hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

水族館DVDを見て

2006年06月29日 | その他
水族館は好きで、旅行先で必ず訪れる。東京でも夜、水族館でパーティーができるところがあったと思うが、オーストラリアのパースの水族館では、寝袋持参で泊り込む小学生向けのサービスをやっていた。かねて、ゆっくり、のんびり水槽を眺めてみたいと思っていた。

バンクーバーのStanley Parkにある水族館で、水槽の中を泳ぐ魚をただ芸もなく延々と写したBGM付きDVDを見て、購入した。一種の環境DVD、癒しDVDとも言うもので、クマノミがイソギンチャクの周りを出たり入ったりしたり、いくつかの熱帯魚が水草の間を泳ぐという10分程度映像が7つほど納められている。「Tropical Fish Aquarium」と名づけられた米国、フロリダの会社製作のDVDだ。
実際、ノートパソコンの画面で見てみると、立体感がない、明暗のコントラストが小さい、など視覚的にも差があるが、画面が小さいこともあり、心理的インパクトがなく、やはり、実際の水族館で、次々と異なる水槽を見ていくのとは大違いだ。

そもそも、じっと注視するようなものではないので、ただ見ていると退屈する。ごろりと横になって寝転んでのんびり見ることにした。首が横で、映像が縦ではおかしいので、ノートパソコンを横に立て、首と画面の方向を一致させた。横に立てかけることを想定していないだろうから、熱設計上の問題があるかもしれないが、ノートパソコンを120度くらい開いて横にすると安定し、キーも打てて快適だ。

映像の中に、特別ボーナスとして、暗闇の中に暖炉の火がめらめらと燃える映像があった。上体を起こして横になったパソコンを見ると、火が横方向に燃え上がって、いや、燃え流れている。

以前、寝転びながら、CRTのTVをエイヤと横にして見たことがあった。最近のTVは横幅が大きく、横にすることを前提としていないようだ。当たり前田のクラッカー(このギャグ知っていれば古い人)。
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ブラームスとレスピーギを聴く

2006年06月25日 | その他
レスピーギの組曲「ボッティチェッリの3枚の絵」、交響詩「ローマの松」と、ブラームスの「交響曲第2番ニ長調作品73」を東京オペラシティコンサートホールで聴いた。

演奏はNTTフィルハーモニー管弦楽団で、残念ながらNHKではない。NTT関連会社社員のアマチュア楽団である。なかなか高水準で、定期演奏会も第19回になる。私はとくにクラシック好きではないが、知人も何人か出ているので7,8回は聴いている。勤務が忙しいだろうに良く練習時間がとれるものだ。

レスピーギを知らなかったので、調べてみた。
レスピーギRespighi (1879-1936イタリア)は、イタリアの作曲家でありながら、管弦楽法の大家リムスキー=コルサコフに学び、その最大の後継者である。管弦楽法とは各楽器の響きと特徴を最大限にひきだしながら朗々と色彩的に旋律と和声を鳴り渡らせ、多くの聴衆を魅了するとともに、オーケストラの奏者に鳴らす喜びを最大限にもたらす。

レスピーギは時代が新しいだけおなじみのモーツアルトやベートーベンなどに比べ斬新で、面白かった。「ボッティチェッリの3枚の絵」とは、有名な「春」、「東方三博士の礼拝」、「ヴィーナスの誕生」のそれぞれに対応する3曲よりなる。絵画鑑賞が趣味の私はそれぞれの絵画を思い浮かべながら聞くと、なんとなくイメージが沸いてきた。とくに「東方三博士の礼拝」は心にしみる曲だった。

ブラームスの第2番は、楽器間の移り変わりも美しく、オーケストラ全体が鳴り響くときも派手でなく統制がとれていて、かつ輝かしい。

CDやTVで聴くクラシックも悪いものではないが、生演奏とは別物と思う。どの楽器が演奏されているか目で見られるし、個別の楽器の音を聞き分けられる場合も多い。低音の響きも身体で感じられる。今回初めて2階席に陣取ったが、ドーム状になった高い天井で音が交じり合っているように感じた。フォルテだか、フォルティッシモだかになって全楽器がガンガン演奏始めたとき、反響して音が後ろから聞こえたと思い、後ろを見た。一番後ろの3階席に5人ほど並んで立ってトランペットなどを吹いていた。

今日は眠ることなく聞き終えた。思い出すのはロンドンへ着いて翌日だったか、ロンドンフィルを聞いたときだ。時差による睡魔に襲われ、身体が椅子に押し付けられ、床に吸い込まれるようになり、どうしても頑張りきれずぐっすり寝てしまった。今考えてももったいない。
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株主と経営者が主権を失う時代が来るか?

2006年06月24日 | その他
ライブドアや村上ファンドの登場、事件で「会社は株主のもの」という主張がメディアを一時にぎわした。現在は「会社は株主のものだけではない」という論調が支配的である。ちょっと考えてみれば当然ではないだろうか。

そもそも会社というものは、株主の資本による資産、設備などと、種々のノウハウを持つ経営者、従業員で成り立っている。大会社ともなれば、社会の一構成員としての社会的使命もある。
会社が株主だけのものであれば、例えば会社が社会に大被害をもたらしたときに、株主がすべて責任をとってくれるだろうか?否である。株主は株価を0にするまでの限定責任しかない。あの水俣病事件に対し、チッソは十分ではないだろうが、何年に渡って被害者に補償金を支払ってきた。株主は株価低落の損害を蒙っただけである。

2006年6月24日朝日新聞朝刊の村上ファンド事件特集の11で、岩井克人東大経済学部教授が言っている。
「大量生産型の産業資本主義から、製品やサービスに違いを出さないと利益がでないポスト産業資本主義になった。しかし、村上ファンドもライブドアも、やったことは「カネで買えないものはない」という時代遅れの発想の株買い占め。日本放送などヒトが財産のポスト産業資本の会社を買収しようとしたのに、利益の根源である社員や阪神ファンの反発をかった」
「巨額な設備投資が必要な産業資本の時代とは異なり、人的投資中心のポスト産業資本主義では、お金はだぶつき、世界を飛び回ることになった」

お金よりむしろ人的資源、知恵が必要になったこの時代に、お金だけで、株主の力だけで会社を動かそうというのは無理がある。今になって、一昔前の米国をまねして制度、法律を作ろうとする行政府も知恵がない。

日本の経営者はたいした実力もないのに米国にならい自分達の報酬額だけ数億円と高くする動きがある。年功序列賃金をやめ、リストラを断行した経営者は、人的資源を確保し、高めるための施策を開発しなければならない。
単なる能力給制度は既に多くの企業で破綻している。従業員全体のインセンティブを高め、かつ能力、実績のある従業員をいかに評価し、待遇するかが問題になる。失敗した企業が打撃を蒙る時代がくるだろう。

一時、従業員の発明に対する対価を大幅に上げる動きが大企業にあった。特許や売上高といった簡単に数値化される実績が評価対象になるのは当然である。転職が頻繁に行われるようになれば、科学技術論文の引用数のようにヘッドハンティング数や提示給与による評価が行われる時代がくるかもしれない。
経営者は従業員確保に必死になり、事件を起こしメディアの前で頭を下げる経営者でなく、社員にペコペコする経営者が見られるかもしれない。ノルマにあえぐ社員のはかない夢想だろうか。

以上
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バンクーバー一般情報

2006年06月23日 | バンクーバー
カナダ
カナダは世界2位の国土を持ち、日本の22倍あるが、人口は3100万人。しかし、北の方は気候が厳しく、ほとんどの人は米国国境沿いに帯のように住んでいる。

バンクーバー
バンクーバーはカナダ第3の都市である。しかし、British Columbia州(BC州)の州都はVictoriaであり、バンクーバーからフェリーで渡ったバンクーバー島南端にある。

バンクーバー市、Richmond、Burnabyなどを含むバンクーバー都市圏をGreater Vancouverという。バンクーバー市の北に半島状になったところにダウンタウンがあり、その先がStanley公園になっている。

バンクーバーの人口は220万人。そのうち在留邦人は1.7万人で極少ない。イギリス系が半分で、中国系、韓国系が増えている。

バンクーバーが2010年冬季オリンピック開催地となったこともあり、ここ3年でビルが大幅に増えた。中国系投資家により地価が急騰した。一般の人は、平均収入は日本の70%程度だから、家は郊外で45分、1時間の車通勤は当たり前になった。

入出国
滞在期間が6ヶ月以内の観光・商用ならビザ不要。入国はカードも書くし、審査もあるが、出国はセキュリティチェックのみで、審査は通路に立っている係官がパスポートと搭乗券をさっと見るだけ。
カナダから米国への入国は、9.11以前はバンクーバーからシアトルへ大リーグの試合を見に行くときにも、米国国境でイチロー・パスポート(試合の券)を見せればOKだった。今は、両人差し指の指紋と顔写真(虹彩?)をとられる。

治安
欧米諸国に比べ治安は良く強盗は少ないが、観光客目当ての置き引きは多いので注意。

昼間のダウンタウンのメインな通りは安全だが、夜間のギャスタウンGastownと、チャイナタウンChinatownは危ない。メイン道路の間の小道はゴミ箱あさりがいるので入らないようにする。メイン通りでも、攻撃的ではないが、寄付を求めるホームレスが多い。

市内交通
Translink社がバス、SkyTrain(電車)とSeaBus(フェリー)を運営していて、料金は共通で、90分以内なら乗り換えもできる。
SkyTrainは、運転者なしのコンピュータ制御です。駅にはとくに改札口がないので、切符を持たなくてもホームまで入ることはできます。しかし、車内改札がときどきありますので、有効な券を持たないと罰金をとられます。


車は右側通行で、右側の中央よりが追越車線。
相乗り推進のためのHOV(High Occupancy Vehicle)レーンとは車一台に3人以上乗っていると走れる優先レーンである。車に2つのマネキンを積んでHOVを走っていたそうだが、インドネシアでは、二人の子供を雇って車に乗せ、同じようなレーンを走るらしい。子供は反対方向の車を見つけて戻ってくる。カルフォルニアではハイブリッド車もHOVを走行可能。
BC州では、車は赤でも右折は可能になっているので、歩道からはみ出して信号待ちしていると危険。ただし、交通ルールは州によって異なる。

車は右側通行なので、渡るときはまず左を見てから右を見る。

バス停に名前はない。横切る通りの名前を見ていて、近づいたらひもを引く。

物価、税金
おおざっぱに言って物価は日本とあまり変わらないと思う。
ガソリン価格は、10年前はリットル35セント、5年前は50セント。今120セントで日本とほぼ同じ、カナダの東部では80セント。BC州では2010年オリンピックもあり、道路整備のための税金として120セントの約半分が使われる。
低所得者は、歯以外は無料で医者にかかれる。結果として、所得税は高く、1000万円以上の所得があると税率55%なので、「Brain Drain」優秀な人は流出すると言われている。
日本でいう消費税の国税分は7%で、BC州の州税分も7%の合計14%である。


観光
スタンレーパークの土地はバンクーバー市がカナダ連邦政府から毎年1ドルで借りている。
金曜の夜でなく、木曜の夜に外出する人が多い。木曜は夜遅くまで開いている店も多い。
Fraser川には、昔は金で有名だった。今は4年に一度の大規模なさけのそじょうが有名である。2006年は大遡上のとき。秋にはツアーもある。

お土産
カナダ名産に木についたまま凍ったぶどうで作った甘いアイス・ワインがあるが、ハーフボトルで5千円くらい。










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ロングステイとしてのバンクーバー評価

2006年06月22日 | バンクーバー
バンクーバーについてはまだ十分な情報を持っていないが、ざっと、オーストラリアのパースと比較してロングステイする上で良い点、悪い点を、私見で評価してみたい。いずれも、バンクーバーはダウンタウン、パースはシティでの比較になる。
パースをP, バンクーバーをVとし、○、△、×で評価する。
総合的に言うと、パースはのんびりするのに良くて、バンクーバーはパースよりにぎやかで、自然も規模が大きい。私は季節を選んで当面両方へロングステイするつもりです。

気候 P:○、V:○
どちらも夏はそれほど暑くなく、過ごしやすい。パースの夏は日陰は涼しいが、30度以上になり日向は熱く、紫外線が強い。冬は小雨だが雨の日が多い。バンクーバーの夏は20度前後と涼しく、冬はパースよりさらに雨が多い。季節を選べば、両者とも快適に過ごせる。

自然 P:△、V:○
両者とも、街中は季節には花があふれ、広い公園もあり、郊外には自然が一杯。パースには山がないが、バンクーバーには直ぐ近くに山がある。バンクーバーの方が規模が大きい。

町並み P:○、V:△
パースは英国風の建物が多く、市内はゴミもない。バンクーバーは近代的ガラスの建物が多い。

文化、繁華街 P:×、V:○
パースは田舎町で小規模だが、バンクーバーは大都市。

旅行先 P:△、V:○
パースは自然を求めた近郊への旅行のみだが、バンクーバーはそのほか、シアトルなど大都市へも行くことができる。近郊の自然も規模が大きい。

対日感情 P:○、V:○
両者とも、基本的に異人種への蔑視の感情はあると思うが、表面に現れる悪感情はない。両者とも経済的に日本との結びつきが強く、親日家が多い。

時差 P:○、V:×
パースは時差1時間と問題ないが、バンクーバーは16あるいは17時間と時差がきつい。

航空運賃 P:○、V:△
季節や、滞在期間により異なるが、2ヶ月間有効な割引正規運賃で比較すると、パースが6.3万円から13.5万円。
バンクーバーは9.9万円から21.1万円(燃油特別付加、空港使用料など含まず)で多少高め。

滞在費 P:○、V:△
郊外は不明だが、非常に便利な場所では滞在費はパースより高めだと思う。
アパートメントは、パースでは2ベッドルームが普通だが、バンクーバーでは1ベットルームが主体で多少狭い。

物価 P:○、V:△
日本の首都圏と比べると、パースでは食料品は安く、一部高いものもあるが全般的には物価は安い。
バンクーバーはざっくり言って日本と同じ。

治安 P:○、V:△
どちらもコソ泥には注意が必要だが、強盗などは少なく、安全。
パースはアボリジニの人がアルコールを飲んで座り込んでいたりすることがあるが、ホームレスは少ない。
バンクーバーのダウンタウンはホームレスが多く、危険なことはしないが、ゴミ箱をあさったり、寄付を求めたりする。また、地域によっては夜間危険なところがある。

交通 P:○、V:×
パース市内は分かりやすい無料バスがあり、電車も無料区間がある。市バスは知らないところに行くのはなかなか難しい。自動車も、渋滞はなく、わずかな金額の有料駐車もどこでも可能。
バンクーバーは電車でいけるところが少なく、バスは良く知らないと難しい。道路は渋滞が多く、一方通行が多く、右側通行で運転が困難。

チップ P:○、V:×
パースではチップは必要ない。バンクーバーではレストランなど15%程度必要でなれないと面倒。
以上



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北朝鮮工作船を見た

2006年06月21日 | その他
横浜の山下公園から、みなとみらいをぶらついた。

赤レンガ倉庫前でキリンビールがWカップ日本サポータのためのテントを立てていた。試合を写す大画面、グッズ、各選手のユニフォーム、キリンカップなどが展示されていた。応援メッセージを書いて「SAMURAI BLUE 2006」と入った80cmもある旗をもらった。これどうしよう?

赤レンガ倉庫の中のショップをぶらぶらして、外に出ると、海岸縁に「海上保安資料館横浜館」があった。「工作船、保存」の文字が見える。中に入ると、2001年12月、巡視艇と銃撃戦になり自爆、沈没した北朝鮮工作船が保存、展示されていた。船の科学館に展示されていたのが、横浜に来ていたとは知らなかった。
小さな船と聞いていたが、実際見るとけっこう大きい。全長30m、44トンとある。船首の片側に弾丸が入り、反対側から抜けた痕がいくつもある。船尾にも同様な貫通痕があった。巡視艇が、人がいないところに打ち込んだためだそうだ。海底から引き上げた赤錆の船体、回収した武器、所持品の展示を見ると、当時の衝撃がよみがえる。

TVで一部見た覚えのある銃撃映像が映写されていたが、双方の音声が加わっていて、今でも生々しい。おそらく麻薬がらみのとんでもない犯罪であり、自制しながら断固たる措置をとった巡視艇の措置が誇らしい。しかし、船もろとも工作員も自爆したと聞くと、「キムジョンイル万歳」と言ったかどうかは知らないが、何か戦争中の日本人を思い出し、やりきれない思いとなる。

工作船の展示説明にもいかに海上保安庁ががんばっているかが書いてあり、映画「海猿」のポスターも張ってある。資料館の隣の建物の壁を厳しい指示を受けながらロープで下りてくる人がいた。デートスポットで彼女と手をつなぐニヤニヤした男性達の目の前で、男らしい訓練を見せ付けるなど、海上保安庁もなかなか宣伝上手だ。


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戦後の記憶  (2)食糧難

2006年06月19日 | 昔の話
私は終戦時2歳半。戦後直後のかすかな記憶の中で、一番強烈なのは、食べるものが無く、いつも腹をすかしていたことである。日本中が食料難であったが、田舎を持たない東京人で、貧乏家庭であったから、より悲惨であった。

ふかしたサツマイモや、おすましにうどん粉を落としたスイトンが主であった。普通のお米(白米)はなく、たまに細長いタイ米がグリーンピースの中に混じったり、たっぷり薄めたおかゆになって出てきた。おかずはおからが多かったと思う。魚も珍しく、肉などついぞお目にかからなかった。おから、おからと続き、口の中がパサパサしてくるので文句を言うと、「あら、おからは栄養があるのよ」などと言う。今なら親がいかに苦労していたか、わかるのだが。そういえば、おからで廊下磨きもよくやらされた。

我が家でも現在、本当の厳しい食糧難の時代を知らない奥さんは、時時、人参など混ぜて体裁良く作ったおから料理を出してくる。美味しい、不味いではなく、私は食べることができない。

鯨が唯一の蛋白源で、毒々しい赤色に染まった鯨のベーコンが美味しかった。鯨肉もときどき食べた。私の身体の芯は鯨で出来ていると思っている。資源管理を守るなら、捕鯨は禁止すべきではない。鯨を食べる日を作って、あの時代を思い出し、感謝と功徳を捧げたい。

たまに食卓に魚など出ようものなら困ったことになる。子供はひとりだったので、問題ないのだが、母は半分位食べて、「お母さん、なんだかお腹が一杯になっちゃった。○○食べてよ」などと言う。お腹一杯になるはずないとは思うが、身体が魚の方へ寄っていってしまう。再度催促されて、ついつい箸をのばす。天寿を全うした母だが、亡くなる間際まで、「○○には何もしてやれなくて申し訳ないね」と言っていた。母親とはせつないものである。感謝! 今も世界中にお腹をすかせた子供がいることを忘れまい。

米穀手帳

1941、42年からお米が配給制になり、このとき各世帯に交付されたのが米穀台帳で、正式には米穀配給通帳という。1981年に廃止された。
米穀通帳には、氏名、住所、家族構成などが書かれていて、これがないと米屋で米を買えないという大切なもので、今の健康保険証や自動車免許証のように身分証明書代わりでもあった。

この時代には、個人が直接農家の方からお米を買うことは、ヤミ米といって食糧管理法違反という犯罪だった。ヤミ米を食べることを拒否して餓死した検事さんだかが確か居たと思った。配給だけでは当然足りないのでヤミ米が出回り、農家から米を買って都会へ持込むかつぎ屋がいた。かなり年とったおばさんが百キロはあろうかという荷物を担ぎ、何人も電車に乗る。ときどき警察の手入れがあり、没収される。たくましい時代でもあった。

尋ね人

戦災で家を焼かれ、家族がばらばらになった人、外地から帰還し、焼け野原で家族を探す人などが多くいた。

子供の頃、昼間の決まった時間だったと思うが、ラジオで尋ね人情報を放送していた。「昭和○年ごろ、○○町にいた○○さん」とか、「○○中学○年卒業の○○さん」などと、次々延々と単なる尋ね人情報が読み上げられていく。子供の頃は、世の中とは家族も知り合いもいつの間にかバラバラになり、尋ね人の放送があるのが普通の状態だと思っていた。昭和21年から10年間続いた。

親を失った子供(戦災孤児)も多く、浮浪児(子供のホームレス)と呼ばれた。上野の駅の近くの地下道の暗がりで、目だけギラギラした浮浪児がたくさんいるのを見たような記憶がある。

傷痍軍人

街角や、電車内で、手や足がなく、あるいは義足、義手で、白い服を着た人が、胸の前に箱をぶら下げて、寄付と求めていた。アコーディオンを弾いている人もいた。丁寧なお辞儀に大人は目をそらしていた。
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昔の名前が出てきます

2006年06月18日 | 昔の話
国電を降りると、テクシーで家に向かう。前を行くギャルの柳腰が気になり、追い越して振り向くと、バックシャンだった。「ガチョーン!」

格子戸をくぐり、玄関で、こうもり傘を置いて、シャッポを脱ぎ、襟巻きをはずし、ズックを土間に脱ぎ捨てる。居間のちゃぶ台とおひつをチラッと見て、奥の間に入り、国防色のズボンを脱ぎ、股火鉢で暖まりながら、「ああ、俺ってナウイなあ」と思う。


国電:JRが国有鉄道(国鉄)だったので国電という。私の親父は省電と言っていた。鉄道省だったから。
テクシー:タクシーに乗らずテクテク歩くこと。親父は円タクと言っていた。1円で乗れたから?
バックシャン:後姿だけが美しい人。シャンはドイツ語で美しいこと
シャッポ:元はフランス語。帽子のこと。
ちゃぶ台:畳に座って食事するとき使う、折りたためる4脚を持つ低いテーブル。怒ったとき、ひっくり返すもの。
おひつ:炊いたご飯の入れ物。保温するため小さな布団でくるむこともある。
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計算機昔話 

2006年06月17日 | 昔の話
私は研究所務めだったので計算機はとくに若いときは良く使ったが、コンピュータの専門家ではないので、以下、利用者からみた計算機の昔話をしたい。

そろばん
子供の頃、母が使っていたそろばんが5つ玉だった。見ていると、下の段の5つ目の玉は動くことが無い。
「その玉はどうしてあるの?」と聞くと、母は困った顔をして、「そうねえ」と言うばかりだった。小学校で買わされたそろばんは4つ玉だった。いまだに、なぜ昔々のそろばんは5つ玉だったのかわからない。

計算尺
最近の人は計算尺なるものをご存知なのだろうか。30cmくらいの長さの板状の計算道具で、桁数は暗算で求め、有効数字3桁ほどの乗除算を素早く求めるのに使う。2つの数の掛け算がlogをとると足し算になることを利用している。工学系の計算に便利で、1970年ぐらいまで良く使った。
もっと有効桁数が必要な場合は、7桁の常用対数表という丸善から出ていた冊子をめくって対数計算で乗除算の答えを求めた。

タイガー計算機
数値をセットして、ハンドルを回すと答えが出る手回し計算機械だ。中味は歯車の固まりで、論理機械の傑作、究極の姿だと思う。加算減算もできるが、乗算は123*456なら、123をセットし、まずハンドルを6回転し、桁送りしてから5回転し、さらに4回転すると答えが得られる。面白いのは除算で、除数をセットしハンドルをマイナス回転していくと、チーンと音がしたら1回転戻す。大学の研究室で、大勢並んで計算していると、あちこちでチーン、チーンと音がしたのを思い出す。
概算を求めるときは計算尺で、正確な値はタイガー計算機を使ったものです。

ファシット計算機
タイガー計算機の歯車をモータで回すような仕組みのもので、AC電源が必要だった。会社に入ったらタイガーがファシットになっていて、やはり金があるところは違うなと思いました。

計算尺、タイガー計算機、ファシット計算機ともに、電卓が出てきてあっと言う間に駆逐されました。

電話機での関数計算
あまり一般的ではなかったと思いますが、電電公社(現NTT)のセンタ(多分、DRESSか、DEMOSといったと思います)に接続し、電話機からダイヤル入力し、音声で回答を得る方法がありました。

具体的には、接続状態で、プッシュホンのダイヤルの組合せで計算したい関数を登録します。あとは計算したい数値を入力すると合成音声で回答が聞こえます。

例えば、実験結果の分散値などを求めるのに便利でした。私は、右に置いたデータ用紙を見ながら、左の電話機ダイヤル上で、左手でブラインドタッチでデータ入力をして、電話機に差込んだイヤホーンで回答を聞いて、右手で結果を用紙に書き込んでいました。
このおかげで、電卓にとって代わったときに、電話機と電卓のキー配置が異なるため、しばらく電卓入力に苦労しました。電話機は当時CCITTという通信関係の国際機関が標準を決め、計算機はISOが標準を決めていたので、両者のキー配置が異なってしまったのです。

電卓
継電器と言われるリレーを用いたリレー式計算機と言うものがあったようですが、私には記憶がありません。1960年代にはトランジスタを使った電子式計算機が登場、普及しました。70年代に入ると、LSIが使われ、AC電源から電池に代わったので一気に普及し、四則演算は電卓と決まりました。

関数電卓
SIN、COS、ルート、指数など関数が使える手の上に乗る電卓がYHP(現HP)から1970年ごろ販売され、手にしたときは驚きでした。今でも端が少し立ち上がった黒っぽい薄いきょう体に、ずらっと並んだ小さなキーと赤いLED表示を思い出します。センタの大型計算機と電話機の組合せが、小さな関数電卓に完全にやられたと思いました。

大型コンピュータ
メインフレームと呼ばれる大型コンピュータはIBM360がもっとも有名です。私の属する研究所にはIBM360を追って開発されたNECのNEACなど(富士通のFACOM、日立のHITAC)があり、専属のオペレータがいる計算機室の棚にプログラムを時間までに置いておくと、夜計算機にかけ、翌日プログラムリストと計算結果が打ち出された紙が棚に置いてあるというシステムになっていました。

プログラムは、FORTRANという数式ほぼそのままのような言語で書きます。FORTRANはBASICとほぼ同じような言語です。コーデイングシートに手書きして、英文タイプライターのような端末から入力すると、確か80カラムの穴が開いたIBMカードが1ライン、1枚できます。このカードをライン数だけ束にしたのがプログラムになります。紙テープに落とすこともできたと思いますが、テープだと順序を入れ替えるなどの訂正が容易でないので使いませんでした。

このカードの束の端面にマジックで斜め線を書いて順序を分かるようにしていました。カードの束を棚に入れておくと、オペレータが計算機にかけて結果のプリントアウトを棚に入れておいてくれる。一日一回の計算依頼しかできない。どこかバグがあれば、一日が無駄になる。

受付時間ぎりぎりで廊下を走り、転んでカードをばらまき、整える時間がなく、だめなのはわかっていたが、そのまま棚に入れた。プログラムリストを紙に打ち出してもらえるので、翌日カードをそろえるのが楽なのであえて「Fatal Error」をもらった覚えがある。
繰り返し計算させてある値の範囲に収束させるプログラムで、収束条件を厳しくしすぎて、と言うか発振条件だったので、数時間計算機を無駄走りさせたこともあります。

μCマイクロ・コンピュータ
1971年、μCマイクロ・コンピュータが登場した。私の場合は、マイコンを主に機器の制御に使ったので、マイクロ・コントローラといった方が良いかもしれない。数式そのもののようなFORTRANを使って数値計算プログラムを作っていた身には、計算機の構造を理解し、アキュムレータだの、レジスターだのを頭においてプログラムを書くのは足し算一つでも大変だった。当時は確か単純な4ビットCPUだったのですが。

プログラマーに作ってもらい、使いながら一部を自分で変更するのがせいぜいでした。しかしながら、実験装置の制御は従来作りこみで固定だったのを、マイコン制御にして、状況にあわせてプログラムで変更できるのはたしかに便利でした。

初期のパソコン
1977年ごろ8ビットCPUを持つトレーニング用組立マイコンキットTK80が販売され、いたずら程度にさわっていました。
1980年ごろ、アタリ社のパーソナルコンピュータで、確か磁気テープからプログラムをロードして、テーブルテニスや、インベーダのゲームで遊んだ覚えがあります。
1983年に8ビット機の統一規格「MSX」が提唱され、各社対応パソコンが販売されました。個人的に購入し、ROMで出来たゲームソフトを買ったり、簡単なゲームを作って遊んだりしたが、すぐあきてしまった。また、この規格も半導体のすさまじい進歩によって、あっという間に時代遅れとなってしまった。

ワープロ
ワープロは、親指でシフトするOASYSキーボードでブラインドタッチで入力していた。不思議と、パソコンに向かい最初の1,2文字打つと、自然にQWERTY配列でブラインドタッチできる。
私の場合、紙に書いたものをワープロで清書するという使い方は少なく、内容や文章を考えながらワープロを打つことが多い。したがって、入力速度はそんなに厳しく要求されないが、ブラインドで打つと、目がディスプレイを見たままになるので、考えが中断されない。

大学で自由選択科目だったが、英文モールス信号を聞き英文タイプを打つ授業をとった。会社に入って、英文で論文を書くとき、下書きの英文を目で見ながら、モールスに直しつぶやく。すると、手が自然と動き、キーと打つ。そんな、英文、モールス、キーを繰り返していると、人間とは不思議なもので、いつのまにか、間が抜けて、英文、キーになっていた。

そして、現在へ
IBM-PCが1981年発売になってから現在までの進展は私には一瞬に思える。
パソコンOSもMS-DOSからWindows3.1、95、2000、XPと複雑で重くなっていったが、ハードの速度、記憶容量が飛躍的に向上して行ったので使い勝手はたしかに良くなっていった。XPで安定性も増した。自宅のパソコンもいったい何代目なのかわからなくなった。

退職した現在では、メール、ブラウザの他は、主にワードを使い、エクセルを時々、会社でよく使ったパワーポイントは使う場がない。あとは、Paint Shop Proで遊び、HTMLでホームページを作るくらいで、プログラムとは縁遠い世界にいる。
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バンクーバー・ロングステイ下見(17) 帰国

2006年06月15日 | バンクーバー
5月30日から6月14日までのバンクーバー15日間ロングステイ下見ツアーに参加した。
今日はその(17)

ロングステイで困る点の一つは、帰国時の残り物の処置である。お米などの食料、醤油などの調味料、洗剤など期間内にちょうど使い切るのは難しい。わざわざ持ち帰るまでもなく、たいした価格のものでもないので捨てればよいのだが、物のない時代に育った身には、「もったいない」が先にたつ。
非常に美味しいイチゴジャムが最後のパンにたっぷりつけても、かなり余った。思いついて、紅茶にどっと入れてロシアンティーとシャレてみた。「ウーン。濃厚!」プチ贅沢気分。

バンクーバーではTVでもカナダが出場していないWカップの話題はほとんどない。インターネットニュースで日本の敗戦を知った。日本のマスコミの期待を高めようとする報道に、「?」であったので、残念とは思ったが、やはりとの感もした。
帰国の日、13日の朝9時半ごろダウンタウンを空港に向かう車の前に、窓から身を乗り出し、旗を振り回して大声を上げる2台の車があった。韓国がワールドカップで勝利したのを喜んでいる。私には恥ずかしながら愛国心はかすかだし、差別意識もないと思うし、とくにサッカーファンでもないが、なぜか面白くない。はでに騒がれると、「まあ、なんでも興奮する人たちだからな」と自分に了解させようとする。了見が狭さが露呈する。

韓国には徴兵制があるので、徴兵逃れのため、移民を受け入れやすいカナダに留学する若い男性が多いという。彼らは、留学後に帰国すれば、徴兵となるため、必死に勉強し、職にありつき、なんとかカナダに永住しようとする。多くの日本人の遊び半分の留学に比べ、すさまじい勉強ぶりだそうである。かっての欧米での日本人留学生のように。



写真はピンボケではない。空港にある大画面TVの映像である。LEDが荒くならんだLED・TVというより電光掲示板である。Wカップのフランス対スイスを中継しているのに、見ている人は少ない。興奮して声を出すのは韓国の人だけである。それにしても、ジダンもアンリも冴えない。

日本航空のJl017、747-400はほぼ満席だった。日本人は少なく、成田経由で香港などに行く人がほとんどのようだった。例によって、映画を4本見た。

「明日の記憶」:若年性アルツハイマー症にかかるサラリーマン(渡辺謙)と、妻(樋口可南子)の話で、若年性でない心配がある私は、となりで同じ映画を見ている連れ合いをそっと観察してしまった。

「アメリカ、家族のいる風景」:落ち目の放蕩を重ねた映画俳優が、生まれたのを知らなかったわが子を尋ねていく話で、子供のまま図体だけ大きくなったような男が、過去を悔やむ話。我慢の連続で地味な生活を送ってきた蟻としては、「キリギリスさん、そんなの割り切ってたんじゃないの」と言いたくなるが、なんとなく雰囲気はある映画。

「寝ずの番」:ハチャメチャな生活を送ってきた落語の師匠をしのぶ日本映画。卑猥な話が最初から続き、となりが気になるが、ただなら見る映画。

「マッチポイント」:テニスプレーヤが金持ちの令嬢と結婚するが、浮気してその相手を・・・・・。どこにでもある話。ただで、することがないときなら、見る映画。


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バンクーバー・ロングステイ下見(16) バンクーバーで目に止まったもの

2006年06月13日 | バンクーバー
5月30日から6月14日までのバンクーバー15日間ロングステイ下見ツアーに参加した。
今日はその(16)

いよいよ明日午後の便で帰国する。荷物詰め、部屋掃除もあらかた済んだ。バンクーバーのダウンタウンで目に付いたものを並べてみたい。

            

ダウンタウンのところどころには、いろいろな格好をした熊が立っている。たいていはハデハデな色彩であるが、中でも一番人気で良く人と一緒に写真を撮られているのが、ダースベーダーだ。数年前は熊でなくシャケだったというが、いったいどんなシャケだったのだろうか。

   

自転車を止めておく器具がところどころの歩道やビルの入口にある。また、上の2枚目の写真の左端にある棒の上に円盤が付いたものは、車椅子の人がドアを開けるためのスイッチである。どうせなら自動ドアーにすれば良いのにと思う。バンクーバーは車椅子で利用しやすい都市として表彰されたことがあった、と聞いた。すべての歩道の段にはスロープになっている部分があり、電車もホームとの隙間は3cm位しかない。街ではよく電動車椅子の人を見かけた。逆に、日本に比べ目の不自由な人を見かける割合が少ないような気がする。

   
バスはガソリン車が多いが、トロリーバスも走っている。2枚目の写真は架線である。東京でも昔々トロリー都電が走っていた。曲がり角でときどき、車掌さんが降りてきて、パンタグラフ(?)を曲がる先の架線に付け替えていたのを覚えている。



駐車スペースにはたいてい、このいかにも古いパーキングメータがついている。

   
真ん中の3つが郵便ポストで、両脇は新聞スタンドである。どこの国でもポストは赤いようである。次の写真の円筒形のものは消火栓である。

   

日本ではやっている古本屋があった。次回からは重い本を持ってこなくても良い。
ホテルの壁に各国旗と並んで日の丸があった。外国で日の丸を見ると愛国者になると言うが、非国民のせいか、特に何も。赤の色も、血の色とまでも言わないが、嫌な色だ。そもそもおもむきがなく、デザイン的に好きになれない。

明日からはその日本。今年はあと一回、オーストラリアのパースへいくつもりなので、いま少し、ゆっくり味わってみたいこのバンクーバーへ来られるのは、冬を避けて来年春過ぎになると思う。そんなわけで、このブログが種切れの時は、また、昔の話でもしますか。

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バンクーバー・ロングステイ下見(15) バンクーバー・ダウンタウン

2006年06月13日 | バンクーバー
5月30日から6月14日までのバンクーバー15日間ロングステイ下見ツアーに参加した。
今日はその(15)

いよいよ明日午後の便で帰国する。バンクーバーのダウンタウンをざっとながめて気づいた点を書いてみたい。

      

バンクーバーのダウンタウンに入って驚いたのが、なにしろガラス張りの細くそびえる高層ビルが多いことである。地震国日本から来ると何か異様な光景に思える。2枚目の写真はダウンタウンで一番高いSheraton Vancouver Wallである。3枚目のように今も建設中のビルも多い。バンクーバーに住みたい人が多いとは聞くが、こんなにも需要が高いのかと思う。

      

ダウンタウンの道路は基本的に碁盤の目のようになっていてわかりやすい。交差点には名前がなく、道路と平行の通りの名前を示した看板がぶら下がっている。メイン道路には裏道があって、電線が延び、ゴミ箱をあさるホームレスがいて、近づかないほうが良い場所になっている。

   

バンクーバーは貿易港でもあり、長々とつづくコンテナ、港から荷揚げするクレーンが並ぶ。また、アラスカ航路への豪華客船の船着場や、ヘリポートなどがある。



繁華街が立ち並ぶダウンタウンには、ほぼ同じ面積を持つスタンレー公園が隣接している。

      

街中で目立つのが、喫茶店である。なにしろ、あのスターバックスの発祥の地米国シアトルの近くである。そこいらじゅうにある。また、日本にも進出しているBlenzもバンクーバー発である。Tim Hortonsのドーナツは安くてうまい。Tim Hortonは有名なアイスホケー(?)の選手でドーナツ屋を起業、繁盛したが、44歳の若さで亡くなった。共同経営者がさらに拡大している。

   

オーストラリア・パースにたくさんあるSubwayもいくつか見かけたが、オーストラリアほどの勢いがない。また、Denny’sという24時間営業レストランも見かけた。さびれた感じだったが、あのデニーズなのだろうか。
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バンクーバー・ロングステイ下見(14) Lonsdale Quay Public Market

2006年06月12日 | バンクーバー
5月30日から6月14日までのバンクーバー15日間ロングステイ下見ツアーに参加した。
今日はその(14)


今日、日曜日は、ダウンタウンからSeaBus(フェリー)に乗ってNorth VancouverのLonsdale Quay へ行き、マーケットなどをぶらついた。




ダウンタウンの北西のWaterfront StationからSeaBusに乗る。料金は通常ゾーン2だが、スカイトレイン、バスも含めて、土日祝日と平日6:30pm以降は乗車区間に関係なくすべて1ゾーン料金になる。したがって、1ゾーンの回数券を青色のTicket Validatorに挿入して有効時間を印字させてから入場する。フェリーはバンクーバーのWaterfrontから Burrad Inlet(入江)を渡り、 North VancouverのLonsdale Quayへ12分で到着する。平日は15分おきで、夜間と日曜祝日は30分おきとなる。400人乗れ、便数も多いので普通の交通手段になっている。




フェリーから見るNorth Vancouverは高層ビルが並ぶ都会に見えるが、その奥は直ぐ山が迫っている。


   
フェリーが到着したLonsdale Quayには、バスターミナルや、マーケットがある。マーケットは3階建てで、見晴台から見るダウンタウンのスカイラインは視界一杯に広がり、左手には繁栄する貿易港であることを示すクレーンが並んでいる。同じような景色が見られるオーストラリア・パースがいかに田舎かわかる。


   

マーケットの1階は新鮮な果物、魚、パンなど食材売る店が並ぶ。細かく切った果物を20種類ほど並べてあり、好きなものをプラスチックのパックにとると、重さを量って値段が決まる。果物好きな私にはなかなか良いシステムだと思った。2階は小物の店が並ぶ。1階ではバイオリンの演奏、屋外では南米系の笛の演奏をしていた。レストランやフードコートもあり、ハンギング・バスケットの花やBurrad Inletを眺めながらの食事も良いものだ。


   
Lonsdale Quayから入江沿いに数分歩くと、高いビルで隠れていた山々が見えるようになる。
水辺に祈念の看板があり花輪がささげられていた。看板には以下のような趣旨が書いてあった。
「BC州生まれのGray氏は1945年8月9日に日本近海を飛行中に砲火を受けたが、そのまま飛行し爆弾を落とし、駆逐艦を沈めた。しかし、彼もそのまま海に突っ込んでいった。27歳であった。彼はそれまでの功績とあわせ、第二次大戦中にカナダ海軍ではVictoria Crossを受けたただひとりの人である」
8月9日といえば、1週間後には終戦であったし、勲章を受けたとしても27歳というのも無念である。一方、沈められた駆逐艦にも日本人の乗員はいたわけだし、戦争はむなしい。オーストラリアでもこのように戦死した人をたたえる街の中の小さな、身近な施設がよくあった。日本での近年の靖国論議を聞くと、戦死した方をほとんどの人が素直に悼み、感謝することができる施設をなんとか作るべきだと思う。













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バンクーバー・ロングステイ下見(13) Vandusen Botanic Garden

2006年06月11日 | バンクーバー
5月30日から6月14日までのバンクーバー15日間ロングステイ下見ツアーに参加した。
今日はその(13)


昨日、9日(金)、買物に行こうとしたら、エレベータが動いていない。誤動作だが時々火災報知器も鳴るし、一度下りてみるかと19階から階段を下りた。ドーナッツで有名なTim Hortonsで昼飯を食べて、ぶらぶら歩いて買物して帰ったら、まだエレベータが動いていない。「電気的故障で、5台ある内なんとか1台だけでも動かすように努力しています」との張り紙がある。散々待ったが、一向に動かない。他の人は平気で階段を登っていく。ついに決心して19階を目指す。階段の途中で降りてきた人に驚かれたが、「Good exercise」と負惜しみを言う。足がパンパンになって部屋に戻り、金曜日はそのままどこにも出かけず。


今日、土曜日は、ダウンタウンからバスに乗ってQueen Elizabeth Parkへ行き、Vandusen Botanic Gardenへも足を延ばした。




Seymour Stから15番のCambie行きのバスに乗った。Vandusen Botanic Gardenに直接行くのは、17番のOAK行きに乗って、37番Avenueとの角で下りればよい。


   

ゾーン1の10枚回数券Faresaver Ticketsを買ってあったので、ちぎって、バスの運転手の前の箱に挿入する。方向を間違えて運転手に直された。磁気ストライプのある面を手前に角が欠けた方を上にして挿入するのが正しい。運転手に「Queen Elizabeth Park」と言ったが、分かったのかどうか。




バスはいったんWest Pender Stに出てから、Cambie Stを南へ行く。Cambie Bridgeを渡り、ダウンタウンからバンクーバー市に入り、Cambie Stをそのまま南下して、 6th Ave、7thAveと横切る。番号が飛び飛びだが、だんだん大きくなるので分かりやすい。33th Avenueで下りる。左手にQueen Elizabeth Parkの入口がある。


   

Queen Elizabeth Park は27th Aveから37th Aveまで広がる大きな公園で、入場は無料だ。各種庭園、温室、テニスコート、パターゴルフコース、レストランSeasonsなどがある。枝が垂れて地面についている変な木が入口の脇にあった。公園に入って直ぐの橋から見下ろす庭園は箱庭のようで直ぐにでも下りて行きたくなる。




法輪大法と書いた看板が置いてあり、そばで座禅のような格好で座り込んでいる人がいた。中国政府ももてあましている法輪講だろうか。別のグループが太極拳らしき動作をしている。




Bloedel Conservatoryと言う名前の温室に4.35ドル支払い入った。積み重なる樹木の中に色あざやかな珍しい鳥がいる。




公園の中ほどに進み、Seasonsというちょっとしたレストランで昼飯にした。窓からバンクーバーの街が見える。曇っていなければ、北バンクーバーの山々が美しいだろう。料理の味は良いのだが、量が多く、もったいないが口癖の私も降参して1/3ほど未練とともに残してきてしまった。




公園を出て、33th Aveを西に10分ほど歩くと、OAK Stに出た。左に5分ほどあるくと、37th Avenueとの角にVandusen Botanic Gardenの入口があった。


   

ここもやはり花盛りの時期が多少過ぎている。入口のハナミズキ、Shooting Starサクラソウの一種など普通なら見事と思うのだが、バンクーバー島のBuchart Gardenを見たあとでは物足りなく感じてしまう。そこで美しい花は置いといて、変わったものだけご紹介する。


      

Queen Elizabeth Parkにもあったが枝が細く長く伸びている木。なんでこんなところにいるのか亀。これまた、15cmはあるナメクジ。




最後はめでたく、花嫁さん。この日は土曜日で、あちこちで花嫁さんを見かけました。


17番のダウンタウン行きバスで帰った。
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バンクーバー・ロングステイ下見(12) Skytrainの乗ってMetrotownへ

2006年06月10日 | バンクーバー
5月30日から6月14日までのバンクーバー15日間ロングステイ下見ツアーに参加した。
今日はその(12)


スカイトレインにはダウンタウンのWaterfront駅を基点にExpo Lineと、Millennium Lineの2線があり、運転者なしのコンピュータ制御です。

市バス、スカイトレインと、シーバスも含めて、料金はゾーンZone制で、ゾーンを越えると料金が上がります。1Zone$2.25で、2:$3.25、3:$4.5です。90分以内なら乗り換え、戻りも含めてそのまま有効です。土日祝日と平日6:30pm以降は全ゾーン$2.25になります。

10つづりの回数券Faresaver Tickets(1Zone:$18, 2:$27, 3:$36)や、一日券 Day Pass($8)が安いし、お釣りが出ないバスには特に便利です。チケットはセブン・イレブンや、セーフウェイで購入できます。


   

乗車券は駅の自動販売機で購入します。目的のゾーン番号を押し(タッチパネル)、表示される料金を見て、支払い手段のCashを選択し、お金を投入します。お札も使え、お釣りもでます。
回数券を使用するときは、青色のTicket Validaterに券を挿入して有効時間を印字させます。

Metrotownはゾーン2で、我々は1ゾーンの回数券を持っていたので、自動販売機の画面内右側のAdd Fareのボタンを押し、Ticketのところにゾーン1の回数券を挿入しました。1→2、次にCashを選択し、差額の$1コインを投入しました。Ticketのところから「PROOF OF PAYMENT/TRANSFER」と印刷された券が出てきました。裏面には有効期限の時間が印字されていました。




写真はWaterfront駅のものですが、左の階段の上の看板には「Fare Paid Zone」とあり、その下に小さな字で「PROOF OF PAYMENT REQUIRED BEYOND THIS POINT」とあります。駅にはとくに改札口がないので、切符を持たなくてもホームまで入ることはできます。この看板の下から中に入るには、購入した切符を持つか、Validaterを通した回数券、定期券を持っている必要があります。車内改札がときどきありますので、有効な券を持たないと罰金をとられます。




ホームに下りるエスカレータには写真のように「Please WALK LEFT STAND RIGHT thank you」とありました。バンクーバーでは、関西式に止まる人は右側に立つようです。


   

Expo lineは1986年のエキスポの際に建設されたものですから、電車はとくに斬新なものではありません。いまやSkytrainという名前負けしています。「明美おばあさん」のようなものです。
わずか3両連結で、1両もごくコンパクトなものでした。とくに明示はありませんでしたが、ドアのそばに空きスペースがあり、車椅子用だと思います。


   

電車はダウンタウンを出るとすぐ地上に出て、高架になります。写真はMetrotown駅で、Waterfront駅から10駅目の郊外になりますが、とにかく大きなモールが駅に直結していて、なんでもありそうでした。




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