hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

抗ウイルス・マスクを求めて

2009年04月30日 | 世の動向
豚インフルエンザ(H1N1)の世界的大流行(ハンデミック)のリスクが差し迫っていると、警戒水準をフェーズ5に引き上げるだろうとの話で、ちまたの抗ウイルス・マスクが売切れ始めているという情報があった。
5月中からオーストラリアに10日ほど出かける予定なので、これ大変とばかり、今朝早くから、ドラッグストア、薬局、調剤薬局に奥さんが電話をかけまくり、抗ウイルス・マスクが残っている店をようやく探した。



まだいくつか残っているという店に駆けつけると、残っていたのは小さめサイズのみがわずかあるだけだった。このマスクは医療機関でも使っているという話だったが、この後行った他の数店にはなかった。なにしろWHOだの、米国政府だのの名前があり、ウイルス飛沫99.99%捕集など難しそうな数値がならんでいるので、信頼できそうだ??
何度か使えるが、一日使用した後、風通しの良いところで2日以上陰干しをするので、一人3枚必要だ。しかも、一枚473円と高い。小さめサイズの2枚のみ確保。




いずれにしても、小さめサイズだけだったので、他店に行った。カゼや花粉の文字はなく、「細菌・ウイルス対策マスク」と銘打ってあり、性能の数値はないが、一般向けとしては本格物らしく見える。裏には、「酵素の除菌効果は半永久的ですが、本製品は水洗いのできない使い捨てですので、汚れが目立ってきたら新しい物と交換して下さい。」とある。これは、一枚471円で安い。数枚確保。




再使用できるものを求めてさらに他店に行くと、「カゼと花粉だけでなくウイルスもカット!」との商品があった。「カゼと花粉だけでなく」とあるところが、本格物でなさそうな気がする。しかし、洗濯してまた使えるとある。ウイルスそのものを99%カットというのも本当かなと思う。一枚294円。残っているのは女性・子供用だけだっが、2枚ご購入。




帰りがけに、ドラッグストアをのぞくと、「空気中の微粒子99.9%カット」とあるマスクを見つけた。使い切りタイプで5枚で470円。しかし、またも女性用のみなので、ひとつだけご購入。




ここまで来たらと足を延ばして、もう一軒。「ウイルスの侵入が気になる方へ」とあるマスクを見つけた。しかし、説明を見ても、「Ag+ファイバーフィルターでウイルスを入れない、通さない」とあるだけで、性能数値がひとつも書いてない。使い切りタイプで、5枚入りで、598円。やや小さめのみだったが、2つご購入。
やけになってさらに探すと、すぐそばの系列店にふつうサイズがあった。ふつうサイズ、5枚入りで698円。数個購入して、ようやく十分な数を確保した。




ようやく帰宅し、うがいと手洗い。疲れきってしまい、なんだか体力保持が一番の対策のような気がして昼寝した。





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昭和記念公園へ

2009年04月29日 | 行楽

立川警察署で国際運転免許証を取ったあと、昭和記念公園へ行った。といっても、ほんの入口部分のみどりの文化ゾーンだけだ。

立川駅北口にもっとも近い「あけぼの口」を入ると、道の向こうに「花みどり文化センター」が広がっている。



センターから振り返ると、芝生の「ゆめひろば」の向こう遠くに多摩モノレールが走っている。



かなり広い広場だが、地図を見ると、「みどり橋」の向こうに、10倍もの広さの公園がある。




とりあえず、「花みどり文化センター」に入ると、小規模な催し物がいくつか並んでいる。

「日本庭園展~小形研三の世界~」は有名な造園家であるらしい小形研三氏の造園観の展示があった。



その他、

「こもれびの里展『炭を大地へ!』」:お花炭や炭の鉄琴などの作品、炭焼きの活動の紹介

「日本の緑のパイオニア展」:日本の昭和初期の植物研究のパイオニアである牧野富太郎、南方熊楠、三木茂の軌跡の紹介
南方熊楠というと出てくる気味悪い「粘菌」なるものの写真をじっと眺めた。

「東京花紀行~瀬戸豊彦写真展~」:花をテーマとした写真作品30点の展示があった。
下の写真は、展示してあった昭和記念公園のコスモスの写真だ。



エスカレータで上へ上り、「みどり橋」を渡る。



橋の下は、153号だ。



橋を渡り、広場を行くと、「立川口」がある。柵の間からのぞくと、花が一杯、小学生も一杯だ。



独りで入ってもしかたない。奥様とまた来ることにしようと引き返した。開花情報を見ると、

終了:コブシ モクレン、ユキヤナギ、ソメイヨシノ、オオシマザクラ

見頃過ぎ:クリスマスローズ、ナノハナ、サトザクラ、ウコン ギョイコウ

見頃:チューリップ、ムラサキハナナ、ハナミズキ、アイスランドポピー、ネモフィラ リナリア

とある。

帰りがけに、「花みどり文化センター」内の「昭和天皇記念館」に寄った。昭和天皇については、戦前はもとより、戦後、全国を行脚したお姿も私は覚えていない。後年の「あっそ」という好々爺の印象が深い。



入って目に入るのは、旧御料車のメルセデスベンツ770Kだ。1932年型で、長さ5490、幅1850、高さ1930mmとかなり大きい。正面の菊の御紋章が立派だ。
お召し列車の1/10の精巧なモデルもある。

宮殿表御座所「菊の間」でご公務する天皇が山のような書類に印を押す写真がある。その前にある机と椅子は本物だ。机は立派だが、椅子はどこにでもあるもののようだ。

「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ ・・・」という「終戦の詔書」の御署名原本(複製)があった。確かに、ラジオでこれを聞いても、なんだかわからない人がいたのも納得できる。

また、玉音放送の朝の予告アナウンスの他、昼の玉音放送前後のアナウンス原本があった。
「全国民に対し畏くも・・・」で始まり、最後は「謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります」だった。

長らく望まれていたという沖縄訪問が、1987年(昭和62年)秋の沖縄国体で実現する予定であったが、ご病気になり断念された。皇太子が名代として伝えた「おことば」とお歌があった。

「思わざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果たさむ つとめありしを」

天皇陛下ばんざいを叫んで多くの人が死んでいった沖縄へどうしても行きたかったのだろうとお気持ちをお察しする。

1975年(昭和50年)に米国のディズニーランドに行き、腕時計を贈呈された。中央にミッキーマウスの絵のある子供向け時計だが、長らくご愛用になっていたという。あのお顔でミッキーの時計をはめている写真が掲示されていた。





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福岡伸一「動的平衡」を読む

2009年04月28日 | 読書2
福岡伸一著「動的平衡-生命はなぜそこに宿るか」2009年2月木楽舎発行を読んだ。

「生物と無生物のあいだ」などの著者で分子生物学者の福岡伸一氏による8章からなる科学エッセイ集だ。雑誌「ソトコト」やダイナースカード会員誌「シグネチャー」に連載した記事をまとめたもので、著者の他の著書とダブル記述も多く、話題は多岐にわたる。しかし、著者が集大成と言っているように、「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という主題は貫いている。関連する枝葉の話も面白い。

動的平衡(dynamic equilibrium)とは、絶え間なく動き、入れ替わりながらも全体として恒常性が保たれていること。

個体は感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかし、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかないのである。

生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子に置き換えられている。・・・だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。

新たなタンパク質の合成がある一方で、細胞は自分自身のタンパク質を常に分解して捨て去っている。・・・合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」であるからだ。


その他の話として例えば、以下がある。

私たちが今、この目で見ている世界はありのままの自然ではなく、加工され、デフォルメされているものなのだ。デフォルメしているのは脳の特殊な操作である。・・・ことさら差異を強調し、わざと不足を補って観察することが、・・・長い進化の途上、生き残るうえで有利だったからだ。

胃の中は「身体の外」
人間の消化管は、・・・身体の中を通っているが、空間的には外部と繋がっている。・・・単純化すれば、人間の身体はチクワのような中空の管にすぎず、その他の穴はチクワの表面に開いた穴や窪みでしかない。

普通、ある種の生物に感染できる病原体は、別の種を宿主とすることができない。鍵が合わないからである。・・・ヒトの病気はヒトにうつる。ヒトを食べるということは、食べられるヒトの体内にいた病原体をそっくり自分の体内に移動させることである。その病原体はヒトの細胞に取りつく合鍵を持っているのだ。だから、ヒトはヒトを食べてはならない――。


コラーゲンやグルタミン酸ソーダを食べても、消化器でばらばらのアミノ酸に分解されて新しいタンパク質の合成材料になる。そのまま吸収されて、肌が美しくなったり、頭が良くなることはない。

プロローグ 生命現象とは何か
第1章 脳にかけられた「バイアス」―人はなぜ「錯誤」するか
第2章 汝とは「汝の食べた物」である―「消化」とは情報の解体
第3章 ダイエットの科学―分子生物学が示す「太らない食べ方」
第4章 その食品を食べますか?―部分しか見ない者たちの危険
第5章 生命は時計仕掛けか?―ES細胞の不思議
第6章 ヒトと病原体の戦い―イタチごっこは終わらない
第7章 ミトコンドリア・ミステリー―母系だけで継承されるエネルギー産出の源
第8章 生命は分子の「淀み」―シェーンハイマーは何を示唆したか



福岡伸一は、1959年東京生まれ。京都大学卒。ロックフェラー大学およびハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授を経て、青山学院大学理工学部教授。分子生物学専攻。2006年第1回科学ジャーナリスト賞受賞。講談社出版文化賞科学出版賞、2007年サントリー学芸賞受賞。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

最新の分子生物学の成果を一般人向けのわかりやすいエッセイになっている。著者は文章が上手いので、知識がなくても、理解でき、楽しめる。

分子生物学という限定的な立場であるが、「生命とは」など哲学的話も多い。また、著者自身が身近に接した科学者の話も紹介されていて最新研究現場の臨場感もある。




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立川で国際運転免許証取得

2009年04月27日 | 海外

5月にオーストラリアのゴールドコーストでレンタカーを借りるので、国際運転免許証を取りに行った。
横浜にいた去年までは、歩いて運転試験場へ行った。吉祥寺ではどこに行くのかな、と調べてみた。都内居住の人は、府中、鮫洲、江東の試験場ならどこへ行っても良いが、免許更新センターや警察署は、居住地により行き先が決まっている。多摩全域は、なんと立川警察署の免許更新事務所だ。吉祥寺にいて、なんで立川くんだりまで行かないといけないのか。

しかし、10年ぶり?に立川駅の北口に降りてびっくり。都会だ。吉祥寺も、三鷹も負けた。確か以前はさえない駅で、モノレールが出来て多少マシになったと思ったのだが、大規模な開発があったようだ。





ホームレスの人が売っているビッグ・イッシューを買って、



昭和記念公園方向へ歩いて行くと、多摩モノレールと楕円形の立川北駅が見えた。





目がチラチラする斬新なデザインの建物がある。



建物の横に階段があると思ったら、



トマソン*じゃなくて、ゲイジュツだった。



そのほかにも、座りたくないベンチや、



アフリカの王様??がいて、



ビルの陰でもひっそりとゲイジュツしていた。



立川警察署は昭和記念公園みどりの文化ゾーンの北西にある。JR立川駅から15分くらいだろうか。運転免許証更新事務所は警察署の南東の角のごく狭いエリアだった。
国際運転免許証を取る人は一人もおらず、渋滞ゼロ。持参のパスポート、運転免許証と5*4cmの顔写真、そして期限切れの国際運転免許証を提出。

写真はこれでは受け付けられないと係りのおじさんに拒否された。スナップ写真を自分でプリントしたもので、顔は正対しているが、身体が多少斜めで、セーターを着ていて、色は多少赤みがかっている。
何が悪いのかとさんざん追求したが、ただ、「すいませんねー。これでは証明写真としてはどうも。」と言うばかり。「じゃあ、けっこうです」と帰ろうと思ったが、外の自動撮影機で600円、交通費が往復420円と考えて、踏みとどまる。まもなく11:30からの昼休みになってしまう。お役所仕事め、けしからん。仏頂面のまま写真を撮って、提出。

5分位待って、2650円支払って、国際運転免許証を受け取った。後から、あの係りのおじさんが追ってきて、「すいませんね。この返還いただいた国際運転免許証は神奈川県公安委員会のものなので、こちらは東京都公安委員会なので受け取れないんですよ。神奈川の方に返還していただけますか」という。ますます仏頂面で、ひったくるように受け取った。「返したって、どうせ捨てるだけだろう。縦割り行政め。誰がわざわざ返送などしてやるものか」

腹立ったので、そのまま帰る気にならず、昭和記念公園をぶらぶらすることにした。


*トマソンとは、不動産に付属してあたかも芸術のように美しく保存された無用の長物のことで、赤瀬川源平ら路上観察学会によって超芸術トマソンと名づけられた。トマソンは当時の三振新記録をつくりながら巨人の4番に居座ったお雇い外人選手の名前。


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川村湊「村上春樹をどう読むか」を読む

2009年04月26日 | 読書2
川村湊著「村上春樹をどう読むか」2006年12月、作品社 発行を読んだ。

村上春樹は、芥川賞をもらい損ねたことでわかるように、日本の作家、批評家のかなりな部分が評価していないように思える。私自身も、面白く読む気持ちが半分、フェイク(まやかしもの)と思う気持ちが半分だ。
私にとって、日本文学の将来の方向などはどうでも良く、フェイクであろうと面白いことが一番なので、楽しく読んできた。しかし、考えてみれば、なぜ村上春樹を評価しない人がいるのか、あるいは、そのように評価されているのか、村上春樹に関する評論を3冊ほど読んでみた。

今回はその最後の第3弾。



村上春樹は、1979年文壇登場以来、喪失感漂う同世代の青春をポップな感覚と洒脱な表現、柔らかな叙情性で定着させ、今や国際的に評価されている。これに対し、著者は各小説の細かい点をあげつらって、強引な批判を加える。

例えば、以下だ。

「グローバル化進展中の国(中国、ロシア、東欧)では、村上春樹の小説は、高度資本主義社会下での個人の生き方、ライフスタイルの教科書かモードブックのように読まれている。マンションの一室に住み、冷蔵庫に缶ビールが満たされ、GパンとTシャツとスニーカーで暮らし、会社勤めはせずに自室で“文化的雪かき”のような仕事で収入を得ている独身男・・・」

「この(9・11)大事件に対して、村上春樹ははきりとした反応を示したことがない。アメリカに仕事部屋を持ち、多くの自作をアメリカで翻訳出版し、また多くのアメリカ文学を自分で日本語に翻訳している彼が、「アメリカ」での歴史的な大事件にほとんど反応していない・・・」

「毎日新聞に『神宮球場の外野席で・・・』と題した文章で、・・・神宮の生ビールが東京ドームより百円安いといったことを書いている間、アメリカ軍(とイギリス軍)はアフガニスタン攻撃を開始し・・・」

「村上春樹の小説は、・・・『新世界』を目指す物語なのであり、・・・。それは彼が自分の作品世界とすべき『場所』を持たない・・・」「それが世界に受入れられた原因の一つだ。」



以上のようにイチャモンともいえる批判を加えた後で、「おわりに」で著者は言う。

村上春樹をどう読むかではなく、私は、村上春樹はいつ『文学』になるか、を問うべきだったかもしれない。彼の小説の言語は、身体性から限りなく離れた記号的なものであって、それは意味をつるつると咀嚼し、嚥下し、消化して、後には何も残らない、限りなく透明に近い文章なのだ。村上春樹はそれを『文体』だと勘違いしているようだ。・・・
こんなわかりやすく、こなれやすいものが『文学』であるはずがない。そんな声に応えて彼は、作品のここかしこに罠や落とし穴や迷路をこしらえて、小説をませに言語のゲームと化そうとした。それが新しい文学の誕生であり、・・・とは思えない。

これもあまりの言い様だ。深刻さがないと文学でないのだろうか。以上に続けて、著者は「私は従来の『文学』にとらわれているのかもしれないが」というようなことを言っているのだが。



川村湊(かわむら・みなと)は、1951年北海道生まれ。法政大学法学部政治学科卒業。1982~86年韓国・東亜大学助教授を経て、現在、法政大学国際文化学部教授。文芸評論家。1980年「異様なるものをめぐって─徒然草論」で群像新人文学賞受賞、1995年「南洋・樺太の日本文学」で平林たい子文学賞受賞、2004年「補陀落―観音信仰への旅」で伊藤整文学賞。他の著書に、「異郷の昭和文学」「戦後文学を問う」「満洲崩壊」「妓生」「補陀落」等。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

私も、村上春樹の小説が、哲学的とも、含蓄あるものとも、社会への異議申立てであるとも、人間愛にあふれているものとも思わない。しかし、同時に、外面だけの言葉の遊びだけとも、ファッションだけとも思わない。確かに、いきなり異様な話が出てきて、ホラー的な場合がある。その場合でもカフカ的と言えば言えるし、変な隠喩を想定しないでも、そのまま飲み込んでそれなりに面白く先に読む進めることができる。

今後の新しい文学の方向とも思わないが、一つの個性的文学であることは間違いないと思う。そして、村上春樹の文壇・既存メディア無視、無国籍性、一方では、インターネットで丁寧に質問に答えるなど、自分の生き方を貫く姿勢に好感、あこがれを覚える。



似た題名の本に、「世界は村上春樹をどう読むか」(編集:柴田元幸、藤井省三, 沼野充義, 四方田犬彦、2006年10月、文藝春秋発行)がある。この本は、17カ国、23人の翻訳者、出版者、作家が一堂に会し、それぞれの国で村上春樹がどのように読まれているか、意見を交換したシンポジウムの記録集だ。

シンポジウムの後で沼野充義氏はこう述べたという。
村上春樹が世界でかくも受容されているのは、彼が全てを露わにせず、解釈を読者に委ねているからだろう。三島由紀夫や川端康成のように、「日本的なもの」や特定の思想をはっきりと提示し、読者の役目がそれを受け取るか否かだけになるならば、このようなシンポジウムは成立しえまい。もし成立にこぎつけたとしても、それはどれが正当な解釈か、といった論争に発展するばかりで、今回のように多様な読みを許容するものではないだろう。ハルキは自らは何も語らず、常にひっそりと隠れている。


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「村上春樹スタディーズ 2000-2004」を読む

2009年04月25日 | 読書2

今井清人編「村上春樹スタディーズ 2000-2004」2005年5月、若草書房発行を読んだ。

村上春樹に関する評論を3冊ほど読んだが、今回はその第2弾。

作家・村上春樹およびその作品に関し、1999年後半から2004年という期間に発表された論文をまとめた本。

村上春樹に関する批評:
山根由美恵、山崎真紀子、小谷野敦、舘野日出男、加藤典洋、太田鈴子、明石加代、半田淳子、松浦雄介、池田信寛、遠山義孝、許均瑞

解説:今井清人
文献総覧:山根由美恵

なお、この本の続編である「村上春樹スタディーズ 2005-2007」が2008年3月に若草書房から発行されている。

村上春樹を評価する批評家は、川本三郎、福田和也、加藤典洋、川村湊、竹田青嗣、柘植光彦などで、批判的なのは、坪内祐三、渡部直己、柄谷行人、蓮実重彦、笠井潔、千石英世、畑中佳樹などだそうだ。
どうやら、批評家を二分しているらしい。批評商売繁盛で結構なことだ。

いくつか挙げる。

小谷野敦「のノルウェイの森を徹底批判する」では、男性は「一度でよいからこんな風にモテテみたい」と思い、女性は「ワタシもこんなオシャレなカイワがしてみたいわ」と思い人気になっている。
私が春樹を容認できない理由は、たった一つ。美人ばかり、あるいは主人公好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と「寝て」くれて、かつ二十代の間に「何人かの女の子と寝た」なぞというやつに、どうして感情移入できるか、という、これに尽きるのである。 

斉藤美奈子は、「どうせ元々RPG小説なんだから」と言ったらしい。

加藤典洋は、「スプートニクに恋人」で、小説世界/現実世界、第一世界/第二世界/第三世界の話かを丁寧に分析して図に書いて説明している。ご苦労様。



私の評価としては、★☆☆☆☆(一つ星:無駄)



村上春樹とその作品に関する論評本を3冊続けて読んだためもあり、とくに細かいことをグジャグジャ言っているのこの本にはうんざりして、途中読み飛ばした。
夏目漱石と村上春樹を対照させて論評したり、村上春樹の作品の中の中国への違和感を記述した部分をえぐり出し、差別意識があると論じたり、重箱の隅を強引で、我田引水な論理で決め付ける。
もう文芸評論本はこりごりだ。小説は、私には、面白く読めればそれで良し。


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「群像日本の作家 村上春樹」を読む

2009年04月24日 | 読書2
加藤典洋他著「群像日本の作家 村上春樹」1997年5月、小学館発行 を読んだ。

「風の歌を聴け」で登場以来、次々とベストセラーを記録し、今や世界中の読者に支持される村上春樹。しかし、しゃれた新感覚の装い、文章表現の巧みさなどは衆目の一致するところだが、新しい文学かどうか、内実のある小説なのかどうかなどについては、批評家の意見は二分される。

村上春樹に関する評論を3冊ほど読んでみたが、今回はその第1弾。

この本は、ハルキ・ワールドを分析し、村上春樹の人と文学の全容を探ろうとする作家・作品論。

作家論では、三浦雅士・川本三郎・福田和也・加藤典洋ら若い世代からの分析。
作品論では、川村湊・吉本隆明・丸谷才一・吉行淳之介らがさまざまにアプローチ。
その他に代表作ガイドや年譜・対談・インタビューなど。



私が共感できたところをいくつか挙げてみる。

彼の文体には、海で泳いでいるとき、ふと足元に冷たい水流が流れているのを感じるような、どこが奥の方で寂寞感を感じる。

主人公は、すべてのことに無関心、悟りきっていて、「・・・、それだけのことさ」という言葉が良く出てくる。

「・・・先月離婚したのよ。離婚した女の人とこれまでに話したことある?」「いいえ、でも神経痛の牛には会ったことがある」
主人公は、この会話のように、女性の過剰さを受けとめたら、引き込まれてしまうとき、会話の方向をずらすしゃれた答えをする。相手を傷つけずに、自分を透明化する答えだ。

村上春樹の作品には「青春小説」であるにもかかわらず、「家庭」や「両親」は一切出てこない。
村上春樹は、ある映画について、
「家族」や「両親」が顔を出すのがブチコワシだと批判したあと次のように書いている。
「青春あるいはアドレセンスというものは所詮ある種の虚構性の上に成立しているものであり、そこにリアリティーをこじつけようとする試みは必ず失敗に終わる。必要なのはリアリティーを描くことではなく、リアリティーを的確に示唆することである」

村上春樹はあくまでも「洒落っ気と軽み」の作家であり、自分の作品で現代の普遍性を語ろうと気負ってはいないことも確かである。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)



大雑把に言えば、作家の人の評論では、著作を全体としてとらえ、自分とは異なるが、このやり方もあるとして、一定の評価を与えている。一方で、評論家は、村上春樹を評価する人も、しない人も、自分の論旨にあう個々の作品の細かい点だけを取り出して、強引な理屈で決め付けている場合が多い。個々の話は面白くても、統計的評価が欠けた全体評価であって、理工系の論理からすれば、反論する気もなくなるほどひどい議論だ。

この本には、村上春樹の作家デビュー前の様子など本人の逸話もわすかだが語られている。会社勤めはだめと思い、自分と奥さんがアルバイトしてためた金でジャズ喫茶を始めたこと、ジャズや車やファッションにこだわりと知識があり、英語が堪能で、原則として締切りのある原稿は引き受けない、文壇とはお付き合いしないなどなどこだわりのある村上春樹はかっこいい。

次回以降紹介の本に比べ1997年発行と古いので、最新作や、海外での評価が反映されていない。



この本は、幅広いアプローチで村上春樹に迫ろうとしたもので、以下参考までに目次をあげてみる。

作家アルバム(作家の肖像 村上春樹)
インタビュー 村上春樹の立っている場所(加藤典洋;島森路子)

作家論
村上春樹とこの時代の倫理(三浦雅士)
風と夢と故郷―村上春樹をめぐって(渡辺一民)
伝達という出来事―村上春樹論(井口時男)
1980年のノー・ジェネレーション―村上春樹の世界(川本三郎)
ほか(鈴村和成、松本健一、加藤典洋、福田和也)

作品論
『羊をめぐる冒険』(川村二郎)
夢のなかの自我『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(山崎正和)
謎と発見 村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読む(井上ひさし)
『回転木馬のデッド・ヒート』(関井光男)

ひと
『風の歌…』前後(小野好恵)
村上春樹さんについてのいろいろ(安西水丸)

対談
進化するテクスト―『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をテクストに(若森栄樹;柘植光彦)

キーワード
羊のレストラン―村上春樹の食卓(高橋丁未子)
続・キーワードで読む村上春樹(久居つばき)

文学賞選評
吉行淳之介
丸谷才一

代表作ガイド

年譜

収録文解説







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松原惇子「『ひとりの老後』はこわくない」を読む

2009年04月23日 | リタイヤ生活

松原惇子著「『ひとりの老後』はこわくない」2007年12月、海竜社発行を読んだ。

女性は独身であれ既婚であれ、七十代にはシングルになる可能性が高い。中でもシングルの女性は「女ひとりの老後」にとりわけ不安を持っている人が多い。
著者は、10年前からひとりを生きる女性がにこやかに、最後まで幸せに暮らせる環境づくりを目指した事業、SSSネットワークの代表として活動してきた。その中で、ひとりのシニアライフをサポートするノウハウを開示している。

第1章 このまま“ひとり”だったらどうしよう?―ひとりで生きる心構えを持つ
第2章 頼れる人はいますか?―いい人間関係を築く
第3章 病気になったら?災害が起こったら?―心配する前にできることがある
第4章 介護が必要になったら?―転ばぬ先の情報を得よう
第5章 お金のこと、財産のこと―遺言を書くと安心できる
第6章 終の住処はどこにする?―自分に合う最後の場所は必ずある
第7章 葬式は?お墓は?―早めに決めておくと安心です


松原惇子は、1947年埼玉県生まれの団塊世代。昭和女子大学卒。ノンフィクション作家。NY市立クイーンズカレッジにてカウンセリングで修士課程修了。「女が家を買うとき」で作家デビュー。1988年「クロワッサン症候群」はベストセラー。1998年に「個を生きる女性たち」を応援する団体、SSSネットワークを立ち上げる。

著者は同じ海竜社から、2009年1月にこの本の決定版だという「これで解決!『ひとりの老後』」を出している。内容は、著者が代表である“SSSネットワーク”の会員600人に大規模なアンケートと取材を実施した結果のようだ。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)



書いてある個々の内容は、新聞、雑誌、書籍などで既に書かれていることが多く、一部、成年後見人制度など以外には、なるほどと思う新しい情報はほとんどなかった。ただ、全体的によくまとまっていて、老後に心配となる点は、突っ込みが浅いが、ほぼすべて網羅していると思う。

いざの、いざという時なら別だが、現在では多くの既婚者が子どもに頼れないことが多いし、頼りたくないと思っているだろう。既婚者で、子どもがいても、シングルでも老後の困難さは基本的に変わらないと思う。しかし、上野千鶴子著「おひとりさまの老後」がベストセラーになったためであろうが、著者もシングルである点を強調し、話がシングルに偏っているのも気になった。



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池田弥三郎「万葉集-美しき“やまとうた”の世界」を読む

2009年04月22日 | 読書2

池田弥三郎著「ビジュアル版日本の古典に親しむ3 万葉集-美しき“やまとうた”の世界」2006年1月、世界文化社発行を読んだ。

日本最古の歌集である万葉集の4500首を超える歌から、108首を選び、歌にちなんだ風景写真と、わかりやすい現代文と解説を載せている。
ゆかりの地にロケして撮った何千枚もの写真の中から、歌に合わせた絵作りをしたという本で、一面の写真の上に文字を載せた万葉写真集ともいえる。



額田王の「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
天武天皇「紫の 匂へる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに わら恋ひめやも」
これらの歌は、神事のあとの乱酔乱踊で、天武が武骨な舞を舞って袖を振ったのを、才女だが40歳過ぎの額田王がからかいをかけ、天武が即座にしっぺ返しをしたのだという。

私の好きな歌をいくつか。

柿本人麻呂
「東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへりみすれば 月かたぶきぬ」
「近江の湖(うみ) 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしぬに 古昔(いにしへ)思ほゆ」

志貴皇子
「岩激(いはばし)る 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも」

作者不詳
「幸福(さきはひ)の いかなる人か 黒髪の 白くなるまで 妹が声を聞く」

大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)
「恋ひ恋ひて 逢える時だに 愛(うつく)しき 言(こと)つくしてよ 長くと思(も)はば」

紀女郎(きのおとめ)
「今は吾(わ)は 侘(わ)びぞしにける 生きの緒に 思ひし君を 放任(ゆる)さく思えば」 (今となってわたしはもう、悲観していることだ。絶えず思い続けて来たあの人だったのに、その人を、自由に振るまわせていると思うというと)

大伴家持
「隠(こも)りのみ をればいぶせみ 慰むと 出で立ち聞けば 来鳴く寒蝉(ひぐらし)」(家の中にじっとひきこもっていたので、憂鬱な気持ちになって、心が慰むかとそとに出て行った。ふと聞きとめたのは、近くに来て鳴き始めた、ひぐらしの声だった)
「春の野に 霞たなびき うらがなし この夕光(ゆうかげ)に 鶯鳴くも」
「わが宿の いささ群竹(むらたけ) 吹く風の 音のかそけき この夕(ゆうべ)かも」
「うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 心かなしも 独りし思へば」


池田彌三郎(1914年-1982年)は、東京都生まれの国文学者、随筆家。折口信夫に師事し、その没後は「折口信夫全集」の編集に心血を注いだ。慶應義塾大学教授を務める一方で、国語審議会の委員を4期8年間務めた。国文学者。1980年「池田彌三郎著作集」で芸術選奨文部大臣賞受賞。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

万葉集をめぐる歌人たちの人間関係の図があり、ゆかりの地・関連事件などの解説もあって、万葉集の主要部分、全体像を理解することができる。ゆかりの地の写真も思いを募らせる。
万葉集を4期に分け、各年代別に満遍なく秀歌を選んでいる。万葉集全体を知るためには良い本だ。しかし、好きな歌人の歌を味わう、あるいはお気に入りの歌を探すためには、全体数が108首だけで、その中で作者不詳や、東歌なども多く、十分な数がない。


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平安寿子「恋愛嫌い」を読む

2009年04月21日 | 読書2
平安寿子「恋愛嫌い」2008年10月、集英社発行を読んだ。

「感情の量が足りない、色気皆無と言われる」「諦めるのは何より上手」「前向きという言葉が嫌い」等、恋が苦手な女性達を描いた、リアルでじんわりと勇気をくれる連作短編集。

最近よくある女性達の友情物語で、3人を交互に描くこれも最近多い連作形式。
勤め先も異なる3人はプライベートに干渉しないで、基本的にランチのときだけの、距離を保った付き合いしている。35歳の鈴枝、29歳の喜世美、26歳の翔子と年代も少しずつずれている3人が思わぬ縁で知り合う男との関係で揺れ動く。

感情に溺れない、溺れられない性分の喜代美は、危なくなると、「バカじゃないの?」ともう一人の自分がツッコミを入れるあきらめ上手。「あきらめてばかりいたら女の干物になるわよ」と言われてしまう。

ペットの猫、ブログとレンタルビデオだけの生活の人付き合いが苦手な翔子は、オシャレにまったくかまわないくせに面食い。

知性派美人でスタイル良く、毒舌家の鈴枝は、考え事をすると眉間にしわがより怖い顔になり、色気がない。頑張って何でも前向きというのが大嫌い。

いずれも、候補の男性が現れ、決定的欠点もないのだが、女性達は積極的になれず、最後のところで踏み切れない。昔と違って、出産限界のみで婚期がなく、独り暮らしの現状維持が可能だと、ためらい続けるのかもしれない。



平安寿子は「たいら・あすこ」と読む。私は、「へいあん・としこ」と読むのかと思っていた。
平安寿子は、1953年広島県生まれ。1999年「素晴らしい一日」でオール讀物新人賞受賞。2005年「グットラックららばい」が「おすすめ文庫王国2005年度版」で本の雑誌が選ぶおすすめ文庫ベスト10の第1位に選ばれる。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)


最後がバタバタとまとめてしまったのは残念だが、それぞれの人物は良くかけていて、軽く読め、そして楽しめる。

はっきりしない相手の気持ちがわからないという男性はこの本でも読めば、場合によっては当てはまり、強引に出れば、成功するかも。もっとも、決定的破局に至っても責任は持てないが。

女性は反面教師として読むのがよいだろう。女性がこんな本読んで納得していたら、ますます縁遠くなる。結婚なんて勢いでするものでしょ。それじゃなきゃ、いつまでもできません絶対に。

「結婚前には両目を開き、結婚してからは片目をつぶっていることだ」と、17世紀イギリスの聖職者、トーマス・フラーは言ったそうだが、両目でしげしげ見たら結婚できない。結婚してから、相手との相違点、欠点も認めて、できれば許せるようになるしかない。私のように。いや、間違えた、「奥さんのように」でした。



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吉祥寺でジャズライブ

2009年04月20日 | インポート

吉祥寺に引っ越して半年。ジャズライブをやっている店を2店見つけた。

一つは、Live Bar & Italian Restaurant のStrings


階段の脇を地下へ降りて行くと、穴倉のような28席と小さな店だった。





19時からの営業で、19:30 or 20時からの2ステージ。月曜日が定休日。
本当に目の前で演奏するので、身近で、お客もお馴染みが多いようだった。



私たちが行ったときは、スパニッシュをやっていたが、あらためてプロの腕前と生の音に揺さぶられた。チャージは2-3千円。


もう一つは、Sometime Kichijoji

いくつもの看板がある入口から、ちょっとためらいを覚えるような階段を降りて行く。





中はレンガの壁に囲まれたアーリーアメリカンの装い。



演奏者を囲んで、かなりな数の席があり、奥には半地下と2階席もあった。
席につくと、いつの間にかテーブルの上に1ドル札が。チップ?



裏を返すとレシートだった。

ここは昼も11amから営業しているが、ライブは日曜日14:00からのみ。
平日は、19:30 or 19:45から、2 or 3ステージ。

ランチはたまたまかもしれないが、期待を持たないほうが良いと思った。
日曜の夜でも、奥の席はガラガラで予約は必要ないだろう。私たちが行った日はピアノ、ベース、ドラムとフィリピン系の女性歌手で、ご機嫌な時間だった。チャージは2,500円。


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「内科からみる自律神経失調症」を読む

2009年04月18日 | 雑学

渡辺正樹著「内科からみる自律神経失調症-9つの生活改善法」2008年9月、文芸社発行を読んだ。

ストレスがなぜ体の不調を招くのか、自律神経の機能とその失調によって起こる症状を内科医である著者が内科の視点から丁寧にわかりやすく解説した自律神経入門&健康ガイドブック。ストレスが内臓に響く前に実践すべき9つの生活改善法を提案している。

「まえがき」から
自律神経失調症の治療は、精神科的な方面から、薬物治療を含めた精神ケアが行われることが多いようです。しかし影響が内臓にまで及んでいた場合には、内臓のケアも必要になります。・・・この本においては、私は内科(厳密には神経内科)の立場から“残り半分”を述べたいのです。


第1部 自律神経失調症とは?
自律神経には「交感神経」と「副交感神経」があり、・・・どちらかがもう片方より強くなり、一方的に傾いてしまった状態-つまりバランスを失った状態を、自律神経失調症というのです。

ストレスが心に悪影響を及ぼした場合は、「不安」という形になり、それが進展すると「神経症」という病名がつきます。ストレスが不安に発展するのを防ぐ脳内物質は「セロトニン」です。・・・神経症にはそのセロトニンを脳内に増やす「SSRI」という薬剤が有効とされます。

交感神経からはノルアドレナリンが分泌されて臓器を「戦闘モード」にさせ、副交感神経からは「アセチルコリン」(これも神経伝導物質)が分泌されて臓器を「休息モード」にさせます。

体は休めていても、副交感神経が活発にならず、交感神経が働き続ける場合もあります。・・・また、逆に、体を動かしていても内臓が十分働かない場合も、体調はしっくりいかず、・・・これらの状態がまさに自律神経失調症で、・・・

交感神経は年齢に関係なく元気である一方、副交感神経は加齢とともに弱っていきます。

第2部 自律神経失調症とさまざまな症状・病気(フラツキ、メマイが起こる;立ちくらみが起こる;「怠け者」の中に自律神経失調症はいないか?(全身倦怠) ほか);

第3部 自律神経失調症の改善法
自律神経失調症に対する9つの改善法を提案します。どれも地道な生活上の心得と言えます。

1.スローライフ

2.体の芯を温めること (ゆっくり入浴など)

3.時間に追われないこと、感情を吐き出すこと
(副交感神経は排便や、唾液など体内の物質を外へ出すための交感神経で、感情も吐き出さなければ副交感神経も抑圧されることになる)

4.「ねばならない」と思わないこと

5.日本食を増やすこと

6.ニコニコ(ペース)散歩

7.ストレスに強くなること
(目標を立てて達成する、想像する、物を創るなどして前頭葉を活発に使うとドーパミンが分泌され、ストレスに強くなる)

8.セロトニン、βエンドルフィンを増やすこと
(βエンドルフィンは「快感物質」と呼ばれ、脳内でドーパミンの産出を促進させます。βエンドルフィンを増やすには、外での運動、読経など無我の境地になる、ワクワクしてハイになるのが効果的です)

9.右脳を使うこと(芸事、歩行、旅行、想像、瞑想をする)



渡辺正樹は、1958年、三重県生まれ。名古屋大学医学部神経内科にて博士号取得。名古屋第一赤十字病院神経内科副部長を経て、現在、渡辺クリニック院長。日本脳卒中学会評議員、日本動脈硬化学会評議員、日本神経学会認定医、日本内科学会認定医。


私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

きわめてわかりやすく書かれていて、各項の最後に2,3行のまとめや説明図がある。どうやったら防げるかは、明確、論理的には書いてない。そんな簡単な問題ではないので、それも仕方ないことだろう。



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憲法を学ぶ

2009年04月16日 | 日本

たまには真面目な話しをと、今回は、憲法9条の政府解釈の話。

友人の誘いを受けて、「憲法を学ぶ会」の講演を聞いた。浦田一郎、明治大学法科大学院教授が「政府の憲法解釈の変更と安保法制懇報告」と題し1時間半講演し、若干の質問を受けた。約20名の出席者だが、この種の会合ではほとんどが60歳以上なのだが、20代とおぼしき人が3,4人いた。
私にとって、40年ぶりの法律の話だったが、わかりやすく話されたので、集中して聞けた。

浦田一郎さんは、1972年3月、一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。山形大学教養部助教授、一橋大学大学院法学研究科教授を経て明治大学法科大学院教授。


1.政府の平和主義解釈の変化
1980年代までは、護憲派が自衛隊や安保を合憲とするのはおかしいと批判していた。現在では、改憲派が、集団的自衛権がないのはおかしいと批判している。

日本国憲法は、軍隊を持ち、戦争をすることを想定していない。なぜなら、明治憲法にあった誰が軍隊の統制権者か、戦争開始決定規定に触れていないからである。
そもそも憲法制定時には、自衛のためでも戦争しないとの解釈だった(吉田首相)。

1950年に警察予備隊、1954年に自衛隊ができると、自衛のための必要最低限度の戦力は違憲でないとの政府解釈になった。しかし、この解釈は、逆に、自衛力を超える軍事力は持てないということであり、集団的自衛権は認められないという解釈になっている。

現在の政府の解釈は、「憲法9条はすべての軍事力を否定しているようにも読めるが、個別的自衛権だけは認められている」というものである。

個別的自衛権:自分の国が攻撃されれば、反撃する権利
集団的自衛権:仲間の国が攻撃されれば、自国が攻撃されなくても戦う権利
両権利とも国際法上では認められている。つまり、反撃するかどうかはその国の判断で、反撃したとしても、国際的に非難されることはないという意味だ。

2.安保体制と集団的自衛権
安保条約5条に、日本が攻撃されたら米国は共同で反撃するとある。日本には集団的自衛権がないので逆はないが、代わりに6条に基づき、日本は米国に基地を提供していることでバランスをとっている。日本が集団的自衛権を持つと、現状のバランスが崩れるので、安保体制も見直さなくてはならない。

3.改憲の動き
国会の議事録では、政府解釈を変えない内閣法制局長官を罷免して集団的自衛権を認める憲法解釈をとらせるとか、憲法とは別に集団的自衛権を認める安全保障基本法を作るなどの議論がなされている。

安部元首相は、設置した「安保法制懇」に、(1)公海における米艦の護衛、(2)米国に向かう弾道ミサイルの迎撃、(3)国際平和活動における武器使用、(4)国際平和活動に参加する他国への後方支援について諮問した。2008年6月に福田前首相に提出された答申は、国際法(国連規則51条)を重視し、憲法でも集団的自衛権を認めていると解釈すべきというものだった。
しかし、国際法上の集団的自衛権は各国の義務ではなく、権利である。したがって、国内法の憲法で集団的自衛権を放棄し、行使しなくても国際法上の問題はないのだ。

民主党が政権交代優先で、自民党と違いを明確にするため、改憲に反対しているため、現状で自民党は、実質困難な改憲でなく政府解釈変更で集団的自衛権を獲得しようとしている。

ソマリア沖の海賊対処法案では、海賊対策は国際間の問題でなく、警察的行動と解釈している。北朝鮮ミサイル破片迎撃も北朝鮮と戦争するわけではなく、落ちてくるものを迎撃するのは警察活動としている。

4.質疑
集団的自衛権は国際法上では自然権、固有の権利と国連憲章に書いてあるのでは?
国際法としての権利ではあるが、国内法で認めるかどうかはその国の判断。つまり、反撃するかどうかはその国の判断で、反撃したとしても、国際的に非難されることはないという意味だ。

個別自衛権も自然権ではない。まず、戦争は禁止されている。これが大原則。しかし、例外としてルール違反する国があって、戦争を起こし攻めてこられたので、反撃したとしても、それは非難されることはないというのが個別自衛権。
ルール違反の国には、国連軍(未だ出来ていない)による集団安全保障が原則で、それまでの措置として個別自衛権がある。

集団的自衛権の行使を認めることは、実質的には改憲であり、解釈変更の閣議決定などで行うことは憲法上認められないと考えている。

内閣法制局は各省庁で法律に秀でている人の中から出向させて構成している。出向期間は通常より長めで約70名。

5.雑感
私は、最小限の軍備を持つのはやむをえないと考えている。そして軍備を持つことは厳密に言えば現憲法に違反するのだろう。しかし、この国のあり方について国論が一致しておらず、議論も十分でない現状で、憲法を改正するのには反対である。自衛隊の方には申し訳ないが、ありていに言えば、気持ち悪いから憲法を改正しましょうなんて硬いことを言うなということだ。大多数の日本人は私のように考えているのではないだろうか。

冷戦時代に自分で国を守れない小国が一方の大国と協定を結び、基地を提供などの見返りに、守ってもらうというのが、集団的自衛権の始まりではないだろうか。現在では、近いところに仮想敵国がいる小国がこれにあたるだろう。

日本は核こそ持っていないが、その軍事力は世界でも大きい方で、最近は不明だが、中国に匹敵すると読んだことがある。軍事情勢に疎いのに乱暴なことを言うと、そろそろ安保解消の努力を始めても良いのではないか。そもそも日本に米軍基地がある方が危険だ。
国際貢献はかって進めたことがない積極的な平和外交によるべきであり、国内向けポーズだけで、利益のない北朝鮮への強行姿勢などを改め、なにより、中国、韓国、北朝鮮、ロシアと友好関係を築くことに努力すべきだ。そして、それこそが最大の安全保障だ。






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散歩

2009年04月15日 | 老後

いつものように、本を返却しに図書館へ行くついでにぷらぷらとお散歩。

近道の桜並木もいまや桜じゅうたん。



突き出した枝に赤い花の咲く生垣がある。



マンションの入口脇に、少々大きいがツツジのような葉の木が花を咲かせていた。



つぼみは絞った梅干を重ねたようだ。



咲き始めると、一見、ルピナスみたいになって、



完全に咲くと、一つ一つはツツジだ。




保育園の庭には、もう大きな鯉のぼりが吊り下げられていた。



花屋さんの店先に、クレマチスが並んでいた。まだつぼみがいくつもあって、
980円。思わずご購入。



同じくバーゲンのアジサイを買ったのだが、庭に出して一晩置いたら、このありさま。



半日陰というのに日向に出しておいたからか、朝見たらひっくり返っていたためか。
水をやって、室内に入れてもしおれたまま。みるからになさけない。


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南木佳士「天地有情」を読む

2009年04月13日 | 読書2

南木佳士(なぎけいし)著「天地有情」2004年1月岩波書店発行を読んだ。

中年期うつと森田療法」を読んだとき、うつからの回復例として作家の南木佳士氏の場合が紹介されていた。



南木氏が末期肺ガン患者たちを看取る内科医としての生活の中で芥川賞を受賞し、心身ともに疲労しきったときに、強烈なパニック発作を起こし、初期治療の遅れからうつ病になった。そして、「どうしようのない自分をありのままにさらけ出し、以前の元気な姿に戻ろうとあせらなくなった頃からいくらか症状も軽くなってきた。・・・すべての不幸は、己もその一部に過ぎない有情なる自然を制御可能と思い上がることから始まるようだ」

図書館で「天地有情」という南木佳士のエッセイ集を見つけ、読んでみた。

天地有情とは、南木氏がうつ病のとき最良の薬になった哲学者大森荘蔵氏の言葉だ。

自分の心の中の感情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景に過ぎない。・・・暗鬱な梅雨の世界は、それ自体として陰鬱であり、その一点景としての私も又陰鬱な気分になる。・・・簡単に云えば、世界は感情的なのであり、天地有情なのである。その天地に地続きの我々人間も又、その微小な前景として、其の有情に参加する。それが我々が「心の中」にしまい込まれていると思い込んでいる感情に他ならない。

2000年から2003年にかけていろいろなメディアに掲載されたエッセイをまとめた本だ。題は、根を失った百年;信州人の選択;天地有情;厳寒の日;ふるさとの裏山;パニック障害とつきあって十年;東京の過剰な灯り;喜劇の鉄槌;本を読む元気;小説の背景としての故郷などだ。

10年近い闘病の中で、不調な心身に次第になじみ、発病前とは違った形に回復してきた。
共に苦労してきた同期の医師がガンで亡くなる話、子どもの頃の想い出の土地と人びとの話、最悪の体調だったときに書いた小説「阿弥陀堂だより」が映画化されるが試写会に行かない話、回復してから休日ごとに奥さんと山歩きする話など、辛苦の季節を通り抜けて、穏やかな心境に至るエッセイ集。



南木佳士は、1951年群馬県生まれ。秋田大学医学部卒業。小説家・内科医。「破水」で文学界新人賞、「冬の水練」「信州に上医あり」「八十八歳の秋」「ダイヤモンドダスト」で芥川賞受賞。「医学生」「阿弥陀堂だより」「海へ」「神かくし」「急な青空」。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)



南木氏がかかった精神科医は、研修医のころ教えたことのある医師で、内科ではあまり出来のよくない医師だった。自殺したくなるという南木氏に、彼は、最後に、「絶対に治る病気なんですから、それで死んだら喜劇ですよ」と念を押してくれた。
南木氏は書いている。
「わたしを救ってくれたこの言葉を反芻するたびに、戦争中、飯を食えなくなった戦友たちから先に死んでゆくのを見てきたという末期肺癌の患者さんが、亡くなる前日まで懸命に飯を食べていた姿を必ず思い出す」

南木氏の居た世界は、あまりにも過酷な世界だ。それだけに、今、辛い状況にある人は、この本で癒されると思う。



南木氏は、我々は急ぎすぎていると言っているのだろうか。
しかし、もともとゆっくり仕事していて、退職してからはあまりにものんびりした日々を過ごす私は、若いうちは自分のために、どんどん働けばよいと思ってしまう。
20歳から50歳まではしっかり働き、60歳まではブレーキをかけ、70、80歳まではのんびり過ごす。
もちろん、南木氏のようにあまりにも過酷な仕事を掛け持ちするようなことは無謀だと思うが、通常の仕事なら長時間でなく、密度濃く、集中して働くことは必要だと思う。真面目とは程遠いのでうつ病にかかる恐れのない私はそう思う。


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