hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

冬枯れの昭和記念公園

2017年01月31日 | 行楽

 

立川高島屋での「川瀬巴水展」に行った。

川瀬巴水(はすい)は、衰退した浮世絵の再興を目指し、吉田博と共に「新版画」を興した。
大正から昭和にかけて、日本中を巡って風景画を描き、「昭和の広重」と呼ばれた。
アップルの創始者スティーブ・ジョブズが熱心なコレクターであった。


無形文化財技術保存記録に認定された「増上寺の雪」をはじめ、

現代でも桜の名所としてにぎわいをみせる「小金井の夜桜」など、貴重な初摺りを含めた約140点を展示されていた。

上のポスターの右上は井の頭公園の不動尊。井の頭公園の版画が何枚かあったが、池の周りには杉が立ち並び、今とは大違いだった。

 

せっかく立川に来たのだからと足を延ばして昭和記念公園へ行った。

立川駅から近いあけぼの口から入る。

立川口より入る。シルバーは210円

カナールを振り返る。

ヒマラヤスギの松ぼっくりの先端部がシダーローズ。

花木園へ下りるが、

梅はほんの少々。

水仙もパラパラ。

古代史?の展示跡

ぽつんと寂しげにサザンカの花が咲いていた。

みんなの原っぱも人影なし。

日本庭園に入るが、保守のため池の水は抜かれていた。

ボタンの花が見事。

かすかに咲くマユミ。

盆栽苑の入口。

盆栽がいろいろ。

 

日本庭園を出て、ただただ歩いてくたびれて、パークトレインを待つ。

 

パークトレインは公園の西側を走る。

 

サイクリングロードに沿って

パークトレインを西立川駅前で降りる。

立川駅まで歩く元気もなく、青梅線の西立川駅から帰る。


 

 

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リストランテ プリミ・バチへ

2017年01月30日 | 食べ物

 


吉祥寺の井の頭公園手前の「リストランテ プリミ・バチ Ristorante Primi Baci」へ行った。


2016月に和食店「金の猿」(2020年12月に閉店) に入った時に、
同じ建物の入口は違うが2Fにあるイタリアン・レストランに今度は行きたいと言われていた。

昨年12月に入ったのだが、孫連れで、楽しいが、ハチャメチャだった。

今回は相方の誕生祝いということで、シェフ スペシャルコースをご注文。
ネットで予約し、備考欄に妻の誕生日と書き込んだ。


まずは自家製のパンとバルサミコ酢添えのオリーブオイル
ここで美味し過ぎるとばかりお代わりされるパンをどんどん食べると、後半がキツイ(実感)。


帆立貝とサーモンのタルタル いくら添え
 西洋ワサビ風味のヨーグルトのソース


これが極めて美味。ただし、ホークで突くとバラバラになり追跡に血眼(オーバーな)。


季節野菜のスープ(ミネストローネ風)


これも美味しいのだが、皿が浅く、すくいにくい。もう少し深い入れ物で量も多くあればと思う。


ずわい蟹と渡り蟹のタリオリーニ


極美味。平べったいパスタも食べやすい。


ブラックアンガス アイオワプレミアムビーフのビステッカ、ポルチーニソース


味は良いのだが、赤い肉がなかなか切れないし、噛み切れず、失礼ながら皿に出してしまった。


バルサミコ酢付きのパンからテーブルクロスにシミを付けてしまった。


気になってなんとか隠そうとしたが場所がサーブされる皿の位置にありかなわず。
見ていると、どのテーブルも使用後に新しクロスに取り換えていて、小心者は「ホッ」。


洋梨のサフラン煮と渋皮栗のティラミス仕立て
 ほろ苦いキャラメルのジェラート添え
ウエイターの方が持ってきたのが、これ、誕生日祝いのスペシャルバージョン
”Buon Compleanno”はイタリア語で誕生日おめでとう。

写真を撮っていただきました。

珍しくご満足な誕生日とのことでした。

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彩茶房でランチ後、映画「この世界の片隅で」を見る

2017年01月29日 | 行楽

 


吉祥寺オデオンでのアニメ映画「この世界の片隅で」が12:30からなので、その前にランチ処を探す。

キラリナ京王吉祥寺の地下にもぐり、手軽そうな Dining Areaと看板にある「彩茶房」(さいさぼう)に入る。

気軽な店と思ったが、恐れ多くも原宿やクイーンズ伊勢丹(ただし、仙川店)にもあるらしい。

私は、「お得なハーフセット850」で、ルーローハン魯肉飯とメンセン麺線で、タピオカミルクティー。

相方は、ジーローハン鶏肉飯と鉄観音茶。

その後、吉祥寺オデオンに行く。

窓から線路が良く見える。窓が開けられないように取っ手が針金で縛ってあるが、・・・。

映画「この世界の片隅で」はほぼ満杯。
戦争前後の話なので年寄りばかりかと思っていたが、若い人もちらほらいて嬉しい。

主人公のすずさんと約20年の差がある私には戦争前や戦争中の記憶は全くないが、話はよく聞かされていた。
しかし、アニメであっても戦中の社会の厳しい雰囲気、爆撃の凄まじさには驚かされた。

「のん」の語りが、のんびりのすずさんにぴったりで、凍り付く話の中で救われる。

いい映画だ。私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

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グラッチェガーデンズでランチ

2017年01月28日 | 食べ物

 


ときどき利用する井の頭線の久我山駅の階段の途中にある「イタリアン」の文字が気になっていたが、エスカレータの乗り継ぎ地点なのでよく見ることはなかった。

散歩ついでに、あらためてよく見ると、「グラッチェガーデンズ」とある。一人でのランチなので、どんなところでも良いと、ともかく入ってみる。

入った瞬間に、それほどの店ではないと判明。メニューを見てスカイラーク・グループだとわかった。


頼んだのはペペロンチーニ、サラダ、ドリンクバーのセット。価格は忘れたが、安価。

味はそれなりで、「いいんじゃない」。

半分駅構内なので、出張途中の人などとりあえずランチの人が多い。


外に出て振り返ると、道路から直接入れる別の入口があった。


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高野秀行・角幡唯介『地図のない場所で眠りたい』を読む

2017年01月26日 | 読書2

 

 

 高野秀行・角幡唯介著『地図のない場所で眠りたい』(講談社文庫た116-6、2016年10月14日発行)を読んだ。

 

 裏表紙にはこうある。

探検部を卒業し、今を時めく人気ノンフィクション作家となった高野秀行と角幡唯介。未知の世界への憧れを原動力とする点は共通するが、テーマの選び方やアプローチの仕方は大きく異なる。高野は混沌とした人の渦へ頭からダイブし、角幡は人跡未踏の地をストイックに攻める。夢追い人二人の、仕事の流儀!

 

 子供時代や、早稲田探検部時代、探検への考え方、本の書き方などを語り合う。なお、二人は10歳違いで、角幡が早稲田探検部へ入部したとき、既に高野は伝説の先輩で、直接知り合うことはなかった。

 

 二人の会話はこんな調子だ。

高野:「冒険・探検はいつ好きになって探検部に入ったのか」という聞かれ方をよくされるんだけど、そうじゃなくて、みんな昔は好きだったのにどんどんやめてっちゃって(笑)。

角幡:要するに、子どものまんまってことですかね(笑)。

 

 

高野:・・・ジャングルの奥地で謎の原始猿人バーゴンを探したりとか、頭がふたつある蛇を探したりとか、そういうものをかぶりつきで見ていたから、(川口探検隊を)ずっと事実だと思っていたんだよ。大学で探検部に入ってからその話を先輩にしたら、「いや、あれはウソだろう」と言われて愕然としたんだよね。


角幡:それもマズいですね、ちょっと、変わってると言ったら失礼かもしれないですけど(笑)。僕は川口浩探検隊は好きだったけど、ウソだと思ってました。

高野:本当に? 夢がないね、君は(笑)。

 

 

角幡:・・・僕は探検というのは基本的に土地の話だと思っているんです。その場所がどうなっているかということ。いっぽうで冒険というのは人の物語。主人公は自分であるというストーリー。

 

 

高野:僕は南部ソマリアに行く前は、モガディシュ(首都、治安崩壊都市として有名)というところは人なんかろくに住んでいないと思っていたんだよ。・・・いざ行ってみたら、もう大都会で、市場なんか活気に溢れているし、「なんだこりゃ」って思ったんだよ。・・・

新聞記者とかジャーナリストも、そういうことについては書かない。

角幡:どれだけ悲惨かみたいなことしか書かない。

 

 

初出:2014年4月講談社より単行本として刊行

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

 探検に興味のない人は多いと思うし、そんな人には何が面白いのかわからないだろう。しかし、とくに探検好きではないが、6か国語を操り、すぐに現地に溶け込んでしまう高野さんのファンとしては「★★★★(四つ星)」なのだ。高野さんがなぜ危険なのにとぼけたことをやらかすのかをはっきりと語っている本はこれしかない(?)。

 皆のあこがれの朝日新聞社をやめて冒険家になった角幡という人は、やっていることには驚かされるが、根はまともで、面白がるにはまとも過ぎる。

 

 

 

高野秀行 略歴と既読本リスト

 

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道生まれ。

早稲田大学政治経済学部卒後、朝日新聞社入社。

退社後執筆した『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。

『雪男は向こうからやって来た』で新田次郎文学賞受賞。

『アグルーカの行方』で講談社ノンフィクション賞受賞。

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氏家幹人『古文書に見る江戸犯罪考』を読む

2017年01月20日 | 読書2

 

 氏家幹人著『古文書に見る江戸犯罪考』(祥伝社新書2016年10月10日祥伝社発行)を読んだ。

 

表紙裏にはこうある。

江戸の暗黒ワールドへ、ようこそ!

信憑(しんぴょう)性の高い史料を基(もと)に、江戸時代の犯罪と刑罰について、わかりやすく紹介したのが本書である。

 児童虐待、介護の悲劇、夫婦間トラブル、通り魔殺人、多彩な詐欺・・。現代に横行する犯罪のほとんどは江戸時代にもあった。 もちろん、江戸時代ならではの犯罪も味深い。貧しい少女による放火、巾着切(きんちゃくきり) (スリ)や盗(ぬすっと)人たちの独特な作法と生態、同心や岡っ引きによる特異な捜査など、現代との隔絶ぶりに驚かされるのだ。

 これらの犯罪の諸相はまた、時代小説を読む目を肥やしてくれるのではないだろうか。犯罪を通して覗き見る、 江戸の本音と真実がここに!

 

第一夜 千人切り通り魔殺人事件

 浪人・真柄新五郎が愛宕神社から「今夜より千人切りを行うべし」とお告げを受け、20~30人を切ったという。

 

第二夜 夫婦という危険な関係

 旗本の出世頭・大井新右衛門は美男の養子・吉五郎を迎えたが、不義を働いた妻と養子を打ち捨てて自宅に引きこもった。幕府の指示は「吉五郎の死骸は実家に引き取らせ、妻の死骸は取り捨てにして埋葬を許すな」だった。後に世に悪評が立ち、新右衛門は自殺した。

 

第三夜 巾着切と町奉行

 大阪町奉行・曲淵甲斐守は、大坂の巾着切り一同に浅黄色(水色)の木綿の頭巾をかぶってスリを行うよう申し渡した。地元の人はすぐスリだとわかるので、他所から来た人が集中的に狙われる結果となり、スリは地域社会と共存した。江戸でも1万人以上の巾着切りが、表が青梅縞で裏が秩父絹の布子(木綿の綿入れ)を着ていた。

 また、スリは組織化されていて、床屋を通じて話を通すと、親分が現金以外のものは、取り戻るように話をつけてくれたという。

 

第九夜 盗みと刑罰、そして敲

 敲の刑具には藁製の「敲藁」と竹製の「箒尻」の2種があった。敲が自力で帰宅できる程度に打てと指示されていたことから、罪人の厚生を促す刑だったとうかがえる。

 

第十一夜 田舎小僧参上

 田舎小僧は大名屋敷に20回ほど忍び込み、家財道具や比較的小額の現金を盗んでせいぜい141両ほど。34歳で処刑された。

 

十二夜 鼠小僧は劇場型犯罪

 120回ほど大名屋敷などに盗みに入り、総額は3000両以上盗んだ(101件のリストが載っている)。盗んだ金を貧乏人に恵んだとか、捕まった時も、金銀が紛失して疑われた人もいるだろうからすべて白状したという。


第十四夜 土壇場の作法

 磔、火罪の極刑から、庶民に対する死罪、武士などに対する斬罪、庶民に対する一番軽い下手人という死刑があった。死罪の場合は打ち首になった後の死体が刀剣の試し切りに利用された。

 

 本書は書下ろし。

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

 さまざまな例示がされていて、それなりに面白いが、全体のまとめがない。実例は豊富で実感がわくのだが、犯罪取り締まり体制の説明や、刑罰全体構成などの概要をまず説明して欲しかった。

 

 

氏家幹人(うじいえ・みきと)

1954年福島県生まれ。歴史学者(日本近世史)。国立公文書館勤務。

東京教育大学文学部卒業、筑波大学大学院博士課程中退。

著書に「江戸時代の罪と罰」「江戸の少年」「サムライとヤクザ」など。

 

 

 江戸時代の裁判は予想に反して、できる限り証拠調べをして、各々の事情も聞き取り、意外と公平なお裁きをしていたという感じが読んでいてした。しかし、武士は逃げてはならぬ、女性は従うべき、孝優先などの基本の考えは貫いていたので、当然現代の視点で見ると恐ろしい結果になっている場合も多い。

 例えば、二人も子をもうけて女房同様だったのに里に返された女中は、主人の武士の手首を切り、家の者に刺殺された。さらに、罰として死骸をさらに磔にされた。一方、武士も旗本を改易となり武士の身分を剥奪された。しかし、その罪は、武士なのにその場から逃げたからという理由だった。

 厳しい折檻で子供を死なせた親の罪は軽く、火事の際に親を救出できなかった子は遠島の重罪になった。

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田原圭一『迎賓館 赤坂離宮』を読む

2017年01月17日 | 読書2

 

田原圭一著『迎賓館 赤坂離宮』(2016年10月19日講談社発行)を見た。

 

 今春、一般開放されて東京の新名所となった国宝・迎賓館 赤坂離宮を、建築空間を撮影させたら当代一の写真家田原桂一が撮ったA4版の写真集だ。

 

 迎賓館・赤坂離宮は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設され、戦後、国立国会図書館、東京オリンピック員会などとして使われたが、1974年(昭和49年)に国賓などの迎賓施設として現在の形に改修された。

 私たちは2009年に抽選に当たって参観した。

 

 内容は、正面玄関、正門、前庭、本館外観、そして玄関ホール、朝日・花鳥・彩鸞・羽衣の間などの建物内外の写真が並ぶ。

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

 大判のくっきりと撮られた写真集なので、ある意味実物を見るより細部がよく解る。とくにレリーフ、絵画などの飾り物の見事さは、天井など離れたところにある物もはっきりわかる。

 

 建物はもちろん内装も、和の技術と西洋の技術の融合であり、よく見ると何か不思議な世界である。そして、何から何まで華美な世界で、連続して見ているとくたびれる。そこには、省略の美、余白の美しさはない。

 

 

田原桂一(はらら・けいいち)

1951年京都生まれ。

1972年に渡仏、パリで写真家としての活動を始める。

1977は「窓」のシリーズでアルル国際写真フェスティバル新人大賞を受賞。

以降、「顔貌」(1978-87年)、「エクラ」(1979-1983年)などの代表作を制作。また、ヨーロッパ全土を巡り19世紀末を主題にした建築空間を撮影し、さまざま作品を発表。

主な受賞に、木村伊兵衛賞(1985年)、フランス芸術文化勲章シュバリエ(1993年)など。

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梁塵秘抄の講座を聞く

2017年01月14日 | 雑学

 

 古典講座「後白河法皇と梁塵秘抄 ~平安流行歌を熱愛した王者と老歌姫~」を聞いた。

 講師は元中学教諭の貝瀬弘子氏で、後白河天皇の生涯、人柄、乙前との関係について約1時間わかりやすく解説され、さらに約1時間、梁塵秘抄から15首選んで、それぞれをトピックを交えながら興味深く解説された。

 

後白河法皇と乙前

 雅仁親王(後の後白河天皇、法皇、1127年~1192年)は鳥羽天皇の第4皇子として生まれた。通常なら皇位継承とは無縁な立場なので、遊興に明け暮れ、当時の貴族は相手にしなかった今様(民謡・流行歌)を愛好し、熱心に研究していた。

 しかし、1155年、中継ぎとして即位し、後白河天皇となった。その後、保元の乱、平治の乱など諸勢力間の戦乱が続き、幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれたが、そのたびに平気で翻意し裏切りを重ねて復権を果たした。

 今様の師匠の流れ遊女で老女の乙前(おとまえ)だけが、法皇に真正面から小言して、厳しく指導した。だれも信じることがなかった法皇も、乙前だけには信頼と敬意を寄せ、84歳で乙前が死去するまで親身になった世話をした。

 

梁塵秘抄

 梁塵秘抄は1180年前後、後白河法皇が編んだ歌謡集。主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成。現存するのはごく一部のみで、2016年にもわずかだが写本が発見されている。文に添えられていたとおもわれる記譜は失われている。

 「梁塵」は、名歌手の歌で梁の上の塵が3日も舞ったという中国の故事による。

 

紹介された歌の一部  ( )内の解説の文責は私、というか責任持ちませぬ。

26 仏は常に在(いま)せども現(うつつ)ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁にほのかに夢に見へたまふ

(仏様はいつも私たちのそばにいらっしゃる。この眼では見ることは出来ないが、尊いのだ。人の物音のしないような静かな暁には、かすかに夢の中に姿をみせてくださる。)

 

339 我を頼めて来ぬ男 角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ 霜雪霰(あられ)降る水田の鳥となれ さて足冷たかれ 池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け

(あてにさせておいて、通って来ない男よ。角の三つ生えた鬼になってしまえ。人から嫌われるがいい。霜雪霰の降る水田の鳥になれ。水田で足が冷たくなってしまえ。いっそ、池の浮き草になって、あっちこっちに揺られ揺られて、揺られ歩くがいいわ)

⦅大昔から女性は恐ろしいですね。でも、ちょっとだけ、こんな思いもしてみたい。⦆

 

368 このごろ京(みやこ)にはや流行るもの 肩当、腰当、烏帽子止め 襟(えり)の堅(た)つ型 錆(さび)烏帽子 布打ちの下の袴 四幅(よの)の指貫(さしぬき)

(このごろ都での流行ファッションは、上衣には肩当てと腰当て。ピンで止めた烏帽子。襟は糊を付けて堅くし、厚めに布を重ねた袴や、倍の長さの指貫で、いわゆる「強装束」だ)

 

369 このごろ京に流行するもの 柳黛(りゅうたい)髪々ゑせ鬘(かづら) しほゆき近江女(あふみめ) 女冠者 長刀(なぎなた)持たぬ尼ぞなき

(このごろ街で流行している女性ファッションは、眉は眉墨で書き、髪にはしばしばウイッグを付け、海水浴に行く近江の遊女のような恰好で、男装をした女もいて、尼さんたちは、みんな長刀をもっている)

⦅なお、「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀謀(にせ)綸旨・・・」は同じ今様ではあるが1334年の二条河原の落書(らくしょ)で、368,369とは別物。⦆

 

460 恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢はいかが見る さしさしきしと抱くところ見れ

(恋しくて、恋しくて、その恋人とやっと逢えて抱き合ったその夜の夢は何を見よう。互いの腕と腕を差し交わし、きつく抱きあう、そんな夢を見続けてたい。)

 

461 つはり肴に牡蠣もがな ただ一つ牡蠣も牡蠣 長門の入海のその浦なるや 岩の稜につきたる牡蠣こそや 読む文書く手も 八十種好紫磨金色足らうたる男子は産め

(つわりに苦しむ妊婦が夫に牡蠣が食べたいと甘えている。牡蠣は牡蠣でも長門の入海の岩の角立った所にある牡蠣でなくちゃだめだと贅沢を言う。その牡蠣を食べさせてくれたら、読み書きが仏様なみの、万能で、光り輝く、男の子を産むと断言する。

  

当日、解説されなかったが、私も知っていたもっとも有名な歌は以下。

 

359 遊びをせんとや生れけむ 戯(たわぶ)れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ

(私たちは遊びをするためにこの世に生まれたのだろうか?それとも戯れをしようと生まれてきたのだろうか?無心に遊ぶ子供たちの声を聞くと、自分の体も自然と動き出すように思われる。)

⦅貴族や武士が権力争いに明け暮れているとき、その犠牲になっている庶民は、子供が遊ぶように一心に、たくましく人生を楽しもうとしていた(のだと良いが)。⦆

 

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井の頭恩賜公園をぶらぶら(2)

2017年01月11日 | 散歩

 

井の頭線の三鷹台駅をスタート。

日曜日なのに午後からの雨を警戒したか、人がまばらな井の頭公園。

最近三鷹市が建立した中田喜直の直筆譜の石碑。
昭和20年代前半に三鷹市に住んでいて井の頭公園を散歩中に生まれたのが「小さい秋みつけた」のメロディーだと記されている。

なお、井の頭公園は西北の自然文化園は武蔵野市だが、それ以外の大部分は三鷹市になる。


井の頭弁財天


奥に銭洗い弁天がある。私は10年位前に銭を洗ったが、以来ちっとも増えず減るばかりだ。


蛇に絞めつけられて見える宇賀神像が境内に移されていた。


もとは南に階段を登った大盛寺の脇にあったのだが、



今は駐車場になっていて、
明和4年の「井之頭弁財天石鳥居講中」の石碑と両国講中の石燈があるだけだった。


弁財天は裏から見るのがお勧めだ。


池の東の端にあるお茶の水橋からみる井の頭池も落ち着いていていいものだ。


地下水の減少による湧き水が減ったことで、池の水質が悪くなっていたが、水質浄化のさまざまな対策やかいぼりを実施して、水もきれいになってきているような気がする。
ここが、徳川家康が鷹狩のとき、この湧き水でよくお茶をたてたという「お茶の水」だ。
また、徳川家光がもっとも良い水とのことで「井の頭」となずけたという。

 


野口雨情の歌碑(井の頭音頭の一節)
「鳴いてさわいで 日の暮れごろは 葦(よし)に行々子(よしきり)はなりゃせぬ」


井之頭池の西側は幾分人が少なくて休日でもゆっくりできる。

鳥もいろいろな種類が増えてきているように思う。


井の頭公園アートマーケットは許可を得た出店やアートパフォーマンスが土日祭日の行われるのだが、
昨日土曜日は、高田純次さんの昔の同僚という顔面紙芝居始め、いろいろな出店が出ていたのだが、
今日は、パフォーマーはマンガの読み聞かせのみで、出店もちらほらとだけ。

 


EPEEでパンを買って、


帰って食べた。

 

 

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井の頭恩賜公園をぶらぶら(1)

2017年01月10日 | 読書2

今日は井の頭線の三鷹台駅をスタート。

駅の南側の神田川もこのあたりに来れば立派な川だ。


線路の架線に鳥が。電車が下を通過してもビクともしない、さすがCity Bird!


三角公園を過ぎて、井の頭線の下をくぐる。


電車が通っていないとき、


通過中。ただ暗いだけ。

 

塀を修理? アート?

「ここが神田川の源流です。神田川は善福寺川、妙正寺川で合流して隅田川に注いでいます」
との看板が立っている。


井の頭池の西端とひょうたん形のひょうたん池を分けるひょうたん橋


ひょうたん橋から井の頭池を見る。今日は日曜日だが、午後から雨の予報のせいか人も、ボートも少ない。


池に大きく延ばした枝も、ついに水に潜り、そしてその先でまた水から顔をだしている。花は咲く?


こちらも水に浸っている。


花見時には大混雑のここも、今日は閑散。

井の頭恩賜公園をぶらぶら(2)へ続く

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村田沙耶香『コンビニ人間』を読む

2017年01月06日 | 読書2

 

村田沙耶香著『コンビニ人間』(2016年7月30日文藝春秋発行)を読んだ。

 

宣伝文句は以下。

36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしいと突きつけられるが…。「普通」とは何か? 現代の実存を軽やかに問う衝撃作。第155回芥川賞受賞。

 

子どものころから、普通ではない考え方と行動の古倉恵子36歳未婚。喜怒哀楽に乏しく、他人の心の理解も苦手。自分のどこが変なのか分からないが、親に迷惑をかけないため、無口を通す。

 

大学生の時、コンビニアルバイトを始め、気がつくと18年、15万7800時間が経過し、店長は8人目だ。周囲からの就職や結婚をしないことへの質問にも、無感情で受け流していた。そして、「僕に言わせれば、ここは機能不全世界なんだ。世界が不完全なせいで、僕は不当な扱いをうけている」と語る新人バイト白羽が登場する。

 

 朝昼晩の食事、水もほとんどがこのコンビニの食料だ。

自分が、雑貨に棚やコーヒーマシーンと同じ、この店の一部であるかのように感じられる。

 

店長がムカつくとか、夜勤の誰それがサボってるとか、怒りが持ち上がった時に協調すると、不思議な連帯が生まれて、皆が私の怒りを喜んでくれる。

 泉さんと菅原さんの表情を見て、ああ、私は今、上手に「人間」ができているんだ、と安堵する。

 

赤ん坊が泣き始めている。妹が慌ててあやして静かにさせようとしている。

テーブルの上の、ケーキを半分にする時に使った小さなナイフを見ながら、静かにさせるだけでいいならとても簡単なのに、大変だなあと思った。

 

初出:「文學界」2016年6月号

 

村田沙耶香(むらた・さやか)

1979年千葉県印西市生。 

玉川大学文学部芸術学科芸術文化コース卒業

2003年、「授乳」で第46回群像新人文学賞優秀賞受賞しデビュー

2009年、「ギンイロノウタ」で第22回三島由紀夫賞候補、第31回野間文芸新人賞受賞。

2013年、『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。

2016年、本書『コンビニ人間』で第155回芥川賞受賞。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

 主人公の変わった性格には多少の違和感があるが、コンビニと一体化してしまった女性の話で、いかにもと説得力がある。自分が落ちこぼれのくせにコンビニ店員を底辺扱いして上から目線でバカにする白羽も、そこらに居そうな男だ。

 

そうか。叱るのは「こちら側」の人間だと思っているからなんだ。だから何も問題が起きていないのに「あちら側」にいる姉より、問題だらけでも「こちら側」に姉がいるほうが、妹はずって嬉しいのだ。

 現実は、これほど明確に「こちら側」と「あちら側」に分かれているわけではないが、自分にとっても「あちら側」にはときどき出会う。

 

 中編のせいもあるが、脇道にもよらず、終始一貫してまっすぐに話をテーマが貫いている。幅や深味には欠けるが、完成している。

 

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初詣後にランチ

2017年01月05日 | 食べ物

 

元旦早々に元気いっぱいの孫たちのお相手で、2,3日はしばしの休養。

4日になってから初詣、しかも近場の吉祥寺東町、五日市街道沿いの武蔵野八幡宮。

ここは、4代将軍家綱の頃、江戸小石川水道橋外吉祥寺の火事の後に、周辺町民に移住を命じられ、
坂上田村麿が宇左八幡大社の御分霊を祀ったと伝えられる八幡宮が、吉祥寺村開村と共に、村民の氏神として祀られた。

傍らを見ると「江戸・東京の農業 吉祥寺ウド」の看板が。
(気づかなかったが足元に緑のウドの葉が茂っていたらしい)

このあたりは江戸への野菜や薪(まき)の供給地で、とくに野菜不足となる冬から春にかけて作られるウドは江戸庶民に歓迎された。

地下で育てる純白の「吉祥寺ウド」は全国的に(?)知られた、とあるが、
そういえば、小学校の頃の試験では、八王子は織物、吉祥寺はウドと線を結んだような気がする。

 

その後、ランチ処を求めてドン・キホーテ裏通りをぶらぶら。

まだ入ったことがない「ブーランジェリー・ビストロ・エペ Boulangerie Bistro EPEE」を見つけて、恐る恐る入る。

EPEEエペとはフェンシングの剣のことで、ベーカリーEPEEでもある。

アラカルトもあるが、ランチメニュー2580円を注文。

何しろパン屋さんだ。次々と持って来てくれるパンが美味しい。

パルマ産生ハムが極旨。

多いとげんなりするフォアグラも少量なので結構。

 



チーズが入ったトマトスープ。いいじゃない。

これが上手かった、ラビオリ。

私はUSハラミのローストで、

相方は新潟さんソイのブイヤベース

デザートと、たっぷりの紅茶orコーヒー

 


雰囲気は悪くなく、店員さんは丁寧に説明してくれて感じが良い。
味も良いし、量は多くないが、女性や年寄りには文句ない。値段もとくに高くない。
36席ほどとあるが、テーブルの間隔が狭く、隣が気になるが、ぶらりと立ち寄るには最適だ。

コメント
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