hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「蝦蟇倉市事件1」を読む

2010年10月31日 | 読書2
伊坂幸太郎/大山誠一郎/伯方雪日/福田栄一/道尾秀介著「蝦蟇倉(がまくら)市事件1」2010年1月東京創元社発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。
海と山に囲まれた、風光明媚な街、蝦蟇倉。この街ではなぜか年間平均十五件もの不可能犯罪が起こるという。自殺の名所に、怪しげな新興宗教や謎の相談屋。不可能犯罪専門の刑事や、とんでもない市長、そして無価値な置物を要求する脅迫者―。様々な不可思議に包まれた街・蝦蟇倉へようこそ!
今注目の作家たちが、全員で作り上げた架空の街を舞台に描く、超豪華競作アンソロジー第一弾。


1970年代生れの、今注目の作家たち5名が、海と山に囲まれた蝦蟇倉(がまくら)を共通の舞台として、不可能犯罪を描く競作アンソロジー第1弾。

道尾秀介「弓投げの崖を見てはいけない」
弓投げの崖近くのトンネルで邦夫は自動車事故を起こす。傷心の妻弓子の弱みにつけ込み勧誘、入会を迫る新興宗教団体、心配する大学時代の恋人の刑事隈島。事故の原因を作った3人の若者は証拠隠滅のため邦夫に致命傷を与えて逃げる。車に跳ねられたのが誰かが陽には書かないで、最後が謎のまま終わる。

伊坂幸太郎「浜田青年ホントスカ」
スーパー「ホイホイ」駐車場にプレハブ小屋があり、「相談屋」稲垣が商売している。宿なしの浜田は、宿泊、食事(スーパーの売れ残り)付きの相談屋のアシスタントになる。1週間後、稲垣に代わって相談を受けることになるが、やって来たのは・・・。

大山誠一郎「不可能犯罪係自身の事件」
蝦蟇倉大学の真地博士は警察に協力し多くの不可能犯罪を解決した。10年前の不可能犯罪解決を依頼された博士が、睡眠薬を飲まされて密室殺人の容疑者になってしまう。
昔の本格物のテーストで、実際にはありそうもない論理の遊び。

福田栄一「大黒天」
老舗和菓子屋を営む祖母が、祖父の思い出の大黒様の置物を騙し取られる。輝之と姉は祖父の過去を訪ね歩く。最初から話しの流れは想像がついてしまう。

伯方雪日「Gカップ・フェイント」
蝦蟇倉市長近藤は地元資産家で元レスラー。世界の有名格闘家を集めて格闘大会を開く。大会当日、市長の銅像を制作した幼なじみが10トンもの重さの銅像に踏みつぶされ殺される。Gカップとは、期待を裏切り、グラップリングワールドカップの略だった。

2月に異なる若手作家6名による競作「蝦蟇倉市事件2」が出版された。

最後の執筆者コメント
伊坂幸太郎
この企画の作品と数作読ませてもらった後、すぐに、「僕も競わせてください」と担当者に電話をし、仲間に入れてもらうために急いで書きました。気に入った作品になったものの、まさか三年も経って発表されるとは!

道尾秀介
ラストシーンについて、あの人影は三人のうち誰だったのか?実はこれ、本文をよぉく読んで地図を見てみると、答えは一つに絞られてくるようです。ヒントは・・・。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

ミステリーの出来工合はいまひとつだが、著者達が楽しんで書いている。蝦蟇倉市という共通の舞台で、何人かの登場人物が共通するという競作になっていて、それぞれの著者の味を楽しめる。

やはり、伊坂幸太郎が良い。やけに落ち着いた稲垣、「本当っすか」を連発する浜田のキャラが立っていて、二人の会話が冴える。最後で逆転の連続。厳しい話しをさらりと語る。さすが、伊坂幸太郎。

道尾秀介も、強引な筋立てだが、さまざまな登場人物が入り交じり、混沌のまま、謎を残して終わる。楽しく読めることは読める。


以下、東京創元社の「蝦蟇倉市事件1,2」より著者紹介を引用する。

道尾秀介(ミチオシュウスケ )
1975年東京都生まれ。2004年、長編『背の目』で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞。05年に発表した第2長編『向日葵の咲かない夏』で第6回本格ミステリ大賞候補、短編「流れ星のつくり方」で第59回日本推理作家協会賞候補に選出される。07年、『シャドウ』で第7回本格ミステリ大賞を受賞。

伊坂幸太郎(イサカコウタロウ )
1971年千葉県生まれ。東北大学法学部卒。96年、『悪党たちが目にしみる』で第13回サントリーミステリー大賞に佳作入選後、2000年『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビューする。清冽な感性とパズル的な構成が融け合った独自の作風を開拓し、第4長編『重力ピエロ』は大好評を博した。他の著作に『ラッシュライフ』『陽気なギャングが地球を回す』がある。『アヒルと鴨のコインロッカー』で、第25回吉川英治文学新人賞を受賞。

伯方雪日(ハカタユキヒ )
1970年京都府生まれ。京都大学卒。書店勤務のかたわら、執筆活動を行い『誰もわたしを倒せない』でデビューする。

福田栄一(フクダエイイチ )
1977年愛媛県生まれ。東京都立大学(現・首都大学東京)法学部卒業。2003年、「絶体絶命日常冒険小説」と銘打たれたコミカルな快作『A HAPPY LUCKY MAN』でデビューする。緻密な構成と抜群のリーダビリティが印象的な俊英。著作に『玉響荘のユーウツ』『あかね雲の夏』『メメントモリ』『エンド・クレジットに最適な夏』がある。

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井の頭自然文化園へ(2)

2010年10月29日 | 行楽
井の頭自然文化園の続き。

戦後日本に最初にやってきた象が「はな子」だ。1949年、2歳でタイから上野動物園へ、移動動物園を経て1954年に井の頭自然文化園にやってきた。



63歳は日本では最高齢という。歯は30センチ近くの大きさあった。



野生の象は木ノ葉など18時間かけて200~300kgを食べるという。しかし、はな子は今ではまともな歯が1本しかないので、消化よく栄養価が高い特別食を作って与えているという。それでも、一日に80kgから100kgのエサを食べる。

案内板にあった一日のエサは、
バナナ18kg
青草24kg
ヘイキューブ(干草を砕いて固めたもの)7.5kg
干草3kg
サツマイモ、リンゴ、キャベツ、ニンジンが各5kg
食パン3きん
飲み物(塩、どくだみ茶、スポーツドリンク入り)80~100リットル

これが実物(展示品)。



この文化園で飼育員をしていた人の話しでは、はな子は飼育員(男性)が大好きで、かつ非常に嫉妬深く、飼育員に女性が近づくと、脅かすという。もちろん、飼育員は男性に限る。男性、女性の区別がつくのも面白いが、60歳過ぎても嫉妬とは、巨体が可愛く思えてくる。

サル山を見ると、アカゲザルが固まって塩?取り。取られる方はいい気持ちそう。



リスの小径という広い檻の中に入ると、小さなリスが足元を走りまわる。早くて写真が撮れない。クルミに夢中になっていて油断しているところをパチリ。



説明によると、ニホンリスの主食は殻の硬いオニグルミで、クルミの殻の合わさり目にそって前歯で削り、その隙間に前歯を差し込みひねって2つに割るという。

西南の隅の玉川上水脇にある彫刻館へ向かう。このあたりには、長崎平和祈念像で知られる北村西望作の彫刻が並ぶ。B館の横に並ぶ3作品は、彼の出世作で、大正4~6年、32歳になっていた。遅咲きだが、102歳の長寿を全うして、数々の大作を残した。



長崎平和祈念像の石膏原型はA館の入口すぐにある。撮影禁止なので、外からパチリ。



像の高さ9.7メートルで、思っていたよりはるかに巨大だ。この像を作ったアトリエがアトリエ館として残されている。



中には、石膏の芯になる大きな木組みや、上部を製作するのに必要なクレーンなど製作現場が想像できる。
アトリエ館の前に、これもいろいろなところで見かける「将軍の孫」がある。軍靴を履いた当時3歳の長男がモデルだ。



この文化園には遊具施設などもあり、幼稚園の団体来園も多い。なつかしの集団写真風景だ。











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井の頭自然文化園へ(1)

2010年10月28日 | 行楽
井の頭自然文化園は井の頭恩賜公園の西側にある都立動物園だ。1934年(S9年)設立の中之島小動物園、1936年(S11年)の水生物館を母体として、1942年(S17年)開園というから相当な歴史がある。ちなみに、同い年の私も歴史物ということか。

園は、井の頭公園のボート乗り場近くの表門から入る分園と、吉祥寺通りをはさんで西の本園に別れる。分園には、鳥の檻と水生物館があり、本園には小動物、象のはな子や、子どもの乗り物、北村西望の彫刻館などがある。

井の頭公園の狛江橋と七井橋の間、ボート乗り場向かいが表門だ。



表門を入って、弁天橋に向かって歩く。白鳥がいて、オーストラリア固有種の黒鳥もいた。



ガラスで仕切られた池には、大きなコイが水面の何かを吸い込んでいた。



カゴの鳥たち眺めながら水生物館へ入る。
世界の絶滅のおそれのある種の現状を明らかにしたレッドデータブックというものがあるらしい。今流行の絶滅危惧種なのだろう。対応する日本版レッドデータブックに載っているミヤコタナゴ、オオサンショウウオ、トウキョウサンショウウオ、イトウなどがここに飼育されている。いずれも地味で、写真に耐えない。
一つだけご紹介。5センチ位の小さな「トウキョウサンショウウオ」だ。東京にもサンショウウオがいるらしい。



中門入口から分園を西側に出る。ここから吉祥寺通り沿いに三鷹の森ジブリ美術館あたりまでの井の頭公園西園は昔の武蔵野を思わせて心地良い雰囲気だ。



吉祥寺通りを歩道橋で渡って正門入口から本園に入る。子どもが触れるモルモットはお休み中で、ヤギが材木の上で日向ぼっこ。子どもの頃は東京でもヤギを飼っている家があったことを思い出した。



何かで見たことのある顔をしたニホンカモシカがつまらなそうに見つめている。



薄目を開けたミミズク(多分)はカメラを向けると、首だけをくるりと回して横を向いてしまう。待ちきれず、そのままパチリ。



長くなったので、続きは明日。


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井の頭公園へ

2010年10月27日 | 行楽
井の頭文化園へ行く途中、井の頭公園を通った。井の頭線の井の頭公園駅からガードをくぐる。「井の頭」がこんなに出てきて、「いいのかしら」。

神田川上流を覗く。 


ここが、神田川の源流。



井の頭池の南側の少し高い道から池を見下ろす。桜の幹がクネクネ。



狛江橋から西の方を見る。右手が文化園。



ずらりと並んだ足漕ぎボートを見ると、みんなカールしたまつ毛を持つメス白鳥なのに、右端が変だ。



拡大写真を撮ると、オス白鳥だった。






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深大寺へ

2010年10月26日 | 行楽
神代植物公園の深大寺門を抜けて、大師堂正門から深大寺に入った。
元三大師堂にはお参りする人が列を成している。



お堂の中には早めの七五三を祝う人が座っていた。深大寺中興の祖が延暦寺18代座主の慈恵大師良源で、正月3日に亡くなったので元三大師と呼ぶ。お堂の天井画は河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)の竜とある。

スリムでうらやましい犬がじっと見つめていた。



本堂横にはおおきな無患子(ムクロジ)の木がある。



ムクロジは多くの実をつけていた。この2cm位の実の中の硬く黒い種子が1個あり、硬いので羽子板の羽の玉や、数珠になる。



山門は300年ほど前の境内でもっとも古い建物だ。土曜日で、ゲゲゲの鬼太郎フームで人が多くてまともな写真がとれない。邪魔な人がいなくなるのをじっと待っていると、「お前が邪魔だ」と言われそう。



山門前の元祖嶋田屋は長蛇の列で、おそばは敬遠する。参道を行くと、鬼太郎が歩いてきた。



「鬼太郎茶屋」なるものまであって、



「目玉のおまんじゅう」なるものまである。



いっときしか流行らないものにかき回されて、あの静かでひなびた歴史ある深大寺はどうなっちゃうのだろうか。もはやよそ者は願うだけなのだが、なつかしのしずかな調布の町をそのままにしておくことはできないのだろうか。




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神代植物公園のダリアと温室

2010年10月25日 | 行楽
神代植物公園では、バラの他、ダリアが今(夏から?)、盛りだった。



昔、ダリアは鮮やかな大輪の花の代表だったが、色々な花が輸入されてあまり見る機会がなくなった。しかし、久しぶりに見ると、やはりあでやかだ。品種改良もされているのだろう。









24日にアップしたばら園を抜けて、温室に入る。カカオの木の幹にカカオがぶら下がっている。この中に数十粒のカカオ豆が入っているらしい。



ランの展示をやっていて、この花をじっと見ていたら、アゴがしゃくれて耳が大きな人の横顔に見えてきた。その心を、ロールシャッハ的に分析すると何?皆さんには何に見えますか。



温室内に小さな池があり、可憐なハスが咲いていた。



ベコニアの部屋もある。



ベコニアの花を一杯浮かべた鉢も。



次回は、神代植物公園を抜けて行った深大寺の写真をご紹介。


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神代植物園へ

2010年10月24日 | 行楽
行こう行こうと思っていた神代植物公園へ行った。「秋バラが10月18日に7割開花」とHPにあり、土曜日で混雑が予想されたが、急遽行くことにした。



ばら園は正門を入って右手(南)のピンク色の広大な領域を占める。なお、深大寺は右上(東南)の深大寺門を出るとすぐだ。

ばら園の脇には、「国際バラコンクール花壇」がある。欧米や日本の育種家が作った未発表の新品種を育成しているところで、2年をかけて審査し、上位入賞に花名がつけられ、市販されるものもある。2つだけご紹介。





やわらかな色合いと、花弁のそり工合が得も言われぬ美しさだ。

ばら園には、各国のバラが約300品種、5千本植えられている。5千本は多いようだが、それでも一株200の花が咲いてはじめて、加藤登紀子の歌う100万本のバラになる計算だ。
春は5月中下旬、秋は10月中下旬が見頃だ。秋に比べ、春はいっそう美しいという。



奥に見えるのは、温室だ。中央には噴水が見事に整っているが、皆さん見向きもせず、数あるバラに夢中だ。



バラは品種毎にかたまって植えられているので、横から見ると、色模様の絨毯だ。



バラといえば赤がやはり多い。



数は少ないが、黄色もあり、豊香をただよわせていた。

8

ピンクも良いが、



純白の肌をほんのり恥ずかしげにピンクに染めるのが一番(何の話だか)。



「夕霧」という趣ある名前の日本のバラ。



このあと、温室を見て、深大寺に行ったが、それは次回。



深大寺と神代植物公園

私には、深大寺と神代植物公園の関係が従来から疑問だったが、案内板を読んで解った。江戸時代の深大寺村が、明治に近隣と合併して神代村となり、昭和15年に東京府は、防空緑地として神代緑地を開園した。しかし、昭和30年調布町と神代町が合併し、調布市になり、以後、深大寺を名乗る地番が多く誕生した。一方、昭和36年に防空緑地の名を引き継ぎ、神代植物園が誕生し、「深大寺」の名が付くいくつかの地番に囲まれることになった。



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高田郁『銀二貫』を読む

2010年10月22日 | 読書2
高田郁著『銀二貫』幻冬舎時代小説文庫、2010年8月、幻冬舎発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。
大坂天満の寒天問屋、井川屋の主・和助は、仇討ちで父を亡くした鶴之輔を銀二貫で救う。大火で消失した天満宮再建のために、工面した大金だった。引きとられた少年は松吉と改め、商人としての厳しい躾と生活に耐えていく。番頭善次郎、丁稚梅吉、評判の料理人嘉平とその愛娘真帆ら人情厚い人々に支えられ、松吉は新たな寒天作りを志すが、その矢先またもや大火が大坂の町を焼き払い、真帆は顔半面に火傷を負い姿を消す…。


上方の寒天/心太(ところてん)問屋の話で、みなし子の松吉がひたむきに20年以上苦労を重ね練り羊羹を創りだすという渋い話。寒天の作り方が詳しく解説される。
度重なる大規模な火事で、一からの出直すことになるが、大阪商人の矜持に惚れ惚れする。
脇役は、井川屋の主人和助、忠実で堅物の番頭善次郎などほとんどが気の良い人物ばかり。

「みをつくし料理帖」と似た話で、悲惨な状況のなかでひたむきに努力するというお涙頂戴の話で、結末も予想できるのだが、松吉の一途さと、じれったい内気な恋、周囲の人々の温かさでさわやかな話になっている。
天満宮に寄進するはずだった銀二貫が、美田開発、火事からの商売の再立ち上がりなどに回り回って人々に幸福をもたらす。



高田郁(たかだ・かおる)は兵庫県宝塚市生れ。中央大学法学部卒。
1993年、川富士立夏の名前で漫画原作者としてデビュー。
2006年、短編「志乃の桜」で北区 内田康夫ミステリー文学賞区長賞受賞。
2007年、短編「出世花」で小説NON短編時代小説賞奨励賞受賞。
2009年、『みをつくし料理帖』シリーズ第1弾の「八朔の雪」は、「歴史・時代小説ベスト10」、「最高に面白い本大賞!文庫・時代部門」、「R-40本屋さん大賞第一位」を獲得。

この作品は2009年6月幻冬舎から発行された本の文庫版だ。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

高田郁(たかだ・かおる)という作家、それほどまだ知られていないと思うが、もっと多くの人に読んで欲しい。著者の作品の中で「みをつくし料理帖」が一番人気だと思うが、第4弾「今朝の春」が9月に出たばかりでまだ続きそうなので、とりあえずこの本あたりから読むのも良いかもしれない。
取材で知り合って以来友人だという毎日放送アナウンサーの水野晶子が解説を書いている。彼女が、漫画の原作者であった高田に、「漫画の原作は実際にどうつくられるか分からない。最後まで自分で完結できる小説を書いたらと勧めて、高田は小説に転身したという。

あとがきにはこうある。
高田郁は非効率の人である。(中略)
まず、彼女は作品に登場する料理を全部、自分で作ってみる。それも一度や二度ではなく何週間も作り続け、納得のいく一品ができたからでないと執筆しない。
(中略)
「銀二貫」のときは、いつ電話しても「今、寒天をふやかしてるねん」とか「小豆を炊いてるねん」とか嬉しそうに話していた。
(中略)
料理だけではない。メールで「今、どこ?」と尋ねると、多くは図書館にいる。歴史資料を探るために大阪の図書館は勿論のこと、東京の国会図書館に籠っている時間が長いようだ。


この作品でも、寒天や、寒天料理について、詳しく作り方が解説されている。申し訳ないが、料理に興味のない私は、この本でも、「みをつくし料理帖」でも、料理の話は飛ばす。今、作者のすさまじい努力を知って、今後は敬意を持って、料理の話を、読み飛ばさせていただく。



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小川洋子『原稿零枚日記』を読む

2010年10月21日 | 読書2
小川洋子著『原稿零枚日記』2010年8月、集英社発行を読んだ。

作家の私は、原稿はほとんど書き進まない。一方で、苔(こけ)料理店に迷い込んだり、編集者に説明のため子供のときに住んでいた家の見取り図を書いているとどんどん拡大、つじつまが合わなったり、ニュースで盗作が話題になると、心配で落ち着かなくなったりする。
平凡な日常の日記風だか、いつのまにか、大げさな表現が誇張となり、日常から不思議な世界へ連れ込まれてしまう。

関係者でもないのに、子泣き相撲や小学校の運動会に潜り込み、傍観者として子どもたちを見て楽しむ。文学新人賞のパーティーでは、同様なパーティー荒らしを見つけて、その危機を同業者のよしみで救ったりする。
著者自身の体験風であるが、どうみても物書きの妄想だ。内気、ビクビクしているようであって、けっこうフットワークが軽い主人公は著者の分身なのだろう。

初出は、「すばる」2009年1月~4月号(全15回)



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

日記というと日常の記録だが、いかにも日記ふうに始まり、いつのまにか非日常の世界に入っている。ただ、その非日常がセコイというか、日常にくっついた非日常で、凄みはない。
苔むす旅館はありそうだが、別邸での苔料理は、「本当?」と疑わしい。さまざまな苔を食べる前に顕微鏡で苔を覗き、苔の中に小さな虫が泳いでいるのを見るなどは、あきらかに妄想だろう。

主人公は、「あらすじ」を作る名人で、「あらすじ教室」を開催している。作品そのものよりあらすじの方が、出来が良くなり、賞の下読みでのあらすじ書きの仕事を首になったくらいだ。
その極意は、「あらすじを書くというより、流れの底に潜む小石を2つ、3つ見つけ、その小石を配置し、とたんに底から湧き上がる模様を写し取れば、あらすじは出来上がる。」という。
確かに、このブログで本の紹介をしていても、筋書きを書いてもその本の内容が伝わるわけではない。幾つか著者の表現のポイントをつまみ出し、引用した方がその本の雰囲気が伝わることが多い。



小川洋子は、1962年岡山県生れ。
早稲田大学第一文学部卒。1984年倉敷市の川崎医大秘書室勤務、1986年結婚、退社。
1988年『揚羽蝶が壊れる時』で海燕新人文学賞
1991年『妊娠カレンダー』で芥川賞
『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞、2006年に映画化
2004年『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞
2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞
その他、『カラーひよことコーヒー豆』など。
海外で翻訳された作品も多く、『薬指の標本』はフランスで映画化。
2009年現在、芥川賞、太宰治賞、三島由紀夫賞選考委員。



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コピス吉祥寺へ

2010年10月19日 | 日記
吉祥寺伊勢丹のあとにでき、10月15日オープンしたcoppiceコピス吉祥寺をのぞきに行った。混雑を避けて昨日18日(月)のことだ。

ヨドバシカメラ前にずらりと並んだ「ガチャ(ポン)?」にビックリ。




遠くからこれを見つけて、当時幼かった息子が、握っていた手を振りほどき、一気に駆けていったことを思い出した。手なんか握っていても少しも安全じゃなかった。
このガチャで購入するロッテのビックリマン・シールが流行っていて、なかなか手に入らなかった。ある日、息子が興奮して、ついに手に入れたという。よく見ると、「ロッテ」でなく、「ロッチ」になっている。偽物で子供を騙したと怒るより先に笑ってしまった。

たわいないことを思い出しながら、コピス吉祥寺に入る。コピス coppice とは、英語で小さな森という意味だという。小さな店の集合で、109店ある。同じような(?)小さな店がずらずらあっても、駅ビルのアトレにかなわないと思うのだが。
30代、40代向けと聞いたが、70近い私には、ただ若者向けとしか見えない店が並ぶ。
お客も見物に来ただけの人が多く、キョロキョロするだけ。あと1週間もすればガラガラになるのでは。

A館とB館をつなぐ通路には開店祝いの花が並ぶ。



私に意味のある店は、以下。
地下B館のスーパー三浦屋。ただし、値段は高めで、特に魚は高い。
地下A館の「わらべ」。以前からある自然派バイキング。
地下A館の武蔵野青果食品。FFに以前からある普通の八百屋。周囲の店とのアンバランスが良い。そういえば、もう50年海外暮らしの元日本人が「野菜屋」と言って笑われていた。
B館6階、7階の本屋、JUNKUDO。ここはかなりな品数で、陳列も分かりやすかった。

特徴あるところは、以下。
B館4階全部を占める石井スポーツ。
A館6階のキャラクターグッズを集めたキャラパーク。
3階はママキッズテラスという名前で、B館にはママ向け?の店があり、A館には子供の遊ぶ場所がある。そして、「吉祥空間SORA」がある。







傍らにはレストラン「BOTAN」があり、ランチセット\1,380、\1.680とそれほどの値段ではない。


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吉祥寺アトレ

2010年10月18日 | 日記
中央線・吉祥寺駅ビル、ガード下?、のロンロンが9月21日にアトレ吉祥寺として全館オープンした。混雑したところは避けているので、しばらくは近づかず、10月4日(月)にそっと覗いてみた。
今流行の漫画家・映画監督の大友克洋の赤色が多い派手なポスターがそこらじゅうにある。
長年親しんだ吉祥寺ロンロンという名前が無くなるのは寂しい。三鷹ロンロンもアトレヴィ三鷹になるという。西の外れ三鷹側の5番街の名前が「ロンロン市場」で、ここだけ名前が残る。

218あるという店をサーと通り過ぎたが、すべての店がターゲットをより若者向けにしているようで、かろうじて60代の身の置場がない。

一つ良い点は、どこにでも座るところがあることだ。延々とお待ちすることが多い、荷物持ちのお供の身には。














おっと、最後は違った。仕掛け集団「ほくろ」によるアートの一つでした。(10月11日まで)




テーブルの上で「もも」が震えている。



下から覗くと、軸が見えた。



こんなところに、「まことちゃん」が。



作者のご自宅はこちら

仲道どおりで人気になった「はらドーナツ」のキッチンがあり、



東館の北側道路にはドーナツ店も。




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舞城王太郎「イキルキス」を読む

2010年10月17日 | 読書2
舞城王太郎(まいじょうおおたろう)著「イキルキス」2010年8月、講談社発行、を読んだ。

表題作「イキルキス」と、「鼻クソご飯」、「パッキャラ魔道」が入った短編集。

イキルキス
中学校の同じクラスの女子6人が続けざまに謎の突然死を遂げる。学校が休みになる大混乱の中、突然クラスのアイドル系女子の八木千佳子が主人公福島を尋ねてくる。
謎の死や、謎の鐘の音の不思議はほっとおかれ、倉の中のやりたい盛の中学生男子とためらいの女子の言動がおもろい。

鼻クソご飯
冒頭、鼻クソを食べる話しが延々。飛ばし読みしても、その後、幼い弟を殺された恨みで、わけの分からない暴力沙汰に走る俺。

パッキャラ魔道
ハリウッドのCG映画で見るような車の多重衝突。そのなもの文章で読んでいてもオモロない。この交通事故をきっかけにバラバラになっていく家族。



舞城王太郎(まいじょうおおたろう)
1973年福井県生れ。覆面作家。
2001年「煙か土か食い物」でメフィスト賞受賞しデビュー
2003年「阿修羅ガール」で三島由紀夫賞受賞
「好き好き大好き超愛してる。」「ビッチマグネット」が芥川賞候補
ほかに「暗闇の中で子供」「世界は密室でできている。」「熊の場所」「九十九十九」「山ん中の獅見朋成雄」「みんな元気。」「SPEED BOY!」などの作品がある。



私の評価としては、★☆☆☆☆(一つ星:無駄)

おそらく初めての一つ星。ひそかに大化けを期待していた舞城王太郎も、二度芥川賞候補になりながら、慎太郎にボロクソに言われて(単なる想像です)やけになり、もとのハチャメチャ、安直路線に戻ったのだろう(無責任な決めつけです)。

既成概念への挑戦といっても、ただ汚いこと、エロいこと、えげつないことを書き並べれば良いとは思えない。もともとの舞城王太郎作品には、子供っぽさ丸出しの郷愁があり、例え、残酷な殺しであっても、突き抜けた心地良さがあった。

この本は、最初の「イキルキス」だけが、舞城の良い点を出しているが、あとの2作品は疾走感はあるが、ただ汚い。
初出を見て、謎が解けた。3作とも「群像」だが、「イキルキス」2008年7月号なのに、「鼻クソご飯」2002年12月、「バッキャラ魔道」2004年5月とかなり前の著者がただ荒々しかった時代の旧作なのだ。


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有川浩「フリーター、家を買う。」を読む

2010年10月16日 | 読書2

有川浩著「フリーター、家を買う。」2009年8月、幻冬舎発行を読んだ。

それなりの大学を出て、それなりの会社に入社したが、とんでもない研修に3ヶ月で退社。ハンディを負い、以後ダラダラとフリーターを続けるダメ男、武誠治。精神を病んだ母のために家を買うことを決意し、バイトと就職活動に邁進する。頑固で酒癖が悪くコミュニケーション能力ゼロの父誠一、勝気でヘタレな男どもを徹底的に粉砕するパーフェクトウーマンの姉亜矢子、後輩の調子良い豊川や、真面目すぎる真奈美がからむ。

2010年10月19日(火)よる9時からフジテレビで二宮和也主演で放送する。

本書は日経ネット丸の内officeに2007年7月から12月にweb連載した。ただし、最終章は書下ろし。



この本のあとがきによると、著者自身、内定が一つもとれなくて社会人になってから数年間バイトや派遣で凌いだ経歴があり、依頼から原稿納入まで2ヶ月、書きやすい話だったという。


私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

フリーターが簡単に改心して真面目に働き出し、良い子になって、すべて上手くいく。新入社員がすぐ信頼され、任される。話が調子良すぎるが、腹立つことが多い世の中、本読むなら気楽に軽く読めて、いい気持ちになれる本が良い。

就職活動がリアル。履歴書の使い回し、面接での応答など父親の忠告に真実味があり、著者の苦労がしのばれる。前半、変にプライドだけあって、すぐキレてしまう負のサイクルに入ってしまったダメ男の時の話はなるほどを思うところが多いが、後半、元フリーターになったところからは都合良すぎでシラケてしまう人もいるかも。




有川浩(ありかわ・ひろ)の略歴と既読本リスト

 

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サンフランシスコの車

2010年10月15日 | 海外
特に郊外では、昼間でもライトを付けて走る車が多いし、直線道路ではライトを付けるようなルールになっている。レンタカーはエンジンをかけるとライトがついて、消すスイッチはないそうだ。

かなり傷んだ車も走っている。30万km走った車も平気で売りに出す。



たまたま見かけた車をいくつかご紹介。

パトカー。高速交通システム(電車)のBARTと書いてある。



消防車もでかい。



東京にも昔、走っていた架線から電気を取るトロリーバスだ。3両連結のバスも走っていた。



ビール配送車もでかい。



観光用のレンタカーで、自由に走ってもGPSでその場所の案内をする。日本語もある。


謎の乗り物として一時話題になった2輪のSEGWAYを使ったツアーもある。写真を撮り損なったが、SEGWAYが実際に走っているのを初めて見た。
坂が多いので、電動自転車のレンタルもあった。




アメリカではまだまだガソリンは安い。



キャッシュでレギュラーが2.95ドル。ただし、これはガロン=3.787リットルの値段だから、82円/ドルとすると、約64円/リットルと日本の半値ぐらいになる。
サンフランシスコと郊外を結ぶ鉄道BARTに乗ってみた。駅構内には自転車置場。



電車に自転車を持ち込む人もいる。



BARTの券売機では小銭のお釣りは出ない。最短区間が1.75ドルだが、2ドル入れてもお釣りがでない。しかし、降りたときに、0.25ドル残った券が排出され、今度はこの券と1.5ドルを投入すれば、最短区間の券が買えるというシステムだ。最大11ドルまで増額できる。合理的といえば合理的だが、不正されそうだ。
チケットの裏には、無くしたときのために、住所、氏名を書く欄があった。


最後の最後にバラバラと。

○カルフォルニア州は財政難で、道路の補修が充分でなく、道が悪い。

○国道の号数で、奇数は南北、偶数は東西に走る。

○ナンバープレートを付けていない車が走っている。新車で1ヶ月の間はナンバーをつけなくてもよいことになっている。問題があってもかえって目立ってしまうという。

○アメ車は床面が高い。したがって、ヨセミテツアーはバンだったのだが、座ったままでは窓から山の上の方などを覗き見れない。

○ペットOKの貸家、貸部屋が多い。ペットは名前、性別などを届出ないといけない。注射のお知らせなどがペットの宛名で手紙が来る。

○帰宅してスーツケースを開けたら(米国へ行くときは通常の鍵はかけてはいけない)、検閲のお知らせNotification of Inspectionという紙が入っていた。中を開けてあらためたということなのだが、職員は常時、直接そしてカメラでの監視していると書いてあったが、まったく失礼な話しだ。

これで長らく引き伸ばしたサンフランシスコ旅行の報告は終わる。

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サンフランシスコの通り

2010年10月14日 | 海外

サンフランシスコには幾つかの特徴ある通りがある。今度の旅行中に自由にブラブラできるのは1日半ほどなので、バス路線図を買わず、ホテルのコンシェルジュに幾つかの通りへの行き方を聞いたのだが、複雑だからタクシーで行きなさいと言われるだけだった。私の英語力に見切りを付けたのかもしれない。
いろいろ間違えて見知らぬところに行ったり、時間を無駄にするのも旅行のうちと割り切り、観光地図のいい加減なバス路線図だけで目的の通りを目指した。間違えて90分以上経っても乗換えられように一日券all day ticketを13ドルで買った。もちろん危険な地域だけは頭に入れておかないといけない。

フィルモア・ストリートFillmore St.
ハイソな住宅街にあるハイセンスなセレクトショップ、オシャレカフェが並ぶと案内書にあったが、それほどでもない。



この通りに来たのは知人に教えてもらったベタつかないリップクリームを売っているKIEHL’Sという自然派コスメの店があるからでもあるのだ。この店、渋谷にも新宿にもあるのだが、多分本場アメリカの方が安いだろうとわざわざバスでここまで来たのだ(バス代はただ)。



このブログ書きながら、ネットで調べてみたら、なんとホテルの近くに6箇所も店があった。おまけに、帰りにバスの番号を間違えて、見当違いな方向に行ってしまい、決心が付かないうちにどんどん進んで、ようやく降りて、少し戻り、BARTに乗換えて、ホテルにたどり着いた。

ヘイト・ストリートHaight St.
Haight Ashbury地区はカウンターカルチャー発祥の地ということで、派手な店が多い。





水タバコの店が目立った。クレープの店で昼飯を食べていたら、店の前に止めてある自転車のタイヤがピンクで、サドルが紫で笑えた。



カストロ地区
レインボー・フラッグがはためくゲイ・コミュニティ。なんとなく男性は皆ゲイに見えてしまう。




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