hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

赤毛のアン展を見る

2008年06月19日 | カナダ東部
日本橋三越本店で6月10日―22日開かれている「赤毛のアン展」を見た。出版100周年記念企画で、「モンゴメリーが愛したプリンス・エドワード島」とのサブタイトルもある。一般・大学生900円だが、アンの本を持参してみせると700円になる。
7月17日から全国11箇所を巡る予定のようだ。

「あの日のあなたのアンがここにいます」のうたい文句でわかるように、平日の15時でもあり、99%が女性で、まるで女性専用車に乗ってしまった気分だった。それにしても、夢見る頃はとっくに過ぎたはずの女性達が、目をキラキラさせていて、カワイイ。

プリンス・エドワード島の100年前の生活器具、服装、モンゴメリー家の調度品、作者モンゴメリーの直筆原稿(日本初公開)、再現したアンの部屋、ダイニングルームなどの展示がある。
アンの部屋の台に乗った洗面器と水差しの下は、布で覆われておらず、この16日のブログ赤毛のアン・夢紀行を読んだに書いたように、まさにアン・ファンの建築家の指摘とおり、その下にはpottyと呼ばれる「おまる」があった。


村岡花子関連の展示品も多い。戦争が始まり日本を去る宣教師のミス・ショーは、愛読書の「赤毛のアン」の原書Anne of Green Gablesを「この本を訳して、いずれ平和な時代になったら日本の子どもたちに読ませてください」と彼女に渡した。
村岡花子さんは、日本とカナダの友情の証として戦争中薄暗い電燈の下で翻訳を続け、戦後1954年になってようやく出版することができた。

赤毛のアンは、世界名作劇場の一つとして、1979年1月から12月50話でテレビアニメ化された。高畑勲が演出・監督し、作画スタッフに宮崎駿が加わった。このアニメのセル画、下絵が展示されているが、なかなか見ものだ。

美しいプリンス・エドワード島の紹介のビデオが流され、特産の見事というしかないキルトが壁に掛けられている。

出口にはアン関連グッズを販売しており、小物が多いせいなのだろう、女性陣、大張り切りでレジは行列。ただし、私がプリンスエドワード島で見た品物はほとんどなかった。多分、日本製なのだろう。


「少女時代のあの気持ちをもう一度をテーマに全ての女性に捧ぐ展示会」だそうだ。アン・ファンの方は是非ごらんあれ。



かく言う私めも、16日のブログにあるように、「赤毛のアン・夢紀行」を読んだばかりだった。

また、17日にBS11の「大人の自由時間」で「赤毛のアンとシェークスピア」をたまたま見たばかりだ。アンの本を100回読んだという檀ふみと、アーサー王研究の高宮利行教授を相手にしての、作家松本侑子のアン・フリークぶりにあきれて、また、赤毛のアンの注釈が豊富な松本さんの訳本と原書を取り出して再び読み始めた。


そんなわけで、頭がアンになっていたので、と言っても髪は白いおじいさんだが、この展示会、たいへん面白く見られた。







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PEIとケベックの信号機

2007年10月21日 | カナダ東部
プリンス・エドワード島(PEI)の信号機は、色は赤、黄、青だが、形が四角、菱形、丸と異なっていた。色覚に問題がある人(色の区別が付かない)が、形で判断できるように工夫している。赤だけ両脇に2つある。普通の3つとも丸形の信号機と併用しているところもあった。






カナダの大きな交差点では車の信号が青でも、同じ方向へ人が横断するための信号は赤になっていて、車の信号が縦も横も両方赤になってはじめて、人の横断信号が青になる場合が多い。安全で、斜め横断も可能で便利だが、車を長く停止させておくこともできないので、結局人が横断するための時間は短くなってしまう欠点はある。

ケベックの歩行者用信号機には青の残り秒数が表示される。途中で急に点滅してあわてるより良いと思う。同じ方式を横浜のみなとみらい駅傍で実験していたがどうなったのだろうか?






なお、カナダでは前方が赤信号でも車は左から車が来なければ右折できる(カナダでは車は右側通行)。したがって、人がすこしだけ車道に降りて信号を変わるのを待っていると、右折してくる車にはねられるおそれがある。
しかし、この規則はケベック州では適用されない(カナダでは州によって交通規則が異なることがある)。


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プリンス・エドワード島 (10) 鳥の練習

2007年10月20日 | カナダ東部
プリンス・エドワード島のキャベンディシュで鳥の声がうるさいので空を見たら、群れをなして飛んでいた。ガイドさんの話によると、この時期、フロリダへ渡るために、隊列を組んで長距離飛ぶための練習をしているという。鳥の名前は聞き忘れた。カナダガンだろうか?

以下の写真は3日に渡って撮影したものだが、後半ほど数が増え、上手に隊列を組めるようになっているような気がする。まあ、たまたまだろうが。












冬のプリンス・エドワード島は1月の最高気温が-3度、最低気温が-13度と厳しい寒さになる。電柱が木でできているのは、コンクリートだと寒さで割れてしまうためだという。
カナダはバンクーバーなど一部を除いて冬の寒さは厳しい。土は冬に凍って、暖かくなって解けてグチャグチャになる。したがって、家を建てるときは1.5m 以上掘ってから家を建てるルールがあるという。どうせ1.5m 掘るならと、ベースメントと呼ばれる半地下の部屋を作る人が多いらしい。

なお、カナダの天気予報の紅葉状況、 http://www.theweathernetwork.com/fallcolour/pei 
を見ると、10月4日から更新されていないが、以下のようになっていた。
「紅葉はプリンス・エドワード島の多くの地域で始まっています。島の西部の低地では、すばらしい黄色、赤とオレンジが部分的に見られます。島の中央部と東部はちょうど変化が始まったところです。島のすべての地区で7-10日後にはあざやかな紅葉が期待できます。」

プリンス・エドワード島については、秦野 玲子さんのHPの中にプリンス・エドワード島の鳥の写真と解説があります。PEIの訪問記もあります。
 http://www.terra.dti.ne.jp/~reico/index.html



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トロント

2007年10月19日 | カナダ東部
プリンス・エドワード島からの帰り道、トロントに一泊した。昼過ぎについてユニオン駅の南、オンタリオ湖畔にあるホテルに少し早くチェックインして、一休み。

ユニオン駅まで10分ほど歩く。構内を地下鉄の駅を求めて延々歩く。トークンを$3.75で買って地下鉄へ乗り、Osgoode 駅で降りて、Queen St. を西へブラブラ歩く。「Queen Street Westは個性的なセレクトショップ、カフェが軒を並べる若者に人気な通り」と案内書にあったが、ポツポツと新しげな店はあるが、東京の方がよほどと思える。駐車場だろうか、壁から半分飛び出た車を発見。



LRT(The Light Rapid Transit )とも呼ばれるStreet Car が走っている。



道端に自転車を止める輪があった。トロントでよく見る形だ。輪には「LOCK BICYCLE TO POST CITY OF TORONTO」との文字が浮き出ている。



疲れたのでカフェを探したがしゃれたところが見つからず、スターバックスで妥協する。、一休みしてからホテルに戻る。

夕方になってから、ホテルの前のフェリー乗り場 The Westin Harbour Castle から湖畔を西に散歩した。ちょうどフェリーが出てゆくところで、オンタリオ湖の対岸の Niagara-on the-Lake 市へ渡るのかなと思ったが、どうも対岸が近い。地図を見ると、フェリーの行き先は、Toronto Islands だった。この島はオンタリオ湖に浮かぶ島で、離れたところでもトロントの南約1kmとごく近い。公園、市民空港、600人ほどの居住区もあるそうだ。



そのまま歩き、ハーバーフロントにあるQueen’s Quay Terminal へ行った。案内書にカナダ製にこだわった品揃えの店が多いと書いてあったのだが、既にほとんどの店が閉まっていた。

湖畔にはバンクバーのようにガラス張りの高層ビルが並んでいた



そのまま歩いてCN Tower に向かう。553mの高さは1976年から世界一の高さを誇ってきたが数週間前に建築中のドバイの超高層ビル、ブルジュ・ドバイに抜かれた。しかし、30年世界一を守れたということは、ずば抜けて高かったということだ。すぐ下から撮ると画面に入らないので斜めにしてみた。



CN Towerに登る前にセキュリティ・チェックがあった。
非接触のセキュリティ・アーチをくぐるだけで、X線ではないと書いてある。確かに、無塵室へ入るときのように、強い風が吹くアーチの中をくぐるだけなのだが、なぜこれでセキュリティ・チェックになるのかが解らなかった。
帰国してからTVでセキュリティに関する展示会の紹介を見ていたら、同じ装置が出てきた。持っている爆薬の微粉末を吹き飛ばして分析する最新の爆発物検出装置だそうで、日本にはまだ1台しかないと話していた。

チケット売場での料金には、大きく3種類ある。一つはObservation : $21.49で、Look Outと呼ばれる346mの展望台へ行く。二つめはAttractions: $25.99で、Look Out のほかに映画が見られる。三つめは Sky Pod : $25.99 で、Look Out のほかに447m の最上展望台へ行ける。

私たちは当然Sky Pod の券を買い、とりあえずエレベータでLook Out まで登る。22km/hourの速さで、わずか58秒で346mまで登る。エレベータから外を見られるようになっているので、グングン登って行くのがわかる。

Look Out ではガラス張りの室内から外を眺める(Indoor Observation)。180度はHorizons Café になっていて、世界でもっとも高いところにある軽い食事を楽しめるとのうたい文句だ。

Look Out から1階階段を降りると、 Glass Floor で、床のガラスの部分からは342m下が足元に直接見える。この床は通常の床の強度の5倍に耐えるよう設計されていると書いてある。たった5倍なの?と思ったが、17頭のカバの重さに耐えると読むと、安全と思える。
また、ドアを開けるとガラス無しに直接、といっても網はあるが、外が見られる(Outdoor Observation)。

Look Out から1階階段を登ると、72分で360度一周する回転レストラン「360 Restaurant」だ。こちらは、約500の銘柄から選択できる世界的ワインセラーとのうたい文句だ。

私たちは予約せずにこの360に入ろうとしたが、受付でさんざん待たされたあげく、「小食だからアラカルトで良いか?」「No」。「メインを二人でシェアーできるか?」「No」。良く聞くと、このレストランで食事すると、Look Out への展望代金 $21.49が割引になるという。通常は下で展望台のチケットを買うときに申し出るのだが、レストランの人が展望台の入場券にサインし、食事の領収書を持って、チケット売場へ行けば、展望代金 $21.49 を現金で返してくれるという。ならばと、急に食欲が出て小食を解消し、二人ともメインをとることにした。
サラダとサーモンと、スープと海老のスパゲッティを注文したが、量は思ったほどでなく、味はまあまあで、回転する外の眺めがすばらしかった。15%のチップ込みで$131だった。下へ降りてから、「この領収書じゃだめ」とかいろいろあって、10時の閉店寸前に国税も含め二人分 $45.56 を取り戻した。

Sky Pod へはLook Out から別のエレベータに乗り、447mへ登る。さすがに高い。晴れた日には160km先が見えるという。
すぐ下に世界初の自動開閉式屋根を持つドーム球場、Rogers Centre が見える。



高層ビルもはるか下にある。新宿の都庁展望台から、「あのビルが高い。いやあのビルが」などと言っていたが、このCN Tower から見ると、どの高層ビルもただ下のほうにべたっと並んでいる。なにしろ日本一の高さの296mの横浜のランドマークタワーの2倍近くの高さだ。遠くまで延々と連なる光の海を見ると、トロントは大都市だとあらためて思う。
高所恐怖症ぎみの奥様がビビルと思ったのに、「これだけ高いとかえってなんでもないわね」と平気な顔で、ガックリ。
(相変わらずのひどい夜景写真で恐縮です)



黒く横たわるオンタリオ湖の向こうに広がるまばゆい明かりの海は、Toronto Islandsだろうか、ナイアガラ地域だろうか。




翌朝10時にホテルを出て、トロント空港へ向かった。

機内映画は下のように数は多いが、日本語吹替え、字幕がOcean’s ThirteenだけではANA共同便と言えない。
Hollywood : Nancy Drew, Once, Harry Potter & The Order of the Phoenix, Live Free or Die Hard, Evening, Evan Almighty, Surf’s Up, Ocean’s Thirteen
Classics : The Third Man, Red Desert, His Girl Friday, Wild Strawberries
Avant Garde : Sunshine, Kenny
Contemporary : Sleepy Hollow, The Others
World : Ming-Ming, After the Wedding, Paris Je T’aime, Paprika
Franco-Cinema : La Vie en Rose, Coeurs
Canadian : Radiant City, Away From Her, en Route Short Film Festival (5編)

途中カムチャッカ半島だろうか、一面の雪山の上を通過していった。



トロント空港から約14時間のフライトで15時半ごろ成田についた。

久しぶりのツアーで、朝は10時ごろの出発で楽だったが、夜が遅くなり、疲れた。ロングステイのときの14時か、15時には帰るペースと異なり、あわただしかったが、充実した旅行だった。

後は、信号機や、鳥のことを書いて、カナダ東部編は終了とする。











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プリンス・エドワード島 (8) レストラン、店

2007年10月17日 | カナダ東部
レストラン
プリンス・エドワード島といえば、ロブスターだ。資源保護のため漁の解禁時期を制限している。ただし、地域によって時期をずらしているので、いつでも新鮮なロブスターが手に入るようにしている。確か6月、7月にプリンス・エドワード島北部で漁が解禁で、南部で9月、10月が解禁になる(?)。冬は海が凍るので漁はできない。その代わり、より南のNova Scotia 州などが解禁になる。

ガイドさんの一番のお勧めは、シャーロットタウンのWater St.とPrince St. の角にあるWater-Prince CORNER SHOP だ。ここは小さな店だが魚屋さんでロブスターはもちろんmussel(ムール貝)、オイスター Oyster など海のものは新鮮で、安い。
奥様はクラブチャウダー、私はムール貝とカキを食べた。合計 $36と安い。
ここで売っているロブスターの缶詰Lobster Meat や、Lobster Pate ロブスターの練り物の缶詰もお土産に面白い。といっても缶詰はまだ食べていないのだが。



次に薦められたのは、Seatreat (海のご馳走?)と言う店だ。これも地元の人が行くようなとくにきれいとはいえない店で、Euston St. University Ave. の角にある。ここには要求すれば日本語と英語の手書きのメニューが出てくる。ただし、このメニューには値段は書いてない。
CORNER SHOP よりは高め ( $29 ) だったが、ロブスターを食べた奥様はおいしかったという。私はムール貝 ($7) と、めずらしい鯖(mackerel)を注文した。料理法はgrill(直火で焼く)、fried(油であげる)と熱湯に落とす(poach)とあったが、よく分からないpoachにした。なんのことない日本の鯖と同じだが、臭みがなくおいしかった ($14)。
このメニューの一番上に、「お支払いは、別々でしょうか、ご一緒でしょうか?」とあり、その下に、「siperate together」と書いてある。separateでないの?日本人が書いたのか?



案内書に良く出ているのは Lobster on the Warf だ。Prince St. の突き当たり、港のすぐ傍にある。ギフトショップなどが並ぶPeake’s Warf にあるので、観光客向けのような気がして入らなかった。



Prince Edward Island Preserve Company は、シャーロットタウンとキャベンディシュとの中間辺りにある。2号線からキャベンディシュに向かう13号が別れ、224号と交差する辺りをNew Glasgow と言い、お金持ちの住む地域だ。この店は自家製のジャムの店で棚にずらりと並んだ各種ジャムがお勧めだ。レストランも併設しており、ツアーの途中でこの店で昼食にロブスターを食べた。



こちらでは定番の熱く溶かしたバターに漬けて食べ、マッシュポテトとコールスローが付いている。もちろんおいしい。



キャベンディシュではこれもガイドさんお勧めの Rahael’s というレストランに入った。私はシーフードがしこたま入った料理の Seafood Caserole と言うものを食べたが最初の半分まではおいしかった。奥様は Salmon in Puff Pastry というものを注文したが、持って来たものは大きなパイ。ウエイターに「違ってるよ」というと、「サーモンならこれでよい」と言う。切ってみると、パイ生地のなかはサーモン。けっこうな味だった。
サラダやコーヒーも含め二人で $57は安いといえる。味も含めお勧めの店といえるが、そもそもキャベンディシュでは選択の余地は少ない。



朝食はホテルのレストランは高いし、小食な私たちにはあわないので、いつも外で簡単に食べるか、前日にコンビニなどで買ってきたもので済ませてしまう。シャーロットタウンのデルタ・ホテルのすぐ近くの、地元の人があいさつを交わしている Linda’s Restaurant & Coffee Shop は、トースト、卵(スクランブル/ボイル/フライド)、ベーコン/ハム/ソーセージのモーニング・セットが手軽でおいしい。$12位だったと思う。

いろいろなところにCowsというアイスクリーム屋があるが、ギフトショップなどが並ぶPeake’s Warf にある店に入った。「PEIでベストなアイスクリーム」との看板があった。中はアイスクリーム売場よりも、とぼけた牛の絵のついたグッズ売場の方が広い。



お土産屋
アンの店 The Anne of Green Gables Store は、Queen St.とVictoria Rowの角にある。 CavendishにあるAvonlea Villageというアンの関するテーマパーク内にも同じ店がある。奥様によれば、あまり好いものはないと時間の割にお買い上げは少なかった。アンの顔があまり可愛くないと人形はお買い上げにならず、ぶら下げる後姿の人形(飾り)などをご購入。帰宅して居間に飾ろうとしたら、息子が首吊り見たいだと拒否。寝室へ追いやられた。



私は、 Green Gables Edition とある Anne of Green Gables (赤毛のアンの原著)、$8.99を買った。351ページあるが、英語の本はこれまで何冊も買ったが自慢じゃないが数ページ以上読んだことはない。最初の数ページだけ売ってたら良かったのだが。
この店は、オンラインショッピングもできる。 www.annestore.ca

アン関連のギフトショップは、アンの家にも、グリーン・ゲイブルズ博物館にもいろいろなところにある。

その他、私が買ったのは、ピエロの人形とドリーム・キャッチャー。前者は$5と安いわりによくできているのでつい手が出た。後者は枕元につるすと、良い夢を捕まえてくれるというもので、カナダのどの店にもある。帰宅して寝室の壁につるしたが、見事、良く夢を見るようになった。どうも、連日いろいろ調べ、整理して、このブログを書いているせいで、こんな歳になって、夢見るアンの夢ばかりみる。




その他、カナダのお土産としては、メイプル・クッキー、サーモン・ジャーキーなどをお買い上げ。メープルシロップにもExtra Light などいくつか種類がある。Costcoなどのスーパーに行って(会員制だが)、1リットルビンで買ってくるのが一番安い。我家はこれを小分けにして使っている。
その他、アウトドア商品のカナダ・ブランドRootsでキーホルダー、時計、防寒着なども買った。トロントの個性的なセレクトショップが並ぶQueen St. Westで買ったカーデガンを帰ってから見ると、ZARA Japanの名札がついていた。




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プリンス・エドワード島 (7)キャベンディシュ

2007年10月16日 | カナダ東部

今日はアンに直接関連しないキャベンディシュの見所について触れる。

撮影ポイントのフレンチ・リバー
プリンス・エドワード島の写真には必ずと言っていいほど出てくる場所がフレンチ・リバー French River だ。キャベンディシュから New London Bay を西に迂回したところにある。ここの土地は、丘の上にガラス張りの展望テラスを持つ屋敷の持ち主、アメリカ人の Ralph Hostetter 氏の所有だったが、あまりにも多くの人が車をここに止めて景色を眺めているので、気前よく寄付してくれたそうだ。感謝の意をこめてHostetter’s Viewscape との看板が立てられていた。ここはツアーに含まれていた。



写真は左から右へ撮ったものだが、真ん中のものが写真で良く見る景色だ。






地面に置いてあるのは、ロブスター漁に使う仕掛けの籠だ。ロブスターは入口から入るときは頭からだと触覚などが邪魔になることを知っていて、尾の方から入ってくる。中の餌を食べて出るときには頭から出られなくなる。左下の黒い紐は許可を受けた鑑札だ。



B&B
通常の赤毛のアン一日観光は出発したシャーロットタウンに戻る。私たちはキャベンディシュでもう少しのんびりしたかったので、B&Bに一泊した。宿は Kindred Sprits Country Inn and Cottage だ。かなりの人数が泊まれるB&Bで、芝生の向こう側にはいくつものコテッジが並ぶ。
「Kindred Sprits」 という言葉は赤毛のアンの12章 A solemn vow and promise に出てくる。「生涯の心の友」と言ったような意味だろうか?(日本語訳本が手元にないので)



入口すぐの共用の部屋が以下の写真。夜9時にここでお茶会があったが、遅れて行ったら、ネイティブ同士でガンガン話していたので、スゴスゴと引き返した。



たいていのB&Bはそうだが、ここの部屋もなかなかロマンチックでムードあるつくりで、トイレ、バスタブもついていたが、インターネットは利用できず、ホテルに比べると多少狭く機能性では劣る。




信号の交差点
B&Bから小道を2,3分行くと、6号線に出る。出たところからキャベンディシュのメインの交差点を見た写真が以下だ。キャベンディシュで信号があるのはこの交差点だけと聞いた。交差点への坂の手前を右に曲がったところにアンの家 Green Gables がある。



交差点を過ぎてすぐ振り返って撮ったのが以下の写真だ。このままもう少し後ろに進むと、郵便局と教会がある。交差点を過ぎてまっすぐ伸びているのが泊まったB&Bへ行く6号線で、B&Bへの道を通り過ぎてさらに少し行くとアボンリー・ビレッジがある。交差点を左に行くとシャーロットタウンへの13号線になる。6号と13号の角がモンゴメリーの墓地だ。



交差点の左には、 Anne Shirley と、アンの名前そのもののB&Bがある。このあたりの宿は赤毛のアンから取ってきた名前をつけている場合が多い。




キャベンディシュ・ビーチ
交差点を右にセントローレンス湾の方にブラブラ歩いた。すぐ左側に観光案内所があった。



道はしばらく林の中を行く。両側の木々を行き交う鳥が多いが、声はすれどもめったに姿は見えない。野性のリンゴの木がある。



やがて野原の中の道になり晩夏に咲く白い花が多くなる。



紅葉はところどころ始まったばかりで、本格的には10月中旬以降だろうか。ガイドさんは、「私はマダラ模様の方が好きですけどね」と言ってくれたが、全面紅葉のときの客にも、そう言うのだろうか。
花は夏の残りの白い花があちこちで見られたが、いまひとつさびしい時期だ。まあ、人がいっぱい居ないで、寒さに震えない時期を選んだのだが。
6月末には島全体にルピナスLupin が咲き始めるという。ルピナスは「のぼりふじ登藤」とも言われ絵葉書などによくある。赤紫などの色で、尖がった塔が一面に広がる景色は一度見てみたいものだ。
7月後半から8月にかけては、白やピンクのジャガイモの花畑となるという。

振り返ると上り詰めたあたりが交差点で、けっこう歩いて来たことに気付く。



DUNELANDとの標識のある海岸に付く。セントローレンス湾からの風が強い。ここはPEI国立公園内のCavendish Beach East で西へ行くCavendish Dunelands Trail の始点だ。
プリンス・エドワード島の北側に数100kmも続くという海岸一部、Cavendish Beach は夏には多くの人が訪れる。この崖の向こうに延々と続く砂浜が見える。



赤い砂岩は簡単に崩れるので、崖から2m以内には近づかないこととの注意を受けた。確かに激しい波で次々と崩れている。



次回はシャーロットタウンなどのレストラン、店の話を少々。


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プリンス・エドワード島 (6)  生家、博物館、駅舎

2007年10月15日 | カナダ東部

赤毛のアン一日観光に参加した。(1)から(5)までアンの家、郵便局、赤毛のアンの作者モンゴメリーの墓について書いた。

ツアーに含まれているビーチなどアン関連以外のキャベンディシュ全体は次回とし、今回は、モンゴメリー生家、グリーン・ゲイブルズ博物館(銀の森屋敷、輝く湖水)、ケンジントン駅舎についてご報告。

モンゴメリー生家
New Londonの「Lucy Maud Montgomery Birthplace  Nov. 30 1874年」と看板のあるモンゴメリー生家を見学した。モンゴメリーが、母が亡くなり、祖父母にひきとられるまでの1年9ヶ月を過ごした場所だ。



入るとまず彼女のウエディングドレスのレプリカがある。彼女は身長150cm位で、結婚当時は40kg程度で、ウエストがなんと55cmと本当にスリムな体型だったようだ。ガイドさんからこれを聞いた女性陣から悲鳴があがった。つぎに年取ったときの写真もあり、大分変化が見られ、女性陣から安堵のクスクス笑い。
ドレスの下にある靴が左右同形だった。当時はみんなそうだったようだ。



プリンス・エドワード島の日本人ガイドの人はアンに憧れて、とりあえずの形でこの島に来て、そのままはまってしまった女性が多い。したがって、アンに関する説明はどうしてもマニアックになる。小説の上のアンと、現実のモンゴメリーを切り分けながらの説明はなかなかのものだ。数週間前にはじめて赤毛のアンを読んだおじいさんの私でさえ、だんだんマニアックになってきて、「なんだか僕、怖い」

壁にかかっていたのは、髪の毛のリース。当時は固い絆を示す髪の毛でリースが作られた。



モンゴメリーはスクラップ・ブックを丹念に作っていて、一部が展示されていた。なかなか全部見ることができない貴重なものだそうだ。



モンゴメリーが、1911年の英国のISLESへの新婚旅行について、ご主人あてに出した手紙が展示されていた。38ページあるという。さすが作家。



2階には、生後まもない頃の部屋が再現されている。



グリーン・ゲイブルス博物館
「パットお嬢さん Pat of Silver Bush 」に出てくる銀の森屋敷には、現在もキャンベル家の人が暮らしている。モンゴメリーはこの家がお気に入りで、祖母の死後3ヶ月ここで暮らした。当時は花嫁の家で結婚式を挙げる習慣があり、両親、祖父母が居ないモンゴメリーはこの家の1階の客間で結婚式を挙げた。



入口を入ったところのストーブについて、陽気で美人の子孫の方が説明してくれる。
椅子と本箱があり、説明が貼り付けられている。
椅子には、「この椅子はモンゴメリーが母方の祖父母の家で赤毛のアンを書いていたときに、使用したものである」とある。
本箱には、「アンの魅惑の本箱」とあり、赤毛のアンからの引用で、「私がミセス・トーマスと住んでいたときに、彼女は居間にガラスのドアの本箱を持っていた。・・・・私はその中に住んでいるもう一人の小さな少女になっていることを想像し、願ったことがある。私は彼女をKatie Maurice と呼んだ。Katie は私の生活の楽しみであり慰めであった」とある。(手元に日本語訳の本がないので、私のいい加減訳です。自分なりの訳してみると、英語も日本語も、村岡さん、松本さんはたいしたものだとはっきりわかります。)
本箱は当時も食器棚 china cabinet として使われていたとも書かれていました。



プリンス・エドワード島は、冬は日照時間が短いうえに積雪で、家でできるキルトが盛んだが、モンゴメリー手製のクレイジー・キルトや、愛用のオルガンも展示されていました。




彼女は輝く湖水the Lake of Shining Waters をこのひずんだガラス越しに眺めるのが好きだった。



ガラス棚の中に彼女の署名がいくつか見られる。彼女は猫がとても好きだったのでどれにも猫が描いてある。



遅れていたアンがようやく、弟と犬と一緒にお父さんの車で駆けつけてくれた。ソバカスもあり、素朴な感じでなかなか可愛い子だ。奥様が「cute!」と言うと、ハニカミながら、ニコッとした。写真撮影が終わると、裏の芝生で帽子を押さえながら弟と遊んでいた。
奥様が、「赤毛のアンを小さいときはアンの気持ちになって読んでいたが、今回読み直したらマイラになってアンを見て読んでいた」と言っていたのを思い出した。





裏手に大きな建物があり、その向こうに輝く湖水が見える。手前の道は見事なほど赤い。



最後にケンジントン駅舎に行った。今はプリンス・エドワード島には鉄道は走っていないので、レールは駅のところに残してあるだけだ。この島は手で簡単に崩れる砂岩でできているので、建物に使える石がなく、石造りの家はほとんどない。この駅舎の石も船でカナダ本土から運んで来たものだ。



これでツアーのうちのアン関連のところはすべて述べた。アン関連の主な場所で行かなかったところは、ただの礎石しか残っていない「モンゴメリーの住居跡」と、アン関連の野外博物館兼ショッピング村(小さなテーマパーク)であるアヴォンリー・ビレッジぐらいだろう。


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プリンス・エドワード島 (5) 郵便局とお墓

2007年10月14日 | カナダ東部

赤毛のアン一日観光に参加した。前回、前々回とアンの家(グリーンゲイブルズ・ハウス、恋人の小径、お化けの森)について書いた。

ツアーに含まれているキャベンディシュ・ビーチなどは次回とし、今回は、その他のアン関連をまとめてご報告。

グリーンゲイブルズ郵便局、教会
教会は一般の方が今も通われているとのことで、外観のみ。右の建物が郵便局。
この教会Cavendish United Church は、Evan MacDonald が1903-06年に牧師(minister)をしていたときに、モンゴメリーと出会い結婚することになる教会だ。



郵便局の案内板には、
「赤毛のアンはこのような郵便局で書かれたことをご存知ですか? 
モンゴメリーが育った祖父母の家はキャベンディシュの郵便局を営んでいました。もとの建物は失われましたが、この建物は彼女が小説を書いて、原稿を出版社に送った建物を復元したものです。
内部は近代的な郵便局で、説明展示もあります。モンゴメリーがしたように、どうぞ後ろのドアから入ってください。それがプリンス・エドワード島の伝統です」
とあった。後ろのドアから入れたのだろうか?
モンゴメリーは祖父の郵便局を引き継ぎ3年間郵便業務をしながら、原稿を書いていたという。

中にはいくつかの写真や展示物があり、当時の郵便業務が分かる。




今も夏季には現実に郵便業務が行われている。私たちツアーとは別の日本人女性も幾人かいて、人気の場所のようだ。たった一人の男性たる私はツアー中、常に隅のほうにいた。
「ここのポストから葉書を投函するのが私、夢だったんです」と言いながらニコニコしている夢見る頃を過ぎたご婦人がいた。



夢見るアンの切手(の展示拡大写真)と、自宅についた葉書のスタンプは以下。どうせなら切手もアンのものにすればよかったが、スタンプも今ひとつだ。





余談で、かつ現在の話しだが、プリンス・エドワード島では、家が道路からえらく離れて奥にある場合が多く、個人宅の郵便受けは道路際に設けられている。そして、投函したい郵便物がある場合は、郵便受けに入れておき、赤い旗を立てておくと、郵便屋さんが回収してくれる仕組みだ。




JAMESさん! 勝手に旗を立てて、ごめんなさい。元に戻しておきました。

モンゴメリーのお墓
この墓地は共同墓地なので、もちろんモンゴメリー以外の人の墓が大部分なのだが、入口のアーチには、「RESTING PLACE OF L.M. MONTGOMERY」とデカデカと表示されていた。お墓の入口の石版には、「CAVENDISH CEMETERY 1835年創設」とあり、その下に、「このアーチは1985年にJ.A.Bamberと友人によって寄贈された」とあった。(どうでも良い話でした)



左が1876年に23歳の若さで亡くなったモンゴメリーのお母さんのお墓。右が、1898年に78歳で亡くなった祖父と1911年に87歳で亡くなった祖母 Lucy Ann Woolner のお墓。祖母はとても厳しくモンゴメリーさんを育てたので、赤毛のアンもAnnという表示はいやで、Anneにこだわったとの話しもあるようだ。祖母が大好きだったとの話も聞いた。



モンゴメリーの墓までの道だけは石畳になっていてすぐ分かる。墓地の中で、ここだけが国立公園なので、木の看板も立っている。



花いっぱいの墓の写真と、墓碑の拡大写真を載せる。




墓石の一番上には、ご主人の姓の「MACDONALD」とあり、その下に、ご主人の名前、「REV EWEN MACDONALD 1870-1943」とあり、その下に奥さんの名前、「LUCY MAUD MONTGOMERY MACODONALD」とある。さらにその下に、「WIFE OF EWAN MACDONALD」とあり、生年、没年が、「1874-1942」と刻まれている。
ご主人の名前は正式には一番上の EWENなのだが、モンゴメリーはそれが嫌いで、自分のところにはEWANの妻と記している。ANNとANNEといい、表記にこだわる人だったらしい。




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プリンス・エドワード島 (4) 赤毛のアンの家

2007年10月13日 | カナダ東部
アンの家(Green Gables緑色の切妻屋根と呼ばれた)の中の細かいところをご紹介する。この家は著者モンゴメリーのいとこ David and Margaret MacNeil の家だが、実際彼女もたびたび訪れたという。中の家具、道具などは当時の物を集めてきて展示してある。

庭側から見た家。正面が入り口で、2階の右側の部屋がアンの部屋。親友のダイアナとの通信に使ったランプがあるが写真では良く見えない。



裏側が出口になっている。白い三角錐状のものは井戸。



入口を入り左手が客間。馬の皮張りのソファーがある。当時農耕用に馬がいて、馬の皮は良く使われた。



隣がダイニングルームで、テーブルにはお客様用でめったに使うことができなかったバラ模様のダイニングセットが並べられている。



クルミ材のサイドボードの後ろの壁紙が目立つが、当時はハエが多く、叩き潰しても目立たない模様にしていたとの説明があった(本当?)。



隣はマシューの部屋で、ベッドのステッキがかけてある。椅子にはチョッキがかけてあり、AGRICURTURIST 農夫との新聞が置いてある。




次の間はキッチンで、中央に大きなストーブがある。これは、湯を沸かし、料理し、アイロンを温め、そしてもちろん部屋を暖めるためのもので、夏でも使用した。奥にウインザーチェアがある。



窓際には花が並び、カップボードの下から3段目の奥にはアンがダイアナに飲ませてしまった赤いイチゴ汁(ラズベリー汁)のビンが置いてある。





ホールへ戻り、階段を登ってすぐのアンの部屋には、右奥の壁に、ついにマシューに買ってもらったパフスリーブの服がかけてある。手前の椅子には孤児院から来て駅のベンチに座っていたときに持っていたカバンが置いてある。ベッドにはマイラに作ってもらった普通の袖の服が置いてある。




左手前には学校でアンの髪の毛をつかんで「ニンジン」と言ったギルバートの頭を殴って粉々になった石版が置いてある。



客用寝室の向かいがマイラの部屋で、メガネや、アンのせいにされた失くしたはずの紫水晶のブローチもわざとらしく置いてある。




隣の裁縫室には私の子供のころのものと変わらないミシンがある。



隣の狭い部屋に立てかけてあるテニスラケットのようなものは、雪の日に靴の下につけるカンジキ。



呼ばれたらすぐ降りていけるように階段のすぐ傍に粗末なベッドの使用人の部屋があった。



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プリンス・エドワード島 (3) Green Gables

2007年10月12日 | カナダ東部
赤毛のアン一日観光に参加した。9:30にシャーロットタウンを出発し、16:30頃戻る。ただし、私たちはシャーロットタウンには戻らずキャベンディッシュCavendishのB&Bに1泊した。
途中でジャム&レストランのプリザーブ・カンパニーでロブスターの昼食をとり、その後訪れた場所は、モンゴメリーのお墓、グリーンゲイブルズ郵便局、アンの家(グリーンゲイブルズ・ハウス、恋人の小径、お化けの森)、キャベンディシュ・ビーチ、モンゴメリー生家、グリーンゲイブルズ博物館(銀の森屋敷)、輝く湖水、ケンジントン駅舎である。

このうち、今回はアンの家全体で、次回、アンの家の中を紹介する。次々回と次次々にその他のキャベンディッシュを紹介したい。

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アンの家(屋号のようにGreen Gables緑色の切妻屋根と呼ばれた)は、モンゴメリーの祖父のいとこのディビット・マクニール二世とマーガレット・マクニール、兄妹の住む家、農場でした。モンゴメリー自身はこの家に住んだことはないのですが、周りの林を散策しながら、この農場に親しみ、周囲の林を恋人の小径や、おばけの森と名づけました。
モンゴメリー自身は以下のように書いています。
「アボンリーの大部分はキャベンディシュです。グリーン・ゲレイブルスはディビット・マクニールの家をもとに描きました。しかし、家自体よりも、まわりの環境や景色の描写が中心なのです。私の書いた現実描写の部分は人々の目にもそれとはっきりわかるでしょう」(アンの家で配られた日本語解説文より)
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Visitor Centre で金を払い入場する。料金は季節のよってかなり異なる。




看板の数字 1:Visitor Reception Centre、2:Gift Shop、3:Barn納屋、4:Granary穀物倉、5:Woodshed材木置場、6:Green Gables Houseアンの家、7:Haunted Wood Trailお化けの森、8:Balsam Hollow Trailバルサム樹の窪地トレイル( Lover’s Lane 恋人の小径)

Visitor Reception Centre の中には写真、高価な初版本などの展示と、プリンス・エドワード島紹介の7分ほどのビデオ上映場がある。

17歳(?)と、60歳のモンゴメリー




結婚したときのご主人Macdonald神父の写真



モンゴメリーが使用した極めてシンプルなタイプライタ



左に見える納屋を抜けて、右側のアンの家(写真は裏側)に入る。



途中に置いてある当時の馬車。車輪は鉄でクッションはなく、道も悪かったので、アンが最初にマシューの馬車で駅から家に来たときも相当ゆれたと思われる。



なお、このときに白い花が咲いているリンゴ畑の間を来たと書いてあるが、当時はこのあたりは一面のリンゴ畑だった。その後、病気が発生し全部伐採されてしまった。しかし、今でも野生化したリンゴの木がところどころ見られる。



庭から見たアンの家はいかにも女性好みのかわいい風情だ。2階右側の部屋がアンの部屋で、親友のダイアナとの通信に使ったランプが見える。庭は手入れの行き届いた花が美しい。



アンが恋人の小径 Lover’s Lane と名づけた道は、看板の昔の写真とはだいぶ異なるが、赤い道が木々の緑の映える。この奥に橋などがありBalsam Hollow Trailバルサム樹の窪地トレイルになっていて、20分もかからずに一周できる。




恋人の小径を右にそれたら、そこは牧草地だった。



アンの家の庭から小川を越えて外へ出ると、Haunted Wood Trailお化けの森になる。ここも看板の当時の写真とはだいぶ異なる。そのまま進むと共同墓地などに出る1.6kmの散策道になっている。




モンゴメリー紹介のプレートがあったので、いい加減な訳を以下のご披露する。



LUCY MAUD MONTGOMERY ( 1874-1942 )
世界に名高い作家、Lucy Maud Montgomery はプリンス・エドワード島のNew London に生まれた。母が1876年に死んだ後、母方の祖父母とキャベンディッシュで1911年まで暮らした。結婚後、オンタリオに引越した。キャベンディッシュに住んでいたときに彼女の最初の小説、赤毛のアン Ann of Green Gables (1908 ) を書いた。人気の続編シリーズや、他の評判の小説を続けて出版したが、英語の小説の中でもっとも愛すべき子供の一人であるアンを創造したことにより、Lucy Maud Montgomery の高名が継続、確立したのである。彼女はトロントで亡くなり、キャベンディシュに埋葬されている。

2008年が赤毛のアン出版100周年にあたるので、いろいろな企画が予定されているようだ。

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プリンス・エドワード島 (2)シャーロットタウンの町

2007年10月11日 | カナダ東部
カナダ東部のプリンス・エドワード島の州都シャーロットタウンの港の近くのデルタ Delta hotel に宿泊した。

朝、ホテルから見える塔がそびえるSt. Dunstan’s Basilica セントダンスタンス・バシリカ教会へ行ってみた。地元の人が信仰する教会へ入るのをいつもは控えているが、ちょうどツアーの団体が入って行くので、便乗して中へ入った。入ると派手さはないが、荘厳だ。天井のくもの巣のような梁の模様が面白い。ケベックは昔はカソリックで離婚、中絶などへの戒律が厳しかったと聞いた。プリンス・エドワード島はどうなのだろうか。




司祭(?)の顔写真がいっぱいのステンドグラスがあった。趣味が良いとは言えない。下のほうはまだ追加するつもりなのだろう。



州議事堂 Province House は1847年に建設され、1864年にカナダ連邦を結成するための初の植民地代表者会議が開催されたカナダ連邦発祥の建物(the meeting place of the Fathers of Confederation)だ。設計者のIsaac Smith は正式な教育を受けず大工、建築家になり、コンペに合格してこの建物を設計した。そういえば外観は単純で面白みがない。



2階には連邦誕生の間と呼ばれる会議室や、議事室、図書室などが保存されている。




Queens St. とKent St. の角にはレンガ建ての市庁舎や、Confederation Court Mall がある。後者は連邦会議100周年を記念してカナダ国民が一人15セントずつ出して1964年に設立した総合文化センターと案内書にあった。外観は四角いコンクリートのかたまりで、新しい感じはするが私の趣味ではない。



Queens St. を左折しKent St. を西に400m位進むと、ビーコンフィールド Beaconsfield Historic House がある。1877年に造船業と貿易で財をなしたJames Peakeが建てたビクトリア様式の邸宅で、有料公開されている。ここからビクトリア公園 Victoria Park がはじまり、セントローレンス湾沿いに板張りされた遊歩道Waterfront Boardwalk が続く。



すぐ先にファニングバンクFanningbankが見える。Lieutenant Governorと言ってエリザベズⅡ世の代理としてプリンス・エドワード島を形式的の治めている人(総督?)の邸だ。通常非公開だが、7月と8月に、月曜から金曜日の10am-4pmにガイドツアーがあるらしい。
州政府のホームページ www.gov.pe.ca/ は英語だが、情報豊富で、工夫されていて面白い。灯台の写真のスライドショーは84枚もあるので途中あきらめたが、十分楽しめた。



板張り遊歩道Waterfront Boardwalk はBeaconsfield Historic HouseからVictoria Park poolまで1.3kmあり、Delta hotelからだと、ヨットクラブの周りなどを含め3.2kmある。



当日はマラソン大会が開かれていて、つらそうな顔をした人が2,3人走って来て、引き続き車椅子の人が伴走付で走ってきた。その後、若者が数人走って来たが、大多数の人ははるか後方の住宅街を歩いていた。さすが、プリンスエドワード島。




プリンス・エドワード島は灯台が70?だかあり、美しい写真に魅せられていた。灯台を巡るツアーもあるくらいだ。ホテル近くの港の灯台はいまいちだった。なにしろ建物にくっついているのだから。




そこで、ホテルから遊歩道を歩いて3.2km行き、終点のVictoria Park pool の傍の灯台を見た。白の中の赤が映える。なぜこうも美しいのか、さわやかな空気、あざやかな色彩感覚のためだろうか。日本のしっとりした風景とは異なるさわやかさ、明確さがここにはある。



こんな話をしていては、赤毛のアンのところまで、なかなかたどりつかないので、シャーロットタウンのレストランなどのお話はとばして、次回は赤毛のアンの家の予定。


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プリンス・エドワード島 (1)シャーロットタウンへ

2007年10月10日 | カナダ東部
ケベックからモントリオールで乗継、プリンス・エドワード島( Prince Edward Island、略称 PEI )のシャーロットタウンCharlottetownへ行った。いずれもエアカナダの飛行機はCRJ 100/200 Series の地方用ジェット機だったが、40-50人乗りと小さく、なによりもボンバルディアBombardier と書いてあるのが気になる。
私たち以外にアジア系はいなかった。



荷物は移動台みたいなもので運んでいるし、止まっているときは運転席が丸見えだ。




少し雲があるが、プリンス・エドワード島が見えて来た。




畑の中にポツンポツンとかわいい家が見える。島の土は鉄分を多く含むので赤い。この鉄分がジャガイモの生育に良く、ジャガイモは名産品だ。確か、赤毛のアンのマシューはジャガイモを栽培していたのでは。
ジャガイモは連作を嫌うので2年間はジャガイモを作らず、麦などを植えるので、畑がパッチワークのように違う色でつぎはぎになっていて、赤い土とともに美しさを増している。



プリンス・エドワード島はモントリオール、ケベックなどと時差が1時間あり、飛行機の中で時計を合わせる。私の時計は世界の主な地域に自動的に対応する最新の電波時計なのだが、電波を自動受信する時刻、場所が限られているので、結局いつも飛行機の中で自分で時差表を確かめ、複雑な手動操作をして現地の時差に合わせることになる。この電波時計は失敗だった。竜頭を回す方が圧倒的に簡単で便利だ。

シャーロットタウン空港は搭乗口も到着ゲートの一つの小さな地方空港だ。旅行社の車で南に約8km走りシャーロットタウンのダウンタウンに着く。



ショップやレストランがある主な道路は、Queen St. だが、道路の広さにくらべ店はポツポツとあるだけだ。赤毛のアンがごくたまに町に出てきて、興奮したのがこのシャーロットタウンのQueen St. なのだろうか。Grafton St. との角にはコンフェデレーション・センター・モールがあり、80くらいのテナントが入っているという。



下の写真はホテル前のQueen St.と直交し港近くを走る Water St. だ。


高い建物は港近くの宿泊した Delta Prine Edward ホテルと、教会くらいだ。ホテルから北西を見た写真が以下で、ダウンタウンといっても規制があり落ち着いて静かな町だ。地元の人が買い物をするモール、スーパーや、店は少し離れたところに別にまとまって設けられている。




以下、プリンス・エドワード島( Prince Edward Island、略称 PEI )の一般情報を簡単に書き出してみる。

・ カナダの東海岸にあるセントローレンス河に浮かぶ島で、カナダの州のうちでもっとも小さい州。プリンス・エドワード・アイランド州の州都はシャーロットタウン。
・ カナダ本土とは全長13kmのコンフェデレーション橋で結ばれている。
・ 北米の地図で見ると、ごく小さな島に見えるが、面積は愛媛県ぐらいの広さなので、自転車で回るのはきつい。シャーロットタウンからアンの家のあるキャベンディシュまででも50km近くある。
・ 飛行機は、トロント、ハリファックス、モントリオールからシャーロットタウン空港に飛ぶ。日本からはバンクーバー、トロント経由が一般的。季節のよって便数が異なる。
・ 1864年9月に「シャーロットタウン会議」が開催され、1867年のカナダ連邦制発足と独立への会議が行われた。しかしPEIはこのときは連邦に加盟せず、1873年になってから連邦政府に加盟した。したがって、PEIはカナダ連邦発祥の地。
・ 主な産業は、ジャガイモ、ロブスター漁、牧畜(牛)、観光(赤毛のアン)
・ 人口と同じ13万頭の牛がいるので、アイスクリーム屋の「Cow’s」も有名
・ 消費税 州税(PST):10%、国税(GST):6%、合計16%。洋服、靴、食品(国税はなしの食品もある)には州税がかからない
・ タクシー:メーターはなく、あらかじめ料金が決まっているので運転手に確認する
・ お店は、17時、18時までで閉まることが普通。木・金は21時まで営業している場合が多い。5月から12月までの日曜は午後だけ営業も店もある。
・ 一度、郊外に出ると、店が少ないので、電池、水などの持参が必要



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世界遺産の都市ケベック (4)

2007年10月09日 | カナダ東部

カナダ東部にあり世界文化遺産に登録されているケベックの今回が4報目で、ようやくケベック・シリーズの最終回となった。

ケベックの誕生の地、旧市街のロウワー・タウンは最初のフランス人がセントローレンス河から上陸して川べりの狭い土地の築いたもっとも古い街。この後、崖上のアッパー・タウンに拡大していくことになる。

ロウワー・タウンの中心にあるロワイヤル広場 place Royale は1608年にシャンプランがはじめて植民地住居を建てたケベック発祥の場所だ。中央の銅像はフランスの太陽王ルイ14世だ。



この一角に勝利のノートルダム教会 Eglise Notre-Dame-des-Victoria がある。北米最古の石造りの教会だそうだ。連戦連敗のフランス軍がなぜ「勝利」か分からなかったが、イギリス軍からかろうじて逃げ切った戦いを「勝利」としたらしい。



天井からはフランス軍が乗ってきた木造船のレプリカがつるされ、祭壇は城を模し、左右に武器を持った兵士がいるというユニークな教会だ。



モンターニュ通りを登りかけたところに大きな壁画がある。建物も窓の人物も絵で、ケベックの四季と、歴史上の人物が描かれていて、傍に立って撮る写真撮影の定番の場所。



アッパー・タウンと結ぶ道の一つに首折り階段がある。ここを降りた狭い小道がプチ・シャンプラン地区 Quartier du Petit Champlain で、北米で最も古い繁華街だそうだ。カフェやみやげ物やが多く並んでいる。




通りの途中からアッパー・タウンに登るケーブル・カーであるフニキュレール Funiculaire の乗り場が見える。45度の傾斜を登り、窓からの眺めが良いらしい。



ケベック市から北へ10kmのモンモランシー Montmorency の滝に行った。落差83mはナイアガラの滝より高い。滝の上へはケーブルカーで行くことができ、滝をまたぐ橋がある。この写真はパンフレットからいただいた。



ケーブルカーを登ると、中がちょっとした博物館になっている屋敷がある。遊歩道を行くと、滝の真上を越える橋がある。



まじかでみる滝は迫力圧倒的だ。




橋の上や、途中の展望台から見るセントローレンス河やオルレアン島への橋の眺めは気分爽快。めったに通らないという列車がたまたま見えたので撮影した。




長々引っ張ってきたが、次回からプリンスエドワード島の話になる。

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世界遺産の都市ケベック (3)

2007年10月08日 | カナダ東部

カナダ東部にあり、世界文化遺産に登録されているケベックの3報目で、新市街にあるケベック州議事堂と、旧市街の城壁で囲まれたアッパー・タウンめぐりのご報告。

1886年に建造されたケベック州議事堂 Hotel du Parlement はフランス・ルネッサンス様式の建物で、旧市街の小高い丘に建っていて、パーラメント・ヒル Parliament Hill とも呼ばれる。



正面の塔の下2段には先住民の像があり、その上には1759年のケベック最後の決戦でともに戦死したイギリス軍のウルフWolfe将軍が左側に、フランス軍のモンカームMontcalm将軍が左側にならんでいる。

        

ヨーロッパ出身者として始めてカナダ本土に到達し、セントローレンス河口やプリンス・エドワード島を発見した冒険家のジャック・カルティエ Jacques Cartier の像があり、その上にはフランスの植民地としてケベックの基礎を築いたサミュエル・ド・シャンプランSamuel de Chanplain の像がある。

        

グランダレ Grande-Allee 通りを東に歩いていくと、旧市街のアッパー・タウンを囲む城壁が見えてくる。通りはサン・ルイ Porte St-Louis 門をくぐりアッパー・タウンに入り、通りの名前も Rue St-Louisに変わる。

        

アッパー・タウンで目立つのは、何と言ってもセントローレンス河を見下ろすフェアモント・ル・シャトー・フロントナック Fairmont Le Chateau Frontenac だ。カナダ大陸横断開通に伴いカナダ太平洋鉄道(CP鉄道)が1893年に建設したものだ。CP鉄道はカナダ主要地に一流ホテルを建設運営していたが、関連会社により米国のフェアモント・ホテルを買収し、フェアモントのブランドで各地に気品ある古城のような外観の一流ホテルを運営している。



敷地内の工事現場の写真が以下で、各年代の地層から建物の遺跡が出土していた。



ケベックの基礎を築いたシャンプラン Chanplain の像が工事中で台座から下ろされ、囚われの身のように縛られて金網に入れられていた。



アッパー・タウンの真ん中とも言える場所に、英国教会の建物があった。敬虔なカソリックが多いケベックのフランス系住民の真ん中に英国教会を建ててしまうのは、イギリスの傲慢さか。



画家通りと呼ばれるトレゾール通り Rue du Tresor は、長さ数十mの路地だが、自作の絵を並べている。



シャンプランにより建設されたノートルダム大聖堂 Basilique-Cathedrale Notre-Dame-de-Quebec には豪華なステンドグラスや黄金の祭壇がある。主祭壇の上の金襴の天蓋は場所が狭くて柱では支えられず、 caryatid 女人像柱で支える独自の設計がなされている(とパンフレットにあった)。

        

次回はケベックの誕生の地、旧市街のロウワー・タウンのご紹介。長々引っ張ってきたが、次回でケベックは終了して、次々回からプリンスエドワード島に移動する。


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世界遺産の都市ケベック (2)

2007年10月07日 | カナダ東部

カナダ東部にあり、世界文化遺産に登録されているケベックについて2報目で、新市街のMarie-Gurart というビルの31階にあるObservatoire de la Capitale キャピタル展望台からの眺めのつづき。

展望台を一周してグランダレ Grande-Allee 通りを見ると、展望レストランのあるホテル ロウズ・ル・コンコルドLoews Le Concorde が見え、その向こう側の川沿いに、といっても崖上の高台だが、広がる戦場公園 Pare des Champas-de-Bataille が見える。公園から見下ろすセントローレンス河と対岸の眺めは雄大だ。

                

アブラハム平原とも呼ばれるこの公園は1759年、フランス軍がイギリス軍に最後の決戦で大敗し、ケベックを失った場所だ。イギリス軍のウルフWolfe将軍は3ヶ月間包囲しセントローレンス河の対岸から徹底した砲撃を加えた。しかし、フランス軍のモンテカームMontcalm将軍とともにウルフWolfe将軍も戦死するという激しい戦いだったが、戦いそのものは10分で終わったという。フランス軍は川幅の狭くなっていて、切り立った崖のこの地を絶好の陣地と考えていた。以下の写真(昨日掲載と同じ)の急な崖をまさかイギリス軍が登ってくるとは思わず、十分な警戒を怠っていて不意を襲われた。急な崖を駆け下りて平家を打ち破った一の谷の戦いの逆方向だ。



この戦いでケベックはイギリスの支配下に入る。こののち1950年代まで200年間、住民の95%を占めるフランス系はイギリス系より地位も収入も低く、経営者は英語を話し、労働者はフランス語を話す時代が続いたというから恐ろしい。ケベック州の独立運動、過激派のテロを経て現在は一応の安定をみているようだ。

この公園にはジャンヌダルクの銅像があり、10月31日のハロウィーンを控えカボチャが方々に飾られ、街灯までカボチャになっていた。

        

恐ろしげなお祭りらしく、傍らには囚われの像や、拷問の人形が転がっていた。

        

また、オーストラリアでも見かけた犬の例のものを処理する袋入れもあった。



この戦場公園には地元の高校生が彼女をそこに連れ込めたらOKとなる(何が?)と言われる場所があり、男子はなんとか手練手管で彼女をそこに連れて行こうとすると聞いた。

ケベックはフランス系なので他のカナダの街よりおしゃれだそうで、なかでも、グランダレ Grande-Allee 通りの数本北側のサンジャンRue St-Jean通りには変わった面白い店が多いと聞いて歩いてみたが、びっくりするほどの店があるわけではない。途中、大砲の弾を抱き込んだ木があったが、ヤラセかな?

        

最後の写真は、古い教会の建物の外観を生かしてホテルを建てようとしているのだが、何か市のルールの関係で長年たなざらしになっている建物だ。いずれにしても、古い建物の外観だけでも生かそうという試みは多い。




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