上野正彦著『監察医が泣いた死体の再鑑定』(2016年3月7日東京書籍発行)を読んだ。
既に法医学者による研死の鑑定結果が出ているが、納得できない遺族や保険会社からの依頼で行うのが再鑑定だ。
著者の元には,警察,保険会社,および遺族から再鑑定の依頼が数多く寄せられる。著者は,なぜ最初の鑑定が間違っていたかを紐解いていく。
「溺死ではない,殺しだ。事故死ではない,病死だ。病死ではない,暴行死だ」。
ときには裁判所で,証人として最初の鑑定人と対峙したり……事件は2転,3転する。
1.顔から消された痕跡
だが、やはり死体は語っていた。
「私の顔を見てください。砂利がついていないでしょう。私はうつ伏せではなく、仰向けの状態で車に轢かれたのです」
2.見逃された証拠品
「息子が自殺したと処理されてしまったが、殺されたはずだから再鑑定をお願いします」
そう言って鑑定依頼にやってくる母親という図式が、おそらく全体の七割ぐらいを占めているのではないだろうか。
3.誰が嘘をついたか
車を運転していた男性が40キロほどの速度で他家の壁に激突し、病院で死亡が確認された。「病気で意識を失って事故になったか、事故になった外力で心臓が破裂したのか」と保険会社から再鑑定の依頼があった。著者は法廷で鑑定した大学教授を対決する。
4.執念の再鑑定
川で腐乱した状態で発見された男性の死体は司法解剖により溺死で、自殺によるとされた。5年後、警察からの再鑑定依頼で調査し、殺害された後に川に捨てられたと明らかにした。後に、男性はトリカブトの入った饅頭を食べさせれらたと判明した。
5.疑惑の踏切
踏切で両足を切断された男が、転んで事故にあったか、保険金目的の故意か? 前頭部の傷は? 両下肢の切断位置は?
6.海外で起きた謎
フィリピンのホテルの25階から墜落死亡した男性は、事故死か、殺害か?
7.小さな溢血点
8.溺れたのか殺されたの
9.兄の涙
私の評価としては、★★(二つ星:お好みで)(最大は五つ星)
著者の本を私が読むのは3冊目で、いささか慣れてきて、マンネリに感じられる。
死体の細かな器官の状態や、死んだときの身体の状態などによって殺害か、自殺か、事故かなどが決まるようだが、詳細には興味がない。その差により起こるドラマの方に興味があるのだが、話は平凡。
(最後に書いたメモの話だけが涙、涙)
上野正彦(うえの・まさひこ)
1929年、茨城県生まれ。医学博士。元東京都監察医務院院長。
1954年、東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入る。
1959年、東京都監察医務院監察医
1984年、同院長、30年間で2万件以上の研死、5千体以上の解剖、300件以上の再鑑定を行った。
1989年、退官後法医学評論家、『死体は語る』が65万部のベストセラー
その他、『監察医の涙』『神がいない死体 平成と昭和の切ない違い』
以下、年とって涙もろくなった私のメモ。引用が多すぎるのだが、白字とするので、ご勘弁を。
50代の息子が仕事を辞めて80代の認知症の母の介護をしていた。生活保護申請は「頑張って働いてください」受理されなかった。
覚悟して、思い出の場所を車椅子で回り、朝になった。
「もう生きられへん。お金、ないやろ。ここで終わりやで」
霜が降りている寒い朝、息子がそういうと母が答えた。
「そうか、あかんか。お前と一緒やで」
「すまんな」
息子が涙を流して謝ると、母は息子を自分のところへ呼んでいった。
「お前はわしの子や、わしがやったる」
その言葉を聞いて息子は自分がきちんとやらないといけないと決意、・・・、息子の方一命を取りとめた。
裁判の中で息子は、
「介護に疲れることはあったが、嫌になることはなかった。むしろ楽しかった。母の大切な命を奪ってしまったが、もう一度、母の子で生まれたい」
被告は殺人(承諾殺人)では異例の執行猶予つきの判決がくだされた。
ここまで。