hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

お祭りの思い出

2007年10月31日 | 昔の話

前回につづき昔話をもう一つ。

子どものころの楽しみの一つに、隣駅近くにある八幡様で行われるお祭りがあった。八幡様の階段の登り口から、登った後の石畳の道の両側にお社まで出店が並ぶ。

小学校低学年の頃、お小遣いをもらいお祭りに行った。手をポケットに入れてしっかりもらった小銭を握ったまま緊張して歩いて行った。八幡様に着いて、出店を見て回り、いざ買おうと思ったら、お金がない。
青くなってそのまま家に帰って、「しっかり握り締めていたのにすられた」と訴えた。母は、「馬鹿ね。ポケットに手を突っ込んだまま歩いていれば、ここにお金を持ってますって教えているようなものでしょ」と冷たく言われてしまった。


居並ぶお店の大半はお菓子やお面などの店だが、ちっと変わった、というか、いんちきな店も多かった。

先に針をたらして回転する棒が円盤の上にあり、ルーレットのように棒を回し、針が止まったところの円盤に書いてある商品がもらえるゲームがあった。1回いくらだったか忘れたが、もう少しですばらしい商品のところで止まるのに、いつもわずか行き過ぎたり、手前で止まったりする。何人もの子供が失敗するのを見ていて、友達と、「あれはきっと板の下に磁石があって、おじさんが当たらないようにしているに違いないぜ」「インチキだ。止めだ、止めだ」と言いながら、ついつい見とれてしまう。


望遠鏡のような筒状のおもちゃもよく売っていた。おじさんが言う。「これで見ると、なんでも透けて見えちゃうんだ」。 指を広げて、のぞいて、「ほら、骨が透けて見える」。覗かしてもらうと、確かに手のひらが骨と肉に見える。
おじさんが追い討ちをかける。「女の子を見れば、洋服が透けて見えるよ」

色気が付いた中学に入ってからだったと思う。100円だか払ってさっそく買った。家まで待ちきれず、さっそく、「物」を見てみる。なんだか、物?の周りがぼやけて見えるだけだ。
家へ帰って、腹立ち紛れにばらしてしまう。目を当てるところに鳥の羽が入っていて、物がずれて二重に見え周辺がぼやけて見えるだけのものだった。

最近では大道芸の一つとしてときどきやっているようだが、がまの油売りもいた。道を外れた林の中のちょっとした広場で、竹棒で地面の円を書いて、「この線から入っちゃだめよ」と言ってから、「さあさ、お立会い、御用とお急ぎのないかたは、」と、あの有名な口上をはじめる。
日本刀を構えて、紙を何枚も切って切れ味を示し、そして自分の腕を切って血が出るのを示す。そして、がまの油をつけると、あら不思議、傷口もなくなっている。

なんだか、いんちきも今のようにギスギスしていないで、半分ユーモラスで楽しかった時代だったと思える。


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紙芝居の思い出

2007年10月30日 | 昔の話
最近、話題が途切れがちで、困ったときの昔話を一つ。

私の子供のころは東京でもザリガニが取れる川や、自由に遊べる空き地があり、車もそう多くなく三角ベースの野球ができる裏道もあった。
しかし、日常の遊び以外の娯楽といえばたまのお祭りと紙芝居くらいだった。

毎週何曜日かに来る紙芝居屋さんは、まず飴などのお菓子を売る。子供達はその飴をなめながら、紙芝居を見る。しかし、貧乏な我家には小遣いなどなく、家の事情が十分わかっている私はおねだりなどできなかった。

あめを買わないで、後ろのほうで目立たぬように紙芝居をそっと見ていると、「ほら、そこの飴を買わない子! 見ちゃだめだ」と、おじさんに怒られた。けっこう大勢いるので判らないと思ったのに、オドオドしているので、すぐ判ったのだろう。
友達から一人だけ遠くに離れて紙芝居を見てみるが、おじさんの声は聞こえるが絵が見えない。未練たらしく、坂の上の方に行きウロチョロ、キョロキョロする幼い私の姿が50年以上経った今でも目に浮かび、いとおしく、切なくなる。

たった一度だけだが、どういうわけか、お金をもらって、飴を買ったことがある。丸い中に何か動物をかたどった模様がある飴が棒についていて、うまく舐めていると、その動物の形がスッポリ取れる。はじめてみた紙芝居の内容は覚えていないが、友達と、クスクス笑いながら、取れかけた飴を見せ合ったことを昨日のように覚えている。

いつも腹がすいていたし、他の家より貧乏だったが、今思うと、幸せな子ども時代だった。そもそも、世の中はだんだん良くなるものと思っていたし、実際そうなって行ったのだ。



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角田光代「予定日はジミーペイジ」を読む

2007年10月28日 | 読書

角田光代「予定日はジミーペイジ」白水社を読んだ。
名作と言うわけではないし、感動ものでもないが、角田さんの巧みさで退屈しがちな話が引っ張られて最後まで一気に読みきった。

題名のジミーペイジはレッド・ツェッペリンのリード・ギタリスト兼リーダー。題名は、出産予定日が1月7日でジミーペイジの誕生日と同じ日という意味だ。しかし、Wikipediaでは彼の誕生日は1944年1月9日とある。

最近、本をあとがきから読み始めることが多い。この本の著者によるあとがきによれば、この小説を書くことになったきっかけが面白い。
新聞に、予定日になっても赤ん坊が生まれないという、ごく短い小説を書いた。その後、角田さんの自宅にカードや花がぞくぞく届いた。カードには「ご出産おめでとうございます」とあった。あれは小説であって、角田さんは出産などしていない。
続いて、「出産体験記を書きませんか」という出版社が現れた。「体験はしていません」というと、「では小説を」という流れで、この小説ができた。

あとがきには、角田さんが自分や他人の誕生日が大好きとある。「考えてみれば、毎日が、雨の日も落ち込んだ日も、いつでも誰かの祝われるべき特別な日なのだ。毎日、特別な日を私たちは過ごしている」という趣旨が書いてあった。
なるほどと思い、「明日と言う日は明るい日と書くのね」との歌の文句を思い出した(古っ)。

話は、唐突の妊娠に少しもうれしくなく、自信もない私が、「母親はすばらしい。幸せ」との周囲、世間とのギャップに悩む。母親教室で幸せそのものの他の母親に囲まれ落ちこぼれ妊婦として疎外感を味わったりする。しかし、胎動に驚き、元カレに会って一途に好きだったときを思い出し、子どもは更で生まれてくるのだと悟り、徐々に前向きになっていく。そして、予定日を過ぎて、・・・・

やさしいが、妊娠をただ単純に喜んで、やる気満々の夫や、出てくる人が見事に生き生きと書かれている。起きる細かな出来事も巧みで、角田さんの小説力はすごいと思う。この人はなんでも一応の水準の小説にしていまうのではないだろうか。



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2種類の船旅

2007年10月27日 | 海外
船旅には、海の船旅と河の船旅がある。

船旅といえば、豪華客船で毎夜毎夜のタキシードとドレス姿でパーティという海のクルーズで、私たちには縁のないお金持ちの贅沢と思っていた。
しかし、そのほかに、飛行機で外国まで飛んで、そこでホテル代わりの河船に乗り、河を移動しながら景色を眺めたり、下船して見学したりする河の船旅があるという。
両方の旅行説明会があると聞いて、出かけた。

旅行会社は、多少金はかかるが年寄り向きのゆったりプランのニッコウトラベルだ。会場に着くと、周りは高齢者が多く、私たちが若者に思える。各地の旅行プランの説明が始まると、「○○はもう行ったしなあ」、「そうそう、そうだった」などつぶやきが聞こえる。世界各地に旅行し、そして今はクルーズという人が多いのだろう。ツアーコンダクタの人と親しげにあいさつする人も多かった。

海の船旅
最近の豪華客船は、特に米国の船はカジュアルで、パーティのときにも普通のスーツなどで十分な船が多いという。動くテーマパークと言えるほどいろいろな楽しみごとがあるという。
地中海などのクルーズが多いが、飛行機(ビジネス)でハワイに飛び、ハワイ4島を船で回る10日間のプランもあった。
この会社のプランでは、必ず浴槽付き客室になっていた。日本人は、とくに年寄りは2週間以上もシャワーだけでは耐えられないのだろう。
最新の航行設備を備えた10万トンクラスの大きな船でも、やはり外海はかなり揺れることがたまにあるという。また、日本人の添乗員がいても、そもそも乗客は外国人が主体で食事時のテーブルなどは日本人だけで固まるのだろう。
大体が10日から20日間で50万円から80万円程度と、お高く、私たちには縁がなさそう。郵船クルーズ社の飛鳥Ⅱでも海外だと150万円以上、102日間世界一周だと最低でも350万円とまるで夢。ただし、この料金はすべてを含み、追加料金なし。


河の船旅
この会社ニッコウトラベルは、セレナーデ号という1500トンと1700トンの河船を持っていて、黒海からオランダまで運河で結ばれるドナウ河、ライン河、マイン河を行き来している。
客室は16m2の広さがあり、全室、大きな窓、浴室付きで、河なのでまず揺れることはないという。食事も日本人主体なので、和食もある。糖尿病の人のための食事もあるというところが年寄り向けで素直に喜べない。

河の船旅の良いところは、荷物は船室に置きっぱなしで、移動中も両岸の風景をのんびりと眺めることができ、停泊して観光地を見学するときも、長時間のバス乗車はなく、マイペースでよく、船で休んでいてもよいという点だ。

中世古城を河から見るコース、ドイツ、オランダを見たり、スイス旅行と組み合わせたりと、10日間から14日間の各種プランがあり、45から60万円とやはり多少高い。この場合も追加料金はなし。

もう少し年取ったら、身体が楽な、河の船旅も良いかなと思った。



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「みずうみ」を読む

2007年10月26日 | 読書

いしいしんじの「みずうみ」河出書房新社 を読んだ。

身体から大量の水が流れ出すなどの荒唐無稽なわけの解らない話が続く。この種の非現実的な小説は、大半は途中でバカバカしくなって投げ出してしまう。ごくたまに、カフカの「変身」や、笙野頼子の「タイムスリップ・コンビナート」のように私の感性にたまたまぴったりくる小説もあるが極めてまれだ。読む人によって評価は極端に大きく分かれるのではないだろうか。この小説はともかく最後まで飛ばしながらでも読み終えたので、私として一応及第点をあげ、感想を述べることにした。

3章構成になっていて、第一章は、子どもの口から語る、もっともあり得ない、夢のような話で、毎日水汲みに行く湖からときどき骨董品が取れたり、小さなカバが登場したりする話が続く。童話的雰囲気はあり、お好みの人はいるだろうが、私はとても付いていけない。この第一章が「文藝」に載ったというから、驚きだ。と言うか、私が時代に取り残されているのだろう。そうであっても、べつに気にしないし、かまわないのだが。
私にとっての良い小説とはこの私をどんどん引きずり込むものでなくてはならないと思う。世間一般の評価は、一応の一次選択の参考に過ぎない。

ところが、第二章の冒頭からはごくまっとうなタクシー運転手の話で始まり、再び読む気が起こる。しかし、しばらく読むと、ところどころで、また身体から水が溢れ出し、ひどい目にあうという話になる。それでも一応の筋はあるので、けっこう読み進めてしまう。

第三章になると、これが一気に現実的な慎二と園子の夫婦と友達の話になる。ネットで「いしいしんじのごはん日記」を読むと、松本に住んでいる園子さんという奥さんらしい人が出てくる。と言うことは、一気に私小説かと思う雰囲気になる。もっとも、日記も含めてどれほど本当なのかはっきりしない話であるが。
話が進むと、またまた、溢れる水が出てくる。しかし、この章では話の筋は最後の手前まではおかしくならない。

最後まで読んでくると、第一章の子どもの話がベースになっていて、何かと言うと湖の水に戻っていくという構成になっていることが解る。最近の、そして今後の小説はこのような夢のようなものになって行くのだろうか。絵画に続いて小説も私にとってわけの分からないものになって行くようで、そうなれば過去のものしか楽しく味わえないということになる。

いしい しんじは1966年 大阪生まれ。京都大学文学部仏文学科卒業。 元々画家志望であり、イラスト、自分の小説の挿絵を描くこともある。坪田譲治賞を受賞し、三島由紀夫賞候補に3回なった。


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横浜へお出かけ

2007年10月24日 | リタイヤ生活
昨日、23日は横浜へお出かけした。

デパート
まずは東口と西口のデパート巡り。私は売場に近づくと、キョロキョロと椅子を探す。バンクーバーではたいていの店には疲れきった男性用の椅子が置いてあったのだが。

アフターヌーンティ
昼飯の時間になり、奥様はスタスタと東口のはずれの崎陽軒の1階へ。ポチも尻尾をたれて後を追う。喫茶店なので何故と思ったら、お目当ては、アフターヌーンティ・セットだった。

カナダ・ビクトリアのエンプレス・ホテルに泊まったときに5千円だったのであきらめ、ウィスラーへのWhistler Mountaineer号に乗ったときにも帰りは節約してCoast Classicにしたため、アフターヌーンティを食べ損なった。
コーヒーや、紅茶だけども700円から800円ほどするこの店で、1370円で一応空腹が満たせれば相対的には高くない。事あるたびに再燃するこの話に終止符を打つにはこのくらいの出費もやむをえない。そもそも、すっかり入る気になっているのに、私ごときが断れるわけない。

3段重ねで、一番下にサンドイッチ2組、2段目にスコーンと揚げパン、一番上に小さなケーキが3個(以上1名分)。崎陽軒らしさは、揚げパンか?
味はまずまずで、紅茶も各種選択できる。紅茶ポットに保温用のカバーなどが欲しかった。

赤毛のアンの本
注文した松本侑子「赤毛のアン」集英社文庫を受取りに行った。
赤毛のアンの英語の本をプリンス・エドワード島で購入したのだが、例によって最初のページから苦戦。松本侑子さんによれば、英文は少女向けの文章ではなく、ビクトリア朝の大人向けの文体だそうだ。
おおよその意味はとれるが、電子辞書にない単語があったりして細かいところが読み取れない。読み飛ばすのが良いのだろうが、たまにはきっちり読もうと始めたので、訳本を買うことにした。
日本では村岡花子さんの訳本があり、図書館で借りて読んだが、子供向けの翻訳で原文には忠実でないところがある。シェイクスピアをはじめとする英米文学への引用を明らかにしたといううたい文句の松本侑子さんの本を注文して、この日受取った。

東口地下広場 
そごうの入口前の東口地下広場を通る。ここにはその昔に「ハマの大魔神社」が祭られていたことを思い出した。1998年「大魔神」の異名を持つ佐々木投手がメジャーに行く前にプロ野球の横浜で45セーブを連発してチームも38年ぶりのセリーグ優勝し日本一になったシーズンだ。今は昔だ。シーズン中、横浜の優勝を祈願して臨時に「ハマの大魔神社」が作られた。御神体は、フォークボールを握った佐々木の右腕。メディアも騒ぎ、けっこう人でにぎわっていたのを思い出す。今は待ち人が立っているのみ。

南蛮胴具足
その東口地下広場で愛知県の観光案内が行われていた。展示されていたのは鎧、兜。
南蛮胴具足は現代でも十二分におしゃれな鎧兜だ。マントの刺繍や裏地の赤が決まっている。東西の文化の融合が斬新な美意識を生み出したのだろう。
(写真は携帯カメラのピクセル数を落としていたので汚くて申し訳なし)



鎧と同じくらい高さがある兜もあった。これでは明らかに実用ではない。



実際身に着けている方がいた。アルミ製で7kg、実際のものは10kgほどとの話だった。試着経験できますとの話だったが、こんな立派なガタイとお顔の持ち主を見て、貧相な私は遠慮した。(お顔はどなたか特定できないように多少細工してあります)



戦いの道具であるが、同時に自己主張の場でもある戦場で目立つように華やかさ、奇抜さを競ったとのお話であった。

十三夜
帰宅した夜、TVの天気予報で今日が旧暦九月十三日(今年は10月23日)の十三夜もまた美しい月であると紹介していた。さっそく外に出て月をめでる奥様に続いてポチたる私も後を追う。

お月見というと中秋の名月(旧暦八月十五日の十五夜)と思っていたが、少し欠けた十三夜も良いものだ。「十三夜に曇り無し」という言葉があるそうだが、月のウサギの模様もくっきり見える月だった。相変わらすの、夜景が撮れない手振れ防止機能なしのカメラの映像では単なるゆがんだ丸だが一応。



十三夜で思い出すのは樋口一葉の「十三夜」という短い小説だ。
高級官吏と結婚したお関は、夫の虐待に耐えかねて、子どもを置いて実家に戻る。父親にさとされ、夫の元に戻るために乗った人力車の車夫は、放蕩で身を持ち崩した幼なじみで互いに密かに思い合っていた録之助であった。十三夜の月の光に照らされる人の宿命のはかなさがただよう。



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「そうだったのか!中国」を読む

2007年10月23日 | 政治

池上彰の「そうだったのか!中国」集英社 2007年6月発行を読んだ。

全体的には穏当な表現であるが中国に批判的である。というか、私には正当な評価、表現と思える。17章にわかれているが、共産党誕生以降の中国の歴史が12章と主体で、反日、格差社会、環境、軍拡など現在の問題点が5章で、若干突っ込みが足りず、物足りない。

著者の池上氏は元NHKの記者で、「週刊こどもニュース」のお父さん役でご存知の人も多いと思う。写真も多く、要領よくわかりやすくまとめられているので、現代中国の歴史、現状の問題点をおさらいするには最適な本だと思う。

(  )は私の感想
近代史
(ほぼ実時間で生きてきた私にはとくに新しい情報はないが、ポイントを要領よくまとめてある)
・毛沢東が共産党の指導権を握り、国民党を台湾に追い落とし中国全土を支配する。
・共産党と政府の2体制での国家統治の仕組みを図で説明。
・封建社会から一時新民主主義を経て社会主義へ体制変革する。
・百花斉放・百花争鳴で共産党への批判を呼びかけたが、批判が噴出すと弾圧を始める。これ以降、指導者への批判がなくなって独裁へ進む。
・大躍進政策で、理論・実情を無視した農業、各家庭での悪品質の鉄鋼生産が行われ、虚偽に成果報告がなされた。
・指導力を失った毛沢東は紅衛兵をたきつけ文化大革命を起こし、大混乱に。
・ 以下、チベットを侵略、ソビエトとの決別、日本との国交正常化、鄧小平の復活、一人っ子政策、天安門事件と続く  
(右往左往の政治のゆれは、共産党独裁体制である限り続くだろう。最低限、情報公開を進めるべきだ。でないと、その影響はもはや、世界に累が及ぶ。)

対日本
田中角栄と、周恩来の日中首脳会談で、中国は損害賠償を放棄したが、「日本の軍国主義者と日本人民は別。日本人民も戦争の被害者」との論理で反対勢力を納得させた。したがって、A級戦犯も祀られている靖国神社への日本国首相の参拝には抗議せざるを得ない事情もある。
(国家として賠償を放棄したことや、日本からの援助でできた建物などを中国国民に知らせない態度は、あきらかに政府の意図的反日操作である。)

江沢民は天安門事件収拾のために愛国教育を進め、自分の権力基盤確立のために、日本に強い態度で臨み、反日を進めた。しかし、反日運動が暴発し、政府は抑えなければならなくなった。
(胡錦濤になって事情は変わって極端なことはなくなった。話し合いは歓迎するとして、対応するときに冷徹な気持ちは必要だ。そもそも、反日教育はなくなっていないのだろう。)

軍拡
小国ベトナムに大敗し、湾岸戦争で米国の近代兵器におびえ、軍の近代化にのりだした。
地球を周回している人工衛星をロケットで破壊する実験に成功した。これにより、日本や米国の偵察衛星を利用するミサイル防衛システムを無力化することができるようになった。
軍事費を透明化し、防衛構想を明らかにしないかぎり、世界の中国脅威論は収まらない。
(表向きの中国の軍事費も日本のそれを抜いているのではないだろうか。私には日本の軍事費も多いと思うが、中国の伸びは異常で、周辺に軍拡をもたらしている。そもそも、今、中国を侵略しようとする国があるだろうか?中国はいったい何におびえているのか。)

(しかしながら、こんな中国に反発するだけでは、良い方向に進まない。なんとか、日本の実情を話し、なだめながら、相手の意図を汲み取って互いに妥協するしかない。それが国益を守る、国と国の外交だと思う。中国のクシャミで世界経済が風邪を引く状態になって、逆に中国もそうそう無茶なことを言えなくなってきていると信じたい。)



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「<スピリチュアル>はなぜ流行るのか」を読む 

2007年10月22日 | 読書

「スピリチュアル」という言葉を最近聞く事が多い。日本でも、海外でも時代の流れの一つになっているようだ。たまたま、カナダ・バンクーバー滞在中にもヨガと結びついたかたちのスピリチュアルの話題が何回かでた。
神秘的なことは嫌いで、宗教に逃げたくないと思っている私は、スピリチュアルに偏見がある。
そこで、この「<スピリチュアル>はなぜ流行るのか」磯村健太郎 PHP新書451を読んでみた。


著者は元朝日新聞の事件記者で、身近な社会的話題も盛り込みながらの説明はわかりやすく、宗教・心理・社会学の最新研究にも触れている。スピリチュアルの概念があいまいで幅広いだけに明解とは言えないが、スピリチュアルの大枠が理解できたような気がした。また、宗教、ニューエイジ、エコロジー、セラピー、江原氏の「スピリチュアル・カウンセリング」との関係性も個別、具体例の紹介が多いが、感覚的には理解できた。

以下、(  )は私の感想で、それ以外は本書からの一部、簡単化した引用である。

スピリチュアルとは?
スピリチュアルについて、研究者の定義はわかりにくいが、名詞形のスピリチュアリティ spirituality とは、
(1)宗教の教えはかならずしも必要とせず、その人が体験したものこそが重視される。
(2)いわば超越的な次元にある「なにか」とつながる感覚。
(3)自己がなんらかのかたちで変容するような感覚をともなう。

(と言うことで、なんらかの超越的な存在と、それとつながる感覚のことだ。もっと、簡単に言うと、「目に見えない何かとつながる感覚」ということらしい。)

なぜ今、スピリチュアルなのか
宗教の役割が希薄になった日本で、「癒されたい」「救われたい」「つながりたい」という声なき願いに応えてくれる存在が求められている。

何かの宗教を信じている20代の若者は7%しかいないが、神や仏が存在すると思う人は33%で、なんとも言えないが30%。「宗教的なもの」を信じる若者はけっこう多い。
宗教はスピリチュアリティを根幹に持ってはいるが、その用意された世界観にリアリティをもてない人が増えている。また、宗教は個人をなにかと拘束するという印象がある。

日本の若い世代は、どこかうつろだったり、なにかにむかついていたりする。<私>とは?その意味を求めて漂流している。かっては宗教だったが、今は「宗教的なもの」に求める。

ブログ同士でスピリチュアルなつながりが生まれることがある。家族などとの固く結ぶ「絆」から自分でスイッチをON/OFFできる「つながり」へ移っている。

成熟社会では、どうゆうわけか存在してしまっている<私>というできごとそのものが個別的説明を必要としている。<私>こそが切実な「意味の欠如」であり、「いわれなき苦しみ」となる。スピリチュアルな感覚は「私という出来事」についてなにかを示唆するように受け止められる。理性ではなく、むしろ感覚によって。

現代の人々の関心は、宗教からセラピーへ、言い換えれば救済から癒しへ移っている。

(私について言えば、単純な理系頭であり、超越的存在、超自然的な力を信じない。もちろん、ありえないと証明はできないが、圧倒的にいんちきが多いことも知っているので、目の前で見てもにわかに信じない。なにしろ、奇跡は手品でも起きるのだから。したがって、入口でスピリチュアルに入れない。)


関連の動き
ニューエイジ New Age movement:米国で70年代以降に広まったスピリチュアリティを重んじる信念や実践。小さなグループがゆるやかなネットワークでつながっている。グループは基本的に出入り自由。汎神論的。瞑想、ヨガ、心理的技法を使ってこころの成長や意識の変容を目指す。

インナーチャイルド:あなたが神や宗教を信じていなくても、インナーチャイルドはそうした偉大ななにかを信じているものです。小さな子どもというものは、未知の力や神秘的な力をごく自然に受け入れるものだからです。こうした未知の、あるいは神秘的なものに対する祈りは、傷ついたインナーチャイルドを力強く守ってくれる効果があります。

江原氏のような「スピリチュアル・カウンセリング」は、(  )内は臨床心理学用語
(1) 霊視により、相談者は江原氏に急速に信頼をよせる(ラポール=信頼関係形成)
(2) 問題の遠因を過去の失敗・喪失・被害にもとめる(トラウマ理論)
(3) 問題を問題として感じている「ものの見方」そのものを変える(リフレーミング)

(ロハス、スローライフ、ガイヤなどとの関連も語られるが、いずれも特定の団体についての話の紹介に留まり、分析は十分ではない。)

(スピリチュアルの今後については、著者は「ケア」との関連に注目しているが、説得力はいまいちである。)



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PEIとケベックの信号機

2007年10月21日 | カナダ東部
プリンス・エドワード島(PEI)の信号機は、色は赤、黄、青だが、形が四角、菱形、丸と異なっていた。色覚に問題がある人(色の区別が付かない)が、形で判断できるように工夫している。赤だけ両脇に2つある。普通の3つとも丸形の信号機と併用しているところもあった。






カナダの大きな交差点では車の信号が青でも、同じ方向へ人が横断するための信号は赤になっていて、車の信号が縦も横も両方赤になってはじめて、人の横断信号が青になる場合が多い。安全で、斜め横断も可能で便利だが、車を長く停止させておくこともできないので、結局人が横断するための時間は短くなってしまう欠点はある。

ケベックの歩行者用信号機には青の残り秒数が表示される。途中で急に点滅してあわてるより良いと思う。同じ方式を横浜のみなとみらい駅傍で実験していたがどうなったのだろうか?






なお、カナダでは前方が赤信号でも車は左から車が来なければ右折できる(カナダでは車は右側通行)。したがって、人がすこしだけ車道に降りて信号を変わるのを待っていると、右折してくる車にはねられるおそれがある。
しかし、この規則はケベック州では適用されない(カナダでは州によって交通規則が異なることがある)。


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プリンス・エドワード島 (10) 鳥の練習

2007年10月20日 | カナダ東部
プリンス・エドワード島のキャベンディシュで鳥の声がうるさいので空を見たら、群れをなして飛んでいた。ガイドさんの話によると、この時期、フロリダへ渡るために、隊列を組んで長距離飛ぶための練習をしているという。鳥の名前は聞き忘れた。カナダガンだろうか?

以下の写真は3日に渡って撮影したものだが、後半ほど数が増え、上手に隊列を組めるようになっているような気がする。まあ、たまたまだろうが。












冬のプリンス・エドワード島は1月の最高気温が-3度、最低気温が-13度と厳しい寒さになる。電柱が木でできているのは、コンクリートだと寒さで割れてしまうためだという。
カナダはバンクーバーなど一部を除いて冬の寒さは厳しい。土は冬に凍って、暖かくなって解けてグチャグチャになる。したがって、家を建てるときは1.5m 以上掘ってから家を建てるルールがあるという。どうせ1.5m 掘るならと、ベースメントと呼ばれる半地下の部屋を作る人が多いらしい。

なお、カナダの天気予報の紅葉状況、 http://www.theweathernetwork.com/fallcolour/pei 
を見ると、10月4日から更新されていないが、以下のようになっていた。
「紅葉はプリンス・エドワード島の多くの地域で始まっています。島の西部の低地では、すばらしい黄色、赤とオレンジが部分的に見られます。島の中央部と東部はちょうど変化が始まったところです。島のすべての地区で7-10日後にはあざやかな紅葉が期待できます。」

プリンス・エドワード島については、秦野 玲子さんのHPの中にプリンス・エドワード島の鳥の写真と解説があります。PEIの訪問記もあります。
 http://www.terra.dti.ne.jp/~reico/index.html



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トロント

2007年10月19日 | カナダ東部
プリンス・エドワード島からの帰り道、トロントに一泊した。昼過ぎについてユニオン駅の南、オンタリオ湖畔にあるホテルに少し早くチェックインして、一休み。

ユニオン駅まで10分ほど歩く。構内を地下鉄の駅を求めて延々歩く。トークンを$3.75で買って地下鉄へ乗り、Osgoode 駅で降りて、Queen St. を西へブラブラ歩く。「Queen Street Westは個性的なセレクトショップ、カフェが軒を並べる若者に人気な通り」と案内書にあったが、ポツポツと新しげな店はあるが、東京の方がよほどと思える。駐車場だろうか、壁から半分飛び出た車を発見。



LRT(The Light Rapid Transit )とも呼ばれるStreet Car が走っている。



道端に自転車を止める輪があった。トロントでよく見る形だ。輪には「LOCK BICYCLE TO POST CITY OF TORONTO」との文字が浮き出ている。



疲れたのでカフェを探したがしゃれたところが見つからず、スターバックスで妥協する。、一休みしてからホテルに戻る。

夕方になってから、ホテルの前のフェリー乗り場 The Westin Harbour Castle から湖畔を西に散歩した。ちょうどフェリーが出てゆくところで、オンタリオ湖の対岸の Niagara-on the-Lake 市へ渡るのかなと思ったが、どうも対岸が近い。地図を見ると、フェリーの行き先は、Toronto Islands だった。この島はオンタリオ湖に浮かぶ島で、離れたところでもトロントの南約1kmとごく近い。公園、市民空港、600人ほどの居住区もあるそうだ。



そのまま歩き、ハーバーフロントにあるQueen’s Quay Terminal へ行った。案内書にカナダ製にこだわった品揃えの店が多いと書いてあったのだが、既にほとんどの店が閉まっていた。

湖畔にはバンクバーのようにガラス張りの高層ビルが並んでいた



そのまま歩いてCN Tower に向かう。553mの高さは1976年から世界一の高さを誇ってきたが数週間前に建築中のドバイの超高層ビル、ブルジュ・ドバイに抜かれた。しかし、30年世界一を守れたということは、ずば抜けて高かったということだ。すぐ下から撮ると画面に入らないので斜めにしてみた。



CN Towerに登る前にセキュリティ・チェックがあった。
非接触のセキュリティ・アーチをくぐるだけで、X線ではないと書いてある。確かに、無塵室へ入るときのように、強い風が吹くアーチの中をくぐるだけなのだが、なぜこれでセキュリティ・チェックになるのかが解らなかった。
帰国してからTVでセキュリティに関する展示会の紹介を見ていたら、同じ装置が出てきた。持っている爆薬の微粉末を吹き飛ばして分析する最新の爆発物検出装置だそうで、日本にはまだ1台しかないと話していた。

チケット売場での料金には、大きく3種類ある。一つはObservation : $21.49で、Look Outと呼ばれる346mの展望台へ行く。二つめはAttractions: $25.99で、Look Out のほかに映画が見られる。三つめは Sky Pod : $25.99 で、Look Out のほかに447m の最上展望台へ行ける。

私たちは当然Sky Pod の券を買い、とりあえずエレベータでLook Out まで登る。22km/hourの速さで、わずか58秒で346mまで登る。エレベータから外を見られるようになっているので、グングン登って行くのがわかる。

Look Out ではガラス張りの室内から外を眺める(Indoor Observation)。180度はHorizons Café になっていて、世界でもっとも高いところにある軽い食事を楽しめるとのうたい文句だ。

Look Out から1階階段を降りると、 Glass Floor で、床のガラスの部分からは342m下が足元に直接見える。この床は通常の床の強度の5倍に耐えるよう設計されていると書いてある。たった5倍なの?と思ったが、17頭のカバの重さに耐えると読むと、安全と思える。
また、ドアを開けるとガラス無しに直接、といっても網はあるが、外が見られる(Outdoor Observation)。

Look Out から1階階段を登ると、72分で360度一周する回転レストラン「360 Restaurant」だ。こちらは、約500の銘柄から選択できる世界的ワインセラーとのうたい文句だ。

私たちは予約せずにこの360に入ろうとしたが、受付でさんざん待たされたあげく、「小食だからアラカルトで良いか?」「No」。「メインを二人でシェアーできるか?」「No」。良く聞くと、このレストランで食事すると、Look Out への展望代金 $21.49が割引になるという。通常は下で展望台のチケットを買うときに申し出るのだが、レストランの人が展望台の入場券にサインし、食事の領収書を持って、チケット売場へ行けば、展望代金 $21.49 を現金で返してくれるという。ならばと、急に食欲が出て小食を解消し、二人ともメインをとることにした。
サラダとサーモンと、スープと海老のスパゲッティを注文したが、量は思ったほどでなく、味はまあまあで、回転する外の眺めがすばらしかった。15%のチップ込みで$131だった。下へ降りてから、「この領収書じゃだめ」とかいろいろあって、10時の閉店寸前に国税も含め二人分 $45.56 を取り戻した。

Sky Pod へはLook Out から別のエレベータに乗り、447mへ登る。さすがに高い。晴れた日には160km先が見えるという。
すぐ下に世界初の自動開閉式屋根を持つドーム球場、Rogers Centre が見える。



高層ビルもはるか下にある。新宿の都庁展望台から、「あのビルが高い。いやあのビルが」などと言っていたが、このCN Tower から見ると、どの高層ビルもただ下のほうにべたっと並んでいる。なにしろ日本一の高さの296mの横浜のランドマークタワーの2倍近くの高さだ。遠くまで延々と連なる光の海を見ると、トロントは大都市だとあらためて思う。
高所恐怖症ぎみの奥様がビビルと思ったのに、「これだけ高いとかえってなんでもないわね」と平気な顔で、ガックリ。
(相変わらずのひどい夜景写真で恐縮です)



黒く横たわるオンタリオ湖の向こうに広がるまばゆい明かりの海は、Toronto Islandsだろうか、ナイアガラ地域だろうか。




翌朝10時にホテルを出て、トロント空港へ向かった。

機内映画は下のように数は多いが、日本語吹替え、字幕がOcean’s ThirteenだけではANA共同便と言えない。
Hollywood : Nancy Drew, Once, Harry Potter & The Order of the Phoenix, Live Free or Die Hard, Evening, Evan Almighty, Surf’s Up, Ocean’s Thirteen
Classics : The Third Man, Red Desert, His Girl Friday, Wild Strawberries
Avant Garde : Sunshine, Kenny
Contemporary : Sleepy Hollow, The Others
World : Ming-Ming, After the Wedding, Paris Je T’aime, Paprika
Franco-Cinema : La Vie en Rose, Coeurs
Canadian : Radiant City, Away From Her, en Route Short Film Festival (5編)

途中カムチャッカ半島だろうか、一面の雪山の上を通過していった。



トロント空港から約14時間のフライトで15時半ごろ成田についた。

久しぶりのツアーで、朝は10時ごろの出発で楽だったが、夜が遅くなり、疲れた。ロングステイのときの14時か、15時には帰るペースと異なり、あわただしかったが、充実した旅行だった。

後は、信号機や、鳥のことを書いて、カナダ東部編は終了とする。











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プリンス・エドワード島 (9) ナンバープレート

2007年10月18日 | カナダ東部

カナダの車のナンバ-プレートは、各州の特徴となる物の絵が描いてある。そしてその絵が数年毎に変わるらしい。

プリンス・エドワード島(PEI)州の大分前のナンバープレートにアンの顔と家入りのものがあって、現在では貴重品と聞いていた。
グリーン・ゲイブルス博物館付属のギフトショップに、このPEI州のナンバープレートを$20で売っていた。アンの顔があまり可愛くないと言っていた人がいたが、そもそも、ギフトショップで売っているアンの人形の顔も日本人から見るととくに可愛くはないものが多い。



博物館の駐車場へ行って、止めてある車のナンバープレートを撮影した。近隣の州や、米国から来ている車が多いが、いずれも州を代表する何らかの絵が入っている。

今年変わったという新しいナンバープレートは、多分、PEI州はカナダの緑の州とのうたい文句と赤い土の崖の上に風力発電用風車が並んでいるものだろう。



その前のプレートは、13kmあるという本土とつなぐConfederation Bridge の絵だ。



この駐車場にあったPEI州のこのほかのナンバープレートは、カナダ連邦誕生の地とあり、州議事堂の絵のものがあった。




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プリンス・エドワード島 (8) レストラン、店

2007年10月17日 | カナダ東部
レストラン
プリンス・エドワード島といえば、ロブスターだ。資源保護のため漁の解禁時期を制限している。ただし、地域によって時期をずらしているので、いつでも新鮮なロブスターが手に入るようにしている。確か6月、7月にプリンス・エドワード島北部で漁が解禁で、南部で9月、10月が解禁になる(?)。冬は海が凍るので漁はできない。その代わり、より南のNova Scotia 州などが解禁になる。

ガイドさんの一番のお勧めは、シャーロットタウンのWater St.とPrince St. の角にあるWater-Prince CORNER SHOP だ。ここは小さな店だが魚屋さんでロブスターはもちろんmussel(ムール貝)、オイスター Oyster など海のものは新鮮で、安い。
奥様はクラブチャウダー、私はムール貝とカキを食べた。合計 $36と安い。
ここで売っているロブスターの缶詰Lobster Meat や、Lobster Pate ロブスターの練り物の缶詰もお土産に面白い。といっても缶詰はまだ食べていないのだが。



次に薦められたのは、Seatreat (海のご馳走?)と言う店だ。これも地元の人が行くようなとくにきれいとはいえない店で、Euston St. University Ave. の角にある。ここには要求すれば日本語と英語の手書きのメニューが出てくる。ただし、このメニューには値段は書いてない。
CORNER SHOP よりは高め ( $29 ) だったが、ロブスターを食べた奥様はおいしかったという。私はムール貝 ($7) と、めずらしい鯖(mackerel)を注文した。料理法はgrill(直火で焼く)、fried(油であげる)と熱湯に落とす(poach)とあったが、よく分からないpoachにした。なんのことない日本の鯖と同じだが、臭みがなくおいしかった ($14)。
このメニューの一番上に、「お支払いは、別々でしょうか、ご一緒でしょうか?」とあり、その下に、「siperate together」と書いてある。separateでないの?日本人が書いたのか?



案内書に良く出ているのは Lobster on the Warf だ。Prince St. の突き当たり、港のすぐ傍にある。ギフトショップなどが並ぶPeake’s Warf にあるので、観光客向けのような気がして入らなかった。



Prince Edward Island Preserve Company は、シャーロットタウンとキャベンディシュとの中間辺りにある。2号線からキャベンディシュに向かう13号が別れ、224号と交差する辺りをNew Glasgow と言い、お金持ちの住む地域だ。この店は自家製のジャムの店で棚にずらりと並んだ各種ジャムがお勧めだ。レストランも併設しており、ツアーの途中でこの店で昼食にロブスターを食べた。



こちらでは定番の熱く溶かしたバターに漬けて食べ、マッシュポテトとコールスローが付いている。もちろんおいしい。



キャベンディシュではこれもガイドさんお勧めの Rahael’s というレストランに入った。私はシーフードがしこたま入った料理の Seafood Caserole と言うものを食べたが最初の半分まではおいしかった。奥様は Salmon in Puff Pastry というものを注文したが、持って来たものは大きなパイ。ウエイターに「違ってるよ」というと、「サーモンならこれでよい」と言う。切ってみると、パイ生地のなかはサーモン。けっこうな味だった。
サラダやコーヒーも含め二人で $57は安いといえる。味も含めお勧めの店といえるが、そもそもキャベンディシュでは選択の余地は少ない。



朝食はホテルのレストランは高いし、小食な私たちにはあわないので、いつも外で簡単に食べるか、前日にコンビニなどで買ってきたもので済ませてしまう。シャーロットタウンのデルタ・ホテルのすぐ近くの、地元の人があいさつを交わしている Linda’s Restaurant & Coffee Shop は、トースト、卵(スクランブル/ボイル/フライド)、ベーコン/ハム/ソーセージのモーニング・セットが手軽でおいしい。$12位だったと思う。

いろいろなところにCowsというアイスクリーム屋があるが、ギフトショップなどが並ぶPeake’s Warf にある店に入った。「PEIでベストなアイスクリーム」との看板があった。中はアイスクリーム売場よりも、とぼけた牛の絵のついたグッズ売場の方が広い。



お土産屋
アンの店 The Anne of Green Gables Store は、Queen St.とVictoria Rowの角にある。 CavendishにあるAvonlea Villageというアンの関するテーマパーク内にも同じ店がある。奥様によれば、あまり好いものはないと時間の割にお買い上げは少なかった。アンの顔があまり可愛くないと人形はお買い上げにならず、ぶら下げる後姿の人形(飾り)などをご購入。帰宅して居間に飾ろうとしたら、息子が首吊り見たいだと拒否。寝室へ追いやられた。



私は、 Green Gables Edition とある Anne of Green Gables (赤毛のアンの原著)、$8.99を買った。351ページあるが、英語の本はこれまで何冊も買ったが自慢じゃないが数ページ以上読んだことはない。最初の数ページだけ売ってたら良かったのだが。
この店は、オンラインショッピングもできる。 www.annestore.ca

アン関連のギフトショップは、アンの家にも、グリーン・ゲイブルズ博物館にもいろいろなところにある。

その他、私が買ったのは、ピエロの人形とドリーム・キャッチャー。前者は$5と安いわりによくできているのでつい手が出た。後者は枕元につるすと、良い夢を捕まえてくれるというもので、カナダのどの店にもある。帰宅して寝室の壁につるしたが、見事、良く夢を見るようになった。どうも、連日いろいろ調べ、整理して、このブログを書いているせいで、こんな歳になって、夢見るアンの夢ばかりみる。




その他、カナダのお土産としては、メイプル・クッキー、サーモン・ジャーキーなどをお買い上げ。メープルシロップにもExtra Light などいくつか種類がある。Costcoなどのスーパーに行って(会員制だが)、1リットルビンで買ってくるのが一番安い。我家はこれを小分けにして使っている。
その他、アウトドア商品のカナダ・ブランドRootsでキーホルダー、時計、防寒着なども買った。トロントの個性的なセレクトショップが並ぶQueen St. Westで買ったカーデガンを帰ってから見ると、ZARA Japanの名札がついていた。




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プリンス・エドワード島 (7) キャベンディシュ

2007年10月16日 | カナダ東部


今日はアンに直接関連しないキャベンディシュの見所について触れる。

撮影ポイントのフレンチ・リバー
プリンス・エドワード島の写真には必ずと言っていいほど出てくる場所がフレンチ・リバー French River だ。キャベンディシュから New London Bay を西に迂回したところにある。ここの土地は、丘の上にガラス張りの展望テラスを持つ屋敷の持ち主、アメリカ人の Ralph Hostetter 氏の所有だったが、あまりにも多くの人が車をここに止めて景色を眺めているので、気前よく寄付してくれたそうだ。感謝の意をこめてHostetter’s Viewscape との看板が立てられていた。ここはツアーに含まれていた。



写真は左から右へ撮ったものだが、真ん中のものが写真で良く見る景色だ。






地面に置いてあるのは、ロブスター漁に使う仕掛けの籠だ。ロブスターは入口から入るときは頭からだと触覚などが邪魔になることを知っていて、尾の方から入ってくる。中の餌を食べて出るときには頭から出られなくなる。左下の黒い紐は許可を受けた鑑札だ。



B&B
通常の赤毛のアン一日観光は出発したシャーロットタウンに戻る。私たちはキャベンディシュでもう少しのんびりしたかったので、B&Bに一泊した。宿は Kindred Sprits Country Inn and Cottage だ。かなりの人数が泊まれるB&Bで、芝生の向こう側にはいくつものコテッジが並ぶ。
「Kindred Sprits」 という言葉は赤毛のアンの12章 A solemn vow and promise に出てくる。「生涯の心の友」と言ったような意味だろうか?(日本語訳本が手元にないので)



入口すぐの共用の部屋が以下の写真。夜9時にここでお茶会があったが、遅れて行ったら、ネイティブ同士でガンガン話していたので、スゴスゴと引き返した。



たいていのB&Bはそうだが、ここの部屋もなかなかロマンチックでムードあるつくりで、トイレ、バスタブもついていたが、インターネットは利用できず、ホテルに比べると多少狭く機能性では劣る。




信号の交差点
B&Bから小道を2,3分行くと、6号線に出る。出たところからキャベンディシュのメインの交差点を見た写真が以下だ。キャベンディシュで信号があるのはこの交差点だけと聞いた。交差点への坂の手前を右に曲がったところにアンの家 Green Gables がある。



交差点を過ぎてすぐ振り返って撮ったのが以下の写真だ。このままもう少し後ろに進むと、郵便局と教会がある。交差点を過ぎてまっすぐ伸びているのが泊まったB&Bへ行く6号線で、B&Bへの道を通り過ぎてさらに少し行くとアボンリー・ビレッジがある。交差点を左に行くとシャーロットタウンへの13号線になる。6号と13号の角がモンゴメリーの墓地だ。



交差点の左には、 Anne Shirley と、アンの名前そのもののB&Bがある。このあたりの宿は赤毛のアンから取ってきた名前をつけている場合が多い。




キャベンディシュ・ビーチ
交差点を右にセントローレンス湾の方にブラブラ歩いた。すぐ左側に観光案内所があった。



道はしばらく林の中を行く。両側の木々を行き交う鳥が多いが、声はすれどもめったに姿は見えない。野性のリンゴの木がある。



やがて野原の中の道になり晩夏に咲く白い花が多くなる。



紅葉はところどころ始まったばかりで、本格的には10月中旬以降だろうか。ガイドさんは、「私はマダラ模様の方が好きですけどね」と言ってくれたが、全面紅葉のときの客にも、そう言うのだろうか。
花は夏の残りの白い花があちこちで見られたが、いまひとつさびしい時期だ。まあ、人がいっぱい居ないで、寒さに震えない時期を選んだのだが。
6月末には島全体にルピナスLupin が咲き始めるという。ルピナスは「のぼりふじ登藤」とも言われ絵葉書などによくある。赤紫などの色で、尖がった塔が一面に広がる景色は一度見てみたいものだ。
7月後半から8月にかけては、白やピンクのジャガイモの花畑となるという。

振り返ると上り詰めたあたりが交差点で、けっこう歩いて来たことに気付く。



DUNELANDとの標識のある海岸に付く。セントローレンス湾からの風が強い。ここはPEI国立公園内のCavendish Beach East で西へ行くCavendish Dunelands Trail の始点だ。
プリンス・エドワード島の北側に数100kmも続くという海岸一部、Cavendish Beach は夏には多くの人が訪れる。この崖の向こうに延々と続く砂浜が見える。



赤い砂岩は簡単に崩れるので、崖から2m以内には近づかないこととの注意を受けた。確かに激しい波で次々と崩れている。



次回はシャーロットタウンなどのレストラン、店の話を少々。


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プリンス・エドワード島 (6)  生家、博物館、駅舎

2007年10月15日 | カナダ東部

赤毛のアン一日観光に参加した。(1)から(5)までアンの家、郵便局、赤毛のアンの作者モンゴメリーの墓について書いた。

ツアーに含まれているビーチなどアン関連以外のキャベンディシュ全体は次回とし、今回は、モンゴメリー生家、グリーン・ゲイブルズ博物館(銀の森屋敷、輝く湖水)、ケンジントン駅舎についてご報告。

モンゴメリー生家
New Londonの「Lucy Maud Montgomery Birthplace  Nov. 30 1874年」と看板のあるモンゴメリー生家を見学した。モンゴメリーが、母が亡くなり、祖父母にひきとられるまでの1年9ヶ月を過ごした場所だ。



入るとまず彼女のウエディングドレスのレプリカがある。彼女は身長150cm位で、結婚当時は40kg程度で、ウエストがなんと55cmと本当にスリムな体型だったようだ。ガイドさんからこれを聞いた女性陣から悲鳴があがった。つぎに年取ったときの写真もあり、大分変化が見られ、女性陣から安堵のクスクス笑い。
ドレスの下にある靴が左右同形だった。当時はみんなそうだったようだ。



プリンス・エドワード島の日本人ガイドの人はアンに憧れて、とりあえずの形でこの島に来て、そのままはまってしまった女性が多い。したがって、アンに関する説明はどうしてもマニアックになる。小説の上のアンと、現実のモンゴメリーを切り分けながらの説明はなかなかのものだ。数週間前にはじめて赤毛のアンを読んだおじいさんの私でさえ、だんだんマニアックになってきて、「なんだか僕、怖い」

壁にかかっていたのは、髪の毛のリース。当時は固い絆を示す髪の毛でリースが作られた。



モンゴメリーはスクラップ・ブックを丹念に作っていて、一部が展示されていた。なかなか全部見ることができない貴重なものだそうだ。



モンゴメリーが、1911年の英国のISLESへの新婚旅行について、ご主人あてに出した手紙が展示されていた。38ページあるという。さすが作家。



2階には、生後まもない頃の部屋が再現されている。



グリーン・ゲイブルス博物館
「パットお嬢さん Pat of Silver Bush 」に出てくる銀の森屋敷には、現在もキャンベル家の人が暮らしている。モンゴメリーはこの家がお気に入りで、祖母の死後3ヶ月ここで暮らした。当時は花嫁の家で結婚式を挙げる習慣があり、両親、祖父母が居ないモンゴメリーはこの家の1階の客間で結婚式を挙げた。



入口を入ったところのストーブについて、陽気で美人の子孫の方が説明してくれる。
椅子と本箱があり、説明が貼り付けられている。
椅子には、「この椅子はモンゴメリーが母方の祖父母の家で赤毛のアンを書いていたときに、使用したものである」とある。
本箱には、「アンの魅惑の本箱」とあり、赤毛のアンからの引用で、「私がミセス・トーマスと住んでいたときに、彼女は居間にガラスのドアの本箱を持っていた。・・・・私はその中に住んでいるもう一人の小さな少女になっていることを想像し、願ったことがある。私は彼女をKatie Maurice と呼んだ。Katie は私の生活の楽しみであり慰めであった」とある。(手元に日本語訳の本がないので、私のいい加減訳です。自分なりの訳してみると、英語も日本語も、村岡さん、松本さんはたいしたものだとはっきりわかります。)
本箱は当時も食器棚 china cabinet として使われていたとも書かれていました。



プリンス・エドワード島は、冬は日照時間が短いうえに積雪で、家でできるキルトが盛んだが、モンゴメリー手製のクレイジー・キルトや、愛用のオルガンも展示されていました。




彼女は輝く湖水the Lake of Shining Waters をこのひずんだガラス越しに眺めるのが好きだった。



ガラス棚の中に彼女の署名がいくつか見られる。彼女は猫がとても好きだったのでどれにも猫が描いてある。



遅れていたアンがようやく、弟と犬と一緒にお父さんの車で駆けつけてくれた。ソバカスもあり、素朴な感じでなかなか可愛い子だ。奥様が「cute!」と言うと、ハニカミながら、ニコッとした。写真撮影が終わると、裏の芝生で帽子を押さえながら弟と遊んでいた。
奥様が、「赤毛のアンを小さいときはアンの気持ちになって読んでいたが、今回読み直したらマイラになってアンを見て読んでいた」と言っていたのを思い出した。





裏手に大きな建物があり、その向こうに輝く湖水が見える。手前の道は見事なほど赤い。



最後にケンジントン駅舎に行った。今はプリンス・エドワード島には鉄道は走っていないので、レールは駅のところに残してあるだけだ。この島は手で簡単に崩れる砂岩でできているので、建物に使える石がなく、石造りの家はほとんどない。この駅舎の石も船でカナダ本土から運んで来たものだ。



これでツアーのうちのアン関連のところはすべて述べた。アン関連の主な場所で行かなかったところは、ただの礎石しか残っていない「モンゴメリーの住居跡」と、アン関連の野外博物館兼ショッピング村(小さなテーマパーク)であるアヴォンリー・ビレッジぐらいだろう。


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