記録にない戦後のことを思い出して書いている鴨下信一氏の「誰も「戦後」を覚えていない」(文春新書468)を読んでいくつか思い出した。
シベリア抑留
本によれば、「終戦時、海外に居た日本人は660万人。うち450万人だけが約2年以内に帰国できた。シベリア抑留は60万人で、平均3年半、最終11年後に帰国したが、約6万人が死亡」
子供の頃、引揚者を乗せた興安丸が舞鶴に入港したというニュースをなんとなくおぼえている。
舞鶴港には、昭和20年から、昭和33年まで延べ426隻の引揚船が入港し、ソ連、中国、朝鮮半島からの引揚者66万人(軍人48万人、一般18万人)を受け入れたという。
満州からの引揚者も大変苦労したが、極寒のシベリアでまともな食料も与えず強制労働させられ、約6万人もの人が亡くなったシベリア抑留は悲惨であった。
私の身近にシベリアに抑留された人はいないが、日ソ中立条約を一方的に破棄し突然参戦したことといい、ソ連に対する恨みは心の奥の方で消えてはいない。国際法に違反する行為に日本政府は正式に抗議したのだろうか。賠償権や、南樺太(サハリン)、北千島列島の領土も含めてサンフランシスコ平和条約締結時に放棄してしまったのだろう。私は民族主義に駆られて反ロシアを主張するつもりは全くなく、通常は反ロシアでもないのだが、例えば一度ほぼ合意しそうになった北方領土の問題をロシアが白紙に返すなど何か問題が起こると、反感が表に出てくる。そもそも、岩礁に近い尖閣列島や竹島より、はるかに北方領土の方が大きな問題である。
今、中国や韓国の抗日の動きに反発している日本の若い人が多い。しかし、通常はなんでもなくとも、何か軍国主義と感じられる行動を日本に見ると反発する中国、韓国の人々の気持ちが、逆の立場で私には理解できるような気がする。
通常はアメリカに対し好意を持っている人が、原爆投下は正当で誇るべき行為であったとばかりB29エノラゲイをスミソニアン博物館に高々と展示すると、それはないだろうと嫌悪と反感を持つのに似ているのではないだろうか。これに対しても日本政府からの抗議はなかったのだが。