hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

高田郁『心星ひとつ みをつくし料理帖』を読む

2011年08月30日 | 読書2
高田郁著『心星(しんぼし)ひとつ みをつくし料理帖』時代小説文庫、2011年8月角川春樹事務所発行、を読んだ。

「みをつくし料理帳」シリーズの『八朔の雪』(2009年5月)、『花散らしの雨』(2009年9月)、『想い雲』(2010年3月)、『今朝の春』(2010年9月)、『小夜しぐれ』(2011年3月)につづく第6弾で、ハルキ文庫の書下ろし。

お世話になった大阪の名料理屋「天満一兆庵」の若旦那を見つけ再建するという義、幼馴染の吉原の太夫を助け出すという友情、そして身分の異なる侍への秘めた恋、そしてこれらにからむ江戸の人をあっと驚かす創作料理。主人公のさがり眉の、地味だがひたむきな女性料理人澪(みお)を囲むこころ優しい人たちの出来事がしっとりとみずみずしく語られる。

宣伝に「シリーズ史上もっとも大きな転機となる、待望の第六弾!!」とある。義、友情と恋に決着がつこうとする。
迷いに迷った澪が聞く。
道が枝分かれして、迷った時、源斉先生なら、どうされますか」
源斉は澪の横顔に視線を移し、少し考えて、答えた。
「私なら、心星(しんぼし)を探します


すべての星は心星(北極星)を中心に回る。迷った時でも、自分の中には揺るぎ無い、これだけは譲れないもの、それこそが、そのひとの生きる標(しるべ)となる心星だというのだ。

第6弾ともなると謎もはっきりと姿を現す。恋する侍との話も具体的となり、謎の大夫も澪と言葉を交わす。相変わらず、かっての若旦那佐兵衛は登場しないが、江戸での様子を語る人が現れる。しかし、話の本筋は、庶民の手の届く値段で、驚きと食べる喜びにあふれた料理を生み出す天才料理人澪のひたむきな努力の過程だ。

巻末付録に話の中に登場する4品の詳しいレシピが付いている。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

シリーズ累計150万部突破というのだから、面白くないわけがない。

今回は、特別付録「みをつくし瓦版」がついている。何故に年2冊との質問には、内容、構成、料理を考えるのに1、2ヶ月、執筆に2ヶ月、推敲、取材に2ヶ月必要との答え。レシピの付かない料理も含めて作中の料理は全て作っているとの答えも。また、作者は、書き始める前に設計図を作ってしまうタイプで、「何巻でどんな出来事が起こるか、大枠は最初に決めています、最終話のタイトルと場面も決まっています。」とのことだ。
ウーン、次回が最終巻なのか?? あと半年、まちきれないが、終わってほしくもない。

小松原、源斉、佐兵衛、誰が澪と結ばれるのか? 天満一兆庵の再興の道筋は依然見えなくなったがどうなるのか? 
男同士の友情物語は昔からあるが、澪と野江、女同士の絆、友情もいいものだなあとしみじみ思うのだ。



高田郁(たかだ・かおる)は兵庫県宝塚市生れ。中央大学法学部卒。
1993年、川富士立夏の名前で漫画原作者としてデビュー。
2006年、短編「志乃の桜」で北区 内田康夫ミステリー文学賞区長賞受賞。
2007年、短編「出世花」で小説NON短編時代小説賞奨励賞受賞。
2009年、『みをつくし料理帖
シリーズ第1弾の「八朔の雪」は、「歴史・時代小説ベスト10」、「最高に面白い本大賞!文庫・時代部門」、「R-40本屋さん大賞第一位」を獲得。

その他、2010年『銀二貫
みをつくし料理帖シリーズ第4弾の「今朝の春」
みをつくし料理帖シリーズ第5弾の「小夜しぐれ」

銀二貫
の解説に毎日放送アナウンサーの水野晶子が書いている。
高田郁は非効率の人である。(中略)
まず、彼女は作品に登場する料理を全部、自分で作ってみる。それも一度や二度ではなく何週間も作り続け、納得のいく一品ができたからでないと執筆しない。
(中略)
「銀二貫」のときは、いつ電話しても「今、寒天をふやかしてるねん」とか「小豆を炊いてるねん」とか嬉しそうに話していた。

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山崎ナオコーラ『男友達を作ろう』を読む

2011年08月28日 | 読書2
山崎ナオコーラ著『男友達を作ろう』2011年6月筑摩書房発行、を読んだ。

山崎ナオコーラさんと14人の男性との対談集。しかし、対談相手はそれほど世に知られている人ではなくで、普通のお店の店主なども含まれる。そして、その対談内容も、話に詰まった山崎さんのとまどい、相手の様子などスケッチ風。

裏表紙にはこうある。
男の人と友情を築きたいというのは、けして恋愛からの逃避ではないと思う。せっかくこの大きな世界の、長い時間の中で、人と出会えるのに、恋愛のことしか考えないなんて、つまらなさ過ぎる。――本書より


対談者は以下で、私には縁のない翔んだアーティストや、市井の人で、私が知っていたのは中原昌也さんのみ。
会田誠さん(現代美術家)
高瀬正克さん(「支那そばや」店主)
のりたけさん(イラストレーター)
岡田利規さん(演劇ユニット「チェルフィッチュ」主宰)
石川直樹さん(写真家)
スズキタカユキさん(ファッションデザイナー)
長嶋康郎さん(古道具屋「ニコニコ堂」店主)
後藤淳平さん・福徳秀介さん(お笑いコンビ「ジャルジャル」)
石島裕之さん(編集者)
小川てつオさん(アーティスト)
前田司郎さん(劇団「五反田団」主宰)
遠藤寛之さん(大学生)
中原昌也さん(音楽家)
後藤正文さん(「ASIAN KUNG-FU GENERATION」)


本書は「webちくま」での連載「男友達を作ろう」2008年12月~2011年3月に加筆訂正を加えたものだ。

ナオコーラという名前に似ず山崎さんは真面目一途だ。プロローグにこう書く。
小説について考えることをライフワークにしたい、と考えているのだが今はまだ、山の裾野にいる。・・・エッセイに関しては、プロの仕事ができないような気がする。あくまで、「小説家の書くエッセイ」になるということだ。




私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

対談集の楽しみの一つは、相手がどんな人か知りたいし、意外な発見があるということだ。対談の相手が、私の全く知らない人で、30歳の山崎さんと同世代に人が多いということもあるのだろう、話の内容に興味が持てない。
話に詰まったとき、「好きな色は何ですか?」など乙女チックな質問をぶつけられても、大人の男性は困るのだ。本名直子でコーラが好きだからナオコーラとか、デビュー作の名が『人のセックスを笑うな』と翔んでいるくせに、自信なげで、ドキドキしながら子供のような質問をぶつける山崎さんの実像には興味あるのだが。



山崎ナオコーラ
1978年9月15日福岡県北九州市生まれ、埼玉県育ち、東京都在住。本名山崎直子。
國學院大學文学部日本文学科卒業後、会社員。
2004年「人のセックスを笑うな」で文藝賞を受賞、芥川賞候補。
2006年『浮世でランチ』で野間文芸新人賞候補
2008年「『カツラ美容室別室』」で芥川賞候補、『論理と感性は相反しない』で野間文芸新人賞候補
2009年「手」で芥川賞候補、『男と点と線』で野間文芸新人賞候補
2010年『この世は二人組ではできあがらない』で三島由紀夫賞候補
いずれも候補で「無冠の帝王」とも呼ばれる。






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林真理子『やんちゃな時代』を読む

2011年08月25日 | 読書2

林真理子著『やんちゃな時代』2011年4月文藝春秋発行、を読んだ。

「週刊文春」の好評連載エッセイの最新刊。「不景気や人の批判は吹っ飛ばし、男も女もやんちゃで行こう!」と、ようするに、オペラや芝居、美味しい料理を求め、全国各地、外国へ、有名人と共に贅沢三昧した遊びまくった日記だ。ところどころに、デブとの自虐ネタ、マスコミなどの批判を入れて嘆いてみせる。

女性にはあまりにも厳しい言葉で切り捨てる林さんも、いい男は大好きで、海老蔵はかばいまくる。歌舞伎大好き、ブランド好き、贅沢な着物好きな林さん。友人は一枚1300万円の着物を3枚買った、別の友人は家を建てるため都内の一等地を10億円のキャッシュで買ったとの話も。音楽家の三枝成彰、精神科医の和田秀樹などとグループを組んで世界各地、日本各地で贅沢三昧、食べまくり。
これだけ臆面も無くミイハーぶりを発揮し派手に遊びまくれば、嫌味もなく爽快でもある。そういえば、以前に比べて毒舌の鋭さが鈍くなっているような気がする。

旦那さんが言う。「キミ、シーパンのジッパーが下がってるよ」「下がっているんじゃありません。上がらないだけなんです」と林さん。

7ヶ月前、とてつもなく大きなスーツケースを持って香港で2泊し、洋服と靴で満タンにして帰った林さんも、今回は、出版不況、林さんの本の売上不況で一番小さなスーツケースで何も買わない、買えないという堅い決心をして香港へ向かう。

林さんが最初の本を出した20数年前のこと。

「来年はマスコミにいっぱい出て、すっごく有名になると思うの。来年の紅白の審査員するかもしれないから洋服どうしようかな・・・」
みんなも笑い、こういう“ごっこ遊び”は本当に楽しかった。しかし本当にそのとおりになった時は、ちょっと怖かった。
・・・
実は私、有名人ではなくなっていたのである。・・・もはや若い人なんか誰も私のことを知らない。



旦那さんは、帰宅が遅くなったりすると不機嫌で、なにかと偏屈者として書かれている。しかし、自分で稼いだお金だといっても、これほどの遊び好きでは文句言いたくなる旦那さんの気持ちもわかる。いつも遠慮していると言い訳しつつ、逆切れぎみの反論に終止する林さん。決定的なことだけは書かないようにはしているようなのだが。

「エビゾー」と「ホリエモン」、この二人は日本の中高年をいたく刺激する。「やんちゃ」とは無縁だった、マジメだけのおじさんたちを。



初出:「週間文春」2010年1月14日号~12月30日号


私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

贅沢ぶりに反感を持たなければ、軽く、楽しく読める。お利口な林さんは、自分の立ち位置を知っているし、セレブぶりが行き過ぎると自虐ネタを繰り出して反感を軽くするコツを知っている。

林真理子の略歴と既読本リスト




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吉行和子『質素な性格』を読む

2011年08月22日 | 読書2
吉行和子著『質素な性格-欲は小さく野菊のごとく』2011年6月講談社発行、を読んだ。

「性格が質素だと、欲が出なくて、不幸にならない」という吉行さんの日常が語られる。掃除・洗濯・料理などの家事、旅と俳句の話題などあっさり淡白でありながら、人と違うようにとこだわる。

「花福ござる」のイラストが共著といっても良いほどふんだんに挿入されている。

内容を少々。

毎日どうしても必要なもの以外は家に置いておきたくない。料理道具はナベ・フライパン1個、果物ナイフ・料理用ハサミ1本だけで、電子レンジはあるが、トースターはなし。食器もコップ2個、お皿は大中小1枚ずつ、茶碗1個、箸1膳、スプーン・フォーク1本。まあ、一人暮らしでほとんど外食なんだろうが。コンドミニアムもびっくりだ。

掃除が大好きという吉行さんは、ゴミ袋を出すとその分、部屋が軽くなると思う。
本は、小さな本棚に入る分だけに保っている。

部屋の壁や天井に好きな布を貼ってこだわりの部屋にしている。

シャワー派で、温泉に行ってもシャワー。バスタブには5分も入っていられない。



吉行和子(よしゆき かずこ)
1935年東京都生まれ。女優。
女子学院高校在学中に劇団民藝付属水品演劇研究所に入所。1956年、『アンネの日記』で主演デビュー。
日本アカデミー賞優秀主演女優賞、毎日映画コンクール田中絹代賞、紀伊國屋演劇賞個人賞など受賞。
1984年、『どこまで演れば気がすむの』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
兄は芥川賞作家の吉行淳之介、妹は詩人で芥川賞作家の吉行理恵(いずれも故人)。
母親のあぐりさんは、104歳。99歳で転んでからは歩けなくなり旅に行けなくなった。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

吉行さんのファン以外には物足りない内容だろう。私は欲を捨てて、しかし他人とは違うこだわりを持とうとする彼女の生き方には共感する。

我が欲よ 野菊のごとく 小さくあれ
こうゆうのは自分にいいきかせているわけですよ。そうそう、私のモットーは「質素な性格」というのです。生活ではなくて性格です。
性格を質素にしておけば、あれが欲しい、これが欲しい、あの人が羨ましいとか、思わなくてすみますからね。イライラもしません。のんびり気儘に過ごせば心は平和です。しかし、ぜんぜん欲がないのは駄目。だから野菊ぐらいは要ります。



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磯田道史『武士の家計簿』を読む

2011年08月20日 | 読書2
磯田道史著『武士の家計簿-「加賀藩御算用者」の幕末維新』新潮新書005、2003年4月、新潮社発行、を読んだ。
加賀藩の下級藩士で御算用者(会計処理の役人)を代々務めた猪山家の約37年間の家計簿(入払帳)や書簡をもとに、武士から明治士族となる下級武士の実際の日常生活を分析している。

当時多くの下級武士と同じく、猪山家も借金が膨大になり、年収の2倍となってしまった。
天保13年(1842年)当主・直之、父・信之は家財を売り払い借金整理し、日常の収支から冠婚葬祭の費用までを詳細に記録する家計簿をつけることにした。こうして饅頭一つ買っても記録した帳面が36年分も残っていたのだ。
猪山家がそれと知らずに残したこの記録から武士の暮らし、習俗、とくに武士身分であることによって生じる祝儀交際費などの「身分費用」に関する項目や、江戸末期の藩の統治システムについて実証的、具体的に知ることができる。

直之の息子、猪山成之も代々の家職である事務処理と計算に優れ、その才能を発揮して、加賀藩の京都守衛諸隊の兵站を仕切った。さらに新政府の軍務官会計方、後に兵部省会計少佑海軍掛、呉鎮守府会計監督部長などを務めることになる。一方、算術を卑しいものと考え、先祖の威光だけに頼る上級武士は徐々に藩の行政から実質的に排除され、変化の激しい幕末から明治になると一気に没落していく。



磯田道史(いそだ みちふみ)
1970年岡山市生れ。
2002年、慶應義塾大学文学研究科博士課程修了。博士(史学)。
日本学術振興会特別研究員、慶應義塾大学非常勤講師などを経て現在、茨城大学准教授。
著書に本書『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞)、『殿様の通信簿』『近世大名家臣団の社会構造』など。



私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

著者の磯田が2001年に神田神保町の古書店の販売目録にこれらの文書を見つけ、あわてて駆けつけ、入手する経緯が「はしがき」に記されている。まさに長年埋もれていた文書が読まれるべき人を得て、その本当の価値を発揮するようになった。
これまではメモ程度の武士の家計簿しか得られなかった著者はこの膨大な数字が並んだ単なる家計簿から下級武士の実生活、さらには藩の統治システム、幕末から明治の時代の流れを具体的に描いてみせる。


以下、私がなるほどと思った点のメモ。

武士は知行が与えられると、藩主の花押が記された「知行宛行状(判物)」が発行され、それには一応その所在地が書かれているが、江戸時代の武士は現実の領地に行くことはない。とくに微禄の武士は生々しい「土地と人民」をあたえられているという感覚はなく、知行地の行政(勧農、裁判、租率決定)は藩の官僚が肩代わりする。

微禄の武士が江戸詰めを命じられると国元との二重生活で家計は悲惨の極みになる。・・・武士の世界で禄高を決定する主役は、「由緒」であって「現職」は脇役にすぎなかった。現在でなく過去が給与をきめていたのである。


借金の金利は年18%がもっとも多く、悲惨である。

江戸時代の前期ではおそらく武士が国内総生産の50%近くを取り上げて消費していた。後期になって農業以外の生産が伸びて、25%ほどになったと思われる。

武士同士の交際は、儀礼行事が多く、費用がかさんだ。

宇和島藩士32人で4割の13人が離婚していた。しかも多くはさっさと再婚した。56組も3年で20組が離婚した。したがって、夫と妻の財産は別になっていて、妻は財政的にも実家との絆が強かった。

明治新政府は革命家の寄り合い所帯であり、実務官僚がいない。例えば、1万人の軍隊を30日間行軍させると、ワラジはいくら磨り減って何足必要になり、いくら費用がかかるのか、といった計算が出来る人材がいないのである。
そこで日本最大の大名行列の兵站業務を担ってきた加賀藩の猪山成之が抜擢された。


教育して官僚・軍人にして身を立てさせる。とくに、明治初年の士族はこの教育エネルギーが絶頂に達していた。日露戦争を実質的に担った年齢層の将校達は、多かれ少なかれ、江戸時代の生き残りの父や祖父から、このような教育を受けて育っていた。この士族の家庭教育は、日露戦争の勝利に欠かせない要素となったが、その後の日本社会の針路に大きな弊害をもたらしたのも事実である。



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滝川クリステル『恋する理由』を読む

2011年08月18日 | 読書2
滝川クリステル著『恋する理由―私の好きなパリジェンヌの生き方』2011年4月、講談社発行、を読んだ。

パリに暮らす女性たちへ取材し、仕事や子育てと共に女性としての人生を楽しんでいる滝川クリステルがフランス的生き方を提案し、自身の仕事への思い、おしゃれ哲学なども明かすエッセイ。
美しい滝川さんの写真が40枚以上という写真集にもなっている。

恋人同士はもちろんですが、たとえ結婚しても、子供が生まれても、互いに男女であることを求めますし、自分自身もそうありたいと、つねに努力を重ねています。一生、恋愛関係でいつづけようとするのです。

日本では、遠足を例に挙げると・・・持ち物は事細かく指示されており、持っていくおやつは「いくらまで」と予算まで決められています。(フランスではまったく自由)

フランスでは、カップルの選択は3つあります。まったく法的な手続きをせずに一緒に生活する「事実婚」、通常の結婚と同じ税制面の優遇や社会保障面の権利が認められている連帯市民協約「パクス(PACS)」そして「結婚」の3つ。

美意識が高い特別な女性たちも、ほぼノーメイクで過ごすことが多いのがフランス女性。それでも、決してボディクリームと香水だけは欠かしません。・・・不特定多数の男性に見られること、つまり「モテる」ことが目的というより、特定の愛する男性に触れられること、つまり「愛される」ことが目的。



滝川クリステル Christel Takigawa
1977年フランス生まれ。父はフランス人、母は日本人。
青山学院大学文学部仏文科卒。
現在、フジテレビ「Mr.サンデー」の司会、J-WAVE「SAUDE! SAUDE…」のパーソナリティーなどメディアで活躍。
生き物たちへのラブレター
COP10の広報組織「地球いきもの応援団」のメンバー。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

フランス女性をほめすぎなので、反論したくなります。フランス女性、特にパリの女性は異常に自己主張すると聞いたことがありますが、実際はどうなのでしょうか?
滝川さんのファン以外の男性が特に読むような本ではないでしょう。

恋人同士はもちろんですが、たとえ結婚しても、子供が生まれても、互いに男女であることを求めますし、自分自身もそうありたいと、つねに努力を重ねています。一生、恋愛関係でいつづけようとするのです。

このあたりは、私もまったく同感ですが、奥さんには「あなたは変わっているのよ」で済まされてしまいます。

とくに私がこだわるのはデコルテ。・・・女性はデコルテからオーラが出るもの

と、滝川さんは言うが、私は、デコルテ(胸もと)を特に意識したことはありません。谷間は気になりますが、首筋から胸元にかけての部分がそんなに重要な部分とは思えませんが。

日本の都立高校に通いはじめたころ、制服でも私服でもよい校風だったので、

この部分は、私も同じ高校だったので、懐かしく読みました。

この本を読んでしまった奥さんがハワイ旅行への荷物詰めする隙に、この本を読んでこのブログを書きました。まだリムジンバスの時間まで2時間もあります。もう少しだけ冷たい目線を無視しなければ。


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ホノルルのコンドミニアム

2011年08月16日 | 海外
ハワイ報告もこれが最後。

ハワイ・ホノルルで宿泊したコンドミニアムはホノルル動物園に近いアストン・アット・ザ・ワイキキ・バニアンだ。バンクーバーとオーストラリアのパースで何度かコンドミニアムに宿泊したが、我々の泊まった部屋は古くて設備も最低限のレベルだった。食器など種類と数は一応そろってはいるのだが。

まず、建物は二棟に別れている。泊まったのは古い方の建物なので、もう一方はもう少しましかも。





ベッドは最低だった。ダブルベッドだが、最初の夜、すぐに目が覚めて、揺れているのでまだ東京にいると錯覚して「あれ!地震か?」と一瞬思った。反対側で相方が静かに寝返りをうっても、こちら側がフワフワと揺れるのだった。宿泊施設のベッドでこんな程度のスプリングを使っているのは珍しい。
そういえば、東京で、急に立ち上がってフラッとして、「やばい、めまいか?」と不安になったとき、TVに地震速報が流れ、「なんだ地震か」と安心したりした??

部屋は二人には十分広い。







TVとゲーム機があった。日本語TV放送があってさすがハワイと感心したのだが、フジTVのニュースをわずかやるだけで、あとは「ハワイに恋して」とかいう番組で同じものを延々繰り返すだけでよけいイライラした。



インターネットは普通に高速で、無料。無線接続もできそうだったが、ATT何とかの接続画面が必ず出るのだが、有料そうだったので、LANコネクター接続のみとした。いつもながら、電灯を精いっぱいつけても部屋が暗く、「まったく青い目の外人さんは」とここでは外人の私が文句を言いながらPC画面を眺めた。

キッチンには、電子レンジ、炊飯器、コーヒーメーカーなど一応なんでも揃っている。1,2回分のインスタントコーヒー、紅茶のセットがサービスでついている。何泊しても最初だけだ。これもどこのコンドミニアムでも同じ。



シンクはよくある二槽式で左にはディスポーザーもあった。ディスポーザーは故障すると面倒なのでいつも使わないことにしている。あちらさんは、いやこちらさんか、水と洗剤をいれた一方のシンクに使用済みの食器を入れ、水をはった他方のシンクにその食器を放り込んで、あとは布巾で拭くだけという。清潔好きで、水が豊富な日本で育つと、流し洗いはなかなかやめられない。水を浄水するにも、下水処理するにもエネルギーやコストを大量に使っているのだが。



大きな冷蔵庫、トースター。





キッチンペーパー、洗剤もある。これはない所が多いと思う。スーパーで大きな洗剤を買わなくてもよいのはありがたい。



食器類は立派なものではないが最低限のものがある。











今回は8泊だけなので細かいものは持参しなかった。
食器にはけっこう汚れがこびりついていた。スポンジをわざわざ買うのもと、ためらったが、日本からよく落ちるメラニンフォームの(激落ち君)など持参すればよかった。
日本だと食品を入れたビニール(?)袋に切り口がついているのだが、こちらはそんな細かい心遣いはない。握力が落ちた我々は、ハサミは持参すべきだった。
結局、外食とABCストアーで済まし、果物をいろいろ買ったくらいで料理しなかったのだが、いつもながらナイフ、包丁の切れ味の悪さにはイラついた。

洗濯は同じ階にコインランドリーがあった。洗濯と乾燥で25セント硬貨が12枚必要。フロントで両替してもらった。旅行用洗剤は持参した。
リネン(ベッドメーク)、掃除は月曜日のみ。

眺めは山側。



次回からはまた2~4日に一回のペースに戻って、読書感想などを。

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ハワイの花

2011年08月15日 | 海外
引き伸ばしてきたハワイ旅行報告も最後に近づいた。
今回は花をご紹介。ハワイはなんといっても花がきれいでいつでも咲いている。
取り敢えず撮ってきた写真を今頃見て、名前を推定しているので、以下、花の名前は正確ではない。

まず目立つのは街路樹に多いシャワーツリー。風が吹くと雨(shower)のように散ることから名付けられた。ピンク、ホワイト、レインボー、ゴールデンと色の違う種類がある。

ピンク





ホワイト





レインボー(多分)





残念ながらゴールデンシャワーの写真がなかった。

花の形がチューリップに似ているアフリカン・チューリップ・ツリー





見ただけで納得の名前、スクランブル・エッグ・ツリー(多分)






日本のクチナシに似て香りが良く、花が5弁のプルメリア。残念ながら花の写真がない。



プルメリアの花に似ているが6弁のティアレ。タヒチの国花だ。これも香りがよく、プルメリア同様、女性が耳の挟む。左に挟むのが既婚者で、右が募集中と聞いた(多分)。



お馴染みのハイビスカス



日立の樹のモンキーポッドにも花が咲く。





似た木でホウオウボク(多分)





花の形がタコの足に似ているオクトパスの木





海岸の砂浜を這っていたグンバイヒルガオ。



バナナの花





Kapu





おまけに、ダイアモンドヘッドへ登る道にあった何かの実を3つ。


































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ハワイ島(2) キラウエア火山

2011年08月14日 | 海外
日本にも押し寄せてきて地震の元凶になっている太平洋プレートのほぼ真ん中にあるのがハワイ諸島だ。そのハワイ諸島の東南にHot Spot がある。
Hot Spotといっても心霊のたぐいではない。地中深くのマントルからのマグマの噴出場所のことで、ハワイ島の南東の海底にあり、Lohiと呼ばれる海底火山を作っている。もともとこのHot Spotがカウアイ島、オアフ島、モロカイ島、マウイ島、ハワイ島と徐々にハワイ諸島を作り出してきて、太平洋プレートの日本方向への動きに連れて、それらが北西に点々と動いてきたのだ。この太平洋プレートのベルトコンベアの動きは意外と早く一年に約10cmだという。

ハワイ島のなかでも中心より北にあるマウナ・ケアのマグマの噴出口は閉じかけており、より南東にありHot Spotに近いキラウエア火山への噴出口が活発に活動している。そしてそのうち、より活発な海底火山Lohiがハワイ島の南東海上に顔を出すだろう。

キラウエア火山の火口周辺は立ち入り禁止だが、クレーターからの煙は間近に見ることが出来る。





ビジターセンターに噴火の映像や溶岩などの展示がある。女王ペレの髪と名のついた溶岩や、



ペレの涙という溶岩が展示されている。



いづれも溶けた溶岩が空中に噴出するときの固まりぐあいでできたものだ。

火口から Chain of Craters Road を南へ下ると溶岩流地帯にでる。ハワイの溶岩にはpahoehoeと ‘a’a の2種類あって、化学的には同一だが、前者はスムーズで粘着性なので早く流れて表面にシワがよる。後者は流れが遅くギザギザな形状となる。

最初に見えたのは遅い流れの溶岩で、生えていた木のところでしばらく止まって盛り上がり、木を燃やしてしまった跡だ。



次は遠くに見える噴火口から噴出した一面の溶岩大地だ。



流れの早い溶岩の跡で、近くで見るとシワがよっている。



Chain of Craters Roadをさらに下って海まで行くと赤く溶けた溶岩が海に入っていく光景が見られるのだが、大型バスでは行けないとのことでここまで。
溶けた溶岩の写真は例えば「Hawaiian Volcanoes: Beauty & Terror」にある。



このあと、溶岩が作ったトンネル Thurston Lava Tube(Nahuku)へ行った。
入口の脇には日系人だけが食べるという芽が。(何者かは忘れた)



見事に丸く掘られたトンネル。



数分歩くと、出口に。



なぜこんなトンネルが出来たかが看板に説明してあった。溶岩の表面はゆっくり流れて冷えて厚くなる一方で、中心の流れは早いままとなる。やがて表面は固まり、中は流れ、氷結した川のようになる。噴火が止まったとき、中央の溶岩はトンネルから排出されて表面の下が空になった暗渠となりトンネルができる。

次に連れていかれたのが、クレーターだ。キラウエアの煙を遠くに見て大きなクレーターを見下ろす。数時間はかかるという火口内の道を歩いている人がいる。



夕方ヒロ空港からホノルルに戻る。飛行機からマウナ・ケア山頂の天文台群が見える。この中にきっと日本のすばる望遠鏡もこの中にあるのだろう。









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ハワイ島(1)

2011年08月13日 | 海外
ホノルルから日帰りツアーでハワイ島へ行った。
ハワイ島はハワイ諸島のなかで最も新しく、最も大きい島だ。今回はコーヒーで有名な西のコナでなく、東のヒロとキラウエア火山に行った。ヒロは日系人が開発した町で、1946年と1960年の大津波で壊滅的被害を受けたという。

宿泊するコンドミニアム近くのホテルで朝5時半にピックアップしてもらいホノルル空港からヒロ空港へ向かう。飛行機は約100席のボーイング717だ。



ヒロ空港はマウナ・ケア山4025mの東南にある。マウナ・ケアの山頂には各国の天文台が並び日本のすばる望遠鏡もある。写真でも3つほど白い点が見えるが、残念ながらすばるは見えないらしい。



さすが日系人が開発したヒロの町、日本庭園リリウオカラニ・ガーデンズがある。「アロハ・オエ」を作詞・作曲したハワイ王国最後の女王リリウオカラニの名前にちなんで付けられた公園だ。全体が芝生なので違和感があるが、池、灯篭、太鼓橋や、「PRINCE HITACHI JUNE 21 1985」と看板のあるお手植え松や、



立派な茶室がある。



1985年は日本政府とハワイ政府との契約による移民が開始されてから100年目にあたる。
奥のほうに大きなバニアンの木が何本かある。



枝から蔦か、紐を絡めた綱のようなものが垂れていて、



まるでカーテンのようなものもある。



そして地面に達すると根を張る。



ヒロには、ハワイを統一したカメハメハ大王像がある。出身地の島の北端の像が最初のもので、次にホノルル、ヒロの像は3番目のものという。



次に、チョコ&クッキー専門店Big Island Candies に寄った。



奥に工場があって、溶けたチョコレートが溜まったところからスプーン状のもので一粒づつすくい出してプラスチックケースに入れていた。完全手作業だ。



このお店の商品は、この工場直営店でしか入手できませんとの話につられていくつかクッキーをお買い上げ。

島の南端に近くのプナルウ黒砂海岸Punaluu Black Sand Beachへ行った。海岸といえば真っ白な砂浜と思うが、ここは溶岩が砕けてできた黒い砂だ。



手に取ると、なんとか言う玉(石)が含まれている。



ウミガメが集まる場所だそうだが、海の中に甲羅が幾つか見えただけ。
ヤシの木がヒョロヒョロと高い。風や地震は大丈夫なのだろうか。



次は、ヒロの町から車で5分ほどのレインボー・ファールズ。ワイルク川の下流にあり、落差24mというが水量はかなりなものだった。虹は見えなかった。



キラウエア火山は次回。

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ワイキキ・ビーチをぷらぷら

2011年08月11日 | 海外
ハワイに来たが水着を持ってくるのを忘れ、わざわざ買う程でもなく、コンドミニアムの温水プールでも泳がなかった。せめてワイキキ・ビーチでも歩くかとぷらぷら歩いた。

カラカウア通りのモアナ・サーフライダー・ウェスティンリゾート&スパという長ったらしい名前のホテルを過ぎる。このホテルは名前が変わってしまったがワイキキ初のホテルと聞いた。ビクトリア様式のバニアン・ウイングは歴史を感じさせる。



交番の隣にある4つの石にはマナ(霊魂)が込められているという。水着を干す人などいて柵ができていた。



ちょっと先には、サーフボードを背に、たくさんのレイをもったデューク・カハナモクの像がある。伝説のサーファーであり、3回のオリンピックで3つの金メダルと2つの銀メダルをとった水泳選手でもある。



このあたりからビーチに出るが、子供連れが多く、私のカメラは食欲を示さない。





靴に砂が入らないように歩いて行くと、サーフィンの初心者講習をやっていた。まず、板に寝転んで、



腕をついてスタートの姿勢になり、



すばやく立ち上がろうとする。



まったく経験のない私から見ても、「これじゃダメでしょ」といいたくなる格好の人が多く、笑える。先生も笑いながら注意を飛ばす。

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ワイキキ水族館へ

2011年08月10日 | 海外
ガイドの人が動物を探さなければならない動物園と、入口入ったらすぐ出口の水族館と冗談で言っていた。この暑い中歩きまわるのは嫌だし、水族館大好きな我々は涼しいところに行くことにした。

美術館からの帰りに乗っていたバスを、早めにとワイキキのホテル街の東のはずれで降りて動物園の方へ歩いた。日陰を探しながらカピオラニ公園の中を水族館の方へ歩く。
この公園は、ホテル街の東、ダイアモンド・ヘッドの西側に広がる約500エーカーの大きな公園だ。カラカウア王によって寄贈され、カピオラニ王妃の名が付けられた。



王妃の銅像には QUEEN KAPI’ONANI とあった。
途中でバスが追い抜いていく。結構な道のりを歩いてようやく水族館の入口に着く。



目の前にバス停がある。おかしい! 美術館からワイキキへの帰り道、乗っていたKuhio通りを東へ走るバスは、ワイキキのホテル街から動物園に突き当たり、逆にカラカウア通りを西も戻って行くルートだと思った。美術館への行きのバスの中にあったB CITY EXPRESSのルート図にはそうあったからだ。ところが帰りに乗っていたNo.2のバスはそのまま水族館を通ってさらに東に行き、歩くことなかったのだった。まあ、これも旅の楽しみの一つ。と相方も思ってくれれば良いのだが、トホホ。

65歳以上ですかとの質問に私ははっきりYESと答え、なぜか無言の相方も含め、一人10ドルが7ドルになり、日本語説明を聞くことが出来る機器を渡される。



この水族館の目玉はなんといってもサンゴだ。サンゴにもさまざまな種類があり、その違いもわかりやすく説明される。なんといっても日本語なのだから。





サンゴを薄く切り取り、X線で見ると年輪が見られ歳がわかる。このサンゴは1997年-1963年=34歳。意外と成長が早い感じだ。



これが生きているものとしては世界一巨大なシャコ貝(多分)



Chambered Nautilus オオム貝



ありえないような、何でこんな形なのか分からない奇妙な形の魚たちを見られるのが水族館の楽しみだ。





色鮮やかな魚も多く、変わった模様も。





これはタコ。活発にぐにゃぐにゃと動きまわっていた。



クラゲも相変わらずライトアップされて美しい。



笑えたのがコイツ。岩陰に隠れていて、目の前のものは何でも秒速で飛びついて大きな口で食べてしまう。だからいつも水槽内で孤独だという。




カエルアンコウFrogfishという魚で、色や模様を変えてカモフラージュして待ち伏せ攻撃をする孤独な待ち伏せハンターAmbush Hunterだ。

この水族館は各水槽内の珊瑚も岩も、人工物は皆無というのも嬉しい。

それにしても、YouTubeで魚の名前などを調べていて、面白い魚が一杯あるのでいろいろ見てしまった。お金を使って遠くまで行かなくとも、暑い中を歩かなくても涼しい部屋で、捕食の瞬間を戻してゆっくり何度でも見ることが出来る。「ウーン、それをいっちゃあおしめいよ」か。













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ホノルル美術館へ

2011年08月09日 | 海外
海外では水族館と共に必ず美術館に行くことにしている。東洋美術の所蔵品が多いと聞いてホノルル美術館 Honolulu Academy of Arts へ行った。

美術館は、ワイキキのクヒオKuhio通りからThe Busの13番あるいはB CITY EXPRESSで約20分。ベレタニア・ストリーの北側沿いにある。左手に公園が出てきたら紐を引っ張り停車をリクエストすると良い。$2.5でトランスファーを貰い、数時間(トランスファー切符で確認のこと)以内なら、帰りもそのまま乗れる。ワイキキトロリーのレッドラインでも行くことができるらしい。帰りは、Thomas Square公園を渡ってサウス・キング・ストリート S. King St. から2番でワイキキへ戻れる。



入館料は大人 10ドル。その時は、シニア(62歳以上)は5ドルだと知らなかったし、受付も聞いてくれなかった。まあ、私はどう見てもシニアには見えないのだが(酸っぱい葡萄)。
開館時間: 10:00-16:30(火~土)、 13:00-17:00(日) 、月曜日は休館、毎月第1水曜日は無料
館内無料ツアーの日本語ツアーは水・金・土曜日1時より。帰り際に日本語ツアー案内のボランティアの方に会ったが、皆さん午前中に来てしまい、宣伝が足りないと残念がっていた。

日本語のガイド紙をもらい、入口を入ると、目の前に茶道具の展示が。



そしてその向こうに中央ガーデン Central Courtが。



この美術館は中央ガーデン、地中海ガーデン、チャイニーズガーデン、バニヤンガーデン、キナウガーデンといった中庭(パティオ)があり、建物自体も十分楽しめる。元々クック夫人の自宅敷地だったところに、次々とコレクションが増えていった。30ほどの小部屋にゴッホ、ゴーギャンなど西欧絵画もあるが、なんといっても東洋を中心とした世界各地の美術品がすばらしい。
基本的には中央ガーデンを真ん中に右回りで番号通りに進むのだが、小部屋だし、2階もあるので、部屋番号を確かめながら進まないと迷う。
中央ガーデンの右に地中海ガーデン。



このまわりは、ヨーロッパの古美術から20世紀の絵画、彫刻など。
当然館内は撮影禁止なので、中庭のみご紹介。
バニヤンガーデン(多分)



チャイニーズガーデンには金髪の男の子が。



日本美術では茶道具もすばらしそうな品々が揃っていたが、安藤広重の浮世絵の青緑色の鮮やかさには驚かされた。およそ10000点もの浮世絵コレクションがあり、品質の高さには定評があるという。

そういえば、「日本橋の三井記念美術館へ」に以下のように書いた。

日本橋の三井記念美術館の所蔵品展を見に行った。
本来は「特別展 ホノルル美術館所蔵『北斎展』」であったが、東日本大震災によってホノルル美術館が中止を申し入れたため、所蔵品展に変わったのだ。こんなところにも、東日本大震災の影響があった。


27番の現代コンテンポラリーアートの部屋を出ると、



ザ・パビリオン・カフェが。





メニューを見て、



ともかく量が多いだろうと、相方は本日のスープ($5.5)のみで、私は1/2ローストターキーサンドイッチとスープ($10.5)をシェアーすると注文。
本日のスープ



私の分は、例によって写真を撮り遅れた。スープは既になく、サンドイッチも跡形なし、



相方へ渡ったサンドイッチの片割れがこれ。



最後に出てきた紅茶もたっぷり。



美術館を出て、道路の向こう側のThomas Square公園へ行くと、二人乗りの自転車が。



バンクーバーで二人乗り自転車に乗ったときは、前の私がバックパックを背負っていたので、後ろの奥様は前が全く見えなかったという。
pub.ne.jp/hiyamizu/?daily_id=20070624

公園には大きなバニアンの木があった。



近づいてみると、枝から垂れた根が地面に達している。



公園の南側のサウス・キング・ストリートにある屋根のあるバス停から2番でワイキキへ戻って水族館へ行った。


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オアフ島のワヒアワへ

2011年08月08日 | 海外
ハワイ・オアフ島の中心にあるワヒアワのドール・プランテーションと植物園へ行った。

ドール社は、パイナップやバナナなど世界中で有名で、かって一面に広がっていたハワイのサトウキビ畑の多くを買い取って、見渡すかぎりの土地を所有しているという。ドール・プランテーション Dole Plantationはそのドール社の施設で、巨大迷路やパイナップルエクスプレス、プランテーションガーデンツアーなどのアトラクションを行っていて、広く品数豊富なおみやげ品売場もある。



さまざまな種類のパイナップルが植えられている畑があり、





マカデミアナッツ、コーヒー、チョコレートなどこれでもかというほど並んだ売場があり、今人気だという「Haleiwa」の品だけ集めたワゴンがあった。



次に、ワヒアワの住宅街を通りぬけ、ワヒアナ植物園 Wahiawa Botanical Gardenへ行った。このあたりの住宅には煙突がある。ハワイであってもこのあたりは夜など冷え込むことがあり、暖炉が必要なのだ。

ワヒアワ植物園は雨の多い地域の森の中だ。自然の起伏を生かした道を歩き、周囲の樹木、草木を観察する。したがって、蚊が多く、私は手足丸出しの若い女性を蚊取り線香がわりに後ろを歩いた。

青みを帯びた幹の肌が美しい大きな樹木があった。Mindanao Gum で、レインボー・ユーカリという名前もある。
樹皮の色はむける時期により異なり、新しくはがれた部分は鮮やかな緑色になる。その後徐々に青から紫、さらにオレンジから栗色に変わる。ハワイの植物の多くは外から持ち込まれたものだそうだが、この木もインドネシア、パプアニューギニア、フィリピンが原産国という。



周囲の樹木はほとんど枝の根元に寄生植物が茂っている。



各国から集めた各種ヘリコニアHeliconia(バショウ科)がそろう道があった。











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オアフ島のノースショアへ

2011年08月07日 | 海外
ハワイ・オアフ島のノースショアNorth Shoreへ行った。

ホノルルから、ちょっと複雑な思いがするパール・ハーバーを左手に見て、ハイウエイH1からH2に入り北へ進む。
反対の下り車線が固定壁の向こうの車線と、その手前にコンクリートブロックが並んだもう1車線ある。真ん中の車線を時間帯で上下車線を使い分けるジッパー・レインZipper Laneだ。下りが込む時間帯になる前にこの重たいコンクリートブロックを固定壁のところまで動かして下りの車線を増加させるのだ。名前はブロックの列をジッパーのように動かすことからきている。



固定壁がない場所になってしまったが、こんな工合に広くなる。



どんなふうにブロックを動かすかというと、カメラのシャッターが間に合わなくてわかりにくいが、ばかでかい車がブロックを横に移動させる。なんというローテク、力づく。



バンクーバーでも、「バンクーバー・ロングステイ下見(2) 市内観光」で説明したように上下り3車線の真ん中の車線の信号が青の矢印から赤の?に変わるだけで、スムーズに車線数変更が行われていた。

H2の左手(西側)にはワイアナエ山脈が続き、先端に鉄塔のあるのがオアフ島の最高峰カアラ山 Kaalaだ。といっても1232mしかない。ハワイ島のマウナ・ケアの4170mに比べずいぶん低い。このあたりは溶岩の鉄分のため赤土になっている。



道の脇には風よけの木が並び、その向こう側にはカカオの木が続く。このあたり一帯は昔はサトウキビ畑だったのだが、徐々にパイナップルなどで有名なドール社にすっかり買収されてしまったとの話だった。



オアフ島の中心にあるワヒアワ Wahiawaの地元の農園で幾つかの産物を紹介された。手前にあるのがタロイモで、その向こうの丸いのがパッションフルーツ。後者はオーストラリアで初めて買ったが、種のまわりのヌルヌルとわずかな果汁ばかり失望したのを思い出した。



中央のククイ Kukuiの実は、磨くと左の黒く輝くレイに加工される。



コーヒー工場へ寄った。ハワイ島のコナコーヒーが有名だが、ここワヒアワのコーヒーも評価が高いという。展示用のコーヒーの木があった。



実は熟すと赤くなる。収穫した実を水に入れ、沈んだり、浮いたりするのを集めで塾度による分別をするという。



石鹸工場はかってのサトウキビ工場の建物をそのまま利用していた。



中に入ると、



石鹸は大きく作り、小さく切り出す。



ハイレワ・タウンのNorth Shore Marketplaceに寄った。サーファーには垂涎ものの店が並んでいるようだが、我々には、豚に真珠。



さらに海岸のホットポイントに行き(秘密と口止めされた)、そして帰り道、ワヒアワのドール・プランテーションなどに寄ったが次回。


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