hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「マイクロファイナンス」を読む

2009年11月30日 | 読書2

菅正広著「マイクロファイナンス-貧困と闘う『驚異の金融』」中公新書2021、2009年9月中央公論新社発行を読んだ。

表紙裏にはこうある。
貧困は遠い国の出来事ではない。統計によれば、日本でも五日に一人の割合で餓死者が発生している。貧困に苦しむ人々を救うために、バングラデシュで始まったマイクロファイナンスはアメリカ、フランスなど先進国でも、その力を発揮している。担保のない人々に融資をしながら、貸倒れ率一~二%という実績を残す「驚異の金融」―これは日本の貧困問題にも有効か。この国の貧困の現状をデータに基づき明らかにし、導入の可能性に迫る。




私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

格差社会とか、年越し村とか、悲惨な状況がセンセーショナルに報道される一方では、市場原理主義が正しいとの声もまだ聞こえる。私自身は最低限のセーフティネットを張った後で、小さな政府による完全自由の競争社会を作ることが必要と思っている。ともかく、日本の貧困の実体を冷静に知るためにも有効な本だ。

マイクロファイナンスというと、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行とユヌス総裁を思い出す。善意の墓場と呼ばれたバングラデシュでの成功は、絶望的な貧困の広がりに対する唯一ともいえる希望だ。その秘密は、小額融資、対女性、5人一組などと聞いていたが、その詳細が分かる。さらに、先進国でも実績を上げつつあり、壁の多い日本でのマイクロファイナンス事業形態にも触れている。

著者は北大に勤務するが、有名な「青年よ、大志を抱け!」は続くフレーズがあり、趣旨が誤って伝わっているという。最後のコラムにある真のメッセージは以下だ。

「青年よ、大志を抱け!」金銭や私利私欲や人が名声とよぶはかないものに対して野心的であれというのではなく、知識や正義や人々の向上に尽くすために大志を抱け。そして、人としてのあるべき完成された姿に到達できるように、青年よ、大志を抱け。
ウィリアム・スミス・クラークのメッセージ
“Boys, be ambitious!”  Be ambitious not for money or selfish aggrandizement, not for that evanescent things which men call fame. Be ambitious for knowledge, for righteousness, and for the uplift of your people. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.
This was the message of William Smith Clark


著者の菅正広は、1956年福島県生まれ。1980年東京大学経済学部卒、大蔵省入省。1984年英国ケンブリッジ大学修士(MA)取得。国税庁・証券局課長補佐、主計局主査、OECD税制改革支援室長、財務省国際局・関税局課長、預金保険機構部長、大臣官房参事官等を経て、北海道大学公共政策大学院教授。2009年鉄道建設・運輸施設整備支援機構理事。



序章 日本でマイクロファイナンスが普及しない理由
第1章 深刻化する貧困
貧困には、生存するのに必要なものも得られない絶対的貧困と、平均的生活水準と比べた時に一定の割合の所得以下しかない相対的貧困がある。経済開発協力機構(OECD)は(相対的)貧困を全家計所得の平均の半分以下の所得しか得ていない状態とした。2005年の調査結果では、日本はメキシコ、トルコ、アメリカに次ぐ、ワースト4で、14.9%。ただし、厚労省の「国民生活基礎調査」(2007年)では家計所得の平均は448万円なので、所得が半分の224万円以下が一律に貧困とされてしまう。しかも、資産などは考慮されない。
救済に値する貧困は、平均所得の半分以下と、絶対的貧困の中間にある、生存権以下の貧困だろう。

第2章 マイクロファイナンスとは何か
マイクロファイナンス(MF:Microfinance)とは、「担保となるような資産を持たず金融サービスから排除された貧困に苦しむ人々のために提供する少額の無担保融資や貯蓄・保険・送金などの金融サービス」だ。

グラミン銀行の融資先は、人口の下層25%をターゲットとし、借り手の97%が女性。男性は酒、タバコ、博打に使ってしまうが、女性は例外なく真っ先に子供のことを考え、つぎに家庭を優先する。
5人一組のローンで、前の人が返済を終えないと次の人は借りられない。返済義務は借りた本人のみにあり、他のメンバーにはない。
地域支部が借り手を直接訪問し、生活や事業に助言し、信頼関係を築く。返済率は97.94%。

施しや慈善によって貧困を解決することはできない。ビジネスの手法を活用し、私的利益と社会的利益の両立を追求しなければならない。

「レモン問題」の解決がポイントだ。レモンの中身が腐っているかどうか外からは分かり難いように(逆はピーチ)、財・サービスや取引の内容に関する情報が買い手によく知られていないことが問題だ。少額融資の場合、普通の銀行では対応しがたいこの問題を、マイクロファイナンスでは、借り手と密着し、助言し、信頼関係を築くことで解消し、ピーチにしている。

第3章 先進国のマイクロファイナンス
第4章 日本版ビジネスモデル
6つの資金調達方式などを提案している。
第5章 公の限界と民の限界
日本は欧米に比べ生活保護の補足率(受給資格のある世帯のうち実際に受給している割合)が低く、10~20%という。20%としても、計算すると日本1割以上が潜在的生活保護家庭ということになり、財源が、消費税4%に相当する13兆円必要になる。非金銭的支援も考えれば公だけでの貧困問題解決には限界があることは明らかだ。

第6章 共感のある社会
第7章 私たちにできること
終章 マイクロファイナンスの先にあるもの
先にあるものは、「社会的意義を意識した事業で、持続可能な価格で財やサービスを提供することによって事業のコストや投資資金を回収するものの、利潤は配当として分配せずに再投資する非営利事業」であるソーシャル・ビジネスだ。




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チェコ・フィルの田園、新世界を聴く

2009年11月28日 | 趣味

ブロムシュテット指揮のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を聴いた。
曲目
ベートーヴェン・交響曲第6番「田園」
ドヴォルザーク・交響曲第9番「新世界より」
アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第一番

特にクラシックファンでもない私でもお馴染みの「新世界より」で、チェコ・フィル、8千円、歩いて数分ということで、6月に予約した。
誘われたうたい文句は、
「東京公演の最高席は2万5千円、武蔵野(友の会)なら8千円」「武蔵野市民文化会館の大ホールは1350席と都内大ホールに比べ小さく、全席1万7千円でも赤字になるところ、13年間の長い交渉を得て、今回の激安価格が実現」


同じように、安くて、歩いて数分にひかれ、次々コンサートを申込んだが、10月末に引越してしまい、先週と今週で3回、1時間近くかけて武蔵野市民文化会館へ通った。

席は前から数番目で下から楽団を見上げるのは今までもときどきあった。しかし、横も右から数番目で、どういうわけか今までは左側の席が多いので、席に斜めに座って左を見るのは苦しかった。

田園は穏やかな部分はあくまで優しく、情熱的な部分は激しく、生の交響楽団はまったく迫力が違うと思った。なにしろ、相次ぐ引越しで、コンポを捨ててしまったので、普段はノートパソコンの小さなスピーカーで音楽を聴いているもので。

新世界は、お馴染みだけに、より楽しめた。見事に統制のとれた、重厚な音が全身に覆いかぶさる。おなじみのテーマに身体がゆれる。それにしても、フォルテになったときのすさまじい音響は。しかも、きちんとコントロールされている。

大学のオケでチェロを弾く友人が、「普段は間違うとやばいから、まともに音を出せないのに、フォルテになれば、多少の違いは分からないぞと、ここぞとばかり思いっきり弾くんだ」と言っていたのを思い出した。プロのしかもチェコ・フィルだ。イングリッシュ・ホルンの甘いソロになっても、ハラハラせずに安心して心をゆだねられる。

ハンガリー舞曲第一番はいつもアンコールでやっているのだろう、すばらしい速さで一気に弾ききった。おなじみの軽やかなメロディーに踊り出しそう。
ご機嫌な夜だった。

指揮者のヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)は、ドレスデン、サンフランシスコ交響楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの首席指揮者を務め、現在、バンベルク交響楽団とNHK交響楽団の名誉指揮者でもある。
姿勢よく大股であるく姿は1927年生まれの82歳とは思えない。指揮は、大きな素振りもなく熱情的ではなく地味だが、的確でテンポ良い。
ウィキペディアによると、宗教上の理由による徹底した菜食主義者だそうだ。
・・・肉だけでなく動物の関わる食材を使用しているものは口にしない。NHK交響楽団の来演に際しNHKは昼食に蕎麦を出したが、蕎麦つゆは鰹を出汁にしたものであると知ったブロムシュテットは麺だけしか食べなかったというエピソードがある。




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香山リカ「<雅子さま>はあなたと一緒に泣いている」を読む

2009年11月26日 | 読書2

香山リカ著「<雅子さま>はあなたと一緒に泣いている」ちくま文庫2009年5月、筑摩書房発行を読んだ。

宣伝文句は、こうだ。
責任ある仕事、理解のある夫、かわいい子ども…すべてを手に入れたのに、苦しいのはなぜ? 雇用機会均等法第一世代、いわゆる“雅子さま世代”の女性たちが今ぶつかっている壁と、それを乗り越えるための7つのアドバイス。


雅子さまの問題は、公表された内容だけから状況、原因を推測するしかない。したがって、あくまで一つの例を精神科医として分析しているだけで、主題は、同世代の女性の「生きにくさ」の背景を「親との関係」を中心にヒモどいてみせている。
香山さんの結論は、「他人の目を意識し、それに自分の言動をあわせるのは、まったく勘定に合わないことなのだ。」と言うことだ。そして、雅子さまには、他人の目は気にせずに「65点の自分を自分で認め、受け入れる」ことを薦めている。



香山リカは、1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。学生時代から雑誌などに寄稿。その後も、臨床経験を生かして、新聞、雑誌などの各メディアで、社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍。
私が読んで、感想を書いた著書は、「女はみんな『うつ』になる」、「精神科医ですがわりと人間が苦手です」「親子という病」、「弱い自分を好きになる本」「いまどきの常識」「雅子さまと新型うつ」だ。何しろ奥様がファンなもので。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

仕事、恋愛、夫、実家、出産、育児、姑と、こう並べてくると、女性も大変だと思う。これらの女性の悩みを、この本がもちろん解決してくれるわけではないが、ひも解いてくれる。ただし、香山さんはまだ若い?ので、濡れ落ち葉亭主問題など老年の女性問題には触れていない。

それにしても、私は、雅子さまの問題を例にあげるというのは、あまりに特殊なケースすぎるのではないかと思う。著者の雅子さまに対する温かい目は理解でき、その多くの推測は妥当なものだと感じたのだが。精神科医が、公の人とはいえ、無断でここまで推測、推察結果を公表してよいものだろうか。雅子さんの場合はとくに、反論できる手段はほとんどないのだから。少なくとも題名に「<雅子さま>」と入れるのは、出版社の意向だろうが、売らんかなの意図があからさまだ。
もちろん、著者の意図は、興味が持たれやすい雅子さんの問題と取り上げることで、自分自身の問題を考えてもらいたいというところにあり、私の場合でさえ、著者の意図に乗ってしまったのだが。

蛇足として、いろいろ配慮しすぎてあれこれ迷うこと多い女性と、問題から逃げてばかりの男性に、香山さんからのひと言は、
夫婦であっても、阿吽の呼吸ばかりでものごとが運ぶはずはない。逆に夫婦だからこそ、きちんと言葉を使ってコミュニケーションしなければ理解が進まないことも多い。そして夫に気持ちを伝えるときは、「・・・“すべてはあなたまかせ”ではなくて、「自分はどうしたいのか。それでだめなら次はこれ」とある程度、意思を固めておくことも必要。」




以下、何点か抽出。

雅子さまは、父親の歩みと同調した道を進んでいた。“父親そっくりの娘”は緒方貞子、田中真紀子、藤山寛美の娘藤山直美などがいるが、この世代は、「私生活より仕事」「自分の気持ちをおさえても立場を優先すべき」という考えで、小渕優子の世代になると、あっさり私生活を優先する。雅子さんは、両者に挟まれた世代。

性別に関係なく誰にでも限りなく可能性があるとして教育を受けた30代のシングル女性には、「夫のサポートが自分の誇り」とすんなりとは思えないだろう。これが、美智子皇后と雅子さんの違いだ。

いつまでも両親に依存する娘と、結婚しても戻ってくるなとは言わない親。
「こんなひどいことされた」という形のトラウマではなく、「こうしてくれてもよかったのに、してくれなかった」という陰性トラウマも見られる。親が子供に指示や助言を行うと、子どもはプレッシャーだと反発する。「好きに決めなさい」といえば、後になってから「もっとケアしてくれてもよかったはずなのに」と言う。


「子どもは『親を喜ばせたい、ほめられたい』という気持ちからは永遠に解放されず、気がつくとつい“理想の娘”の路線に乗ってしまっていることもある。・・・親の問題を引きずりすぎても、何の得もないし、究極の解決が訪れる日も来ないのだ。」


知的な女性同士だからといって、嫁姑問題がないわけではない。
「知的であったり生活水準が高かったりする母親ほど、“感情丸出し”になることに対して罪悪感を抱きがちなので、自らの内部の矛盾によけいに深刻にならざるを得ない。」


まじめな女性は、少しでも他者から批判されたり苦言を呈されたりすると、「余計なお世話よ」と思えずに、「私が頑張らないからだ」とひどく傷つく。・・・すべてを完璧にこなしても「ふつうにはできるんだな」くらいにしか評価してもらえない・・・。能力が高く成績がよい女性ほど批判に弱く・・・」




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村上春樹「蛍・納屋を焼く・その他の短編」を読む

2009年11月24日 | 読書2

村上春樹著「蛍・納屋を焼く・その他の短編」1984年新潮社発行を読んだ。

1983年から84年にかけて、「蛍」は「中央公論」、「納屋を焼く」は「新潮」、「踊る小人」は新潮、「めくらやなぎと眠る女」は「文学界」、「三つのドイツ幻想」は「ブルータス」に掲載された。



村上春樹はときどき短編を書いてから、長編に書き直す。「蛍」は「ノルウェイの森」の原作となった短編で、高校のときの友人と友人の彼女との3人の話。
春樹さんの小説は、語り口は軽く、淡々としているのに、突然の死、突然の別れが必ずといってよいほど出てくる。ここでも、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」と太字で強調されている。

納屋を焼く
平然と納屋を焼くと言う謎の男。そして、謎は謎のままに。ここにも突然の失踪がある。
一回り近く歳の離れた彼女はパントマイムの勉強をしているという。彼女は、本当は何にもない蜜柑をむいてみせる。そして、
「あら、こんなの簡単よ。才能でもなんでもないのよ。要するにね、そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ。それだけ」
と言う。


単純、軽薄な私は、こんな気のきいたセリフに弱い。新しげな雰囲気、気のきいたセリフ、かっこよさ。村上春樹は昔の五木寛之に似ている。春樹は喪失感で、寛之は孤独感。春樹はマスコミ嫌いで、寛之は出たがり、などもちろん違いはあるが。


踊る小人
珍しく、おとぎ話でミステリー風。

めくらやなぎと眠る女
年下の従兄弟を連れて病院へ行く。思い出すのが、死んでしまう友人とその彼女を病院に見舞ったときのこと。かみ合わない二つの話が並行して語られる。
「彼はまだ14歳で、この土地を離れたことは一度もなかった、失った経験のない人間に向かって、失われたものの説明をすることは不可能だ。」

ここにもかっこよい言葉がある。

三つのドイツ幻想
へんてこりんな短い話が3つ。


村上春樹は、1949年京都市生まれ、まもなく西宮市へ。1968年早稲田大学第一文学部入学、’71年高橋陽子と学生結婚、1974年喫茶で夜はバーの「ピーター・キャット」を開店。
1979年 「風の歌を聴け」で群像新人文学賞、1982年「羊をめぐる冒険」で野間文芸新人賞、1985年「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で谷崎潤一郎賞、1986年約3年間ヨーロッパ滞在、1991年米国のプリンストン大学客員研究員、客員講師、1993年タフツ大学、1996年「ねじまき鳥クロニクル」で読売文学賞、1999年「約束された場所で―underground 2」で桑原武夫学芸賞、2006年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、世界幻想文学大賞、2007年朝日賞、早稲田大学坪内逍遥大賞受賞。2008年プリンストン大学より名誉博士号(文学)、カリフォルニア大学バークレー校よりバークレー日本賞、2009年エルサレム賞、毎日出版文化賞を受賞。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

平易な言葉で、非現実を語る。今にも折れそうな彼女が突然別れを告げ、それでも、泣き喚くことなく、淡々と受け入れる。心の下半分を失ったまま、軽くシャレた生活を送る。村上ワールドは、この短編でも十分味わえる

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「変愛小説集」を読む

2009年11月22日 | 読書2

岸本佐知子編訳「変愛小説集」2008年5月、講談社発行を読んだ。

図書館の棚を探していて、たまには恋愛小説でも読んでみるかと借りてきた。最初のページを読み始めて、「??」となった。
あのね。わたし、木に恋してしまった。どうしようもなかったの。花がいっぱい咲いていて。


何かおかしいと思い、表紙を見ると、「変ヘン愛アイ小説集」とカナまでふってあった。これじゃまるで、笑い話だ。「変しい、変しい私の変人、新子様」との青い山脈のラブレターだ。
最近では、といっても私の最近は10年ほど前だが、笑っていいとものラブレター紹介のコーナーを思い出す。「恋人宣言」と書くところを「変人宣言」と書かれた小学生の男子から女子への年賀状が紹介された。女子は、「小学生なのに恋人なんて。しかも字を間違えてるし」と家族と大笑いした。男子はその後転校してそれきりになったが、10年ほどして偶然再会し、男子が相変わらす想い続けていたので、結局二人は結婚したという話が紹介されていた。



前置きが長くなったが、収められた短編11のうち一つを除いて、「群像」に連載したものだ。編訳者あとがきで、岸本さんは言っている。
「自分で好きな短編を選んで毎月一つずつ翻訳できたらどんなに楽しいだろう、と長いあいだ夢見ていたが、実際にやってみると予想をはるかに上回る楽しさで、連載期間中はずつと至福の時だった。」

こんな小説が好きとは、岸本さんは変わった人だ。

以下のような話が続く。編訳者によれば、グロテスクだったり、極端だったりする物語を集めた変愛小説は、案外、うんとピュアーでストレートな純愛小説でもあるというのだが。

・彼女が編んでくれたセーターをかぶると、頭がつかえ、上を見ると、空が見える。
・情欲にかられ、草刈にきた若者を体の中に飲み込んでしまい、体内で飼い育てる。
・愛する人の全身の皮膚が少しずつ宇宙服に変わっていき、最後に宇宙に飛び立ってしまう。
・妹のバービー人形に熱烈に恋をする。人形はだんだんはすっぱになり、直接登場しない妹が不気味。
・彼女が乗ったと信じる飛行船をどこまでも車で追いかける。
・牛の骨を混ぜると色が美しくなる柿右衛門様式の陶磁器を愛する娘と曾祖母。




私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

激しい恋愛にあこがれる人の中には、この本に究極の愛の姿を認める人も中にはいるかもしれない。しかし、実際は、SFファンに好まれるのではないだろうか。

岸本さんは、言う。
「もしかしたら、その純粋な姿を突き詰めて描こうとすればするほど、ねじれた、変てこな、グロテスクなものになっていく、恋愛というのはそういうものなのかもしれない。」


確かに、恋愛は正常な心理状態ではないと思うが、この歳になると、燃えるような恋愛話よりも、しっとりとしみわたる愛の話が読みたい。




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シャニ・ディリュカのショバン、ベートーヴェンを聴く

2009年11月21日 | 趣味

武蔵野市民文化会館小ホールでシャニ・ディリュカのピアノを聴いた。シャニ・ディリュカはすごい!何と言ってもパワフルだが、弱音も甘く美しい。

曲目は、
ショパンのノクターン第1・3・21・4・9番
ショパンのワルツ19番、6番(子犬のワルツ)と4番
ショパンのバラード第4番

メンデルスゾーンの幻想曲(スコットランド・ソナタ)
メンデルスゾーンの無言歌集(甘い思い出、失われた幻影、紡ぎ歌)

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番「熱情(アパショナータ)」

アンコールは、グリークのトロールの行進とアリエッタ



ショパンの8曲をほとんど休まずに、一気に弾ききった。ショパンのバラード第4番は、ショパンの中でも、最も演奏困難とされているらしいが、超絶技巧で、見事な音色で見事に弾いた。

ベートーヴェンの熱情は、ベートーヴェンの三大ピアノソナタの1つで、燃えるような激しい感情と隙のない音楽的構成から、最高傑作の中のひとつと言われているらしい。エネルギッシュなシャニ・ディリュカにぴったりの曲で、1,3,4楽章の衝撃的な強音も鋭く、さわやかに爆発し、第2楽章の甘美なテーマも一転なだらかで心地よかった。



シャニ・ディリュカShani Dilukaは、スリランカ出身の両親のもと、1976年にモナコで生まれた。フランス国内の音楽祭の他、世界各地で演奏活動を行っている。この世代の最もすぐれたピアニストの一人。
コントロールされた有り余るパワー、強音でピアノは激しく歌い、響く。弱音は甘く美しい。もう既に感動もので、一流のピアニストだが、さらに超一流になるには、多くのキャリアを踏んで、そしてもうひと化けしないといけないのだろう。何が加わればよいのか、私にはまったくわからないが。



昨日のジュリアード弦楽四重奏団に続き、二日連続のクラシックは初めてだ。昨日は60代以上の人が圧倒的だったが、今日は女性ピアニストのショパンのせいか、20代の女性もチラホラ。
それにしても、千円(会員900円)は安い。前の住所のように歩いて数分なら気楽に通えたのだが。


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ジュリアード弦楽四重奏団を聴く

2009年11月20日 | 趣味

ジュリアード弦楽四重奏団のメンデルスゾーンや、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いた。武蔵野市民文化会館の470席と小ぶりな小ホールだ。
曲目は、
メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第一番
マリオ・ダヴィドフスキの弦楽四重奏曲第五番
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番

安定感あり、同時に気楽そうな演奏ぶりで、やはりカルテットはゆったりと楽しめると思った。交響楽団や、独奏ばかり目立つが、お抱え音楽家の演奏を身近で楽しむ王様気分はカルテットでなければ。
「残響2.2秒の小ホールで至福と一夜を」と宣伝されたが、多分、音響も良かったのだろう。


ジュリアード弦楽四重奏団(Juilliard String Quartet)は、アメリカニューヨークのジュリアード音楽院の校長だった作曲家ウィリアム・シューマンの提唱により、ジュリアード音楽院の教授らによって1946年に結成された弦楽四重奏団で、メンバーは以下。
? 第1ヴァイオリン 2009年 - ニック・エーネット(ニコラス・イーネットNicholas Eanet) :8歳でニューヨークフィルと競演した。メトロポリタン歌劇場のコンサートマスターで、30代なかば。
? 第2ヴァイオリン1997年 - ロナルド・コープス(Ronald Copes)
? ヴィオラ1969年 - サミュエル・ローズ(Samuel Rhodes)
? チェロ 1974年 - ジョエル・クロスニック(Joel Krosnick)


以下、まったく音楽の素養の無い私のたわごと、感想だ。

メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第一番
息のあった優れた演奏家が、メンデルスゾーンらしく、華やかで、楽しい曲を、きびきびと演奏した。

マリオ・ダヴィドフスキの弦楽四重奏曲第五番
いわゆる現代音楽で、たまに聴くのは良いのだが。
en:Mario Davidovskyは1934年アルゼンチン生まれの米国人で、若い頃は電子音楽を作曲していたらしい。この曲は、1998年に、当時メンデルスゾーン弦楽四重奏団にいた第一ヴァイオリンのニック・エーネットのために作曲した。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番
1826年12月に完成し、ベートーヴェンのまとまった作品としても生涯最後のもの。当時、健康を崩し、死も覚悟していたというが、意外にも第三楽章以外は、開放的で明るい。その第三楽章も、重厚だが、どこか懐かしい感じがした。
本当に良い音楽を聴いたという満足感。

アンコールは、シューベルトの弦楽四重奏曲第13番で、互いに掛け合いのように歌いあう主題が生き生きとしていた。



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何もない日はプラプラお散歩、ベランダからキョロキョロ

2009年11月19日 | 日記

引越しして、荷物もどうやらどこかに収まった。使いやすい形にするのはのんびりやることにして、新しい場所に住む最大の楽しみの散策に出かけた。

スーパーは近所に3軒もあり、図書館も確認済みなので、年寄りには最優先の病院探し。医師会のインターネットから内科、耳鼻咽喉科など候補を絞り、まずは医者探し。ぶらぶら医院を求めて歩きながら、住宅街の隠れた旨いものやはないかとキョロキョロする。そう簡単に見つかるわけもなく、どこかで見たような、見ないような花を見つけ、パチリ。



しばらく行くと、また同じ花が。



自宅に戻って調べると、キダチチョウセンアサガオ属 (Brugmansia)のようだ。
外を見ると、空に変な点がある。あわててカメラをつかんで、ベランダに出ると、飛行船のようだ。



ベランダの目の前で、というのはオーバーだが、旋回し、細かいところまではっきり見えるとことまで近くに来た(船体の広告は消した)。



ここまで、近くで見ると、1937年ドイツの飛行船ヒンデンブルク号が着陸の際、機体が爆発、炎上、墜落した映像をTVで見たのを思い出す。今は、YouTubeで見られる。確か、当時は燃えやすい水素ガスで、その後はヘリウムガスになり安全と聞いた。しかし、飛行船というと、のんびりした動きの中に潜む不安を感じてしまう。映像とは恐ろしいものだ。



ベランダからは、富士山が見える。先日の澄み切った朝、ベランダの端の方で、背伸びして小さく見える富士を撮った。コンパクトカメラの3倍ズームで撮り、画像修正ソフトでいくつかの電線や、TVアンテナを消し、拡大した。小さくたって、何と言っても日本人には富士だ。



シルエットも神々しい。





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武蔵野地域自由大学の講義を聴く

2009年11月18日 | 個人的記録

9月末から武蔵野地域自由大学に入学し、講座の一つを受講している。
武蔵野地域自由大学とは、武蔵野市とこの地域の五大学(亜細亜大学、成蹊大学、東京女子大学、日本獣医生命科学大学、武蔵野大学)が連携して、独自のキャンパスを持たず、五大学のキャンパスなどで生涯学習する仮想大学だ。講座は、一般学生と一緒に受講する大学正規科目、寄付講座、など6種類の形式がある。

「現代を生きる(人間の感覚・行動系とテクノロジー)」という講座を成蹊大学で一般学生に混じって受講している。9月25日から1月22日まで15回開催される。今のところ、引越し直後の1回を除いて、6回出席しているが、いずれも面白い。

大学の講義のやり方は40年も経てば、大きく変わっていると思ったが、黒板がなく、OHPでのパワーポイントや、動画を使っているくらいで、基本的にあまり変わっていない。学生からの質問や討論らしきものはまったくなく、先生の講義が淡々と続く。

今回、受講したのは、「コミュニケーションの科学と技術-より豊かな人とコンピュータとのコミュニケーションを目指して-」というテーマの2回分の講義だ。

私も、昔、人とコンピュータとのコミュニケーションを標榜するさる研究所の端のほうに所属していたことがあり、この講義の内容には以前から多少の興味を持っていた。そして、壇上に上がった女性の講師を見て、どこかで以前見たような記憶があった。このブログを書きながら調べてみたら、やはり、昔私が勤めていた研究所(群)に居たことがある方だった。あれからMITにも行かれて研鑽をつまれたようでけっこうなことだ。
もう、あれから15年ほど経つが、コンピュータが進歩したので、実現できることははるかに多く、徹底することになったが、コミュニケーション科学・技術の基本的なことはそれほど進展がないように感じた。



今回の講座は成蹊大学で16時半から始まる。自宅から歩いて2,3分だったから受講申込したのに、引越してしまって、自転車で30分近くかけて通っている。大学構内の駐輪場は大変な数の自転車が並ぶ。講義前に並びが切れたとことに置いていた自転車が、講義後、列の中に埋もれて探すのが大変だった。



吉祥寺駅前は年末のイルミネーションが華やかだ。



ここまで書いてきたが、「コミュニケーションの科学と技術」というテーマに興味のある人はほとんどいないと思うので、懐かしい言葉がいろいろ出てきた講義の内容は省略。



ところで、私は現在、女子大生と親密(?)におつきあいしていることを告白しなければならない。というのも、実は、・・・・・・
我が奥様も武蔵野地域自由大学の学生なので。



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香山リカ「雅子さまと新型うつ」を読む

2009年11月15日 | 読書2
香山リカ著「雅子さまと新型うつ」朝日新書166、2009年3月朝日新聞出版発行を読んだ。

表紙裏にはこうある。
なぜ、雅子さまの療養生活は
これほどまでに長期化したのか。
仕事中はうつ、私生活では活動的――。
働き盛りの男女に増えている「新型うつ」。
従来型うつの常識が通用しない新たな国民病に、
医師も患者も周囲もとまどっている。
「皇室」という日本社会の映し鏡を通して、
現代人の「心」の病の深層に迫る。


雅子さまについては、公務を避けているのに私的な外出が多すぎるとか、いったいいつまで療養が続くのかなどマスコミなどが小姑状態になっている。雅子さまに限らず、プライベートな時間では回復しつつあるのに仕事となるとまた不調に陥るという「新型うつ」の人が増えている。まじめで努力家、キャリア志向の女性たちにとっても、雅子さまの問題は他人事ではない。

雅子さまのストレスの原因は、当初発表のように「育児と公務の両立によるもの」ではなく、(自分が貢献できる分野で)働きたいのに働けないことにある。

治療の一環としての私的外出も、その期間が長く続くにつれ、診断への疑問を呼び、批判の対象になっていった。私的外出先も、三ツ星レストラン、イルミネーション見物、妹一家とのディズニーランド訪問、スキー旅行、オランダ静養とあってはトレーニングやリハビリとは受け取れない。公務は不調で出来なくて、私的外出時には元気な姿が見られることで、批判も厳しくなる。しかし、このように、職場ではうつ、プライベートでは元気という新型うつが一般の人でも増えてきている。

皇太子は、「最後になりますけれども公務については、雅子についても体調が回復したならば何か今までの経験をいかした形で取り組めるようなテーマが見つかって、かかわっていけるようになると良いと思っています」「公務の在り方については、私は以前にもお話したように、新しい時代にふさわしい皇室像を考えつつ見直していくべきだと考えます」と言っている。
これに対し、秋篠宮は、この考え方に反対し、「私は公務というものはかなり受け身的なものではないかと、・・・」と述べている。
皇太子は、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁就任など水の問題をライフワークと考え、関わろうとしている。雅子さまも、国連大学を聴講したりしながら、自分の実力に見合った新しい仕事の形を模索しているかにみえるのだが。



香山リカは、1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。学生時代から雑誌などに寄稿。その後も、臨床経験を生かして、新聞、雑誌などの各メディアで、社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍。
私が読んで、感想を書いた著書は、「女はみんな『うつ』になる」、「精神科医ですがわりと人間が苦手です」「親子という病」、「弱い自分を好きになる本」「いまどきの常識」だ。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

皇室もの、雅子さん関連に興味のある人には、ある方向からのきちんとした見方が分かりやすく提示されているこの本は読むべきだ。また、「適応障害」「うつ」「新型うつ」の診断基準も示されているので、そのあたりに興味のある人には、そう多くないと思うが、お勧めだ。

私は、週刊誌は読まないことにしているし、皇室情報に興味がないが、反論できない皇室の人に一方的にあること無いことで非難するマスコミには従来から反感を持っていた。雅子さまはともかく病気なのだから、治るまでじっと待つべきだと思っていた。

著者に言うように新型うつなるものが学界で認められているのか、私には不明だ。もし雅子さんが新型うつなるものだとすると、プライベートで自由度を増すことが治療として有効ではないように感じる。
著者は、新型うつの一般の患者の身勝手な考え方に、精神科医としては禁断のお説教をしたくなると書いているが、ましてや、私などは、休職中にスキーで生き生き遊び、職場には自分の好きな仕事に付かせろと要求する人に、病気とはいえ身勝手だと思ってしまう。そして、このようなことを書いている著者が、陰に雅子さまが身勝手と暗示しているのではないと良いのだが。




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銭湯の思い出

2009年11月13日 | 昔の話2
もう何十年も風呂屋に行ってないのだが、散歩の途中で風呂屋を見た。それにしても、風呂ロックとは。これが銭湯、普通公衆浴場なのだろうか。確かに、吉祥寺の繁華街で風呂屋のままではもったいないとは思うし、江戸時代には銭湯は庶民の社交場だったと聞いたことがあるが。



それにしても、入浴料金を調べてみて驚いた。現在、東京は大人450円、私が中学生だった1955年は、15円だった。当時、ラーメン40円、コーヒー60円とあるから、風呂代の上がり方は大きい。自宅に風呂のある人が圧倒的に増えたのだからやむをえないのだろう。

私は、自宅に風呂のなかったので、銭湯に通っていた。のれんをくぐり、男と書いた方の下駄箱に靴を入れる。番号は、昔ほど打てなくなっていたが、巨人軍の川上の背番号16番に決めていた。下足札を持って、番台にお金を置き、板の間の脱衣場に入る。女湯との境の回転ドアが揺れて、ちらりと女湯が見え、あわてて目をそらす。脱いだ洋服と下足札を竹製の脱衣かごに入れ、かごをロッカーに入れて、アルミの鍵についたゴムを腕に巻きつける。タオルと石鹸を持って、両開きのガラス戸を開けて洗い場に入る。

まず、空いているカラン(蛇口)に陣取り、湯を桶にとって、体を簡単に洗う。これを掛け湯という。
湯船は多少ぬるめの大きい湯船と、深く熱い小さい湯船があった。とても耐えられない熱い方には、たいてい頑固そうなオヤジが入っていて、蛇口から水を出してぬるくなったところに足を入れようとすると、オヤジがにらんで言う。「ぼうず。やたらと薄めるんじゃねえ!」
「そんな事言って、本当はお湯をかき混ぜると、熱い湯が身体の回りに来るから我慢の限界を超すんじゃないの」と思うが、もちろんそんなことは言わない。

ぬるい方の湯船につかってから、身体を洗っていると、ようやくオヤジが赤い顔して出て行く。よしとばかり、熱い方にそろりと足を入れる。足の爪と指の間がジンジンする。エイヤと、一気に身体を沈める。熱い!痛い!我慢できずにあっという間に飛び出す。体中が真っ赤だ。

小学校にも上がらないころのことだと思う。母親と女湯に入っていると、さらしを巻いた三助さんが入ってきて、長い板で熱い方の湯船をかき混ぜて湯温を調節したり、お代を払ったという木の札を置いてある女性の背中を洗ったりしていた。いい商売だと思うが、今ではなりたくとも、三助さんを雇う風呂屋はないのだろう。
東京では今は廃止になったが、昔昔女性が風呂で髪を洗うときには、番台にお金を払って、木の札をもらうことになった。洗い場にその札を置いて、自分で髪を洗うのだ。お湯を多く使うから、別に料金を徴収するということだったと思う。

脱衣場で、一人前にタオルで前を隠しながら、ガラスの両開きの小さな冷蔵庫をあけ、コーヒー牛乳を取り出す。お代は番台に払いに行ったのだろう。戸を開けて狭い庭を見る。ミニチュアのような築山と池のコイを眺めながらコーヒー牛乳を飲む。ようやく冷えた身体に洋服をまとい、銭湯を後にする。
家までは15分ほどかかり、「洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸カタカタ鳴った」。そして、自分自身の身体を抱きしめて帰った。



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辻井いつ子「のぶカンタービレ!」を読む

2009年11月11日 | 読書2
辻井いつ子著「のぶカンタービレ!」2008年11月第一版、株式会社アスコム発行を読んだ。

表紙裏にはこうある。
伸行の障害のことを考えると、最年少の17歳でショパン・コンクールに出場するべきなのか。当初、私たちに大きな戸惑いがあったことは事実でした。それでも、私たちが「前へ」と歩みを進めた最大の理由は、伸行の「出たい」という意志でした。
入賞を狙うとかファイナリストになりたいというよりも、本人がこの時期にショパンを弾きたがっている。その最高の舞台はフィルハーモニー・ホールであることは間違いない。ならば出場しよう。勝ち負けではなく、この時期にしっかりとショパンと向き合おう。
私たち親子は、そう覚悟を決めたのです。(本文より)


目の見えない辻井伸行くんが、2歳3ヶ月で母親のいつ子さんの口ずさむメロディーに合わせてピアノを弾いていた。このときから、ピアニストにするための母子の二人三脚が始まる。その後、天才少年ピアニストと呼ばれるまでは、著者の前作「今日の風、なに色?」により詳しく述べているようで、この本はそのあたりは軽く書き流してある。この本の主な内容は、17歳でショパン・コンクールに出場するまでだ。この本は2008年11月の発行だから、多くのメディアが快挙として伝えた20歳での、2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝には全く触れていない。

ショパン・コンクールへの道がいかに厳しいものか、何段階もの厳しい階段を登り、才能はもちろん、お金も必要で、さらにチームを組んで臨まないと勝ち残れないなどの様子がかなり詳しく語られる。

どの子もそうであるように、成長するにしたがって、息子は母親から独立していく。そして、腕が上がるに従い、ピアノの先生もより高いレベルの教師に付くようになる。そこには乗り越えるべきいくつもの高い壁がある。

それにしても、一流のピアニストになり、そしてなり続けるのは、すべてをなげうって毎日何時間もピアノ練習しつづける生活を送らなければならない。

伸行くんは、集中して練習するし、練習より本番が良くなる。それは、ピアノ演奏が楽しくて仕方ないし、ステージ聴衆の前で本番の演奏することを純粋に喜んでいるためのようだ。演奏中に微笑みを浮かべ、身体を揺らしている姿を、写真や、TV映像で見られる。まさに、カンタービレ(歌うように)だ。



目次
第1章 ショパンに、聴いてもらいたくて(僕、ショパン・コンクールに出たい!、強運で引き当てた「ソナタ第3番」 ほか)
第2章 プロへの階段(コンクール中なのに踊っちゃった、二度とコンクールには出たくない! ほか)
第3章 のぶカンタービレ!(「人を幸せにする演奏ですね」、弾いていることが楽しくて仕方がない ほか)
第4章 ショパン・コンクール・セミファイナル(やはり無理だったか…、奇跡を呼ぶか?伸りんダンス ほか)
第5章 巣立ち(近づく巣立ちの時、お寿司をお腹一杯食べられるように ほか)



辻井いつ子は、1960年東京生まれ。東京女学館短大卒業後、フリーのアナウンサーとして活躍。88年に生まれた長男・伸行が生後まもなく全盲とわかり、絶望と不安のなか、手探りで子育てをスタート。持ち前の積極性と行動力で伸行の可能性を引き出した。2008年 11月、子育てに悩む親御さんが集まって意見交換をするサイト「辻井いつ子の子育て広場」を開設。著書に「のぶカンタービレ!」「今日の風、なに色?」(アスコム刊)がある。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

ピアニスト辻井伸行に興味のある人、才能ある子供の育て方に興味のある人は是非読むべきだ。ピアニストとして大成する前の第一段階について知りたい人にもお勧めできる。

一流のピアニストになるためには、子供時代だけで、家一軒建つほどのお金が必要で、その上、著者のようにやる気があり、仕事ができる応援者が必要のようだ。毎日何時間も集中力も、体力も使い、絶え間なく続ける一生なんて、私ならごめんだ。幸い、私自身も、子供も音楽の才能がないことを喜んでいる。


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諏訪内晶子のチャイコフスキー・ヴァィオリン協奏曲を聴く

2009年11月10日 | 趣味

フランス国立トゥールズ・キャピトル管弦楽団を武蔵野市民文化会館で聴いた。指揮はトゥガン・ソヒエフ。曲目は、
M.グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー・ヴァィオリン協奏曲、ヴァイオリンはもちろん諏訪内晶子
休憩をはさんで、チャイコフスキーの交響曲第5番。

グリンカ(近代ロシア音楽の父らしい)序曲は、まさに序曲らしく勇ましく始まり、簡単に終わる。コンパクトだが、小気味よい楽団だ。

つづいて、お待ちかねの諏訪内さんのチャイコフスキー・ヴァィオリン協奏曲。黒ずくめの楽団員の前に、スリムな長身を真っ赤なドレスで包んで登場。すさまじい速さで弾くが、余裕を持ち、完全にコントロールしている。
諏訪内さんは、昨年12月の週刊誌によれば、プライベートでは大変苦労したようだが、そんなことが頭にあるからか、今日はそれらを吹っ切るような迫力ある演奏だった。
自宅へ帰ってから、1996年、諏訪内さんが最年少の18歳で優勝したチャイコフスキーコンクールで演奏したときの映像をYou Tubeで見た。曲は同じバイオリン協奏曲だが、このときから既に、私には超絶技巧と見える。それにしても、あれから20年。もっともっと活躍してもよい方と思う。演奏会は途中だったのだが、諏訪内さんの演奏が終わると、激しい拍手となり、アンコールで諏訪内さんが美しい小曲を独奏。


チャイコフスキーの交響曲第6番悲愴が暗く始まるが、第5番も暗く、重く始まる。しかし、すぐにチャイコフスキーらしい鋭くいかにも冴え渡る演奏になる。
とくにクラシック好きでもない私は、CDをパソコンにコピーし、ノートパソコンの小さなスピーカーか、イヤホーンで、パソコンいじりの片手間にときどき聞くくらいだ。たまに聴く、生の交響楽団の音はまったく別物だ。私と同程度の奥様も、生演奏の音には心が癒されると言っていた。
感動した聴衆の拍手が止まず、アンコール曲が3回もサービスされた。


トゥールズはスペイン国境に近いフランス南西部にあり、フランス第5の規模の都市。トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団(l'Orchestre National du Capitole de Toulouse)の歴代の音楽監督では、ミシェル・プラッソン(1968年 - 2003年、現名誉指揮者)が有名。今回の指揮者トゥガン・ソヒエフは2005年に首席客演指揮者・音楽顧問、2008年には音楽監督に就任。


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パジャマでおじゃま    

2009年11月07日 | 個人的記録

パジャマを着て出かけたことが三回ある。もちろんパジャマのままで出かけるほど、はしたなくはない。ちゃんとパジャマの上に上着を着て出かけた。

最初は大学の製図室で、ふと襟元がむずがゆく感じて指で確かめた。襟が厚い。「ヤバイ」、セーターの下にパジャマがある。朝目がさめたとき、すぐ起きるのがいやで、「起きて、パジャマを脱いで、洋服を着て、顔を洗って---」と、寝床の中にもぐったままで先を考えているうちにパジャマを脱いだ気になって、起きてそのままセーターを着たのだ。

二度目は会社のロッカーの前で作業着をはおろうとしたとき、襟元が暑苦しく指で広げて鏡を見た。「ヤバイ」、ワイシャツの下にパジャマがある。良くパジャマの上のワイシャツにネクタイが結べたと感心した。

三度目は山へ行く中央線の電車の中で、暑くなってきたので襟元に手をやると、「またやった」。厚いウール地のシャツの下にパジャマがある。この時は朝五時だかのほとんど始発の電車に乗るため暗いうちに寝ぼけたまま起きたのだから、パジャマを脱ぎ忘れても仕方ない。とはいえ、山に登り出すといっぺんに暑くなるので、電車の中でパジャマは脱がなければならない。パジャマを脱ぐためには、洋服を全部脱がなければならない。早朝とはいえ、ぱらぱらといる乗客がちらちら横目で見る中で、靴を脱いで座席の上に立って、洋服を次々脱いでパンツ一枚になった。中央線の中でパンツ一枚になった人はそう多く居ないだろう。

山登りの途中、パジャマはかさばり、重く、途中で捨ててしまおうかと思った。しかし、山小屋で夜寝るときに他の人は着の身着のままなのに、皆の注目を浴びながら一人だけおもむろにパジャマに着替えてから寝るのは気持ち良かった。

それにしても、私の経験から言うと、襟元がむずむずしたら、下にパジャマを着ている可能性がある。皆さん、だいじょうぶですか?

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講演「村上春樹とアジア」を聴く

2009年11月05日 | その他
武蔵野地域五大学共同講演会の一つ、成蹊大学で開かれた宮脇俊文、成蹊大学教授による講演「村上春樹とアジア-日本人の喪失感の原点」を聴いた。

レジメの講演要旨にはこうある。
戦後の急速なアメリカ化の中で育まれた新たな文化をそのまま描いたかのような村上文学だが、実はその背後には中国を中心としたアジアと日本の関係が描かれている。村上文学の本質ともいえる喪失感には、戦後の日本がどこかで見失ってしまったアジアとの関係が大きく影響しているようだ。日本がこの先世界の中で真の位置を確立するためには、歴史を辿りなおすことでアジアとの共生を考え直さなければならないことを村上は訴えている。




以下、私のメモを記す。

村上は、30年間書き続けていて、絶対にぶれない作家である。他の小説家から嫉妬を受けるほど本が売れ、しかも、異文化を伝える川端康成や、三島由紀夫と異なり、日系の作家として広く外国に評価、受け入れられている。
彼は一貫して戦後の日本を描いてきた。戦後の日本というとアメリカを描くことになる。60年代からの作品をとくにそうだ。音楽に詳しく、米、英のマニアックなロックなども登場する。
テーマとしてはけっこう重く、死が出てくることも多い。しかし、軽快なタッチで描くことが彼の特徴で、数百ページの本でも若い人も軽く入っていける。

お勧めの本として、「アンダーグラウンド」の文庫本のあとがき「目印のない悪夢-我々日本人はどこに行くのか」を読んで欲しい。なぜ、サリン事件は起こったのか?これを読むと、村上は、日本とアジアの関係を見直すべきと考えているのではないかと思う。

村上春樹の父親は、毎朝、祈りを捧げていた。村上の「何故か」という問いに、「日中戦争で多くの人が死んだから」と答えた。村上は、父は日中戦争に加担していたのだろうと考えた。

戦後60年、急激な変化のスピードに付いていけない人もいる。それが、喪失感へつながる。
転換期のときに、日本国として整理しておくべきことがあったのに、それをせずに走り続けてきた。それが喪失感につながっている。そのスタートはノモンハン事件あたりにある。ノモンハン事件は、日本的戦いの典型で、そこから今まで日本的システムが続いている。
また、村上は、闘争には参加しなかったが、全共闘世代で、明日を信じて戦ったのに、国家システムに粉砕された。これも喪失感になっている。



以上、私の講演メモも出来が悪いが、話もあちこちに飛び、まとまりがなかった。私は、村上作品をいくつか読んだだけだが、作品からアジア、とくに中国を感じ取ることはなかった。そして、村上が日本とアジアの関係を見直すべきと考えているというのは、説得力に欠けると思った。ましてや、それが、メインテーマで、喪失感が、そこから生じているとは思えない。



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