hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

川口マーン惠美『メルケル 仮面の裏側』を読む

2022年01月30日 | 読書2

 

川口マーン惠美著『メルケル 仮面の裏側 ドイツは日本の反面教師である』(PHP新書1254、2021年3月30日PHP研究所発行)を読んだ。

メルケルは好ましいと思う私は、ちょうちん持ちの本より、あえてメルケルに否定的な本書を読んでみようと思った。

 

表紙裏にはこうある。

ドイツ国民の多くは、「世界で一番影響力のある女性」アンゲラ・メルケル首相を誇りに思っている。民主主義・人権・環境――彼女は魔法のように、ドイツ人の思考を変えてしまった。しかし、その副作用としてドイツは自由を失いつつある。かつてのライバルCDUとSPDは連立が長期化し過ぎて呉越同舟、野党・緑の党は信条的にメルケルと一番フィーリングが合うという不思議。唯一のコアな野党AfDには極右のレッテルが貼られ、叩くか無視する以外は許されない。ドイツ社会は、異なった意見を受け入れないという危険な水域に入ろうとしている。だが、多くの国民はそれに気づかない。いったい何が起こったのか? 美名の裏に隠れた全体主義化への警鐘。

 

メルケルは東ドイツの科学アカデミー勤務の科学者で、35歳までは政治とは全く無関係だった。父は「赤い牧師」と呼ばれ、穏健な政治活動をする牧師だったが、彼女はそのような場に同席してもまったく自分の意見は述べなかった。ただ極めて優秀だった。

 

1989年11月の東西の壁崩壊後、東ドイツは人間の顔をした社会主義で独立か、社会主義を捨てて東西ドイツ統一かが大きな問題だった。

選挙の結果、東の民衆は社会主義を捨てて豊かなコール首相(CDU)の西ドイツを求めた。政治活動を始めたメルケルはこの波に運よく乗り、東出身の女性であることから西ドイツのコール首相に気に入られて頭角をあらわす。

 

ソ連は東ドイツを中立にしておきたかった。コール首相は東ドイツに55万近いソ連軍が駐留しているので、東西統一の際にはソ連の意向を無視できなかった。ソ連軍撤退の費用という名目で驚くほど多額の費用を払い、東西ドイツは統合した。

 

コールが不正献金で失脚し、運よく政敵も次々と消えて、メルケルは首相になる。政敵の掲げた政策を巧みに丸のみにして成果をあげた。メルケル嫌いな著者は、運だけでなくメルケルの策謀を匂わせる。

 

メルケル首相は、福島の事故を受けて、突然原発廃止を言い出し、怒濤のように押し寄せる難民を前に「我々はやれる!」と受け入れを宣言。

 

著者は、圧倒的人気のメルケルの治世16年の間にドイツは、社会主義化、中国との抜き差しならない関係、活発な討論ができないソフトな全体主義化したと結論付けている。

 

 

私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読むの?  最大は五つ星)

 

ベルリンの壁崩壊前後の諸政党の誕生、成長、消滅は詳しく記述していて、その中でメルケルがどのように登っていったかは詳しい。

しかし、メルケル肯定派の私から見ると、著者は強引なこじつけでメルケルを否定している点が多いと感じる。

 

また、著者はかなりな保守派で私はとてもついていけない。ドイツの中国接近を非難し、「ドイツ人が、米中どちらにシンパシーを感じるかといえば、本心は中国ではなかろうか」(p212)と述べ、米国トランプ大統領のパリ協定離脱を当然と肯定している(p213)、等々。

この立場から、原発廃止、移民受入れなどメルケルの理想主義をあざ笑っている。(メルケルの理想のEUが実現して、その中心にドイツがいても、そのときには基幹産業は国営化し、同盟国は米国ではなく、中国に変わっているかもしれない(エピローグ)。

 

メルケル中心の全体主義的傾向があるとしても、メルケルが退場したらその心配は解消するのでは?

 

 

川口マーン惠美
作家、ドイツ・ライプツィヒ在住。日本大学芸術学部卒業後、渡独。1985年、シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。

2016年、『ドイツの脱原発がよくわかる本』で第36回エネルギーフォーラム賞・普及啓発賞受

2018年に『復興の日本人論 誰も書かなかった福島』が第38回の同賞特別賞を受賞。

他の著書に『ヨーロッパから民主主義が消える』(PHP新書)、『世界「新」経済戦争』(KADOKAWA)など。

 

 

以下、メモ。

メルケルの父親は社会主義者で「赤い牧師」と呼ばれた。

メルケルは、15歳でロシア語コンクールに優勝した。

ライプツィヒ大学で物理学を学び、ベルリンの科学アカデミーに勤務した。35歳まで政治とは関わらなかった。

メルケルというのは最初の夫の姓。

1989年11月9日ベルリンの壁が落ちた。

 

メルケルはDAに参加。後にDAは社会主義との決別、東西統一を掲げて選挙戦に突入した。メルケルはDAの報道官になった。

選挙結果はCDU(西の保守党CDUの片割れ)が40%以上、SPDは22%、PDSは16%、DAは1%以下と惨敗。

DA: 「民主主義の勃興」、民主的な社会主義国家を目指す弱小政党

CDU:西のコール首相の保守党CDUにより設立

SPD:ドイツ社会民主党

PDS:壁崩壊前の独裁党SED、

 

DAは東のCDUに吸収され、メルケルは副報道官になった。彼女の記者への報告会が完璧で頭角をあらわした。

 

コール首相は東出身の女性で、邪気のなさそうな風貌の牧師の家庭出身のメルケルを次期政権の女性・青年大臣に指名した。党幹部が次々と失脚し、CDUの副党首になった。

 

CDUは選挙で野にくだり、2000年にコールは不正献金問題で失脚し、メルケルが党首になった。

 

1970年代のSPD政権下で社会保障が肥大化していた。改革が必要なのは労働市場と社会保障制度だったが、確実に票を失うテーマに政治家は手をつけなかった。SPD党首のシュレーダーはここに手を付け、税制改革、年金制度改革に踏み切り、さらに党内の軋轢を無視し、「アゲンダ2010」で労働市場、社会保障改革に手を付けて、総選挙に打って出た。結果、SPD は全く伸びず、CDU35%、SPD34%で、大連立しか解はなくなった。

 

著者によれば、

彼女の一番重要な関心は権力の掌握だった。つまり、いかにしてSPDを大連立に引き込むかということである。つまり、構造改革は二の次だった。あるいは、最初からそんなものには興味がなかったのかもしれない。しかし、メルケルはそれを匂わせることすらしなかった。(p158)

 

SPDに主要8省を与えて、2005年11月メルケルは首相になった。

 

CDUと連立を組む党が、あたかもメルケルに精力を吸い取られるかのように、次々とおちぶれていった。

SPDは優遇されたのに選挙で大敗し、第二次政権で与党入りしたリベラルのFDPも4年後の選挙で議席をすべて失った。一方ドイツはEUの盟主となりメルケルの国際的地位は急上昇した。

 

脱原発に否定的な立場だったCDUの党首メルケルは、福島の原発事故をチャンスにして、国民に不人気な原発の廃止に突然変節しCDUの幹部を驚かした。著者は保守に見切りをつけたポピュリズムと決めつける。

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1月早朝の井の頭公園

2022年01月28日 | 散歩

 

1月14日(金)朝9時、今なら人も多くないだろうと、井の頭公園まで散歩の足をのばす。

 

ひょうたん橋近くの井の頭池の東端、橋でも作るのだろうか、水中に鉄骨が。

 

朝日が水面に反射してまぶしい。

 

柵の陰が幾何学模様。風が無く、それほど寒くなく、爽やかな朝。

 

手前に水仙を置き、ソメイヨシノの平均寿命を超えて70歳にはなっているだろう老木は先端から枝をはやしている。

 

早朝から多くの水鳥が元気に泳ぎ回る。

 

水中にもぐって朝食中。

 

こちらの鳥はまだネボタン。

 

背中にジャラジャラぶら下げた中学生? 修学旅行? どこで流行ってるの?

 

いつも散歩中の犬がいっぱいのスタバのテラス席、今日は1匹だけ。まだ10時だから?

 

珍しく空いているので一休み。ドリップ・コーヒーとチャイティー・ラテ。

 

 

拍子抜けするほど空いている七井橋通り、金曜日朝10時。

 

混み合う場所での散歩は早朝に限る。

 

 

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1月(2)の花

2022年01月26日 | リタイヤ生活

1月17日に届いた花

 

白、黄色、ピンク、オレンジ、赤のガーベラが2本づつと、チューリップが3本、ナノハナとカスミソウが1本づつ。

 

2日後、チューリップは1本は蕾のままでが、2本が開き切って限界。

 

ガーベラの花の形は拡大すると色ごとに微妙に異なる。

ピンク

 

チューリップの花の中を覗き込むと、何か不気味。

開き切って散る寸前のピンクの花は、単純な中をさらけ出している。

 

拡大写真でも撮らないとじっと見ることないナノハナとカスミソウ。

 

4日後には早くも老年期。 思わず応援してしまう。

 

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1月の散歩

2022年01月24日 | 散歩

 

西荻窪駅南口から、西荻南口中通街へ歩き出す。といっても解る人はほぼいないだろう、ピンクの象がぶら下がる南への抜け道だ。神明通りに出て、評判が良い蕎麦屋さんの「そば処鞍馬」でランチをと寄ってみる。コロナで人数制限をしていて、満員で入れない。

 

神明通りを北西に数メートル戻り、いかにもクラシックな名前のカフェ「西荻窪珈琲店」に入る。

店内はきちんと整頓されていて清潔な感じだが、店主らしきおじいさんが一歩一歩ゆっくりあるいている。私より10歳は年上ではないだろうか。もう一人も、80歳目前の私と同い年くらいとみた間違いなくおじいさん。すべてがゆったりと進む。

他に2組のお客がいて、タバコをプカプカ。

二人で顔を見合わせて「どうする?」となったが、ついそのまま居座ってしまった。この店はタバコを吸いに来る人が入る店なのだろう。

 

結局、私はトーストとブレンドコーヒー、相方はホットドックにミルクティー。

 

懐かしい味で、文句はないのだが、タバコの煙に悩まされる。もう入りたくない。

 

 

 

道にはどこも雪は跡かたもなくなっているのに、道路わきに残っている雪。これが「除雪の勲章」なのだ。なぜなら雪が積もるとまっさきに除雪して、道路わきに雪をたっぷり積み上げ、他のところの雪が解けてもまだ残っている跡なのだから。

 

まだまだたっぷり残っているピラカンサ。一体いつまで?

 

大きなサザンカ

 

 

「オキザリス」の鉢植えが道路脇に置き去りに??

 

 

蛇足で自作のジョーク

 

あいづち
妻 いろいろしゃべった後で、「ねえ、黙って聞いてないで、ウンとか、スンとか言ってよ」
夫 「スン」
このたぐいの冗談はなかなか女性には通じません。気をつけましょう。

 

寿命

妻 「冷蔵庫をそろそろ取り換えないと、今のはあまり電力使わないらしいわよ」

夫 「ほかにもそろそろ取り換えないといけないのがあるんじゃないのか? 一番古いのはなんだ?」

妻 「一番古いのはもうすぐ80年になるんじゃない」

夫 「……」

 

 

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杉並区役所から吉祥寺へ

2022年01月22日 | 日記

 

所要があって阿佐ヶ谷駅へ行き、杉並区区役所へ歩く。

阿佐ヶ谷駅南口を降りて、横断歩道を渡りながら、「ふむ、何か気になるものがあったな」と振り返る。

 

写真中央を拡大すると、最近珍しい托鉢僧が。

 

前回にぎやかで驚いた「すずらん通り」を通るが、まだ9時過ぎなので多くの店は開いていない。

青梅街道に出て、回り込んで杉並区役所へ。正面南側にある男女の像。

 

庁舎1階には中学生の書初めの展覧会。なかなか力強い見事な墨蹟。

 

朝10時前とあって区役所はガラガラで手早く用を済ませて、阿佐ヶ谷駅へ戻る。

駅のスターバックスで一休み。このスタバは朝早いからか、空いていて、席が簡単に確保できた。

私が「カフェミスト」で相方は「チャイティー・ラテ」。

 

JRで吉祥寺へ出て、図書館の本を返却し、丸井吉祥寺3F、Simple & Naturalの生活用品の店「ケユカ KEYUCA」で買物。

食事をしてから帰るかと、キョロキョロすると、井の頭通りの向かい側、目の前の「三田製麺所」の看板が目に入った。

 

看板を見ると、セレブ(??)の入る店ではないと思ったが……。

 

私は濃厚豚骨魚介つけ麺の「とりからつけ麺」に味付玉子野菜をトッピング。

「どうだ、参ったか」という濃厚な味。この後、喉が渇いて困った。

 

相方は玉子野菜つけ麺

こちらは、あっさり味でぴんぼけ。

 

年寄の入る店ではなかった。

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今村夏子『星の子』を読む

2022年01月20日 | 読書2

 

今村夏子著『星の子』(朝日文庫、い93-1、2019年12月30日朝日新聞出版発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

林ちひろは中学3年生。出生直後から病弱だったちひろを救いたい一心で、両親は「あやしい宗教」にのめり込んでいき、その信仰は少しずつ家族のかたちを歪めていく……。野間文芸新人賞を受賞し、本屋大賞にもノミネートされた著者の代表作。
《巻末対談・小川洋子》

 

単行本発売直後に芥川賞候補作に選ばれて、人気を呼んだ。
今村さんの発表された単行本は『こちらあみ子』(三島由紀夫賞受賞)、『あひる』(芥川賞候補、河合隼雄物語賞受賞)の2作だけという寡作ながら、ファンを増やし続けている今村さんの最新作にして最長編作です。

 

 

語り手は中学3年の林ちひろ。未熟児で生まれ、生後半年目に湿疹に苦しみ、医者にかかっても原因不明で、耐えきれなかった両親は、父親の同僚・落合さんがくれた聖水・金星のめぐみで症状が治まり、2カ月で全快した。

これをきっかけに、両親は落合さんが入っている新興宗教にはずっぽりはまる。両親はタオルを頭にのせて聖水をひたして暮らすようになる。雄三叔父さんが忠言し、ひそかに聖水を入れ替えても、両親は聞き耳持たない。家はますます貧しくなり、やがて5歳年上の姉・まーちゃんは家出して音信不通となる。

学校の友だちや、教団の内部からも、あやしいという話がもれてきて、ちひろもそうかもしれないと思うようになる。しかし、ちひろは、相変わらず両親の愛情を信じきっていて、外は外、内は内と常に淡々と過ごし、冷静に語る。

教団の施設から夜、両親と3人で散歩に出て、夜空の流れ星を探すシーンで終る。

 

本書は2017年6月朝日新聞出版より刊行。巻末の対談の初出は「群像」2018年2月号の野間文芸新人賞受賞記念対談。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)

 

主人公・ちはるは両親からたっぷり愛されていて、家庭では十分幸せと感じている。しかし、姉は出て行ったままで、父親も仕事を辞めてしまい貧困で、両親とも非合理な宗教に入れ込んでいる家庭は、外から見る限りどうみてもほぼ崩壊家庭だ。
また、友達の話や、教団内部からもれてくる話から、教団には疑惑があることはちひろも感じているが、両親が信じ切っているし、今のところ、ちひろ自身も周りとのギャップは感じていても、教団自体を否定しようとはしていない。

 

しかしいずれ、ちひろが外の世界により多く接するようになると、教団や、さらに両親から離れていくのではという雰囲気は感じる。そうなった時に、おとなしく、神経質なちひろは一人で生きていけるのだろうかと心配になるが、多分マイペースで、地味ながらしっかりと暮らしていくのだろう。そんな希望と持ち、予感がする。

 

 

今村夏子の略歴と既読本リスト

 

 

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私の戦争体験から思うこと

2022年01月18日 | 政治

 

その人の思うことは、育った時代に大きく影響されます。2歳で太平洋戦争終戦(敗戦)を迎え、経済的に破綻し、世界からも疎外された敗戦国日本で育った私は、戦争はなんとしてでも避けるべきものと身体に沁みついています。(私の戦争体験)

 

 

自国に誇りを持つというのは自然な感情ですが、私は強制される愛国心は施政者の意図でゆがんでいると思った方が良いと信じています。
国家というものは、必要悪だと思う私は、政治的にも、経済的にも、福祉以外には、小さな政府を理想と考えます。したがって、愛国心とは、日本の国土、風土、文化を誇りに思い、愛おしいと思うことであり、国家そのものを愛することとは次元が異なると思うのです。まして、他国を下に見て、自国を誇ることではないのです。

 

私は、今や自虐的とも言われてしまう戦後民主主義教育で育ったので絶対平和主義です。極端なこと言えば、多少の領土など割譲しても戦争は避けた方が良いと思っています。いや、そんなことになる前に多少のわだかまりを捨てて、周辺国との積極的平和外交に徹してもらいたいのです。圧倒的戦力を誇るアメリカの場合でも、戦争は勝っても負けても悲惨なことになっているのですから。

 

日本の戦力も、1950年警察予備隊に始まり、保安隊、自衛隊と拡充され、最近では、ペルシャ湾、イラクへ自衛隊が派遣されました。今や、憲法九条のもとでも米軍支援のために集団的自衛権を行使できるとの話や、自衛の名のもとに敵基地攻撃を可能にしようとの話も出ています。どこで歯止めがかかるのか不安です。

 

戦前の日本も本当は悪くなかったんだなどと言い訳しながら、中国、韓国からの不信感にも、なんら積極的な手を打つことなくそのまま子供や孫への負の資産として持越しそうです。

 

もはや、憲法九条を変更した方が良いと考える人が約半数もいて、私としては信じられない現状に暗澹たる思いです。日本の未来は、たとえ経済的に徐々に下り坂であっても、息子や孫には、戦争の悲惨さを味あわせたくないと根性なしの私は思ってしまうのです。

 

そのためには、庶民にとっての戦争の本当に姿を若い人、中年の人に広く知ってもらう必要があります。また、どのようにして戦争一色の体制になだれ込んでいったのかをしっかり認識してもらう必要があります。
ただし、必死に訴えて、ヒステリックに叫んでしまうと、頭から受け取ってもらえないので、普通の感性、身近な話題として話しかけた方が良いのだろうと思います。

残念ながら私自身は戦争へなだれ込んで行く過程も、現実の戦争の悲惨さも、直接経験していないので、戦後から見た戦争の爪痕について、先日のブログで記録してみたのです。

 

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私の戦争体験

2022年01月17日 | 昔の話2

      

終戦時、2歳だった私に直接の戦争体験はありません。しかし、物心ついた後も、親や親戚、あるいは近所のおじさんなどから、屋根に落ちた焼夷弾を引っ張り下ろした空襲の話や、陰湿ないじめを受けた軍隊の話(*1)を聞かされました。
また、身の回りにはまだ戦争の傷跡がくすぶっていて、我家の庭には防空壕の埋め跡があり、都心の駅には戦災孤児(*2)がたむろし、街では進駐軍の軍人(*3)、電車には傷痍軍人(*4)がいました。ラジオでは引き揚げ船(*5)情報、尋ね人の放送(*6)がありました。

 

私の家は借家だったのですが、立派な門と玄関があり、乞食や押し売り(*7)などがたびたび押しかけてきました。そしてなにより、空腹(*8)が敗戦を常に実感させていました。

 

以下、年寄が昔を懐かしんでいるだけの話ですが、戦中戦後の労苦を知らない人や、遠い想い出になった人は、是非一度以下の施設を訪ねてください。

  • 兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の労苦についての展示がある(新宿住友ビル33階の「平和祈念展示資料館
  • 戦没者遺族、戦中・戦後(昭和10年~30年頃)の国民生活上の労苦についての展示がある九段下の「昭和館

いずれも国の施設で、実物資料、映像などでわかりやすく展示しています。

 

 

*1:日本軍の陰湿ないじめ

近所に工業高校を出て大企業の技術者として働く30代のAさんがいました。Aさんは徴集されて陸軍に入ったのですが、そこでは古年兵により初年兵への執拗な私的制裁(陰惨ないじめ)が行われていました。

例えば、初年兵は起床ラッパが鳴ると、毛布をきちんとたたんで整列し、毎朝古年兵の検閲を受けることになっていました。その時に毛布がきちんとたたんでないと、毛布をグチャグチャにされて、往復ピンタを受けてしまうのです。毎回、きちんと毛布をたためずに、ピンタを受ける男性がいました。Aさん曰く、「あんなもの、端だけ揃えてたたんで置けばいいのに、大学出ててもまったくどうしようもないよ」と笑っていました。
要領の悪い人は、悲惨な目にあっていて、一度にらまれると毎回古年兵のうっぷんはらしの的になっていたのです。

私の叔父さんは、大学出て、どうせ徴集されるのだからと、志願して入隊しました。叔父さんの場合は、すぐに将校になることが決まっていたので、二等兵のときもいじめられることはなかったと言っていました。

 

*2:戦災孤児

戦闘や戦災(爆撃による火事)で親を失った子供(戦災孤児)も多く、浮浪児(子供のホームレス、ストリート・チルドレン)と呼ばれた。私も上野の駅の近くの地下道の暗がりで、じっと私の目を見据えた、ギラギラした目の浮浪児を見たような記憶があります。あの子たちは今?

 

*3:進駐軍

敗戦国日本に進駐した連合国軍の俗称。実質的にはアメリカ軍で、占領軍なのだが、進駐軍と呼ばれた。

 

私が3、4歳だろうか、母に手をひかれて銀座を歩いているとき、進駐軍の兵隊さんが、「Oh!Baby! 」とか言いながら、突然私を抱き上げ、高い高いをしたという。母は、ただオロオロ、オロオロ。

 

私は子供の頃、しょっちゅう明治神宮内苑の金網にしがみついて、よだれを垂らしてワシントンハイツ(現在代々木公園)を覗いていました。芝生が広大に広がる中にポツンポツンと米軍の将校の瀟洒な宿舎が建ち並び、異次元のアメリカがそこにあったのです。
また、明治神宮の宝物殿前の芝生には、人前を気にせずに、日本人女性の上に重なりじっと動かない米兵が居て、その何かあまりにもあからさまな奇妙な光景をいまだ思い出します。

 

*4:傷痍軍人

戦闘などで大きな傷を負った軍人など。手足などを失った元軍人は仕事に就けず、国立療養所などで過ごし、ときに都会の人通りが多い所や、祭りなどに出てきて、通行人から金銭を貰ったのです。
私が覚えているのは、手や足が無い姿で、白い服を着て、首から前に寄付金を入れる箱をぶら下げて、駅前に立っていたり、電車内を移動しながら、寄付を募っていた姿です。

 

私のいる車両に入ってくると、まず一礼をして、大きな声であいさつします。大人は黙って目を背けています。私は、子供心にもなにか重苦しいものを感じて、「あの人何?」と聞くのもはばかられました。
街角にも、手や足のない人が自らの傷をさらし、白衣を着て、アコーディオンを奏でながら、募金箱の前で頭を下げる姿をよく目にしました。私も、痛ましいと思う一方でなんとなくわざとらしくも感じたものです。

戦死軍人とともに年金が交付される「戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)」が1952年、講和条約発効の2日後に成立し、やがて傷痍軍人は街から消えていきました。ただし、在日朝鮮人などの傷痍軍人にはまだ戦後の補償がされていないそうです。

 

*5引き揚げ船

引き揚げというのは、戦争中に外地(満州、台湾、朝鮮、南洋諸島など)に取り残された軍人、一般人を日本に帰還させること。軍人が約350万人、一般人が300万人いたが、4年間で99%が帰国したとウィキペディアにありました。

舞鶴港は引き揚げ者の約1割の約66万人が上陸しました。新聞の一面に、たくさんの帰国者が港についた船から身を乗り出している写真があったのを覚えています。
「母は来ました今日も来た この岸壁に今日も来た」ではじまる二葉百合子の歌「岸壁の母」は、引き揚げてくる息子を舞鶴港で延々と待つ母を歌った歌なのです。

しかし、満州、朝鮮などからの帰還途上では飢え、幼い子どもとの生き別れなど多くの困難がありました。また、無事日本へ帰国できても、引き揚げ者は、1000円の現金とわずかな荷物しか持ってこれなかったので、海外にあった財産のほとんどを失い、0からの再出発となったのです。「引揚者」という差別もあったと聞きました。

 

*6:尋ね人の放送

戦災で家を焼かれ、家族がばらばらになった人、外地から帰還し、焼け野原で家族を探す人などが多くいました。
子供の頃、昼間の決まった時間だったと思いますが、ラジオで尋ね人情報を放送していました。「昭和○年ごろ、○○町にいた○○さん」とか、「○○中学○年卒業の○○さん」などと、次々延々と単なる尋ね人情報が読み上げられ、情報のある人はNHKへ連絡するという番組でした。私は、子供だったので、世の中とは家族も知り合いもいつの間にかバラバラになり、尋ね人の放送があるのが普通の状態だと思っていました。昭和21年から10年間も続いたのです。

 

*6:戦災孤児

空襲や戦死によって両親を失ったこともが戦災孤児です。国もまだ混乱していて、「浮浪児」という言葉でわかるように、なんら保護政策がとられなかったのです。生きるために路上生活し、靴磨きなど一人で働くか、徒党を組んで悪さをしていました。

 

*7:乞食や押し売り

人通りの多い道路の脇にボロボロの洋服を着て、座り、前に帽子やお椀などを置いて物乞いをする人をよく見かけました。当時は、個人の住宅を回って、お金をせびる人たちもいました。
現在は軽犯罪法で禁止されているためなのか、今はほとんど見かけません。

 

押し売りとは、突然玄関に上がり込み、ゴムひもなどを高い値段で売りつけることです。「刑務所から出て来たばかりだ」などと主婦を脅してわずかでも金を得ようとする男がかなりいました。

 

*8:空腹

私は終戦時2歳半。戦後直後のかすかな記憶の中で、一番強烈なのは、食べるものが無く、いつも腹をすかしていたことです。日本中が食料難でしたが、田舎を持たない東京人で、貧乏家庭であったから、より悲惨な状況でした。

ふかしたサツマイモや、おすましにうどん粉を落としたスイトンが主でした。普通のお米(白米)はなく、たまに細長いタイ米がグリーンピースの中に混じったり、たっぷり薄めたおかゆになって出てきました。おかずはおからが多かったと思います。魚も珍しく、肉などついぞお目にかかりませんでした。おから、おからと続き、口の中がパサパサしてくるので文句を言うと、「あら、おからは栄養があるのよ」などと言われました。今なら親がいかに苦労していたか、わかるのですが。そういえば、おからで廊下磨きもよくやらされました。

我が家でも現在、本当の厳しい食糧難の時代を知らない奥さんは、時時、人参など混ぜて体裁良く作ったおから料理を出してきます。美味しい、不味いではなくて、私は食べる気にならないのです。

鯨が唯一の蛋白源で、毒々しい赤色に染まった鯨のベーコンが美味しかった。鯨肉もときどき食べました。私の身体の芯は鯨で出来ていると思っています。資源管理は必要ですが、捕鯨は禁止すべきではありません。鯨を食べる日を作って、あの時代を思い出し、鯨に感謝と功徳を捧げたい。

 

米穀手帳というのをご存じですか?
戦後お米は極端に不足していました。1941、42年からお米が配給制になり、このとき各世帯に交付されたのが米穀台帳で、正式には米穀配給通帳といいます。廃止されたのはつい最近の(?)1981年です。
米穀通帳には、氏名、住所、家族構成などが書かれていて、これがないと米屋で米を買えないという大切なもので、今の健康保険証や自動車免許証のように身分証明書代わりだったのです。
この時代には、個人が直接農家の方からお米を買うことは、ヤミ米といって食糧管理法違反という犯罪だった。ヤミ米を食べることを拒否して餓死した検事さんが居ました。配給だけでは当然足りないのでヤミ米が出回り、農家から米を買って都会へ持込むかつぎ屋がいました。かなり年とったおばさんが百キロはあろうかという荷物を担ぎ、何人も電車に乗っていました。
ときどき警察の手入れがあり、電車から没収されたお米がずらりと積まれ、おばさん達が並んでいる光景を覚えています。それでもまた買い出しにでたのですから、たくましい時代でもありました。

 

 

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一穂ミチ『スモールワールド』を読む

2022年01月15日 | 読書2

一穂ミチ著『スモールワールド』(2021年4月20日講談社発行)を読んだ。

 

講談社による特設サイト(本編未収録の特別掌編「回転晩餐会」の全文と朗読を掲載しています)

 

第1話「ネオンテトラ」

夫との関係に鬱々としていた美和は、ある夜、一人の中学生男子と出会う。水槽の中で泳ぐペットの熱帯魚と孤独な少年を重ねながら、二人の逢瀬は続けられ……。

 

第2話「魔王の帰還」

鉄二の平和な高校生活はある朝くずされた。泣く子も黙る恐ろしい姉ちゃんが出戻ってきたのだ。傍若無人でめちゃくちゃな姉だが、その裏には悲しい理由がありそうで……。

 

第3話「ピクニック」

生後十ヵ月の女児が不慮の死を遂げた。幸せな家族に向けられる恐ろしい疑惑――赤ちゃんを殺したのは身内ではないのか。衝撃のラストが待ち受けるミステリー。

 

第4話「花うた」

兄を殺され、天涯孤独の身となった深雪は、一通の手紙を送ることに。宛先は、服役中の「兄を殺した加害者」本人だった。往復書簡がもたらす、罪と罰と赦しの物語。

 

第5話「愛を適量」

くたびれた中年教師の慎悟は、十数年ぶりに我が子と再会する。「しばらく置いてほしい」と言う子どもとの不思議な共同生活で、家族の時間を取り戻すことはできるのか。

 

第6話「式日」

高校時代から仲の良かった後輩の父親が亡くなった。急遽参列することになった葬儀への道中、後輩と自分との間に生まれてしまった、わだかまりの正体に気付いていく……。

 

 

第165回直木賞にノミネート

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき、 最大は五つ星)

 

どの話も読み始めるとすぐ、その世界へ引き込まれてしまう。そして、途中で「えっ、そうなの」と驚かされてしまう。

どれもしみじみとした、いい話なのだが、泣かせるところもあったり、未来を感じさせたり、あるいは絶望の先に慰めが見えたりする。

 

人のままならさ、を描いているが、乾いた記述に優しさがあって、救われる。いい小説を読めたことに感謝!

 

それにしても、作者の一穂サキさんって、しばらくBL(ボーイズラブ)小説を書いていたようだが、三浦しおんさんといい、BL小説って読んだことないのだが、良い小説を書くためのひとつのルートなのだろうか?

 

 

一穂ミチ(いちほ・みち)の略歴と既読本リスト

 

私のメモ

金魚すくいのコツ(p70)(さんざ褒めといて、抜き書きがなんで「金魚すくいのコツ」なんだよ!)

「濡れた部分と乾いている部分があるから破れやすくなるんです。こうして全部濡らしちゃえば意外と大丈夫。構えは水面に対して水平じゃなくて縦、魚を追いかけるんじゃなくて迎えに行って、器の中に誘導する感じで‥‥」

 

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伊坂幸太郎『火星に住むつもりかい?』を読む

2022年01月13日 | 読書2

 

伊坂幸太郎著『火星に住むつもりかい?』(光文社文庫 い58-1、2018年4月20日光文社発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

「安全地区」に指定された仙台を取り締まる「平和警察」。
その管理下、住人の監視と密告によって「危険人物」と認められた者は、衆人環視の中で刑に処されてしまう。
不条理渦巻く世界で窮地に陥った人々を救うのは、全身黒ずくめの「正義の味方」、ただ一人。
ディストピアに迸(ほとばしる)るユーモアとアイロニー。
伊坂ワールドの醍醐味が余すところなく詰め込まれたジャンルの枠を超越する傑作!

 

 

あとがきで、伊坂さんは「落ち込んだとき聴くデヴィッド・ボウイの名曲「LIFE ON MARS?」の和訳は本のタイトルのような意味だと思いこんでいたが、後から「火星に生物が?」という意味だと知った。」と書いている。

 

 

監視カメラと密告制度によって、なんらの危険性もない人達が平和警察の残虐な尋問を受け、証拠をでっち上げられて、ギロチンで処刑される。世の人は、「へえ、あの人も危険人物だったのか!」「まあ、犯罪率が下がってきたので良かったのだろう」と受け止める。

 

こんな社会において、仙台を舞台とする警察内組織間と外部の諸グループ、

(1)犯罪撲滅を目的とする警視庁の平和警察(薬師寺と、実は嗜虐趣味の加護・肥後)

(2)平和警察とつかず離れず独自捜査する警視庁特別捜査官の真壁鴻一郎と、協力する地元警察の二瓶刑事

(3)人権派の金子教授を囲む金子ゼミ(臼井彬、水野善一、田原彦一、蒲生義正)

(4)夜な夜な女性を襲う若者グループ(ラガーマン小暮)

(5)いじめる多田といじめられる佐藤誠人の高校生

(6)理容室の主人・久慈羊介と鷗外君などの客たち

そして、謎の黒ずくめの「正義の味方」が、どちらが敵か味方か、正義か悪か、入り乱れて争う。

 

果たして「正義の味方」は誰なのか?

真壁は、「正義の味方」が助ける人物の基準に注目した。平和警察には多くの人が捕まっているのに彼が助けたのは3人だけだった。彼らの共通点は何か?

 

 

2015年2月光文社刊

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで、最大は五つ星)

 

登場する人も、考え方も、行動も、すべてが単純すぎて、余裕からくるひねり・ユーモアがなく、面白味がない。

 

薬師寺警視長が創設した「平和警察」は、犯罪を少なくするためと称して、冤罪かどうかにお構いなく、見せしめのために証拠をでっち上げてでも逮捕者を処刑してしまう。魔女狩りの結果、犯罪率は下がり、市民の評価も結果良しとなる。このあたりの記述は、警察一強社会への批判としたらあまりにも平凡過ぎる。

一方、これに立ち向かう「正義の味方」も相手をよどみなく殺し、果たしてもはや正義かと思わせる。

 

拷問、公開処刑、殺人、暴力の描写が陰惨で、いつものユーモアあふれた伊坂作品とは違い、楽しくない。

 

登場人物が単純な人ばかりで、変な魅力のある人は、真壁鴻一郎ただ一人だ。この点も物足りない。

 

 

伊坂幸太郎の履歴&既読本リスト

 

 

 

以下、私のメモ

 

警視庁の薬師寺警視長は平和警察の創始者で、サディイストの加護エイジ、肥後ら部下を使って何が何でも有罪にしてしまう。

 

一方で、逮捕を妨げ、取調中の被疑者を助け出す全身黒ずくめの「正義の味方」が、平和警察に対抗するが、その正体がなかなかわからない。

 

人権派の金子教授を囲む金子ゼミに、関東から参加の臼井彬と、仙台在住の水野善一、田原彦一、体格の良い蒲生義正などが集まります。金子は、魔女狩りと言われる平和警察の卑劣なやり口を語る。水野、田原、蒲生の3人は平和警察の取り調べ施設に潜入し、盗聴器とカメラを設置しようとする。

 

高校生1年の佐藤誠人が乱暴者の多田国男にいじめられていたが、突然現れた黒ずくめの男に助けられる。

 

町内会役員の飲み会で岡嶋と蒲生が話している。蒲生が「ウソ発見器の悲劇」を語る。的中率99%でも10万人を調査すると、1千人の無実の人がでる。だから一般の人に怪しげな人、候補者を絞ってもらって、密告された人を「平和警察」が尋問していて、犯罪者はギロチンで公開処刑した方が効率的だ。

 

早川医院の院長が処刑され、暴言を吐いたつもりもない岡嶋も連れていかれて残忍な尋問を受ける。カメラが設置された理容室で理容師、社長、学生の鷗外君の床屋談義が行われる。

 

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バナナと三日月

2022年01月10日 | 日記

何故か、バナナと三日月ネタ。

 

スーパーで買い忘れたバナナを探しに店内を戻った相方が手ぶらで戻ってきた。房が多くて持ち上がらなかったという。「なんだよ! いくら多くたって持てないなんて」と取りに行って驚いた。

14房あり、片手では持ち上がらなかった。チンパンジーじゃない年寄の二人暮らしでは余ると思ったが、198円(14円/房)の安さにつられて購入。大きさは多少小ぶり。

3日経って、朝に昼に頑張ってもまだ半分残っていて、黒くなりかけている。どうなることやら。

 

 

1月5日の19時、北東の地平線近くに見えた三日月。

写真ではボケているが、本当は眉月と言われるくらい細く、鋭く光る月だったので、思わずスマホでパチリ。

強引だが、バナナに見えなくもない。

 

心ときめく美しい夜空がそのまま撮れるカメラと腕が欲しいと思う。

 

 

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伊岡瞬『仮面』を読む

2022年01月09日 | 読書2

 

伊岡瞬著『仮面』(2021年6月30日KADOKAWA発行)を読んだ。

 

KADOKAWAによる内容紹介

真の姿を隠しているのは誰か? 衝撃のノンストップ・クライムサスペンス!

読字障害というハンディキャップを抱えながらもアメリカ留学の後、作家・評論家としてTVで活躍する三条公彦。三条の秘書として雇われた菊井早紀はその謎多き私生活と過去が気になっていた。そんな折、パン店経営者の妻・宮崎璃名子の白骨遺体が発見される。行方不明となった新田文菜の捜査にあたる刑事の宮下と小野田は、文菜と璃名子の不審なつながりに気づく。人気評論家の三条は二つの事件に関わっているのか? 宮下たちは捜査を進めるが――。 ラストまで目が離せない、瞠目のクライムサスペンス!

 

各節での主人公を変えて27節。

 

 

宮崎璃名子(りなこ):パン屋経営。喫茶店経営の高岡と浮気中。夫は10歳年上の淳史。義母は永子。旧姓竹村。白骨死体で発見。

新田文菜(あやな):33歳の主婦。3年前、未祐(みゆう)を亡くし妊活中。夫は洋行(ひろゆき)。璃名子は友人。旧姓竹村。行方不明となる。

桑村朔美:三条の本を出版社に売込み人気に火を付けた。文菜に男を紹介する。46歳。

小松崎真由子:33歳。「週刊潮流」などに記事を売るフリージャーナリスト。スキャンダル写真を撮りにパーティに潜り込む。

 

三条公彦:作家。読字障害(ディスレクシア)をある意味売り物にしてTVで売出中。『ミッドイトJ』の曜日レギュラー。米カリフォルニア大学バークレー校卒。

久保川克典:三条のマネージャー役。

菊井早紀:字の読めない三条の通訳。ジャーナリスト志望。麗人秘書「レディK」として人気が出始めている。

堤彰久:TV報道番組『ミッドナイトJ』のチーフプロデューサー。

 

宮下真人:高円寺北警察署刑事。小野田と共に新田文菜の行方不明を調査。一橋大学出だがキャリアではない。伯父が名物警部だった。

小野田:女性刑事。宮下と相棒で指導的立場。ポーカーフェース。米田に贔屓されている。楽しみを排除してストイック。

橋口:係長。小野田と宮下の上司。小野田を憎み暴言を吐く。

米田正晴:刑事課長

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで、最大は五つ星)

 

 

被害者の女性たちと、独自捜査にこだわる男女の刑事、そして謎をはらむTVの人気者・三条のチームの絡み合うみつどもえが複雑で面白い。ただし、気分が悪いイヤミスなので三つ星。

 

浮気や売春、強引な取材などの行為に走った女たちが次々と襲われるが、互いの関係が不明だった。

捜査するのは上司から理不尽な叱責を受け続け、狷介な性格の女性刑事と、一流国立大卒なのにキャリアでない年下の刑事のコンビ。組織的捜査から逃れて独自に捜査を進める。

足を引っ張り合い、スポンサーにどこまでもおもねるTV業界。その中で、イケメン顔と読字障害を武器に急速に売り込んでメインキャスター目前まで来た男とマネージャーの秘密。

 

 

伊岡瞬の略歴と既読本リスト

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正月の花、その後

2022年01月08日 | リタイヤ生活

 

下の写真は、元旦にアップした正月の花

松2本、千両1本で4枝、シンビジュウム2本、ユリ1本で5輪、金色の枝2本。

 

 

1月5日の花。

 

ユリは、2輪が開花し、1輪が開きかけで、他2輪は蕾がほころびかけ。

 

1月7日には最初に咲いたユリが枯れ始めてカット。咲いていたユリも花粉が散るからと雌しべをカットされ、なんだがしまらない姿に。

 

開きかけのユリは雌しべこそあるが、なんだかひねて、いじけてる。迷ったのだが、蕾のうちに手でむいてあげればよかったのだろうか。

 

もう一つの蕾はきれいな形で安心だ。

 

1週間経って、満開だったシンビジュウムの大半は花びらの先端部が茶色になってカットされた。残ったのは少々。

 

地味なセンリョウはユリと違い相変わらず瑞々しい。

 

 

以上が正月の花の栄枯盛衰。  以後の終末期は私だけひっそりと見守らせていただきます。

 

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玄関のスズメ

2022年01月07日 | 個人的記録

 

後ろを向くのが嫌いな性分だった私も、最近は何かにつけて昔のことを思い出します。狭いマンションの玄関でふと立ち止まり、子供の頃に住んでいた家の玄関が想い浮かびました。六畳ほどの広さで、半分がつやつやした青っぽい小石を埋め込んだたたきになっていました。この玄関で小学生だった私はたった一日だけでしたがスズメを飼ったことがあるのです。

 

庭の地面に降りてきたスズメに部屋から石を投げ見事命中させてスズメを取ったのです。残念ながらそれは私ではなく同居していた年上の従兄なのですが、気絶していたスズメを私がもらい受けたのです。

 

毛布の切れ端を巣の代わりにして玄関のたたきの上に置き、スズメをそっと横に寝かせました。しばらくするとスズメは起き上がりヨチヨチと歩くようになりました。羽を痛めたのか飛ぶ気配はありませんでした。
一人っ子だった私はスズメを弟か子分のように思い、張り切って米を数粒スズメの前にまきました。物陰に隠れて見ていましたが、まったく食べようとしないのです。夜になっても食べる気配はありませんでした。
翌朝、スズメは毛布の上でごろりと横になって死んでいました。米はまったく食べなかったのです。

 

 

物のない時代、貧しかった我家の晩飯にわずかだが肉が出たことがありました。自分の分はすぐ食べてしまった私に母が云いました。

「お母さん、なんだかお腹が一杯になっちゃったわ。これ食べてくれない」

いくら鈍感な私でも母が満腹でないことは分かりました。しかし、自然と箸が伸びていつの間にか平らげていました。

 

 

一晩だけしか飼えなかったスズメ、硬くなってしまったスズメを手のひらに乗せて、私は、「どうして食べなかったんだ」と聞きたい思いでした。

 

「武士は食わねど高楊枝」

尊厳あるスズメを私は飼ったことがあるのです。

 

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南杏子の略歴と既読本リスト

2022年01月06日 | 読書2

 

南杏子(みなみ・きょうこ)

1961年徳島県生まれ。日本女子大学卒。出版社勤務を経て、長女が2歳の時、東海大学医学部に学士編入。
卒業後、都内の大学病院老年内科などで勤務。スイス医療福祉互助会顧問医などの後、都内の終末期医療専門病院に内科医として勤務。

2016年『サイレント・ブレス』でデビュー
他に『ディア・ペイシェント 絆のカルテ』(NHK連続ドラマ化)、『ステージ・ドクター 菜々子が熱くなる瞬間(とき)』、『いのちの停車場』(2021年映画化)、『ブラックウェルに憧れて』、『ヴァイタル・サイン』『いのちの十字路

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