hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

広瀬立成『超ひも理論』を読む

2011年01月31日 | 読書2
広瀬立成著『超ひも理論』2006年11月ナツメ社発行、を読んだ。

ナツメ社の図解雑学シリーズの一冊で、最先端物理学を、数式を用いずに図やイメージで解った気にさせようというものだ。

宣伝文句はこうだ。
超ひも理論とは、物体の最小単位である素粒子が、実は粒子ではなく、「ひも」のゆらぎであるという仮説で、現在、物理学の最終理論と目されている理論です。相対理論と量子力学の2つを矛盾なく説明する理論は、超ひも理論しか存在していません。本書は物理学の最先端であるこの理論を一般の読者にも
わかりやすく図やイメージを使って解説しています。


超ひも理論と称していながら、実際はほとんどクォークぐらいで終わっている本が多いが、この本では、内容は別として、超ひも理論にかなりのページをさいて、概念を説明しようとしている。(努力は買う。とかいって、当方は結局、読む努力をせず。)



広瀬立成(ひろせ・たちしげ)
1967年東京工業大学大学院博士課程修了。東大原子核研究所、東京都立大学、ハイデルベルク大学を経て東京都立大学教授、早稲田大学教授。専門は高エネルギー物理学。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

2,3日で、概念的に超ひも理論を知りたいと思う人にはお勧めだ。私の場合、量子力学、相対性理論まではついていけるが、クォークになると種類が多すぎ、めんどくさくて覚えきれない。その先の4つの力の統一や超対称性はふむふむとながめ、イメージをつかむだけとなる。結局、超ひも理論については、匂いを嗅いだだけに終わる。数式がないと、どうも理解しにくいと負け惜しみを言いながら。



以下、メモ
・超ひもの大きさは、10-35m、閉じたひもと開いたひもがある。
・超ひも理論では、時空は10次元
・力の種類
  強い力──陽子、中性子間に働く
  電磁力──陽子、電子間など、2種の電荷間に働く
  弱い力──放射性崩壊を引き起こす
  重力 ──2つの物質間に働く
・電磁力(量子電気力学)と弱い力は、統一理論(ワインバーク・サラム)で統一
・強い力と電磁力は、大統一理論で統一
・重力と大統一理論が、超ひも理論で統一されるか?
・東京駅に半径1mの原子核を置くと、周りを廻る電子は半径100km
・素粒子はハドロン(陽子、中性子など)とレプトン(電子、ミュー粒子など)で構成
・クォーク閉じ込めの理論:クォークは存在するが、単独では観察できない。クォーク間に働く力(強い力)は、広がることない一次元の力で、引き離すことができない。
・重力は到達距離は無限大だが、他の3つの力と比べると桁はずれに小さい。しかし、粒子一個一個に働くので合計として大きな天体間では強大な力になる。


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西成活裕『渋滞の先頭は何をしているのか?』を読む

2011年01月29日 | 読書2
西成活裕著『渋滞の先頭は何をしているのか?』宝島新書、2009年6月、宝島社発行、を読んだ。

渋滞には、料金所、事故など原因が明確な「ボトルネック渋滞」、先頭の電車は待っている人が多く乗り降りで遅くなり、次からの電車は空いていて詰まってくるという「ダンゴ型渋滞」と、はっきりと原因になる先頭がいない「自然渋滞」がある。
この本では疑問が多い自然渋滞を主に扱っている。

高速道路での自然渋滞になる直前の車間距離は40m(1km当り25台)で、そのときの速度は時速70kmほどだという。この車間距離40mが限界で(高い緊張が強いられるメタ安定状態)、ある車が何かの原因で遅くなると後ろの車がブレーキを踏み、次々連鎖反応が起きて数十台後ろでは停止して渋滞になる。この渋滞の原因となる先頭の車は徐々に後方に伝搬していく。



我先にと車間距離を詰めて走るよりも充分な車間距離を取って走ることによって渋滞はなくなり、結局のところ、みんなが快適に走ることができるようになるというのだ。

この自然渋滞のひきがねとなるのは、下り坂に続く緩やかな上り坂(サグ部)で速度低下に気がつかない場合や、トンネルの入口、カーブで急に速度を落としたり、急に車線変更することだ。そのばあいでも、車間距離を40m以上に保っていれば、前の車の速度低下に対しブレーキなど掛けずに速度変化を吸収でき、渋滞への連鎖を止められる可能性がある。

渋滞のし始めるのは、統計的に左車線が25%、中央が35%、右が40%で、イライラして車線変更する先の追越車線の方から渋滞が始まることが多い。
高速道路が渋滞しているときは、一般道も80%以上渋滞している。混んでいても、高速は時速20kmで一般道は時速5kmで進むのだから高速から一般道に降りないほうがよい。



西成 活裕 (にしなり かつひろ)
1967年東京都生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。
山形大学、龍谷大学、ケルン大学理論物理学研究所(ドイツ)を経て
現在、東京大学大学院工学系研究科教授。専門は数理物理学。
NPO法人日本国際ムダどり学会会長。
様々な渋滞を分野横断的に研究する「渋滞学」を提唱し、著書『渋滞学』(新潮選書)は講談社科学出版賞などを受賞。国際学会誌に論文多数。多くのテレビ、ラジオ、新聞などのメディアでも活躍している。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

渋滞の原因、とくにわけの分からない自然渋滞が起こる仕組みをわかりやすく説明している。実際のデータなどもあって、説得力は充分だ。

著者の主な主張は、第1章(「渋滞学」へようこそ)と、第2章(「渋滞」の先頭は何をしているのか?)で言い尽くされている。第3章(世の中は「渋滞」している)、第4章(渋滞学が実現する快適社会)は、電車の遅延、運動会の場所取り、インターネット、流行や噂など世の中いろんなところに様々な「渋滞」があるという話だが、指摘に終わっている。

私も、とくに若い頃はスピードを出して運転していた。ただ本人には自覚がなく、気がつくといつも車の群れの最後尾を走っているので安全運転していると思い込んでいた。
それでも、車間距離だけは充分とっていたので、渋滞の原因にだけはなっていなかったと思いたい。



以下、私のメモ。

渋滞とは、密度の増加とともに流量が減少する状態

人が直線的に並んで歩いている状態では、臨界距離は約1mで、通路を広がって歩いている場合は1平米あたり約1.8人、つまり前の人の足跡を踏むのに1秒かかる距離だ。つまり、1秒以下に詰めない方が結局早く歩けるのだ。

東海道新幹線は、毎日利用者数を1時間単位で予測して臨時便をさまざまなパターンで追加している。

建物の幅1mのドアからは1秒で1.5人出ることができるという前提で建築設計がなされている。

定常状態の行列では、待ち時間(分)=行列の総人数÷1分間の到着人数 というリトルの公式が成り立つ。例えば人気店の20人の行列で1分に平均2人来ると、10分待つことになる。

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山本有三記念館へ

2011年01月26日 | 日記
井の頭公園から三鷹駅へ延びる風の散歩道の途中、山本有三記念館へ寄った。

山本有三は、「路傍の石」「波」「女の一生」「真実一路」などで知られる国民作家とも言えた(過去形)文学者で、この家に昭和11年から進駐軍に接収された21年まで居住し、この間「路傍の石」、戯曲「米・百俵」などを執筆した。
米百俵」は、小泉純一郎首相が最初の所信表明演説で引用したことで知られる。
館内には、山本有三の記念の品が展示されるとともに、建物自体も大正末期の本格的欧風建築で記念すべきものだ。

井の頭公園を出た万助橋から風の散歩道を200mほど行った左側に、路傍の石がある。



山本有三が「路傍の石」を執筆中の昭和12年、道ばたで見つけ、この家の裏庭に運び込んだと伝えられ、“路傍の石”と呼ばれるようになったと銘板にあった。

ここが入口。



建物の外部の石組みの暖炉煙突は珍しいらしい。閉まっているドアを押して入ると、この先は一人300円。



中は板張りで凝った洋風の部屋だ。



なかなか立派な暖炉が3つもある。



大正11年の井の頭公園の七井橋渡り始めの写真が展示されていた。当時から井の頭公園は庶民の行楽地としてにぎわっていた、とある。



二階には書斎があり、この部屋だけが和室だ。



机の上には、ド近眼のメガネが。



山本有三は文化勲章を受賞している。賞状は、「日本国天皇は」で始まる。



これが文化勲章。



屋敷の裏庭も、有三記念公園として開放されている。ここに入るのは、多分、無料。こちら側からみる建物も重厚だ。



ちょっとした竹林や、水のながれもあり、



あづまや風の休息所もある。



山本有三記念館は、山本有三を知っている人はもちろん、知らない人も一度は訪れたいところでした。



昭和23年の賃貸借契約書が展示されていて、この大きな家の借料が月額496円とあった。



山本 有三
1887‐1974。1887(明治20)年、栃木県生れ。東京帝大独文科卒。
1920(大正9)年、戯曲「生命の冠」でデビュー。
『波』などの新聞小説で成功を収める。
ひたむきな女医を描いた『女の一生』
勤め人一家の愛と犠牲の日々を書いた『真実一路』
逆境をたくましく生きる少年を書いた『路傍の石』
子供達に向けて書かれた『心に太陽を持て』
小泉純一郎が最初の所信表明演説のむすびで引用した「米百俵の故事」
戊辰戦争で焦土と化した城下町・長岡。その窮状を見かねた支藩より見舞いの米百俵が届けられた。だが、配分を心待ちにする藩士が手にしたのは「米を売り学校を立てる」との通達。いきり立つ藩士を前に、大参事小林虎三郎は「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と論す。「米百俵の精神」を広く知らしめた傑作戯曲。

ウィキペディアによれば、
日本国憲法第14条に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」とあるため、文化勲章受章者に年金や褒賞金を支給することができなかった。このため1951年(昭和26年)に勲章とは別制度として文化功労者を設け、これに年金を支給することで実質的に文化勲章年金の機能を持たせた。
年金支給額は文化功労者年金法施行令(昭和26年政令第147号)で定められ、現在の額は1982年に規定された年間350万円である。


文化勲章。念の為に申し上げておきますが、私はいっさいの勲章を拒否します。


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井之頭公園から三鷹へ

2011年01月24日 | 日記
井の頭公園を東から西に抜け、玉川上水沿いの風の散歩道をたどって三鷹駅まで歩いた。途中山本有三記念館へ寄ったのだが、それは次回。

井の頭池の東端のひょうたん橋を渡り、池の南側を西に歩く。



井之頭弁財天には赤いノボリ、旗?が一杯。東京都が用意するはずないと思ったら、寄進元の町内会、個人や、会社の名前がそれぞれに書いてあった。



西園の方角へ雑木林の中を歩いて行くと、玉川上水の脇に「松本訓導殉難の碑」がある。1919年(大正8年)、遠足に来た永田町小学校の生徒の一人が、玉川上水に落ちた。松本先生は上水に飛び込んだが、殉職した。33才だった。なお、生徒は流されたが助かったという。当時の玉川上水は急流だったらしい。



そのまま吉祥寺通りに出て、渡邉万助さんがかけたという万助橋に出る。



ここから玉川上水沿いに800m以上まっすぐな道は、三鷹市によって「風の散歩道」として整備されている。





三鷹市の市長さんはなかなかやり手との評判を聞く。HPで見てみたら、清原慶子さんだった。昔々、彼女が若い頃、懇談会で一緒したことがある。期間1年間だったが、妊娠して最後は欠席されたと思う。落ち着いたやさしい方だった。

山本有三記念館に寄って(次回報告)、むらさき橋を過ぎてから、太宰治の入水した地点を探したが、石碑など目印がなかった。
関連の石などは設置されているが、入水地点ははっきりしないらしい。
現在ではこのあたりの玉川上水も小川程度だが、当時は急流だったという。
「入水」は「じゅすい」と読むと奥さんに教えてもらった。辞書をひくと、「水中に身を投げて自殺すること」とある。ならば、「入水自殺」はダブりなのか?



玉川上水はそのまま三鷹駅の下をくぐり、境浄水場方向へ向かう。三鷹駅は40年ほど前まで約10年間通った駅だが、まったく様変わりしている。駅南側にはペデストリアンデッキが出来たが、パチンコ屋はまだそのままあった。お世話になりました。いや、大変お世話しました。



北側に出ると、タクシー乗り場の傍に、懐かしの碑が。国木田独歩「山林に自由存す」の碑だ。



昨年完成の武蔵野タワーズはまだ完売ではないらしい。



タワーを2つ見上げて、2階のスーパーを見学して、早々に退散。



吉祥寺までムーバスで出て、海外旅行のパンフレット集め。

御用達の沖縄の喫茶店でおなじみの日替りランチ950円をいただき、ご満悦で帰宅。1万3千歩は立派。


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吉田修一『横道世之介』を読む

2011年01月22日 | 読書2

吉田修一著『横道世之介』2009年9月、毎日新聞社発行、を読んだ。
初出は2008年4月~2009年3月毎日新聞社連載。

舞台はバブル真っ盛りの1980年代後半。大学入学のために九州から上京した横道世之介の、ちょっと浮かれた4月から3月の1年間の話だ(1年間の新聞連載の季節に合わせて書いたという)。そこに、世之介と関わった人物たちの話が枝のように挟まれるのだが、それは10数年あるいは20年後の現在から過去を思い出すという構成になっている。

なんということない普通の大学生の世之介だが、のんきで自然な性格は場をリラックさせどんな人でもすぐその懐に飛び込んでしまう。世之介はなぜかサンバのサークルに入り、時給につられ夜間のホテルのルームサービスのバイトを始め、教習所に通い、夏はクーラーのある友人の部屋に入り浸る。

平凡な学生生活を送る世之介だが、関わる人々は個性的だ。残土処理業者で大金持ちのお嬢様で、馬鹿丁寧な言葉遣いで、ちょっとズレた祥子や、モテるくせに女性に興味のないクーラー付き部屋の住人の加藤、世之介が夢中になるお金持ちのおじさまと付き合う美人の片瀬千春などは、過ぎ去ったあとから、「あの世之介は良い人だったな」と思い出す。

2009年10月11日のasahi.comのインタビューで、著者の吉田さんは語る。

「世之介のようにいろんな人に思い出してもらえる人生って、いいなあと思います」



その他、参考:「世之介広場



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

ドラマチックな事は何も起きないし、派手な恋愛もない。主人公に際立ったキャラもない。しかし、ほんわかとすべての事を肯定的にとらえる主人公は、自然で率直な性格で、するりと人の心に入り込み、周囲を和ませ、暖かくする。

平凡を絵に書いたような世之介と、世の中からズレている祥子の組み合わせが面白い。海水浴に誘われて世之介は浮輪を付けてクルーザーに乗り込むことになる。

いくつか引用する。

クーラー目的で部屋に入り浸る世之介に住人の加藤は言う。

「最近、本気でお前のためにクーラー買ってやろうかって考えてる自分が怖いよ」



かってお嬢様だった祥子は思う。

大切に育てるということは「大切なもの」を与えるのではなく、その「大切なもの」を失った時にどうやってそれを乗り越えるか、その強さを教えてやることなのではないかと思う。

「・・・いろいろなことに、『YES』って言ってるような人だった」・・・「・・・もちろん、そのせいでいっぱい失敗するんだけど、それでも『NO』じゃなくて、『YES』って言ってるような人・・・」

 

吉田修一の略歴と既読本リスト





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斉藤美奈子『ふたたび、時事ネタ』を読む

2011年01月20日 | 読書2
斉藤美奈子著『ふたたび、時事ネタ』2010年6月中央公論社新社発行、を読んだ。

政権交代をはさんだ3年間に世間を騒がせた事件やら社会問題、政治問題を斬る辛口コラム。安倍首相のもと自民党が参院選で大敗した2007年、福田・麻生政権迷走の2008年、鳩山連立内閣が誕生した2009年。
斉藤さんの予想を上回るあまりに迷走の3年間だったため、今年の春の時点での追記が書き込まれているものも多い。

政治に関しては、突込みどころがありすぎて、非常識なことばかりで、さすがの口の悪い斉藤さんも、何を批判しても常識的になってしまい、言うのもうんざりしている様子だ。

メディアは、よく考えればたいしたことないネタを大げさに、しつこく報じる。一方で、センセーショナルではないが肝心なことは報じていないと斉藤さんは怒る。

二つだけ挙げる。

教育基本法改定に反対する市民主催の集会が各地でひんぱんに開かれているときに、大手広告代理店へ1回1000万円支払い、参加者の1/3から1/2が動員という政府主催のタウンミーティング。
(市民主催の方も組合の動員が大部分だったりして)

中高年のオジサンは、今の若者は本を読まないと嘆いてみせるが、昔の中高生と現代の中高生に違いがあるとしたら、昔は「見栄を張る」という文化があったことだろう。読んでなくても立派そうな書名をあげておく、とか。
(私も、昔、読みもしない朝日ジャーナルや、今や名前も思い出せないフランスの小説を持ち歩いていた)


本書は、2007年1月-2009年12月「婦人公論」、「DAYS JAPAN」、および共同通信配信コラムに加筆修正したもの。



斉藤美奈子
1956年新潟市出身。成城大学経済学部卒業。児童書の編集者を経て、『妊娠小説』でデビュー、文芸評論家となる。『文章読本さん江』で小林秀雄賞受賞。
ウィキペディアには「フェミニズム系」の論客とあった。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

時事ネタは、とくに近年は動きが激しいので、鮮度のないネタはイマイチ面白くない。1年前のことでも、そうそうそんなことあったなと思ってしまうので、斉藤さんの切れ味も鈍る。

反権力、反マスコミの立場からのツッコミは小気味よい。リベラルな政治姿勢と、反骨精神は徹底しているが、やわらかさと自虐的なユーモアもある。


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山本一力『くじら組』を読む

2011年01月18日 | 読書2
山本一力著『くじら組』2009年3月文藝春秋発行、を読んだ。

江戸時代、土佐国室戸岬にはクジラ漁を行うくじら組があった。岬から鯨を発見する山見、クジラを追込む網船と、勢子船にのり銛で仕留める羽指、仕留めたクジラを浜まで曳航する持双船、いずれも伝統芸ともいえる技を持ち、危険を顧みない勇猛果敢な漁師達だ。

この山見が遠く沖合を通る異国の蒸気船(黒船)を見つけ、藩に知らせようと船を出すが、途中巨大なマッコウクジラの襲撃を受ける。
ここから、外様の土佐藩の奉行達、江戸の留守居役と、幕府の大目付、藩に潜り込んだ公儀隠密の駆け引きが始まる。くじら組は、宿敵となった巨大マッコウクジラに戦いを挑む。このクジラ名づけられた名前は「黒船」、頭が良くて、漁師達の考えを察知して裏をかいたりする。

なにせ山本一力、漁師達の人情味、男気は溢れ、武士達のサムライ魂も

初出は「赤旗」日曜版2007年1月~2008年6月。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

くじら組の漁師達の協力ぶり、クジラとの戦い、外様と幕府の駆け引きに加え、中浜万次郎、ペリーの黒船などが絡んできたりする。色々なことをよく勉強して書いているのだが、話が発散ぎみだ。真ん中過ぎで突然クジラの一人称になって語り、男達の話が最後はファンタジーになって終わる。



山本一力
1948年高知県生まれ。
中学3年の春、上京して新聞の住込み配達員に。
都立世田谷工業高等学校電子科を卒業後、10年間、近畿日本ツーリストに勤務。
その後、様々な職業を経て、1997年『蒼龍』で第77回オール讀物新人賞受賞。
2002年『あかね空』で直木賞受賞。
著書に『ワシントンハイツの旋風』『欅しぐれ』『梅咲きぬ』『だいこん』『ほかげ橋夕景』など。
バブルのしっぽが残っていたとき、事業の失敗で約2億円の借金を抱え込み、その返済のために小説を書き始めた。

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山本一力『ほかげ橋夕景』を読む

2011年01月16日 | 読書2
山本一力著『ほかげ橋夕景』2010年10月文藝春秋発行、を読んだ。

泣き笑い
子供は簡単に嘘をつく。親は自分が嘘をついても、いやついてしまうゆえに、子どもだけは嘘をつくことから遠ざけておきたい。

湯呑千両
地道に、順調に大店になった瓦屋に不運が重なって年を越せなくなる。大晦日の午後8時に乗り込んできた借金取りの渡世人は・・・。

言えねえずら
来年還暦の清水次郎長は引退しているのに、いまだにお金を借りに来る人が多く旅行に出る。そこで、昔を知らない若者には軽く見られて、・・・。(著者にはめずらしく幾分喜劇的)


不意峨朗
江戸から京に上り、舞妓さん相手の髪結いで腕をあげた喜一郎は、夢にあらわれた師匠のお告げで、江戸に戻り、その腕で評判をとる。さらに出番に備えよとのお告げで不意峨朗と名前を変えた彼の出番は・・・。(ファンタジーぎみ)

藍染めの
伊勢型紙彫りの職人佐五郎は、師匠のお嬢さん恋心を抱くが問題にもされず、やけになった結果、賭場で大金を得る。そして、その結果、お嬢さんの恋を助けことになる。

お燈まつり
江戸から新宮に移った傘職人光太郎は、松明を山から持って帰る祭りの競技に参加する。

銀子三枚
秦の始皇帝の末裔という長宗我部家をどんな状況になっても血族を残すために元親がとった非情の手段は次男を島流し同然にすることだった。

ほかげ橋夕景
無口で無愛想な大工傳次郎は、母を亡くした娘おすみの祝言が決まった頃から、急につっけんどんになる。おすみは悲しむが・・・。


初出は、オール読物、2002年から2010年



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

山本一力が力を抜いて楽しみながら書いたと思える短編。おもむきが異なるものが並び、それなりに楽しめる。



山本一力
1948年高知県生まれ。
中学3年の春、上京して新聞の住込み配達員に。
都立世田谷工業高等学校電子科を卒業後、10年間、近畿日本ツーリストに勤務。
その後、様々な職業を経て、1997年『蒼龍』で第77回オール讀物新人賞受賞。
2002年『あかね空』で直木賞受賞。
著書に『ワシントンハイツの旋風』『欅しぐれ』『梅咲きぬ』『だいこん』など。
バブルのしっぽが残っていたとき、事業の失敗で約2億円の借金を抱え込み、その返済のために小説を書き始めた。



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山本一力『あかね空』を読む

2011年01月14日 | 読書2
山本一力著『あかね空』文春文庫、2004年9月文藝春秋発行、を読んだ。

単行本は2001年10月文藝春秋より刊行されている。第126回直木賞受賞作。

第一部は、京都から江戸へ下った豆腐職人の永吉。技量一筋の永吉を支えるやがて妻となるおふみ。苦労の末、京風の柔らかい豆腐が売れるようになるが、おふみの長男しか愛さないからとの神頼みへのこだわりが一家のまとまりを壊していく。
第二部では、長男と次男・長女のずれ、対立から成功した豆腐屋に危機が訪れる。父母の代からの力強い味方と、アコギな商売敵がそこにつけ込む。

2007年に内野聖陽、中谷美紀主演「あかね空」として映画化されている。



山本一力
1948年高知県生まれ。
中学3年の春、上京して新聞の住込み配達員に。
都立世田谷工業高等学校電子科を卒業後、10年間、近畿日本ツーリストに勤務。
その後、様々な職業を経て、1997年『蒼龍』で第77回オール讀物新人賞受賞。
2002年『あかね空』で直木賞受賞。
著書に『ワシントンハイツの旋風』『欅しぐれ』『梅咲きぬ』『だいこん』など。
バブルのしっぽが残っていたとき、事業の失敗で約2億円の借金を抱え込み、その返済のために小説を書き始めた。

この作品は熱い作家山本一力が渾身の力を込めて書いた勝負作だが、縄田一男氏のこの文庫本の解説も熱い。

直木賞の選評では、平岩弓枝が、宝暦十二年八月と年代をはっきり決めて書いていて、そのことで、さまざまな時代背景が見事に取り込まれていると評価している。また、井上ひさしは、江戸という時代と、深川という場所を丸ごと書いてやろうという熱気が読者を巻き込んでいくと述べている。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

時代背景、時代の空気、風俗、人情がよく勉強し、よく書けている。苦労して盛んな店を起こすまでの成功話と、徐々に崩れている家族の絆、店の危機、あやういとことでの逆転劇と大きな流れに、様々な話を持ち込んでの小波が混じりあい、一気に読ませる。

最初のページから、どうも読んだことがあると思って、パソコンに記録してある「読書記録」を調べてみたら、やはり既に2006年1月に読んでいた。(このブログは2006年3月から)それでも、再び面白く読んでしまった。

ただ、家族の絆を危うくするおふみの神頼みへのこだわりには、どうも納得しかねる。私には信仰心がないため、わざと話を上下に振っているように思えてしまう。話全体としてはまじめ一筋の永吉や、次男へのあたたかいまなざし、家族一体での力への信頼心が一本通っていて、江戸の庶民の生活も生き生きと良く書けている。



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片岡弘『634 むさし』を読む

2011年01月12日 | 読書2
片岡弘著『634 むさし』2010年10月、新潮社発行、を読んだ。

題名から宮本武蔵の話かと思ったが、表紙には高さ634メートルの東京スカイツリーの絵が。
鉄道会社が、墨田区内の敷地内に世界最高となる放送電波用タワー(この本では新東京タワー)を建てることになる。超大規模イベントにするため、鉄道会社は、二大広告代理店(電通、博報堂?)と契約して競わせる。
1社のキーパーソンがハーフと思える抜群の容姿を持つ朝子、もう1社には江戸東京博物館のキュレーターの夕子が。ソルボンヌ留学経験を持つ朝子はパリで国際的提携を画策し、
下町の夕子は東京に置き去られた墨田区、江戸情緒との共生を唱え、二人の女性は、高さと地デジだけじゃ駄目だと、陰で協力し合い、女性の武器を存分に発揮する。

本作品は書下ろし。



片岡 弘
1939年京都生まれ。同志社大学卒。JWトンプソンを経て電通へ。企画・総合プロデューサーとして活躍。「電通のライオン」と異名をとり、「熟年」の名付け親でもあるらしい。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

著者お得意のプロジェクトのプレゼンがいかにも本物らしく空虚でおおげさなので、リアルさが増す。女性たちは、とくに朝子は、すべての困難な事を完璧にやってのけ、キーとなる男という男はたちまちモノにされてしまう。
スカイツリー竣工前に読めば、多少の話しの種にはなるかも。



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柳美里『ファミリー・シークレット』を読む

2011年01月10日 | 読書2
柳美里著『ファミリー・シークレット』2010年4月、講談社発行、を読んだ。

この本を書くきっかけはこうだ。
著者の柳美里には、小学生の息子がいる。彼は洋蘭が好きで、宇宙や化石にも関心をもつ男の子だが、自分の髪の毛を切ってしまったり、平然とウソをつく。
「あまりに嘘つきなので(そして次から次へと嘘をつきつづける)朝7時から15時までひっぱたきまくり、学校休ませ、罰として朝食も昼食も与えていません。・・・」
・・・
この記述と息子の顔写真を巡って、2ちゃんねるが“祭り”なったのだが、わたしのHPは何度も“炎上”しているので、別段気に病むことはなかった。

しかし、地域の児童相談所の福祉司が児童虐待を疑い、柳美里さん宅を訪れる。

実の親から虐待を受けていた柳美里は、自責の念と、「再演」(虐待の連鎖)を止めることはできないのかと怖れ、臨床心理士のカウンセリングを受け、26年ぶりに父に会うなど自分自身の過去を見つめ直す。



柳美里(ゆう・みり)
1968年在日朝鮮人の家庭に生まれ、やがて両親が別居。
小学生時代、「バイキン」と呼ばれいじめに遭い、近所の同級生の父親に性的虐待を受ける。
「母は生活用品を盗み、父は犬を盗んだ」というような環境で盗癖を持つ。
母親の夢の山手のお嬢様学校を素行不良で中退。自殺未遂と鬱病。
劇団「東京キッドブラザース」に入団。
1997年『家族シネマ』で芥川賞受賞
1999年『ゴールドラッシュ』で木山捷平文学賞受賞。
2001年死を目前にした東由多加さんの子どもを生み(本書の息子)、書いた『命』がベストセラー。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

著者が虐待されたり、わが子を虐待したりする様子が詳細に語られる。いったい、どんな気持ちでわが子を虐待できるのか知りたいと思って読んでみたが、途中で耐えられず、とばし読みしてしまった。

厳しい虐待の様子が書かれているので、気の弱い人にはお勧めできない。わが子の振る舞いにイラつき、ついヒステリックになってしまうお母さんがついエスカレートするのと、虐待とはやはり違うと思った。
著者のように子どもの時に虐待された心の奥の傷が、わが子のウソなど悪い行為によってパクリと開き、虐待の連鎖になってしまうようだ。

著者の子どもは、明らかにすぐばれるウソを繰り返す。これなど、母の顔を見ながらわざと悪いことをしているように思える。悲惨な連鎖を引き起こすように仕向けられているような気がして哀しい。


以下のような話、じっくり読む気になれますか?

秋葉原通り魔事件の犯人の母親は作文を書く小学生の息子のとなりに座って、一文字でも間違えたり、汚い文字を書いたりすると原稿用紙をゴミ箱に捨てて書きなおしを命じ、「この熟語を使った意図は?」などと訊ねて「十、九、八、七・・・」とカウントダウンをはじめ、〇になるとビンタをした・・・

神戸連続児童殺傷事件を起こした当時十四歳だった少年は、小学三年のときに母親のことを作文に書いている。「お母さんは、・・・しゅくだいをわすれたり、ゆうことをきかなかったりすると、・・・。・・・そしてひっさつわざの『百たたき』がでます。お母さんは、えんま大王でも手がだせない。まかいの大ま王です」


そして、柳さんの母も、
母はキャバレーに出勤する前に、算数の問題を解くわたしのとなりに座り、間違った答えを書くたびに、ハタキの柄で、鉛筆を持つわたしの右腕を打った。打ち過ぎて、竹が割れて線状になり、腕は血が滲んでミミズ腫れになったが、母は、わたしが正解を出すまで許してくれなかった。


さらに柳さんも何回説明しても算数ができない息子にキレて、どなる。
「馬鹿ッ! なんで、おまえはそんなに馬鹿なんだ! 頭も悪い! 性格も悪い! なんの取柄もないパッパラパーのアホ野郎め!・・・おまえの顔なんか見たくねーんだよ!」

こんなことをするのは異常で、別世界のことと思えるのだが。

残念ながら「知性は感情の支配する領域には手が届かない」(アリス・ミラー『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』)のであり、自分は自分の感情の外に立つことはできない-。
・・・
「子どもを教育すればその子は教育を学ぶのです。子どもに道徳のお説教をすればその子は道徳を説教することを学びますし、・・・子どもを傷つければ子どもは傷つけることを学び、子どもの魂を殺してしまえば、子どもは殺すことを学ぶのです。そうなったとき子どもはただ殺す対象に関して選択の余地が残されるだけです。自分を殺すか、他人を殺すか、それとも両方か」(同前)


しかし、柳さんは以下のように書いて、虐待の連鎖を断ち切ろうとする。
「本人は過去を忘れても、過去は本人を覚えている」
トラウマには、自分の身に起きたことを無意識に繰り返してしまう「再演化」という性質があるそうだ。
 わたしは、自分の内に同在する被害と加害を書くことによって変容させて、小説や戯曲のかたちで意識的に「再演」してきた。
 小説や戯曲の中に、加害者でもあり被害者でもある自分を匿(かくま)ってきたのだが、わたしは、過去に見つかってしまった。逃げるものなら、息がつづく限り、逃げていたいが、息子を産み、自分の家を建てたときから「再演」の幕が開いていたのだろう。
 しかし、わたしは、この芝居に出演したくない。
この芝居を、息子に「再演」させたくない。
 わたしは、母と父から受け継いだこの芝居に幕を下ろすために、「虐待」という問題に関わるつもりだ。


私は、文学の力を信じようと思う。



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和田堀公園へ

2011年01月09日 | 日記
杉並大宮八幡宮の北側に広がる和田堀公園に行った。参道の途中から北に入り善福寺川にかかる八幡橋を渡り、和田堀公園をブラブラした。



すぐ和田堀池があり、池の中の安全な島は鳥の天国だ。






池のまわりをブラブラと回る。



胸に顔を埋めてうずくまる変な鳥が木々の間から見える。



同じようだが青くきれいな鳥が木にとまっている。カワセミだ。



まわりにはカメラの放列が囲む。どうやら餌付けの時間を待っているらしい。それにしてもおじいさんだらけ。



カワセミの生態を説明した看板があった。
「水の上の横枝や、水中の杭や石にとまり、小魚をダイビングして大きなくちばしで捕まえます。魚が大型の時は枝や岩などにたたきつけ、頭から飲み込み、不消化な骨は口から吐き出します。春~愛の繁殖期になると、オスは捕まえた魚をメスに与えて、求愛します。」
「ヒナたちの鳴き声が『ジャジャジャ』とセミの鳴き声に似ていることから「カワセミ」の名がついたといわれています。」

残念ながらくちばしは見えなかったが、初めてカワセミを見て、ご満足。
そういえば、オーストラリアで見たワライカワセミKookaburraはこんなきれいな青色ではなかったが、形が似ている。でもあの声は本当に人間の笑い声だった。



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武蔵野八幡宮へ

2011年01月07日 | 日記
吉祥寺大通りと五日市街道との交差点にある武蔵野八幡宮へ行った。



4日の11時頃なのに参拝の列が長い。



出かける時間になったので、今日はこれまで。
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杉並大宮八幡宮へ初詣

2011年01月05日 | 日記
井の頭線の西永福駅から歩いて大宮八幡宮へ向かう。初めてなので、遠回りして一之鳥居へ。
一之鳥居、ニ之鳥居と表参道を眺める。



表参道は250mと長く、両脇には出店が並ぶ。とうもろこし、バナナチョコ、お面、のしいかなど食欲より郷愁を誘う。



神門をくぐれば、境内だ。



正面に神殿、両脇に札所がずらり。



アルバイトだろう巫女さんがずらり。



1円玉では音が軽くてまずい。立派な財布からようやく見付け出した5円玉を賽銭箱に景気よく1枚だけ投げ入れて願い事をとなえる。2軒分の幸せと、親戚の子どもの無事を真剣に願う。



振り返ると、神門の脇の左右には大きなイチョウの木が。左の高いほうが男銀杏、右の可愛い?のが女銀杏。



銀杏のまわりには100円のおみくじを結ぶようになっている。



300円のおみくじは扇の形で、おみくじ掛けが用意されている。5円で3つもお願いした者が言うのはおかしいが、この世はすべて金次第??



帰りは、近道して南参道から方南通りに出て西永福に10分程度。




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綿矢りさ『勝手にふるえてろ』を読む

2011年01月02日 | 読書2

綿矢りさ著『勝手にふるえてろ』2010年8月文藝春秋発行、を読んだ。

最年少19歳で芥川賞を受けた綿矢りさも26歳、3年ぶり、4冊目の小説だ。主人公は、男性経験のない26歳OL。中学時代から一途に思う、完全な片思いの「いち」と、初めて告白された現実の彼「ニ」の間で揺れ動く。

一途な愛というより一方的な思いこみ。ただ相手はもちろん周囲にも全く知られないようにしっかり観察する。一方、現実の彼「ニ」には厳しく、冷静に対処する。

文藝春秋HPの本書の宣伝の中のインタビュ-で、綿矢さんはこう語っている。

相手をよく知らないからこそ、好き勝手に妄想できるのは楽しいですよね。距離は離れていてもずっと観察していて、思い入れがある分、ある意味、相手のことをよく分かっている。相手の反応や動作を見ては、「ああ、これもオツだね」と、拒絶することなくすべて受け入れている、そういう好きになり方です。

初出:「文學界」2010年8月号、単行本化にあたり加筆訂正



綿矢りさ
わたや・りさ、1984年、京都市生まれ。
2001年、高校生のとき『インストール』で文芸賞受賞、を受けて作家デビュー。
2004年、『蹴りたい背中』で、芥川賞を史上最年少で受賞。
2006年、早稲田大教育学部国語国文学科卒業。
2007年、『夢を与える



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大五つ星)

いくら、りさチャンが美人でも、四つ星は上げられない。主人公は周囲からはごく平凡なおとなしい女性を見られているが、内実はけっこう皮肉で策略家でもある。こんな女性の頭の中の考えを、巧みに文章化している。ただ、相変わらずごく狭い世界での心理描写が主で、後半のわずかな部分を除けば、ダイナミックさがない。



前述のインタビューで、結婚について、こう語る。京都弁がカワユイ。
ただ、好きな人と結婚しいひんのは悪いこと、妥協するのは簡単、という風潮がありますが、この小説のように、純粋な片思いを貫いていたら、結婚なんて実現しない。人間も動物なのに、好きという気持ちが種の繁栄に繋がらへんこともあるのは不思議やなあと。凄く好きな人とゴールインするのが幸せというのは分かるし、そしたら受け止めてもらうことになるけど、受け入れるっていうこともできるといいんじゃないかなあとと思って。

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