hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

彼と私とボランティア

2024年05月23日 | 個人的記録

 

高校で知り合った親友は、正義感が強く、常に弱きものの味方だった。特にボランティアに熱心で、大学は違ったのに何かというと私を熱心に誘った。

 

ためらう私を強引に日本点字図書館の点訳講座に参加させた。私は講座をようやく卒業したのだが、あまりにも地味な作業で、最初の一冊の本の点訳途中で挫折した。なんで、ポツポツと点を打っていく機械でも出来そうな作業を、美徳であるかのごとく、じっと我慢して人がやらなければいけないのか疑問を持ってしまった。彼は、私には特に言わなかったが、その後も点訳を続けていた。

 

グローブが足りないという茨城の小学校の新聞記事を読んで、いやがる私を連れて、グローブやお菓子を買い、わざわざ小学校まで行って渡したこともあった。

 

私と違って努力家で優秀な彼は東大に合格したが、何事にも真面目な彼は党活動を始めた。私を裏街道に引き込むのをためらったか、私が大の組織嫌いと知ってか、この時だけは私を誘わなかった。彼は就職した会社でも組合活動し、地味な裏方の部署に配転された。それでも逢った時には、仕事の話を熱っぽく語っていた。しかし、結局、管理職にはならずに定年になった。彼の父親も東大を出て平のままで退職という同じコースだった。彼からは、父親が嬉しいが複雑な思いらしいと聞いた。

 

学生時代、彼に誘われて千葉県館山の施設建設のボランティアへ参加した。これはいつもとは逆で、私の方が熱を入れて何年も続けた。彼はエネルギーを政治活動の方に振り向けるようになり、二人は年に何回か逢うだけになっていった。

館山の施設でのボランティアは肉体労働で、私の性に合っていた。山の太い木を切り倒し、崖をコンクリートで固め、山に道を作り、ブロックで家を建てた。泊まる所は戦時中に東京湾に入って来る米艦を砲撃するために掘られた洞窟で、若さゆえに厳しい環境も、逆に楽しめた。
ボランティア・グループの半数以上は女性で、クリスチャンの人が多く、和気あいあいの雰囲気だった。若者の政治活動の時代となってからは、物足りない人は疎遠になり、時として我々もデモなどに参加するようになっていった。そして政治の季節が終わり、若い人の参加がなくなってからは、昔からのメンバーで年末に館山で餅つきを行う行事を同窓会と称して細々と何十年も続けた。

 

10年以上前に、彼の奥様から手紙をもらい、彼の突然の死を知った。信じられなかった。なぜしばらく会わなかったのか悔やんだ。彼は相変わらず点字を続けていたという。そういう奴なのだ。

 

しばらくして、窓から空を見上げた時、青空を一直線に飛行機雲が伸びていた。突如、初めての俳句もどきが浮かんだ。

 「畏友逝き 空を切り裂く 飛行機雲」

 

 

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1 コメント

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Unknown (ハナちゃんの母)
2024-05-23 07:51:18
おはようございます
最近の合言葉です「会える時に会いましょう」
小学校と中学の幹事をしています。
小学校は6月集まり10名大体集まるメンバーは同じですが
バカな話をして楽しいです。
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