hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

戦後の記憶(1) シベリア抑留

2006年05月30日 | 昔の話
戦後の記憶(1) 
記録にない戦後のことを思い出して書いている鴨下信一氏の「誰も「戦後」を覚えていない」(文春新書468)を読んでいくつか思い出した。

シベリア抑留
本によれば、「終戦時、海外に居た日本人は660万人。うち450万人だけが約2年以内に帰国できた。シベリア抑留は60万人で、平均3年半、最終11年後に帰国したが、約6万人が死亡」

子供の頃、引揚者を乗せた興安丸が舞鶴に入港したというニュースをなんとなくおぼえている。
舞鶴港には、昭和20年から、昭和33年まで延べ426隻の引揚船が入港し、ソ連、中国、朝鮮半島からの引揚者66万人(軍人48万人、一般18万人)を受け入れたという。
満州からの引揚者も大変苦労したが、極寒のシベリアでまともな食料も与えず強制労働させられ、約6万人もの人が亡くなったシベリア抑留は悲惨であった。
私の身近にシベリアに抑留された人はいないが、日ソ中立条約を一方的に破棄し突然参戦したことといい、ソ連に対する恨みは心の奥の方で消えてはいない。国際法に違反する行為に日本政府は正式に抗議したのだろうか。賠償権や、南樺太(サハリン)、北千島列島の領土も含めてサンフランシスコ平和条約締結時に放棄してしまったのだろう。私は民族主義に駆られて反ロシアを主張するつもりは全くなく、通常は反ロシアでもないのだが、例えば一度ほぼ合意しそうになった北方領土の問題をロシアが白紙に返すなど何か問題が起こると、反感が表に出てくる。そもそも、岩礁に近い尖閣列島や竹島より、はるかに北方領土の方が大きな問題である。

今、中国や韓国の抗日の動きに反発している日本の若い人が多い。しかし、通常はなんでもなくとも、何か軍国主義と感じられる行動を日本に見ると反発する中国、韓国の人々の気持ちが、逆の立場で私には理解できるような気がする。
通常はアメリカに対し好意を持っている人が、原爆投下は正当で誇るべき行為であったとばかりB29エノラゲイをスミソニアン博物館に高々と展示すると、それはないだろうと嫌悪と反感を持つのに似ているのではないだろうか。これに対しても日本政府からの抗議はなかったのだが。

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革新とは?

2006年05月28日 | その他
ローランス・デ・カール著「ラファエル前派」(創元社)において、高階秀爾氏は、日本語版監修者序文の冒頭で、「美術においても、真に創造的な芸術活動は、それが登場した時には誰も想像しなかったような思いがけない表現世界を提示してみせながら、後から振り返ってみると歴史の流れのなかに確かに位置づけられるという二面的性格を持っている。それは革新性と伝統性と言ってもよい」と述べている。

「革新」とは、伝統と隔絶し、結果として歴史の流れを変えるほど時代に衝撃を与えるものであろう。しかし、一方、後世から見るとその時代のひずみや、実らなかった先人の幾つかの試みが生み出した必然の流れであるかのように考えられる場合が多い。

あらゆる分野で閉塞感のある現在、まさに「革新」が生まれようとしている、いや既に揺籃期にあると信じ込みたい。

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技術者の成長と末路

2006年05月27日 | その他
技術が高度化している現在、かなりな年齢になってからようやく技術開発の第一線に並ぶことができるようになる。そうなると、すぐに下の人の指導だの、管理だのをやらされて第一線から若干遠くなるうちに技術はどんどん先に行ってしまう。

かっては最先端の技術開発に具体的に自らたずさわり、
そのうち、先端技術そのものは抑えていると自信を持って言える状態になり、
やがて、もっとも重要である先端技術の基本は、つかんでいるのだ、ということになり、
それがいつのまにか、隠れて解説文をよく読み、概要はわかっていて説明できるだけになり、
そのうち、最も大切なのは利用法だと自らに言い聞かせ、技術利用のポイントはつかんでいるに後退する。
結局は、技術分野そのものが大きくシフトして、先端技術について解ったふりをするのが精一杯となり、「この技術の本質はね・・・、技術の流れからいくと、・・・」と昔話に持ち込み、家に帰って懐かしの歌を聞くようになる。
退職すると、つきものが落ちたように技術に興味を失い、「そもそも技術なんてものはね、・・・」と、のたまい、花鳥風月を楽しみ、
さらに歳をとると、新しいことに頭もついていけなくなり、人間の心のあり方など精神論にしか興味を持てず、宗教書を読む。
あなたは、今どこに?

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政治家と技術屋

2006年05月26日 | その他
「政治屋」というと理想を失ってしまった「政治家」を表し、一種の蔑称として悪い意味で使う。本来の政治家とは、広い視野、高い理想、そしてなにより哲学を持つべきなので、一家をなすと言う意味で「家」という字を使うのであろう。

ただし、社会構造が複雑化していて、官僚が権益確保に汲々としている現在、小泉首相のように丸投げで、結局官僚に骨抜きにされてしまうのでなく、具体的政策を立案、議論できる政治屋も必要になっているのかもしれない。

一方、「私は技術屋で、・・・」というと技術の世界に埋没しているので、他の世界のことは知らないと、ちょっと恥ずかしげに、しかし誇りをもって言うことが多い。
技術屋はその分野だけを深く掘り下げるのが理想とされ、今でもむしろ世間一般の雑事に疎い方がその道を極めているように思われる場合が多い。

いい加減な技術評論家は多いのだが、技術が専門にますます細分化していく現在、広く技術全般を知り、技術の有るべき姿、技術の根源を極める人々はもう生まれないのだろうか。そもそも「技術家」という言葉はない。
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しゃべれない男

2006年05月25日 | その他
しゃべれない男と地図を読めない女という本があったが、直木賞作家の江國香織が何かに以下のようなことを書いていた。
――――
最近の若い人がどんなことを話しているのか知るため、電車に乗って話している女子高校生の傍にじっと立って聞いていることがある。たまには男子もと、二人の男子高校生の傍で話を聞こうと立った。しかし、何もしゃべらない。数十分互いに何も話さずそのままで、下りてゆく間際に一人が、「腹減ったな」と言い、もう一人が「ウン」と言ったきりだった。
――――

年を経ると多少は違うのだが、確かに男子は必要最小限のことしか話さない傾向がある。
わが息子も、具体的問合せメールには最短の返事をよこすのだが、「何々は大丈夫?」などの母親の心配メールには返事なしが多い。

そこへいくと、女の子は、たとえ自立を目指す女性であっても、親に何かと相談したり、愚痴をこぼしたり、無駄話さえする人が多い。これは、女性は本来的におしゃべりであるためでもあるし、適当に親を頼ることが親孝行でもあるとわかっているからでもある。

一方、男子は、どうしてもこっぱずかしく、照れてしまう。また、子供のときから「しっかりしなさい」と教育されてきたせいもあり、親を頼らないことが親孝行でもあると思い込んでいる。

息子をもった私の嘆きであり、息子であった私の反省でもある。


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写真と絵画

2006年05月24日 | その他
写真は事実をそのままに写し、絵画は画家に主観で自由に写し取ると、簡単に考えていた。どうもそう単純ではなさそうだ。

もう4年ほど前であるが、NHK教育TVの日曜美術館で写真家入江泰吉の特集を見た。写真家は、風景に関する「こうである」というあるべき景色があり、そうなるまで、霧がかかったたり、人が通ったり、望む情景なるまでじっと待つと言っていた。
考えて見れば、人物を撮るときも、その人の一瞬の表情を捕らえフィルムに写し取る。人物の場合は、写真家がモデルの人に話しかけるなどして、能動的に表情に働きかけられる点が風景を写真に撮る場合と異なる。

絵画の場合は、情景を契機として画家が受けた印象をキャンバスに写す。実際の情景と異なるものにする自由度が絵画の場合にはある。TVでも、友人の画家杉本健吉の話しが紹介され、同じ情景を入江泰吉が写真に、杉本健吉が絵画に描いた例が紹介されたが、写真では黒い壁を絵画では白い壁に描いた。杉本さんの話しでは、壁の上の影をはっきり描きたかったからとのことだった。

写真の場合はフィルターをかけたり、全体の色を変えたりはできても、全く新しいものにする自由度はない。その分写真撮影は、野外での自然の中の動物の実態撮影の場合のように、じっと何日も耐えて待ち、一瞬のシャッターチャンスを写真に固定したり、逆に普段意識されない一瞬の意外な表情を動きの中から切り取ったりできる。


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寝たきりと日溜り

2006年05月24日 | その他
今は亡くなった寝たきりの老女が毎日ちょうど窓から見える光景を唯一の楽しみにしていたという。

それは、毎朝母親達に連れられた幼稚園児たちが集まって、園からの迎えのバスを待ってチョロチョロする光景であった。

わずかな隙間から見る元気な子供達と日溜りの幸せを寝たきりの状態でどんな想いで見ていたのであろうか。
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ペナン島へのロングステイ下見ツアー(4)

2006年05月23日 | 海外

ペナン島へのロングステイ下見ツアー(4)

2005年7月8日(金)から12日(火)まで5日間の旅行会社のロングステイ下見ツアーに行った。今日はその4.

7月11日(月)
夕方まで時間があるので、眺めがよいというPenang Hillとその近くの大きなお寺極楽寺に行くためにTaxiを呼んだ。やってきたサイモンさんは、日本語はだめだが、わかりやすい英語をしゃべる中国系の人で、Penang Hillまでは35RM(リンギット、約30円)とホテルの人にあらかじめ聞いていた相場と同じことを言う。極楽寺へ寄ってから帰ると話すと、それでは一人70RMで行き帰りと案内をすると言う。高いと言ってはみたものの、そこは江戸っ子、確信顔で無理だと言われると、帰りのTaxiがつかまらない場合も考え、あっさりと70RMでお願いした。

      

Penang Hillは麓から途中乗り継ぎのケーブルカー(4RM)で831mのペナン最高峰の頂上まで登る。最初霧がかかっていたが、頂上を散策するうちに霧も若干晴れて、全長13.5kmのPenang Bridge の眺めがすばらしい。Georgetown の街の中央に杭のように立っているのが65階建てのコムタ Komtar だ。対岸のマレー半島もうっすらと見える。



Penang Hillの頂上には、ヒンドゥー寺院、回教寺院などがある。


ケーブルで下まで降りて、ゴタゴタした狭い道を車で極楽寺へ向かう。15年の歳月を経て、次々と増築された複雑なマレーシア最大の仏教寺院だ。







30mの高さの7層からなるバゴダは下の八角形の部分が中国式、中部がタイ式、上部のドームがビルマ式。次々と寺院を登っていき、最後にもっとも高いところに店があり、そこから一人3RM支払いリフトに乗ってさらに高いところに登る。

   

そこはちょっとした広場になっていて2002年に完成したという108mの観音像がある。ジョージタウンの町と雨雲にそびえ立つコムタが見える。



かなり激しいにわか雨に追い立てられ次々と階段を下りて、駐車場よりさらに下の階に行くと、亀がウヨウヨいる池があった。

13時ごろホテルのレストランで昼飯後、部屋で身体を休め、ホテルの周りを散歩する。17時半にLate Check out し、旅行社の人の車でPenang 空港まで送ってもらう。MH1165 は遅れて20時半ごろへ離陸しKuala Lumpur へ向かう。乗り換えて、JL724で成田へ。7月12日(火)6時半ごろ成田着。

まとめとして、ペナンでのロングステイをパースと比較して簡単に評価すると、以下のようになる。私にとっては、最後の2つが決定的な欠陥だ。
○ 宿泊費が安い
○ 物価が安い
○ 航空運賃が安い
○ 果物が豊富
? タクシーは安いが、バス、レンタカが使いにくい
? HIなど熱が使える台所が少ない??
× 一年中暑い
× 街がゴタゴタしていて、簡単に行ける豊かな大自然がない

 

ペナン島へのロングステイ下見ツアー(3)

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小柄な人に恋を!

2006年05月23日 | その他
たくましく大きな男性が良いと言う女性が多い。良く考えてもらわなくてはならない。現代の仕事で身体が大きい方が有利なのはスポーツ選手など特殊な職業だけである。日常生活では瞬間的体力が必要なことはほとんどなく、いまどき身体が大きくて良い事などほとんどない。

たくましい男性と結婚した女性も、やがて身体をもてあました大柄な男性が家でごろごろ寝転んでいるのに嫌気がさしてくるのに違いない。たとえば男の子が二人もできて、こまめに動くこともしない大きな男性が夏の暑い日にごろごろしていたら、うっとうしくて、邪魔で掃除もできず、後悔にさいなまれるに違いない。大食漢が三人もいたら食費だってばかにならない。

小食な小柄な人の方がエネルギー効率も良い。大きな人は自分の身体を動かすだけで無駄にエネルギーを使うのだから。耐久力の点からも小さい方が効率的なのは当然である。そもそも、現代の人間は、もともと生物としての人間の適正な大きさを超えているのではないだろうか。大きくなりすぎた恐竜が環境の変化に対応できず滅びたように、地球環境の悪化に伴い人類の小型化が求められている。利口な遺伝子は女性に小型な男性を求めるようにプログラム変更するに違いない。

女性よ!小柄な男性に恋をせよ!     男性も同じく。

さらに、最近の日本人は足ばかり長いが、どうみても無駄である。ほとんどの労働は手先と首から上しか使わない。その手先と頭にエネルギーを与えているのが、胴体である。足は無駄な部分である。
したがって、背が小さく、胴が長い人がこれから望まれる人で、ハンサムと呼ばれるべき人である。これは決して負け惜しみではない。

小柄な男性より

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ペナン島へのロングステイ下見ツアー(3)

2006年05月22日 | 海外

2005年7月8日(金)から12日(火)まで5日間の旅行会社のロングステイ下見ツアーに行った。今日はその3.


7月10日(日)
8時前にホテルのレストランでBuffetスタイルの朝食。到着後、現地旅行会社に依頼したロングステイ下見ツアーに出発。

マービスタMAR VISTA・リゾート(アパート)

   

最初にバツー・フェリンギBatu Ferringhiから少しタンジュン・ブンガTanjung Bungah方面へ行ったところにあるApartmentのMAR VISTAに行く。海が一望できる高台にあり、全室海に面している。一応の設備はあり、キッチンもあるが、電子レンジや、ガスやIHの設備がない。マレーシアの人は外食が多く、家では火を使わない家が多いらしい。気候が良いのに平均寿命が短いのは、そのためとの話しがあるそうだ。

月レンタル、水道代などUtilities付で、1Bed Roomで2,120RM(=70.6RM/日。63,600円/月=2,120円/日), 2Bed Room,月レンタルで3,070RM(=92,100円/月=3,070円/日)。ジョージタウンのペナン通りにあるホテル・シティテルへのシャトルバス(4RM、行き10am,3:30pm、帰り4pm、前日までの予約必要)あり。受付は9amから9pmまでで、ハウスキーピングは1日置き。

Paradise SANDY BEACH RESORT (ホテル)

   

         

タンジュン・ブンガTanjung BungahのParadise SANDY BEACH RESORT PENANG MALASIAに行く。ビーチに面して建つホテルで、リゾートホテルなのでいくつかのプールがあり、そのまま砂浜に出られる。
月レンタル、で、1Bed Room(Paradise Suite)で4,350RM(=145RM/日。130,500円/月=4,350円/日)。ただし、 2Bed Room(Family Suite)だけが,電磁調理器と換気扇があり、月レンタルで6,150RM(=184,500円/月=6,150円/日)。市場やコンビニに歩いて行ける。山側の写真で中央に見える?のがタンジュン・ブンガ市場である。
洗濯はコインランドリーだが、ジム、テニスコートなどの施設もある。有料だがジョージタウン行きのシャトルバスも運行している。しかし、長期滞在するには高い。

Tiara View(マンション)



最後に行ったのが、Tiara Viewというマンションで、個人が所有する部屋を貸す形式のもの。月3万円と驚くほど安い。しかし、タクシーでなければどこにも行けない不便なところで、受付もないので慣れるまでは不安がある。

ペナン島ではタクシー保護のため、観光客には車運転が許されていないと聞いたが、ガイドブックを見ると、レンタカーもある。しかし、道は狭く、急なカーブも多く、しかも地元の人の運転はかなり乱暴で、とても自分で運転する気にはなれない。タクシーは安いが、値段は交渉制でぼられることもあると聞く。

日本人の経営する日本食材店の明治屋は、ほぼ完璧に日本の食材がそろっていたが高い。

次に、多少おかしな日本語を話す看護婦が二人いるローガンライ・スペシャリツツ・センターという私立病院に案内された。清潔で設備もそろっていて特に問題はないように思えた。

ペナン島へのロングステイ下見ツアー(2)     ペナン島へのロングステイ下見ツアー(4)

 

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ペナン島へのロングステイ下見ツアー(2)

2006年05月21日 | 海外

2005年7月8日(金)から12日(火)まで5日間の旅行会社のロングステイ下見ツアーに行った。今日はその2.

ペナン島の北東部にはマレーシア第2の都市ジョージタウンJeorgetown、北海岸には、東にタンジュン・ブンガ Tanjung Bungah、西にバツー・フェリンギBatu Feringhiのリゾートエリアがある。

7月9日(土)
夜ホテルに着いた翌日の9日(土)、朝9時にホテルに旅行社のマイケルさんが車で迎えに来た。



最初に行ったタンジュン・ブンガ市場(Veal of Temp Market)は、地元の人が集まる果物、野菜、魚の店が並ぶ。ココナツの身をすり潰してココナツミルクを作っていたが、ココナッツをどんどん割っていて、中のジュースは流しっぱなしにしていた。見たことも無いようなトロピカル・フルーツが安い値段で売っている。回教の人が嫌がるので、豚肉は特別に奥の囲われたところで売っていた。さすが、他宗教国家。

例によってバティック(ろうけつ染めの布)工場に連れて行かれた。当然こちらも警戒しているのだが、そこは相手が一枚上、心理を完全把握されていて、ついついいろいろ買ってしまう。

   

ジョージタウンの西にある寝釈迦仏寺院は、タイ式の派手なお寺で、全長33mという膝枕のお釈迦さんは、きらびやかで、のびやかである。明るいお釈迦様も良いものだ。裏は納骨堂になっていて、個人の写真と経歴などを蓋に貼った骨壷がずらりと天井まで並ぶ棚があった。それぞれの人の歴史が濃縮されて居並ぶ、異様な光景であった。

ジョージタウンの北東端にあるコーン・ウォーリス要塞は海辺で眺めは良いが、大砲があるだけでとくにどうと言うことなし。



引き続き、中国での親戚が固まって住んでいるという水上生活の家を見学。海に張り出した板の上に家がある。家の前で釣りをしている人がいる。下を見ると魚が群れている。なんでも税金を納めなくても良いそうだ。固定資産でないということか?もともとは漁師であったが、子供たちは陸の仕事についている人が多いという。
Citi Tel HotelのRestaurantで飲茶料理の昼飯。地元の人が行くところはやはりおいしかった。



昼食後、インド人街のクィーン通りにあるヒンドゥー教のマハ・マアマン寺院を見学。これでもかとばかりに極彩色の数々の神々と動物の彫像がある。寺院内のスプラマニアム像は金、銀、ダイヤ、エメラルドで豪勢に飾られている。

またまた、宝石店と、その隣り合わせの民芸品店へ行く。ここでもさらに、指輪、ペンダント、お面を購入。その他、Cameronian Tea、Coconut Cookies, Mango菓子をお土産に買う。ホテルへ戻り、子供達に混じってプールで泳ぐ。

   

19:30に車がホテルに迎えに来て、すぐ近くのエデンシーフードで、海鮮料理のコース。なかなかおいしい。舞台上のあでやかな衣装の民族舞踊が目を楽しませてくれる。マレーシア各地の踊りを入れ替わりたちかわり演じているようだ。車を断り、道の両側に並ぶ夜店の雑踏の中を歩いてホテルに戻る。

ペナン島へのロングステイ下見ツアー(1)

                                                                      ペナン島へのロングステイ下見ツアー(3)

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ペナン島へのロングステイ下見ツアー(1)

2006年05月20日 | 海外

今月末から6月中ほどまでカナダ・バンクーバーへロングステイの下見に行く。それまでのブログのつなぎとして、昨年の7月、マレーシアのペナン島への5日間のロングステイ下見ツアーに行ったので、これについて,4回に小出しして書いてみたい。

マレーシアMalasia :首都はクアラルンプール Kuala Lumpur、人口は2,327万人、通貨はマレーシアドルだが、一般的にはリンギット(RM)と呼ぶ。1RM=30.85円(06年5月)

マレーシアのロングステイ地としては、マレー半島の西側にあり、タイ国境から100kmほどのところにあるペナン島 Pulau Penang 、 マレー半島中央部の紅茶でも有名なキャメロン・ハイランド Cameron Highlandsと、 ボルネオ島の北部のコタ・キナバル Kota Kinabaluが良く知られている。

ペナン島は古くから「東洋の真珠」と言われ東南アジア屈指のリゾート地として栄えてきた。南北24km、東西15km、人口約50万人の小さな島である。空港は島の南部にある。マレー半島の町バターワースとは全長13.5kmのペナン・ブリッジで結ばれている。北東部にあるマレーシア第2の都市ジョージタウンJeorgetownには島の半数の人が住み、約80%が華人。北海岸には、東にタンジュン・ブンガ Tanjung Bungah、西にバツー・フェリンギBatu Feringhiのリゾートエリアがある。

2005年7月8日(金)から12日(火)まで5日間の旅行会社のツアーだったが、参加者は我々2名のみだった。ペナンに着いてから、現地の旅行会社の人に相談して、ロングステイの下見を兼ねるようにしてもらった。

7月8日(月)
10時半ごろ空港第2ビルに着き、すぐ旅行会社の並んだデスクで航空券を受け取り、JALのNデスクでチェックインする。荷物はPenangまで直通だが、人はKuala Lumpurで乗り継ぎ。もっとも荷物は機内持込可能な小さなスーツケースとバックパックのみ。

12:25発JL724。すぐ出た夕飯はなかなかのもので、やはりQuantusよりだいぶ良いというか、Quantusがひどいのだろう。個人スクリーンで映画3本を見て、寝ずにがんばる。Kuala Lumpur空港では、まずエアロ・トレインに乗り、コンタクト・ピアからメインターミナルに行かねばならないのに、到着のサテライトで乗り継ぎカウンタを探してウロウロ。たまたま通りがかったJALの客室乗務員に教えてもらい、無事、入国審査と税関を通過。MH1164便に乗り換え、50分ほど乗り、20時半頃にPenangに到着。

旅行社のマイケルさんの出迎の車でバツー・フェリンギBatu FernghiのLone Pine Hotelまで送ってもらい、チェックインした。マイケルさんは中国系だが、まあまあ不自由なく日本語が話せる。英語はくせがあって分かりにくい。本当はロングステイの下見ツアーで来たかったとの話をして、300RM(約9千円)追加で、中1日の自由時間をアパートメント、日本食料品店、病院などを巡るロングステイ下見ツアーに変更してもらった。

   

このホテルは、バツー・フェリンギで一番歴史があり、小さいながらプール、レストランもあり、こじんまりして落ち着いたホテルだ。目の前が海岸でパラセイリングや乗馬をやっている。
ホテルのレストランは食事終了だったので、外に出た。ホテル前のバツー・フェリンギ通りには両側300mほどに、Tシャツ、水着、2千円のRolexや、ぼけてコピーしたことがバレバレな表紙のCD,DVDを売る夜店が並ぶ。フードコートでワンタンや春巻きを食べたが、量が少なく、おいしくもなかった。しかたなく、数分はなれたコンビニ7-11に行く。外観は日本とまったく同じだが、ガラス棚の中にあるサンドイッチを取り上げたら蟻がいっぱいで、いやになって、パン、ジュースとケーキを買ってホテルで食べる。

ペナン島へのロングステイ下見ツアー(2)

 

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新聞の特殊指定は廃止せよ

2006年05月16日 | 政治
他の業界を厳しく批判する新聞社は、まず、自らに厳しくあるべきである。各新聞社は、個別配達が失われるのでどうしても特殊指定を廃止できないと主張する。自らは価格競争の例外と言うなら、他も含めて何を例外とすべきか、その理由、根拠を明確にすべきである。新聞はいまや最大の権力を持つ機関である。抵抗できない国会議員を動かしたりする前に、戸別配達にどのくらいコストがかかるのか、販売店との関係など関連情報を公開し広く議論を興すべきである。公取委員長への個人的バッシングなど論外である。

1.「再販制度」、「特殊指定」とは何か
メーカーが小売店に販売価格を指定し守らせることは再販行為として独占禁止法で禁止されている。しかし、新聞は、書籍、音楽CDなどとともに著作物のため例外として、独占禁止法で再販が認められている。これを「再販制度」と言う。要するに、新聞社は販売店に対し小売価格を指定できる。

「特殊指定」は独占禁止法に基づき公正取引委員会(公取)が告示で指定する。新聞社や販売店が地域や読者によって異なる定価をつけたり値引きしたりすることは、現在、この「特殊指定」に指定されていて禁止されている。要するに、同一紙は全国同一価格という規則である。

2.現状の動き
公取は、新聞は、価格競争が行われていないことを問題にしている。具体的例として、長期購読割引や、口座振込みの割引も行われていないことを指摘している。したがって、現行の再販制度だけでも、現状は維持されるので、新聞に関する「特殊指定」を廃止しようとしている。
この公取の主張は、新聞各紙ではほとんど報道されていないため、公取の下記HPをご覧ください。
http://www.jftc.go.jp/tokusyusitei/index.html

新聞協会は、再販制度と特殊指定が一体となっているからこそ、全国同一価格が守られている。特殊指定が廃止されれば、新聞間の価格差が生まれ、過当競争の末にある地域では特定の新聞が配達されないようになり、言論の多様性が損なわれると主張する。
(新聞各社の主張とともに、建前にこだわり、論理が不明)

3.実情
実際には販売店が暗黙のうちにサービス競争、価格競争に走っている。代替がきかない販売店に対し新聞社は過当競争を止めることができない。それどころか、発行部数を争い、販売現場の過当競争に見て見ぬふりをしている。したがって、販売店に対し同一価格を指定する特殊指定が廃止になると、もっと競争が激しくなりつぶれる販売店も出てくることを心配している。

何ヶ月とってくれれば、1ヶ月無料にするという形で、実質的価格競争は行われている(無代紙という)。また、ご承知のように、洗剤だの巨人戦のチケットだのをあげるサービス合戦も激しい。 詐欺手法も使われていて、私の家は朝日だが、引越し直後に、読売の販売員がもう一人連れて来て、その人は朝日の販売員だと言う。「この地域は読売と朝日を交代にとることになっている」という。
日本新聞労働組合連合のHPを見ると、販売店のひどい現状、新聞社の見てみぬふりがよくわかります。  http://www.shinbunroren.or.jp/hanbai/hanbai.htm 

4.今後
国会審議で自民党の末松氏が提案するように、「朝刊を夜になったら安く売る。夕刊が要らない場合は安く契約できる。」などの価格設定の柔軟性が必要である。 規制で乱脈販売を抑えようとしても無理なことはすでに証明されている。

新聞への特殊指定は廃止し、競争の世界で利用者からの選択を待つしかない。都会では競争で新聞代は安くなるだろう。横須賀の田舎では、一つの販売店が朝日も毎日も読売も配っていた。世帯が少ない田舎では合理的なシステムだ。

一方、特殊指定にこだわるなら、戸別配達にどれだけのコストがかかっているのか公開せよ。販売店へのキックバックはあるのかなど、価格競争しないなら、価格がどのように決まっているのかチェックするシステムを作るべき。国民のために言論の自由を守るというなら、もっと経営内容を公開せよ。
新聞が例外と主張するなら、何については価格競争すべきで、何についてはすべきでないのか、その理由とともに明らかにすべき。
いまや最大の権力機構はマスコミ、とくに新聞社である。全政党が廃止反対を表明したとのことだが、国会議員が新聞に反対できるわけがない。タブーに踏み込んでしまった公取の竹島委員長は袋叩きだ。前職で手をつけた個人情報保護問題はこの問題には関係ないのに新聞社から個人攻撃されている。

ついでに、便乗文句を言わせてもらう。そもそも、新聞が休みの日はだれが決めたのか?記憶では価格据え置きのまま休みの日が増えて言った。実質値上げである。各新聞社の休みの日が同じなら、これは談合して値上げしたことになる。
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スポーツドライブ・テクニック

2006年05月16日 | その他
(1)ヒールトー
ヒールトーとは、シフトダウンをスムーズに行うため、足の爪先(トーtoe)でブレーキペダルを踏み、同時にカカト(ヒールheel)でアクセルペダルを踏むスポーツドライビングテクニックです。
急なカーブを回ったり、下り坂から急に上り坂に変わるときにエンジン回転数を落とさずに通り抜け、すばやく加速するためのテクニックです。

(2)ラリー・テクニック
スピードを上げて、こぶへ突っ込むときは、前輪がこぶに乗り上げる直前でブレーキを踏み、へこみがあるときは、前輪がへこみに入る直前でアクセルを踏む。

スピードを出していて、ブレーキを急に踏むと、車体が前のめりになる。つまり、前が低くなり、相対的に後ろが高くなる。そこで、スピード上げてこぶへ突っ込むときに、急ブレーキを踏む。車体が前のめりになり、こぶに乗り上げても結果的に車体はほぼ水平に保て、こぶで飛ばされず、高速通過できる。
逆に急にアクセルを吹かすと車体の前が上がるので、へこみ(溝)に突っ込んでも車体はほぼ水平になり、高速のままへこみを通過できる。
もちろん、効果をあげるためのタイミングは極めて難しい。

(3)オートマでの左足ブレーキ
かっこよいこと書いてきたが、実は私の車はオートマチックで、ティーダの1500ccと平凡そのものである。しかも、右足はアクセルペダルに置いたままで、ブレーキは常に左足で踏む。高速で走行時以外は、常にブレーキを踏む可能性があるので、いつもブレーキ上に足を置いている。緊急ブレーキの場合に右足をアクセルペダルからブレーキペダルまで移動させる時間が必要ないので、コンマ何秒か短くブレーキングできるので有利と単純に考えている。

(4)スポーツドライブ・テクニックの実行
オートマで左足ブレーキ。したがって、両足を同時に踏み込めば良いので、ヒールトーは極めて簡単にできる。急坂を下りたとたんにカーブしながら急な上り坂になるところなどで、かっこよく(?)ヒールトーすることがある。タイヤの減りを心配しながら、年甲斐もなくドリフトすることもある。でもオートマでも本当にヒールトーは意味あるのだろうか、疑問ではあるのだが。

スピードを出していて、突然前方にこぶを見つけたときは、直前でブレーキを軽く、ポンと踏むことがある。絶妙のタイミングが必要なはずだが、自分では常に効果があったと感じるのはなぜか。信じるものは救われる。
高速走行時にへこみを見たときは、ハンドルで無理なく避けられれば良いが、そうでなければ、自分で書いていて申し訳ないが、アクセルを吹かす気にはなれない。ツンノメル位のへこみや溝なら、急ブレーキで停止するか、少なくとも十分減速するのが一番だ。最後にヘナヘナになってしまい申し訳なし。
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地方のお葬式

2006年05月15日 | その他
お葬式というものは、我々庶民の代表的伝統行事なので、各地方でそれぞれのやり方があるのだろう。地方、といっても富士吉田での仏式のお葬式に出席したが、東京近郊しか知らない私は戸惑うところがあった。

この地方は、昔はそれぞれの家でお葬式をしたが、最近では斎場で行うのが普通になったそうです。

出なかったのでお通夜の詳細不明ですが、ここでは通夜までに火葬を済ませてしまいます。東京では、告別式後に出棺して火葬となりますが、これが全国共通だと思っていました。

告別式で、まず驚いたのは、香典は、置いてある紙に住所、氏名、金額を書いて、お金を袋に入れずそのままむき出しで受付に出すことでした。金額が多くても、少なくても、なんだかはずかしい気がします。香典袋から出してお金をまとめるのも、お金を入れ忘れる人がいたりして、結構大変な手間なので、この方法は合理的と言えば合理的だと思いますが。受付は誰かが「組み」と言っていたので、近所の人が引き受ける慣わしなのでしょう。

祭壇の前に並ぶ親戚用椅子席の後ろの方に私の連れ合いが座ったので、その隣に座りました。何かおかしいなと、周囲をキョロキョロしていると、周りは女性ばかりです。隣の人に、「あれ、男は向こう側ですか?」と聞くと、遠慮がちに、「普通はそうですが」と言われてしましました。私はあくまで、普通ですので、あわてて反対側に並びました。祭壇の左側に女性、右側が男性と決まっているようです。

亡くなった人の連れ合いは家にいて、式には出席しない慣わしだそうです。「あれ、あれ」と思いましたが、考えてみれば、これも気遣いで良いかなとも思えます。

お坊様の読経中は焼香せずに終わった後で、親戚が焼香し、次に一般の方の焼香を受けます。喪主のご挨拶の後、初七日の法要となり、同じ場所で親戚が焼香します。
2階で精進落としがあり、簡単なご挨拶と食事となります。 一段落して解散になり、親しい人々だけがお寺に納骨へ向かいます。
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