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hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

青山七恵「かけら」を読む

2009年12月31日 | 読書2

青山七恵著「かけら」2009年9月、新潮社発行を読んだ。

「かけら」、「欅(けやき)の部屋」と、「山猫」の3編よりなる短編集。
「かけら」は優れた短編小説に与えられる川端康成文学賞を受賞した。



「かけら」
主人公の女子大生とって父は、昔からちゃんと知っていたようにも、まったくの見知らぬ人であるようにも感じられた。その父と2人だけで参加することになるさくらんぼ狩りバスツアーの一日。ただそれだけの話で、ストーリーとしては何が起こるわけでもないが、淡々とした感情のかすかな揺れが父とのもどかしいような会話や、簡潔でイメージを発現させる描写は見事だ。

出だしはこうだ。
綿棒のようなシルエットの父がわたしに手を振って,一日が始まった。
中央通り沿いに続くイチョウ並木の下、すぐ脇にそびえる幹とまったく同じ角度で、父は背中から朝日を受けて立っていた。
そして、
首もとまできっちりボタンをとめたポロシャツ姿の父は、そういう風景に貼り付けられた一枚の切手みたいだった。
と、これだけで、父の姿が目に浮かび、話しぶりまで想像できてしまう。

女子大生である娘にとって、とくに何か確執があるわけでもない父親との微妙な距離のゆらぎが、すこしずつ描き出されて行く。


「欅の部屋」
2年間ともに過ごした背が高く、骨太な昔の彼女「小麦」は、蛇口がひねられたときは恐縮するほど僕の近くにいた。しかし、何かのきっかけで蛇口がひねられると決して自分から僕に接近しなくなる。そして、やがて別れ、もう会うこともない。しかし、他の女性との結婚準備中の今でも「小麦」は同じマンションに住んでいて、僕はなにかのときに思い出す。そして、ときどきボーとして飛んでしまう僕を見て、婚約者の女性が不安を感じている様子もうかがえる。
(はっきりした説明がないのでよく分からない「小麦」なる女性が、私には気になる。村上春樹の小説の女性のように)

「山猫」
東京に一人住まいの新婚の杏子のところに、沖縄の西表島から従姉妹の高校生が泊まりにくる。言葉少なく、うまくコミュニケーションとれない彼女と人当たりの良い夫は問題なく付き合っているのに、杏子はなにかとイライラしてしまう。(そのすれ違いが不自然でなく、面白い。ただ、最後の数行は余計だ。余韻を残すために普通の小説には絶対書かないと思う。)


初出は、「かけら」が「新潮」2008年11月号、「欅の部屋」が「すばる」2009年1月号、「山猫」が「新潮」2009年8月号



青山七恵は、1983年、埼玉県生まれ。筑波大学図書館情報専門学群卒業。2005年、在学中に書いた「窓の灯」で文藝賞、2007年「ひとり日和」で芥川賞受賞。2009年、本書「かけら」で川端康成文学賞を最年少で受賞。その他、2008年「やさしいため息」、2009年「魔法使いクラブ」。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

わずか2作目で芥川賞を受賞、4冊目の本書で川端康成文学賞を最年少で受賞した26歳。感動のストーリーも、独特の文体もない。荒っぽい読み方になれてしまった私には、一見なんでもなく、スルリと読めて、それだけで終わってしまう。しかし、この感想文を書くために、もう一度パラパラと読み返してみると、微妙な空気を巧みに描写していて、完成度が高い。しかし、文章は硬質でなく、やさしい。これでもかといった感動物や、奇を衒ったかのような小説でなく、こんな静かで深い小説が受賞とは嬉しい。さすが川端康成文学賞だ。


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「あなたの知らない 花粉症の治し方」を読む

2009年12月30日 | 読書2
大久保公裕著「あなたの知らない 花粉症の治し方」2009年11月、暮らしの手帖社発行を読んだ。

花粉症全体の解説、根本から直すための減感作療法、新しい減感作療法、症状を軽くする薬、グッズについて、最新の医療情報を押さえて、極めてわかりやすく書かれている。



以下、気になったところを抜き出す。

花粉症には個人差がある。朝起き抜けにくしゃみが出る(モーニングアタック)人、鼻水が出る人、目がかゆい人、鼻が詰まる人などだ。タイプによって対策が異なる。

鼻をかんだ回数などアレルギー日記を付けると、自分や医者の助けになる。

花粉症の本体はアレルギー疾患だが、症状は鼻の形や病気の有無、粘膜の過敏さで異なる。アレルギー以外の原因で症状が強く出る患者に減感作療法は有効でない。現在は、減感作療法でアレルギーが主因の患者の80%が治癒あるいは症状が軽快になる。

市販の点鼻薬で血管収縮薬が入っているものを煩雑につかうとリバウンド現象で鼻づまりがさらに悪化する。

副腎皮質ホルモン、つまりステロイドには副作用があるが、鼻に噴霧したときは身体の中に入る量がかなり少ないので問題ない。

花粉症が始まってから薬を飲むのでは遅い。関東でスギ花粉が飛び出すのはだいたい2月はじめごろなので、1月下旬から抗アレルギー薬を飲み始め、花粉シーズンの終わる5月上旬まで飲み続けるのが良い。

室内に入った花粉は湿気を吸ってすぐ床に落ちる。掃除機や濡れ雑巾でとるのが有効だ。花粉の粒子は大きいので、普通の掃除機のフィルターにほとんどひっかかる。



著者の大久保公裕は、1959年生まれ。日本医科大、同大学院耳鼻咽喉科卒。アメリカ国立衛生研究所留学。2000年日本医科大学耳鼻咽喉科准教授、日本アレルギー学会理事など。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

花粉症で困っている人は、あまた出版されている怪しげな本でなく、最新情報をわかりやすく簡潔に解説したこの本を是非読むべきだ。

私のアレルギーについては、 「アレルギー検査」に書いたように、スギやイネ科だけでなく、ホコリ、ダニにもアレルギーがある。


薬による対処療法でなく、体質から直そうとして、聞きかじったナツメの実を一日一個、一年間食べ続けた。家族に冷ややかにされ、ネットで大量購入したため中華料理屋と間違われ、いろいろな食材の売込みが続き、閉口した。そして、1年後、まったく効果ないことを証明した。
ならば皮膚を強くしようと、朝起きたときに寒風摩擦を始めた。半年ほど続けたところで、アレルギー科の医者にその話をしたところ、大声で笑われ、「花粉症には効きませんよ。まあ、健康に良いかもしれませんがね」とはっきり否定されて、やる気を無くした。

以来、耐えられないときだけ、対処療法の軽めの薬を飲んでいる。この本を読んだので、今後は、1月末からシーズン前の薬を飲み始め、治まり始める5月ごろまでは続けてみるつもりだ。
減感作療法は、近くに適当な病院もないし、最初は週2回、そして約1年も続ける気力はないので、パス。免疫力が衰え、花粉症がでなくなるという80歳までもうすぐだし。

蛇足
鼻水がとまりません   I have a runny nose.
目がかゆいのです I have itchy eyes.
涙がとまりません I have watery eyes.
くしゃみがとまりません I can’t stop sneezing.


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「定年前・定年後」を読む

2009年12月29日 | リタイヤ生活
「定年前・定年後」を読む

ニッセイ基礎研究所著「定年前・定年後―新たな挑戦『仕事・家庭・社会』」2007年10月朝日新聞社発行を読んだ。

10年にわたって742人の男性を追跡調査したデータをわかりやすいグラフにまとめ、さまざまな観点からの詳細な分析を行なっている。また、定年前後を過ごす男たちの具体的なエピソードを紹介している。

ニッセイ基礎研究所では、1997年から2005年まで、隔年計5回にわたって、現在まさに定年前後にある昭和8年から22年生まれの男性を追跡する「中高年パネル調査(暮らしと生活設計に関する調査)」を実施してきた。同じ調査対象者を追跡する形なので、定年後ハッピーに生活している人は、定年前どのような準備をしていたかなどの実態を明らかにすることができる。

第1章 定年世代のこれまで・これから
バブル時代の企業戦士たちが、定年後、家庭、社会とどう向きあうか。

第2章 定年後、働く

「働かなければならないので働く」という男性は、定年前は7割強で、定年後は5割強へ減少し、「働きたいので働く」は、20%から定年後は約25%に増加する。しかし、定年後の継続雇用者の給与水準は7割減となる。

第3章 家庭を見直す
老後の生活の中心は、定年前の59%、定年後の66%が「家族との生活」で、19%、17%が「趣味」となる。生きがいを感じるときは、「趣味など自分の好きなことをしているとき」が7割、「家族と団らんのときを過ごす」が6割と、家庭の重要さは増加する。

定年前に夫婦の意思疎通がよいと感じていた人は、妻に対して「苦楽を共にする伴侶としての役割」を期待する。意思疎通が出来ていないと感じる人は、「自分の身の回りの世話をする役割」を期待する傾向が強い。
夫婦が適当な距離を保つことは必要だ。互いに礼儀やマナーを守り、別々に外出する機会を持つ。「者間距離」が必要。(作家の沖藤典子)

第4章 社会に生きる
定年後の男性は、会社を離れた新しい生活でのビギナーとなる。会社とは違う多種多様な人々の集団と付き合うことになる。
地域デビューは、慣らし運転期間が必要なので、定年前から徐々に進めるのが望ましい。仕事をしながらでも社会活動を生きがいにできる。ただし、社会活動は十分な資産と健康があってこそだ。

終章 定年後、輝く
人生80年の現在、定年後のライフデザインが必要だ。健康や資金の制約も考慮しなければならないが、「妻の説得」がもっとも重要で、困難な制約となる。

以上のように、定年前の日常から定年後の生活に入るためには、ギアを切り替える必要がある。さらに、健康、介護の問題や、万が一の場合の蓄えなど、75歳以上の高齢者の暮らし方には再度ギアを切り替える必要がある。漠然とした不安を抱えながら、それでも、楽観的に定年後を楽しむ心の余裕が欲しい。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

膨大であっても調査結果はしょせん平均値に過ぎないし、実例も豊富に示されているが、あくまで一例に過ぎない。問題は、個々人の状況、考え方に基づく暮らしをどう築くかだ。その考え方をはっきりさせるために、資料が豊富な割りには読みやすく、構成もきちんとまとまっている本書は参考になる。
定年後の人より、これから定年を迎える人に読んでもらいたい。

定年後に、かっての職場での地位などを自慢げに話すのはルール違反だし、みっともないことだという事はもはや常識となっていると思うが、本書にはこんな話がある。
定年後に植木の剪定講座に参加した男性が、講師の親方に植木バサミの扱いを厳しく注意され、まだギアチェンジができない男性は、思わず、叫ぶ。
「俺には100人の部下がいたんだぞ!」
一瞬、場が凍りつき、間をおいてから、親方が「だからどうした」と言う。
次回から、この男性は欠席した。
この男性の気持ちは分からないではないが、こういう人は、会社にいたときから、自分が偉いからこの地位にあると、勘違いしていたのだろう。他の人でも十分そのポストはこなせたはずなのだが。



特に定年直後は奥さんとの関係が最も重要かつ難しいとの話も、いろいろなところで指摘されている。この本にも、以下のような、怖い話がある。

熟練離婚した女性58歳は言う。
「直接の理由、というのは決定的なものは思い当たらないんです。でも、日常生活の中での夫との気持ちのずれをそのままにしながら、ずーと自分が我慢している、という感覚で過ごしてきました、一つ一つは小さな『我慢』だったのですが、それを放っておいたら、いつの間にか大きな溝ができていたのに気がつきました。もうそれは修復できないものでした。残りの人生を我慢し続けるのはいやだったんです。」

説得力ありますね。怖いですね。男性は、手遅れとはいえ、せめて定年前には状況を把握、自覚して、反省の弁を述べ、奥様に改善へのかすかな希望でも持ってもらえるように、何かきっかけ、兆候を見せなければいけません。ハイ、そうでした、反省しています。










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奥田英朗「家日和」を読む

2009年12月27日 | 読書2
奥田英朗「家日和」を読む

奥田英朗著「家日和」2007年4月、集英社発行を読んだ。

どこにでもありそうな普通の家庭が、ちょっとだけずれていく話が6編。特に大きな不満はないのだが、なんとなく気が晴れない妻、生活に目覚めた夫と妻のバランスの妙。バカバカしいと言えば言えるが、どろどろしたところがないので、さわやかに、楽しく読める。

初出は、「小説すばる」の2004年9月号から2006年10月号で、加筆、訂正した。

「サニーデイ」
ネットオークションにはまる主婦の話。子どもの成長とともに家族の団らんが少なくなり,不要になったキャンプ用品をネットオークションに初めてかける。意外に高い落札価格と相手からの感謝の言葉に,ネットオークションにはまり若さを取り戻す。やがて、次々と夫のものまで売ってしまい、・・・。

「ここが青山」
会社が倒産して、主夫になる夫の話。妻が元の職場に出るようになり、夫はだんだん家事に目覚め、生きがいを持つ。「人間至る所青山あり」の人間はジンカンと読んで世の中のこと、 青山はセイザンと読んで墓場のことで、世の中どこにでも骨を埋める場所があるという意味だとの解説がある。(青山墓地は言葉がダブっている??)

「家においでよ」
妻が別居して出て行ったがらんとした何もない部屋にせめてカーテンだけはと、夫が買いに行く。徐々に、インテリアから調理用具、そして趣味のレコードプレーヤー、オーディオ、ホームシアターと、男の隠れ家を完成させていく。

「グレープフルーツ・モンスター」
若く粗雑な担当営業マンに、はまる40歳の主婦。夜、彼の夢を見るのが楽しみ。

「夫とカーテン」
突然カーテン屋を起業したいという何をやっても続かない夫。一気に突っ走る楽天家で、非常に人当たりが良い夫を心配する妻は、アイデアがわき、描いているイラストの評判があがる。

「妻と玄米御飯」
妻がロハスにはまり、玄米御飯、野菜ジュースが現れ、トンカツが消えた。ロハス仲間のおせっかいな夫婦も登場。最近賞をもらった作家の夫は、そんな生活をからかう小説を書くが・・・。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

著者が力を抜いて楽しげにのびのび書いている様子がうかがえる。その分、こちらも気楽に読めるのだが、読み終わったあとで、すーと跡形もなく消えていく。それで良いといえば良いのだが。



奥田英朗(おくだひでお)は、1959年生まれ。雑誌編集者、プランナー、コピーライターを経て、1997年「ウランバーナの森」で作家デビュー。第2作の「最悪」がベストセラーになる。2002年「邪魔」で大藪春彦賞、2004年「空中ブランコ」で直木賞、2007年本書「家日和」で柴田錬三郎賞、2009年「オリンピックの身代金」で吉川英治文学賞受賞。その他、「イン・ザ・プール」「町長選挙」「マドンナ」「ガール」「サウスバウンド」など。





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クリスマス・オルガン・リサイタルを聴く

2009年12月25日 | 趣味

廣野嗣雄のクリスマス・オルガン・リサイタルを聴いた。

場所は、いつもの武蔵野市民文化会館の小ホール。ここに来る度に見せつけられていたパイプオルガンの演奏をついに聴くことができた。



前半はドイツ音楽で、20世紀のディストラーから、ロマン派のレーガー、そしてバッハと時代をさかのぼり、休憩をはさんでフランス音楽のバロックのダンドリューやダンカンから、ロマン派のヴィエルヌ、20世紀のメシアンと現代に戻る構成だ。もっともらしく書いたが、私が聞いたことがあるのはバッハだけなのだが。

フーゴー・ディストラー(Hugo Distler, 1908年 - 1942年)は、ヒットラーにより頽廃音楽の烙印を押され、34歳で自殺した。

マックス・レーガー(Maximilian Reger, 1873年-1916年)は、とりわけオルガン奏者、オルガン曲の作曲家として知れられている。

J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685年- 1750年)は、近代音楽の父、ベートーヴェン、ブラームスとともに“ドイツ三大B”と呼ばれる作曲家。オルガン奏者としても高名で、手の鍵盤の他に足鍵盤(ペダル鍵盤)を煩雑に駆使する難曲を作曲した。バッハ以降、足鍵盤を煩雑に使うオルガン曲は100年程作曲されなかったと説明があった。

ダンドリューと、ダンカンはルイ14世の宮廷オルガニスト。オリヴェィエ・メシアン(Olivier Messiaen, 1908年 - 1992年)は20世紀を代表する作曲家で、オルガン奏者としても高名。


廣野嗣雄は、東京芸術大学オルガン科卒業、ドイツ留学で教会音楽を学び、東京芸術大学教授を務め、日本のオルガニストの第一人者。



特製のドイツ・クリスマス菓子(シュトーレン、500円相当)のプレゼント付きで、ペアー券1500円はご満足。
帰り道、アンコールで皆が歌ったきよしこの夜を口ずさみながら、帰途についた。


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歌丸、昇太の武蔵野寄席を聴く

2009年12月23日 | 趣味

武蔵野市民文化会館で第百回となる武蔵野寄席を聴いた。

大ホール1370席の中で前から5列目、ただし、一番端の席。出演者の横顔が見えるような席だった。

開演の15分位前にようやく着いた会館の前の横断歩道に和服にコートを着た男の人がいた。珍しいなと思って顔をしげしげと見た。始まってみたら桂平次さんだった。落語家さんはぎりぎりに来るものらしい。
平次さんの高座が始まると、次に出る団春さんからこの後すぐ駆けつける時間が迫っているので話を伸ばさないでくれと言われたが、いじわるするんだといって、口を開いたまま、しばらくそのままじっとして、笑いをとった。落語家は寄席をはしごすることが多く、ギリギリに来て、自分の高座が終わるとそそくさと帰る人が多いと言っていた。

2003年に亡くなった師匠の春風亭柳昇の真似をしてちょっとだけ小咄をしたが、のんびりして人の良さそうな素振りに変身し、そっくりだった。落語家は師匠のまねをして育つので、皆さん師匠のモノマネがうまい。林家木久扇(旧名は林家木久蔵)の、師匠林家彦六の真似なぞは声の震え方といい、絶品だ。
噺は、お祝いに肥甕(こえがめ)を持ち込んで、それを使った料理を出されて、どれも食べられなくなる「肥甕」。

立川談春は、まくらで円楽さんの話をした。円楽さんが飛行機で熊本へ飛んだが、大幅に遅れて間に合いそうにない。円楽さんは、客室乗務員を呼んで、「スチュワーデスさん。パラシュートはありませんか」と聞いたそうだ。
深夜へべれけで帰宅し、なお酒とさかなを要求するしょうもない亭主が、おでんを買いに行った女房のことを、実は・・・という噺。

春風亭昇太は、お定まりの結婚していない話で笑わせたあと、あの渋顔の立川志の輔と同期で芸歴28年だが、自分は芸の深みが顔に出ないタイプだと笑わせた(笑われた)。噺は、熊五郎がご隠居からなんど説明されても、美人の奥さんを持つと短命になる理由が分からないという「長命」。

仲入りのあと、古今亭志の輔が浪曲を唸る「夕立勘五郎」があり、その後、ボンボンブラザースの太神楽曲芸があって、とりは歌丸さん。   

歌丸さんは、さすが落語芸術協会会長、まくらもなく、人情話をたっぷり、しんみりと、聴かせた。噺は、だまされて宿をとられた主人のために左甚五郎が彫ったねずみが動き出す「ねずみ」。

すでに聴いた噺も面白い。初めての噺はなお面白い。まくらの小咄もはなしかさんの個性が出て笑える。おばかな連中の話には安心して聞いていられる。「あ、なんだな・・・」と始まったとたんに話の中の世界に入っていける。
落語をボーとして聞いていると、子供のころ、唯一といってよい娯楽だったラジオの落語に耳を付けるように聞き入っていた頃に戻っている。

いやー、落語っていいものですね。




  






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「トイレの話をしよう」を読む

2009年12月21日 | 読書2
ローズ・ジョージ著、大沢章子訳「トイレの話をしよう-世界65億人が抱える大問題」2009年9月、日本放送出版協会発行を読んだ。

表紙裏にはこうある。
日本ではハイテク化が進み、アメリカや中国ではバイオ肥料など、排泄物の有効利用が脚光を浴びている。一方、トイレがない、あるいは、あっても汚すぎて道端でしたほうがましという人も、世界には26億人いる。
「なぜ、トイレ?」という周囲の冷たい視線をよそに、突撃型の女性ジャーナリストは、トイレを追いかけて西へ東へ大奔走!
英『エコノミスト』誌の2008年ベストブックス選定図書。


トイレに関する面白話かと思い読んだが、主に開発途上国の深刻な衛生の話だった。世界の子供の死因の1位はエイズや飢餓でなく、下痢だそうだ。不衛生なトイレから飲料水への糞尿の混入が原因という。

英語の原題は、”The Big Necessity: The Unmentionable World of Human Waste and Why It Matters”で、「大いなる必要性:人間の排泄物の語られることのない世界、そしてなぜそれが重要なのか」といったような意味だと思うが、原題の方が内容を的確に示している。

普通に屋外で排せつをするインド、種々の改善策が絶望に終わるアフリカのトイレ、扉のない中国の公衆トイレを実際に突撃使用し、厳しい現実をユーモアを持って語っている。
アメリカで下水汚泥を「バイオソリッド」として肥料として再利用しているが、化学物質や細菌類が除去できずに農村地帯を汚染している。また、アメリカやイギリスの公衆トイレが犯罪を恐れるあまり削減されているのも問題としている。

日本トイレ協会は、11月10日を日本トイレデー(いいといれ)と定めた。

インドのカースト下の、皮なめしや火葬をする不可触も触れてはいけないというクラスの人は手で糞尿を処理するのが仕事だ。彼らは40万人から120万人いるという。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

食べ物、食べることについてはあふれるほどの本が出版されているが、しょせん一本のパイプに過ぎない人間にとって、同等に重要な排泄物や、トイレについての本が少ない。そして、語られることが少ないが、トイレが世界で大きな問題になっていることはこの本を読むと良く理解できる。
その意味で皆さんに読んでもらいたい本だが、360ページを大部で、著者のインタビューが主体のため、いささか長く、冗長に感じる。

訳者あとがきで述べているように、40,50年前までは人間の排泄物は身近な存在だった。水洗トイレに慣れた今では、糞便が安全、快適に処理されない場合はどのような恐ろしいことになるか忘れている。そして、下水処理場を見学に行った訳者は、一杯の味噌汁を、魚が棲める状態まで薄めるためには、浴槽5杯分の水が必要という事実に驚いている。



著者のローズ・ジョージ Rose George はロンドン在住のジャーナリスト。1992年オックスフォード大学卒、1994年ペンシルバニア大学修士卒。リベリア難民について書いた処女作“A Life of Removed” はレトル・ユリシーズ・アワードの最終候補となる。「ガーディアン」「インディペンデント」「ニューヨーク・タイムズ」紙などに記事を執筆。
彼女のHPによれば、英語、仏語、伊語が流暢で、スペイン語、ドイツ語が少々、ブルガリア語とアラビア語はあまりできないという。“Photografhy”をのぞくと、南アのドラム缶製トイレや、中国の仕切りないトイレ、インドの穴だけずらりと並んだトイレなどの写真がある。

訳者の大沢章子は、1960年生まれ。大阪大学人間科学部卒。サントリー株式会社勤務を経て、翻訳家。

なお、出典と補足情報は本書の末尾にURLが書かれたウエブサイトにある。たしかに、30ページものものを本に載せるより、ウエブに置いた方がよい。





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講演「多機能トイレから共生のあり方を考える」を聴く(2)

2009年12月18日 | インポート

亜細亜大学での連続討論会「街づくり未来塾」の第三回として、「多機能トイレから共生のあり方を考える」という講演を聴き、昨日その概要を報告した。
今回は、私が講演を聴いて思ったことを述べる。

まず第一は、車椅子利用者の方にもっと街に出て欲しいということだ。もちろん、車椅子で移動しやすい街にすることが前提で、必要なのだが、車椅子の人がどこに問題があるか声を上げて欲しい。同時に、もう少し街で車椅子を見かけて、一般の人にも問題を実感させ、自治体にも量的問題としても、意識を改めさせる必要がある。行政は、家でじっと耐えている人の声を汲みとることはしないようだから。
多機能トイレが特殊トイレのままでは、共生にはならない。どの街角にも移動する車椅子がある、それが当たり前の光景になるためには、施設の充実と、利用頻度の増加が競いあって延びていって欲しい。

統計があるわけではなく、限られた個人的体験だが、オーストラリアのパースという街に滞在中、電動車椅子で街を自由に走り回る人々をよく見かけた。生き生きと、当然といった様子で走り回る車椅子を見て1ヶ月もたつと、それが自然な光景に思えてきて、日本に戻ると、車椅子を見かけないのが異常な感じさえした。皆さん家でじっと我慢しているのだろう。

公衆トイレというもの自体、パースの街中にはほとんどないが、車椅子用トイレ(accessible toilets)は公共の建物や、準公共の建物、デパートなどに少ないがある。市のサイトに今回の調査結果のようにこれらの場所、内部寸法、写真などが Accessible Toiletsとして公開されている。ベビーシート(baby change table)が数カ所にあるくらいで、他は車椅子が使えるだけのトイレだ。


ちなみに、私の滞在したアパートメントは60室ほどの小さなビルだが、1階に車椅子用のトイレがあり、駐車場にも車椅子専用のスペースがあった。
市には、歩道のヘリにスロープをつけるなどそれらを助ける規則があり、駅や歩道橋などの階段には、エレベータか、広大な土地柄、長大なスロープがどこにでも併設されていた。電車の各車両や、バス(CATという市運営の無料バス)にも車椅子用のスペースが必ずある。CATバスは、車椅子の人が乗るときは車体ごと傾いて、そのまま乗り込める。
社会が車椅子前提の社会になっていて、街中の基本的インフラが車椅子利用を前提に作られている。あそこが車椅子が使えると言うのではなく、すべてが利用可能で、利用できないのが例外なのだ。極端に言えば、「利用できない所マップ」が必要な街なのだ(ちょっと言い過ぎ)。

実情や、統計などに無知だが、逆に、街を歩く目の不自由な人は日本の方が多いような感じがした。江戸時代からあんまさんなどの形で一種の共生を図ってきた歴史の積み重ねもあって、一般の人の理解も進んでいたのだろう。一般の人にとっては多少歩きにくい点字ブロックも日本にはかなり普及している。まだまだ、欧米に比べて数が少ないという盲導犬も、最近ではときどき街で見かけることもある。犬嫌いの私は(犬の方が私を嫌いという意味)、当初、一瞬ギクリとしたが、最近では良く訓練されていることがわかり、近くに来ても安心している。レストランなどでも盲導犬同伴を断られなくなったとも聞く。

先日、つまづいて、本を抱えていた方の手をつけず、胸を打ってまだ痛い。もっと足が上がらなくなれば杖が必要になり、緑内障が進めば、白い杖に代わり、やがては車椅子を利用することになるだろう。障碍者の社会との共生は私自身の問題でもある。



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講演「多機能トイレから共生のあり方を考える」を聴く(1)

2009年12月17日 | 世の動向
亜細亜大学での連続討論会「街づくり未来塾」の第三回として、「多機能トイレから共生のあり方を考える」という講演を聴いた。


40年ぶりの武蔵境駅は、まったく様変わりしていた。そもそも中央線の高架化に伴ない数年に渡り大規模改造が行われていて、現在も進行中だ。



ただ、昔からあったいかにもローカル線といった西武多摩川線(是政線)は健在だった。
北口に出て、すきっぷ通り商店街を北に行き、



商店街を抜けてアジア大学通りへ左折して10分位だろうか、右側に南門が見える。駅北口からのムーバスも100円で利用できる。



亜細亜大学と言えば、箱根駅伝の常連校であることと、アジアからの留学生を多く受け入れているとの連想しかなく、訪れたのは初めてだ。

講演が行われたのは、2号館。1階には喫茶と広い休憩コーナーがある。私の時代の学食のイメージはなく、まさにカフェだ。



講演題目にある多機能トイレとは、車椅子で利用でき、さらに高齢者、障碍者、乳幼児連れなどが利用できる機能のあるトイレのことだ。
どこに、どんなトイレがあるかという情報がないと、外出を控えがちになる。「むさしの未来まちづくりたい」は、共生の街づくりへのユニークなアプローチとして、武蔵野市内の多機能トイレの機能、問題点などを調査し、 「むさしの多機能トイレ情報」としてオープンし、普及、改善、広報を行っている。


講演では、多機能トイレの定義、調査目的、調査方法を説明し、使いにくい例が写真で具体的に説明された。目的は、(1)車椅子利用者への情報提供、(2)利用マナー呼びかけ、(3)施設管理・新設・改修の提案だ。
多機能トイレは、東京都の条例では「だれでもトイレ」と命名されていて、健常者も利用して良いのだが、利用は極力短時間にするなど、利用者同士が相互に理解してマナーを守る必要がある。講演では、健常者も是非一度、多機能トイレを使ってみて欲しいとの話もあった。

施設の管理は、問題が多い。実際の障碍者には使いにくい機器配置に設計されていたり、保守用品がじゃまするように置かれている例が具体的に説明された。また、武蔵野市の施設には昔から多機能トイレが設置されていたところも多く、現在では使いにくく改修が望まれる例も多い。利用者である障碍者に意見を聞くなどちょっとした配慮をするだけで、問題が解決するのにと思う例も多かった。

また、講演者からの提案のひとつとして、地域における機能の分散と補完がある。多機能トイレといっても、様々な仕様があり、障害の種類や程度で利用機能も広範に渡る。設置スペースも限られている場合が多いことからも、同一施設内、あるいは近隣施設で機能の分散、補完をはかることが有効だ。

講演を聴いて、私が思ったことは、だらだらと長くなったので、明日、第2報とする。




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ポール・オースター「ガラスの街」を読む

2009年12月16日 | 読書2

ポール・オースター著、柴田元幸訳「ガラスの街 City of Glass」2009年10月、新潮社発行を読んだ。

宣伝文句はこうだ。
「ポール・オースターですか? 私は殺されようとしている。あなたに護って欲しい」、深夜の間違い電話をきっかけに、主人公は私立探偵になり、都市の迷路へ入り込んでゆく――。透明感あふれる音楽的な文章で、意表を突く物語を展開させ、一躍脚光を浴びることになったアメリカ文学の旗手オースターの小説第一作。


孤独なミステリー作家ダニエル・クインのもとに、私立探偵のポール・オースター(著者名と同じ)に依頼をしたいという間違い電話がかかってくる。3度目の電話に、自分がそうだと言ってしまう。依頼人は名を名乗るが、本名ではないと言う。精神を病んでいるらしい彼は父親の老教授から身を守ってほしいと依頼する。何ヶ月もただニューヨークを歩き回る老教授をクインは尾行する。そして、クインの転落が始まる。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

ひょんなことから他人の名前を名乗ってしまい、ニューヨークの迷路をうろつくうちに、徐々に自分を見失っていくという変な小説だ。変な小説は、どこにでもあるが、他人の名前を名乗ることで自分とは誰かを問うことになるというテーマが一貫していて、文体が美しい(柴田さんの翻訳が、そして多分原文も)ことで、限られた人々には愛読されるのだろう。
カフカの変身もそうだが、変わった話を展開するには、本来は暗い話を、どこかとぼけてクヨクヨせず明るい語り口で語るのが必須なのかもしれない。

しかし、老教授の新世界発見に関する論文に関する話が10ページ以上も続いたり、ドンキホーテ論が5ページも続くなど、必然性は感じられるとはいえ、あきあきする。

訳者あとがきで、柴田さんが言っているが、この本は当初、17もの出版社に出版を断られたという。おそらくそれは、この小説が探偵小説の枠組みで書かれているのに、事実はいつまでの明らかにならないし、探偵の行動はどんどん不可解になっていくばかりで、原稿失格になったのだろうと柴田さんは推測する。さらに、柴田さんは追い討ちをかけて、「オースターには関係ないが、世の中で為される害毒のかなりの部分は、『無用な一貫性重視』によって為されている気がする」とまで言っている。そこまで言うか、さすが、文学者。



ポール・オースター Paul Austerは、1947年、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。1970年に コロンビア大学大学院修了後、メキシコで石油タンカーの乗組員、フランスで農業等様々な仕事につく。1974年にアメリカに帰国後、詩、戯曲、評論の執筆、フランス文学の翻訳などに携わる。1985年から1986年にかけて、「シティ・オヴ・グラス」(本書)、「幽霊たち」、「鍵のかかった部屋」の、いわゆる「ニューヨーク三部作」を発表し、一躍現代アメリカ文学の旗手として脚光を浴びた。以来、無類のストーリーテラーとして現代アメリカを代表する作家でありつづけている。他の作品に「ムーン・パレス」、「偶然の音楽」、「リヴァイアサン」、「ティンブクトゥ」、「幻影の書」などがある。

柴田元幸(しばた もとゆき)は、1954年東京生まれ。東京大学文学部教授、専攻現代アメリカ文学。翻訳者。訳書は、ポール・オースターの主要作品、レベッカ・ブラウン「体の贈り物」など多数。著書に「アメリカン・ナルシス」「それは私です」など。村上春樹さんと翻訳を通してお友達でもある。



原著は、「シティ・オブ・グラス」として郷原宏・山本楡美子訳で角川書店から1988年にすでに刊行されており、ポール・オースターの主翻訳者を自認する柴田さんもこの本の翻訳だけはできないと諦めていた。出版界にはどうもそんなルール or マナーがあるらしい。ところが、翻訳を雑誌に一挙に掲載といる裏技で、柴田訳が実現し、今回それが単行本になったということらしい。いったい、どんなルールなんだか。





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吉田修一「日曜日たち」を読む

2009年12月14日 | 読書2

吉田修一著「日曜日たち」2003年8月、講談社発行を読んだ。

東京で暮らす若者たちの不安感や孤独感をさりげないタッチで描く吉田修一の5編の短編集。互いに無関係な5人の若者の憂鬱な日曜日の出来事。彼らをわずかにつなぐのは、リュックを背負ったわけありな小学生の兄弟だけ。

初出は「小説現代」2002年6月号から2003年6月号

日曜日のエレベーター
だんだんと落ちていく30歳を超えた無職の男が,日曜日ごとに部屋に来ていた医者の卵の恋人のことを思い出す。そんな彼も、お腹が減っていそうな兄弟にたこ焼きをおごる。

日曜日の被害者
日曜深夜,電話で泥棒に侵入されたという友人の話を聞いた独り暮らしの女性が、自分も恐怖を感じ始め恋人の家へ向かう。タクシーの中で、旅行中に間違えて自分たちの席に座っていた幼い兄弟とのトラブルを思い出す。

日曜日の新郎たち
東京で暮らす息子のもとに,日曜の親戚の結婚式に出席する父がやってくる。東京見物もそこそこに家に戻った父は、以前来た時に九州からやって来たらしい兄弟に鮨をおごったことを思い出す。

日曜日の運勢
女性たちについつい合わせてしまい、今は銀座のクラブのボーイの男。なんでも中途半端といわれて、「そうだ、あれだけ」はと、兄弟を引越し先まで送っていったことを思い出す。

日曜日たち
恋人の暴力に耐えかねて、自立支援センターに行く。一週間後、仮眠室から逃げ出そうとする兄弟を抱きしめ、ピアスを一つづつ渡す。10年後、名古屋へ帰るためアパートの鍵を返しにいく途中に見覚えのある顔に気づく。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

東京の華やかな場所、派手な生活がまったく出てこない。東京に住む大多数の若者は、たまに繁華街に出ることはあっても、多くの時を、この本のように地味で寂しく過ごしているのだろう。

分かったような分からないような話

誰かを愛するということが、だんだんと誰かを好きになることではなくて、だんだんと誰かを嫌いになれなくなるということなのだと知ったのだ。



この本の最後の言葉がこれで、救われる。

15年暮らしたこの街をあとにする。嫌なことばかりだったわけではないと乃里子は思う。そう、嫌なことばかりだったわけではないと。
 
 
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カトリオーナ・マッケイのスコティッシュ・ハープを聴く

2009年12月12日 | 趣味

カトリオーナ・マッケイは、スコティッシュ・ハープを抱えて、スリムな長身を跳ねるように登場。身体にぴったりの銀ラメのミニのスーツに、黒いタイツ。真っ赤な太いベルトが印象的だ。黒髪には赤い髪飾り、そしてもちろん、お定まりの美人。

私などには、ハープというとお琴のようにひそやかで、ゆったりとした妙なる調べというイメージがあった。カトリオーナの弾く曲には、もちろん、しみじみした曲もあったが、激しいリズムの曲も、踊るような楽しい曲もあり、ハープはなかなか幅広い楽器だと再認識した。

途中から、「ハンサムなゲスト」としてデュオの相棒でもあるクリス・スタウトが紹介され、以降、フィドル*との合奏となった。
*:フィドルfiddle とは、民族音楽で使われるヴァイオリンで、奏者がフィドラー

曲により、フィドルは、歌うようなメロデイがなく、ただ、ギーコギーコ(表現が悪いが)していて、ハープの音が消されてしまう。しかし、途中でフィドルが哀切なスコットランド民謡らしき曲を奏でたときは、切々としたメロデイにハープの音がよくあっていた。

アンコール2曲目、スコットランド民謡の蛍の光で幕となった。



カトリオーナ・マッケイ Catriona Mackay は、イギリス・スコットランドで、伝統音楽家を父として生まれ、王立ノーザン音楽大学でスコティッシュ・ハープ (ケルティック・ハープとも言う) とグランド・ハープを専攻。ソロのほか、フィドラーのクリス・スタウトとデュオを結成し、ヨーロッパを中心に活躍。「フィドラーズ・ビド」のメンバーとしても活動し、キーボードも弾く。

また、彼女の公式HP(英語)をのぞくと、「伝統音楽家であるが、フォーク、ジャズ、クラシックなどとコラボレーションし、またチューニング・パターンを変えられる新しいハープ(STARFISH)を共同設計するなど実験的芸術家でもある」と書いてある。実際、今回の演奏中も、何回も上部のスイッチらしきものを煩雑に切り替えることがあった。このハープがおそらく新開発のものだろう。また、弱音でかすかに弦をはじくとき、携帯扇風機らしきものをセットして弦に風を送っているように見えた。


彼女の長い指とご尊顔を拝みたい方はYouTubeの"SWAN LK 243" - Catriona MacKay 」を。


同じYouTubeのFiddlers˚ Bid - 'Fezeka's' - Acoustic concert in Shetland 2007!を見ると、観客が手拍子を打っていて、いかにも伝統音楽を楽しんでいる感じがする。彼女のハープのソロの部分も楽しげだ。今回の演奏でも、クリス・スタウトはフィドルを演奏しながらかなりな音を出して足で拍子をとっていた。






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森岡正博「草食系男子の恋愛学」を読む

2009年12月10日 | 読書2
森岡正博著「草食系男子の恋愛学」2008年8月、(株)メディアファクトリー発行を読んだ。

この本は“草食系男子”という言葉の流行の一翼を担っているらしいが、内容的には題名に偽りありだ。この本の題名は、「自分に自信が持てない男子の恋愛術」、もっとはっきり言えば、「モテない男の恋愛術」が適切だ。今はやりの「草食系男子」は、協調性あり、家庭的でやさしいが、恋愛に積極的でない男子のことで、自分に自信がなく、女性にアプローチできない男子とは違うと思う。
ただし、表面的なモテ術を教える本ではなく、女性の気持ちを分かった上で付き合えるようになるための入門書で、まじめな本だ。

女性は幼い頃からマンガなどで「恋愛教養度」を高めているが、男性はそうした機会に恵まれず、いきなり恋愛の荒海へ放り出される。
世に「モテ本」が隆盛を極めているが、そこでの「モテ」とは「不特定多数の人に好意を持たれるためのテクニック」だ。
本書では、「モテる」とは「好きな人とつきあえること」とし、「そうした男になるためには、女の子の身になって考えたり、感じたりできるようになるのが一番大事」というメッセージを、ストレートに伝える。
「暗い青春」を過ごしながら、年月を経て、「恋愛上手とは人間理解が深いこと」と悟った著者が、会話やコミュニケーションの知識などを解説していく。




森岡正博は、1958年高知県生まれ。哲学者、大阪府立大学人間社会学部教授、人間学、現代倫理学担当。1983年東京大学文学部卒業、1988年 同大学院博士課程単位取得退学。
主な著書「生命観を問いなおす」「意識通信」「無痛文化論」「感じない男」など。


私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

結論として、
「つきつめていけば、結局のところ、多くの女性は、好意を寄せてきてくれる男性の人間性に、自分自身を賭けようとするからである

とある。
これは正解と言いたいところだが、私などは、やはりそれでも、「いい人」で終わりそうな気もする。
ただ、既につきあっている女性の気持ちをつかみ、すれ違いに終わらせないための注意点は、いくつも的確に指摘されていて、既婚者でもしっかり読んでコミュニケーションの仕方を勉強すべき人はいる。(それは私です)

・まずは「あいさつ」を。(あいさつは無駄ではありません)
・話がなくとも雑談を始める。(雑談は非効率ではありません)
・特別気にかけていることを伝えるために、ちょっとした変化に気づき、肯定的に伝える。
 (常に気を張って、ちょっとした変化に常に気をつけていなければなりません)
・女性の話を聞くときは、相づちをうち、次々質問をせず、途中で分析、解決法の提示や否定的コメント、まとめをしない。
(女性が望んでいるのは、話の内容をそのまま受け止めてもらうことなのだそうです)
・女性は目標達成より、プロセスを楽しむ。
・女性は、あなたの話からあなたのものの感じ方など人間性を知りたいのだ。例えば、あなたが吉野の夜桜を見てきた話をしたら、あなたは桜の種類の違いなどの知識披露でなく、何に感動し、どんな想像をしたかを語るべき。

「女性は、『自分の望みの品を見抜くくらい彼氏が自分のことを熟知しており、それを買ってくるための時間をわざわざ割くくらい自分のことを気に入ってくれている』という証拠を、贈られたプレゼントに見出そうとするのである。」デボラ・タネン


私にとっては、すべて勉強になります。「もはや手遅れ」というどなたかの声が聞こえますが。
しかし、正直言うと、以上のような難しいことを大部分できない男性のサガを女性には分かって欲しいですが。いや、これはあくまで泣き言に過ぎません。



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武蔵野市のテンミリオンハウス事業

2009年12月08日 | 世の動向

私は武蔵野市には1年しか住まなかったが、市民サービスの面でいろいろ工夫された施策が行われているように感じた。

例えば、武蔵野市では、小さなバスで一般バスルートから遠い地域を巡るムーバスというコミュニティバスを1995年から運営していて、他の市の見本となった。

また、コミュニティーセンター(コミセン)という施設が市内各地域に20もある。いわゆる集会所だが、他市でみられるように寂れて、ときどきしか使わない施設でなく、年中活発に活動している。

さらに、武蔵野市のテンミリオンハウス事業は、地域に根付いた市民間の助けあいを支援する制度だ。市が建物だけ作るいわゆる箱物でなく、第三セクターのような民活でもなく、民間主体の運営で、市が費用を補助するという形で、なかなか上手く運営されていると思う。
乱暴に言うと、引越しなどで空いた土地・建物を所有者の協力を得て市が借り上げ、地域に密着した福祉事業をNPOなどに計画、運営させ、1千万円を限度として運営費用を補助するという制度だ。民間の自主性を最大限に発揮させるところが最大の利点だと思う。



以下、武蔵野市・健康福祉部・高齢者支援課による「テンミリオンハウス事業パンフレット」や、武蔵野市のテンミリオンハウスのHPを参考に概要を説明する。



「テンミリオンハウス事業」とは、地域の実情に応じた市民などの「共助」の取組みに対して、年間1000万円(テンミリオン)を上限として武蔵野市が運営の費用を補助・支援する事業だ。現在7つ施設が市内の各地区にあって、独自の活動を行っている。

市民の“身”近にあって、“小”さな規模で、“軽”快なフットワークで市民のニーズにこたえるのがこの事業の身上だ。

(1) 引越しなどにより、事業にふさわしい土地・建物が、利用可能となると事業実施を希望する団体を公募する。
(2)市は委員会により応募団体の提案を審査し、団体を選定し、補助金額を決定する。


一例として、「テンミリオンハウスくるみの木のHP」と、私がお手伝いしている「テンミリオンハウスくるみの木ブログ」をご紹介。
   




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海堂尊「ジーン・ワルツ」を読む

2009年12月06日 | 読書2

海堂尊著「ジーン・ワルツ」2008年3月、新潮社発行を読んだ。

宣伝文句はこうだ。
産婦人科医・理恵――人呼んでクール・ウィッチ。医者がヒトの生命を操ることは許されているのか? 現役医師作家が挑む、現代日本最大の医療問題。『チーム・バチスタの栄光』を超える強烈なキャラクターとスリリングな展開に目が離せません!


主人公は、帝華大学医学部の助教、曽根崎理恵で、発生学講師の一方、産婦人科病院「マリアクリニック」の非常勤医師でもあった。専門は不妊治療で、患者にけして入れ込まない「クール・ウィッチ(冷徹な魔女)」というあだなを持つ。
清川吾郎は、帝華大学医学部准教授で、要領よく面倒ごとを避ける。頭は切れるのに学問嫌いで出世は望まず、屋敷教授に付かず離れず。イケメンで女性との付き合いも派手だが、手術の腕は抜群。
産科病院「マリアクリニック」の院長は三枝茉莉亜で、末期癌になり、息子の久広が医療事故で逮捕されたこともあり、閉院が決定する。理恵は最後の5人の妊婦達に関わる。

初出は「小説新潮」の2007年6月号から12月号。遺伝子は英語でgeneだから、題名の「ジーン・ワルツGene Waltz」は、序章名「遺伝子のワルツ」に同じ。
理恵はつぶやく。
「この世界は、絶対にゼロとイチの二進法ではできていない。だって、生命の世界では誰の遺伝子もみんなワルツを踊っているのだから。」




海堂 尊(かいどう たける、本名非公表)は、1961年千葉県生まれ。作家、医師。外科医を経て病理専門医。千葉大学医学部卒業、同大学院医学博士号取得。剣道3段。
2005年「チーム・バチスタの崩壊(出版本名は『チーム・バチスタの栄光』)」で、「このミステリーがすごい!」大賞受賞。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

基本的には、いろいろな難問を抱えた妊婦たちが、迷ったすえ、出産に望み、それぞれに喜びを得るという感動的な話で、いわゆるミステリーには属さない。
元理系の私は、医学の説明が続いても、面白く読めた。しかし、遺伝子、不妊治療、出産など医学の説明部分がかなりあり、わかりやすい説明なのだが、好まない人がいるだろう。

厚労省の現場知らずの場当たり的な幾つもの政策変更が、医療崩壊をもたらしていることは周知のとおりだが、本書でも理恵の口を借りて、何箇所かで、厳しく指摘している。

本書では、産科病院「マリアクリニック」の院長三枝茉莉亜の息子の久広医師が、北海道の架空の都市「極北市」で起こした妊婦の術中死により逮捕された事件出てくる。これは、2008年8月に最終的に無罪となったとはいえ、産婦人科医療に大きな衝撃を与えた福島県立大野病院産科医逮捕事件のことだ。
この事件では、警察の逮捕に対し、医師たちか激しい抗議を、とくにネットで展開していて、議論が華やかだった。実際の事件との差異は私には不明だが、この本でも、院長は以下のような趣旨の抗議をしている。
「癒着胎盤は全分娩の0.01%と稀有な疾患で、現在の医療では事前に確定診断することは難しい。結果として、帝王切開の血の海の中で、1万回に1回の稀少症例に冷静に判断できなかったからと言って、なぜ業務上過失致死なのか」「地方都市で分娩を十年もの間一人で支えてきた医師が、院内の調査や、極北市の調査も終わっているのに、手錠を掛けられて逮捕されるのでは、産科をやる医師はいなくなる」




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