五木寛之著「人間の運命」2009年9月、東京書籍発行を読んだ。
五木寛之が、歎異抄の言葉をもとに、宿業とは何か、運命とは何か、悪とは何か、そして運命は変えられるのかなど親鸞の教え、著者の解釈について語る。彼の考えのもとになっているのは、子供のとき、朝鮮からの引揚げ時の究極の状況での悲惨な体験だ。
五木寛之の人生に対する考え、子供のときの惨めな体験、心の傷が率直に、分かりやすい文章で書かれている。
まず冒頭、悲惨な話から始まる。
12歳の著者は、父、弟、2歳の妹と、凶暴なソ連兵を避けながら、北朝鮮から南へ逃れようとする。2度目の冬が近づき、脱出に失敗し共倒れ寸前になり、妹を農家の前において先に進んだ。しかし、38度線の手前で、保安隊に発見され、逃走する。結局、来た道を引き返すことになり、戻っていくと、夜明け前の農家の軒先でまだ妹がニコニコして座っていた。結局、大変な苦労をして4人とも南側に逃れることができたのだが、著者は、その日からきょうまで、ずっと人間の運命について考えてきた。そして、著者は、自分は正真正銘の悪人だと考えるのだ。
宿業
宿業を過去業と解釈し、過去からひきずった宿業は変えることができないが、今日の行為(現在業)が、明日(未来業)につながる。
運命
思い出を回想するとき、いま不幸であると、過去を思い出すと現在がいっそう哀れに思え腹立たしくなる。逆に、幸せである人は余裕をもって過去を振り返ることができる。過去も現在の心次第だ。
リアルに現実をみつめ、それをありのままに受け入れる。運命を変えることはできなくとも、ありのままの自分の運命を「明らかに究め」、それを受け入れる覚悟を決めることはできる。
一生のうちで善因善課悪因悪果という筋立てが成り立たないときに、「前世」を持ち出すことがあるが、前世の生まれ変わりだからと、未来に影響するという考え方はおかしい。未来は現在の私の行為によって大きく影響される。運命は、ときに私たちの手の中にあるのだ。
悪人
朝鮮からの引揚げのように、極限状態のなかで、他人を押しのけ生き延びた者は皆悪人であると思う。
人は誰でも生まれながらにして邪悪な心を持っており、状況によっては自然や他人の犠牲無くして生き残れない。
親鸞の「悪人正機(しょうき)」の思想、「善人ナホモツテ往生ヲトグ イハンヤ悪人ヲヤ」
は、著者によれば、「善悪二分」の考え方を放棄し、「すべての人間が宿業としての悪をかかえて生きている」ことを前提としている。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
表紙の題名「人間の運命」の下に英語で、”Change your Fate” とあるように、五木さんの言いたいのは、運命を受け入れようと言うのでなく、現在の行為で未来の運命に影響を及ぼすことができるはずだということだと受け取った。
この本の最後にある宗教じみたものについて、五木さんの考えを紹介しよう。
五木さんは、少年のころから現在まで、不安に悩まされている。しかし、その不安やおそれを治療してほしいわけではない。心の奥のなんともいえない暗い闇を照らしてくれる光が欲しいと思う。そこで、中学1年生のときの体験を思い出す。九州の山地に住んでいて、山を超えた実家に使いにやられた。深夜、道らしい道のない山の尾根を消えてしまったちょうちんを手に道に迷い、不安と恐怖で座り込んでしまう。そのとき突然、月光がさし、絶壁に沿った道を一歩一歩進むと、遥か彼方に目的の集落のランプの明かりが見えた。
60年以上も前の、あと夜のことを思い出すと、いまでも心が波立つところがある。
あたりが見えたからといって、行くべき道が短縮されたわけではない、足の疲れが消えたわけでもない、
ただ、あの明かりのところをめざしていけばよい、と思ったとき、まっ暗闇のなかで震えていた自分が立ち直った、にわかに元気がわいてきた。・・・
宗教、という言葉を思い返すとき、わたくしはいつもあの14歳の山中の夜の体験を思い出さずにはいられない。
光、なのだ。
・・・
この光を宗教と呼べないと言う。そして、「その未知の世界を求めつつ、手さぐりでいま私は生きている。」とこの本は終わっている。
初出:書下ろしと『日刊ゲンダイ』2009年3月―7月連載「流されゆく日々」の一部を改稿し、部分的に収録
五木寛之は、1932年9月30日(石原慎太郎と同じ)、福岡県生まれ、旧姓松延。生後まもなく朝鮮に渡り、1947年に終戦で日本へ引揚げる。早稲田大学第一文学部露文学科入学、中退。PR誌編集者、放送作家、作詞家、ルポライターなど。1965年の岡玲子と結婚し、五木姓を名乗る。ソ連・北欧へ新婚旅行に行く。1966年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、1967年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、1976年「青春の門・筑豊編」で吉川英治賞、2002年菊池寛賞、2004年仏教伝道文化賞を受賞。
なお、五木玲子は露文科の同窓生だが、後に医師となった。近年、版画を製作し、「他力」など五木寛之の作品の挿画として用いられているほか、自身の作品も刊行している。