hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

川内有緒『パリの国連で夢を食う。』を読む

2015年04月30日 | 読書2

 

川内有緒著『パリの国連で夢を食う。』(2014年9月15日イースト・プレス発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

世界一のお役所の舞台裏は、驚きの連続だった! 

らららー、わおー、パリの美しさにはしゃぎながら面接をうけ、
約2000倍の倍率を勝ち抜いて、私は国連に転職した。

そこには奇妙な慣行やユニークな職場文化が花開き、
国際色豊かなオフィスにはスーツ、民族衣装、パジャマ姿の人まで。
ガチガチの官僚機構とカオスな組織運営に、ビックリしながらも
愉快な同僚たちや、個性的な生き方をする友人たちに囲まれて、
パリの日々は楽しく過ぎていく。

けれど、ふとした瞬間に我に返る。国連でやりたかったことって何だっけ?
・・・

新田次郎文学賞を受賞した川内有緒が、
パリと国連での5年半におよぶ自身の体験をユーモラスに描いた、
30代女性のライフストーリー。

 

 

川内有緒(かわぐち・ありお)

東京都出身。日大芸術学部卒。アメリカのジョージタウン大学で修士号取得。

アメリカ国内のコンサル会社や日本のシンクタンク勤務(中南米の文化を研究)。

31歳でパリの国連職員募集に応募(2000倍の倍率)し、パリ勤務。

5年半で辞職し、フリーランスとなる。英語の他にスペイン語とフランス語を多少話せる。

 

経歴はエリートそのもの(日芸卒は毛色が変わっているが)だが、出世欲や特権意識はまったくなく、日本人離れしたたくましさを持ち、誰とでもすぐ打ち解けて話せる。

 

国際色豊かな同僚は、ユーゴ内戦を生き抜いたセルビア人ツワモノ課長、白人や黒人など服装も価値観もバラバラ。正規雇用と定期雇用など立場も様々で、「毎日がサファリパーク状態」。彼らとの交流を通じて、各人、能力・志は高いのに、大組織国連は非効率。

パリ生活も、暮らしにくさは想像以上で、トラブル続き。「パリ症候群」だと著者はという。

 

初出:季刊「レポ」創刊号、二号、単行本化にあたり大幅に加筆、修正

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

著者自身もまえがきで述べているように、世界にまたがる巨大な国連のある機関のある部署で見聞したことだけで、国連全体に通じる話ではない。

また、パリでの生活も5年半に留まり、網羅的、あるいは深く市民と交わった経験ではない。したがって、この本は、主に、果敢に世界に飛び出した若い女性の話を楽しむものと言える。著者が言うように、雑記として読むのが良いだろう。それにしても、物おじせず、何にでも挑戦するたくましい著者には感心する。

 

 

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和田竜『村上海賊の娘』を読む

2015年04月27日 | 読書2

 

和田竜著『村上海賊の娘(上下)』(2013年10月20日新潮社発行)を読んだ。

 

『のぼうの城』でデビューし、ヒットさせた歴史小説の和田竜。4年をかけた上下巻約1000ページ。吉川英治文学新人賞、「本屋大賞2014」の大賞を受賞。

 

 

信長に攻められ包囲された一向宗の顕如が率いる大坂本願寺は、海路からの兵糧米10万石の輸送を毛利家に依頼する。毛利家当主直属の水軍の長・児玉就英(なりひで)と、支藩・小早川隆景の海賊衆・乃美宗勝は、村上海賊に頼ろうとした。

村上家は、毛利家に属した「因島村上」、毛利家に恩義がある河野家に臣従する「来島村上」、そして独立勢力「能島村上」の3家に分かれていた。

鍵を握る能島村上家の当主・村上武吉(たけよし)は、娘の景(きょう)を児玉就英に輿入れすることを条件に、毛利家に味方すると言う。20歳になる村上海賊の姫・景は、長身と怪力で海賊行為を行っていたが、本物の戦いにあこがれ、欧米人のような容貌から醜女と扱われていた。怒った児玉就英はその場で断り、話は進まない。

景が乗っ取りした廻船には、大坂本願寺で戦おうとする一向宗の信者たちがいた。門徒の源爺は「南蛮人のごとき見目麗しき姫様」と語り、南蛮人が集まる堺や、泉州では、南蛮人の女を美しいという者が多いと告げる。景は、共も連れず、信者達を廻船に乗せて、大坂本願寺へ向けて出航し、大坂本願寺方の木津砦に送り届け、戦いの実状を知り、能島へ帰る。

結局、景を含む毛利方1000艘と、眞鍋海賊の当主・巨漢の眞鍋七五三兵衛(しめのひょうえ)を中心とする織田方300艘がにらみ合う木津川合戦が始まる。

以下、戦いの様子が300頁弱続く。

 

 

この本の新潮社のHP

人物相関図

 

和田竜(わだ・りゅう)

1969年12月、大阪府で生れ、広島で育つ。早稲田大学政治経済学部卒。

2003年、映画脚本『忍ぶの城』で城戸賞を受賞。

2007年、同作を小説化した『のぼうの城』でデビュー。2011年に映画化・公開された。

他の著作に『忍びの国』『小太郎の左腕』『戦国時代の余談のよだん。』がある。

 

 

私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

 

面白いことは面白いが、冗長で、キャラクターや、戦いの場面などは荒唐無稽でまるでマンガ。登場人物は驚異的体力で、あり得ないほどタフ。マンガ(劇画)好きな人は良いかも。

 

登場人物に関する歴史的事実をところどころに挿入している。70以上の参考文献が並び、資料は良く読んでいると感心するが、小説としては流れを止めて、煩わしい。

 

著者はこれまで脚本を書いてから小説化してきたようで、この小説も、文章から場面が容易にイメージできる。生き生きとしたセリフや、テンポが良い点は評価できる。

 

 

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窪美澄『晴天の迷いクジラ』を読む

2015年04月24日 | 読書2

 

窪美澄著『晴天の迷いクジラ』(新潮文庫く44-2、2014年7月1日新潮社発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

デザイン会社に勤める由人は、失恋と激務でうつを発症した。社長の野乃花は、潰れゆく会社とともに人生を終わらせる決意をした。死を選ぶ前にと、湾に迷い込んだクジラを見に南の半島へ向かった二人は、道中、女子高生の正子を拾う。母との関係で心を壊した彼女もまた、生きることを止めようとしていた――。苛烈な生と、その果ての希望を鮮やかに描き出す長編。山田風太郎賞受賞作。

 

 

第1章「ソラナックスルボックス」
社員8人のデザイン会社働く、24歳の田宮由人(ゆうと)。仕事は半人前で、素直だけが取り柄。社長の野乃花からボロクソに言われながら、激務に励む。

 

勉強が得意な兄と運動が得意な妹の間で、何をやってもいまひとつぱっとしない由人を一番可愛がってくれたのが祖母だった。・・・

この家には、お母さんチームとおばあちゃんチームがある、

 

祖母が亡くなり、恋人ミカの浮気現場に遭遇してしまい、彼女も離れていった。彼は精神安定剤のソルナックスとルボックスを飲むようになる。同僚も常連だという。由人はふと思う。この国はおかしくないかと。


第2章「表現型の可塑性」

田舎の半島の漁師の家に生まれた中島(なかしま)野乃花は幼いころから絵を描くことが好きだった。貧困で母は心臓が悪く、美大に進む道は開けなかった。18歳の野乃花は金持ちの息子の子を宿し、結婚することになるが、子供を育てることができず、・・・。東京で小さなデザイン会社を立ち上げることになる。・・・そして、48歳の野乃花は、明日の朝、会社を明け渡すところまで追いつめられる。その時、深夜ニュースは、野乃花の生まれた半島でクジラが小さな湾に迷い込んだと伝える。


第3章「ソーダアイスの夏休み」

初めての子を細菌性髄膜炎で亡くした母は、正子のすべてに干渉し、極端に過保護となり、篠田正子は次第に心を壊していく。高校1年のとき、海老原君と知り合い、骨の癌が既に転移している双子の忍と心を通じ合う。その忍の死に打ちのめされて部屋に閉じこもり、拒食症になる。16歳の正子は家出し、野乃花と由人の車に拾われる。

 

第4章「迷いクジラのいる夕景」

16歳、24歳、48歳の偽装家族の3人が、岬の入り江の浅瀬で、傷だらけになったまま、沖に戻らないクジラを見る。

「あんたと過ごしてさ、母親ってつくづく心配することが仕事なんだな、って思ったよ。あんたがどれだけ食べたか、ぐっすり眠ったか、そんなことが気になりはじめてさ。嘘の母親なのに」

 

 

2012年2月新潮社より刊行

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

ダイナミックさも、大きな感動もないが、懸命に生きている3人を濃厚に書き込んでいる。とくに正子の母の異常な干渉ぶりには読んでいていやになるほど書き込まれている。由人のキャラは軽いので、他の二人のように重く、ジグジグと描かれていないが。

 

多少冗長、濃厚であっても、全体としては、ほのかな希望、人間への信頼が感じられ、読みごたえある小説といえる。

 

 

窪美澄の略歴と既読本リスト

窪さんの「作家の読書道」

 

 

 

 

クジラやイルカが砂浜に打ち上げられるニュースをTVで見るたびに、私(冷水」)は吠える。

「早く安楽死させてやれ ! なんとか海に戻せたって、弱ったクジラやイルカはシャチに食べられてしまう。人間の自己満足で彼らを苦しませるのはやめろ ! 」

 

この本の中で、クジラ博士が代弁している。

「・・・内耳っていうところに寄生虫が入り込んでしまうことがあって、それで反響した音を聞けなくなって、座礁してしまうといわれている」・・・「海で生きているクジラにとって、耳が聞こえないことは致命的なことなんだ。・・・」・・・「命を救うことよりも苦しみから解放させてやるほうが大事なんだから」・・・

「人間とクジラを重ね合わせちゃいけない。人間の感情とか、人間の物語とか、そういうのをクジラに背負わせるのは俺は好きじゃないなぁ。・・・あいつらはただの野生動物だよ。あいつらにはあいつらの世界があって、あいつらのルールで生きてんだ。・・・そこに人間が介在するのはどうだろう、といつも思うよ。自己満足なんじゃないかと。・・・安楽死を考えたっていいんだ。欧米ではそうすることも多いよ」

 

 

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竹内薫『素数はなぜ人を惹きつけるか』を読む

2015年04月20日 | 読書2

 

竹内薫著『素数はなぜ人を惹きつけるか』(朝日選書503(素数)、2015年2月28日朝日新聞出版発行)を読んだ。

 

「数」の中でもっとも基本的な元になる数である「素数」。この素数の不思議な性質、出現のバラツキ具合を解りやすく解説し、素数の不思議に対する数学者の挑戦の歴史を語る。

 

後半は、数式が登場して難しくなる。ただ、この本の数式は計算するためのものでなく、鑑賞して楽しむものだそうだ。

また、13年周期あるいは17年周期で大量発生するセミ(蝉)、原子核のエネルギー準位や、超ひも理論、さらには音楽と素数が関連すると紹介される。

 

 

「双子素数」(「5」「7」のように差が 2 である2つの素数)

「三つ子素数」(「5」「7」「11」のように間隔が2や4である3つの素数)

「いとこ素数」(「3」と「7」のように差が4である2つの素数)、

「セクシー素数」(「5」と「11」のように差が6である2つの素数)

 

 

たとえば、アメリカのある地域では、13年周期か17年周期で大量発生するセミが存在する。このセミはある一定周期で発生するため「周期ゼミ」と呼ばれているが、素数の年に大量発生するため、別名「素数ゼミ」とも呼ばれている。なぜ13年や17年といった素数年ごとに大量発生するかといえば、それがセミにとって有効な生き残り戦略であるためだ。

 小さくて栄養価の高いセミは、捕食者に狙われやすいが、いくら食べられても生き残る個体がある一定数だけ存在すれば、絶滅を免れることができる。そのために彼らが取った手段が、素数周期ごとの大量発生。素数以外の周期で発生するセミも存在していたが、偶数年に現れるセミは、生存戦略上、とても不利だった。たとえば12と8の最小公倍数は24。12年と8年の周期で大量発生するセミがいたとすると、24年毎に発生時期が重なって交雑が起こり、発生する周期が乱れてしまうため、生き残り戦略を取ることができなくなってしまう。素数ならば、他の数との約数を持たないため、最小公倍数が大きくなり、同時発生する間隔が大きくなる。13年と17年であると、時期が重なるのは、221年後であるから頻繁に発生時期が重なることは考えにくく、生存戦略上有効であるようだ。

 

 

目次
第1章 素数を知れば、数学へのイメージが変わる
第2章 素数を知れば、日常のカラクリが見える
第3章 素数の歴史を知れば、人類の挑戦が見えてくる

第4章 リーマン予想が解ければ、歴史が動く
第5章 素数を知れば、宇宙の成り立ちがわかる
第6章 素数の見方を変えれば、その美しさが見える

コラム
1. 素数の英語は「prime number」
2. ゴールドバッハ予想とは何か
3. 冗句としての素数――ネットに溢れる異常な愛情
4. 和算と素数の関係はいかに?
5. ガウスは人類最高の数学者かもしれない
6. リーマンって超有名人?
7. チューリングが残したもの

 

 

竹内薫(たけうち・かおる)

1960年東京生まれ。サイエンス作家

東京大学理学部物理学科卒。マギル大学大学院博士課程修了。

『99.9%は仮説』『数学×思考=ざっくりと』など

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

後半難しい数式が登場するが、厳密には理解できなくても、形だけで雰囲気、おおよその形態、複雑さが分かり、楽しむとはいかなくても、文章だけより解りやすかった。あるいは解った気分になれた。

 

本文も、ユーモアある文章でわかりやすく、楽しく書かれている。また、コラムでより幅広く、深く素数を理解できるよう配慮されている。

 

 

 

以下、メモ

 

ゴールドバッハの予想(まだ証明されていない)

4以上の偶数は少なくとも一通りの2つの素数の和であらわすことができる。

なお、3つの素数を足すと7以上の奇数を表すことができる。

 

ミレニアム懸賞問題(解けば1000万ドルもらえる)

リーマン予想を含む未解決問題は6つ。ポアンカレ予想は解かれた。

 

オイラーの等式(世界一美しい数式)

eiπ+1=0

 

Polymath

数学の専門家や愛好家が集い、集合知を使って数学の問題に挑戦するインターネットの互助組織

 

リーマンの素数公式

 

π(x) は素数の個数関数で、x 以下の素数の個数、ただし、和はゼータ関数の複素零点 ρ 全体をわたる。

R(x) はリーマン関数

 

 

 

 

 

 

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北イタリア旅行 蛇足

2015年04月19日 | 海外

まず、アリタリア航空(ビジネス)の食事

昼 4品


朝 2品

中味は、


お土産を3点だけ。

ヴェッキオ宮殿で孫娘のために買った着せ替え人形だが、
誰かさんに止められたもの。

着せるとこうなる。


グッチ博物館からのお土産

大きな袋に入っているのは、

組み立てると、こうなる。ヴェッキオ宮殿?


皮細工工房で買った小銭入れ。しばらく使ってみることにする。
また、ポケットにジャラジャラに戻るかも。


あとは、蛇足の蛇足。
良い物が見つからなかったマンホール。

パドヴァ 8点


フィレンツェ 3点

ミラノ 2点

これで、長らく引っ張ってきた北イタリア旅行報告は完全終結

イタリアのマンホール、期待していたのに! 面白味がない物をクドクド並べてしまって「小さくなっています」。

 

 

 

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北イタリア旅行 食事

2015年04月18日 | 海外

旅行中の食事、写真が揃っているものだけご紹介。

なお、朝食は毎回ホテルのバイキングでした。

28日夕 ホテル CAVALLETTOE(ベニス)

シーフードリゾット(日本のおかゆ状と違ってお米が固い)

すずきのグリル、サラダ(どうゆうわけか、今回、魚は皆スズキだった)


フルーツサラダ

31日昼 グッチカフェ

まず、テーブルの上には

ステーキ

サーブしてくれる男性は、どの人もモデルと見間違うばかり。

オリーブも臭みがなくて美味

 コーヒー

味は普通だったが、砂糖もグッチの「GG」


31日夕 ベルコーレ

シーフードのキタッラ(ギター)

タイの紙包み焼き


コーヒーのセミフレッド


4月1日昼 L'ISORA DE TESORO

ミラノ風リゾット(これも日本風より米が固い)


ミラノ風カツレツ(肉を叩いて薄く伸ばしてパリパリに焼いた日本のカツレツの元祖)


アイスケーキ


2日昼 MANHATTAN

オレッキエッテのトマトソース(耳型パスタ)


エスカロップのワインソース

オレンジタルト


「イタリア料理って、安いフランス料理のことでしょう!」と言ったフランス人がいたが、けっこう美味しかったです。日本人向けに量も控え目でしたし。

でも、もう当分パスタはけっこうです。




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北イタリア旅行 ミラノ 2

2015年04月17日 | 海外

4月2日(木)、いよいよ明日は日本へ帰る。

朝9時にバスでホテルを出発。

窓から、パリのルーブル美術館の入口のような建築物と、ところどころで見えた看板をパチリ。

ミラノ国際万博が、2015年5月1日から10月31日までイタリアのミラノで行われるのだ。

サンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会に着く。


敷地内の修道院にある食堂の壁画が「最後の晩餐」


見学は完全予約制で、30分以上前に到着する必要がある。
1グループ25人までで、見学は15分。写真撮影・ビデオ撮影は不可。

写真は撮れなかったので、どうしても見たい方は、拡大図を。

一室に閉じ込められてビデオを15分見て、前のグループが居なくなってから、元食堂に入る。

想像していたのより絵は傷んでなく、修復技術に感謝。

次に行ったのは、あまり有名でない?、アンブロジアーナ美術館

レオナルド・ダ・ヴィンチ約40年間にわたり書き綴ったノートの一部「アトランティコ手稿」(幾何学、天文学、土木工学等多岐にわたるデッサンと注釈)が展示されていた。


絵画も、伝レオナルド・ダ・ヴィンチの「ある音楽師の肖像」などがあったが、写真撮影禁止なので、写真はない。
図書館が併設されている。

テラスからの写真を1枚だけ。


次に、ポルディペッツォーリ美術館へ

美術収集家ポルディ・ペッツォーリの私邸だった美術館で、絵画、ガラス工芸、陶磁器、日時計、刺繍作品、家具などを展示している。

入口を入って、2階へ入る階段が

優雅


チェーザレ・ダ・セスト「子羊と聖母子」
ルーブル美術館にあるダビンチの『聖アンナと聖母子』の模写だが、マリアの母聖アンナが書いてない。

「マルティ・ルターと妻カタリナ・ルターの肖像」

意志の強そうなルターにも負けないような奥さんの面構え


ピエロ・デル・ポッライオーロ「若い貴婦人の肖像」

切手などいろいろなところでみる絵だ。


肖像画の裏に中味の骸骨が描かれた絵があった。

 

武器のコレクションもある。


ホテルに戻ったあと、近くの食料品店「イータリー」へ


4月3日(金)出発して、約11時間、アリタリア航空で4日(土)に成田へ着いた。

成田の桜がお出迎え。

 



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北イタリア旅行 ミラノ 1

2015年04月16日 | 海外

4月1日はフィレンツェを離れ、イタリア高速鉄道イタロでミラノに向かった。

中央駅(サンタ・マリア・ヴェッラ駅)

欧米では多いと思うが、駅構内は出入り自由で、構内に切符販売機がある。

列車にも切符なしで乗れてしまうが、時々ある検札に捕まると法外な罰金を取られる。

乗ったのはこの列車。10時25分発。 

ITALOイタロは時刻どおりに走ることで知られているそうだ。

2列、1列とゆったりだが、2等車なので、ごく普通の車両。

徐々にスピードを上げて、時速300km。

遠くに見えるのはアルプスだろうか。

フィレンツェからミラノ、約300kmを2時間弱で到着。

ミラノのボルタ・ガリバルディ駅前は近代的なビルが並ぶ。

昼飯後、スカラ座へ。

正面の入口は安い切符では入れないので、左側面のこの入口から入場。

らせん階段には、古いポスターが並ぶ。

これは、1928年。スカラ座、オセロ、トスカニーニと読める。

待合室はこの写真の右に広がっている。スチール写真撮影が行われていて遠慮した。

シャンデリアも豪華

バレーのリハーサルが行われていて、運よく見学できた。

映画などでしか見たことない観客席

感激して、何枚も撮ってしまった。

トイレにも寄ったが、ごく普通。

待合室に並ぶ、トスカニーニ、

プッチーニ

併設されているスカラ座博物館には、有名オペラの楽譜、初演者ゆかりの品、オペラ衣装などが並ぶ。

マリア・カラスの肖像画。私の記憶よりかなり若い。


スカラ座広場の斜め向かいのヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアへ。

外見は修復中だが、中は通常通り。

アーケードが200m続く。

中央十字路のモザイク画に踵をつけて回ると良いことがあると言われており、いくら補修しても穴が開いてしまうという。


次にドゥオモへ。

尖塔は135本あり、最も高い108mの尖塔の先には、黄金のマリア像

完成まで500年かかったドゥオモの内部

荘厳なステンドグラス

お隣のデパート・リナシェンテをぶらぶらしてからガリバルディ駅前のホテル・アタ・エクゼクティブへ。

明日は、最後の晩餐を見るのだ。


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北イタリア旅行 フィレンツェ 3

2015年04月15日 | 海外

31日(火)の昼飯は、グッチ博物館の上のグッチカフェで過ごし(食事は最後にまとめて報告)

カフェから見下ろすシニョリーア広場には車が並んでいる。

外へ出てみると、フィレンツェ市がまとめて購入して電気自動車だった。

午後は、ヴェッキオ橋を渡ってピッテイ宮殿へ。

ポンテ・ヴェッキオ橋は人で一杯。

道沿いの上をヴァザーリ回廊が走る。

途中、ガイドさんがマキャベリが住んでいた家を教えてくれた。

ピッティ広場の壮大な建物は、ピッティが建てた宮殿で、約100年後にメディチ家が買い取り、コジモ1世と妻エレオノーラが改修した。

中に入ると、

奥に広大な庭園が広がり、

2階がメディチ家の住居でパラティーナ美術館になっている。


額の縁は立体的の見えるだまし絵。

ここにもルネッサンス期の名品が多い。

フィリッポ・リッピの聖母子

マリアの顔が優美でなく、幼子の顔が怖いので、ラファエロでないのが分かる。

これが、ラファエロ

ラファエロの

椅子の聖母

こんなものもあった。ナポレオンのお風呂。なんだか普通。

ラファエロは昔はこんなぽっちゃりが好みだったとか。

ラファエロの聖母子


教科書でおなじみのガリレオの肖像がもあった。


メディチ家の部屋も保存されている。

玉座

いったい何を入れるんだか?

金持ちはこんな部屋で本当にくつろげるのだろうか?


翌4月1日はフィレンツェを離れ、イタリア高速鉄道イタロでミラノに向かう。


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北イタリア旅行 フィレンツェ 2

2015年04月14日 | 海外

3月31日、午前中はウフィツィ美術館の見学。

中央駅そばのホテル・アルバーニから歩いて、フィレンツェ・ゴシック様式のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会を見て、

Roma通りを南に、一路、ウフィツィ美術館へ。

ヴェッキオ宮殿とアルノ川に挟まれたウフィツィ美術館は、メディチ家のコジモ1世がヴァザーリに命じて作らせた。最上階にメディチ家の美術品が飾られている。

ルネッサンス初期から始まる。

フィリッポ・リッピ「聖母子と二天使」

ピエロ・デッラ・フランチェスカ「ウルビーノ公爵と公爵夫人」

ずっと昔に見て、忘れられない絵だ。なにしろ、公爵のこの鼻。

なんといても、誰もが知っているボッティチェリ。

「ヴィーナスの誕生」

「春」

ダビンチの受胎告知

ヴァザーリの回廊は、ポンテヴェッキオ(橋)の2階を通り、午後行くピッテイ宮殿までのびている。

第2廊下を経て、

ミケランジェロ「聖家族」

ラファエロ・サンツィオ「ヒワの聖母」

マネの「オリンピア」の元になったティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」

驚くべき天才でありながら、殺人して逃げ回ったカラバッチオ。

さすがの迫力

午後、アルノ川を渡って行ったピッティ宮殿は次回。


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北イタリア旅行 フィレンツェ 1

2015年04月13日 | 海外

3月30日(月)、今日は一日フィレンツェの町を歩く。

Martelli通りを南へ行くと、ドゥオモ広場に出る。

右手手前が、修理中のサン・ジョヴァンニ洗礼堂。中央がドゥオモだ。

礼拝堂は覆いでおおわれているが、金細工師ギルベルティ作の「天国の門」だけは御開帳。

「花の聖母教会」と呼ばれるドゥオモは、色大理石の緑が鮮やか。

奥のオレンジ色の大きな円屋根は今でもどうやって作ったかわからないと聞いた。

良く見ると、天辺に人が登っている。

隣のジョットの鐘楼は414段の階段を登れば最上階のテラスに出られ、抜群の眺望だそうだ。あいにくこの時は眺望に興味がなく、そのまま通過した。

ジョットが第1層を手掛け、後は弟子などが仕上げたという。

そのまま、Calzaiuoli通りを南へ300mほど行って、シニョリーア広場に出る。

ヴェッキオ宮殿(市庁舎)前にはミケランジェロ29歳の作「ダヴィデ」像(レプリカ)、ドナテッロの「ユーディトとホロフェルネス」の像がある。

コジモ1世が居城としたヴェッキオ宮殿の2階には「五百人広間」があり、柱もなく見事な建築技術だ。

今年5月にミラノ万博が開催されるが、昨日まではプレゼンテーションのために入れなかった。舞台になにやら木組みが残っている。

39枚の天井のパネルにはフィレンツェの歴史が描かれている。

また、壁の巨大なフレスコ画には驚かされる。壁が乾く前にこんな大きな絵をどのように描いたのだろう。

ダンテのデスマスク。

メディチ家の使っていた部屋を眺めていると、お姫様が通った。


その後、ダンテの家の跡とダンテの恋人ベアトリーチェの教会へ行った。


多分、ベアトリーチェの墓


午後は、このSrozzi通りと直角するTornabuoni通りあたりのブラント街をぶらぶら。グッチ本店、フェラガモ本店、プラダ、アルマーニ、カルティエ、ルイ・ヴィトンなどがぞろぞろ。

恐ろしい地域を通過して、早めに中央駅近くのホテルへ帰った。


フィレンツェの街の壁で見かけた金具をご紹介。

 

昔、馬を止めておくための金具だという。したがって、これがあるのは、古い建物ということになる。

壁のこの穴は何?

ワインを届けるための入口だそうだ。


明日31日は、ウフィツィ美術館へ行ったが、次回に。


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北イタリア旅行 パドヴァ

2015年04月12日 | 海外

29日朝9時。ヴェネツィアから西に約50km、ガリレオやコペルニクスで知られるパドヴァ大学のあるパドヴァへ向かった。

ベニスのホテルの玄関から船で出発。

狭い運河を通って、

家々の間を抜けて、

少し広い運河にかかるリアルト橋に似た橋をくぐり、

さらに広い運河を進み、

恐竜の骨のような鉄道が走る橋をくぐり、

駅(サンタ・ルチア駅?)の傍で降りてバスに乗り、

パドヴァに向った。


まず、エレミターニ教会を訪れた。

イタリアの教会の屋根は木製が多い。

パドヴァ派の画家マンティーニの作品。

白黒の部分は書き加えられた部分。第二次大戦の爆撃でこの教会は粉々になったが、直前に撮影されていた白黒写真をもとに、ジグソーパズルのように復元した。

原形が半分もない絵もあった。執念だ。

復活祭前の日曜日ということで、オリーブの枝をもらって帰る人が多かった。

隣のスクロヴェーニ礼拝堂へ。

ジョットのイエスとマリアの生涯を描いた38点の作品が並ぶ。

たいていのところはフラッシュさえ光らせなければ写真OKなのだが、ここは、見学者を一室に閉じ込めてビデオを見せ、温度を一定にしてから入場させるという厳密な保全管理をしていて、写真も撮れなかった。

壁一面に絵画がべったり並び、天井は鮮やかな青に点々と星が描かれている。

ジョットは、イタリア・ルネッサンスへ導いた画家で、現代の目でみると、技術も幼く、顔も変に見えるが、それまでの絵の凍り付いたような顔、動きがまったくない絵画から、動きのある、感情が感じられる顔になっている。大きな変化だったのだろう。

パドヴァの町に出て、カフェ・ペトロッキへ。昔は、24時間オープンしていて学生は無料だったという。

エルべ広場

近くの道では花の市が開かれていた。

この後、バスでフィレンツェへ向かい、16時半にホテル到着。


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北イタリア旅行 ベニス 3

2015年04月11日 | 海外

28日午後はリアルト橋へ。

本日は土曜日。橋の上も、続く通りも小さな店が並び、人が一杯だ。

大運河、といっても幾分狭くなったところには、舟が一杯停泊している。


あまり遠くまで行く元気もないので、サンマルコ広場に戻る。鐘楼のエレベーターには長蛇の列で30分は並ぶという。上からの素晴らしいという眺めはあきらめて、広場の西端のコッレール美術館へ入る。

14世紀から18世紀のベェネツィアの日常を描いた絵画があるという。

ここもすべてが華美。

何を入れたのだろうか、想像もつかない物入れ?

多分、庶民が読めないラテン語などでかいてあるのだろう書物が一杯。

窓から広場を見下ろすと、朝は一人二人だったのに、人が一杯。

まだまで時間があるので、1720年創業というカフェ・フローリアンへ。

広場に面したオープン席は、楽団の演奏を楽しむ人で満席。

室内への入口はbarとカフェとあったので、禁酒主義の我々はカフェの方へ。室内は優雅な絵画と装飾に囲まれた優美な環境。

左がCiccolala in Tazza ホットチョコレート 10ユーロ

右がCaffe Latte アメリカンコーヒーにミルク 9ユーロ

ちなみに、こちらではコーヒーというとエスプレッソが出てくるので、普通のコーヒーはアメリカンコーヒーと言わないといけないという。

5分ほど歩いてホテル・カヴァレット&ドージェ・オルセオロに帰った。

明日は9時出発。バスで50分ほどのパドヴァに向かう。


 

 

 

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北イタリア旅行 ベニス2

2015年04月10日 | 海外

サン・マルコ広場の東側にあるドゥカーレ宮殿は、

1309年~1442年に建てられた歴代総督の公邸

入口を入ると

階段の天井が「これでもか」とばかり豪華

2Fの大評議室は隙間なく華麗に金で飾られ、絵画は優雅。

ティントレットの「天国」という絵があったはずだが、どれだろうか?

天井にも

いくつか部屋を通り、女性ガイドは、男性は興味あると思いますがと、武具の部屋へ。

この鎧、小さい。Henrici Ⅳは小男だったのだろう。

鉄砲から古式機関銃まで並べられていた。

窓の隙間から、「ため息の橋」が見える。朝は誰もいなかったのに、

見物する人で一杯だ。

午後は、リアルト橋などを見学したが、また明日。


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北イタリア旅行 ベニス1

2015年04月09日 | 海外

3月27日から4月4日までベニス、フィレンツェ、ミラノに旅行した。

アリタリア航空の成田・ベニス直行便は中止になるが、その最終便に乗った。機種はB777-200ER。

機内で見た新聞の一面には、「副操縦士 故意に降下」の見出し。まあ、気にしないことにする。

行きは南回りで、富士山の火口がばっちり見え、改めて活火山であると知らされた。

マルコ・ポーロ空港へ約15時間。日本語の映画6本をざっと見たが、しっかり見たのは2本のみ。「蜩(ひぐらし)ノ記」はなかなか良かった。もっとも、既に、原作を読んでいたのだが。


空港からバスで船着き場まで行き、そこから小舟でホテルに行った。この舟が座っても頭を下げないと天井にぶつかる低さで息詰まった。運河の橋の下をくぐるためにこの低さになっているのだった。


ベニスで最も古く1308年創業というカヴァレット&ドージェ・オルセロの入口に舟で着いた。

対面はハードロックカフェだった。

ホテルの部屋は狭く、老舗というのも問題だ。

ただ、場所はサン・マルコ広場に数分で、便利だと狭くなるということか?


28日、朝飯後、10時半の出発前に散歩。

サン・マルコ広場は人影もなく、ひっそり。


エレベーターに乗ろうと長蛇の列ができる高さ96mの鐘楼も今は静か。


サン・マルコ大聖堂は修理中。

5月からミラノ万博が開かれるので、ここベニスでもあちこち修理中だった。

宮殿と牢獄を結ぶ「ため息の橋」


対岸のサンジョルジュマッジョーレ教会


この後、ガイドさんと行ったドゥカーレ宮殿などは明日。


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