんを追及する力もなく、もっと苦しい状況で苦しんでいて、場合によっては、年寄りにあたってしまって、自己嫌悪によりさらに苦しむなどの人もいるだろう。悲惨な状況の人から見れば、落合さんの常に正しくありたいという行動は縁のない話との反感もあるかもしれない。


2004年8月発行のこの本にはないが、2007年8月、落合さんは7年間寝たきりだった84歳のお母さんを自宅で看取った。
その最後は夕刊フジBLOGによれば、以下のようだった。

―――――――――――――――――――――― 
その日の朝も、いつもと変わりなく母・春恵さんの好きなエンヤの曲をかけ、手を握り肩を抱いて耳元でずっと話しかけた。「お母さん、よかったらもう一度、私を産んでくれる?」すでにあごの息だった春恵さんが、かすかにほほえんだ気がした。「その表情は私の宝物になり、自宅で看取れたことが小さな心の支えになりました」
----------------------------------







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

養老孟司の「養老訓」を読む

2008年02月21日 | 読書
養老孟司「養老訓」新潮社2007年11月発行 を読んだ。

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)。
ようするに、年寄りは欲を捨ててのんびりするのが良いという本なので、50代、60代の人にお勧め。若い人は読んでもしかたない。
のんきで欲がなく、多少?変わり者の私には納得できる話が多い。ベストセラーになった「バカの壁」などよりは遥かに良い。

いくつか共感した点を挙げる。(文章は私が勝手に簡略化した)

年取っているのに無理して若々しくする必要はない。昔の老人のように盆栽やお茶、そして隠居など老人に向いた時間の過ごし方が今でもあるはずだ。(それが何かについては書いてない)

夫婦は直角に向かい合うのがよい。正面から向かい合うと、あなたには、後ろの壁とその前の奥さんが正面から見えている。しかし、奥さんには、あなたの後ろの棚とその前のあなたが正面から見えている。二人の見えているものはまったく異なっている。

年寄りの生き方は、日に一度感動しようとすることだ。「そんなことわかってる」、「そんなの昔あったよ」などと考えないことだ。

脳死になって身近な人、たとえば奥さんが、いつもあなたが言っていたように安楽死や尊厳死を希望しても、遠い親戚などが出てきて「けしからん」と言い出して出来ないことが多い。あらかじめはっきりと文書にしておく必要がある。

「余命3ヶ月」と言われたが、半年生きたとかの話がある。しかし、「余命3ヶ月」と言うのは、あとから伸びる分には文句を言われないから、最悪の場合として3ヶ月と医者は言うのだ。

人生は点線だ。夜寝る時は意識が切れる。毎日毎日無意識状態になっている。死ぬときは意識が切れて戻らなくなるだけ。「また帰ってくるかもしれない」くらいに考えて置けばよい。

老人にできることは他人を無理にかえることではない。せいぜい若い人が「年取ったらあんな年寄りになりたいな」と思うような存在になることだ。若い人が年取りたくないと思うのは、現に見ている年寄りが不愉快で、「ああはなりたくない」と思っているからだろう。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「航空会社の選び方 海外旅行編」を読む

2008年02月19日 | 海外
チャーリィ古庄「航空会社の選び方 海外旅行編」(株)枻(エイ)出版社2007年11月30日発行を読んだ。

ホテルや、レストランの評価本はあるが、航空会社の評価、とくに安全、飛行機の古さや、エコノミークラスについての情報は少ない。

Part1で、航空会社選定に何が問題かが説明される。
Part2では、世界の航空会社42社について過去の事故をもとにした安全性、飛行機の平均機齢、機内食の質、アライヤンス&マイレージ、機内エンターテイメント、サービス&乗務員の6項目を比較して5段階のチャートにしてある。また、各項目について評価理由も説明してある。
Part3で、34の行き先の国際空港別に、航空会社を選ぶための情報が整理されている。

私自身は特に危ない航空会社以外であれば、航空会社は値段で決める。また、オーストラリアのように航空会社の選択が限られる場合も多い。
しかし、120社以上に乗り、年間50回以上海外に行く著者の情報は参考にするに越したことはない。

この本に対する私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)。航空会社の比較が知りたい人にはお勧めだ。
(”是非読みたい”が五つ星、”お勧め”は四つ星、”お好みで”を三ツ星、”読めば”を二つ星、”無駄”は一つ星)

特に参考になった点は以下。

飛行機は新しいほど安全
第一世代(B707, DC8)、第二世代(B727)、第三世代(B727-SP, DC10)、第四世代(B747-400, A320, A330, A340)、第五世代(B777)がある。現在日本に乗り入れている飛行機の8割以上は第四世代以降だ。
整備のよしあしは、機内の整備のよしあしで判断できる。
EU乗り入れが禁止されているのは、アフリカの航空会社が多いが、アジアではガルーダインドネシア航空とPIAパキスタン航空だ。

航空券の種類
格安航空券:購入期限がある(早めに買う)。経由地・航空会社・日程の変更不可。現在の格安航空券は、旅行会社がグループ用航空券をばら売りしたITチケットが主流。
正規航空券:当日購入可、経由地・航空会社・日程の変更可。高価。
PEX:格安航空券の一種だが、今後の主流。正規割引航空券(日航のJAL悟空、全日空のエコ割)。航空会社は旅行会社に手数料を払わず、利用者は便や座席指定ができる。

三大アライヤンス
スターアライヤンス:全日空、ユナイテッド、ルフトハンザ、シンガポール、スイス、エアカナダなど
ワンワールド:日本航空、アメリカン、キャセイパシフィック、カンタスなど
スカイチーム:ノースウエスト、デルタ、KLM、大韓航空など格安航空券が出回っている航空会社で、100%マイルがつく会社が多い。貧乏人はスカイチームと言われる。


以下、私の興味のある機種に関する情報をまとめて記す。

( 年 ):初飛行の年、飛行機はモデルチェンジをなかなかしないため、製造期間は長期にわたる。ただし当然ながら購入した時点での機材は新しいものである。 

ボーイング:日本の航空会社のシェアーは9割を占める
B737-300/400/500:(1980年代)
B737-600/・/900:生産中の次世代機
B747 ジャンボ:貨物型のみ生産中
100/ 200/ 300/ 400/ SP:クラシック、(1969年)
400/ 400’: 新型、(1988年)
B757 :(1982年)、現在は生産中止
B767-200/300/400 :(1981年)、生産中
B777:(1994年)、世界の航空会社の主力機、生産中、B747の後継機
  200/300/300ER、ERは長距離用

エアバス
A300-600R:(1983年)
A310:(1982年)
A320:(1987年)、短距離用、アジア航空会社の日本向け、A320/A319/A321
A330:中距離用、生産中
  200/300 : (1992年)、500/600:(2001年)
A380:今話題の世界最大のスーパージャンボ、オール2階建て、525席、個室があったり、機内にラウンジや免税店のある機もある。シンガポール航空に続き、カンタス航空も日本路線に投入予定。楽しみだが、一日おきのパース路線へ投入はないかな。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残留農薬騒ぎ

2008年02月17日 | 食べ物
このところ中国製餃子の話でもちきりである。先日、TVで野菜を一枚一枚ていねいに水洗いするなど残留農薬の落とし方の解説があった。「神経質な」と見ていたら、お茶葉もお湯を通してからさらに水洗いして、それから急須に入れて飲むと、実演をしていた。

私などは発がん性人口甘味料のサッカリンやズルチンで育った。また、平たい丸いカンに入った発がん性のDDTをペコペコさせて畳の下に撒き、シラミ退治をした。自慢じゃないが、へなちょこ残留農薬くらいでびくともしない。
なお、DDTはディーディーティーでなく、デーデーテーと読む。

何でも大げさな話にして集団ヒステリーをあおるマスコミを見ていると、ひねくれ者は思う。
「いちいちお茶など洗うより、水をガブガブ飲んで、何回もジャンプして、オシッコすれば!」







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盗まれた世代

2008年02月16日 | オーストラリア
JAMS.TVによるAustralia NEWS(2008年02月12日)に以下のような記事があった。

―――――――――――――――――――――――――
ラッド首相、盗まれた世代への公式謝罪声明を発表  2008年02月13日
【キャンベラ13日AAP】キャンベラで13日、ラッド首相は先住民の盗まれた世代に政府が与えた苦悩に対して公式な謝罪声明を発表し、先住民らは、連邦政府に対して拍手喝采を送った。この歴史的な公式謝罪は、子供時代に家族から無理矢理引き離された盗まれた世代の先住民を含む何千人もの国民によって見守られ、全国で感情的なシーンが繰広げられた。

1910年~1970年代前半にかけて、政府によって家族から引き離された何万人ものアボリジニの子供の幾つかの事例を証拠資料としてまとめた「彼らを家族の元へ戻そう(ブリンギング・ゼム・ホーム)」報告書が公表されてから10年以上を経て、やっと今回の公式謝罪が実現することとなった。
―――――――――――――――――――――――――

同時に、以下の記事が並んでいる。
――――――――――――――――――――――――――
ネルソン野党党首、公式謝罪への異なる見解を支持 2008年02月13日
【キャンベラ13日AAP】13日午前に行われた先住民オーストラリア人に対する政府の公式謝罪が読み上げられる前に、国会議事堂の席を立ち出て行った WA州自由党国会議員ウィルソン・タッキー氏の行動に対して、野党党首のブレンダン・ネルソン氏は批判を避け、「全てのオーストラリア人は全ての問題に関 して、異なった視点から物事を見ており、異なった見解を持っている」と支持する姿勢を見せた。
保守連合の何人かの国会議員は、13日午前の国会から欠席または遅れて出席した。以前にタッキー氏は、公式謝罪は先住民問題の解決に何の役にも立たないと語っていた。

――――――――――――――――――――


背景説明

"Stolen Children"(盗まれた子供達)
1910年頃から1970年代にかけて、政府や教会によってアボリジニと白人の間に生まれた子供、特に父親が白人である子供を親元から強引に引き離し白人家庭で養育する政策が実施された。アボリジニの子供も「進んだ文化」の元で育てられるべきという考え方だった。
しかしアボリジニの子供達は10人に1人が突然連れ去られ、一生親に会えなくなった。結果として彼らはアボリジニとしてのアイデンティティを喪失し、 "Stolen Children" (盗まれた子供達)、失われた世代(Stolen Generation)と呼ばれる。
1937年にアボリジニは死に行く民族という規定を廃止し、積極的に援助することを明らかにした。1965年には、アボリジニに対する強制同化策を廃止し、文化を維持し、オーストラリア社会への統合促進政策が採用された。
しかし、諸政策にもかかわらず、アボリジニの失業率は高く平均収入はオーストラリア平均の半分ほどで、彼らの収入の大半は政府からの福祉手当、失業手当である。一般オーストラリア人と比べ、平均寿命は短く、幼児死亡率が高く、さらに、アルコール中毒とそれに伴う犯罪検挙率が高く、問題は多い。

"Stolen Children"については連邦政府も調査委員会を設置して、実態の調査を始め、1997年に政府に調査結果が報告されたものの、赤字財政の中でアボリジニに対する補償を約束する事も出来ず、現在も解決されていない。昨年までのハワード政権は自由党の支持基盤である保守層への配慮と賠償訴訟の問題を考慮して、「遺憾」であるが、「謝罪」はしないという立場を取っていた。

昨年労働党の政権に代わって、今回の謝罪を行うことになったようだ。

謝罪は当然と思うが、私はこれで問題が解決へ向かうかどかは疑問だと思う。現状でもアボリジニに対し各種優遇策をとっていて、腫れ物にさわるような対応がかえって問題の根本解決を遅らしているような気さえする。もちろん一部の人だと思うが、彼らに対する優遇政策がかえってアルコール依存症をもたらし、さらにアル中対策を行っている。こそ泥や車上あらしも多く、パース駅周辺でもベンチに子連れでただただ居座る姿をよく見かける。満足な子どもの教育も行われていないように見受ける。
実情がわからない外部の人間が言うことではないが、優遇策ではなく、自立支援策に絞るべきと思うのだが。


"Stolen Children" (盗まれた子供達)については、「アボリジニの夢はいずこ」が詳しい。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バレンタインデーは憂鬱な日?

2008年02月14日 | オーストラリア
JAMS.TVによるAustralia NEWS(2008年02月12日)に、「バレンタインデー、多くの人にとって憂鬱な1日」という記事があった。

------------------------

「バレンタインデーに心をときめかせる人もいるだろうが、大部分の人にとって2月14日は不愉快な日であり、特に落ち込み気味の人にとっては憂鬱な1日となるだろうと、精神衛生の専門家は警告を出している。 ・・・・前年に配偶者やパートナーを亡くした人や、また現在恋愛相手がいる場合の人でも憂鬱な1日となる場合がある。・・・・同じ状況に置かれた人は他にも沢山いることを忘れないでくださいと語り、「この日を誰かと過ごす良い 機会にして下さい。友人とお茶を飲みに行ったり、誰かを心から褒めたたえたり、外へ出て他の人と語りあって下さい」と呼びかけた。」

----------------------

私は、いちゃつくペアーを見ると、不快になる。これは心の狭さが原因だが、うつ気味の人は幸せな人々を見ると、自分だけ取り残されたような感じがするのだろう。幸せな人は自分たち以外の人のことにも配慮する余裕を持ちたいものだ。

私は獲得チョコ ゼロ。 あなたは? やっぱり!
まあ、一緒にお茶を飲む人がいればそれだけで十分幸せです。はい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!」を観た

2008年02月13日 | 趣味

Mr.ビーンは私のお気に入りだ。最初に見たのは1992年にオーストラリアのケアンズからシドニーに行く飛行機の中で、奥様に「皆、笑ってるわよ」と脇をつつかれたときだ。中央の画面でMr.ビーンの奇妙なふり、とんまなしぐさを見て大笑いした。会話がほとんどないのが何より良い。

Mr.ビーンは1990年のイギリスのTV放送がデビューだ。日本でも深夜、不定期でTV放送していて、私もNHKで深夜にたまたま見て「おおやっている」とびっくりした。しかし、通常時間帯でのTV放送はなく、その後も飛行機の中での私のお楽しみになっていた。1998年には劇場場版公開にあわせてMr.ビーンのアトキンソンが来日し、ブームになった。

今回の映画は、公開から日もたっていて、込むことはないと思ったが、念のために劇場は(田舎の)海老名とし、わざわざ週日の雨の日に行った。劇場のある海老名のビナウォークもガラガラ。



この七重の塔もビナウォークが出来る前は、駅から遠くに見えていて、何であんなところに塔があるのかと思っていた。ビナウォークも5周年になるそうで、何事もアット言う間だ。それにしても、このビナウォークは雨の日はところどころ屋根がなくなり傘を開かなくてはいけない。なんという設計だ。

通常2400円のPremier Screenという豪華版?の部屋が、夫婦50割引、二人で2千円。108席しかなく、広いシートは長時間でも腰が痛くならないエルゴノミクス設計で飛行機のファーストクラス並み(らしい)。どこからかただようポップコーンの臭いに包まれてゆったりと鑑賞できた。

映画のほうは、私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)。
(”是非読みたい”が五つ星、”お勧め”は四つ星、”お好みで”を三ツ星、”読めば”を二つ星、”無駄”は一つ星)

Mr.ビーン(ローワン・アトキンソン)は、くじ引きで当たったフランス旅行へ行くが、その途中から大騒ぎで、・・・・と、まあ筋は紹介しても意味ない。
ただ、Mr.ビーンの一番の親友のおもちゃのテディが出てこないことでわかるように、私の一番の楽しみのしみったれた細かなドジっぷりがあまりなく、よくあるドタバタがメインなのは残念だ。ただし、例のクネクネ身体と、飛び出しそうな目玉、ドジなしぐさと、自分勝手な行動、さらに英語が通じないフランスが舞台なので会話がほとんどないのも結構だ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「旗本夫人が見た江戸のたそがれ」を読む

2008年02月11日 | 読書

「旗本夫人が見た江戸のたそがれ 井関隆子のエスプリ日記」深沢秋男著 2007年11月20日発行 文春新書 を読んだ。

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)。
(”是非読みたい”が五つ星、”お勧め”は四つ星、”お好みで”を三ツ星、”読めば”を二つ星、”無駄”は一つ星)

日記の著者は、江戸も終わりに近づいた天保のころの井関隆子という隠居した旗本の妻だ。古今東西の書籍を読み、歌、小説、絵も書き、冷静で合理的な分析が出来る女性が江戸時代にもいたのだ。

江戸の武家の風俗、年中行事、具体的日々の暮らし向きを書いている。また、天保改革など江戸城内部の実情、政治の裏面が生々しく語られる。息子や孫からの城内の生な情報が入ってくるのだ。幕府の公式発表を覆す第一級の史料でもあるらしい。

九段下の屋敷の庭の別棟に暮し、四季の草花、歌、お酒をたしなむスローライフである。同時に、江戸幕府の中枢からの最新の情報も入り、世の中から取り残されていく不安もないという楽しい隠居生活の記録でもある。

ひとつだけ、引用する。
法事について、「大方の人がお経を聞いても訳はわからず、ただうるさいと思っているものが多い。人の代わりに来た男などは、早く読経が終わって欲しいと、陰であくびをして、早く物を食べたいと、それが待ち遠しい様子である」と書いてある。
隆子の批判精神を示しているが、これが江戸時代かと思う記述だ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもは3歳までに親孝行を終える

2008年02月09日 | 個人的記録

我家には大量のアルバム、写真があった。このままでは、さらに年取ってからいずれある引越しにも問題となるし、引き継ぐことになる息子も困るだろうと全部デジタル化してパソコンに取り込んだ。

6年前に亡くなった母親の大正時代からの何冊かのアルバム、奥さんと私の結婚前、そして結婚後のアルバム。子どもが誕生してからはご丁寧に、将来に向けて子どもに渡すアルバムと、老後に我々で楽しむアルバムを2重に持っていた。何度かの海外旅行のアルバムも別にある。アルバムの棚の長さは2 mはあった。そのほかにも会社関係の写真など箱に放り込んだままの写真もある。
ようするに、2003年にデジカメにして一切プリントしなくなるまでの我家の全静止映像記録である。

イメージリーダを購入してこの写真をパソコンに取り込んで、アルバム、写真は一挙に捨てた。五日ほど朝から深夜までほとんど掘りごたつに座りっぱなしで、お尻が痛くて座布団を二重にするほど時間が掛かった。
JPGで取り込んで、結局総計1.2 GBほどになり、一枚250KBとして、おそらく、5千枚ほどあったと思う。

現在はパソコンのHDDに保存し、バックアップを外付けHDDにとっている。いずれ、子どもに渡すためにも、媒体に落としておきたいと思うが、いまさらCDでもないと思うし、DVDは長期保存信頼性に不安があり、実行していない。

写真を見てグループ分けし各フォルダに分類するのだが、ついつい写真に見とれてしまう。自分では年取った自覚はあまりないのだが、写真を見ると歴然だ。私はいまでもそれほど太っているわけではないのだが、若いころの写真を見ると、顔はもちろん、身体のスリムさがぜんぜん違う。そういえば、昔はウエストが74cmだったが、今は82cmだ。
奥様はほとんど変わっていません。ハイ

一番写真の枚数が多いのは、息子が2歳から4歳の頃だ。
そういえば、当時は8mmフィルムを撮っていた。たしか10分たらずしか撮れなかった。そのうちビデオ時代になり、大きなビデオデッキを担いで海外へ行ったものだった。
一枚一枚の写真を見ると、いろいろなところに出かけたこと、ちらかった部屋の様子、お気に入りのおもちゃなど楽しかったことを思い出す。大変だったことは忘れて、いや、奥様がですが、楽しいことだけ思い出す。今見ても、なにしろ可愛い。
取り込んだ写真は捨てることにしているのだが、ついついこれだけはと取って置くことになる。
この時期がわが人生最高の季節だったのだろう。

最近、息子は忙しくて帰ってくるのはほとんど午前様だ。休日も遅く起きるとすぐ飛び出して行って、話すことも少ない。奥さんは、たまに話しても逆にたしなめられたりしていて、「自分ひとりで大きくなったような顔して。女の子だったら、いろいろ話してくれるし、一緒に買物したりできるのに」と嘆いていた。

傍らで、写真をパラパラ見ていた奥様が言った。
「本当に可愛かったわね。・・・・まあ、たくさん楽しませてもらったんだからね」とニコリとした。
ほんとに、子どもは3歳までに親孝行を終える。



身の周りの整理 (1)考え方(2)本、書類、アルバム、(3)その他、(4)子どもは3歳までに親孝行を終える(アルバムの整理)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新国立美術館で横山大観展を見る

2008年02月07日 | 美術

昨年1月21日にオープンした新国立美術館は、行列に1時間並んだなどの話を聞いて、「しばらくは」といって1年ほど、様子を見ていた。
奥様が、「200円高いけど、待たないで入れる時間指定チケットがあるし、大観の「無我」が2月11日までの展示で、「屈原」に展示替えしてしまう」とのひとり言、実質ご下命で、あわててインターネットでチケット購入して、翌日、新国立美術館の横山大観展へ出かけた。

しかし、待ち時間0で、そのまま入場できて、200円の丸損。当日は週日でしかも雪がぱらつく天気だったせいで、いつもはいまだ長い行列と信じたいが、どうもそうでもなさそうだ。

新国立美術館は昨年10月に亡くなった黒川紀章氏設計による建物で、波打つガラスの外壁が、上下にも丸みを帯びていて、さすがに建築費が高そうな黒川さんの設計だ。




六本木から歩いて来ると正面入口に入ることになり、千代田線乃木坂駅から上に登り、そのまま屋根の下を歩けば雨に濡れないで西入口に入れる。



中に入ると、片側が広い展示室3ブロックで、




反対側は天井までガラスの窓でカフェとスペースになっている。




食事もできるカフェは地下と2階にあり、上にいくほど高価になる。さらに、3階に上がれば本格的レストランがあるが、さらに値段も上がる。40年以上ミシュランの三ツ星を獲得し続けているポール・ボキューズ氏が初めてフランス・リヨン以外に出店した「ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ」とある。ミシュラン東京ではどうなっているのだろうか?
もちろん私たちの昼飯は地下で、3階には近づいてもいない。

入口を入ると、まず「無我」。奥様も私めも、大観作品の中で一番のお気に入り。小さな子がぶかぶかの着物を着てただ立っているだけの絵だが、孤独な無心の境地が表れているような気がする。
以下ズラズラと大観作品が並ぶ。各地の美術館、企業からよく集めたものだ。さすが常設作品を持たず企画展、公募展専門の新国立美術館だ。人寄せの名品を一点豪華主義で持つ地方の美術館も、リピータが少ないので経営が苦しいのだろう。最近は企画展が増加して、他の美術館から絵画を借りる金額が高騰しているとの記事を読んだことがある。

とくに呼び物は、全長40mの巻物、「生々流転」。広さを誇る新国立美術館でないとできない技だ。ただし、観客が巻物に沿ってゆっくり進んでいくので、途中誰かがじっと眺めると、列全体が止まってしまう。

大きな屏風絵の「夜桜」と「紅葉」もあでやかだ。「秋色」が尾形光琳の屏風と比較して並べてあったが、影響されていると言われれば、そうかなと思う。キュレーターの人も何か主張しないといけないのでご苦労さんと言った感じ。

日本画の特長ともいえる線を消してしまった朦朧体(もうろうたい)も好きだ。「雨霽る(あめはる)」は、雨の後で、霧が晴れてゆく山山と、彼方にかすかに顔をだす富士が神々しい。

大観といえば、私が子供のころ、飯は食べずに酒だけ飲んでいる怪物との印象があった。その大観が没後50年とは!
大観は、絵がずば抜けて上手いとはいえないと思う。しかし、コンセプト、構成力が優れていて、エネルギッシュでたくましい日本人離れした巨人だ。


別会場で開催していた公募展の「新槐樹社展」もざっと見たが、最近の作家には女性が多いと改めて思った。

2階で「第11回 文化庁メディア芸術祭11th Japan Media Arts Festival 」を開催していた。



協賛展の「先端技術ショーケース’08」では新しいコミュニケーションを可能にするという触れ込みの展示が行われていた。
一次盛んだったMITのメディアラボのような、本質でなく見せ方だけに工夫を凝らす、単に目新しさを競うフェイクのような気がしてこの種のものはのめりこむ気にはなれない。かつて、モナリザにウインクさせて学会を喝采させた原島博東大教授が研究総括だそうだが、硬直した私の頭では、この種のものは、才能の無駄使いだと思うのだが。

芸術祭の受賞作品紹介では、アート部門のほかに、エンターテイメント部門で「Wii Sports」が受賞し、アニメーション部門やマンガ部門が大きなスペースを占めていたし、フィギュアーも多かった。

大観のたくましさは見る影もない。時代は変わった。いや、新しい形のたくましさと思わねば。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心肺蘇生法講習会を受ける

2008年02月03日 | 雑学

心肺蘇生法講習会に参加して、人工呼吸とAEDにより除細動の訓練を受けた。いざというときのために機会を見つけて実際に訓練しておくことをお勧めする。

たまたま訪れた病院で見た心肺蘇生法講習会のビラに応募して、奥さんに「若くてきれいな看護婦さんに人工呼吸しちゃうんだ」と言うと、「ばっかね。人形に決まってるでしょ」と言われた。
当日会場に入ると、白衣の天使がにこやかに迎えてくれた。しかも、本当に美人!






しかし、いやなものが置いてあった。










やはり!


自分自身もそうだが、身近な人も年相応となり、いざというときに手をこまねいて後悔しないように、かねてから、人工呼吸など一次救急措置(BLS : Basic Life Support )の訓練を受けたいと思っていた。まず一生、実際には使うことはないだろうが、万が一のときに(恵まれれば?)、この訓練の効果は抜群だと思った。

3時間ほどの講習だが、講義は短く、ほとんどの時間は実際の実習訓練という実用的な講習だ。モデル人形を使った人工呼吸法、胸骨圧迫による心臓マッサージ、訓練用AEDでの電気ショックの与え方と、それらを組み合わせた実際の緊急蘇生手順の繰り返し訓練だ。





以下、蘇生法の流れを少しだけ詳しく説明する。

倒れている人を発見したら、肩をたたいて「大丈夫ですか」などと声をかける。意識がない場合は、大声で、「119番通報してください」、「AEDを持ってきてください」、「人を集めてください」と周囲の人にお願いする。
日本人はただ周りを囲んでいるだけの場合が多いという。一度訓練を受けた人でも、「私はまだ一回だけだから」などとしり込みするという。こんな場合だけは、英雄になりたがるアメリカ人を少しは真似したいものだ。

おでこを押さえ、あごを軽く持ち上げて気道を確保し、鼻からの息、胸などの動きがないことを確認する(10秒以内)。

そのまま、倒れた人のあごを上げたまま、鼻をつまんで、口から胸が上がるまで約1秒間、息を吹き込む。この人工呼吸を2回行う。これが意外と難しく、最初はほとんどに人が息漏れしてうまくいかなかった。鼻をしっかりつまみ、あごを持ち上げすぎて口を閉じないようにし、自分の口を大きく開けて、息がもれずに吹き込まれるようにしなければならない。

倒れている人によっては、直接口を付けたくない場合もある??    いや、違います。口が血だらけだったり、吐瀉物があったりする場合のことです。
研修では各人に、ハンカチほどのビニールの中央部がガーゼになったフェースシールドが配られ、それを人形の口に当てて、その上から息を吹き込んだ。
このフェースシールドは、ネットで検索すると弁がついたキーホルダータイプも数百円で売っている。

次は、両乳首の間の胸骨を、体重をかけて4、5 cm 沈むくらいの強さで30回押す。これがけっこうくたびれる。そのあと、人工呼吸を2回行い、再び胸骨圧迫を30回。
これを救急隊が来るまで繰り返す。時間によっては、そばにいる人に途中で代わってもらう必要がありそうだ。

AEDが手元にきたら、電源を入れて、パッドを貼って、周囲の人を倒れている人から離れさせ、解析ボタンを押す。心電図解析結果の音声ガイダンスの指示に従い、必要なら、放電ボタンを押す。放電後、またAEDの音声ガイダンスに従い、胸骨圧迫30回、人工呼吸2回、AEDなどと繰り返す。

AEDはいろいろな機種があり、操作方法が若干異なる。例えば、日本光電のAEDのホ-ムページにはビデオでの簡単な説明がある。
 

AEDとは、Automated External Defibrillator 自動体外式除細動器のことで、心臓に電気ショックを与え、心室細動(心臓のけいれん)している心臓を正常なリズムに戻す装置だ。駅、公共施設、スポーツジムなど人が多く集まるところに配置されていて、最近は中学、高校でも使い方の訓練を行うところが多くなっているという。

救急車が現場到着するまで平均で約6分かかる。少しでも早い措置は救命率を上げるとともに、1分1秒でも早い心肺停止状態解除は、その後の脳障害の程度を極端に軽くする。

あなたの目の前で愛する人が倒れたら、手をこまねいて救急車を待ちますか?その間の数分の差が、その人の命と一生を左右することがあっても?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする