hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

原宿をぶらり

2016年11月29日 | 行楽

所要があって原宿へ

神宮前で下りて用を済ませ、行ったことの無い東郷神社へ。

結婚式の記念写真撮影中。

明治通りをぶらぶらと原宿方面へ。

竹下口で竹下通りの人並みに恐れをなして通過。そういえば今日は土曜日。

ラフォーレ原宿を過ぎて交差点を原宿駅の方へブラブラ。

奥様のお勧めで「京橋千疋屋 表参道原宿店」に入る。

通る人は圧倒的に若者で、ときどき外人さん。

土日祝日限定ランチ ¥1620円(多分) コーヒー/紅茶、デザート付き

美味しいけれど若い人は足りないだろう。


原宿駅から帰宅。

1924年竣工の都内最古のこの木造駅舎は、東京オリンピックに向けて新駅舎に建て替えるという。南側に新駅舎を建て、現駅舎は残すという可能性もあるという。便利さと趣きの両立を計って欲しい。

1964年の東京オリンピックで、根こそぎ変わってしまった東京が、すっきりして便利になった反面、身近に在った地味でしっとりしたものが無くなって寂しさを感じた者として、古いものとの便利なものの共存を願っている。


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朝日新聞社会部『母さんごめん、もう無理だ』を読む

2016年11月27日 | 読書2

 

 

朝日新聞社会部著『母さんごめん、もう無理だ きょうも傍聴席にいます』(2016年3月10日幻冬舎発行)を読んだ。

 

宣伝文句は以下。

裁判所の傍聴席で日々取材をする記者が、強く心に残った事件の裁判の模様を綴る、朝日新聞デジタルの連載「きょうも傍聴席にいます」。 
・・・013年5月から2015年末までに掲載された全29編を収録しました。 
法廷は人生と世相の縮図。一線を越えてしまった人たちの、 生(なま)の言葉と息づかいが、深く心を揺さぶります。

 

「ただ、私は妻と一緒にいたかった。妻を一人にしたくない、人に任せたくない・・・」と精神病の妻の首を絞めた夫(76)。

 

資金繰りが苦しくなり複数の知人女性から借金した男(38)は、やがて結婚詐欺で8人から1250万円をだまし取った。

 

夫の借金600万円を返すため覚せい剤の運び屋になった妻(61)。

 

 

「母さんごめん、もう無理だ」

100歳まで頑張る――。そう話していた98歳の母の首に、74歳の息子が手をかけた。

裁判長「被告人を懲役3年に処する。5年間その刑の執行を猶予する」

認知症の母との2人暮らし。被告はうつ病。

  判決の際、魚谷被告を執行猶予とした理由について裁判長はこう述べた。

「犯行当時、うつ病で介護が困難だったうえ、動機も病気が大きく影響していて強く非難することはできない。今後は病気を治して、娘さんに相談するようにしてください」

・・・

 裁判員「殺さなければよかったと思いますか?」

 男は、迷うことなく、こう答えた。

「いまが一番苦しい」

 

 初出:『朝日新聞デジタル』連載「きょうも傍聴席にいます。」2013年5月30日~2015年12月30日

 

 

私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

 

「あとがき」にあるように、刑事裁判担当の記者がこう嘆いた。

「いま取材している裁判で100行書きたい、30行じゃあ、とても書けないですよ」

こうして、ほとんど記事にしてこなかった「小さな事件」の裁判がネットに上がり、『朝日新聞デジタル』の連載「きょうも傍聴席にいます。」が始まったという。

 

コラム「記者の目②」にはこうある。

裁判で語られたことを淡々と書くだけだ。どうすべきだったのかの答えはないし、書くこともない。ただ、公判で明らかになるちょっとした事実は被告人や証人の何げない一言に、思わずみんなが考えてしまう何かがある気がしている。

 

しかし、それでもこの本にあるように1件数ページでは、事件の掘り下げが足りない。中途半端な内容だ。本にするなら、読む人の心を打つなら、29もの事件を扱うのではなく、数件の事件に関して深く取材した内容を書くべきだ。ちょっとした情報はそこいらじゅうに溢れている。

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一欅庵(いっきょあん)

2016年11月25日 | 行楽

 

 

西荻の一欅庵(いっきょあん)で8名の若手落語家の話芸を古民家で聴く「古典廻し」を聞きに行った。

 

落語については、前日のこのブログ「一欅庵での落語」。

 

今回は、落語の後の建物見学会のご報告。

 

一欅庵(いっきょあん)は杉並区西荻にある昭和8年に宮大工によって建てられた二階建ての洋館付の和風住宅で、登録有形文化財になっている。

門のそばに大きな欅の樹がある。「欅」という字はケヤキと読む。と偉そうに言っても、若者は読める。ナチスの制服で世界的に有名になった「欅坂46」で常識になっているのだ。落葉高木で巨木になる。

 

一欅庵の落書き(公式ブログ)  

「アトカル」での一欅庵の紹介 

 

明るいときの門からの眺め。

ここが落語が行われた客間。

庭は昔は隣の家まであったそうだ。

床の間と書棚?

床の間の横の欄間も凝っている。

床の間の柱も今ではとくに高価な木材だそうだ。かって私が住んでいた家にもあったと思うが。

欄間も手が込んでいる。

廊下のガラス戸の上の柱は奥まで一本。

字がはげ落ちた額もなにか趣があると思ってしまう。

天井板も今では手に入らないものらしい。

 


隣には暖炉のある洋間があり、当日の控室になっていた。


 

二階から見た庭

ここにも立派な和室があり、

床の間の梁?はまだら模様の竹で、

書斎のガラスは模様入り。他の部屋のガラスも手延べの板ガラスで表面がデコデコしており、向こう側の景色が少し歪んで見える。そういえば、私の子供の頃、ガラスを通してみる景色は歪んでいた。(下注)

 


一階の元離れだった和室は奥様のための部屋で、すべてが優しく、小作りで、心地よい。

 


元の部屋に戻ると日はとっぷり暮れていた。


玄関には小石を埋め込んだたたきが。


門柱には一欅庵の表札。


振り返ればシルエットになった古民家がくっきり。

 

注)

現在の板ガラスはフロート方式で作られる。錫を溶かすと真っ平に広がる。その上に錫より比重の軽い溶融ガラスを流すと、上下とも真っ平な板ガラスができる。明治から大正期のガラスは手延べ板ガラスで、微妙に表面が波打っていて、デコデコしており、向こう側の景色が少し歪んで見える。

この手延べガラスは日本ではもう製造していないため、古い建物の補修ができない。値段が高価な輸入品はあるが、厚さ3mm固定だ。特殊な透明な塗料をガラスの表面にコーティングし、ガラスに擬似的に揺らぎを入れた「昭和レトロ風ガラス」が販売されている。

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一欅庵での落語

2016年11月23日 | 行楽

 

 

西荻の一欅庵(いっきょあん)で開催された西荻窪落語会の「古典廻し」を聞きに行った。

 

 

この会は8名の若手落語家(二つ目)の落語を、登録有形文化財の古民家で聴く集まりで、ほぼ月一で日曜日の昼に開催される。

 

参加者は20名ほどだろうか、大半が若い、といっても30代かと思われる女性で、おじいさんが若干混じる。満席だったので、おそらく予約で満杯だったのだろう。

今、若手による落語が女性に人気なのだそうだ。昔は二つ目の落語など寄席で付け足しのようにやっていただけだったが、今や、いろいろな場所でミニ寄席が開かれていて、若手にも場が与えられているようだ。貧乏長屋だけがすばらしい落語家の育つ場所ではない。

 

今回は柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)と桂伸三(かつら・しんざ)が約30分づつ、各2話語った。

 

最初は、百人一首にある在原業平の和歌「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」に隠居がいい加減な解釈を加える『千早振る』を、短気で頑固だという伸三さんが演じた。

 

 

次が、行き倒れを同じ長屋の熊五郎だと八五郎が決めつける『粗忽長屋』を今人気の小痴楽が演じた。

 

 

中入りを置いて、次が、宿屋でどんちゃん騒ぎをする伊勢参り帰りの三人連れの隣の部屋になった侍が一計を講じる『宿屋仇』を伸三が演じた。怖そうな伸三が演じる仇討ちだと脅す侍の迫力が素晴らしい。

 

 

最後が、吉原でさんざ遊んだ男と共に、金を払ってくれるという叔母さんの家まで付いて行く『付き馬』を小痴楽が演じた。モテて、いかにも調子のよい男を(そのまま)演じた小痴楽の演技、さすが平成27年度NHK新人落語大賞決勝進出だ、ただのイケメンではない。

 

 

終演後、この登録有形文化財一欅庵(いっきょあん)の見学会が行われたが、それについては次回。

 

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米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』を読む

2016年11月20日 | 読書2

 

 

米原万里著『ガセネッタ&シモネッタ』(2000年12月10日文藝春秋発行)を読んだ。

 

文藝春秋BOOKSでの宣伝は、

ロシア語通訳として活躍中の著者が国際会議の席上で仕入れたスリリングかつ笑える“言葉と通訳”上の小咄満載の傑作エッセイ集

とあり、「担当編集者より」にはこうある。

ロシア語会議通訳&エッセイストとして活躍中の米原さん。エッセイを書くようになったきっかけは「通訳という仕事には喜劇の条件が全部揃っている。 (略) 素っ頓狂な出来事や耳目を疑うような話がゴロゴロ転がっている。 (略) こういうこと、通訳仲間だけで抱腹絶倒しているだけじゃあもったいない」と思ったためだそうです。国際会議は、まさに異文化交差点。大マジメに議論を闘わせている反面、思い切り人間くさいダジャレやガセネタ、シモネタの宝庫でもある。それを包丁さばきも鮮やかに米原シェフが料理します。(YF)

 

訳しにくく本来天敵のはずの駄洒落を好む通訳が多い。

米原さんは、同時通訳ならぬ「ドジ通訳」と自己紹介した方がよいと勧められた。

 

身持ちの固いイタリア女に鍛えられたイタリア男の情熱的な口説き、

「ああ、こんな絶世の美女、生まれて初めてだ」「明日にでも結婚してくれなきゃ身の破滅だ」

も、イタリア女の意識に届くころには「やあ、こんにちは」程度の挨拶言葉に「自動翻訳」されている。

 

「国際会議でインド人を黙らせ、日本人に語らせることができたら、議長として大成功」

 

「チボー少年と人魚姫」

 米原さんはかって全く理解できないロシア語の教室に放り込まれ、不当な仕打ちに反論できず、皆と一緒に笑えず、逃げ出すこともできず、10歳にもならないのに肩こりと片頭痛に悩まされた。

激しいいたずらで授業を壊し続ける悪餓鬼チボー少年に対し、ある先生が激しく怒り、「これ以上つけ上がると、その芋面、対称形にしたやっからな!」と迫力のセリフを吐いた。その直後、皆が爆笑し、そしてチボーも吹き出した。前回授業で「対称形」について習ったこともあって、チボーも話がはじめて理解できたのだ。以後彼は大人しくなった。

皆と同時に先生の言葉が理解でき、皆と一緒に笑えたのだ。

人間は、他者との意思疎通を求めてやまない動物なのだ。少女期にこんな体験ゆえにわたしはいまの職業を選んだのかもしれない。

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

エッセイとしてのレベルは、高くないし、品もない。米原さんのエッセイには優れたものも多いし、このエッセイ集では、遠慮会釈なく、あけすけに、えげつなく、通訳仲間内の話をぶちまけている。これもまた、米原さんの一面として彼女を大きなものにしていると思う。

 

この種の話を好まない人もいるだろうし、そうゆう人もいて欲しい。そうでない私のような人間には、ただただ単純に面白くお勧めだ。

 

それにしても、神に愛された彼女の56歳での死は早すぎる。

 

 

 

米原万里(よねはら・まり)
1950年東京生まれ。父親は共産党幹部の米原昶。少女時代プラハのソビエト学校で学ぶ。
ロシア語の会議同時通訳を20年、約4千の会議に立会う。
著書に、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』(読売文学賞)、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(大宅壮一ノンフィクション賞)、『オリガ・モリソヴナの反語法』(Bunkamuraドゥマゴ文学賞)、『米原万里の「愛の法則」』、『マイナス50℃の世界
2006年5月ガンで歿。
実妹のユリは井上ひさしの後妻。

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小島慶子『女たちの和平交渉』を読む

2016年11月17日 | 読書2

 

 

小島慶子著『女たちの和平交渉』(2016年7月10日光文社発行)を読んだ。

 

女性誌「VERY」に2012年から2016年春まで連載されたエッセイ集。歯に衣着せないことで知られる小島さんが子育てや、自身の軌跡を語っている。2013年、ご主人が仕事を辞め、一家でオーストラリア・パースに移住したので、途中から海外生活の記録にもなっている。

『女たちの武装解除』に続く第二弾。

 

漫画家のヤマザキマリさんとの対談では、マザコン・母親の業の深さを語り、男性学の専門家の田中俊之氏とは、仕事、仕事の生き方を強いられる男性の辛さが語られる。

 

 

時々、心の中で叫ぶことがあります。
「あなたは、ウイルスだらけのうんちが爪の間に入ったことも、一日に何度もゲロを片付けて着る服がなくなったこともないでしょ? 子どもを抱きしめて神様にお祈りしたり、一睡もしないで病院通いをしたこともないでしょ? 分かってくれなんて言わないから、せめて自分がそういう経験をしたことがないってことを自覚してよ。経験したことがないから、分からないんだって気がついてよ。・・・」

 

ある日、夫が仕事を辞めました。・・・ああ、それなら仕方ない。・・・でで、でもさ、いきなり家計に大打撃なんですけど !! ・・・私と夫は、改めて互いの価値観をつきあわせました。

よし、一家でオーストラリアに引っ越そう! それが私たちの出した答えでした。

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

子育ての苦労は頭でわかっても実感がないし、ご主人とのやりとりも、キツイなとは思うが、しょせん有名人の自慢話に聞こえてしまう。

 

移住先のパースは私たちのロングステイ先だったので懐かしかった。

「巨大な森にて」のペンバートンは私が木登りしたところです。

その他、キングス・パークロットネスト島など懐かしく思い出した。

 

 

小島慶子(こじま・けいこ)

1972年、オーストラリアのパースで出生。学習院女子中・高等科。15歳のとき摂食障害。学習院大学法学部政治学科卒業。

1995年、TBSにアナウンサーとして入社。身長は172cm。

30歳で長男、33歳で次男出産。

2010年TBS退社。

2014年テレビ制作会社勤務の夫が退職したのを機に、オーストラリアのパースに移住し、日本に出稼ぎ。

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フランツ・カフカ『絶望名人カフカの人生論』を読む

2016年11月14日 | 読書2

 

 

フランツ・カフカ著、頭木弘樹編訳『絶望名人カフカの人生論』(2011年11月3日飛鳥新社発行)を読んだ。

(新潮文庫からも出版されている)

 

読む前にこのブログで検索・チェックし忘れ、2度読みしてしまった。まったく思い出さず、この感想文を書き出して4年前の文章を見つけた。ショック!

 

 

 

著者より(出所がわからなくなってしまった)

どういう本なのか、少しご説明させてください。
絶望をすすめる本ではありません。
絶望からの立ち直り方について書いた本でもありません。
立ち直りの段階の前の「絶望の期間」の過ごし方について書いた本です。

(著者の頭木さんは、筑波大3年のとき、難病の潰瘍性大腸炎となり、入退院を繰り返す生活が10年以上続いた。そんな日々に、信じていれば治る、といった明るい励ましの言葉は全く耳に入らなかった。支えてくれたのが、おそろしくネガティブな嘆きで満ちたカフカの日記や手紙だった。頭木さんは1998年に手術を受け、かなり健康を取り戻した。)

 

 

バルザックの散歩用ステッキの握りには、

「私はあらゆる困難を打ち砕く」と刻まれていたという。

ぼくの杖には、「あらゆる困難がぼくを打ち砕く」とある。

共通しているのは、「あらゆる」というところだけだ。

 

ずいぶん遠くまで歩きました。五時間ほど、ひとりで。

それでも孤独さが足りない。

まったく人通りのない谷間なのですが、それでもさびしさが足りない。

 

ぼくの人生は、自殺したいという願望を払いのけることだけに、費やされてしまった。

 

『変身』に対するひどい嫌悪。

とても読めたものじゃない結末。

ほとんど底の底まで不完全だ。

当時、出張旅行で邪魔されなかったら、

もっとずっとよくなっていただろうに……

 

いつだったか足を骨折したことがある。

生涯でもっとも美しい体験であった。

 

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

 

ともかく、この言葉にやられた。「私だって、ここまでひどくない」と思えてしまう。

将来にむかって歩くことは僕にはできません。

将来にむかってつまずくこと、これはできます。

いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

 

驚異的なネガティブぶりに思わず笑ってしまい、読み進めると、あまりにつらそうな様子にしんみりし、小説の世界をひっくり返したあのカフカが・・・と、少し元気になっている自分に気がついた。

 

「第5章 親に絶望した!」は19ページに渡って、「お父さんがいけない!お父さんがいけない!」と駄々こねていて、この章はおもろない。

 

 

フランツ・カフカ Kafka,Franz(1883-1924)

オーストリア=ハンガリー帝国領当時のプラハで、ユダヤ人の商家に生る。

プラハ大学で法学を修めた後務めた保険会社を1年もたたずに辞め、労働災害保険協会で実直に勤めた。非常に有能で、本人の意に反し昇進を続けたが、結核で41歳で死去。

『変身』のみ生前発表。死後、『アメリカ』、『城』、『審判』の長編、短編、厖大なメモなどが残されていた。

カフカ・コレクション ノート1 万里の長城』、『絶望名人カフカの人生論

 

 

頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)

筑波大学卒。カフカの翻訳と評論を行っている。

著書『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』、訳書フランツ・カフカ『「逮捕+終わり」-『訴訟』より』

 

 

著者は書いている。

彼は何事にも成功しません。・・・

彼は生きている間、作家としては認められず、普通のサラリーマンでした。

そのサラリーマンとしての仕事がイヤで仕方ありませんでした。でも生活のために辞められませんでした。結婚したいと強く願いながら、生涯、独身でした。・・・

彼の書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、未完です。

死ぬまで、ついに満足できる作品を書くことができず、すべて焼却するようにという遺言を残しました。

 

初めて会った後で、カフカはフェリーツェの印象を日記に書いています。

「女中かと思った」「間延びして、骨ばった、しまりのない顔」「所帯じみた服装」「つぶれたような鼻」「ごわごわした魅力のない髪」「がっしりした顎」

まるっきり悪口のようです。ところが、そのすぐ後に続けて、カフカはこう書いているのです。「もうぼくは揺るぎない決断をくだしていた」。

つまり、カフカのほうの一目惚れなのです。

カフカの方からの二度の婚約破棄のあと、二人は別れます。

フェリーツェのほうは、カフカと別れた後、お金持ちの実業家と結婚し、子供も二人できました。

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白石一文『私という運命について』を読む

2016年11月11日 | 読書2

 

白石一文著『私という運命について』(2005年4月30日角川書店発行)を読んだ。

 

ちょっとオーバーな宣伝文句

大手メーカーの営業部に総合職として勤務する冬木亜紀は、元恋人・佐藤康の結婚式の招待状に出欠の返事を出しかねていた。康との別離後、彼の母親から手紙をもらったことを思い出した亜紀は、2年の年月を経て、その手紙を読むことになり…。―女性にとって、恋愛、結婚、出産、家族、そして死とは? 一人の女性の29歳から40歳までの“揺れる10年”を描き、運命の不可思議を鮮やかに映し出す、感動と圧巻の大傑作長編小説。

 

物語は4章立てで、29歳~40歳までの亜紀の人生を描く。

第1章「雪の手紙」
 29歳の冬木亜紀は、元恋人の佐藤康(やすし)と、亜紀と康の過去を知らない後輩の大坪亜理紗の結婚式に出るか迷う。25歳だった亜紀は28歳の康と2年間交際し、新潟の康の実家に行き、母親の佐智子と親しくなった。しかし、康からのプロポーズを、「あなたのことは好きだったけど、ども、結婚するほど好きではなかった、と気がついたの」と断ってしまう。

康は亜紀を呼び出して、式に欠席するように頼む。母の佐智子がいまだに亜紀に執心していると言うのだ。

亜紀は、弟・雅人が恋人の加藤沙織を紹介するといので、両国にある実家に帰る。亜紀は際立った美人の沙織になにか違和感を感じる。

 式場のホテルの最上階のレストランで亜紀は、佐智子から受け取った手紙を読み直す。
「亜紀さん。あなたはどうして間違ってしまったのですか?・・・亜紀さん。選べなかった未来、選ばなかった未来はどこにもないのです。未来など何一つ決まってはいません。しかし、だからこそ、私たち女性にとって一つ一つの選択が運命なのです。・・・あなたを一目見た瞬間、私には、私からあなたへとつづく運命がはっきりと見えました。・・・」


第2章「黄葉の手紙」

福岡に赴任し1年が過ぎた33歳の亜紀は、年下のインダストリーデザイナー稲垣純平と暮らす。純平は「きみが事務所に姿を現した瞬間、僕は思ったんだ。ああ、やっとこの人が僕に会いに来てくれたって」と言った。亜紀も「なんだ、私はこの男と巡り合うためにこんな遠くの街までやって来たんだ」と感じた。

しかし、事故を起こした純平のあまりにも自己中心的一言に傷つき、亜紀は彼と別れてしまう。

第3章「雷鳴の手紙」
 34歳になり亜紀は閑職を希望して東京に戻る。弟・雅人の妻・沙織は心臓病を持ちながら妊娠する。そして、・・・。

 雷鳴の中、飛び込んだレストランで亜紀は、沙織が雅人に残した手紙を読む。

「どうか、哀しまないでください。私は長年の望みを叶えられたのです。命懸けであなたを愛することができたのです。私はあなたと出会い、あなたと一緒に生きることができて幸福でした」

第4章「愛する人の声」
 広報課次長になった37歳の亜紀は、インタビュー記事のため、香港事務所長になった康を訪ねる。東京に戻った亜紀は手紙を書き、康からの返信があった。

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

 意外な事件、事故がおき、どんでん返しもあり、感動的と言えば言えるが、私にはやたらわざとらしくドラマチックにしていると感じられて、素直についていけなかった。

 

迷ってばかりいて、結局ズルズルと妥協する女性は多いだろう。男性に比べ女性は結婚により大きく人生が変わることが多いので、それも理解できるのだが、主人公の亜紀は、迷ってばかりだったのに、40歳近くになって急に思い切り跳んでしまう。そのあたりが、素直に納得できない。

 

また、出会った瞬間に運命を感じたという場面が何度も出てくる。結果が出てから、振り返ればあの時はそうだったのだと思いかえすことはあるだろうが、そんなに運命を予感するようなことがたびたび起こるだろうか。

 

 章末に長文の手紙が付加されるのだが、いずれも長文で、とくに第4章の康からの返信は本文10ページにも及ぶ長文で、有り得なくない?

 

 

白石一文(しらいし・かずふみ)
1958年福岡県生れ。早稲田大学政治経済学部卒業。
文藝春秋勤務を経て、2000年『一瞬の光』でデビュー。
2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞
2010年『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。
他に『幻影の星』、『不自由な心』、『すぐそばの彼方』、『僕のなかの壊れていない部分』、本書『私という運命について』、『どれくらいの愛情』、『この世の全部を敵に回して』、『砂の上のあなた』、『翼』など。

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渡辺千鶴『発症から看取りまで認知症ケアがわかる本』を読む

2016年11月07日 | 読書2

 

渡辺千鶴著、杉山孝博監修『発症から看取りまで認知症ケアがわかる本』(2016年9月9日洋泉社発行)を読んだ。

 

65歳以上の高齢者3079万人のうち、認知症の人は462万人、MCI(軽度認知障害、予備軍) 数は400万人で、4人に1人が認知症とその予備軍。(2012年)

 

PART1

認知症をよく理解するための9大法則・1原則

 認知症の症状や、認知症の人の世界を理解し、言うことを頭から否定せず、現実とのギャップをできるだけ感じさせないようにする。ほめたり、感謝したりし、「それは困ったわね」と同情や共感を示し、あやまったり、認めたりと、演技する。そうすれば認知症の人も異常行動をとることが少なくなり、ケアに要するエネルギーが少なくてすむ。

 

認知症の進行に合わせたケアのポイント

初期2~3年、中期4~5年、後期2~3年に分けて、具体的症状とケアのポイントが整理されている。

 

PART2

「認知症ケア 実践!シミュレーション」として「一人暮らしのナオコさんの伯母さんが認知症を発症した!」として、受診、介護保険申請、ケアプラン作成、介護認定ケアマネジャーの探し方から、入院、転院、リハビリ、入所施設選び、成年後見制度まで、ケアの具体例が時系列で詳細に語られる。

(朝日新聞の医療・健康・介護系の専門サイト「アピタル」への連載をまとめたもの)

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

 

分かりやすく、具体的、詳細で、久しぶりに手元に置きたいと思った本だ。

 

表にまとめたり、用語説明を囲み記事にしたり、本文も、イラストもポイントを示していてわかりやすい。

 

バカげたことを言ったり、やったりしても、奥さんが私に対して優しく接することができるようにとの思いやりの気持ちで欲しい本なのだ。

 

 

 

渡辺千鶴(わたなべ・ちづる)

愛媛県生まれ。京都女子大学卒業。東京大学医療政策人材養成講座1期生。医療ライター

医療系出版社を経て、1996年よりフリーランス。

共著に『日本全国病院<実力度>ランキング』(宝島社)、『がん―命を託せる名医』(世界文化社刊)などがある。現在、総合女性誌『家庭画報』の医学ページで「がん医療を支える人々」を連載中。

 

杉山孝博(すぎやま・たかひろ)

1947年愛知県生まれ。東京大学医学部付属病院で内科研修。川崎幸(さいわい)クリニック院長。

1975年川崎幸病院に内科医として勤務。

1998年川崎幸病院の外来部門を独立させ川崎幸クリニックが設立、院長に就任。

1981年から、公益社団法人認知症の人と家族の会(旧呆け老人をかかえる家族の会)の活動に参加。
著書は、「認知症・アルツハイマー病 早期発見と介護のポイント」、「介護職・家族のためのターミナルケア入門」、「杉山孝博Drの『認知症の理解と援助』」、杉山孝博監修「よくわかる認知症ケア 介護が楽になる知恵と工夫」杉山孝博編「認知症・アルツハーマー病 介護・ケアに役立つ実例集」など多数。

 

 

 

認知症の症状

 失認(しつにん):最近の出来事をまったく忘れてしまう。家族の顔さえわからない。

 失行(しつこう):簡単な日常会話もできない。

 妄想:金銭や物に対する強い執着

 徘徊:町をあてもなく歩き回る

 他、収集癖、夜間不眠、入浴嫌い、異食、失禁など。

 

 

認知症をよく理解するための9大法則・1原則

 

第1法則:記憶障害に関する法則(経験そのものを10数年単位でごそっと忘れる)

(1)  記銘力の低下(ひどい物忘れ)
「何度言ったらわかるの」と叱っても意味がない。認知症の人は、感情が逆に鋭敏になっているので、叱られたという感情だけが残ってしまう。「財布がなくなったの?たいへんね」とオウム返しでいなす。

(2)  全体記憶の障害(経験そのものを忘れる)

(3)  記憶の逆行性喪失(過去の記憶の中で生きる)
記憶が現在から過去に向ってさかのぼって失われていく。認知症の人の「現在」は最後に残った記憶の時点。

 

第2法則:症状の出現強度に関する法則

身近な人に対してより強い症状を見せる。
認知症の人は一番身近な人にもっとも強い症状を示して、他の人には比較的しっかりした対応を示す。
財布を盗んだという疑いは、世話をしてくれる一番身近な人にもっとも強い症状を示す。一種の甘えだと思う。

 

第3法則:自己有利の法則

認知症の人は、自分にとって不利になることは絶対に認めない。
知的機能が低下し、ウソをつくことによって起る結果に対する推理力、判断力を失い、本能的自己防衛のメカニズムが働いている。
失禁しても、「私に覚えはない、孫がやったのではないか」などと平気で見え透いたウソをつく。
説教したり諭そうとしたりしても無駄な努力。病気だと割り切ること。

 

第4法則:まだら症状の法則

しっかりした部分とおかしな部分が入り混じる。

 

第5法則:感情残像の法則

頭はボケても、感情だけが残像のように残る。
楽しいできごとはすぐ忘れても、いやな思いをしたという感情だけは引きずる。
「お風呂に入らないと身体が不潔になって、病気になるといけないのでお風呂に入りましょう」というと、認知症の人が突然怒り出すことがある。「不潔」と「病気」という言葉だけが頭に残った。
「温かくて気持ち良いですから、お風呂に入りませんか」と誘う。
良い感情を残すポイント:「ありがとう」とほめたり、感謝したりする。「それは困ったわね」と同情や共感を示す。「ごめんなさい」とあやまる、認める、演技する。

 

第6法則:こだわりの法則

認知症の人があることに集中するとそこから抜け出せない。
そのままにしておく(ちらかしたまま)/場面転換をする(一緒に歌を歌う)/第三者に登場してもらう(デイサービスのスタッフ・銀行員)/地域の協力・理解を得る/一手だけ先手を打つ(不燃性にする)/認知症の人の過去を知る/長期間は続かないものと割り切る(お金や食べ物など生存に密着したこだわり以外は、長くても半年から1年)

 

第7法則:作用・反作用の法則

介護者が穏やかに接すれば、認知症の人も穏やかな表情になる

 

第8法則:認知症症状の了解可能性に関する法則

すべての認知症の症状は理解できる。
夜、大声をあげて家族の名前を呼ぶ「夜間不眠」は、一定期間必ず出現する症状だが、「見当識障害」のためいつもの部屋で夜寝ていることもわからず、恐怖感にとらわれるためだ。

 

第9法則:衰弱の進行に関する法則:認知症の老化は非常に早く進む

認知症の人の老化は、なっていない人の2~3倍の速さで進む。お世話できる期間はそれほど長くない。

 

ケアに関する1原則:認知症の人の世界を理解し大切にする

認知症の人が形成している世界を理解し、現実とのギャップをできるだけ感じさせないようにする。そうすれば認知症の人も異常行動をとることが少なくなり、ケアに要するエネルギーが少なくてすむ。

 

PART2

「認知症ケア 実践!シミュレーション 一人暮らしのナオコさんの伯母さんが認知症を発症した!」

 

認知症の専門医を知るには

「公益社団法人 認知症の人と家族の会」の「全国のもの忘れ外来(認知症外来なども含む)の一覧」

http://www.alzheimer.or.jp/?page_id=2825

「日本認知症学会」の「認知症専門医リスト」

http://dementia.umin.jp/g1.html

「日本認知症学会」の「専門医のいる施設リスト」

http://dementia.umin.jp/g2.html

とうきょう認知症ナビ「かかりつけ医・認知症サポート医名簿」

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/zaishien/ninchishou_navi/soudan/iryou_kikan/meibo/

 

 

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伊坂幸太郎『死神の浮力』を読む

2016年11月04日 | 読書2

 

 

伊坂幸太郎著『死神の浮力』(文春文庫い70-2、2016年7月10日文藝春秋発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

娘を殺された山野辺夫妻は、逮捕されながら無罪判決を受けた犯人の本城への復讐を計画していた。そこへ人間の死の可否を判定する“死神”の千葉がやってきた。千葉は夫妻と共に本城を追うが――。展開の読めないエンターテインメントでありながら、死に対峙した人間の弱さと強さを浮き彫りにする傑作長編。 解説・円堂都司昭

 

著者の連作短編集、死神・千葉が主人公のベストセラー『死神の精度』の続編で、長編だ。ただし、物語は独立しているので必ずしも前著を読んでいなくても問題ない。

 

 

死神:担当した人間を1週間調査し、彼・彼女の死の判定を下す。「可」となると、翌8日目に死が訪れる。今回の対象者は、被害者とも言える山野辺遼。

音楽好きでCDショップや音楽喫茶で死神が鉢合わせする。

 

サイコパス:良心を気にしない脳みそをもっている。25人に1人はいるとされる。一見普通の人間で、成功者であることも多い。良心がないから無敵で『できないことがない』とも言える。

 

情報部:死神に担当する人物の情報を与える。ミスで人間を多く死なせすぎたので、調整しようと、寿命を20年延ばす『返還キャンペーン』中で、通常「可」なのに、千葉に「無理に可にしなくてもいいぞ」と言ったりする。

 

千葉:死神。眠る必要がなく、何百年も生きているので、江戸時代のことも昨日のように話す。クールで、とぼけた、ずれた会話をするが、仕事は誠実一筋。雨男。常人には聞こえない小さな声が聞こえ、遠くが見えたり、痛みも感じない。素手で人に触ると失神させてしまう。

 

山野辺遼:人気作家だったが、3年間新作を発表していない。1年前、殺人事件で10歳の娘の菜摘を失った。パスカルの言葉、例えば「敬意とは、面倒くさいことをしなさい、という意味である」などをしばしば口走る。

 

山野辺美樹:遼の妻。

 

本城崇:十代の頃に火事で両親をなくし、その遺産で暮らす無職の青年。している。山野辺菜摘の犯人として逮捕されたが、無罪判決を受けた。

 

香川:死神。女性。対象者は本城崇。

 

箕輪:遼のデビュー当時の担当編集者で、現在は週刊誌記者。

 

轟:盗撮常習犯の引き籠り

本書の解説が、「本の話WEBの円堂 都司昭」にある。 

 

初出:2013年7月文藝春秋刊行

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

前作『死神の精度』は、「私としては五つ星だが、癖が強いので、一般的には強くお勧めできないので四つ星に。」との評価だったが、今回は普通の四つ星。

 

相変わらずの死神・千葉のまじめで、とぼけぶりには笑えるし、勧善懲悪がなるか、ならぬかにはハラハラさせられ、一気に読んでしまう。しかし、それ以上の何かがあるわけではない。サイコパスの凄みもいま一つ。

 

「(山野辺の)初期の作品が面白いみたいですね」と言った人に、千葉が「晩年も悪くなかった」というラストに救われる。このあたりは伊坂流。

 

内容はPrologue、Day 1~Day 7、Epilogueに分かれているのに、目次は一つで目次の意味がない。

 

 

私も、いつも傍にいる幼い息子を遠くから見つめたとき、こう感じたことを思い出した。

・・・子供を、子供の気づかぬところから眺めるのは、少し奇妙な感覚だった。自分とは別の時間を生き、彼女は彼女なりに現実社会と向き合っていると分かり、頼もしさと心許なさを覚える。

  

 

伊坂幸太郎&既読本リスト

 

 

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ピーター・メンデルサンド『本を読むときに何が起きているのか』を読む

2016年11月01日 | 読書2

 

 

ピーター・メンデルサンド著、細谷由依子訳『本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間』(2015年6月30日フィルムアート社発行)を読んだ。

 

小説などの本を読むと、読者は文字からイメージを頭の中で作り出す。文字を目から情報として取り込み、脳内で展開する。その過程で「登場人物」なり「情景」なりが、人それぞれ異なる形に変わっていく。どんなことが起っているのか? アメリカの有名な本の装丁家である著者が、名作小説を例に、読者が文字からどのようにイメージを作り出すのかを、視覚的・現象学的分析して、結果をデザイン性に優れた豊富な図版を使ってビジュアルに表現している。

 

読書の物語は、記憶された物語だ。私たちは読書する時、没頭する。没頭すればするほど、経験に対して分析的な思考を向けることが難しくなる。だから、読書の感想を語る時、私たちは「読んだ」記憶として話しているに過ぎない。

そしてこの読書の記憶は正確ではない。

 

「アンナ・カレーニナはどんな人ですか?」と聞くと、答えは人さまざまで、注目点も内容も異なる。

「トルストイの描写に基づいて描かれた警察の似顔絵ソフトによるアンナ・カレーニナ」の絵が本書に描かれているが、各人の想像している彼女とは異なるものになっている。つまり、読者はトルストイの記述どおりには想像していないと言える。

 

本を読み進めるにしたがって、読者が想像する登場人物の顔、性格が徐々に変わっていく場合もあり、さらに著者自身が同じ人物の、例えば目の色を違って書いているような場合さえある。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

ともかく変わった本だ。図が主体であるが、けして読みやすくはない。でも、面白い。

 

皆さんもそうだと思うが、私も、小説を読んでいて、登場人物の顔、性格がどんなであるかを想像して読み進め、自分なりの人物像を作り上げていくのだが、それが、他の読者や著者の意図と違っているかどうかなどあまり気にしなかった。そして、作り上げていく過程を意識することもなかった。

そして、読んだ作品が映画化されたときに、登場俳優が、自分が本で読んだイメージと多少違うと感じることも多かった。

 

目から入ってきた文字情報が脳内でイメージに展開され、記憶され、作られたイメージが再び本の文字の中で活躍していく。

確かに、本を読むって、不思議な行為だ。この本を読んで、そう思ってしまった。

 

 装丁家である著者は、出来上がった小説を読んで、湧き上がるイメージから、表紙、挿絵などその本のイメージを具体化して描くのだろう。その過程で、こんな本を書くことを思いついたのだろう。

 

 

著者

ピーター・メンデルサンド (Peter Mendelsund)
ブックデザイナー。米国の老舗出版社、アルフレッド・A・クノッフ社のアート・ディレクター。ニューヨーク在住。

彼のデザインは「現代の小説の分野において、一目で誰によるデザインかが分かる、もっとも特徴的で象徴的なカバーデザイン」(『ウォール・ストリート・ジャーナル』)と評されている。

本書『What We See When We Read』は、作家としての初めての著書。

 

 

訳者
細谷由依子 (ほそや・ゆいこ)
出版・映像翻訳者。ファッション誌『zyappu』編集部でインタビュー通訳、翻訳を手掛ける。

2000年以降フリーランスとして出版翻訳、映像制作・翻訳に携わる。

主な翻訳『ポップカルチャーA to Z』、『アンディ・ウォーホル 50年代イラストブック』、『色と意味の本』など。ドキュメンタリー映画『躍る旅人 能楽師・津村禮次郎の肖像』、『Landscapes with a Corpse』の字幕翻訳など。

 

 

 

 

CONTENTS

PICTURING “PICTURING” 「描くこと」を思い描く

FICTIONS フィクション

OPENINGS 冒頭

VIVIDNESS 鮮やかさ

PERFORMANCE 演奏

SKETCHING 素描する

SKILL 技

CO-CREATION 共同創作

MAPS & RULES 地図と規則

ABSTRACTIONS 抽象

EYES, OCULAR VISION & MEDIA 目、視覚、媒体

MEMORY & FANTASY 記憶と幻想

SYNESTHESIA 共感覚

SIGNIFIERS 意味しているもの

BELIEF 信念

MODELS 模型

THE PART & THE WHOLE 部分と全体

IT IS BLURRED ぼやけて見える

[解説]本と体の交わるところ──本書の遊び方 山本貴光

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